「新人マスターくん、こんな夜中にどうしたんだい? 君はもう就寝してないといけない時間だと思うけど」
それは特異点Fから無事に帰還して数日後のことだった。
人類最後のマスターとなってしまった藤丸立香は、この数日の殆どを身体の回復に努めていた。
レイシフトからの帰還後、意識が朦朧とすることが多かったのだ。
そんな藤丸はカルデア内の時間ではもう日付を越そうとする時間に、ダヴィンチの工房を訪れていた。
工房の主は起きている。当然だ。彼/彼女は人間ではないのだから。
「それが、昼間眠りすぎたのか全然眠れなくてつい起き出してしまって……」
「ああ、そうか。それでカルデア内を彷徨って、明かりの灯る私の工房にやって来たわけなんだね」
「それもあるんだけど、ダヴィンチ……ちゃんに聞きたいことがあって」
「聞きたいこと? 私にかい?」
ダヴィンチは不思議そうに首を傾げた。
カルデアの施設の事ならマシュに聞けばいい。
それなのにわざわざダヴィンチのところまで藤丸はやってきた。
もちろん理由があってのことなのだが。
「Dr.ロマンに聞いたら難しい顔でダヴィンチちゃんに聞いてって言うから」
「へぇ、何を聞いたんだい? そんなにロマニが答えにくいことかな?」
「人理定礎が何なのか、知りたいと思って。答えてもらえますか?」
人理定礎。それは特異点と化した人理の礎。
七つある、今人類史が焼却されて未来がない理由を知りたかった。
藤丸はカルデアの事を知らない。
ただの一般人で魔術なんてものもカルデアに来るまで知らなかった。
だから、知りたいと思う。少しでもマシュの負担を減らす為にも。
「そう来たか。ふむ……なんと説明したらいいか」
ダヴィンチも難しい顔で黙り込んでしまった。
藤丸はそんなに難しい話なのか、と緊張で喉を鳴らす。
「新人マスターくん、喉が渇いてるんじゃないかな? ちょっと待ってね。水ぐらいは出せるから」
「新人マスターくんは止めてください! 俺には……」
「藤丸立香って名前があるんだって? うん、そうだね。君をいつまでも新人扱いするのもよくないからね。これからは藤丸くんと呼ばせてもらうよ」
やっと名前を呼んでもらえたと藤丸がホッと胸を撫で下ろしている間に、ダヴィンチは奥からコップになみなみと注がれた水を持って来た。
「本当はコーヒーにしたかったんだけどゴメンね」
「ああ、いえ。いいんです。俺は質問の答えさえ得られれば」
藤丸は一口水を含んでから、もう一度疑問に思った事を持ち出す。
人理定礎とは何か。何故それが崩されると人類史が焼却されてしまうのか。
藤丸はどうしてもその二つが結びつかなかった。
カルデアだけが助かっている理由も。
ダヴィンチはどこからか眼鏡を取り出して装着する。
「人理定礎。人類史におけるターニングポイント。何故それを崩されると君が今生きている時代まで脅かされるのか。ダヴィンチちゃんが説明するよ。題して、ダヴィンチちゃんの初心者講座!!」
バーンと効果音が鳴る、ような気がした。もちろん錯覚だ。
まるでそんな風に喋られると学校にいるみたいだ。
眼鏡を掛け、教鞭のように杖を振るう。
こんな教師もありかもしれない。
ただ教師として、教えるのが上手いかどうかは別だ。
教わる方が理解できるかは別にして。
「まず、定礎という言葉を知ってるかな? 建物の土台となる基礎を定める事だ。基礎が崩れてしまうと建物はどうなると思う?」
「……崩れる」
「そう、崩れてしまうんだ。建物がこの人類史。その定礎がいずれ君がレイシフトしないといけない七つの特異点、というわけだね」
例えるなら本来藤丸のいるべき世界は屋上といったところだろうか。
建物が崩れたから、屋上から落ちかけているのがカルデアなのだろう。
「まあ、今は崩れかけて宙に浮いてる状態ってところかな? 下まで落ちきるまでに七つの基礎を修復すると、建物は倒れなかったことになり、私たちは建物の上に立っていられるってことだね」
「そうなんだ」
これから藤丸がしなければならないことは、定礎復元。
一度壊された基礎を全て修復しなければならない。
状況を知ると怖くなる。崩れ去ろうとしている建物の基礎から修復していく行為。
これから藤丸が成さなければならない義務が重くのしかかる。
けれど、修復しても宙に浮いた状態が地に足がつくだけ。
根本的な解決には程遠い。
「ロマニが言いたがらなかったのは君にそんな表情をして欲しくなかったからだよ。でも、君は一人じゃない。マシュも私もロマニだっているんだ。君ならきっとできると思うよ」
「……」
一人じゃない。そう、藤丸は一人ではない。
困った時、迷った時、彼らは藤丸をきっと支えてくれる。
ああ、なんだ先の事を悩んでも仕方ないじゃないか。
何だかホッとすると眠くなった気がして、藤丸は大きな欠伸をする。
「さて、疑問の解消はできたかな? いい子はそろそろ眠る時間だよ」
ダヴィンチが柔らかく微笑む。
急速な眠気に一服盛られたのだと藤丸は最後まで気づかなかった。
「では、ダヴィンチちゃんの講座はここまで。次は昼の間に来てほしいな」