ダークコートの男によって連れ出されたルミアは校舎から中庭へ出ると、並木道を抜けて真っ直ぐ白亜の塔へと向かわされた。学院と帝都を繋ぐ転送法陣のある場所である転送塔だ。
「これは……?」
普段は遠目から見るだけの転送塔の周囲に、本来あるべきではないものがあった。有事の際に自動で起動し、侵入者を迎撃するガーディアン・ゴーレムだ。それらが何故か塔を守護するように徘徊している。
侵入者を撃退するようプログラムされているはずのゴーレムが、しかしダークコートの男を認識しても動かない。学院内のセキュリティが完全に敵方の手に落ちていることを示していた。
守衛は殺され、学生達では太刀打ちできない。現状を唯一打破できる存在としてルミアが考えつくのは一人だけ。
「グレン先生……!」
「随分とあの男の肩を持つな。今頃は我々の仲間によって始末されているはずだ。所詮は
ルミアの呟きを拾った男が、残酷な現実を告げる。グレンの元へは彼らの仲間の一人が差し向けられており、三流魔術師でしかないグレンが勝利する可能性は万に一つない。希望など抱くだけ無駄なのだ。
ここまでの道中にも同じことを突きつけられてきたルミアは、しかし絶望とは程遠い気丈な表情で見返す。
「グレン先生は貴方達なんかに負けません。誰よりも強くて、誰よりも心優しいあの人がテロリストに負けるはずがない……!」
「よくもそこまで愚直に信じられるものだ。まあいい、ありもしない希望に縋りついていたければしていろ」
ゴーレムの防衛網を素通りし、塔内に入ると螺旋階段を上っていく。長い長い石階段を上り終えるとルミアと男を最上階の大広間、転送法陣のある部屋が迎えた。
ダークコートの男が開き戸を開け視線で入れと促す。大人しく従って部屋に入るが、中は薄暗くよく見えない。背後でパタンと音を立てて開き戸が閉められた。どうやら男の役目はルミアをここまで案内することだったらしい。
監視の目がなくなりルミアが僅かに気を緩めた直後、薄暗闇の中からこつこつと硬い靴音が響いてきた。
「だ、誰ですか……?」
「僕ですよ、ルミアさん」
暗闇に慣れ始めたルミアの視界にぼんやりと男の姿が浮かび上がる。二十代半ばぐらいの優男。髪色は金で顔立ちは涼やかに整っている。暗碧の深い瞳を持つ青年であった。
「うそ……ヒューイ先生がどうして……!?」
暗がりから現れた青年をルミアはよく見知っていた。何を隠そうこの男、一ヶ月前まで二組の担当講師として教鞭を執っていたヒューイ=ルイセンその人である。
表向きには一身上の都合で退職、真実は突然の失踪からの行方不明となっていたが、その理由は態々語るまでもない。今この場にいてルミアを出迎えたことが、ヒューイが敵側の人間である証左だ。
信じられない、信じたくないといった表情のルミアに申し訳なさげにヒューイは眉を下げる。
「すみませんがルミアさん、大人しく僕に従ってもらえますか。あまり手荒な真似はしたくありませんので」
「ヒューイ先生……」
悔恨を滲ませつつもヒューイはルミアを部屋の中央に設えられた転送法陣の上に立たせる。手早くルミアに魔術の封印を施し、そして目を瞠るほどの手並みで法陣の改変と構築を始めた。学院の一講師レベルを遥かに超えた卓越した手腕にルミアはただただ驚きに固まることしかできない。
前もって用意しておいた高価な触媒や道具を用いて作業に没頭するヒューイ。ルミアは法陣の中心で蹲ってしばらくその様子を見守っていたが、やがて沈黙に耐えかねて話を切り出す。
「どうしてなんですか、ヒューイ先生。生徒達からも慕われていた先生がどうしてこんなことをするんですか?」
「……そうですね、ここまで来た時点でルミアさんにはもう何もできない。せめてもの誠意として話してもいいでしょう」
ルミアを一瞥し、作業を続行しながらヒューイは語る。
「我々の目的はただ一つ、ルミアさんを誘拐することです。そのために僕は今日まで講師として潜伏し、学院の結界とセキュリティを完璧に把握。転送法陣の書き換えに必要な素材や道具を密かに蓄え、講師と教授がいなくなる今日この時を狙って計画を実行したのです」
「私を誘拐……でも、それだとおかしいです。私が学院に来たのは一年前。ヒューイ先生は十年以上も前から学院に勤めているじゃないですか」
「ええ、そうですね。厳密には、僕の役目は将来的に入学するかもしれない王族、もしくは政府要人の身内を自爆テロで殺害するために用意されていた人間爆弾です」
「そんなことが……」
明かされる衝撃の事実にルミアは言葉を失う。つい最近まで生徒達から慕われていた人気講師が、その実十年以上前から仕組まれていた人間爆弾だったなんて。到底受け入れられないし、こんなことを考えつく人間の正気が疑われる。
作業の手は止めないままヒューイが顔を上げる。整った顔には壊れ物めいた微苦笑が貼り付いていた。
「僕自身すっかり忘れかけていましたけどね。ですがルミアさん──エルミアナ王女殿下が入学したことで僕の講師生活は終わりを迎えました」
ピクリとルミアの肩が跳ねる。親友であるシスティーナですら知らないルミアの素性を言い当てられ、動揺が洩れ出た。加えて自分の存在がヒューイを狂わせたのだと悟り、胸中を暗澹たる雲が覆う。
「あぁ、気に病む必要はありませんよ。いずれはこうなる運命だったんですから」
視線を法陣へ戻してヒューイは努めて淡々と続ける。
「本来は殺害することが目的だったのですが少々事情が変わりましてね。これから僕は転送法陣の転送先を改変し、ルミアさんをとある組織へと送り届けます。同時に僕の魂を起爆剤にこの学院を生徒諸共爆破することになる」
「爆破!? 止めてくださいヒューイ先生、他の生徒達は何も関係ないでしょう!」
自身の事情とは全くの無関係である生徒達が巻き込まれるとあっては黙っておられず、矢も盾もたまらず立ち上がろうとするルミア。だが既に張られていた障壁が動きを阻害し、衝撃と共に法陣の中心へと押し戻される。
「無駄ですよ。もう貴方には何もできない」
「そんなこと、ありません。まだ間に合います……!」
弾かれても諦めず、無意味と分かっていても障壁に飛びつく。力づくで抜け出そうとしてその度に無様に弾き飛ばされる。だが決して折れない。システィの、生徒達の命が懸かっている以上、このまま法陣の完成を黙って見ているわけにはいかないのだ。
「お願いします……もう、止めてください。私を誘拐するのは構いません。でも、生徒達は見逃してください」
「残念ながらそれはできない相談です。僕は所詮、組織の道具に過ぎない。道具が主の意向に逆らうことなんてできるはずがない」
「道具……」
血を吐くようなヒューイの言葉に、不意にルミアの脳裏を皮肉げに笑う少年の姿が過ぎった。どうしてこの場面で彼を思い出したのかは分からないが、ヒューイの自身を道具と貶める発言にルミアはどうしても黙っていられなかった。
「違う、そんなことありません。ヒューイ先生は道具なんかじゃない、立派な人間ですよ。だって──」
ふっと表情を綻ばせてルミアは言う。
「──そんな辛そうな顔をしている人が道具なわけないですから」
「辛、そう……?」
一心に法陣を改変し続けていたヒューイの手が止まり、自身の顔へと持ち上げられる。触れた顔は確かに苦痛を堪えるように歪んでいた。
「辛い……あぁ、そうか。辛いのか、僕は。生徒達をこの手にかけることが辛くて、痛くて、堪らなくて……」
優しげに垂れる眦から一雫の涙が零れ落ちる。十年以上も講師を続けてきた、生徒を教え導いてきた。その日々はとても充実していて掛け替えのないものであったから──
「──壊したくないなぁ」
弱々しくも洩れ出たヒューイの本音。組織に逆らうことのできない道具であると理解していながら、自分を慕ってくれた生徒達の命を奪いたくないと心が絶叫していた。ルミアの言葉を切っ掛けにやっと自分の想いに気づけたのだ。
ヒューイはしばらく苦悩するように瞑目すると、数秒の間を置いて苦渋の表情でやりかけの法陣へと手を伸ばす。
「生徒に諭されて気づくなんて教師失格ですね」
「ヒューイ先生?」
「学院の爆破は、止めます」
ヒューイの変節にルミアは驚く。ルミアの必死の説得が届いたのだ。ただし全てが思い通りにいくわけではない。
「ですがルミアさんの誘拐は計画通りに行います。ここで僕が止めたとしても新たな刺客が送られるだけ。それによって生徒達が更なる危険に見舞われては本末転倒ですから」
「……はい、ありがとうございます」
「申し訳ありません。僕がもっと強ければ、貴方も守れたのに……!」
己の無力さに歯噛みするヒューイをルミアは責めない。彼はルミアの言葉を聞き入れ、勇気を振り絞ってくれた。それだけで十分だった。
胸の前で手を組み合わせ祈りを捧げる聖女のように己の運命を受け入れる。
王族に生まれ、先天性の異能力を持っていたことから放逐されて、一度は世界に絶望すらした。けれどそんな自分にも味方がいると教えてくれた人がいて、事実悪い魔法使いから助けてくれた
彼らのおかげで今日までルミアは希望を持って生きられた。これ以上の贅沢は天から罰が下ってしまうかもしれない。でも、もし一つだけ許されるならば──
「あの人たちにちゃんとお礼したかったなぁ……」
悪い魔術師に誘拐されかけた時に助けてくれた
一人は何の因果か、非常勤講師として再びルミアの前に現れた。当の本人はすっかり忘れてしまっているようだが。
もう一人は分からない。誘拐現場からルミアを掻っ攫い危機から救ってくれた男。深緑の外套に身を包み顔を隠していたその人は、名も名乗らずに何処かへいなくなってしまった。
まだ二人にちゃんとお礼を言えていない。そんな心残りを抱えながら顔を上げたルミアは、ヒューイの背後に広がる暗闇に妙な揺らぎを見つけた。その直後、ルミアとヒューイしかいないはずの部屋に第三者の声が響く。
「よく踏み切ったなヒューイ先生。オタクの覚悟は素直に称賛するぜ。ま、だからってこのままお嬢さんを誘拐させるワケにはいかないけどな」
「なっ、誰だ──!?」
声に反応して振り返ったヒューイの体が横に吹っ飛ぶ。側頭部に強烈な打撃を叩き込まれ、僅かに呻き声を上げて気絶する。
「ヒューイ先生!?」
突然倒れたヒューイにルミアが悲鳴を上げる。すると昏倒するヒューイの傍らの闇が不自然に揺らめき、滲み出るように人が姿を現す。深緑の外套を纏った見覚えのある出で立ちの男──
「貴方は、あの時の……!」
「なんだ、覚えてたのか。てっきり白馬の王子様の方が印象強烈でオレのことは忘れてると思ったんですがね」
完全に姿を現した男は倒れるヒューイを一瞥したのち、法陣内に囚われるルミアの元へ近寄る。そのまま手を伸ばしてルミアを引き出そうとするが、案の定障壁に弾かれるだけに終わった。
「あー、こいつは解呪しないとダメなやつか。面倒だな……仕方ない、少し横着しますか」
男は一旦手を引くと小声で呪文を唱える。
「《森の精よ 我らに祝福を 与え給え》」
聞いたことのない、教科書に載っていないだろう詠唱を終えると男の姿がみるみるうちに消失していく。現実とは思えない事象を前にさすがのルミアも開いた口が塞がらない。
驚愕に固まるルミアの耳に声が掛かる。
「ちょっとばかし目を瞑ってくれますかね」
「え、どうやって中に……」
「そいつは企業秘密でさぁ。とりあえず言うこと聞いてくれ」
耳元で囁かれてくすぐったさを感じつつ、ルミアは言われるがまま瞼を閉じる。真っ暗闇の中、頭から薄布のような物を掛けられた。
「そのままゆっくり歩いてください」
背中に軽く手を添えられてルミアは歩き出す。一歩、二歩と慎重に歩いていく。さっきまでは三歩も踏み出せば障壁に弾かれたが、どういうわけか五歩目になっても障壁の存在は感じられない。目を閉じているルミアには何がどうなっているかさっぱり分からなかった。
やがて背中から手が離れ、掛けられていた布が取っ払われる。
「もういいですぜ」
男から許可が下りたのでルミアは目を開く。そんな気はしていたが、やはりルミアは書きかけの法陣の外に出ていた。障壁は未だ健在であるのにも関わらずだ。
「いったい、どうやって……?」
「そのあたりの話はなしだ。それよりちょいと付き合ってくれますか。オタクの王子様が割とピンチなんですわ」
「あの、さっきから王子様って誰のことですか」
「グレン=レーダスだよ。テロリスト二人を始末したまでは良かったが、結構な深手を貰っちまったようでな。お嬢さんの魔術がないと結構ヤバイ」
「それを早く言ってください! 急ぎましょう!」
「ハイハイっと。そんじゃまあ、失礼して──」
「ひゃあっ! ちょ、ちょっと待ってくださいこの体勢は……!?」
不意打ち気味に男に横抱かれてルミアは堪らず頬を染める。ただしロンドとの視覚同調でグレンの容態が洒落にならないことを把握していた男は、己の腕の中でルミアが乙女らしい反応をしていることに気づかない。
「飛ばすぜ、お嬢さん。頼むから声だけは上げないでくれよ」
ルミアの返答も待たず、男はグレンとシスティーナの元へ全速力で駆け出した。