とりあえず、そろそろロクでなしの六巻を読みます、というか読み進めてます。六巻のヒロイン枠は魔女殿かな……?
魔術競技祭閉会式は例年通り粛々と進んだ。過去に類を見ない大番狂わせの余韻で生徒達が騒がしい点と、来賓席に女王陛下がいることを除けば今までと変わりない閉会式である。
ただし極一部の人間にとってはこの後の展開に命運が掛かる緊張の時間である。
国歌斉唱やら来賓の祝辞、結果発表が恙無く終わり、いよいよ迎える勲章の下賜。王室親衛隊隊長と学院が誇る
司会進行が指示をし、二組の代表者と担当講師が前へ出る。合わせて拍手喝采が上がり、一部の生徒や講師陣から羨望の溜め息が洩れた。一生に一度とない名誉を賜るチャンス、羨ましくない者などいなかった。
だが奇妙なことに二組より出てきたのは担当講師たるグレンではなくアルベルト、代表者も生徒ではなくリィエルである。学院では見慣れない顔の二人に生徒と講師は困惑の声を上げ、二人を見知っているアリシアは戸惑いに首を傾げた。
妙な空気が蔓延する中、アルベルトとリィエルの姿がぐにゃりと歪む。蜃気楼に包まれたかのように輪郭があやふやになった後、そこに立っていたのは不敵に笑うグレンと緊張の面持ちでアリシアを見つめるルミアだった。
「なっ!? どういうことだ、ルミア殿は今、魔術講師と町中にいるはずでは──!?」
王室親衛隊からの報告でルミア達は未だ町中を逃走中と聞いていたゼーロスは、突如として目の前に現れた二人に驚きを隠せない。それは学院の生徒と講師、そしてアリシアも同様だ。唯一事の次第を把握していたセリカだけが面白そうに笑っている。
「どういうことも何もねーよ、おっさん。いい加減、この胸糞悪い茶番に終止符を打とうぜ。っと、その前にだ。セリカ、頼む──」
冷静にグレンが目配せをすると、セリカが魔術を行使する。
無数の光が地面を駆け抜け、表彰台を中心に結界が張られる。音すらも遮断する断絶結界だ。これで邪魔者は一切介入できないし、外の人間に内部の会話が洩れ聞こえることもない。
応援として駆けつけようとした衛士達を阻む結界を忌々しげに睨み、ゼーロスが怒りに吠える。
「此の期に及んで裏切るのか、貴様!?」
「…………」
凄まじい剣幕で喰いかかられてもセリカは応じない。只管に沈黙を続ける。まるでそうしなければならないかのように。
幼い頃から魔術の師匠であり、共に暮らしてきたグレンはそんならしくないセリカの態度に推測が正しかったのだと確信する。だが念のため、確認の意も込めてアリシアに問いかける。
「僭越ながら陛下、その首飾り、よくお似合いですね。綺麗ですよ」
表彰台に上がった時から呪殺具に相当する物がないか目を皿にしていたグレンが気付いた、いつもとは違う部分。女王陛下が何よりも大切にしているはずのロケット・ペンダントの代わりに首元で輝く翠緑の宝石があしらわれたネックレス。恐らくそれが呪殺具だとグレンは当たりをつけていた。
グレンの唐突な賛辞にアリシアとゼーロスが目を瞠る。だがそれもすぐに嬉しそうな微笑みと苦虫を噛み潰したような顔に変化した。
「ええ、そうでしょう? 私の『一番のお気に入り』です」
朗らかに、弾むような声音で答えるアリシア。アリシアが本当は娘を溺愛し、娘達と共に写った写真を入れたロケットを何よりも大切にしていることを知っていたグレンは、ここで確信を得た。
「ああ、もういいですよ、陛下。……良かったな、ルミア。やっぱお前のお袋さん、お前のこと愛してるよ。それを今すぐ証明してやる……!」
「はい、お願いします。陛下を……お母さんを助けてください!」
本当は怖かった。三年前、家族の仲から追い出された時に向けられたあの冷たい目を向けられるのではないか。呪殺具も脅迫も実はなくて、アリシアが自分の生存を煩わしく思って抹殺命令を出したのではないかと疑っていた。
けれど、それでも、信じることにした。自分のために命懸けで戦ってくれる人達がいるから、もう下らない意地は張らない──!
「エルミアナ……!」
アリシアが感極まったように口元を手で押さえる。昼間は赤の他人を貫いた娘が、致し方なったとはいえ放逐した愛する娘が、今一度母と呼び助けようとしてくれていることが堪らなく嬉しかった。
「そんな趣味の悪いネックレスはさっさと外しましょう。お手伝いします」
「貴様……! 何を巫山戯たことを!? 余計な真似はするな、魔術講師!」
「うっせえよ。黙って見とけ、おっさん。今、全部まるっと解決してやるからよ……」
グレンが懐に忍ばせた魔導器であるタロットカードに手を伸ばす。
だが頭が固く女王陛下を守らんと躍起になっているゼーロスの目には、グレンが女王陛下を害そうとする敵にしか見えていなかった。
妙な動きをするグレンを制さんと両手に一振りずつの
格闘術の達人であるグレンをしても見切ることは限りなく不可能に近い鋭い刺突が、グレンの胸を一突きする──刹那、疾風の如く何かが割り込み、火花と金属音と共に細剣の狙いが外れた。
「ぐっ!? そこかッ!!」
「うおっとぉ!?」
新手の介入に驚きつつも即座に細剣を振り上げるゼーロス。積み重ねた経験と戦場で培われた勘に従って繰り出された斬撃が、姿なき闖入者を捉えた。
攻撃を受けて透明化が解除され、結界内に新たな人物が現れる。深緑の外套に身を包んだ男。彼がグレンを凶刃から守ったのだ。
「次から次へと、何者だ貴様は!?」
「オレが何者かなんてどうでもいいでしょ? それに、もう事は万事解決したワケですし」
「何を言って──」
言葉の途中でゼーロスの視界の端に、緑色の光がチラついた。新たな敵が目の前にいることも忘れてその光を目で追い、地面に落下した翠緑の宝石のネックレスを呆然と見つめる。
女王陛下の命を握っていた呪殺具。解呪条件を満たさず外せば装着者を殺す呪いの首飾りが、装着者の首元を離れている。それはつまり陛下の死を表すわけであるが……。
「もう大丈夫ですよ、ゼーロス。全て解決しましたから」
「へ、陛下。ご無事で……」
ネックレスを外してなお無事であるアリシアを認め、力が抜けたようにゼーロスが膝をつく。
何が起きているのかさっぱり理解できていないゼーロスをよそに、右手に『愚者』のアルカナを握るグレンが投げ捨てられたネックレスを睨みながらセリカに声を掛ける。
「やっぱ条件起動型の呪殺具だったんだな」
「正解だよ、よく分かったな。さすがは私の自慢の弟子だよ」
「馬鹿言え。俺一人じゃぜってー辿り着けなかったぞ? あいつらがいたから何とかなったようなもんだ……」
「あの二人か。それとそこの顔無しもだな」
今頃は王室親衛隊を相手に大立ち回りをしているだろう元同僚達、そしてついさっきゼーロスからグレンを守った顔無し。彼らの協力なくして事の解決はならなかっただろう。
「つーか、おい顔無し。何であんなギリギリで助けに入るんだよ、もっと早く来いよ! 危うく心臓飛び出ちゃうかと思っただろ!?」
いつの間にかルミアの傍らに立って素知らぬ態度を取っていた顔無しにグレンが喰いかかる。
「いや、オレだってもうちょい早く介入するつもりだったんですぜ? でもそこの魔女殿がご丁寧に結界張るもんだから、侵入するのに手間取ったんだよ。ま、結果的に無事だったんですし、文句言うなよ金欠講師殿」
「だから! その不名誉な呼び方止めろって!」
また何時ぞやの如く軽口の応酬が始まりそうな勢いであったが、空気を読んだ顔無しによって止められる。無言で見つめ合う親と娘を見やり、面倒くさげに頭を掻いた。
「あー、ところで魔女殿。この結界は音以外にも外から内部を見えなくするとかできますかね?」
「む、できなくもないが……なるほど、そいつは良い考えだ」
顔無しがわざわざ説明するまでもなく察したセリカが、パチン! と指を鳴らせば結界に新たな術式が加わる。これで音だけでなく外部からは中の様子も見えなくなったわけだ。
さっと背後に回った顔無しがルミアの背を押す。
「顔無しさん……?」
「いい加減、腹割って話したらどうですかい? 何時までも空っぽのロケット眺めてるより、そっちの方がよっぽど有意義だと思いますけど?」
「でも……」
軽く押し出されたルミアは不安げな眼差しを女王陛下に向ける。アリシアはアリシアでニヤニヤと愉しげなセリカに何やら耳打ちをされ、おずおずと一歩踏み出していた。
無言で見つめ合う母と娘。両者共にどんな言葉を投げかければいいのか、どんな態度で応じればいいのか分からず戸惑っているらしい。側から見ている者にとっては焦ったい事この上ない沈黙だ。
それもアリシアが迷いを振り切るように一歩踏み出し、ルミアを力一杯抱きしめたことで終わる。
「へ、陛下……」
「ありがとう、エルミアナ。貴女を捨てた私などを助けてくれて、ありがとう。こんな親を、もう一度お母さんと呼んでくれてありがとう……!」
「──っ! ぅぁ、お母さん……、私、本当はずっとこうしたくて……!」
ずっと胸の内に溜め込んでいた想いが爆発し、ポロポロと涙と共に零れ出す。親娘揃って、よく似た泣き顔だ。
抱き合ったまま二人は互いに秘めてきた想いを吐露し合い、涙を流しながら久方振りの親娘の触れ合いを続ける。グレン達お邪魔虫一向は親娘水入らずのやり取りを離れた位置で見守っていた。
「これにて一件落着ってか。あー、一生分働いた気がするわ。暫く有給休暇を所望するぞ。具体的にはこの先ずっとダラダラして暮らしたい」
「私がそんなことを許すと思うか、ん?」
「だってぇ、こっちはもうくったくたなんだよ、死ぬかと思ったんだぞ? 少しくらいはご褒美があってもいいと思うんですよ、ボクは」
「そうかそうか、なら私が目一杯ご褒美をくれてやる。今日から一週間、食費なしで飯を食っていいぞ?」
「ガキへの小遣いレベルだろ、それ!? だいたいな、今回の魔術競技祭で優勝した俺には特別賞与とハー何たら先生から給料三ヶ月分が手に入るんだよ。今さら飯を恵まれても嬉しくないわ!」
声を潜めて叫ぶという器用な真似をしながらじゃれ合うグレンとセリカ。そんな師弟二人組を呆れの眼差しを向け、結界の外へと思いを馳せる。
「こっちは片が付いた。そっちはそっちで頼みますぜ──爺さん」
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競技場で万事解決を迎えていた頃、使い魔越しに計画の失敗を見届けた黒幕であるエレノア=シャーレットは夕闇に包まれる南地区の裏通りにいた。
女王陛下付き侍女であり秘書官でもある女性。明確な出自と華々しい経歴、優れた能力を併せ持つエリートであったからこそ、誰一人として疑いなど抱かなかった。まさか彼女が帝国政府と争う天の智慧研究会所属の外道魔術師などとは、思いもしなかっただろう。
「失敗してしまうとは、残念ですね。折角陛下を人質に魔女の動きを封じれたというのに、あんな
女王陛下の命を楯に王女を亡き者にする計画は失敗に終わった。けれどもエレノアの顔色に落胆の類はない。むしろ愉しげに笑みすら洩らしている。
「それにしても、あの男。王室親衛隊を半壊近くまで追い込むほどの実力を有しているとは思いもしませんでしたわ」
王女抹殺の計画が狂った一番の原因とも言える存在。実戦経験に乏しいとはいえ精鋭揃いの王室親衛隊をたった一人で足止め、剰え四割もの損害を与えた顔無し。彼の活躍がなければ結果はまた違ったかもしれない。
女王陛下の側付きとして帝国政府の内情を探っていたエレノアは、顔無しがアリシアとの間に直接的な繋がりを持っていることを察していた。故に今回の計画にも邪魔を入れてくるとは予想していたのだが、まさか対多数戦においてここまで恐ろしい能力を発揮するとは想定していなかった。
「あちらのことも探っておいた方がよさそうですわね。今後も我々の道を阻みそうですし──おや?」
裏路地を往くエレノアの歩みが止まる。進行方向に大小二つの人影が立ち塞がっていた。
「大人しく投降してもらおうか、エレノア=シャーレット」
「あらあら、困りました。まさか先回りされていたとは……」
頬に手を当てて眉根を下げるエレノア。しかし言葉とは裏腹に口元に浮かぶ笑みはより一層深さを増した。
「帝国もぼんくらばかりではないようですね。ですが、私にも成さねばならないことがあるので捕まるわけにはいかないのです。ここは逃げの一手を打たせてもらいますわ……」
ゆらりと微笑んで呪文を唱え始めようとしたエレノアの表情が、不意に硬直する。笑みを消し、首だけ巡らして背後を確認すると怪訝に眉を顰めた。
「おかしいですね。貴方は競技場にいたはずなのですが、何故ここにいるのでしょうか?」
夕闇が濃さを増し足元から闇が忍び寄る路地裏の入り口。音もなく、気配すらなく、まるで幽鬼の如く深緑の外套を纏った男が佇んでいた。
エレノアを挟んで反対側にいるアルベルトとリィエルも、予想外の人間の登場に僅かな動揺を見せる。作戦において顔無しは常にルミア=ティンジェルの側で護衛の任を継続すると宣していたはずなのに、何故この場にいるのか。
疑念と怪訝の視線を浴びせられながら、顔無しらしき男は戯けたように肩を竦める。
「いやなに、
常と変わらぬ剽軽な口調と態度。だが声音には冷徹な殺気が滲んでおり、見えないはずなのにフードの下から背筋が凍りつきかねないほどの冷たい視線を感じる。
「つーワケでだ……ここで大人しくお縄についてくれや、外道魔術師」
言い放ち、男が弾かれたように襲い掛かる。それを契機にリィエルも同じく飛び掛かり、アルベルトが呪文を詠唱し始め、微かな焦燥を滲ませながらエレノアは応戦を開始した。
競技場という表舞台の裏、フェジテの裏路地でもう一つの戦いが始まった。