黄昏博物館へようこそ ー生命の欠片の物語ー 作:zenjima7
プラスとマイナス、相反する素粒子がお互いを相殺し合って均衡を保つ、零の状態。
即ち何も無い状態であった。
時間すら存在しないので、それ以前の歴史は遡ることもできない。
均衡が崩れて空間の膨張が始まり、時間の概念が生まれる。
それが137億年前。
膨張のスピードは光の速さをこえる凄まじいものでインフレーションとも呼ばれ、やがて膨張スピードが落ちたところで熱エネルギーを発生させる。
この現象をビックバンと呼ぶ。
宇宙の誕生であった。
その後も宇宙は膨張を続け、広大な空間の中に恒星が誕生していく。
そして45億年前に、一つの恒星《太陽》を中心とした星系が形成された。
………………
「太陽…」
「ええ、皆がお日さまとよんでいる、あの星のことよ。私たちが今いる星、この世界が存在する地球は、太陽の周りをグルグルと回る惑星というのよ」
「えっと、太陽が物質を引き寄せようとする引力と、地球が自転して外へ飛び出そうとする力が、だいたい均衡を保っているから、ある程度の距離を保って公転している……ってことでしたっけ?」
「うん、うん、そうよ」
………………
原始太陽系にはまだ巨大な惑星の存在はなく、塵やガスや小さな粒子が太陽の周りを回り始めるが、これを微惑星とよぶ。
惑星は太陽の周りを公転しながら衝突を繰り返し、徐々に数を減らしながら大きく成長していく。
微惑星はやがて大きく十数個の惑星へと集約された。
その中の一つ、原始地球。
ある程度大きくなっていた原始地球は重力を発生させ、微惑星を引き寄せてさらに大きくなっていく。次々と衝突する微惑星は重い鉄分は地球の中心へ、軽い岩石分は地表に集まる。微惑星衝突の衝撃で地表の岩石は融解して、地表にはマグマの海が広がっていた。
この時点では、まだ地球上に生命は存在しない。
そして、ある時、原始地球に、すでに微惑星とは呼べない程巨大になっていた惑星《テイア》が衝突する。
その衝撃は凄まじく、原始地球もテイアも、双方が一度バラバラに砕け散ったとも言われている。
二つの星は衝突の衝撃で融解し、その後融合。
そうして生み出されたのが地球であり、飛び散ったまま戻らなかった破片が集まり月となる。
地球上のマグマオーシャンが冷えて大地となり、大気中の水分が冷えて雨となって降り注ぎ、原始の海が生まれた。
原始の海の中に原初生命が誕生したのは40億年前だと言われている。
………………
「どうかばんちゃん、だいぶ掻い摘んで説明したけど、ここまでのことは理解できた?」
「な、何か内容が壮大過ぎて……、時間の経過も億単位とか……」
「ちょっと実感が湧かない感じ?」
「ハイ」
「生命進化に必要な時間」
「え?」
「原初生命が今の形にまで進化するのに必要な時間が、40億年以上というのが時間経過の根拠」
「え、それって」
「そうよ、視点を変えちゃうとガラリと変わっちゃうのよ。地球という惑星は誕生してまだ8千年くらいだっていう説もあるし」
「何だか極端ですね」
「真実はよく解らないけど……、今はヒトを知るため、生物の進化論を根拠にこのまま話を進めるね」
「ハイ」
………………
原初生命が誕生し、その後順調に現在の形へと進化していったのかと言うと、そうでもない。
地球という星は、優しく子供をあやす母などではなく、度々厳しい試練を課す父であった。少なくとも三度、地球は全凍結したことがある。氷河期など生易しいくらいに容赦なく極地から赤道までの全てが凍りついてしまったのだ。
宇宙から眺めると真っ白なスノーボールにしか見えなかったことだろう。
当然、生命にとっては苦難の時代以外にナニモノでもなく、実際に多くの生命が死滅せざるを得なかった。
苦難を乗り越え、生命は進化し、より強い者になって生き残っていく。
先カンブリア期を経てカンブリア期に至り、進化は大発展を遂げて多種多様な種を生み出した。節足動物と脊椎動物の先祖もカンブリア期に誕生している。
続くオルドビス紀末にはこの多種多様に進化した生物たちが一気に姿を消す。
生物種の85%が死滅したと推測される大量絶滅である。
僅かな生物は大量絶滅を乗り越え、次のシルル紀に至り、その中でもまずは植物が海から陸へと上陸を果たす。
デボン紀の海洋では脊椎動物である魚類が大発展し、板皮類や甲冑魚類が全盛期。
その他に軟骨魚類や硬骨魚類が誕生し、後期には肺魚の仲間から進化した両生類が現れる。
節足動物は更に早く陸上へ進出し、原始的な昆虫類も誕生していた。
そしてデボン紀末の大量絶滅、F-F境界。
この大量絶滅の特徴は、陸上または淡水域に棲息していた生物種にはそれ程の影響は見られなかったが、海洋生物には甚大な被害が出たことであった。
つまり、海から逃れていた者が運良く生き延びることができた、ということである。
海で繁栄を極めていた生物たち。最強の捕食動物として悠々と海洋を回遊していたダンクルオステウスら板皮類はこの時に殆どが死滅。僅かに残ったものも、次の石炭紀には完全に絶滅。
カンブリア期に誕生し、長きに渡り海洋で繁栄してきた三葉虫の仲間もこれ以降は衰退していき、ペルム紀には一匹残らず絶滅している。
……………
「かばんちゃん?」
ニアの講義を聞くかばんの顔面が蒼白になっていた。
「少し休憩にしましょうか」
「ハイ、すいません」
「お茶でも飲んで少し落ちつきましょ?」
「ありがとうございます……」
ニアとかばんの講習会は既に三日目に入っていた。
この日の生物進化の講義でかばんに異変が現れていた。肉体疲労ではない、明らかに精神的なストレスからくる疲労。
生物の進化史は、生物の絶滅史でもある。
フレンズたちと深く触れ合い、ともに過ごしてきたかばんは、大量絶滅により死滅していく生物たちのことを、史実として割り切って聞き流すことができなかったのだ。
苦しみ、もがき、死に絶えていく生物たちの悲鳴がリアルに脳内で響いてしまう。
全てを事実として受け止めてしまう。
「このまま講義を続けてかばんちゃんの心は、保つの? 顕生代(先カンブリア期から現代までの期間)には五回もの大量絶滅が発生していて、そして今現在、六度目の絶滅期だと言われている。そして六度目の大量絶滅の原因を引き起こしているのが……
この事実を知って、彼女の心はまともでいられるのかしら?」
……………
彼女は獲物の匂いを嗅ぎとり、首を持ち上げた。
振り続ける雨のせいでかなり薄くなってはいたが、彼女の鋭い嗅覚は縄張りに入り込んできた獲物の存在をハッキリと認識できる。
彼女の縄張りは周囲に妙な壁があり、この壁がなかなかクセモノで少しでも触れるとかなり激しい痛みを伴い、流石の彼女も傷ついてしまう。
しかし、幸いにも縄張りは広大で気候も温暖で割と住み易く、たまに縄張りの外から獲物が入ってくるのでそれを捕食していれば生きていくのに何の支障もなかった。
壁の向こうには何があるのか?
彼女には好奇心という概念はないし、縄張りの向こうへと行きたいという欲求もなかった。
縄張りに迷い込んでくる獲物はだいたい二種類。白い四本足が多いが、稀に肉付きがいいピンク色の四本足も現れる。ピンクの四本足は動きが鈍く捕獲しやすい。
今日の獲物は、頭に角を持ち、メエメエと鳴く白い四本足。
白い四本足は走る脚そのものは遅いが、崖や岩場をヒョイヒョイとすばしこく駆け上るので、岩場に逃げられると少し厄介。
素早く発見して強襲。逃げる暇も与えずに一気に食らいつく、これが一番手っ取り早い。
彼女は立ち上がり匂いを辿り暫く獲物の姿を探し求めると、白い四本足はいた。縄張りの境界の壁を伝うように歩いている。
「メエェッ!」
四本足がこちらに気が付き、慌てて逃走を図ろうとする。
彼女は逃すまいと、大口を開けて一気に突っ込もうとしたが……
雨で出来たぬかるみが、彼女の足を滑らせる。
派手に転倒、しかし勢いがつき過ぎて止まらず、9トンの巨体が壁に突っ込んだ。
あの線、壁と一緒に張り巡らせられた線に絡んでしまったら、無敵の彼女でも死は間逃れない。
――衝突、
衝撃で壁は崩れ、高圧電流が流れる線に彼女の巨体が絡みつく。
飛び散る火花、酷い激痛、彼女は悲鳴をあげたが……
それは死ぬ程のものではなかった!
全力でもがき、暴れて鋼鉄の線を引きちぎる。
壁は崩れ落ち、高圧線は破られ……
この時、彼女の体は、
結界の外にあった。