レオス=クライトス。クライトス伯爵家の次代当主候補の一人であり、クライトス魔術学院で教鞭を執る優秀な魔術講師。最近では軍用魔術に関する画期的な論文を発表、帝国総合魔術学会でも注目を集める魔術師だ。
そんな有名人がクライトス魔術学院からわざわざ特別講師としてアルザーノ帝国魔術学院に招かれた理由は、講師が一人急病に倒れ療養のために一時休職することになったからだ。
学院は抜けた穴を埋めるためにダメ元でクライトス魔術学院に打診、結果として来訪したのがレオスである。
「──とまあ、あの優男が特別講師として此処へ来た経緯はこんなところか。フィーベル嬢との関係は祖父同士が学友で、数年前まではクライトス伯爵領にちょくちょくお邪魔していたみたいですぜ。婚約者云々はオレも初耳なんで、詳しいことまでは分からねぇですけど」
アルザーノ帝国魔術学院にやってくるなり開設されたレオス=クライトスによる専門講座。学会にて時の人とまで注目されるレオスの講義を受けようと集まった生徒と講師で講義室は埋め尽くされている。
そんな講義室の一画を陣取り、講義内容を聴きながらロクスレイは現状知っているレオス=クライトスについての情報を主人たるルミアに伝えていた。
ロクスレイからレオス=クライトスの情報を聞いたルミアは、端正な横顔に微かな不安を貼り付けて教壇に立つレオスを見やる。
「そうなんだ。私、全然知らなかったよ……」
「ま、無理もないでしょうよ。フィーベル嬢の両親の多忙や、彼方さんのお家問題でここ数年は疎遠になっていたみたいですし? 別段、フィーベル嬢がルミア嬢に隠そうとしてたとか、そんな意図はないと思いますけど」
「うん……」
小さく頷くルミアであるが、依然物憂げな顔色に変化はない。
レオスが魔術学院に来てからずっと、ルミアはどこか不安そうにしている。ロクスレイはそれを本当の姉妹のように仲の良い親友が見も知らぬ男に取られるかもしれないことへの不安だと考え、請われるままにレオス=クライトスの情報を喋ったわけだが、どうにもそうではないらしい。
いつもの明るさのない主人に調子を狂わされ、ロクスレイが困ったように頭を掻いていると講義の終わりを告げる鐘が鳴り響く。レオスが講義に一区切りをつけて終わらせると惜しみない賞賛の声と拍手が上がった。
講義を受けた誰もが認めるほどにレオスの講義は有意義なものであった。ロクスレイの後ろの席で聴講していたグレンですらも、その講義内容と教え方に唸っているといえば分かりやすいだろう。
「完璧だ。軍属の魔導兵ですら今ひとつ理解してない
思わず感想を零すグレンであるがその表情は感動や感心といったものではない。むしろ苦々しい部類の顔だ。
「だが、幾ら何でも早すぎだろ……」
グレンが懸念するのはまだ年若い学院生徒達が実感の一つも持たずに強大な力を持つことである。
レオス=クライトスはいかに効率よく魔力を破壊力に変換するか、つまりはどうすれば効率よく人を殺傷できるかを言葉巧みに美化し、魔術の表側にだけスポットを当てて教え込んだのだ。
頭の良い生徒やグレンの受け持つクラスの生徒達であればレオスの講義を聞いただけで、普段自分達が使う初等呪文ですら人を殺すことができると知っただろう。それは余りにも早すぎる。
ロクスレイも概ねグレンの意見と同じであったが、こと同じクラスの面々に関しては大して心配していなかった。
何せ二組は普段はロクでなしでありながらも生徒思いなグレンの教えを受けているクラスだ。他のクラスの面々と比べて魔術の危険性もそれなり以上に理解させられているし、何より実際に天の智慧研究会のテロに巻き込まれたことで身をもって知っている。
故に二組の生徒に関してはロクスレイは心配していない。現に講義室内にいる二組の生徒の顔を見れば、揃いも揃って何処か戸惑いを含んだ様子である。ちなみに二組一の脳筋お馬鹿であるリィエルはそもそも講義内容を理解できていないという有様であったので、心配するまでもなかった。
「ロクスレイ、どうかした? ……新しいお菓子を考えてるの?」
「レイフォード嬢はほんっとブレないなぁ。おかげで安心したわ」
普段とまるで変わりのないリィエルに安心感を覚えるロクスレイ。
ルミアもグレンも、そしていつもの面子であるもう一人もレオス=クライトスが来てからずっと落ち着きがないものだから、常日頃と何一つ変わらないリィエルがロクスレイにとっては軽く心のオアシスと化していた。
こてんと首を傾げているリィエルにロクスレイが飴玉を放っていると、生徒達の対応を終わらせたレオスが真っ直ぐ婚約者──システィーナの元へ向かった。途端に講義室内に毛色の違う騒めきが生まれる。
既にレオスとシスティーナが親同士が決めた婚約者であるという噂は知れ渡っている。と言うより、レオス側が隠す気もなくむしろ喧伝する勢いでシスティーナに接触を繰り返しているからだ。
今も講義内容についての感想から自然な流れで二人きりになろうと
当のシスティーナはと言えば、涼しげな容貌とは裏腹に情熱的なレオスのアプローチにたじたじ。だが時折、縋るような視線をルミアやグレンに向けては目を泳がせるといった不審な挙動を繰り返している。
しかしそれも際限なく重ねられるレオスの言葉と真摯な態度に陥落。ルミアに目配せで断りを入れ、一瞬だけグレンを一瞥したのちレオスと共に講義室を後にした。
「あーあ、行っちまったな。良かったんですかい、講師殿? このまま行けば、フィーベル嬢はあの優男とくっつくことになりますぜ?」
「良いも何も、貴族が親同士で決めた婚約関係に部外者の俺がどうこう言える資格なんてあるかっての。それにクライトス家と言えば帝国内でも古株に入る有力貴族だ。レオス個人の才覚も、気に入らねぇがこれ以上になく優れてる。あいつと結ばれりゃあ、白猫も将来安泰だろ」
魔術の名門であるフィーベル家のシスティーナが同じく帝国有数の有力貴族であるクライトス伯爵家に嫁ぐ。形式上は何ら不自然ではなく、システィーナもレオスを憎からずレオスを好ましく思っている。システィーナにとって悪いことではないはずだ。
努めて私情を排して客観的な意見を述べたグレンを意味ありげに見やり、ロクスレイは僅かに呆れを込めた嘆息を洩らす。
「確かにその通りではあるが、オレが聞いてんのはそういうことじゃない。ま、これ以上突っ込むのは野暮ってもんだ」
そう言ってロクスレイは不貞腐れたように頬杖を突くグレンから視線を切り、帰り支度を始めようとする。しかしそこで隣のルミアから待ったが掛かった。
「ロクスレイ君……一つお願いがあるの。聞いてくれるかな」
やけに切羽詰まった様子のルミアからのお願いは普段の彼女らしからぬものであった。しかしそこはロクスレイ、主人のお願いを二つ返事で了承するのだった。
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広大な魔術学院の一画には木や花壇などで飾り付けられた庭園がある。生徒達の気分転換や息抜きのために開放されている場所だ。
穏やかな陽光が降り注ぎ、涼やかな風が吹く庭園の散歩道。講義を終えたレオスとシスティーナの二人はそんな庭園を並んで歩いていた。
思い出話に花を咲かせながら庭園を並んで歩く二人は、側から見ると仲睦まじいカップルにしか見えない。
そんな二人の様子を固有魔術まで持ち出して覗く一団があった。ロクスレイ一行である。
「他人様の恋路を覗く趣味はないんですがねぇ……」
魔導器である外套を被りながらロクスレイは呟く。すぐ隣で同じく外套の内側に入っていたルミアが申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「ごめんね、こんなこと頼んで。やっぱり迷惑だった?」
「いんや? ルミア嬢たってのお願いに文句なんてありませんよ。あるとしたらそれは、このくっつき虫どもが邪魔くさいことぐらいだ」
うんざり顔でロクスレイが振り返ると、そこにはルミア同様に外套を被っているリィエルとグレンの顔があった。
リィエルはいつもの無表情で不機嫌そうなロクスレイを見返し、グレンはやや罰が悪そうに顔を逸らす。そんな反応にロクスレイはあからさまに溜め息を吐く。
「百歩譲ってレイフォード嬢はいいとして、なーんでオタクまで潜り込んでるんですかね、講師殿?」
「別に二人増えるくらいいいじゃねーか。便利だし」
「よかねぇよ、普通に定員オーバーだわ。だいたい、さっきは部外者だの何だの言って興味なさげにしてたくせに、一体どういう風の吹き回しだ?」
「いや、それはまあ、アレだ。いつも説教くさい白猫の弱味を握る大チャンスじゃね? って思ってな」
「こいつほんとロクでなしだな……」
呆れて物も言えなくなるロクスレイ。そこへルミアが微笑を零しながらフォローを入れる。
「先生もシスティのことを心配してくださっているんですよね。ありがとうございます」
「べ、別に白猫のことなんて心配してねーし? そもそも、お相手のレオスはいけすかねーヤツだが、心配する要素なんて何処にも見当たらないしな……」
ルミアのフォローを否定するグレンであるが、言葉の割に顔色はやや険しく、熱烈な台詞を吐くレオスを見据えている。普段の彼らしからぬ表情だ。
対してロクスレイはルミアやグレンがレオスをそこまで警戒する理由が今一つ理解できていなかった。
レオス=クライトスは天が二物も三物も与えたのではないかという程に優秀な人物で、ロクスレイとしてもあまり好きなタイプではない典型的な貴族だ。だが所詮はそれだけ。無貌の王として培った外道に対する嗅覚は無反応であり、過剰に警戒するに値しない。それがロクスレイの見解である。
無論、ルミアとシスティーナの関係性が変わることで今後の護衛に影響がないとは言い切れないが、それも今すぐにという話ではない。よってロクスレイ個人としてはレオスという男を必要以上に警戒するつもりはなかった。
もう一つ言えば、今のロクスレイには他に優先すべき事柄があるからという理由もあるのだが、そちらの事情を明かすつもりはない。
だが主人であるルミアが覗きまでする程に心配している以上、このまま捨て置くわけにはいくまい。念のためにロクスレイはルミアに確認する。
「何がそこまで不安なんですかい?」
ロクスレイの問い掛けにルミアは不安げな面持ちで己の胸に手を当てる。
「分からない。レオスさんは人格的に申し分ない人だと思うのに、どうしてか不安なの……遠征学修で初めてバークスさんと会った時も、こんな感じだった気がする」
「なるほどな。要は勘ってわけだ」
これといった明確な理由も根拠もない勘。普通であれば鵜呑みにすることはないが、ルミアの人を見る目は馬鹿にできない。何せ初見でバークスの裏の顔を半ば見抜いて危機感を抱いていたのだ。それだけでもルミアの勘の信憑性を裏付けられる。
「よし、そういうことならレオス=クライトスについてちょいと裏を洗っておきますわ。都合の良いことに、貴族の裏事情に詳しい奴に心当たりもあるしな」
「ありがとう、ロクスレイ君」
「礼には及びませんぜ。それに、女の子の勘は馬鹿にできませんから」
冗談混じりに言うロクスレイ。いつか自分が言った台詞をそっくり返されてルミアは小さく噴き出した。
そんなルミアとロクスレイのやり取りをまざまざと見せつけられたグレンが胸中で砂糖を吐き、リィエルが例によっていつもの如くレオスを排除すれば解決ではと物騒なことを考えている一方、レオスとシスティーナの方にも動きが見られた。
ついにレオスが結婚の申し込みを切り出したのだ。
覗きに徹する面々が揃って話の行く末に耳を傾ける。よもや求婚の場面を出歯亀されているとは露知らないレオスは、本気でシスティーナに伴侶となってほしいと告白していた。
誰もが羨むような貴公子然としたレオスから求婚されたシスティーナの返答は──否であった。
レオスとよく淑女紳士ごっこをしていた頃ならば喜んで受け入れただろう求婚を、しかし今のシスティーナは断った。理由は一つ、彼女には祖父と交わしたメルガリウスの天空城の謎を解くという約束があるからだ。
約束を果たすためには魔術の研鑽が必要不可欠であり、それまでは家庭を築く余裕はない。システィーナは祖父の果たせなかった夢を叶えるため求婚を受け入れることはできないと告げた。
システィーナの彼女らしい返答にルミアはふっと顔を綻ばせる。ここで終われば全ては丸く収まっていたはずだった。しかしレオスが続けた言葉によって暗雲が立ち込める。
レオスは馬鹿にするでも嘲笑するでもなく、ごく当然のことのようにシスティーナと彼女の祖父の夢を否定した。魔導考古学などに傾倒するだけ時間の無駄、そろそろ現実を直視するべきだと。心の底からシスティーナの将来を思った上で断言したのだ。
代わりにレオスが推すのは軍用魔術の研究である。隣国との国際緊張から時代が求めるのは軍用魔術研究・開発であり、レオスはこの機に乗じてクライトス家の名を国の内外問わず知らしめたいと宣う。そのための
己の夢を全否定されてシスティーナは目に見えて肩を落とす。レオスにとっては善意で言っているつもりなのだろう。だが当人からすれば今は亡き祖父と交わした大切な約束なのだ。時間の無駄だと言われて、はいそうですかと受け入れられるものではない。
システィーナの決意は固い。しかしレオスもここで引くつもりはないらしく、攻め口を変えて切り込む。
レオスは、システィーナの祖父ですら解明できなかった謎を本当に解き明かすことができるのか、と問うた。それはシスティーナ自身、薄々感じていたものの敢えて触れないようにしていたことだった。
システィーナの祖父レドルフ=フィーベルは稀代の天才として多くの功績を残した魔術師だ。魔導考古学の分野に傾倒さえしなければ魔術史に名を刻んだことだろうと惜しまれるほどの天才であった。
そんなレドルフをして全く歯が立たなかった『メルガリウスの天空城』の謎を、果たしてシスティーナに解き明かすことができるのか──
システィーナは答えられない。祖父が魔術師として優れた人であることを知っていたから。何より、尊敬する祖父を易々と越えられるなど口が裂けても言えなかったからだ。
熱烈な求婚の空気から一転、夢を否定された悔しさと悲しさに歯噛みするシスティーナ。外野で見守っていたルミアが親友の苦悩を察して顔色を曇らせる。
「システィ……え、先生?」
今まで外套を被って事の成り行きを見守っていたグレンが、やけに険しい顔つきで出ていく。混乱するルミアであるが、ロクスレイはこうなることを予測していたのか驚くことなくその背を見送った。
グレンは唐突にレオスとシスティーナの間に割り込むと、彼なりに真面目な態度でシスティーナの夢を擁護しつつ待ってはくれないかと口を挟んだ。普段のロクでなしぶりがなければこれ程までに生徒思いな講師はいないと思えるだろう。少しばかり決めてやったぜ、と格好つけている部分は玉に瑕であるが。
レオスが本当の意味で紳士ならば引き下がったのだろうが、どうしてかレオスはここでも食い下がる。グレンに部外者は口出しするなと言い放ち、システィーナに求婚の返事を迫ろうとする。流石のグレンも貴族の肩書きを出されては分が悪かった。
だがここで思いもよらぬ展開に発展する。
何とあのシスティーナがグレンを自らの恋人だと宣言し、グレン以外の男と結婚する気にはなれないなどと宣ったのだ。
驚愕の爆弾発言に言葉を失うレオス。飛び込んだグレンも何が何だか分からない顔。そして成り行きを見守っていたルミアとロクスレイは開いた口が塞がらない状態になっていた。
「おいおい、マジかよ。あの二人いつの間にできてたんですかい?」
「た、多分咄嗟についた嘘じゃないかな。先生もビックリしてたし」
「嘘ねぇ……確かにそうみたいだな。あの様子だと」
システィーナから懇願するような眼差しを向けられて嬉々として恋人役を振る舞いつつ、気に入らないレオスを全力で煽りにかかるグレンを見てロクスレイは納得した。
もう何というか酷い絵面だ。グレンは調子に乗って恋愛のABCまで済ませたなどとホラを吹き、「Aしかしてないわよ!」とシスティーナが墓穴を掘り、拙い演技をレオスが真に受けている。更には騒ぎを聞きつけて野次馬まで集まる始末だ。
「し、システィ。私の知らない間に先生と進展してたんだ……」
姉妹のように仲の良い親友が自分の知らぬ間に大人の階段を一歩先に行っていたことにショックを隠せないルミア。思わず口元を掌で隠して、無意識の内に隣の少年を見やる。
ロクスレイはグレンとシスティーナが繰り広げる三文芝居に笑いを堪えるので精一杯らしく、ルミアの視線には気付かなかった。何とも間の悪い男である。ルミアは溜め息を禁じ得なかった。
いよいよ収拾がつかなくなり始めてきた頃合いで、グレンが今一度待つことはできないのかと問う。されどレオスの考えは変わらず、二人の意見は平行線。そして忘れてはならない、二人が魔術師であることを──
何が何でもシスティーナの夢を認めず、剰え擁護するグレンをただの甘やかしと断言するレオスに、グレンが真剣な面持ちで左手の手袋を投げつける。かつてシスティーナがグレンにやったのと同じように、システィーナを賭けて決闘を申し込んだ。
決闘の申し込みをレオスは願ってもいないことだと受理した。
こうしてグレンとレオスはシスティーナを巡って決闘することが決まった。