極限の緊張感に包まれていた戦場に、ガランと無機質な音が響く。
フキョウは音の発生源はここしかないとあたりをつけ、ディアブロスと対峙しながら一瞬の隙を見て視線を向けた。
そこで彼女の目に映ったのは、両手から武器を落とし、苦しそうに胸を押さえながら呻くナナシの姿。強く握りすぎているのか、彼の手は血の気が引いて真っ白だ。さらに、薄っすらとだが、何故か彼の体からもディアブロスのように白い蒸気のようなものが排出されている。
何が起こっているのか。
フキョウは目まぐるしく状況が変化する戦場で、ついそんな事を考える。
まずは状況の把握から。ナナシはディアブロスが狂暴走状態になった途端、武器を落とし蹲った。他に考えられる要因がないから、十中八九これが原因だろう。
なら次は、どうしてこうなったか。それについても彼女は心当たりがあった。
フキョウはナナシが瀕死の状態であったとき、彼をどうにかしようとかつて自分に非人道的な実験を行っていた研究所へ赴いた。そこで彼女は適当に目に付いたモンスターの遺伝子を持ち帰り、ナナシへと投与したのだ。
あのときの遺伝子は何のモンスターのなのか。それは彼のからだから出る蒸気を見れば一目瞭然と言うものだろう。ただ、フキョウは遺伝子が共鳴するなんてことはこれまで一切なかった。それも混乱を深める要因として事態を悪化させていく。
彼は、今も尚、苦しみの中でもがいている。
つまり、ナナシは今、フキョウが善意で持ってきた遺伝子が原因で、死ぬよりも苦しい痛みや悪感情に身を侵されているのだ。もちろんそんな事はナナシ本人が否定するであろうし、こうなることは誰にも予想できないことであったが、それでも自分が好意を寄せている人になんてことを……と彼女は自分を責めてしまう。
しかし、責めたところで現状は変わらないと、頭を振って解決策を考える。
けれど彼女の頭に浮かぶ案はどれも現実でない、可能性が限りなく低いものばかりであった。
「どうにか……どうにかする手はないの……?」
つい不安と共に言葉が漏れる。
頭をフル回転させてどうにかナナシが助かる方法がないか模索する。その思考の中に、既に彼女自身は含まれていなかった。
それは彼女の過去に由来しているものか、自分が彼にしでかしたことに対する後悔か、はたまた急を要する事態に混乱しているのか……本人にもわからない。
銀妖の少女は最愛の彼を救う術を考え続ける。
――だが、そんな自己満足さえも鏖殺の暴君は許さない
立ち止まるフキョウの目に、最悪の光景が映る。
ディアブロスが先程よりも派手に白い蒸気を噴出しながら、いまだ蹲っているナナシの元へと突進を繰り出していたのだ。無抵抗な彼に怒気と殺気を浴びせながら。いや……憐憫と嘲笑も交えて。
まるで、矮小な人の身で鏖殺の暴君の遺伝子を取り込んだ罰だと――安易に『赦されざる力を手に入れた代償』だと。
世界がコマ送りになったかと錯覚してしまうほどに時間がゆったりと流れる。
ゆっくりと着実に、殺意の塊は距離を縮めていき蒸気の噴出も不規則に脈動していく。溶岩を抉りながら走る音の一つ一つが耐えがたい絶望を表しているようで彼女の顔も青く染まる。身体も恐怖で震えだした。
……ふと、左手から赤い光が反射した。
彼女は自然とそこへ視線を向け、「ふふっ……」と声を漏らす。
彼女の左手。そこには以前ナナシから貰った誕生日プレゼント――銀の指輪が光沢を放っていたのだ。
一歩一歩この世で一番味わいたくない『死』が迫る中、フキョウは一度息を吐いた。すると強張っていたからだが弛緩し震えもぴたりと止まった。彼がくれた指輪のおかげで幾分か冷静な判断ができるようになる。
彼女の身体に力が戻る。
表情は誰が見ても見惚れるような清麗なものを浮かべ、すぐに獲物を屠る
フキョウは背中の太刀を抜いてグッと腰を落とす。
鏖魔とナナシとの距離はかなり近い。
彼女は更に脚へと力をいれ、その身に纏う気配を極限まで薄めていく。じっと注目していても見落としてしまうくらいに。
『ナナシ。戦いを有利に進めるのにもっとも有効な手段ってなんだと思う?』
『なにってそりゃあ……単純な力とか優れた防御能力じゃねぇの?』
『うん。それも大事。……けど、もっとも有効なのは“不意を突く”ことなの』
『不意打ち?』
『そう、敵の攻撃が来るってわかってて身構えてるときと突然攻撃されたときとじゃ全然違う。例えば、ナナシは今死角からの私の攻撃を受けたけどどうだった?』
『何が起こった!? って思ったな』
『そうでしょ? 不意打ちされたらまず状況を把握しなきゃいけない。どこから攻撃されて、どれくらいの被害を負って、次に何をすれば良いのか。もちろん怪我の度合いによって対処する選択肢は狭まる。それに、そんなたくさんのことを考えている間に敵は次の行動に移ってる。それじゃ遅いでしょ?』
『なるほど……』
『これを突き詰めたのが暗殺術。相手の死角を突いて一撃で何の抵抗も赦さず命を刈り取る。だからナナシはどんなときでも不意打ちを受けないように立ち回るようにして、逆に死角から重い一撃を食らわせて。覚えておくように』
ダンッ! と力強い音と共に、フキョウは電光石火にディアブロスとナナシの間へと身体を滑り込ませるように疾走する。以前、体術の訓練をしていたときのことを思い出しながら。
彼女は更に気配を薄めながら、走る速度を上げていく。けれど足音は殆ど聞こえない。時折太刀が地面にぶつかる音が聞こえるだけで、興奮状態のディアブロスに死神の鎌の音は聞こえない。
そしてついに、フキョウは弱っているナナシの前へと到着する。
後ろを振り向き、この前教えたことを実践して見せてやると目で伝える。まぁ、苦しそうに呻くだけで気付かないだろうが、そこは彼女の茶目っ気だ。
鏖魔ディアブロスは身の程を弁えない愚劣なハンターを捻り潰そうと、目前に迫ったナナシへ向かって更に速度を上げた。
抵抗する気も見せないナナシに対し、確実に殺せると油断してしまったディアブロスは何も悪くないだろう。
一言言うならば、運が無かった。
濃密な殺意を一点に向け、周囲を全く確認しなかった鏖魔の前に、突如太刀を斜めに構えながら蒼色の髪を揺らす少女が現れた。
ほんの一瞬。インパクトする寸前の隙を突いて、フキョウは薄めていた気配を一気に元へ戻した。
気付いたころにはもう遅く、鏖魔はそのまま突進するしかなかった。だが、いきなり現れた所で人に何ができる、ハンターに何ができる。
鏖魔はすぐに動揺を収まらせ、頭を低く最大威力の角が当たるように突っ込み――
「《鏡花の構え》」
フキョウによる渾身のカウンターによって、もう一本の角もへし折られた。
怯んだ鏖魔に対し、彼女は容赦しなかった。
太刀を居合いのように構えながら、胸下へと再び気配を消して素早く移動し、縦に一閃。追撃に、切り裂いた胸をなぞるようにもう一度、更なる力を篭めて太刀を振り下ろした。
夥しい返り血を浴びながらもフキョウは涼しい顔で距離をとる。
大ダメージを追った鏖魔ディアブロスは、角が折れてしまった頭を思い切り振り上げ水蒸気爆発をし――今さっき負った傷口から大量の血を撒き散らして絶命していった。
◆
返り血を軽く拭いたフキョウはナナシの元へと近寄った。
「うぐぅっっ……! があぁぁぁぁあああぁぁ」
「気絶させて帰るしかないかな……」
苦しむナナシを一撃で気絶させたフキョウは流れるように自分の腿へ彼の頭を乗せる。
彼の寝顔と髪を梳く感触を一通り楽しんで、彼女は顔をゆっくりと近づけて、
「終わったよ、ナナシ。……大好き」
静かに息を吐く彼の唇を優しく包み込んだ。