「よそ見してんじゃねぇ」
オコリンボーの攻撃を受けたキュアリンクの体が鉄骨に強く打ちつけられたのを目撃して、ルビーには大きな隙ができた。
咄嗟に攻撃に備えたが、イカリングの拳は既に彼女の防御をすり抜けたところまで達しており、ルビーは吹き飛ばされるのと民家の壁にぶつかる衝撃をほとんど同時に味わうことになった。
「お前が俺と喧嘩したいって言うから付き合ってやってんだ。がっかりさせんなよ」
ゆっくりと歩いて近づいてくるイカリングからは余裕が感じられ、ルビーが慌てて起き上がろうとすると、筈のようにした手で喉元を掴まれて壁に押しつけられた。
「キュアルビー……、お前なら分かるよな? 喧嘩ってのはお互いが本気になるから面白いんだ。売った喧嘩を買わない相手なんてつまらねぇ」
力の差を見せつけられたルビーは、改めてイカリングを自分たちとは違った存在だと認識して背筋が冷たくなった。圧倒的な強さに対する恐怖ではなく、怒りへの異常なまでの執着に気味悪さを覚えたのだ。
呼吸が苦しくなり、喉元を締め付けられていることで嘔吐感もこみ上げてくる。勝てない相手だからといって、諦めたくはない。しかし、どうしようもなかった。意識は薄れ、全身から力が抜けていくのを感じる。
「俺はタリアを連れ戻す為にお前を倒す。だが、お前は俺を倒してどうするつもりだった?」
声を出すことはできず、言葉も見つからなかった。ゆかりを一人で行かせるわけにはいかないという理由でついてきて、プリキュアだからという理由で戦っていた彼女は、イカリングの問いかけに対する答えは持っていなかった。
「……分かってねぇのか。これが俺とお前の本気の違いだ。お前には何も守ることはできねぇ」
無理に首を動かして、ルビーは忍たちの方を見た。不安そうな、怯えた表情の忍はどうにか意識を保とうとして必死に目を凝らし、弟の苦しそうな顔を見つめていた。
彼女は優輝を守ろうとしている。家族の為に、部員の為に一生懸命だった。
それなら、とルビーは思う。自分も、敵わない相手でも、せめて一生懸命やってやろう。
「約束したんだ」
勝利を確信していたイカリングは、すっかり戦意喪失したと思われていたルビーに手首を掴まれ目を見開いた。
「志穂先輩とゆかりに、約束したんだ! 忍先輩を任せてって!」
痛みに耐えられずルビーの首に宛がっている手を自ら振りほどいたイカリングは、もう片方の手で握られた手首を擦りながら彼女を睨む。ルビーは空気を大量に吸い込み、一気に吐き出した。
「それに、喧嘩の先約もあることだしね」
優輝の怒りを目の当たりにして、自分にも責任の一端はあると彼女は感じていた。家庭の事情など気にもしないで、無神経なことばかり言っていたように思える。しかし、後悔はしていなかった。
イカリングの言うことは必ずしも間違ってはいないと、ルビーは考えていた。感情を抑え込まず、彼女の言葉で嫌な気分になったならそう言えばよかったのにと思う。そうしていれば、イカリングに付け込まれることもなかったのに。
ただ、それが優輝の優しさだというのなら、そういうことにしておこう。彼女は思った。
家族には恥ずかしくて言えないことでも、友達には簡単に言えたりする。優輝はその友達すら、積極的につくろうとはしなかった。それは彼の責任だ。
ルビーにとって優輝がイヤなやつであることに変わりはなく、この騒動が片付いても同情してやるつもりはない。しかし、せっかく席も近いのだから、もうちょっと仲良くやっていこうかなとは思えた。
だからこそ、負けるわけにはいかないのだ。
もう一つの戦いを気にしてオコリンボーの方を見ると、小さな影が見えた。すぐにはその正体は分からなかったが、やがて思考が冴えてそれが明らかになり、彼女は不敵な笑みを浮かべる。
「プリキュア! プレジャーブレス!!」
複数の光の球が巨大なオコリンボーの周りに出現し、体にぶつかるとそれぞれが小さな爆発を起こした。
「何だ!?」
イカリング同様、何が起きたのか把握できないでいた忍は、今さらこの状況を理解しようなんて無謀なだけだと自分に呆れながらも、倒れるオコリンボーから離れてこちらに近づいてくる影に目を凝らした。
「よそ見してんじゃないわよ!」
相当のダメージを受けたはずのキュアリンクがどうやってオコリンボーに反撃できたのか、呆気にとられているイカリングの隙をついてルビーは右手のブレスレットに力を込めた。
「プリキュア! ルビーショット!!」
防御が遅れたイカリングは無理な姿勢から、ルビーの拳を象った赤い光を受け止めた。彼女の力に押されてじりじりと壁際まで追い込まれた結果、威力を打ち消すことができなくなりエネルギーの塊が爆発するようにして壁に激突した。
「てめぇ……」
すっかり頭に血が上った様子で、立ち上がったイカリングの顔は真っ赤になっていた。“怒りの王”が本気で怒ったらどれほどのものか、ルビーには想像もつかなかったが、直感的に追撃ではなく相手の攻撃に備えた。
そのただならぬ雰囲気は忍にも伝わり、自分に何もできないと承知の上でキュアルビーを庇おうとしたとき、キュアリンクを抱えた白いコスチュームの少女が空から降りてきた。
「何だお前?」
キュアプレジャーは彼の問いには答えず、深手を負っているリンクと彼女の通学かばんを忍に預ける。
「リンク! ユーキ! 大丈夫リア?」
かばんから飛び出したタリアは自分がそもそもの原因であることなどすっかり忘れてしまったようで、純粋に彼女たちを心配していた。そんなタリアを見て、イカリングは嬉しそうに呼びかける。
「タリア、やっと来たか」
その言葉に確信を得たプレジャーは、ルビーに近づき現状を確認しようとした。
「あの人がたこ焼きんぐですか?」
「いや、イカリングだけどね」
幸運にもタリアの方に意識を集中させていたイカリングの耳に今のやり取りは入っておらず、火に油を注がずに済んだ。
「大人しく心の国に戻れ、タリア。素直に従えばこいつら全員見逃してやる」
キュアプレジャーの登場に驚きはしたものの、オコリンボーはあの程度の攻撃で倒されるはずがなく、キュアリンクは戦えそうにないことを見てとったイカリングは自分がまだ優位にあることを認めたらしく強気な口調だった。
結局のところ、状況は振りだしに戻ったどころかリンクとタリアまで気にしながら戦わなければいけなくなったルビーは、こっそりとプレジャーに耳打ちした。
「どうしてタリアまで連れてきたのよ。あいつが水を得た魚みたいじゃない」
「え、イカリングなのに……?」
全身が痛み、起き上がることさえままならないリンクはアスファルトに転がったままタリアの頭を撫でた。それは安心させようといった意図ではなく、よく来てくれたという労いが込められていた。
「心の国にはまだ帰らないリア! ボクにはこんなにたくさんの友達ができたリア。みんなと一緒にお母さんを捜すリア!」
これほどまでに劣勢な状況でも前向きなタリアの発言にリンクたちは安心させられたが、イカリングだけはやはりそれが気に入らないようで静かに舌打ちをする。
「いい加減にしとけよ、このくそがき」初めは威圧するような口調だったが、次第に感情をむき出しにして荒々しくなった。「全部てめぇのせいだ。プリキュアだけじゃねぇ、そいつらみたいに無関係なやつが苦しむのは全部てめぇの我儘のせいだ」
彼の怒りに同調するように、オコリンボーものっそりと立ち上がる。それを見て調子づいたイカリングは優輝を指差し興奮して言った。
「そいつのオコリンボーは誰にも止められねぇ。プリキュアが三人になろうと、あの強力な怒りには勝てないだろうよ」
隣で苦しそうに眠っている優輝の顔を見つめながら、リンクは思った。たしかに、自分たちだけでは彼のオコリンボーを止めることはできない。もしオコリンボーを倒せたとしても、彼の怒りに決着がつくわけではない。
これは、彼女たちでどうにかできる問題ではないのだ。
「勝つとか負けるとかじゃないよ」リンクは言った。「倒すんじゃなくて、受け止めなくちゃ」
イカリングに向けた言葉だと思って聞いていた忍は、やがてリンクが自分の目をまっすぐ見ていることに気付いた。彼女は一瞬その視線から逃れようと目を逸らしたが、今度はタリアに捉えられる。
「ユーキの優しさに、ちゃんと応えるリア!」
これまで巨人を従える大男と不思議な格好をした少女たちの戦闘を前にして呆然とするしかなかった忍は、いきなり全てが現実であることを改めて認識しなければならず、それは彼女自身が驚くほどすんなりと受け容れることができた。
優輝の気持ちと、自分の気持ちを。
「……ごめん」
ぽつりと呟いた。眠っている優輝に聞こえるはずのない、小さな声で。彼女は自分の卑怯さに嫌気がさした。
「くだらねぇことを……」
忍に近づこうとするイカリングを制止させようとして、ルビーとプレジャーが戦う。その光景を見て心底、自分が情けなくなった。
優輝が苦しむのも、プリキュアたちが傷つくのも、町のみんなを恐がらせているのも、イカリングでもタリアのせいでもなく、自分のせいだと忍は思った。
今さら、優輝の気持ちに応えることなんて、できるのだろうか。
「くよくよしてるの、忍先輩らしくないですよ!」
格闘の最中、イカリングの攻撃をプレジャーが引きつけている間にルビーが言った。
「自分に厳しくて、私たちには優しくて、でも叱るときは叱ってくれるのが先輩じゃないですか! 自分の弟にくらいがつんと言ってやれないでどうするんです!」
叫んだことでイカリングの意識はルビーに向けられ、攻撃を受けた彼女は電柱に激突する。攻撃後の隙を見てプレジャーが彼を背後から狙ったが、さっと振り返ったイカリングは彼女の攻撃を受け止め、そのまま壁に叩きつけた。
「私たちは大丈夫だから……」
膝に手をつきながら立ち上がったリンクの体は、小刻みに震えていた。それがダメージによるものか、敵いそうにない相手への恐怖によるものか忍には分からなかった。その体で戦うことがどれほど無謀か誰が見ても明らかなのに、忍はリンクを止められなかった。
「恩田くんのこと、お願いしますね」
無理やり自身を鼓舞してイカリングに突撃したリンクは、すぐに反撃を受けて地面に倒れた。それでも、また体を起こし立ち向かっていく。
その姿を見て、忍はまた「ごめん」と呟いた。そして、優輝の頬に手を当てる。
「それと……、ありがとう」
すると、オコリンボーが悲痛な声を上げて苦しみだした。初めて目にする光景だったのか、動揺するイカリングに三人が一斉に攻撃をしかける。ルビーとプレジャーの攻撃はそれぞれ片手で防がれたが、リンクの攻撃は彼の腹部に直撃した。
ゆっくりと息を吐き、忍は微笑む。これまでの自分を皮肉るように。
優輝の優しさを踏みにじったのは、オコリンボーを生み出したイカリングではなく自分だと彼女は思っていた。母の代わりになって頑張るために、ずっと彼の好意を無視して否定し続けてきた。それが優しさのつもりでいた。
しかし、それは自己満足に過ぎなかった。
しっかり者で家事もこなせる頼りがいのある姉という虚像に、いつの間にかすがりついていたのだ。その為に、無口で世話のやける弟、父親を知らない可哀そうな男の子に優輝を仕立ててしまった。
優輝はきっと、父親も、立派な姉も望んでなんかいなかった。彼の望みは、もっと小さなもののはずだ。
「いつも家事手伝ってくれて、ありがとう」
オコリンボーは地面に膝をついて、頭を抱えていた。まるで、忍の声が自分の存在を脅かすかのように、徐々に怒りの気配は薄れていく。
どうして今になるまで気づくことができなかったのか、それとも気づいていないふりをしていただけなのか、彼女は許してもらえるか怖くなった。
自分は弱い。できた姉でも、頼れるキャプテンでもない。ただの卑怯者だ。
優しさのつもりで気難しそうな弟をそっとしておいたつもりだった。しかし、本当のところは正面から彼と向き合うのが怖くて逃げていただけだったのだ。
何を遠慮していたのだろう。弟なのに。かけがえのない、大事な家族なのに。
「早く帰って、一緒に夕ご飯つくろう? 私はお風呂沸かすから、優輝は洗濯物してさ……。それで、お母さんが帰ってきたら、三人でご飯食べようよ。家族みんなで」
優輝の表情は次第に安らかなものになり、オコリンボーは咆哮をあげながら鮮やかな赤い光となって消えていった。
破壊された町も見る見るうちに回復し、キュアリンクも心なしか体が軽くなったように感じた。
「ばかな……、オコリンボーが……」
形勢逆転とはいえなくても、オコリンボーの消滅によりプリキュアたちの負担が大幅に軽減されたことは明らかであり、三対一という状況のままいたずらに体力を消耗するよりは一旦退いた方が利口だとイカリングは考えた。
「これ以上、私たちに関わらないで」
リンクの要求をイカリングは鼻で笑って一蹴し、タリアを睨んだ。
「そいつはタリア次第だ」
こうしてイカリングが退散したとき、すっかり日は暮れて辺りは真っ暗になっていた。
「それで? ちゃんと全部説明してもらいますからね」
忍の追及から逃れられそうにないと判断した三人は、観念して変身を解いた。
「あの、どうして私たちって分かったんですか?」
プリキュアである自分の姿を鏡で見たことはなかったが、他の二人の変化から察するにあっさり正体がばれないはずの変身がどうして見破られたのか、ゆかりには不思議で仕方がなかった。
「あんなに私たちや志穂のこと言ってて、気づかれないわけないでしょうが」
呆れたように言う忍は、つい先ほどまでの苦悩なんてなかったかのようで、いつもの彼女だとゆかりたちは安心した。
今回の騒動は多くの人々を巻き込み、破壊の形跡がなくなったからといって、なかったことにはならない。優輝の怒りが具現化したオコリンボーが暴れ、その原因が忍にあることはごまかしようのない事実である。
しかし、こんな事件の後でも、忍がいつもの調子を取り戻し、優輝が目を覚ましさえすれば実害はどこにもない。これをきっかけに二人の仲が少しでも縮められたなら、無理を押して戦ったぼろぼろの体も報われるだろうと、ゆかりは思った。
「あっ! ユーキが目を覚ましたリア!」
黄昏時の道端で姉やクラスメイトや妖精に囲まれながら意識を取り戻した優輝は、自分が置かれている状況が理解できず、とりあえずは大きく息を吸い込んだ。
妙に清々しい気分であり、感傷的でもある。何が起きたのかは覚えていないが、煮えたぎる様な真っ赤な景色と、断片的に忍の声が聞こえた気がしていた。
「優輝!」
目を覚ます確証があったわけではなく、まるで一か八かの大手術から生還を待ちわびるような気持ちでいた忍は思わず優輝を抱きしめたい衝動に駆られたが、クラスメイトの手前きっと嫌がるだろうと思って自分にブレーキをかけた。
「……なんだよ?」
相も変わらず無愛想に応える弟を見て、笑みがこぼれる。寡黙だろうとお喋りだろうと、可愛げがあってもなくても、彼は彼女の弟であり、彼女は彼の姉なのだ。このつながりは切っても切れないもので、どんなに仲が悪くても末永く付き合っていかなければならないのだ。
それならば、今のうちに一つでも問題を片付けておいた方がいいに決まっている。
「もう遅くなっちゃったけど、お母さんが帰ってくるまでにご飯つくらないといけないから、手伝ってくれる?」
目を丸くした優輝は、一瞬だけ疑うような目つきで忍を見た後、視線を逸らしてぼそりと呟くように言った。
「……おう」
「それと、これからも部活で帰りが遅くなることあるかもしれない。そのときは、私もできるだけ急いで帰るけど、優輝にも協力してもらっていい?」
しばらくして、微かに優輝は口元を緩めた。それが照れによるものか、いきなり積極的になった姉を面白がってのものかはゆかりには見当もつかなかったが、そこに彼の優しさが表れているように思えた。
「俺の料理……」
「え?」
イエスの返事を待っていた忍は不意をつかれて間抜けな声を出した。嫌そうな目つきで彼女を見て、諦めたように優輝が再び口を開く。
「俺の料理、美味くはないかもしれないけど、食べられないことはないだろ……? だから……」
言葉を区切り、彼はちなみの方を気にした。聞かれたくないような恥ずかしいことを言うつもりなのだろうかと、にやにやして耳を傾けるとゆかりに注意されたため、やむなくちなみは一歩だけ身を引いた。
それを確認すると、近くにいる忍にさえ聞こえにくいくらい小さな声で、彼は言葉を続ける。
「部活……は、やれよ。俺がやっとくから。家事とか、けっこう好きだし……」
彼の料理の腕を考慮すると素直に頷くわけにはいかなかったが、とりあえず立ち上がるのを手伝おうと忍は手を差し出した。その手を無視して一人で立った優輝は、彼女の顔を見ようともせず、ゆかりたちを一瞥して歩き始めた。
慌てて彼の分までかばんを拾うと、ゆかりたちに挨拶を済ませて忍は後を追いかけた。街灯がちらちらと点きはじめ、四色の花のキーホルダーが微かに光る。
大事なのは、家族の数ではないと彼女は思った。両親のいる円満な家庭と比べて優劣を競うものでもない。忍にとって、母と優輝がいる、それだけで十分に家族といえるのだった。
優輝もそんな思いでこのキーホルダーを持っていてくれたなら、譲った甲斐がある。彼女は微笑み、優輝の隣に並んだ。
「じゃあ、帰ったら早速、基本的な切り方から教えないとね」
「毎晩……本読んで勉強してるよ」
そのときの優輝のむすっとした顔が、子どものようで忍にはおかしかった。これから彼が歳をとり、どんなに立派になったとしても、彼女の弟に違いはない。
だからこそ、不味い料理にははっきり不味いと言ってやろうと忍は思った。それで喧嘩になるのも、たまには悪くない。
3か月もかかってしまいましたが、
これにて4話は完結です。