Pipe dream ~とりあえず逃げ出してもいいですか~ 作:無農薬“Loser”無謀
家から飛び出し、カラオケに駆け込み、お一人様フリータイムで朝までの宿を確保して、やっと俺は一息つくことができた。
喫煙部屋では無いが、煙草を取り出し、紫煙を肺に取り込んで嘆息するように吐き出す。その作業をしばらく続けながら、俺はさっき起きた事態を反芻した。
西木野真姫。
かつて俺を兄と呼んでくれた少女であり、もう二度と俺と関わるはずのなかった表の住人。
何で、こんな治安の悪い繁華街に真姫が足を踏み入れ、尚且つ俺と再会せにゃあならんのだ。
イレギュラーすぎて、そんな状況を予め思案することすらしてなかったぞ、おい。
彼女のような人間がこんな所に足を踏み入れる事なんてないはずだったし、実際この二年、大木健人に稲光陸として接触してきた人間なんて誰一人いなかったのだから当然の油断と言えなくもないだろう。
一体なぜこんなことが起こりやがったんだ?
ってのはまぁ、すぐに分かるが。
星空凛は音乃木坂の一年生だった。
すると、真姫も音乃木坂の一年生で、おそらく凛の友達か何かだろう。
さっきのヤクザ男に襲われた凛が、咄嗟に真姫に助けを求め急いで駆けつけた所、凛は俺の家に居て、俺をヤクザと勘違いした真姫が俺を攻撃したとそういうことで良いだろうか。
幸いなことに、対策を打っていなくても、咄嗟に顔を隠すという対処ができたので、俺の正体は彼女にはばれていない。
本当に良かったぜ。
あともう少しで俺のささやかな野望にケチがつくところだった。
まったく、油断してんじゃねぇよ、俺。
あともう少しで死ねるってのによぉ。
まぁそれでも、輝かしい人生を謳歌しようとする一人の少女が、心に一生物の傷をつけられる事を避けられたのだし、良かったということにしておこう。
そして、何より。
真姫に友達ができていた。
ずっと一人ぼっちだった真姫に、友達ができていた。
危険を犯してでも助けようとする友達が。
「良かったなぁ。真姫ぃ!! 」
気づいたら涙が止まらなくなってしまった。
煙草の煙が目に染みたわけでもないのに、俺の涙腺は決壊し、その奔流は留まることを知らない。
俺は、好きな歌を20曲ほど予約し、噛み締めるように歌い始める。
歌わなきゃやってられねぇ。
そんな気分だった。
ーーーーーー
昼の1時過ぎに目が覚めた。
平日なので大分長居できたな。
俺はとっとと店を出て、自宅への帰路についた。
あの二人は無事に家に帰れただろうか。
ああ、そうだ。そういや、タクシー代を払ったんだったな。
もしかしたら、二人がまた俺の家に、金を返しに来るかもしれない。
真姫なんか特に。
と、なると、あの家も引き払わねぇといけねぇな。
とりあえず、必要な荷物だけ持ってとっとと逃げないと。
で、しばらくは会社にでも住み込もうかね。
そんな事を考えていると、家に着いた。
俺はくわえ煙草の姿勢で家の扉を開ける。
そして、目を見開いた。
くわえてた煙草も下に落とす。
「おいおい、マジっすか・・・」
なんと、そこには黒光りの奴が大量に発生していた。
ああ、ゴキブリじゃねぇよ。
全身を黒スーツに身を包んだヤクザ達が、土足で俺の部屋に上がりこんでいる。
襟元には、堀内組と書かれた銀バッジがもれなくついていやがる。
俺程度の人間なら十分、ビビってしまうぜ、こりゃ。
まして、そいつらの視線が玄関に佇む俺に向けられていれば尚更だ。
しかも、あろうことか、俺には心当たりがある。
一応聞いてみようか。
「もしかして、俺を訪ねてきました? 」
「はい、そうですよ 」
男たちの中心にいた、小柄で小太りの男が柔和な表情でそう言う。
これまた、裏の世界では有名人。
山南組を傘下に携える堀内組の長。
堀内組長と見えることになろうとはな。
やっぱり、そうなると、
「昨晩の件で? 」
「はい、そうですよ 」
「報復ですかね ? 」
「いいえ、違います 」
あ、違うのか。
なんて鵜呑みにはしねぇけど。
「そう警戒なさらないでください。あなたに手荒な真似は一切致しません 。こいつらは私の護衛ですしね。山南をタイマンで倒す人間なんてそうはいないものですから 。 」
牧師のような声音で語りかける小太りの男の目は冷淡な色を浮かべていた。
「東金融の大木健人さん。少しご同行願えますか? 」
「拒否権は? 」
「行使しないことを進めますよ。それがお互いのためだ
」
「では、俺がそれを行使するようなことを行使しないでくださいね 」
実際、それくらいの覚悟は決めねばなるまい。
「もちろんです。お互いにフェアな関係でいましょう。それにしても、あなたのように冷静にbetterな判断を下しながら、同時にあの山南を圧倒するほどの力をあわせ持った人などそうはいない。お若いのに立派なことだ。既に、死線の一つや二つはこえられてそうですね 」
常に微笑を絶やさないたるんだ脂肪製の丸顔が一瞬ニヤリと歪んだ。
まぁ、確かにアンタの言うことは当たっているが。
この場でわざわざ言うことでもない。
「そりゃあそうですよ。なんせ昨日、俺はあなたの弟分にころされかけているんですから 」
今度は俺が唇を歪ませる。
堀内は全く動じることなく、むしろ嬉々とした雰囲気を醸し出し、
「そうですね。まずはその件からお話しないと行けませんね。ここでは、何です。場所を移しませんか? 」
微塵の動揺も見せずにそう言った。
今のところ、何を考えているかはっきり分からないが、
「もし堀内組さんの事務所に行くって言うなら、俺は今から逃げる算段をつけますよ。袋のネズミにみすみす成り下がるくらいならね 」
「誤解なさらないでください、大木さん。私はあなたに危害をくわえないと最初に申し上げたはずですよ 」
「その言葉を使うなら、俺からの条件も一つ飲んでもらいたい 」
「言ってみてください 」
「この街の警察署の横にあるファミレスで話をつけませんか? 」
「いいですよ。いっこうに構いません 」
いっこうに構わない?
奴等最大の武器である暴力の行使を制限されているのに?
まぁ、何にしても、馬鹿な俺がいくら知的ぶって考えた所で時間の無駄と言う他は無い。
それに、いざとなったら昨日みたいにチート使えば良い。
どうせもうすぐ死ぬ身なんだ。
案外、ヤクザに追われながらスリリングに余生を謳歌するのも良いかもな。
あ、なんか変なテンション突入したかもな。
「それなら向かいましょうか」
そう言って俺は歩き出す。
追随するように堀内とヤクザ達が並ぶ。
完全に背を向ける形となっているが、道中、俺は傷一つ負うことは無かった。
道中はな・・・
ーーーー
ファミレスに着いた。一番大きなテーブル席に堀内と俺が向かい合わせで座り、その周りをヤクザ達がぐるりと囲む。
はっきり言ってその光景は営業妨害以外の何者でもなく、店内の客達は食事の進捗状況に関わらずそそくさと退散してしまった。
うん、そりゃあ怖いわな。
店員も一向に注文取りに来ないし。
そんな状況は慣れているのか、いや、ヤクザとしてはこれくらい畏怖されている方が良いのか、特に気分を害した様子もなく堀内は口を開いた。
「さて、それではお話しましょうか。大木さん」
俺はまたもや喫煙席でもないのに一服しながら、首肯して続きを促した。
「まずは昨日の事件について、こちらの持っている情報と真実を照合しましょう。どうやら山南が極道として筋の通らない事をしていたようで」
「そうですね。未成年の少女を痛めつけた挙句レイプしようとするなんて行為に筋なんてないでしょう」
「その通りです。是非被害者女性には謝罪と詫び金をと思っていますが・・・何せ路地裏での出来事だ。おまけに、目撃情報も無い。私も激昂する山南の口伝えで状況を把握した次第でしてね」
神妙なトーンで言葉を紡ぐが相変わらず微笑を崩さない堀内。
「それなら教えませんよ。彼女のためを思うならもう関わらない事だ。ところで、少女の事が分からないのに、どうして俺の事は分かったんですか?」
「スタンガンですよ。現場に落ちていたスタンガンからあなたを特定しました」
「あれは拾い物なんですがね 」
「ええ、その通りです。近くのコンビニの監視カメラにスタンガンを拾うあなたの姿が映っていたものでして」
「成る程ね」
もし俺が東金融の社員では無かったら、今頃俺の命は無かったと見ていいだろう。
となると、話とはそういうことかよ。
「今回の事件は完全に私共の落ち度です。あなたにはその尻拭い、いわばけじめをつけて頂いたと感謝しています」
嘘つけ!
「ですが、山南はあれでもウチの組では重鎮でしてね。そいつが一般人に負けたとあっては面子が立たなくなってしまうのです」
「筋を通せば面子が立たないですか。俺に報復するのが手取り早いのでは? 」
「いくら私共でも、東金融に手を出したくはないのです。しかし、それでは組が成り立たない・・・そうなると東金融と対峙する他無くなってしまう。それは双方にデメリットではありませんか?」
勝手な事を言いやがる。
堀内が微笑を微笑みに変えて言う。
「そこで双方がほぼ無傷で済む策があります。今回は東金融さんに折れて頂こうかと」
俺はタバコを吹かす。
「ケジメをつけるのは俺ではなく、堀内さんじゃあないといけなかった。そういう事ですね?」
「その認識で結構です」
何がその認識で結構ですだ!
普段はそんな事でケジメだなんて言わない人間だろう、テメェは!
俺が東金融の社員だからと報復ではなく、通ってるようで通ってない無茶苦茶な理論で大金を得ようって腹積もりかよ。
だが、そこまで筋だの面子だの言いやがるんなら、話な簡単だ。
「何、天下の東金融さんなら数億円程度痛くも痒くもないでしょう」
馬鹿野郎、その損失は俺の負債になるんだよ。
よし、決めた。
「よく分かりました。俺が山南さんの面子を潰した件についてはそれなりの代償を払いましょう」
その言葉を聞いた瞬間、満面の笑みになる堀内。
俺はテーブルに置いてあるステーキナイフを手に取る。
そして。
何の逡巡も無く、左小指の付け根にナイフを突き立て、勢いよく掻っ切った。
吹き出した血液が天井にぶちまけられ、一滴ずつ俺と堀内に滴り落ちる。
何が起こったのか分からないのだろう。
堀内とヤクザ達は凝固したかのように固まる。
すぐに、堀内が事態を把握しおずおずと口を開く。
そこにさっきまでの微笑は無い。
良いね、その顔が見たかったよ。
「な、何して・・・やが、る」
「あんた達ヤクザの流儀に乗っ取って面子を潰した件についてはけじめをとらせてもらったんだよ。これで文句ねぇよな」
「ふ、ふざけるな!そんな事を勝手にやった所で」
罠に引っかかった猪のような表情で堀内が喚き散らす。
「おい!荒唐無稽なあんたの妄言を考慮し最大限譲歩してやったのにも関わらず、まだ何か文句があるってんなら、もう知らねぇぞ 」
俺は堀内の胸ぐらを掴み、小指の欠損した左手にナイフを装備する。
そいつを奴の喉元に突き立てた。
小指からの出血がナイフを伝って奴の喉元を赤く濡らす。
「ヒッ!!」
真っ赤な喉仏を震わし、悲鳴をあげる堀内を、周りのヤクザ共は硬直しているせいで助けることもできない。
「なんなら今から、堀内組を壊滅させてやろうか?皆殺しだ。皆殺し。お前からだ。どうする?これ以上何も言わねぇなら、これで話を終えるのなら、許してやる」
「は、はい!終わります!だから命だけは・・・」
俺は無言で胸ぐらを離すと、営業スマイルを浮かべて言う。
「もし、融資の相談がありましたら、ぜひとも東金融をご贔屓に!」
静まり返った店を後にしようとした時。
蚊の鳴くような堀内の声が俺の耳に届いた。
「駄目だ、あれは化物だ・・・」