ついに『遠征学修』当日を迎えた。
制服に身を包み、旅行鞄を抱えた生徒達は学院から駅馬車に乗って移動。一日を馬車の移動で潰し、翌日の正午に港町シーホークへ到着した。ここから出る定期船でサイネリア島に向かうのだ。
到着から小一時間ほどは昼休憩を兼ねた自由行動である。生徒達は班ごとに昼食を取り、船着き場に集合する予定であったのだが、肝心のグレンが集合時間を過ぎても現れない。
例によっていつもの如くシスティーナがぷんすかと怒り、リィエルがグレンを探しに一人で行こうとするのをルミアが宥めていると、妙な軟派男が声を掛けてきた。男はルミアの肩に馴れ馴れしく触れ、しつこく誘いを掛けてきたが、何処からともなく現れたグレンが首根っこを引っ掴んで裏路地へと消えていった。
その後、何事もなく戻ってきたグレンの先導に従って生徒達は船に乗り込み、サイネリア島へと出航した。
「わあ……!」
甲板から煌めく海を一望してシスティーナが感嘆の声を洩らす。普通に生活している限り目にすることはない光景だ。ついつい胸が弾んでしまうのも無理はない。
だがそんな感動の一場面に水を差す存在が約一名。船から身を乗り出してみっともなく嘔吐を繰り返し、真っ青な顔をしているグレン=レーダス。図太い性格をしている癖して船にはえらく弱いらしい。乗って一時間と経たずこの様だ。
「もう、仕方ないわね。ちょっと船員の人に何かないか聞いてくるから待ってなさい。リィエルは先生の面倒見といてね」
「分かった」
グレンの危機とあっていつもよりキリッとしているリィエルに面倒を任せ、システィーナは船員に船酔いを抑える何かがないか尋ねにいく。いつもならこの手の世話やらはルミアが焼きたがるのだが、生憎と今は別の人間に掛かりきりだ。そのため、仕方なく、本当に仕方なくシスティーナがリィエルと共にグレンの面倒を見ている。
「でも、まさかあいつも船に弱いとは思わなかったわ」
ぼそりと呟いてシスティーナは通りかかった船員に声を掛けるのだった。
▼
幾つもの木箱が積み上げられている船尾、木箱の壁にぐったりと背中を預けて座り込む少年が一人。驚くことにロクスレイである。
森奥深くで育てられ今日に至るまで船に縁の無い生活を送ってきたロクスレイは、慣れない磯の香りや揺れる足場に早々にダウン。グレンほどの醜態は晒していないが、青い顔になって人目に付かない木箱の陰で蹲っていた。
「ロクスレイ君、大丈夫?」
木箱の陰からひょっこりと頭を出したのはルミアだ。船酔いに弱るロクスレイを見つけたのは他ならぬ彼女である。
ルミアは座り込むロクスレイの傍に膝をつくと、水で濡らしたタオルを差し出す。グロッキー状態のロクスレイを気遣って船員に頼んで用意したものだ。
気怠げにタオルを受け取ってロクスレイは顔を拭く。冷たい水の感触に不快な感覚が幾分か薄れ、若干ではあるが顔色が和らいだ。
「悪い、面倒掛けたな。ったく、だらしねぇ……」
情けない顔を見せないようにタオルを頭から被る。弱っている姿を見られた気恥ずかしさもあるが、何より護衛対象に気遣われてしまったのが不甲斐なかった。これではリィエルのこともとやかく言えない。
普段の飄々とした様子からは想像がつかない、子供っぽい反応にルミアは微笑ましげに目を細めた。
「でも、意外だなぁ。ロクスレイ君にも苦手なものがあったんだね」
ちょこんとロクスレイの隣に座りながらルミアがそんなことを言う。ロクスレイは精一杯皮肉げに笑って答える。
「そりゃあ、あるでしょ。オレも人の子なんだ、苦手なものの一つや二つあって当然だろ」
「それもそっか」
積み上げられた木箱の陰に並んで座る二人。ロクスレイが人目を避けるために隠れた場所なだけあって、周囲から生徒達の声は聞こえるものの気づかれる気配はない。ある意味では二人きりの空間だ。
賑やかな声と波のさざめきだけがしばらく響いていたが、不意にルミアが面白いことを思い出したとばかりに手を打ち鳴らした。
「ロクスレイ君って怪談話とか興味ある?」
「怪談? これといって興味はないが、何か面白い話でもあるんですかい?」
「うん。私の中では一番のブームなんだけど、変わった怪奇現象が学院内で時々起こるんだ」
怪談話と言って切り出した割に随分と明るく楽しそうな雰囲気のルミアは続ける。
「その怪奇現象っていうのはね、とある女の子限定で何処からともなくお菓子が飛んでくるってものなの」
ピシッと、タオルの下でロクスレイの表情が硬直した。ルミアはロクスレイの反応を知ってか知らずか核心に近づくように更に言葉を重ねる。
「その女の子はリィエルのことなんだけど、本当にビックリするようなタイミングでお菓子が飛んでくるんだよ。たとえば、グレン先生の悪口を言ってる生徒にリィエルが襲い掛かろうとした時とか。不思議だよね?」
にっこりと微笑んでルミアが見てくる。タオル越しにも分かる視線の矢に、ロクスレイは内心で微かな焦燥を募らせた。
「ほーん、そいつは妙な話だ。ま、どうせどっかの男子が性懲りもなくレイフォード嬢に懸想してるとか、そんなオチじゃないんですかね」
「そうなの……?」
一瞬、ルミアの声音が妙な揺らぎを帯びた。
「……や、オレに訊かれても知りませんて。その相手に直接問い質してくれよ」
出所不明の罪悪感に押されてロクスレイは無難に答える。
「だいたい、レイフォード嬢に限ればそういうお節介をしそうな人がいるでしょ。ほら、グレン先生とか。個人的にレイフォード嬢と繋がりがありそうなあの人なら、やりかねないだろ」
「グレン先生は違うかな。確かに先生は先生でよくリィエルを心配して追いかけてるけど、さすがにお菓子を投げ込んではこないよ。リィエルも違うって言ってるしね」
グレンはわたしのすべて、などと公言するリィエル本人が否定する以上、グレンがお菓子投げ犯である可能性は低いだろう。そもそも、リィエルにお菓子が飛んでくるのは決まってグレンが忙しい時だ。ストッパー役が居らず、リィエルが暴れそうになった時だけを狙ってお菓子は飛んでくる。即座に下手人を探しても姿はおろか影も形もない。まさに怪奇現象。
なるほど、確かにこれはある種の怪談話だ。ただし全く恐怖を煽らない、むしろメルヘンさすら漂う小噺である。当事者であるロクスレイからすれば欠片も笑えないが。
事の始まりはリィエルが苺のタルトを気に入り、よく食べるようになったことだ。脳筋突撃娘、作戦ブレイカーの異名を欲しいままにするリィエルを手懐けるないし抑えることができるかもしれない。あわよくば言うこと聞かせられるかもしれないと考えた。
今でこそ大分暴走する頻度は少なくなってきているが、編入して数日は本当に酷かった。下手をすれば生徒にまで手を出しかねない勢いだったのだ。
抑え役のグレンがいる時はいい。だが何時でも何処でもグレンが側にいるわけではない。あれで一応魔術講師であるグレンはそこそこ忙しいのである。グレンがいない時は必然的にルミアとシスティーナにストッパー役が回ってきてしまう。
二人が悪いとは言わない。現時点で最もリィエルと仲が良いのは間違いなくルミアとシスティーナであるし、二人の言葉ならリィエルもそこそこ聞き入れる。だが、いざリィエルが本気で動き出したら非力な二人に暴走列車を止める手立てはなく、下手をすれば巻き込まれかねない。
そこでロクスレイ、リィエルの暴走を止めるべく陰からお菓子を投げ込むという妙手に打って出た。結果としては上々。暴れそうになれば出鼻を挫くが如く口の中へ飛び込んでくる甘味に、リィエルは手を止めるようになったのだ。
勿論、正体が割れないよう細心の注意を払ってはいる。お菓子を投げる時だけは【ノーフェイス・メイキング】の能力を駆使して気配を隠蔽、鍛え上げたナイフ投擲術を応用した無駄に高度なお菓子投擲術でリィエルの口にホールインワン。毎度品を変えてお菓子のレパートリーも増やしている無駄な勤勉さ。技能の無駄遣い? 護衛対象を危険から守るための苦肉の策だ、致し方ない。
タオルの下で冷や汗を流しつつ妖怪お菓子投げことロクスレイが如何にはぐらかすかに思考を費やしていると、隣から悪戯っぽい笑い声が洩れ聞こえてきた。
「ふふっ、どうかな? 少しは肝が冷えたりした?」
「……あぁ、ほんと、キンキンに冷えましたわー」
恐怖とはまた方向性は違えど、肝が冷えたのは事実。その点からすればルミアの怪談話はロクスレイにとって効果覿面であった。
一頻り笑い終えるとルミアがすっと身を寄せてくる。完全に寄り掛かってはいないが肩が触れ合うほどの距離感。船酔いでダウンしていなければ跳ね除けていただろうが、今はそんな気力もなかった。
「でもね、その人には感謝してるんだ。お菓子だけじゃない、困った時にはいつも助けてくれる。私は助けられてばかりで……」
だから、とルミアは顔を覆うタオルに手を伸ばし、徐に持ち上げる。船酔いで微かに青い顔色のロクスレイに穏やかに微笑む。
「今は寄り掛かってばかりだけど、少しずつでいい、どんな形でもいいから、返していきたいんだ」
「……その相手が望んでいなくてもですかい?」
「一方的に助けられてばかりなのは嫌なの」
にっこりと有無を言わせぬ笑顔の圧力。嫌がろうと逃げようと何処までも追ってきそうな気迫にロクスレイは頬を引き攣らせた。
改めてタオルを頭から被り、しばし沈黙したロクスレイは観念したように吐息を洩らす。
「……一時間」
「え?」
「一時間もあれば揺れに慣れる。それまで、少し休ませてもらえますかい?」
唐突なロクスレイの申し出にルミアは驚いたように目を瞠る。しかしすぐ嬉しそうに笑って頷く。
「うん、任せて。ちゃんと見てるから」
優しくロクスレイの肩を支えるルミア。些細なことではあるが彼に頼られた、それが堪らなく嬉しかった。
喜色満面のルミアと少しでも早く慣れない環境に適応しようと努めるロクスレイ。きっかり一時間の慣らしを終えるまで、木箱の陰に並んで座る二人は誰にも邪魔されることはなかった。
▼
出航から数時間を要して船はサイネリア島に到着した。
到着した時点で時刻は夕暮れ近く。移動の疲れもある生徒達はグレンの引率のもと、今回の遠征学修で寝泊まりする旅籠へと案内された。
二組の遠征学修の日程は七日間に及ぶ。本格的に研究所見学や講義が始まるのは四日目からであり、今日の晩と明日の昼間一杯は自由時間である。逆に言えば、何かをするなら今日の夜と明日しか暇はないということだ。
二組の男子、カッシュ含めるごく一部の男子には非常に下らない野望がある。それは夜にクラスの女子と部屋で遊ぶこと。カッシュ曰く、何でも魔術学院遠征学修の伝統行事らしい。端的に言えば、お忍びで女子部屋に突撃してボードゲームの類で遊びたいそうだ。
同じ部屋割りとなったセシルやギイブルは断った。前者は嫌な予感から、後者はそもそも乗るような性格ではない。
大広間で全員揃って食事を終え、交代で入浴を済ませた後、就寝時間を過ぎる。最終的にカッシュの呼び掛けに応じて集ったのは七名の
彼らは前もってカッシュが調査しておいたルートから女子が泊まる本館へと向かう。溢れる情熱が成せる技なのか、無駄のない無駄に統率の取れた動きで目的地へと歩みを進める一向。
全ては万事上手くいくはずであった。後一歩という所で、最大の壁が立ちはだかるまでは。
ご存知二組の担任講師グレン=レーダスである。カッシュ達の思考を完璧なまでにトレースした上で待ち構えていた、とはグレンの言。それでいいのか担任講師。
本来ならグレンこそカッシュ達と同じく率先して女子部屋に突貫するタイプのロクでなしであるのだが、度重なる減給によってこれ以上の失態を繰り返せば割りと洒落にならない状況にまで追い込まれており、涙を呑んで男子の強行を止めにきたのだ。全ては明日の糧を守るため。
互いに想いを理解し合いながらも、課された宿命と立場の違い故に相対する
「よくもまぁ、あそこまではしゃげるもんだ。こっちはまだ酔いが抜けてないってのに」
樹上の上から眼下で始まった馬鹿達の馬鹿騒ぎを見下ろしながら、ロクスレイは呆れと感心を織り交ぜた苦笑いを零した。
カッシュ達が女子部屋へ向かわんと別館を出発したのと時を同じくして、ロクスレイも気取られぬよう気を払いながら外へ出た。目的はサイネリア島の地形の把握と本館周辺への罠の設置である。いざという時への備えだ。
手早く仕込みを済ませ、あとはカッシュ達が通ったルートに罠を設置すれば終了なのだが、一向に争いが終わる気配がしない。非殺傷魔術だけという縛りもあってか、倒れても復活しては立ち向かうという延々ループが続いており、いつまで経っても終わりが見えない。
「こいつら、まさか朝までやるわけないよな? 勘弁してくれよ、おい……」
さすがに一晩中争いを続ければ女子からの苦情も上がるだろうから、徹夜の心配はないだろう。それでもロクスレイとしては早く終わってくれというのが本音であった。
比較的太い枝木に腰を下ろして馬鹿騒ぎを俯瞰する。やけに鬼気迫る様子であるが、見ている分には愉快な光景だ。当人達も何だかんだこのじゃれ合いを楽しんでいる節が垣間見える。
視線を上に向ければ、バルコニーからロクスレイと同じく騒ぎを見下ろしている女生徒達の姿がある。システィーナは呆れと無駄に高い対多数魔術戦の技術への感心、ルミアはどう反応すればいいか判断つかない困ったような苦笑、リィエルは常と変わらぬ何を考えているか分からない無表情だ。
ここ最近で急激に仲良くなった三人娘。クラスの面々からも既にいつもの三人組で通るようになっている彼女達は、果たしてこの遠征学修でどれほど距離を縮めるのか。そのあたりはロクスレイにどうこうできる問題ではないが。
「ま、仕事に支障が出ない限りどうでもいいですけど」
興味ない風に呟いて、ロクスレイは眼下の馬鹿騒ぎが終わるのを待つのだった。
ちなみに騒ぎはロクスレイの予想を裏切って夜を徹して行われた。グレンが【ショック・ボルト】によって滅多打ちにされ、カッシュ達の体力が底を尽きて、ロクスレイは不本意な寝不足に陥るのだった。