「あなたは……」
体育館の用具入れから飛び出してきた、奇妙な喋るぬいぐるみは、今朝の夢に出てきたぬいぐるみにそっくりだった。ゆかりの腕の中に収まるほどの小さな体、犬や猫が合わさったような動物的な顔立ちをしているが、二足歩行で、よく喋る。
「お母さんと雰囲気が似ていたから間違ったリア。もし、お母さんを知らないリア?」
夢に登場したときとは違い、表情や声色から、悲しんでいる様子は一切感じられなかった。ゆかりは、自分が抱えている奇妙な生き物を目の当たりにして、しばらくの間ぼうっとしていたが、耳元で大きな声を出されてようやく意識を取り戻す。
「ちゃんと聞いてるリア!?」
「あ、えっと……、ごめん。何だっけ?」
聞き返すと、今度はちゃんと聞いてもらえるように、さらに大きな声を出した。
「ボクのお母さんのことリア!!」
あまりのうるささに、ゆかりは思わず手を放す。すると、その生き物はバランスを崩し、床に強く頭を打った。
「わっ、大丈夫!?」
また夢での出来事のように、この子が泣き出すのではないかと、ゆかりは心配になった。しかし、その心配をよそに、謎の生き物はすくっと立ち上がると笑顔を見せた。
「大丈夫リア!」
その笑顔に、ゆかりもついおかしくなる。
「あなた、強いんだね」
言いながら、頭の打った部分を擦ってあげる。大きなたんこぶができていた。自分が幼い頃であれば、きっと泣いていただろう。そのくらい、大きなこぶだった。
「ごめんね。あと、私は知らないんだけど、お母さんを探しているの?」
心配無用とばかりに、ゆかりの手を払いのけると、その生き物は胸を張った。
「そうリア! ボクはお母さんを探すために、一人でこんな遠くまで来たリア!」
「こんな遠くまでって、あなた一体どこから来たの?」
この生き物が、自分の夢の中から飛び出したのでなければ、果たして何なのか。すると、またしても奇妙な答えが返ってきた。
「ボクは心の国から来たリア!」
「心の国……? それってどこにあるの?」
「すぐそこにあるけど、すっごく遠い場所リア!」
ため息が出てしまいそうになる回答だった。結局、心の国がどんなところなのか、その場所も行く手段も分かりそうにない。
「お母さんは、どうしていなくなったの?」
「分からないリア!」
「いつからいなかったの?」
「気が付いたらいなかったリア!」
「じゃあ、いつまでいたの?」
「それも分からないリア!」
元気よくはきはきと返事をする。面接などでは大事なことかもしれないが、今は活発さよりもこの子の素性を知りたかった。まるで、履歴書も予約もなしに面接会場に現れたようなものだ。
「それじゃあ、あなたの名前は?」
記憶喪失です、なんてオチは無しでお願いします。ゆかりはそう願った。すると、いつもなら五円や十円をひったくったうえ、願い事を聞くだけ聞いてほったらかす神様が、ぬいぐるみの名前を彼女に授けた。
「タリアリア!」
「タリアリア?」
「違うリア! タリアリア!」
「タリアリア」彼女は復唱する。
「タリア!! ……リア」
名前ひとつ聞くだけで一苦労だ。まったく、この子の行方不明の母親とやらは、どうしてこんな名前の子を、こんな語尾で話すように育てたのだろう。
「タリアね?」
「そうリア! タリアリア!」
ようやく名前が分かったところで、ゆかりは更に核心に迫る。
「私は嬉野ゆかりっていうの。それで、あなたは猫さん? 犬さん?」
すると、これまでの全てに辻褄の合う、奇跡の答えが返ってきた。
「ボクは、心の国の妖精リア」
「妖精……?」
ゆかりは、一つの仮説にたどり着いた。これは夢なのだ。打ち切られた、あの夢の続きだ。それならば早く起きないと、今度こそ本当に遅刻してしまう。
両手で、自分の頬を引っ叩く。じーんと痛みを感じた。そして、目の前の自称妖精は、相変わらずそこにいる。つまり、これは、夢じゃない。
「妖精ーー!?」
現実だと認識した途端、戸惑いは大きな驚きに変わった。彼女はマンガも読むし、ドラマも映画も見る。その中に架空の生き物が出てきたことは多々あるが、現実にそんな経験をした人と会ったこともなければ、会いたいとも思ったことはない。
だって、それは、ありえないことだから。
「あなた、本当に妖精なの!?」
「どこをどう見たって、ボクは妖精リア」
えっへん、と胸を張るが、どこをどう見たら妖精と言えるのかは分からない。
「じゃあ、妖精の村とかあるの?」
「だから、ボクは心の国から来たって言ってるリア」
あまりにも話を聞いてもらえないことに鬱憤も溜まっていたのだろう。少し口調が激しくなった。
「あ、そっか。それで、お母さんを探しに来たんだよね?」
「そうリア」
ふと、思う。この子は、お母さんがいなくなったというのに、少しも寂しそうな様子がない。自分が幼少時に母とはぐれたときは、その場でどうしたらよいか分からずただ泣いていた。
「あなた、寂しくはないの?」
すると、意外な答えが返ってきた。
「“さびしい”って、何リア?」
あまりよく覚えてはいないが、ゆかりは幼稚園のころから“寂しい”という言葉は知っていたはずだ。このタリアという妖精は、年齢的に――妖精に年齢の概念があるのかは不明だが――幼稚園はとうに過ぎているように思える。
「心細くなって、悲しい気持ちになることだよ」
ゆかりは優しく教えた。しかし、またしてもタリアは首をかしげる。
「“かなしー”って、何リア?」
これには、ゆかりも驚いた。この子は、悲しいや寂しいという気持ちを知らない。それどころか、そんな感情を持っていないということまで考えられる。
もしかすると、妖精と人間の感情の在り方は違うのかもしれない。しかし、妖精が決して群れず、単体で生涯を終えるのならまだしも、この子にはお母さんがいる。そして、その母が失踪し、探しているにもかかわらず、寂しいという感情を知らない。これは、矛盾しているのではないか。
「えっと、お母さんがいないって分かったとき、どんな気持ちになった?」
ゆかりは慎重に尋ねた。
「いないなー、って思って、探しに行こうって思ったリア」
「そんなこと……」
少し、考えることに脳が疲れたのか、頭がふらっとして言葉に詰まる。
この子、タリアという元気な妖精の子どもは、非常に素直で快活で、ゆかりは好意を抱き始めていた。しかし、母がいなくなったというのに、悲しいとも寂しいとも感じなかったという。そもそも、そんな感情を持ち合わせていないのだ。
母がいなくなったから、探しに行く。そんなことを、まるでテレビを見たいからリモコンを探す、ぐらいの感覚で行っている。
「寂しくも悲しくもないなら、どうしてお母さんを探しているの?」
なんて馬鹿げた質問だろう、とゆかりは思った。回答は、おおよそ見当がついた。
「お母さんがいなくなったからリア! それに、お母さんに会えたら嬉しいからリア!」
嬉野ゆかりは、できるだけ、人に対してマイナスな印象を持たないように努めてきた。例えそれが妖精であったとしても、この考えは変わらない。綺麗事を言うなら、世界中の人類がみな平等で、争いのない平和な世界が実現できたら、それに越したことはないと思っている。
しかし、このタリアという妖精には、少し、ほんの少しだけ、気味悪さを覚えた。
チャイムが鳴る。
休み時間の終了と、帰りのホームルーム開始の合図だ。
「あっ、いけない!」
すっかり時間の経過を忘れていたゆかりは、慌てて立ち上がり、飾り付けを終えたアーチを用具入れに戻す作業を始めた。
「いきなりどうしたリア?」
当然ながらチャイムの意味がわからないタリアは、不思議そうに尋ねる。できれば片付けを手伝ってくれると助かるのだが、この小さな体ではそれも難しいだろう。
「ごめんね。私、もう行かないといけないの」
すると、タリアは元気に返す。
「じゃあ、また今度リア!」
あまりにもあっさりとし過ぎていて、がっかりしてしまう。もう少し別れを惜しんでくれると嬉しいのだが、悲しいという気持ちを知らなければ、別れの意味もあまり理解できていないのかもしれない。
「うん、また会えたらお話しようね」
全てのアーチを用具入れにしまうと、ゆかりは妖精に別れを告げて体育館を飛び出した。彼女の背後に向かって、タリアは「ばいばい」と手を振り続けている。
教室に戻ったら、新しい担任の先生とちなみに大目玉を食らうことだろう。そのうえ、初めて知り合うクラスメイトに笑われてしまうかもしれない。
急がなければ、と走って教室のある棟に入ろうとしたそのとき、一人の女の子が目に入った。この中学の制服を着ているが、迷子のように不安そうな顔をして辺りをきょろきょろと見渡している。
「こんにちは」ゆかりはその子に声をかけた。「もしかして、あなた、新入生?」
すると、その子の表情は一瞬ぱあっと明るくなったが、すぐに下を向いてしまい、小さな声で言う。
「はい、少し来るのが早かったみたいで、誰もいなくて……」
入学式は、在校生が下校した後で行われる。つまり、現在ゆかりを除いて行われているホームルームが終わり、生徒会ら有志が体育館に集まって準備をしなければ始まらない。この子は、一時間ほど早く到着してしまったことになる。
「それだったら、保健室とかで待たせてもらえないか聞いてみようか」
「はい、すみません……」
消え入りそうな声だったが、また表情に少しだけ明るさが戻ったような気がする。
保健室に移動しながら、ゆかりは疑問に思う。無神経な気もしたが、先ほどの妖精の一件もある。ずばり、聞いてみることにした。
「そういえば、お家の人は?」
まさか、またお母さんがいなくなったなんて言うまい。
「両親は、少し遅れて来ます……。母が入学式のプリントを持っていたから、私は何時に来たらいいか分からなくって」
困ったような笑みを浮かべる。そして、そのことに照れたのか、またうつむいてしまった。
「そうなんだ。あ、ここが保健室だよ」
二人は保健室に入り、先生に事情を説明して、入学式が始まるまでここで待機することを了承してもらった。それと引き換えに、保健医からは、ホームルームが始まって既に五分も経過していると知らされた。
「やばっ! じゃあ、私もう行くから!」
ゆかりが保健室の扉を開けて廊下に出ようとすると、新入生の子は一瞬ためらい、一呼吸おいて顔を上げた。
「あ、ありがとうございました!」
ゆかりは扉の取っ手を掴み、走り出したエネルギーをくるっと一回転することで消費すると、彼女の正面に立った。
「どういたしまして」
不安がらせないように笑顔を見せると、ぎこちなくではあるが、彼女もはにかんでくれた。
「入学おめでとう!」
最後にそう言うと、ゆかりは今度こそ自分の教室目指して走り出した。そこで、彼女は今朝の占いコーナーを見損ねたことに気付く。きっと最下位だったに違いない。
そんなことを考えていながら階段までたどり着くと、体育館の方から大きな音が聞こえた。
「今度は何~!?」
もう、早退してしまおうか。