Fate/Puella magica   作:種好き

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運命はきっと変えられる(後編)

ひとつの世界が崩れ去るのを、これならば安物のSF映画でも見ている方が幾分かマシだろう、といった気分でアーチャーは傍観していた。

せめて存在の痕跡を遺そうと躍起になっていた異界も、陽炎にも似た揺らめきを一瞬浮かべた後は完全に消滅した。

あとには何ら変わり映えのない、それこそ冠詞でも付きそうなほどに模範的な団地が、在るべき場所に戻っただけ。

そうして彼は、いかにもつまらなげな表情を浮かべつつ、いつものように異常の残留物(グリーフシード)を拾いあげる。

異常の存在を認めない世界に唯一遺された種は、或いは彼女らにとっての救いなのかもしれない。

 

暁美ほむらと巴マミの交渉があえなく破談に終わって一夜が経ち、時計の針が午後の三時を指す頃。

アーチャーは風見野町に赴き、今また、魔女を仕留めたところであった。

もとより静かなこの町は平日の昼間という事も手伝って、まるでゴーストタウンさながらの様子である。

人目につく事を良しとしない神秘の具現(サーヴァント)には好都合な場所であり、彼も狩り場としては気に入っていた。

 

マミとの縄張り争いを懸念した彼は見滝原よりも、その隣接した町を拠点にしていた。

結果、当初の目論見に限った話として言えば、ひとまずそれは功を奏したようで彼女との衝突はこれまでに一度もない。

 

……だがそれゆえに、彼はもっとたちの悪い相手を敵に回してしまった事など知る由もなかった。

 

しかし今にして思えば、これは初めて魔女という未知の存在を相手取ったところから既に始まっていた事だと言えるだろう。

まるで、餓えた野獣のテリトリーに足を踏み入れてしまったかのような緊張感。

彼はこの風見野町を狩り場とする時だけは必ず、第三者の魔力反応を感じていた。

見られている感覚も監視というより、むしろ舐め回すような――――獲物を観察する獰猛な獣のソレに近い。

 

そして今、この場に漂うのは闘気というにはなお荒々しく、殺気というには清澄さに欠ける――――そんな気配だった。

或いは覇気と呼ぶのが正しいだろうか。

そこでアーチャーはこれまで幾度となく向けられていた敵意が、初めて明確なものとなるのを感じた。

 

――――むしゃむしゃ、と何かを咀嚼する音。

夕刻近いとはいえ、未だ昼間の様相を浮かべる空に対して、不釣合いなまでに薄気味暗い路上の物陰。

その仄暗い闇の底から、一人の少女が四色団子を喰らいながら現れた。

 

黒いリボンでポニーテールを仕上げ、薄い青のパーカーを羽織った、一見してごく普通の少女の姿。

 

――――ただひとつ、特筆するのなら。

その髪も眼も、獲物を喰らった獅子の口から滴り落ちる血のように朱かった。

 

 

 

 

間に合って、と駆ける両足は市立見滝原病院へと向かっていた。

これまでの統計通りならば、今日が運命の転換点(ターニングポイント)のひとつだ。

 

――――今日が今まで通りなら。

巴マミは魔女との戦闘の末、まどか達の前で命を落とす。

そうなってしまえば、対ワルプルギス戦の勝率が一気に低下してしまう。

 

そうまで考えてから、私は彼女を守る理由に“彼女が大切な先輩であるから”、という最も人間らしい回答の用意を忘れている事に気付く。

それはつまり、どうせ助けられないと諦めてるからなのだろうか――――?

 

足は止まらない。

止まってはくれない。

きっと考えれば、答えを出せば、壊れてしまうと知っているから。

だから私は考えることをやめて、向かう先にだけ意識を同調させる。

目的を忘れた足はただ、最後の(よすが)に縋るように、惨めなままで駆けていった。

 

 

 

 

魔窟はどす黒い瘴気を帯びて、その口をがっぽり、と開けていた。

 

市立見滝原病院の駐輪場。

その物陰に突き立っていたのは魔女の卵、グリーフシードに他ならない。

上条恭介の見舞いに来ていた美樹さやかと、それに同伴していた鹿目まどかが帰りがけに見つけたものである。

 

魔女は“口づけ”と呼ばれる刻印を人々に植え付け、人の内にある衝動を喚起させる。

――――あらゆるモノの内面に介在する、“起源”と呼ばれる混沌衝動。

魔術師の中にもその衝動を覚醒させる者が存在するが、この口づけはまた別のカテゴリに属する。

 

そも起源とは、表層化された人格の裏に潜んで、その存在を束縛する始まりの因。

故に生半可な者が自身の起源(ほんのう)を自覚してしまうと、人格(たてまえ)など簡単に崩壊してしまう。

存在の根源――――その核たるものに、たかが数十年程度の積み重ねで構成されたものが及ぶべくもないのは道理である。

 

しかし、口づけに犯された人間は、あくまでも人格を保ったままだ。

言うなれば、一時的に本能(しょうどう)人格(りせい)の優先順位がスウィッチするだけなのである。

故に魔女に眷属の烙印を押されたモノは、自覚する事無く“目的”を達し、憶えの無い罪科に耐えかね、最後には“絶望”という餌を彼女らに献上する事になる。

 

病院という施設は、もとより心身を弱めた者が多く集う場所。

そんな場所が一度、魔女の糧となったなら――――?

 

措置として、さやかとキュゥべえが場に残り、その間にまどかがマミに救援を求める運びとなった。

まどかに連れ立って現場に到着したマミはテレパシーを用い、先立って結界に取り込まれたさやか達と連絡を取る。

 

(キュゥべえ、状況は)

(まだ大丈夫。すぐに孵化する様子はないよ。急がなくていいから、なるべく静かにきてくれないかい?)

(わかったわ。……美樹さん、大丈夫?)

(へ、へーきへーき!退屈すぎて居眠りしちゃいそっ)

 

まどかはひとまず二人の無事を確認できたことに安堵して、大きく息をついた。

だが、依然予断を許さない状況にあるのは、魔女退治のエキスパートであるマミの表情から見て取れる。

マミはまどかの手を引き、結界へと足を踏み入れた。

 

「無茶しすぎ、って怒りたいところだけど……今回に限っては冴えた手だったわ。これなら、魔女を取り逃がす心配も――――、」

 

そう言い切る前に、敵と遭遇したかのような険悪な顔つきで振り返るマミ。

臨戦状態特有の緊張感を前に萎縮しながら、まどかも恐る恐るそこに目を向け、

 

「ほ、ほむら、ちゃん……?」

 

と、血まで凍っていそうなほどの冷たさを感じさせる少女の、名前を呼んだ。

 

 

「……言ったはずよ。二度と会いたくない、って」

 

マミはまどかを庇うようにほむらの方へ一歩乗り出し、牽制する。

その時、彼女の冷え切った双眸が動揺故か、一瞬何かを言い淀むように逸らされたのを、まどかは見た。

しかしすぐにマミへと向き直ったその瞳は、さらに冷徹さを倍加させていた。

 

「今回の獲物は私が狩る。あなた達は手を引いて」

「そうもいかないわ。美樹さんとキュゥべえを迎えに行かないと」

「その二人の安全は保証するわ」

「……信用すると思って?」

 

真っ直ぐにマミを見据えて放たれたほむらの言の葉は、けれどもマミには届かない。

……マミには珍しい、奸計を謀るかのようなあくどい微笑。

彼女はさらに、挑発するようにほむらの癖を真似て髪をかき上げる仕草をしてみせた。

 

――――それが、発動の引き金(トリガー)だった。

魔力の奔流を察知したほむらの反射的な離脱行動も間に合わず。

彼女の四肢は何処からともなく顕れたリボンの前に封殺された。

ほむらは苦しげに藻掻くも、リボンは一向に緩まない。

それどころか、逆にその拘束力を増していく。

 

「ば……馬鹿……っ!こんなこと、やってる場合、じゃ……っ」

「もちろん怪我をさせるつもりはないけど……あんまり暴れたら保証しかねるわよ?」

 

そう言い放つマミの表情に慈悲の類は感じられない。

まどかの手前、オブラートに包んではいるが、このまま抵抗を続ければ最悪、圧殺の可能性すら有り得るだろう。

経験を経た者ほど、敵となった相手に情け容赦がないのがこの世界の宿命。

その点で言っても、彼女もたしかに“魔法少女”らしかった。

しかし、それを重々承知していながらも、ほむらは叫ぶ。

 

「今度の魔女は、今までとはワケが違う!あなたに勝ち目なんて、ない……!」

「ご忠告ありがとう。お礼に、帰りにはちゃんと解放してあげる。……大人しくしていれば、だけどね。――――行きましょう、鹿目さん」

「待――――っ……!」

 

ほむらは苦悶の声を押し殺しながら、それでも必死に叫び続けている。

マミとて容赦はなかったが、そこに何の呵責も無いわけではない。

 

……もしかしたら、彼女とも志を同じくして共闘できたかも――――、

そんな、唐突に浮かんだ既視感めいた理想に背を向け、マミはまどかを伴って先を急いだ。

 

 

「は、ぐッ……っ!」

 

藻掻く度に四肢を寸断されているかのような痛みが走る。

そうして次第に抵抗する気力すら刈り取られ、さながら死刑を待つ罪人のように項垂れていた。

……そこで諦めかけた瞳がふと、手の甲に刻まれた紋様を認識する。

 

――――“令呪”。

魔術師が自らの力量をも凌駕する最高位の使い魔、英霊(サーヴァント)を使役するために用意された絶対命令権だという。

 

……馬鹿馬鹿しい。

嫌悪感を持って、そう思った。

 

だって、そうじゃない。

それは誰が用意したのかも解らないモノ。

しかも、肝心の効果があるのかどうかさえも疑わしい。

そんなものを――――自分は今、最後の希望だと思って縋ろうとしているのだから。

 

けれど、もうそれしか手段は残っていない。

このまま、みすみす彼女を見殺しにして失敗するくらいなら――――、

 

――――自身に危険が及ぶかもしれない。

――――効果があるかどうかもわからない。

――――使えるのは三回だけ。

 

……もう、そんな事、知らないわよ。

どのみち、まどかを助け出せなければ、私は死んだも同然なのだから――――!

 

「――――――――――――、告げる(セット)

 

迸る魔力の波動。

それは仮にソウルジェムを介して全開の魔力を引き出したとしても、なお遠く及ばないほどの密度を有していた。

紋様は発現した時と同じ輝き、鈍痛をもたらす。

ほむらは三度限りの強権――――その一画を、発動した。

 

 

 

 

「待ちなよ。アンタ、まさかこのまま帰れるとは思ってないよね?」

 

団子の串を咥えたまま笑みを浮かべて、少女は言った。

口元から覗かれる八重歯は獅子の牙と一体、どこが違おうか。

 

「このままでは、と言ったか。では、どんな風に帰してくれるんだ?」

「……はぁ?ナニいってんのさ、アンタ。言葉の綾、ってヤツじゃんか。……ったく、人様の縄張りを荒らしまわるようなハイエナ野郎ってなると、性格の方もひねてるってわけかい」

 

呆れた顔でぼやく声に対し、否定はせんがね、と一言添えるアーチャー。

すると、仕切り直しとばかりに向き直った彼女は、

 

「……ま、いっか。どのみち、アンタは無事じゃ済まないんだしさ」

 

――――瞬間。

アーチャーの頬をナニかが掠め、背後の壁面に罅を穿った。

交差の際、彼の鷹の眼が捉えていたのは、先ほどまで彼女が咥えていた団子の串。

なんの変哲もない木の棒は、しかしあまりに鋭く、弾丸にも匹敵しよう速度を有していた。

 

これは彼女なりの警告であり、同時に余興なのだとアーチャーは理解する。

さりとて、常人ならざる少女の存在は、彼にとっては既知のもの。

そこに今更、驚きはない。

 

冷徹な宣告に呼応し、彼女の指輪が真紅の輝きを放つ。

 

――――凄然と周囲に拡がった赤き閃光は、消える時もやはり弾け飛ぶ鳳仙花のごとく凄絶だった。

迸る閃光の残滓と、この世の境界線。

そこに居たのは、爪を、牙を、全て剥き出しにした捕食者だった。

 

ノースリーブの下にスカートをあしらい、持ち手の身長を優に超える長柄の槍を得物とする少女の姿。

その華奢な身体を覆う紅の意匠はまるで、彼女がこれから浴びる事になるであろう返り血を暗示するかのようだ。

 

「だいたい、アンタ一体何者さ?どう見ても女じゃあない、よねぇ?」

 

軽々と槍の穂先をアーチャーに向け、彼女は問う。

 

「あいにくだが、名乗るほどのモノは持ち合わせていないのでね。つまらない返しの詫びに、君の名を訊いておこう」

 

アーチャーは応戦の意志を示す形で『干将(かんしょう)莫耶(ばくや)』を手繰り寄せる。

彼女はそれに対して、可憐な少女には不適な、

――――されど、狩りの高揚感に猛る獅子にはやはり似合いの不敵な笑みを覗かせ、

 

「……ふん、佐倉杏子だ。覚えなくていいよ。どうせ――――スグに何もわからなくなるだろーしねぇッ!」

 

言うが早いか、少女の振るったモノとは思えない、稲妻めいた槍の刺突がアーチャーに向かって繰り出される。

研鑽された槍術をもって放たれたその一撃は、そこに至るまでの動作全てがまるで無かったかのように唐突な、言い表すのならば点の一手。

それでも臆せず、アーチャーはすぐさま、流れる線のような体捌きでもってこれを回避する。

 

――――交差する、点と線。

杏子の視線の先には、熾烈な戦闘の予感がある。

長らくヒトガタ(、、、、)は相手にしていなかったが、今回も例には漏れず、後に原形は残るまい。

肉食獣の爪は一切の呵責もなく、獲物の肉を抉りにかかった。

 

――――交差する、点と線。

アーチャーの思考にあったのは、いかに手早く相手を振り払うかだけだった。

無益な殺生を好まない彼はこの期に及んで尚、まともに剣を取ろうとはしない。

使い慣れた双剣のつがいは刃先を彼女に向けることなく、その動きを止めにかかった。

 

 

――――だが、誰の予想にも反して、決着は一瞬だった。

槍の穂先が男の喉笛を裂くより先に。

短剣の峰打ちが少女の意識を刈り取る前に。

赤い外套を纏った男は、何の前触れもなく世界から消失した。

 

 

 

 

光の粒子は瞬く間に赤い外套へと姿を変える。

アーチャーがまさしく瞬間移動の勢いで転移した先は、魔女の胎内だった。

 

――――令呪の行使。

隣町の外れから、この得体の知れない異界までの距離。

そんな隔たりを一瞬にして縮める、などという魔法めいた神業を現代――――この世界において再現しうるのは、それ以外に考えられなかった。

 

「アーチャー」

 

振り絞るような声で彼を呼ぶほむらは、リボン状の拘束具で締め上げられている。

切迫した場面でなければ、鼻で笑いながら嫌事が口を突いて出ていただろう。

しかしたった三度限りの、彼女にとっては本当に効力があるのかも定かではない“切り札”にまで頼らざるを得なかった状況を鑑みれば、当然そんな暇はない。

 

「状況は?」

 

アーチャーは現場の変化に驚く事なしに問う。

よほど苦しいのだろうか、彼女は呻くような声で絶え絶えに報告する。

 

「巴マミが、魔女の元へ向かったわ。けれど……今回は、彼女に勝ち目は無い。命を落とすわ」

 

おそらくは、こうして彼女を拘束しているのは、その巴マミ本人なのだろう。

けれど、ほむらは悲痛の表情を浮かべて、自らを辱めている相手を慮っていた。

アーチャーは、静かに背を向けて言う。

 

「――――マスター、命令を」

「……えっ?」

「早くしろ。サーヴァントはマスターの命令(オーダー)で動くものだ。……君の願いを言ってくれ」

 

背中を向けているアーチャーだったが、不思議とほむらには、彼が笑みを浮かべているような気がした。

そうして彼女は深く息をひとつ吐き、確固とした決意を顕わにした顔で従者に命じた。

 

「――――彼女を、助けて。皆、死なせないで……!」

「了解した。期待に応えるとしよう――――!」

 

英霊は誇らしげな赤の輝きを発し、流星めいたスピードで駆け抜けていった。

 

 

 

 

「今日という今日は、速攻で片付けるわよ――――!」

 

燦然と輝くマミの魂の輝きは、今この時にだけは、この世のどんなものよりも眩しかった。

いつもと変わらぬはずの衣装も、その華麗な光に調和して美しく映える。

今の彼女を前にしては、いかな絶望も死の不安さえも焼き尽くされよう。

 

後ろで自分に憧れている後輩がいる。

後ろで自分を認めてくれる友達がいる。

――――もう独りではなくなったのだ、と。

そんな希望こそが彼女を強くする原動力だった。

彼女は満ち足りた笑みを浮かべて、目の前に巣食う絶望の闇を振り払う。

 

(――――もう、何も恐くない!わたし、独りぼっちじゃないもの――――!)

 

 

そこはまるで、どこかで聞いたような童話の世界だった。

チョコレート、メイプルシロップ、クッキーにドーナッツ。

子供なら誰もが一度は望むであろう光景が広がっている。

たくさんのお菓子が立ち並んで初めて、その世界は成り立っていた。

そこはきっと、少女のユメが創り出したお菓子の家なのだ。

 

少女は望むものを手に入れた。

けれど彼女は、こうも考えた。

“これはわたしだけのモノ――――ひとりじめしてしまおう”、と。

 

そんな無邪気な子供のちょっとした執着心は、けれども明確な憎悪の塊となってマミに押し寄せた。

しかし、それらはまさに取り付く島もないままに鏖殺されていく。

無数に召喚されたマスケット銃を匠に使いこなし、敵をいなして撃ち抜くマミの姿は舞踏場での優雅な舞いによく似ていた。

 

(身体が軽い――――こんな気持ちで戦うのは初めて――――)

 

ちら、と背後を覗く。

そこにあったのは、自分に向けられている期待と憧憬の眼差し。

……感極まって泣きそうになってしまう。

けれど、まだダメだ。

今、目の前のこの敵を倒した時こそ、自分はまた――――

 

そうして彼女達は結界の最奥へとたどり着いた。

鼻孔が砂糖を何倍にも濃縮したような甘ったるい香りを捉え、マミもまどかも少し顔を顰める。

それも束の間、彼女達は、その場に佇んで状況を静観していたさやかとキュゥべえを発見した。

しかし再会を喜ぶ暇もなく、異界の主の胎動は疾うにその最高潮を迎えていた。

 

「気をつけて――――出てくるよ!」

 

茶会を飾るに相応しい、長い脚の椅子と机。

けれど、そこに降り注ぐのはティーカップの紅茶ではなく、ヌイグルミめいたナニカ。

今まで見てきた異形とはまた違った趣のソレは、かえって空恐ろしい何かを感じさせる。

 

「せっかくのところ悪いけど、一気に決めさせて――――もらうわよっ!」

 

得体の知れない恐怖を跳ね除けるように、マミは威勢良く声を上げる。

同時にマスケット銃の銃床が大木を薙ぐ鉄斧のように振るわれ、魔女の鎮座する椅子の脚を砕く。

衝撃で宙に放り出されたヌイグルミは間髪入れずに放たれた一斉射撃の雨に蹂躙され、あっけなく地に堕した。

そして一切の抵抗なく倒れ伏すソレを、しかしマミは無情にも撃ち抜く。

ヌイグルミは魔銃に穿たれた穴から顕れたリボンに絡め取られ、再び空へと押し戻される。

 

「ティロ・フィナーレ――――!」

 

慢心なくして放たれる、必滅の一撃。

それは今まで数多の魔女を葬ってきた、浄化の業火。

魔砲に呑まれたヌイグルミは、その原形を留める事なく果てた。

 

まどかとさやかは手を取り合って、歓喜の声を上げる。

長年の経験を持つマミですら、獲物を仕留めたという確かな手応えを感じていた。

 

――――それこそが慢心だったと、一体、誰が責められるだろう。

勝利の喜びに浸る彼女達の瞳はついぞ、ヌイグルミの異形が今際の際に遺した呪いを捉えることがなかった。

 

「――――え、」

 

ばくん、と大きく開かれた口がマミに向かう。

噛み、砕き、咀嚼し、呑み込む。

純粋に一つの事だけを成し得んとする執念。

その一点において、この“執着”の性質を持つ彼女を超える怪物(まじょ)はいない。

目の前のモノを喰らう悦び以外の感情を持たないソレは、今この時も無邪気な笑みを浮かべていた。

 

 

――――縮まる闇と自分の距離。

それが、巴マミという存在が地上から消えるまでに掛かる時間に等しいものだと、彼女自身が理解した。

 

 

「チ――――、久々に本職に戻るか……!」

 

疾走する脚を止め、彼が手にしたのは黒い洋弓だった。

続け様に彼はつがえるべき矢を投影する。

 

赤原猟犬(フルンディング)』。

その銘は龍殺しの伝説を持つ英霊“べオウルフ”の持ち得た剣。

魔剣は、アーチャーという工房を経て、鏃へと生まれ変わる。

 

――――鷹の目を以て見据える先は、ただ一点。

 

「赤原を往け、緋の猟犬――――!」

 

弓に置いていた指が、離れた。

緊張による筋肉の弛緩、それによって生じる手の震えは一切ない。

弓の英霊(アーチャー)は見事、その名に恥じぬ一矢を放ち切った。

音速さえも超越した赤光を見届ける残心も僅かに、彼はその場から消えていた。

 

 

まどかとさやかは、ただ迫る死の臭いを前に竦み上がる事しか出来なかった。

 

その先の光景を、見たくない。

見たくないのに、目をそらすことさえもできない。

戦慄する二人を必死に呼びかけるキュゥべえの声も上の空。

だからその時の彼がどのような表情をしていたかも、彼女たちにはついぞ分からないままだった。

 

「まどか、さやか、今すぐ僕と契約を――――」

「――――それには及ばんさ」

 

響き渡る男の声(、、、)

――――少女を包み込まんとしていた無間の闇は、しかし。

怪物の腹を破り壁面に叩きつけた、一つの赤光を前に敗北した。

 

 

一秒――――或いは、コンマ数秒単位の差だったのかもしれない。

その時までそこに居合わせた誰もがそれを絶対視し、当人でさえ世界に見放されたのだと確信していた。

そんな巴マミが死に至る未来(イマ)は、赤い外套のもたらす現在(イマ)に書き換えられた。

 

轟音の後に舞う粉塵は、隕石落下直後さながらの様相を呈していた。

向かってきた鏃との接触がなかったはずの地表さえ、その余波によって見るも無残なクレーター状に抉られている。

英霊の宝具がもたらす破壊の痕跡はもはや、近代兵器による爆撃の類と何ら変わりなかった。

 

「間一髪、といったところだな。私の幸運もあながち捨てたものではないらしい」

「あ、あなたは……」

「え、衛宮さん……?」

 

呆然と男を見るマミ。

そして、信じられないモノを見たとばかりに困惑するまどかとさやか。

 

「話は後だ。死にたくなければそのままでいろ」

 

アーチャーは未だに巻き上がる白煙の方へと目をやる。

 

魔女は、未だ健在だった。

ただの魔女が、都市区画をも立ちどころに焼き払う威力を秘めた宝具の一撃に耐え切れるはずはない。

正確に言うのならば、ソレは確かに一度果てていた。

しかし、執着の想念を体現するその怪物は現世の残留にすらしがみつく。

魔女はだらしなく開き切った大きな口からマトリョシカ人形のように、先ほどと寸分違わぬ姿で再度現れたのだ。

 

じろり、とソレは乱入者であるアーチャーを睨む。

その視線はコミカルな表情とは裏腹に、確かな殺気を宿していた。

 

「向かってくるか。戯け」

 

怪物は、見た目の巨躯に反した驚異的な速度でアーチャーの頭部に迫り寄る。

だが、そこまでの接近を許すほど彼もまた尋常ではなかった。

アーチャーはすかさず高台に逃れ、自身に語りかけるような声で呪文を詠唱する。

 

I am the born of my sword(体は剣で出来ている).」

 

怪物は突如として消えたアーチャーを探すように辺りを見回す。

次にその視界が彼を捉えた瞬間――――それが、最期だった。

 

剣があり、鎚があり、槍があった。

斧があり、鎌があり、矛があった。

曲刀や用途も想像できないような得体の知れない形状の武具に至るまで。

そうした夥しいまでの武具が怪物の周りで静止し、牢獄を形成している。

膨大な魔力の波動を内に漲らせるそれらは全て、掛け値なしに伝説級の宝具だった。

 

停止解凍(フリーズアウト)――――全投影、連続層写(ソードバレル・フルオープン)

 

アーチャーによる号令の下、無数の刀剣宝具は雨霰と怪物に殺到した。

絶え間なく炸裂する魔力の塊を前に黒の巨体は一瞬にして蒸発し、その度にまた自らの肉をすげ替える。

 

だが生に執着する一心も、立て続けに迫り来る宝具掃射の速度を前にしては敵うべくもない。

破壊される身体を新たな器で埋めようとするその代償行為は、この場においてはただ終わりの見えない拷問でしかなかった。

そうしてついに限界を迎えたソレは、最期の最後まで未練がましい表情を浮かべたまま、この世界から追放された。

 

 

「す、すごい……」

 

そのあまりに圧倒的な光景を前に、全員が息を呑んだ。

ただ一人、当事者であるアーチャーだけは何事もなかったかのように悠然と地に下り立ち、怪物の遺産を拾い上げる。

 

「あ、あなたは……?」

 

状況の変化に理解が追い付かないといった様子でマミは誰何の声をあげる。

 

「敵対するつもりはない。だが詳しい話をするのは許可が下りていなくてね。そうだな、たしかそこの娘達にはエミヤと名乗ったが」

 

アーチャーはちらり、とまどか達の方に目を向けた。

彼女達は未だに当惑している様子だが、この状況では仕方のない事だろう。

後始末のフォローを怠った事を嘆きつつ、最低限、話し合う場所を設けようと口を開きかけた時、

 

「――――どう、なったの?」

 

 

不安げな表情でその場に現れたのは、マミによって拘束されていたはずの暁美ほむらの姿だった。

彼女を縛っていた魔法はマミが自らの死を確信したショックで解除されていたのだ。

 

ほむらの視線の先にあったのは、絨毯爆撃もかくやという現場の惨状。

そして――――その渦中においても無傷のまま健在の、鹿目まどか達の姿だった。

この分だと、きっとアーチャーが上手くやったのだろう。

 

今までどんなに足掻いても、変えられなかった運命(フェイト)

今回の事は巴マミを救えただけでなく、ほむらにあるひとつの確証(きぼう)をもたらした。

 

――――決して覆りようのない運命なんてない。

運命は、きっと変えられる――――

 

「あ、あいつは……!」

「ほむら、ちゃん……?」

「暁美、さん……?」

「……」

 

ほむらの胸に湧く希望を他所に、三人と一匹の困惑はここに極まっていた。

全員の視線がほむらへと向き、そして彼女自身もまた、状況を掴めずにいる。

 

「……ところで、アーチャー。これって……」

「――――後を頼む」

 

責務を終えたとばかりにアーチャーは、いつも通りのシニカルな笑みを浮かべて霊体化()げた。




※注釈

起源:Type-Moon作品共通の概念。
万物に存在する始まりの基となり、そのモノの方向性を決定づける。
(“禁忌”が起源の者は倫理道徳に反するものに魅力を感じる、など)
簡単に言ってしまえば本能で、自覚がなくとも多少はそれに引っ張られている。
アーチャーは生前、とある宝具の影響で“剣”の起源を持つに至った。

赤原猟犬:フルンディングと読む。
「Fate/hollow ataraxia」、「Fate/EXTRAシリーズ」においてアーチャーが矢として使用。
特に前者では発射後に軌道変更を行なう離れ業を見せた。
叙事詩「ベオウルフ」の主人公、ベオウルフが持つ剣の一つとして登場。

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