がっこうぐらし!―Raging World―   作:Moltetra

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19.奪還・後編

「ここよ」

 

「……そうなんだ、そりゃすごいな」

 

 疲労困憊になっている雅さんは顔を伏せながら適当な相槌を打ち続けていた。無理もないかな、僕も少し疲れている。その原因は1階から3階のここまで、休む間もなく早口で所長の武勇伝だとか惚気話を聞かされたんだから、仕方ない。

 

「宵さん、着きましたよ」

 

「……ああ、そうか。それもすごいな」

 

「………」

 

 これは重症だ。

 

「着いたって!」

 

 玖城さんが雅さんの肩を思いっきり叩くと、まるで寝起きの様にはっと顔を上げる。

 

「ん、なんだ!? ……着いた? ああ、やはり3階か。防衛上最上階の最端がいいと相場は決まっているからな」

 

「そ、そうですね」

 

 一瞬寝ぼけていたかの様な反応をしたけど……もしかして雅さん、歩きながら寝てた? そんな事あり得ないと普通は思うけど、相手が雅さんとなると……若干、あり得るかもしれないと思ってしまう。

 

「うむ、そうだ。となると……重役の私室はここの隣か反対側か」

 

「そうなんですかね……?」

 

「そうだってさ」

 

 どうやら後ろに続いていた女性達の思考を読んだらしく、雅さんは大方の位置を予測してその先を見ている。その間に、玖城さんは心の準備を与える暇もなく音楽室の扉をノックしていた。

 

「玖城です、重要なお話が―――」

 

 言い切る前に扉が開かれる。そこには威厳のある顔をした老人がいて、腰には見覚えのあるリボルバーを差していた。

 

「入れ。武器はこやつらに預けろ、念の為ボディチェックも受けて貰う」

 

「は、はい……」

 

 反論の隙もなく、すぐに奥から黒い腕章をした2人の男が出てきて僕達の前に立つ。雅さんの方を見ると、溜息を吐きながら全身からあらゆる武器を外していた。その量には相手もかなり驚いていて、次から次へと出てくるナイフや銃弾にドン引きしている。

 僕も持っている武器を全て出してボディチェックを受けると、ようやく2人揃って部屋へと入る事が出来た。

 

「貴方方が今回の襲撃者さんですか、まだお若く見えますね……? おいくつですか?」

 

 入るや否や、すぐに声が掛けられる。紳士風の口調、穏やかな声。その在処の方を見ると、この避難所の長だという事がはっきりとわかる……雅さんと似たようなコートに、黒に白いXの印が付いた腕章。惚気話にも出てきたようにいたって普通の……むしろ好青年と思えるような風貌の男が立っていた。

 

「私は此処の所長を務めております『菊月』と申します。貴方方のお名前は?」

 

「私は宵、隣は神崎樹。本日は“お話”をする為に参った所存にございます……」

 

 物怖じする様子もなく、雅さんはさらっと偽名を名乗ってしまう。ここまで真っ向に嘘を吐けば誰だって疑わない。

 

「そうですか―――では宵さん、樹さん。お疲れでしょう、まずは一杯いかがでしょう? と言ってもインスタントですが」

 

 壁際にある棚を指さす先にはよく見るインスタントコーヒーの瓶。しかし、雅さんは静かに首を振って拒否する。何か薬でも入れられたら防げない、そういう考えなのかもしれない。

 

「おや、残念です。では早速“お話”と参りましょう。坂上以外は別室へ、これから大事な話をしますので」

 

「菊月、大事な話というのなら1人抜けているのではないか?」

 

「いえ、どこにも抜けはありませんよ。坂上は寡黙で無駄口は叩きませんから。……あなたがいると少々こじれてしまいますので」

 

「菊月……!」

 

「過ぎた事はもう巻き戻せません、ですから私は未来()の話をしたいのです。振り返る事しかできない方はこの場に相応しくない……そう言ってるんですが」

 

 少しだけ語尾が荒げると、老人は咄嗟に反抗を止めてしまう。悔しそうな顔をしながらも、他の人間を連れて部屋を出て行った。

 

「……さあ、これで人払いは済みました。どうぞお掛け下さい、コーヒーがお気に召さないのであれば缶ジュースでもいかがでしょう?」

 

「申し訳ありませんが遠慮しておきます」

 

「ははは、警戒心の高い方だ。それもそうですね、きっとペットボトルなら飲んでくださったでしょう。コーヒーも缶も、毒を仕込むのは容易い事ですから」

 

 親し気な空気を醸し出したまま席に着くと、僕達も続いて用意された席に座る。そして菊月さんがしばらく目を閉じた後……この場の雰囲気が一変する。雅さんが出す殺気にも似た何かを纏った菊月さんは、さっきよりも細目で改めて僕達を観察した。

 会議に使うような簡素な長机に阻まれてはいるものの、距離はそう遠くない。その所為か、目の前でじっと僕達を見据える2人からはいかにもな威厳が溢れ出ていた。

 

「宵、と言ったか」

 

 菊月さんが『宵』と名乗った雅さんを遠い目で見つめて、しかしつまらなさそうに呟く。

 

「……そうだが」

 

 先程まではこの2人以外にも近衛の階級を持つ3人と玖城さん、そしてしわくちゃの顔をした老人がいた。そこでは雅さんも敬語を使い礼儀正しくしていたのに、いざこうなると旧友を前にしたかのように敬意は消え失せている。 それと同時に、菊月と名乗った男も先程までの真面目な態度はどこかへと行ってしまっていた。

 

「よくもまあ、俺の庭を荒らしてくれた。折角居心地よく造り替えたと言うのに……」

 

「やっぱりそっちが本性か? 玖城と言ったか……あいつに案内される道中はさぞ寛大で英雄の様な人間だと思っていたが。俺には皮を被らないんだな」

 

「お前相手に猫被ってどうなる。というよりなぁ……お前みたいな目をした奴はどんなに偽ろうと見透かされるんだよ、だから無意味な事はしない……無駄な努力だ」

 

「ははっ、いいじゃないか。俺も無駄と無意味、特に無価値が大嫌いなんだ」

 

「お、気が合うなぁ? 俺もだよ……」

 

 2人して静かに笑いあう。それも数秒と立たない内にぴたりと止むと、お互いに敵を見る目に変わった。

 

「単刀直入に済ませる。神崎美波をこちらに引き渡せ」

 

「断る。ここまで人員が減った以上俺の目的にはかなり遠のいてしまった……どちらにせよ、1人でも多くの女がいなければ達成できない」

 

「目的ってのはなんだ。場合に寄っちゃ速攻お前の眼球抉り出して感染者の餌にしてやるからな」

 

「はっ! 言うねぇ……なら片目をくれてやるつもりで話そうか」

 

 菊月は校長室から持ってきたような豪華な椅子に最大限背中を預けて目を細めた。

 

「俺が思うに、これから先状況は日に日に悪化していく。数少ない生存者は嫌でも他の生存者を集め、集団生活を営むしかなくなるだろう。数人のグループ単位ではない、数十人、やがて数百人にも膨れ上がる“コロニー”になる。ここまでは想像できるか?」

 

「ああ、容易い。民家や店を漁って得られる食料もいずれ無くなる。自給自足を確立できなければ生き残れない」

 

「そうだ。農業をするにも漁をするにも人材がいる。そうして必要な才能、技術を持った人間を集めていった結果集落のような形になる。だがな、生きていられればいいと言う訳ではない。俺達は“子”を残すべきだ、現代じゃ全く重要視されなくなったが、生物の根底には『種の繁栄』という本能がある。そうでなくとも、それだけ人間が集まれば自然とそうなるだろうよ……後世に有能な人材を残す為にも、“交配”させる必要がある。それが俺が革命を起こし今までの体制にした理由だ」

 

「ああわかった。要するに、お前の妹は交配させる為に使うから返せませんって事だな?」

 

「まあ早い話そうだな、そういう事だからお引き取り願おうか?」

 

「寝言は寝て言えよ下種が……その考えは間違っているとは言わない、だが相手が悪い。よりによって神崎樹の、しかもこの俺が同伴している時だ。返さないと言うのなら実力行使で行かせて貰う。こちとらとっくにキレてんだ」

 

 殺気を放ちながら立ち上がる雅さんに対し、菊月は余裕の笑みで「まあまあ落ち着けよ」なんてあしらっている。言ってる事は胸糞悪いけど、度胸はある人だ。片腕で完全武装していた相手に全く動じないかと思えば、激昂直前の相手を前にしても笑っていられるなんて……

 

「ああ、そうだ。そういえば丁度こっちは男が不足しててな……君達2人なら、喜んで迎えようじゃないか。あ、もしかしてもう意中の女がいるか? いいぞいいぞ、うちは一夫多妻オーケーだ、今日からそうしよう」

 

「あぁ……とりあえず黙ってくれないか。眼球どころか脳髄まで引き摺りだしたくなってきた……」

 

「ちょいと野蛮というか血の気が多いのが玉に瑕だが、その身体能力の高さは評価できる。いつか他のコロニーと戦争になった時優秀な兵を造れるな。ん、当然だが相応のポストを用意するぞ、『幹部』専用の階級を新しく作ろう。坂上、デザインを考えてくれないか」

 

「菊月、煽るのもいい加減にしないか。本当に引き摺りだされるぞ……それとあいつ、結構狂ってる」

 

 ようやく口を開いた坂上は菊月の度の過ぎた行いに釘を刺す。だけど忠告を受けたにも関わらずまだへらへらと笑っていて……雅さんを狂ってると言うのなら、あの人も相当狂ってるんじゃないだろうか?

 

「もう一度だけ言う、神崎美波を返せ。拒否すると言うのなら―――」

 

「拒否したら、なんだって言うんだ。どっちみちお前はもう帰れない……此処に入ってきたと言う事は、そういう事だ」

 

 菊月も同じく立ち上がり、右手を上げる―――その手には以前ハマっていたゲームに出てきたテーザーガンが……え、テーザー!?

 

「イツキ! 離れろ!!」

 

 すぐさま半歩後退しちゃぶ台返しのように机を持ち上げる気だったんだと思う。その暇すら与えられず、菊月の持つテーザーガンから照準用のレーザーが照射された。

 ―――狙いは脚。冬場で厚着した時には効果がない事もあるのを見越してか、比較的生地の薄いズボンを狙ったんだ。それもレッグポーチを着けてない右脚……左手しかない雅さんじゃ防げない死角だ。

 机が完全に持ち上がる前に、バシュンと火薬の弾ける音がして雅さんの脚に電極が突き刺さる。その瞬間、バチバチと電流の流れる音が室内に響いた。

 

「雅さんっ!!」

 

 激痛に悶えて床に倒れてしまう雅さんに、菊月は電流を流し続ける。一体どれだけの時間流せるんだろう? 構造上内蔵されたバッテリー分しか電流は流せない。それでも、かなりの時間バチバチと電気の通う音が聞こえて、電極からは青白い火花が見えている。

 

「樹君、降参した方がいいと思うんだけど―――どうかな? そうじゃないと君を守る騎士さんが死んじゃうよ?」

 

「テーザーで人は―――」

 

「さあ、どうだか……電流を流し続ければ、あるいは首に電極を刺せばどうだろう? そうでなくとも俺が直接首を折ってもいい。判断は君に任せる」

 

 バッテリーが切れたらしく、テーザーガンは大人しくなる。すると菊月がポケットから予備のソケットを取り出し、使い切った物と交換して装填が完了してしまった。

 

「イツキ……! 馬鹿な真似は止せっ……今すぐ隣の部屋まで銃を―――がっ!?」

 

「変な入れ知恵をしないでくれ」

 

 もう一度ほぼ同じ場所に受けた雅さんは再び電流を流され、悶絶する。

 

「降参するか? 少なくとも命は保証しよう、この男も一緒にな」

 

「……は、い。降参、します」

 

「イツキぃ……!!」

 

「もう見たくないんです!! 雅さんが苦しむ姿なんて……それも僕の所為で! それなら僕は……大人しく降伏した方が皆の為なんです……」

 

 やっぱり、間違いだったんだ。僕が相談した事も、美波をこいつらに引き渡したのも、変に力を持ってしまったのも……何もかも、間違いだった。

 

「正直だな、見込みありだ。この男はともかく君のポストは保証しよう……喜べ、必ず幹部にしてやる」

 

「条件があります……雅さんは自由に―――」

 

「それは無理だ。こいつは底が知れない。本性がどういったものなのか、不明点が多すぎる。となれば、中で放し飼いにするのは当然として外に返す訳にもいかない」

 

 僕は間違えた、失敗したんだ。僕が頼った所為で、雅さんを不幸にしてしまった。雅さんが戻らなければ美紀さん達が……胡桃さんが、悠里さんが……皆悲しむのに。

 

「……駄目です。雅さんが自由にならないのなら、僕は舌を噛み切ってでも死にます」

 

「そうか、なら自由にしてくれ。そうなった場合この男も価値がなくなるからな」

 

 もうどうする事もできないじゃないか。僕は………なんで今こうしているんだろう。なんでこんな場所に、雅さんを連れて……こんな場所に来てしまったんだ。

 目の前が真っ暗になってしまう。見る見るうちに視界の隅から影が迫って来て、身体から力が勝手に抜けていく。

 

「僕は……」

 

 もうどうする事も出来ない。僕の力じゃ……もう何もできないんだ。なら雅さんは? あの人がいればなんとかなる、あの人さえ存在していればなんとかなってしまう。そういう風に思っていた。

 でも実際は……雅さんもやっぱり人間で。とてつもなく強い人だと最初は思っていたけど、あの人達が教えてくれたのに……

 一番弱いのは雅さんで、同時に一番強いのも雅さんで。その弱さを補う為に誰かが見ていなきゃいけないんだって、教えてくれた。なのに僕は見てあげられただろうか? 違う、僕がしてきたのは―――

 

 ただ、縋っていただけだったんだ。

 

 

 

 雅達が出て行って3時間。今だに戻ってこない2人に、悠里達は交代で仮眠を取りながら待っていた。

 

「……遅いな」

 

「ええ……」

 

 必ず戻ってくる。それだけ告げて出て行ってしまった雅をもっと強く引き留めていれば―――後悔だけが募るが、仮に引き留めたとしたらイツキの妹は戻ってこない。どちらとも捨てられない選択肢に彼女達は迷っていた。その結果、雅の強引な意見に振り切られてしまったのだ。

 最初2時間ずつ眠るという決まりをしたものの、悠里と胡桃は既に1時間経っても残る2人を起こさない。この状況下で眠っていられる訳もなく、それなら2人をこのまま寝かせてあげようと言う善意と言う事にしておきながらひたすら祈る。

 どうか、無事に帰って来て欲しい。今すぐにでも扉が開いて、待たせたなとイツキの妹を背負った雅が笑顔を見せてくれればいいのに、と。

 

「やっぱり、あたしも行ってくる」

 

「……駄目よ」

 

 悠里は一瞬だけ迷った。胡桃が行けばどうにかなるかもしれない。でもそうして胡桃すら戻ってこなかったら……これ以上誰かが欠ければ、学園生活部は終わってしまう。もし2人がこのまま帰ってこなかったとしても、また前と同じのまま。最悪その状態を維持しなければならない。

 

「でも帰りが遅過ぎるよ……もしかしたら、捕まってるかもしれない」

 

「あの2人が太刀打ちできない相手に胡桃が敵うの? よく考えて、雅さんの事だからじっと機会を伺ってるのかもしれないわ」

 

「あの時の雅がそんな悠長な事はしないと思う。りーさんこそよく考えろって……雅とイツキが、よりによってあの2人が、苦戦したとしてもここまで粘るのか? 太刀打ちできないとわかったらすぐ戻って―――」

 

「それこそあの雅さんなら戻ってなんかこないわ。例え可能性が低くても、あの人は絶対にやり遂げようとするもの……今までもそうだったでしょ?」

 

 悠里と胡桃の問答はこうしてずっと平行線のままだった。助けに行こうにも、自分達には限られた武器しかない。その武器を使う強さも大の大人には到底抗えもしない。

 もしも雅とイツキが死んでいたら。そう考えるだけで、言い様のない恐怖に打ち負かされそうになる。

 

「―――あたし、行く」

 

「駄目よ胡桃……! 私達には何もできない! 何ができるっていうのよ……」

 

「何もできなくともここで待ってるだけなんていやだ。ムリだって思ったらすぐに逃げるから」

 

「駄目……あなたまでいなくなったら、私どうすればいいの……?」

 

「じゃああの2人がいなくなってもどうにかなるのかよ。あたし達と2人あってこそのうちらだろ? りーさんだって……雅がいなくなれば……」

 

「やめてっ!!」

 

 悠里の大声に、眠っていた2人が飛び起きる。慌てて悠里達の方へと駆け付けると、そこには両手で顔を覆った悠里と、バツが悪そうにそっぽを向く胡桃がいた。

 

「どうしたの?」

 

「ううん、なんでもないわ。起こしちゃってごめんなさいね」

 

「大丈夫だよ、私もあんまり眠れなかったし……」

 

 由紀が悠里に寄り添う形で隣に座る。美紀もそれを倣い胡桃の隣に座るが、胡桃はその瞬間近くに立て掛けてあったシャベルを手に扉に手を掛ける。

 

「……ごめん、りーさん。あたしも行くよ。放っておけないからさ」

 

「胡桃……」

 

 最早止める気力もない悠里は、一抹の望みに賭けて胡桃を見上げる。だが、それが叶う事はなかった。

 

 

 

「さて、いくつか質問させて貰ってもいいだろうか? いや、質問する。お前達に仲間は? 所有する物資、人数、性別年齢役割……そして関係を教えてほしい」

 

 菊月は僕達を椅子に縛り付け、雅さんが使っていた古めかしい拳銃を手に尋問する。だけど雅さんはその質問に対して口を開かず、かと言って目にも顔にも感情を一切出していなかった。

 先程と同じ音楽室で、菊月と坂上、そして席を外された老人のみがいる。その誰もがどこかに武器を持ち、そのいくつかは僕達が持っていた武器だった。

 

「……まあ最初だからな。だがいつまでもそうしていられると思うな? 全て答えない限りこれは終わらない。それまで君達は、特に君は嫌な思いをする事になる」

 

 雅さんに近付くと、銃口で頬や首筋を撫でていく。それすらも気にしていない様子を保つ雅さんの心は……僕には見えないだけで今、すごく怖がっているんだろうか?

 

「脚を撃ち抜くか? それとも残りの腕を切り刻んでみようか? 爪を剥がすのもいいかもしれない。もっとも、うちにはそんな設備も器具もない、全て人力だ。失敗してしまう可能性もある」

 

「……だからなんだって言うんだ。脚を撃ち抜けば失血死、腕を切り刻んだとしても俺にとって大したものではない。爪なんか、腕1本分減ってるんだ」

 

「そうかそうか、ならもっと古典的にやろう」

 

 菊月が持っていた銃を懐にしまうと、空いた手で拳を作り雅さんの頬を殴りつける。椅子ごと倒れそうになった所を髪を掴んで引き戻すと、満面の笑みで雅さんの顔を見た。

 

「どうだい? これでも昔空手をやっててね」

 

「はっ、鈍ってるな。一度黒帯の突きを受けてみると良い……死ぬほど痛い。それに比べればこの程度、100発でも受けてやる」

 

 何故わざわざ挑発するような事を言うのか、僕には理解できなかった。菊月は無抵抗の雅さんの顔や体を次々と殴る。それでも、雅さんはその度に笑っている。

 

「くそっ! なんでっ! 笑うんだっ!! 何がおかしい!? そんなに俺を嘲笑って……何が楽しいんだ!!」

 

 語気を荒げながら、菊月は力の限り殴る。なのに無表情どころか嘲笑の表情を見せる雅さんに腹を立て、全力で殴り続けている所為か息も切れ始めている。

 

「……まるで子供だ、本来の目的も忘れたか。お前拷問の腕は全くないな。出来る事なら代わってやりたいよ」

 

「痛い思いをするのは嫌だろう!? 何故笑う!? 何故笑っていられるんだ!?」

 

「慣れてるんでな。で、お前は何が聞きたかったんだっけ? 殴られたから忘れちまったよ」

 

「菊月、少し落ち着け。俺が代わろう」

 

 坂上が菊月の肩に手を置き、後ろに下がらせる。初めて至近距離で見た坂上の顔は、右の頬に火傷の痕があった。

 

「宵。まず初めに君達はいつも何人で行動している」

 

「……相手が変わったら喋るとでも?」

 

「普通は喋らないな。だが、君は自分自身が痛めつけられる事に関しては採算に含んでいない。―――なら、これはどうだ」

 

 無表情のまま懐から飛び出しナイフを取り出すと、僕の方に向けて一瞬で刃を展開させる。その刃先は今までに何度も使われてきたのか、所々欠けており先端に行くほど淡い朱に染まっている。

 

「君達の仲間は何人いる。性別、年齢、それぞれの役割。嘘を言ったとしても俺には確かめる手段はない、が……もし嘘だと分かった瞬間、君の一番大切な物を壊そう」

 

「俺の一番大切な物? 全く心当たりがないな」

 

「いいのか? なら今すぐにでも君の雇い主を殺すが」

 

 刃を僕の首に近付けた時。雅さんは微かに表情を強張らせる。普通じゃ見抜けない微細な変化すらも坂上は見抜いたのか、一旦僕の首元から刃を外してくるくるとナイフを回し始める。

 

「……俺達は、俺の他に5人いる」

 

「5人、中々の大所帯だ。それぞれ性別は」

 

「俺とイツキ以外は全員女だ」

 

「……ほう、年齢と役割を教えて貰おう」

 

 素直に話し始めた雅さんに対し、菊月は悔しそうに顔を背ける。僕が人質に取られてるこの状況で仕方ないとは言え……というより、そもそもこうなったのも僕が原因だ。

 雅さんがこうして情報を吐いてしまうのも、無力な僕が悪い。ならいっそ死んでしまえば―――そう思っても、それを実行できる度量は僕にはなかった。

 

「まだ未成年だ……高校を卒業したばかりで……俺とイツキと1人は戦闘を担当している。残りはごく一般的な家事雑用しかさせていない」

 

「なるほど、では“関係”についてはどうだ」

 

「……関係?」

 

「お前達の他に4人の女がいる。誰か特定の女と交際しているか、それとも半分ずつ分け合っているのか」

 

「断じてそんな不埒な関係にはなっていない……! 俺はただあいつらを護れればそれでいい、それだけの為にこうして生きてるんだ」

 

 固い意思を持って言い放った一言は、奥に居る老人を感心させる。雅さんの決意は前々から少しずつ見え始めてはいたけど、こうして直に聞くと本気なんだとわかってしまう。

 でも僕にはその意図がわからない。誰かを守りたいと考える事はわかる。でも何で守りたいのか? そこまでして、頑なとも言える程に突き詰めていく彼は、僕から見れば異常でしかない。

 誰かを守るという意思と、有言実行の姿勢はとても尊敬できる。でも一体何の為に……? せめて好きな人がいるとかであれば納得できるのに、彼は何も求めなようとしない。

 

「報酬は貰っているのか」

 

「報酬? そんなものは必要ない。俺はただ、誰かを護れればそれで十分だ」

 

「……変わっているな、君は。なら今回も“守る”為に大勢殺してきた、という事か」

 

「そうだ。イツキの妹が捕らわれている以上見過ごす事は出来ない。俺には関係ないと目を背ければ……いや、『妹』という存在だけで理由には十分だ」

 

 大方聞き終わったんだろう。坂上は菊月の方へと振り返り、これからの判断を仰ぐ。

 

「牢に入れておけ」

 

「……わかった。それと菊月、俺は個人的にこいつらに聞いておきたい事がある。追加で尋問してもいいか」

 

「勝手にしろ。だがくれぐれも油断するなよ、特にそっちのヤバい方は何をしてくるかわからない。下手をすれば……喉を食い千切られるぞ」

 

「わかった」

 

 坂上は持っていたナイフで椅子の脚と僕の足を繋ぎとめていた結束バンドを切り、自由にさせる。次に手も解放してくれるが、構えた刃先は今にも僕の喉を切り裂ける体勢だ。まだ拘束されたままの雅さんと目を合わせても、攻撃しろなんて目もしていなければ合図も出さない。ここは大人しくしておいた方が良いって事なんだ。

 

「一時的に自由にはさせるが……抵抗してくれるな。君の友人が死ぬ事になる」

 

「………いいだろう。今の所は従っておこう」

 

 2人は意味深に目を合わせた後、坂上が雅さんの拘束を解く。やっと自由になった雅さんは縛られていた左腕を軽く解しながら、僕の隣までやってくる。

 

「一応これを渡しておく。少しでも怪しい動きを見せたら撃ち殺せ」

 

「……わかった」

 

 坂上は菊月から自動拳銃を手渡されると、それを僕達に向けて移動を促す。それに従いながら、僕達は部屋を出た。

 

「んで、なんだよ追加の尋問ってのは」

 

「それは部屋に着いてから話す」

 

「……あっそう」

 

 雅さん、かなり機嫌が悪いな……無理もないけど、ここまで露骨に感情を出す姿は初めて見る。時折溜息を吐きながらも雅さんは坂上の言う通りに進み、牢に着くまで一切反撃の素振りは見せなかった。

 

 

 

「……すまなかった」

 

 薄暗い牢に着くや否や、坂上が頭を下げる。その姿に僕は驚き、雅さんはなんのこっちゃと首を傾げた。

 

「神崎美波。彼女を護れなかったのは俺の不手際だ。革命直後とは言え……むしろ直後だった所為で余裕が無く目が届かなかった。許してくれ」

 

「どういう、事ですか?」

 

「君の妹がここに来た数日後、菊月は此処の支配者を殺した。男尊女卑の体制に納得がいかないという名目もあったが、実際には先程聞いた通りあいつの野望の為だ。そこから菊月や革命後の体制に賛同する人間を選り分けたが、完全には選別できなかった」

 

「じゃあ、やっぱり……僕達が殺してきたのは―――」

 

「少なくとも悪人ではなかった。だが君達が全て悪いとは言わない、元を辿れば……俺がもっと上手くやれていればあいつらも死なずに済んだかもしれない……だとしても」

 

 一旦言葉を区切り、坂上は僕達を見据えた。

 

「俺は君達を許さない。特に仲間達を無残に殺し、平気な顔をしている―――お前は」

 

「……知らんな、他人の事情なんて」

 

「雅さん、それは……」

 

「顔も知らない奴らが死んだ。俺には全く関係がない」

 

「そうだろうな。仮に俺がお前の立場だとしたら……同じ事を考える。思ったより似ているようだ」

 

 2人は無表情のまま視線を合わせる。どちらもどこを見ているかわからない、感情も理性も感じさせない雰囲気を持っていて……確かに2人は似ている。声こそ違えど、言う事も瓜二つだ。

 

「俺としては即刻お前の眉間に風穴を空けたい所だが、そうしてはお友達が悲しむからな。今回は見逃す。……神崎美波は2階の理科準備室だ。お前達の荷物も校舎の裏に置いておく、確保したらすぐに逃げろ」

 

「……意外な展開だな」

 

「元は俺が招いた事だ。あの子は菊月のお気に入りだからな……今は俺が匿えているが、いずれ限界が来る。その前に逃がせるチャンスが来たのなら、これを逃すには惜しい」

 

「そうか」

 

 坂上はナイフを抜くと、部屋の最奥……小さな採光窓がある壁際まで行き床に傷をつける。

 

「月明かりが此処に達した頃には2時だ。襲撃もあったから恐らく数名以外は眠るだろう」

 

「……その時に出ればいいんだな」

 

「そうだ。その前に鍵を開けておく、それまでにしばらく眠ると良い―――ああ、そうだ」

 

 無音で出口まで歩いて行った坂上がふと振り返る。その目は、何か奇妙な感情を含んでいるようにも……先程と変わらず虚構にも見える。

 

「……“眼”には気を付けろよ」

 

「眼……お前、どういう」

 

「……忘れてくれ、少し怖がらせたかっただけだ。―――飲まれるなよ」

 

 意味深な言葉を発してすぐに、坂上は出て行ってしまった。その間に、雅さんは小さく「クソが」と呟いて悪態をつく。

 眼とは、どういう意味なんだろう? ただ単に眼球と言う意味だとしても、「飲まれる」という単語の関連性が見つからない。でも雅さんは人の眼を見て思考を読む特技があるし……何かしら、僕には到底理解できない意味があるんだろう。

 

「しばらく様子見だな。……あいつら、帰りが遅いからって突っ込んで来たりしないだろうか」

 

「く、胡桃さんならあり得るかも……」

 

「折角落ち着いたんだし掻き乱さないで欲しいものだが……そうはいかないか?」

 

「ど、どうでしょう?」

 

 1分にも満たない雑談が終わり、雅さんは壁に寄り掛かって眼を閉じた。何かを考えているのかと思えば、しばらくするとこっくりこっくりと舟を漕ぎ始める。

 

「……イツキも寝ておけ」

 

「あ、はい……雅さんはまさか立ったまま……?」

 

「いや、俺は眠らない。少しくらい居眠りはするかもしれないが、完全に眠ってしまえば……恐らく俺は―――まあいい、まだ大丈夫だ。寝てろ。上着貸してやるから」

 

「え、でも……僕だけ寝ちゃうのもちょっと……」

 

「1人だけでも万全に近い状態にしておく必要がある。俺は眠れない、だとしたらお前だ。ちなみに俺は寒くないから安心しろ、この環境にも慣れてきたのかわからんが……あまり寒くないんだ」

 

「わ、わかりました……では有り難く使わせて頂きます」

 

 一先ずお礼を言って、投げられた上着に包まって壁にもたれる。羽織った瞬間冷たい感触がしてぞわっとしたけど、それだけ雅さんの体も冷えているのかもしれない。

 ……でも本当に寒くなさそうだし、大丈夫なのかな? 雅さんの事だから痩せ我慢とかはしないだろうけど……もし風邪をひかせてしまったら、僕が精一杯看病しよう。

 そんな事を考えているあいだにも、いつの間にか睡魔はそこまできていた。身を任せようと思う前に容易く飲み込まれ、いつの間にか……深い眠りへと落ちていく。

 

 

 その頃胡桃は―――地獄を見ていた。




若干イツキの話をぶち込んだのは失敗だったかな? と思いつつもなんとか漕ぎ付けました。ぶっちゃけ坂上と雅の絡みが発生してしまう事を失念していましたね……
番外編を書こうにも本編の事が気掛かりで身が入らず、先にこちらを進めておこうと言う思惑です。

クリスマスにはそれ用の話書こうかな、と自分の首を絞め掛けましたが、余裕があれば考えていきます。

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