Pipe dream ~とりあえず逃げ出してもいいですか~   作:無農薬“Loser”無謀

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眠い。


悲劇を始める悲劇

7月1日の夜八時。季節はすっかり夏であり、現在は気障りになるくらいには蒸し暑かった。

 そんな夜の街であるが、相変わらずの繁盛具合で、そろそろネオン光に彩られた通りがまぶしくなってくる頃合いである。

 「さっきから全然進まない。お腹すいたにゃー!」

 そんな街の一角に制服姿の星空凛はいた。

 街角に先月オープンしてからというもの、そのカルチャーショッキングな味でたちまち爆発的に人気となったラーメン屋から伸びる長蛇の列の中腹あたりで、今か今かと店に入れるのを待っているのだ。

 

 今日の練習は特段ハードだった。

 スクールアイドルを名乗るようになってから、数々の困難を乗り越えてきた凛であるが、肉体的な面で言えば今日の練習が断トツで一番過酷だった。

 凛の親友である小泉花陽に至っては、いつ臨死状態に落ち込んでもおかしくない消耗ぶりだった。

 体力自慢の凛ですら、まだ疲労困憊から回復しない。

 

 ゆえに、今日はかねてから行きたかったラーメン屋に赴くことにした。

 

 (死んじゃうほど辛い練習の後に、死んじゃうほど美味しいラーメンを食べれば、プラマイゼロで明日からも練習がんばれるにゃー!)

 

 そんな調子で、特に思考することもなく店に来て見たものの、かれこれ一時間以上並ばされていた。

 

 長時間立ってるだけでも、まぁ人間、キツいもんだ。

 ましてや凛の肉体はあちこちで悲鳴をあげている。身体中にまとわりつく蒸し暑い空気に気圧され、視界も朦朧としてきた。何より、空腹が辛すぎる。

 何かの宗教では断食というものがあるらしいが、一食食べれないだけでも疲弊しきった凛の思考力は絶対にそんな宗教に改宗なんかしないにゃーという旨の、謎の決断を下していた。

 

 「暑いにゃー!辛いにゃー!お腹すいたにゃー!暑いにゃー!辛いにゃー!お腹すいたにゃー!」

 凛がゲシュタルト崩壊しそうなくらいに、そうぼやき続けて更に30分。

 

 ようやく店に入れた。

 一つだけ空いたカウンター席に腰を落ち着け、ようやく一息。

 効きすぎなくらいの空調だったが、さっきまで蒸し風呂状態だった凛には天国である。

 とりあえず、セルフサービスの水を飲み干す。渇きは問題なくなったが、故に空腹が際立つ。

 凛はメニューを見ることもなく、店の名前がついたラーメンを注文した。

 

 五分。たった五分の待ち時間だったが、凛の腹時計は刹那の速度で鳴り続け、虚ろな表情で店のテレビのプロ野球中継を流し見ていた。一時間半の待機を耐え抜けた時点で、凛はとっくに限界だったのだ。

 

 (わぁ!空振り三振だぁ!すごい!凄まじい偉業だにゃー!)

 

 もはや自我の炎は消えかかっており、テレビ越しから聞こえてくる歓声に流されるように、精神を乗っ取られたように、訳もわからずありふれた場面を賞賛する有り様である。

 小泉花陽がもしこの場にいたら、「誰か助けてー!」と周りに救援を要請することだろう。

 

 そんな惨状に終止符をうったのは、凛の嗅覚だった。

 

 (クンクン。こ、これはラーメンの匂い・・・凛のラーメンが「来たにゃー!」

 

 勢いよく立ち上がる凛。

 いざ凛の席にラーメンを置こうとし、「お待たせしましたー!」と言いかけた矢先に、凛の行動に驚く店主。

 

 これは当然、丼を落としてしまう。

 それは問題ではない。

 ただ、この後がまずかった。

 

 店主の手から滑り落ちた丼は、凛の隣席の人物の肩の辺りにぶつかり、盛大に中身をぶちまけた。

 

 「熱い熱い熱い!」

 

 狼狽えるのは中年のフルスーツの男だ。坊主頭で彫りの深い顔。左のこめかみからまぶたにかけて、生々しい傷痕が疼いていた。

 襟元にはヤクザであることを証明する襟章が鈍く輝き、それを際立たせる土台には、鍛え上げ、その上190cmはあろう肉体があることは一目瞭然だった。

 

 能天気な凛は、「あぁー!凛のラーメンが! 」などと考えているが、カタギの店主はそれどころではない。

 自分の不手際でヤクザに喧嘩を売るような真似をしてしまったのだ。

 

 二秒ほど間を置いて、ラーメンを食べ終え、プロ野球観戦に勤しむために横を向いた姿勢から、男が振り返った。

 これだけ並んでいる人間がいて、食べ終わったらすぐに席を空けるというのは常識以前の問題なのだが、この男はまったく・・・。

 

 先程までの狼狽から一転。威圧的な目を、店主と凛に向けるヤクザ男。

 ようやく凛も空腹どころの話じゃないことを悟り始める。

 ラーメンをこぼしたのは店主だが、その原因は自分にある。おそらく怒りの矛先を向けられるだろう店主を心配し、気配を窺うように店主に目を向けた。

 

 純真で曇り一つないその視線を、しかしパニクった店主は曲解する。

 

 (このガキぁ!責任は俺にあるみたいな顔しやがって。テメーが突然立ち上がったりしなかったら、こんなことには。クソがぁ!)

 

 凛の視線に睨み返す店主。その態度を受けて、しかし凛は納得していた。

 

(凛のせいでこんなに美味しそうなラーメンを作ってくれたおじさんが怒られるなんて、そんなことは駄目だにゃ! 凛の責任だって、説明して、一緒に謝って、スーツのおじさんに許してもらわなくちゃ)

 

 店主が、ヤクザに怒られる程度の被害を恐れているわけではないことを凛は分かっていない。

 

 やがて二人を睥睨していたヤクザ男が口を開く。

 

 「説明せぇや!なんで俺が火傷に加えて服を汚されたんか、早ぅ、説明せぇや!」

 

 ヤクザ男が荒い語調で二人に言葉を投げつけたショックで、店主の脳裏には走馬灯のようなものがグルグルと回っていた。

 

 長い修行期間を経て、やっと自分の城を建てることができた。

 嘘みたいに評判が良くて開店から閉店まで忙しいこの一ヶ月が、人生で一番幸せな時間だった。

 しばらくして客足が落ち着いたら、今度は更に美味い新商品を開発して、更にバカ稼ぎしたかった。

 

 そんな自分の儚い夢が、ヤクザに潰されるかもしれない。

 怒ったこのヤクザは、自分の店を害するために色々な手段で苦しめてくるかもしれない。

 最悪店を潰される。

 そうなったら終わりだ。

 どうすれば良い?

 どうすれば良い?

 クソッタレ!このガキが余計なことしやがらなかったら、すべてが上手くいく筈だったのにぃ!

 

 「おい!聞いてんのかこらぁー!」

 

 血管が浮き出て般若のような形相のヤクザ男の激昂で、店主が思考の海から引きずり出された。

 

 すかさず凛が状況を説明しようと口を開く。

 それより早く、

 

 「大丈夫ですか。お客様!実は、そちらのお嬢さんが、誤って丼をこぼしてしまったみたいで! 」

 

 罪を被せた。

 ひどく人間的な行いだった。

 

 「ほぅ!ええ度胸しとるな、この小娘がぁ!」

 「えっ!?凛のせいだけど、こぼしたのは」

 「じゃかあしぃわ!こらぁー!」

 

 真実を紡ぎだす凛の口は、途中で閉じられてしまう。

 ゼロ距離の位置で、心臓を震わせるような怒声を響かせる強者の存在に、凛は萎縮してしまった。

 飢餓感なんてとっくにどこかに逃げ出している。

 怖い。怖い。

 

 涙が溢れた。

 

 凛に許された行動は、ただ恐怖に身を震わせるだけである。

 救いを求めるように店主を見るものの、息子が志望校に受かったと聞いた時の父親のような表情で一息ついている有り様である。

 狭い店内にも、ヤクザ相手に凛をかばう勇気を持ち合わせた客はいないようだ。

 

 「おい!嬢ちゃんよぉ!ちょっと表出ろやぁ。」

 必死に助けを探し、その存在の皆無に気づき絶望した凛に止めをさすように、ヤクザ男の野太い声音が凛の鼓膜を揺らす。

 

 「ごめんなさい」

 「ええから来いや!」

 

 ヤクザ男が立ち上がった。呟くように謝罪する凛の細腕を、林檎程度なら潰せる握力でヤクザ男は掴みかかる。

 痛みで怯む凛はなすすべなくそのまま引きずられ、ヤクザ男は店を後にした。

 

 汚い人間性を見せたことに何の後悔も無さそうな店主と、見て見ぬふりをしていたくせに自らの非を認めないように店主を非難の目にさらす、醜いその他有象無象達が、惨状後の店内に残されていた。

 

 

 

 

 

 




絶体絶命の大ピンチ!
その頃、主人公は

「うまいなぁ。コンビニの駐車場で食べるペヤングはやっぱり格別だね」

ラーメン屋にはいなかったみたいです。

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