──我が骸は、どうか気高き騎士の隣に。
愚者の絶望と婚約者
それは過去の記憶。無貌の王として活動してきたロクスレイにとって苦い記憶に分類されるものだ。
ロクスレイがルミアの護衛としてアルザーノ帝国魔術学院に編入するより前、帝都を舞台に繰り広げられた大惨劇。
下手人はたった一人。帝国の官僚が多数殺害され、無辜の民が数多く巻き込まれ犠牲となった事件。当時のロクスレイは
今でも思い出す、余りにも凄惨な光景。悍ましい魔薬によって生きながら屍人と化した人々が闊歩する阿鼻叫喚の地獄絵図。廃人と化した市民の命を断腸の思いで刈り取り、逃げ遅れた生者を救いつつ、事件の元凶たる外道を追い詰めんと奔走した。
だがあと一歩というところで必ず邪魔が入った。まるでロクスレイの行動を全て把握しているかのように足止めが配置され、どう足掻いても黒幕の許へ辿り着くことができなかったのだ。
どうにか足止めを蹴散らし、ロクスレイが駆け付けた時には全てが手遅れだった。
曇天の下、物言わぬ骸と化した女性の身体を掻き抱き、一人の男が悲痛に塗れた慟哭を上げていた。魔術に絶望した愚者の心の悲鳴が帝都の街並みに響く。
常日頃から物語に出てくるような『正義の魔法使い』に憧れ、非情な現実にぶつかって挫折しながらも、理想を支えてくれる大切な
仕事と割り切り、無辜の民を守るためなら外道の血に濡れようが構わない
愚者がどんな道を歩んでいくのか。愚者の理想を笑わず肯定する女帝との関係がどう変化していくのか。部外者の視点から時折揶揄いを入れつつ、軽い気持ちで見守っていく腹積もりだった。
だがそんな想いは一人の正義に狂った裏切り者の手によって木っ端微塵に打ち砕かれた。
愚者の理解者である女帝は死に絶え、唯一の拠り所を失った愚者は完膚なきまでに折れてしまった。血反吐を吐きながらも『正義の魔法使い』を目指した少年の道は完全に閉ざされてしまったのだ。
ロクスレイの目があることなど構わず、愚者は狂い泣き叫ぶ。大好きだった魔術に、憧れた『正義の魔法使い』に、何より無力な自分に愚者は絶望する。
狂った正義に何よりも大切な女性を奪われた愚者の有様に、ロクスレイの胸中をえもいわれぬ感情が埋め尽くす。それは同情か、憐憫か、憤怒か、落胆か、それとも迷いか。
その感情の正体は知れない。けれど涙を流しながら愛した女性の亡骸を抱き締める愚者の姿は、当時のロクスレイの達観した正義観に少なからず影響を与えたのは間違いなかった。
▼
連休が明けてしばらく。無事に無貌の王の力を取り戻し、厄介な
以前までと変わらず、護衛対象兼
連休前と後で変化したのはロクスレイとルミアの関係。契約の儀を経たことで二人の関係は主人と従者となり、あの夜の告白もあって以前より距離感は近い。その時点で察しのいい生徒達は連休の間に何かあったと悟った。
決定的となったのはロクスレイのルミアの呼び方だ。
今まではクラスメイトであろうとラストネームで通してきたロクスレイが、ルミアだけファーストネームで呼ぶようになった。しかも呼ばれるルミアの幸せそうなこと。そういう関係なのかと問えば、ロクスレイはのらりくらりとはぐらかし、ルミアも微笑みながら流すばかりである。
この時点で察しの悪い人間も全てを悟った。
──ロクスレイとルミア、付き合ってるってよ。
学院内において天使とまで謳われるほどの美少女であるルミアに恋人ができた。その噂は瞬く間に学院中に知れ渡る。
魔術師を志す者とはいえ生徒達も色恋に興味を持つ年頃だ。中にはルミアを狙っていた男子も大勢居ただろう。それがよもや何処の馬の骨とも知れぬ編入生に掻っ攫われたとなれば不満やら嫉妬を抱く生徒が続出するのも何らおかしくない。
覚悟していたとはいえ顔も知らぬ生徒達から嫉妬やら怨嗟の視線を向けられるのはあまり居心地の良いものではない。不幸中の幸いなのはクラスメイトの男子達が、嫉妬こそ募らせていても悪感情を抱いていないことだろうか。
二年二組はロクスレイにとっては嬉しいことに気の良い面子が揃っていた。おかげで男子達から恨み節こそ吐かれど、嫌悪されたりということはない。むしろルミアとの関係の変化の影響でロクスレイ自身が変わったのか、以前よりもクラスメイトとの距離感も縮まったように思える。
悪い変化もあれば良い変化もある。徐々に変わりつつある環境と自分自身を自覚しながら、ロクスレイはそれもまた悪くないかと新たな日常を受け入れた。
そんなある日のことである。
魔術師の卵達が魔術の研鑽に励む学び舎の一角。前庭の隅っこで怪しげな密談に勤しむ二人組がいた。片や常時眠たげな無表情がデフォルトのリィエル=レイフォード。片やリィエル絡みの減俸と度重なる己の問題行動によって日々の生活すら危うい領域に至った金欠講師グレン=レーダスである。
生徒達の喧騒から隠れるように内緒話を続ける二人の顔付き、特にグレンの表情は真剣そのもの。鬼気迫る迫力を滲ませて教え子であるリィエルに頭を下げる。今でこそ多少改善されたものの、基本的にグレン命だったリィエルはグレン直々の頼みとあって快諾、足元に転がっていた小石を拾い上げるとそれに魔術を行使して──此処に至って二人の許へ猛スピードで駆け寄る女生徒が現る。
庭の池に着水したグレンを説教するのはシスティーナ=フィーベル。教え子に犯罪行為の片棒を担がせようとしたロクでなし講師に飽きもせず説法を説く。当のグレンは馬の耳に念仏であるが。
もはや定番となりつつあるグレンとシスティーナの漫才、もといやり取り。人が空を飛ぶという現象に度肝を抜かれていた生徒達はまたか、とばかりに嘆息を洩らして歩き去っていく。グレンが吹っ飛んだことでぽつねんと蚊帳の外に置かれたリィエルは流れについていけず、こてんと首を傾げるばかりだ。
そんなリィエルの掌に横合いから手が伸び、元は小石から錬成されて生まれた黄金をひょいっと摘み上げた。
「へぇ、こいつは良い。二流どころの鑑定士なら余裕で素通りできる出来じゃねえですか」
即席で錬成されたとは思えない出来の黄金を矯めつ眇めつ、悪い笑みを浮かべるのはロクスレイ。グレンが己の生活資金確保のためリィエルに錬成してもらったそれを、しれっと懐に持っていこうとする。
「ダメだよ、ロクスレイ君。そんなことしたらシスティに怒られるよ?」
黄金をくすねようとしたロクスレイを諌めるのは柔らかな金髪の少女。ロクスレイの護衛対象兼主人であるルミア=ティンジェルだ。
「へいへい、分かりましたよ。ま、グレン先生と違ってオレは金に困ってるわけでもないですから構いませんがね」
執着の欠片もなくロクスレイは小石サイズの黄金を投げ捨てる。説教中のグレンが黄金の行方に目を奪われ、更にシスティーナの怒りに油を注いでいるがロクスレイの知ったことではない。
「リィエルも、グレン先生の頼みでもこういうことはやっちゃダメだよ。授業でも言ってたでしょ?」
「でも、グレン困ってた。わたしのせい……」
しょんぼりと眉尻を下げるリィエル。何気にグレンの生活を困窮させている自覚があるらしい。
「まあ、レイフォード嬢が悪いところもあるでしょうけど、グレン先生が万年金欠なのは自業自得だろ。オタクが気に病むようなことじゃないっしょ」
それにここ最近のリィエルはルミアとシスティーナとの交流から自重を学び、
ロクスレイなりのフォローに続いてルミアが名案を閃いたとばかりに手を打ち鳴らす。
「そうだ、じゃあ今度一緒にグレン先生に差し入れを作ってみよっか。きっと喜んでくれるはずだから」
金欠でシロッテの蜜で飢えを耐え凌ぐような生活を送るグレンにとって、食料の差し入れはこの上なく嬉しいものだろう。錬金術で黄金を錬成するよりよっぽど健全なやり方である。
「でも、わたし料理できない……」
「じゃあ一緒に作ってみない? 私もまだまだお勉強の途中だけど、簡単な料理ならできるから。味見をしてくれる人もいるしね」
そう言ってルミアはロクスレイに視線を流す。味見役を任されたと理解したロクスレイはふっと笑みを零した。
「はいはい、オレで良ければ幾らでも食べてやりますよ。ただ、頼むから食えない物を作り上げるのは止めてくれよ? マグマみたいな料理が出てきたら、オレは逃げるからな?」
真っ青な顔で胃のあたりを押さえながら言うロクスレイ。彼の脳裏に浮かぶのはカリスマデザイナーことエリザの錬成した料理、もとい生物兵器。彼女が作った料理は比喩表現抜きで無貌の王の一族を半壊に追い込んだ。
アンヌの『植物成長促進』によって薬草を大量生産、生き残った面々による不眠不休の胃薬調剤と看護によって事なきを得たものの、後にも先にもあんな馬鹿げた一族の危機はないだろうと当時の被害者たちは語る。ちなみにロクスレイもきっちり被害者に名を連ねていた。
「ふっ、隙あり──!」
「あ、待ちなさい!?」
当時の地獄を思い出してロクスレイが顔を顰めていると、一瞬の隙を突いてグレンが逃走。目敏くロクスレイが投げ捨てた黄金を拾い上げて猛然と走り始めた。
逃走するグレンの背に魔術をぶっ放しながら追いかけるシスティーナ。このままグレンが逃げ切り、システィーナが悔しさと怒りに叫ぶまでがいつもの流れである。
しかし今日に限ってはいつもの流れにはならなかった。
システィーナの魔術に意識を奪われていたグレンが前方から迫る馬車に気付かず、あわや轢かれて大惨事になりかけたのだ。
「おいおい、何やってんだか……」
呆れ混じりにロクスレイが呟く。
幸いグレンが咄嗟に尻餅をついたことで衝突は免れたものの、一歩間違えれば大事故になりかねなかった。もはや当然の如く呆けているグレンに代わってシスティーナが馬車の御者席に座る御者に謝りにかかる。
しかし御者はシスティーナの謝罪には一瞥もくれず、ズボンに付いた埃を払いながら立ち上がるグレンをじっと注視しており、それを怒っていると取ったシスティーナが更に謝罪を重ねようとしたところで馬車の扉が開く。
客室から優雅に降りてきたのは若い、グレンよりは少し年上だろう金髪の優男。所作の一つ一つに気品が滲んでおり、美男子という言葉がこれ以上になく似合う容姿の青年だ。それはその場に居合わせた女生徒達の反応を見れば一目瞭然だ。
ただ一人、システィーナだけは見惚れるでもなく目を丸くし、驚愕入り混じる声を上げた。
「れ、レオス!? どうして貴方が……!?」
「久しぶりですね、システィーナ。ここに来て最初に貴女と会えるなんて、私も運がいい」
優しい眼差しでシスティーナを見つめる金髪の青年。そしていつもの調子は何処に忘れたのか、やけにしおらしい態度で挙動不審に陥るシスティーナ。
二人が無意識の内に醸し出すリア充特有の固有結界にその場に居合わせた少年少女が俄かにざわつく。あのイケメンは誰なのか、システィーナとはどんな関係なのか。湧き上がる疑問を良くも悪くも空気の読めない
「誰だ、アンタ?」
「おっと、これはいけない。システィーナの顔を見ることができて浮かれてしまいました。紹介が遅れて申し訳ありません」
礼儀もへったくれもないグレンの誰何に金髪の青年は丁寧な物腰を崩さぬまま、貴族らしく名を名乗る。
「この度、ここアルザーノ帝国魔術学院に特別講師として参りました、レオス=クライトスです。システィーナとの関係は……そうですね、隠すこともないでしょう。端的に言えば将来を誓い合った
「──はい?」
宣言するように明かされた驚愕の事実に問うたグレンは硬直、一瞬の間を置いて野次馬と化していた生徒達から悲鳴にも似た喚声が上がる。程なくして特別講師とシスティーナの関係は知れ渡るだろう。
その場が騒然となる中、ロクスレイは顔を真っ赤にしてあたふたするシスティーナと間抜け面を晒すグレンを見やり、僅かに複雑そうな表情を浮かべる。
「婚約者ねぇ? 面倒事にならないといいんですが……」
内心で無理だろうなぁ、と悟った上での呟きであった。