「プリキュアは、お母さんのお話に出てきた伝説の戦士リア!」
妖精の朝は早い。
イカリングとの戦いから一夜明け、新学期二日目の朝。ゆかりはまた一つ、妖精の生態について新たな知識を得た。
「キュアリンクは“喜びのプリキュア”リア! だから、お母さんと間違えちゃったリア」
こんなに能天気で快活な“喋るぬいぐるみ”をどうやってかくまうかという、夕べの心配は杞憂に終わった。
流れで家に連れ帰ってしまった後、祖父の仏壇を見て大人しくなったタリアは、日が暮れる前に眠ってしまった。よっぽど疲れがたまっていたのだろう。
もしも法要中に部屋から出てきたらどうしよう、とゆかりは気が気でなかったのだが、その寝顔を見た途端、全てのことを水に流してもいいように思えた。
妖精の存在、床を殴って凹ませるほどの怪力をもつ自称“怒りの王”イカリングに、彼が生み出した巨大な怪物オコリンボー。そしてプリキュア……。
水に流してなるものか。
めずらしく早起きに成功したゆかりは、すでにタリアが目を覚ましていることを確認すると、改めて夢でなかったことに狼狽し、顔も洗わずタリアを質問攻めにした。
「そのことなんだけど、私とタリアのお母さんって、そんなに似てるの?」
「そっくりリア! ボクのお母さんは心の国の“喜び”リア!」
「お母さんが国の“喜び”って、どういうこと?」
「どういうことって、どういうことリア?」
どうやら、質問が少し難しかったらしい。ゆかりは頭をひねり、質問を易しくする。
「じゃあ、心の国ってどんなところなの? まさか、飛行機で行けたりしないよね」
「ひこーきって何リア?」
余計なことを言うんじゃなかった。反省して、先の質問を繰り返す。
「心の国には、あなたみたいな……妖精がたくさん住んでるの?」
「そうリア。でも、お母さんやイカリングもいたリア」
蛙の子は蛙というが、おたじゃまくしが成長して蛙になるように、この妖精の子どもは成長すると人になるのだろうか。ゆかりは、今年の夏休みの自由研究は捗りそうだと、かすかに思った。もちろん、提出はできないが。
「そう、あのイカリングって人! あの人も心の国の王様とか言ってたでしょ。一体何なの?」
タリアを無理やりにでも連れて行こうとした、気性の荒い男。彼もまた、心の国から来たと言っていた。あのときはゆかりも冷静さを欠いていたが、タリアを知っているのなら、タリアのお母さんとも知り合いのはずだ。
なのに、その子どもにあんな乱暴なことをしようとするなんて。ゆかりはそれが気になっていた。
「イカリングは“怒りの王”リア。昨日そう言ってたリア。人の話はちゃんと聞かないとだめリア」
ちっとも恨んでいる様子を感じさせず、タリアは言った。
“喜びのプリキュア”とやらに変身したゆかりだったが、タリアを襲い入学式まで台無しにしようとしたイカリングに向けた感情に、“怒り”は含まれていた。なのに、狙われたタリア自身は、そんな素振りはまったくない。
「あなたは、本当にいい子だね」
小学校のころを思い出す。まだ先のことを考えて行動することができない、幼く残酷な心のせいで、ほんの些細なことでも傷つけたり傷つけられたりしたものだ。ただの笑い話が誰かの悪口に発展したり、今になれば可愛く思えるちょっかいでも、泣いてしまう子はいた。
ほとんどは幼き頃の過ちとして忘れ去られているが、いくつかは消えない心の傷として残り、未だに忘れられないという子もいるだろう。
「私だったら……」
不意に脳みそが「気づけ」という命令を出し、顔を上げると時計が目に入る。せっかくの早起きが、水の泡だ。
「遅刻だ~~っ!!」
時は金なり。しかし、お金と違い、時間は蓄えることができない。
家を飛び出したゆかりの心には、昨日と違って少しばかり余裕があった。
なぜなら、今朝は部活の朝練習に遅れかけているだけであって、始業時間には軽く間に合う。
「せっかく早起きしたのに~」
走りながら自分に愚痴をこぼすと、タリアがかばんからひょっこりと顔を出した。
「どうしてそんなに急ぐリア?」
「遅れてるからだよ……って、いつからそこに!?」
ゆかりはずっと、タリアに対して何も考えていないのだという印象を持っていたが、それは自分も同じことだった。
動くぬいぐるみを部屋に残して、家族に見つからないともかぎらない。それに、この子は母親捜しの真っ最中だ。じっとしているわけがなかった。
「昨日はこれに入って来たから、今日もこれに入って出ていくリア! これは楽チンリア」
「もう! 今日はそこでじっとしててよ!」
不思議なことに、タリアが入っていると解った途端、かばんが重く感じる。走ることにも疲れ、よたよたした足取りで曲がり角にさしかかり、誰かにぶつかった。
「わっ、ごめんなさい!」
「ちょっと、気を付けて……って、ゆかり!?」
「あ、ちなみちゃん。おはよー」
ぶつかった相手は、ハンサムな転校生でもなければ、食べかけの食パンも咥えていない。見知った顔の、愛花ちなみだった。
「おはよー……じゃない! 朝からそんなフラフラして、大丈夫なの?」
「どうにかこうにか……」
苦笑いしながらタリアをかばんの奥へ押し込むと、ちなみに会ったら朝一番で聞きたいことがあったのを思い出した。
「そうだ! 入学式は? 大丈夫だった?」
怒った顔から一転、ちなみはにっと笑うと拳を握って親指を立てた。
「ばっちり! 最高の入学式だったよ」
ゆかりは、ほっとした気分になった。いきなり現れたイカリングのせいで、一時はどうなることかと思ったが、みんなの思いを無駄にしないで済んだ。
「ゆかりにも見せたかったよ、新一年生たちの顔。春休みの努力が、なんだか報われたって感じ」
再び学校に向けて歩き出しながら、ちなみは色々と思いを馳せているようだった。それを聞いて、ゆかりの心も温かくなる。
「そう……、よかった」
入学式で、新入生のみんながどんな顔をしていたか、何となく想像はついた。ゆかりだって、つい昨年まったく同じ経験をしたのだから。喜び、不安、期待……。それらが入り混じった表情。
そこには、きっと、哀しみなど存在しなかっただろう。
「それで? ゆかりが朝練に出てくるなんて、どういう風の吹き回し?」
感傷的になっているゆかりの心情を察して、ちなみはわざとらしく嫌味を言った。
「もう一度、みんなにお礼が言いたくて。アーチ作り手伝ってくれて、ありがとうって」
照れくさくなって、笑ってごまかす。
「こんなの、ガラじゃないけど」
「そうかもね。でも――」
学校の門が見えると、ちなみは走り出した。ゆかりが慌てて追いかけようとしてくるのを確認して、くるりと振り返る。
「変わったよ、ゆかりは」
それだけ言うと、テニスコートを目指して笑いながら走り出す。ちなみの言葉を受けて、ゆかりは何となくこそばゆい気持ちになり、彼女の後を追いかけた。
テニスコートでは既に三年生の先輩が数人、朝練習を始めていた。
「先輩たち、やっぱり早いね」
感心してゆかりが言うと、普段から朝練習に参加しているちなみは呆れた素振りを見せた。
「だってウチの学校の運動部、三年生はあと二か月で引退なんだよ? 気合いも入るってもんだよ」
「そっか……、そうだよね」
改めて、みんなへの感謝の思いが溢れてくる。先輩たちも、アーチ製作を手伝ってくれた。残り少ない部活の時間を割いてまで、ゆかりに付き合ってくれたのだ。
「じゃあ、先輩たちの後を継げるように頑張らなきゃね!」
自分に喝を入れて、二人は着替えるために部室へ急いだ。ちょうどドアノブに手を伸ばしたとき、向こう側から誰かが開けたため、ゆかりの手は宙をつかんだ。
「お、ゆかりとちなみじゃん。二人揃って朝練なんて、珍しいね」
「キャプテン、おはようございます」
「おはようございます。忍先輩は、今日遅いんですね。何かあったんですか?」
出てきたのは、女子テニス部のキャプテンである忍先輩だった。二人は入部したての頃、まだコートに入らせてもらえない分、朝練習に一番乗りしようとしたことがあった。しかし、一人でコートを整備している忍の姿を見て、自分たちは二番であると知ったのだった。
「もしかして寝坊ですか? 私は今朝は早く起きたんですけど、ついのんびりしちゃって」
ゆかりが言うと、「あんたと一緒にするんじゃないの」とちなみに小突かれた。
「いや、そうじゃないんだけどね」目の前のやりとりに微笑みながら、忍は続ける。「なんか弟が“今日は俺が朝飯作る”って張り切っててね。任せてみたら、案の定だめだめで二度手間とらされたってわけ」
「先輩、弟さんがいたんですね。ていうか、いつもは忍先輩が朝ご飯を?」
知り合って一年も経つというのに、先輩のプライベートについて何も知らなかったことに驚き、ゆかりは尋ねた。
「うちは両親が離婚しちゃって、母親だけだからね。こう見えても家事は得意なんだよ」
「あ、そうなんですか……。すみません、悪いこと聞いちゃって」
「いいよ、全然、気にしなくて」手を横にぶんぶん振り、忍は「むしろ気にされる方が変な感じ」と言った。
昨年、祖父を亡くしたばかりのゆかりにとっては、気にせずにはいられなかった。生まれたときから、誰よりも近くでずっと暮らしてきた人がいなくなるというのは、世界が変わることに等しい。
そのとき、自分は誰かに寄りかかることしかできなかったが、先輩は弟の面倒も見ているという。ならば、自身の哀しみはどうやって処理したのだろうか。ゆかりはそんなことを考えた。
「いやー、ウチにも弟いるんですけどね、手がかかるだけで何もしないんですよ。朝ご飯作ってくれようとするなんて、いい弟さんじゃないですか」
ちなみがそう言ってしばらくは、姉同士の弟トークが繰り広げられ、ゆかりが入る余地はなかった。一人っ子は羨ましいなどとよく言われるが、彼女にとっては兄弟の話ができるほうがよっぽど羨ましいと思った。
「おっと、それじゃ、私はそろそろコートに行くか。二人も早くしないと、朝練なんてすぐに終わっちゃうからね」
駆け足でコートへ向かう忍を見送り、二人は部室に入った。
「まぁ、家庭の事情なんて人それぞれだよね」
部室には個人のロッカーなどはなく、机や椅子や棚が幾つか並べてあるだけの内装になっている。元々は教室の備品だったが、古くなったり使わなくなったものをテニス部が譲り受けたのだった。ちなみは、机の空いているスペースに荷物を置きながら、ゆかりに話しかける。
「最近じゃ離婚も珍しいことじゃないし、忍先輩はタフだから大丈夫だよ」
「ありがとう。うん、そうだよね! 先輩が元気なのに、私が勝手に落ち込んでてもどうにもならないもんね」
ゆかりもかばんを置き、体操着を取り出そうとファスナーを開けた。すると、中で大人しくしていたタリアが顔を出す。
「もう出ていいリア?」
「わっ!!」
慌ててファスナーを閉めるが、狭い部室の中だ。ちなみが聞き逃したなら、運に感謝しつつ彼女に聴力検査を勧めなければならない。
「今の声、誰?」
「えっ!? 誰って、何が?」
机に背を向け、後ろ手にかばんを隠す。その様子を不審に思ったちなみが近づいてくる。
「たしかに何か聞こえた」
「えっと、ごきぶりが見えて、ちょっと悲鳴をあげたかな~……」
距離を詰めてくるちなみを制しようと、ゆかりはストップの意味を込めて手のひらをちなみの方に向け両手を差し出した。
「ゆかり、何その指環!!」
しまった、と思い右手を引っ込めようとしたが、ちなみに手首を掴まれてしまう。
「学校にこんなものしてきて! しかも、指環はめたままテニスするつもりだったの? 怪我するよ!」
「いや、これは……」
言い訳する暇も与えず、ちなみは指環を薬指から抜き取った。
「これは放課後まで没収」
すると、どうしても我慢できなかったのか、ファスナーをこじ開けてタリアがかばんから飛び出した。
「その指環を返すリア!」
時間が、止まる。
ちなみは、親友のかばんから現れた奇妙な生物を見て、固まっていた。しかも、その生物は言葉を喋っている。
何がどうなっているのか、さんざん思考をめぐらせたてようやく、かばんの持ち主に聞くべきだと判断した。
「何、これ……?」
タリアを指さして、尋ねる。ゆかりは、ただ頭を抱えることしかできなかった。