がっこうぐらし!―Raging World―   作:Moltetra

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かなり間が空いたにも関わらず見てくれる人もいるんだな、と思い半ば感動している自分が居ます。本当にありがとうございます。


22.少女

 「ん―――んん?」

 

 穏やかな陽気の中、俺は柔らかな感触の上で目を覚ます。こうしてゆったりとした目覚めはいつぶりだろうか、誰かに邪魔をされる事もなく、自然に目を覚ます瞬間はこの上なく幸福だと感じられる瞬間だと俺は思う。

 体を起こして辺りを見回す。俺はふかふかの布団で寝ていて、四畳半の室内ではガスストーブが時折じりじりと音を立てていた。

 

「……死んだか?」

 

 そう思ってしまう程部屋は綺麗で、思わず声に出してしまう。だが違う、いつも通りの感覚だ。頭の上に輪っかがある訳でもなく、膝から先が半透明なんて事もない。つまり、俺は生きている。

 頭の上に疑問符を浮かべていると、唐突に部屋の扉が開かれた。缶詰とペットボトルを持った悠里だ。

 

「やっと起きた! 痛い所はない? 気持ち悪いとか変な感じがするとか―――」

 

 持っていた缶詰とペットボトルをすぐ脇に置いて、俺の手を取る。その慌て様に俺まで焦ってしまうが、ここは1つはっきりとさせておかなくてはならない。あの時の事を。

 

「大丈夫だ。……それより、ここは?」

 

「ちょっと山に近い所の公民館よ、坂上さんが案内してくれたの。ここなら安心して眠れるだろうって。そんな事よりまずはこれを飲んで?」

 

 ぐいっと押し付けられた水を口に含むと、わずかに血の味がした。口の中を切ったのか……倒れ方がまずかったかな。

 

「すごい熱出してたのよ? 今は引いたみたいだけど、しばらくは安静にしててね」

 

「できればな。で、皆は?」

 

「周辺の探索に出てるわ。大丈夫、ちゃんと安全は確保してあるから」

 

「ならいいが―――」

 

 思ったより喉が渇いていると知った俺は、渡された水を喉を鳴らして飲み干していく。半分程まで減った所で、扉の向こうからがたがたと煩い物音が聞こえてきた。感染者か? 身構えた直後、扉が大きな音を立てて開かれる。

 

「りーさん!」

 

 物音の原因は胡桃だった。息を切らし、血の付いたスコップを片手に俺と悠里を交互に見た胡桃は「すぐに来てくれ!」と叫ぶ。その並々ならぬ様子に、俺も悠里も慌てて胡桃の先導で外へと出た。

 

「さむっ」

 

 当然だ。外は以前より一層冷え込み、空からは真っ白な結晶がちらちらと舞い降りてきている。初雪……車のタイヤはスタッドレスだったかな。

 子供達の遊び場でもあったんだろう。小さな公園も兼ねているらしく、鉄棒に滑り台、ジャングルジムなんかが敷地内に点在している。そして正門らしき場所から、3人の人影が歩いてくるのが見えた。

 

「……! りーさん! 雅さん!」

 

 美紀が駆け寄ってくる。

 

「住宅地を歩いてたらあの子を見つけて……すごく寒そうにしてるんです! しばらくここで―――」

 

「ああ、勿論だ。中に入れろ、イツキ達はどうした」

 

「神崎兄妹と坂上は別方向に行ってる、もうそろそろ戻って来るとは思うけど」

 

 胡桃が現状を報告してくれる。それならまずはあの子の……というより、美紀や由紀よりも小さな……

 

「小学生くらいか……? 1人で歩いてたのか」

 

「はい、他に誰もいませんでした。あの子に聞いても1人だと言ってたのでとりあえず保護したんです」

 

「わかった。悠里、毛布と何か食べ物を用意しろ。胡桃、疲れてるか?」

 

「いや、まだまだいける」

 

「よし」

 

 建物に引き返そうとした時、いつぞやの如く腕を引っ張られる。

 

「雅さん! しばらくは安静にしてって言ったじゃない!」

 

「できれば、とも言ったぞ。とりあえず耳貸せ」

 

 逆に引っ張り返して耳打ちする状態に入る。

 

「いいか、あの時から子供1人でここまで生き残れるとは思えない。必ず誰かが保護してたはずだ、出来るのなら早い内に見つけてまた返してやりたい。……わかるだろ、それにはスピードが肝心だ。今なら発見地点から絞り込める」

 

「で、でも……雅さんは熱を出してたのよ!? まるで胡桃の……あの時みたいに……」

 

「今は大丈夫だ。……クソッ、悪い、また突っ走るハメになるが許せよ。流石に子供じゃ状況が違い過ぎる」

 

「2人とも今は喧嘩してる場合じゃ―――」

 

 耳打ちのつもりが、いつの間にかかなりの声で言い合っていた。それを聞いていたのか、美紀が止めに入ってくる。

 

「いないの……」

 

 か細い声だった。一言でその場が静まり返り、発言者である少女に視線が集まる。

 

「お母さんはもういないの。食べる物がなくなって、探しに来たらお姉ちゃん達に会ったの」

 

 事情を説明する少女の瞳は、曇りのない綺麗なものだった。ただ……生気が抜け、まるで人形の様な印象を受ける。よく見れば瞳の色は蒼く、肌の色も白い事から純粋な日本人ではない事もわかった。

 そしてどこか危うげな……触れてはいけない何かが俺の中にある事も。

 

「ねえ、お名前は?」

 

 由紀が少女に名前を聞く。

 

「玖城、結楽」

 

 その名前に、俺はずきりと痛んだ頭を押さえる。

 

「……雅さん?」

 

 心配そうに悠里が袖を引っ張る。それを制して、なんとか言葉を頭の中で考えて皆に伝えた。

 

「全員中に戻れ。悠里、毛布と食べ物をやってくれ。由紀と美紀はその子のフォローだ、後の事はイツキ達が戻ってから話す」

 

 号令と共に、一同は建物の中へと歩き始めた。すれ違う時、不思議そうに俺を見上げていた少女と目が合って―――

 

「……あぁ、そうか」

 

 俺は、一番奥に秘めていた記憶を取り戻す。自然と涙が溢れ、視界は霞み、手は震えてくる。――出会わなければよかった。心からそう思った。そうじゃなければ、俺は……ようやく克服できたと思っていたのに……またこれだ。

 

「雅? どうしたんだ?」

 

 俺が動かない事を不審に思ったのか、胡桃が回り込んでくる。情けない顔を見られた、そんな気すら起きない。

 

「どうしたんだよ……!? なんで泣いてるんだ!?」

 

「思い出したんだよ」

 

「何を――」

 

「俺には妹がいた。そう、“いた”んだ」

 

 それはもう何年も前の話だ。なのに俺は……まあ理由は分かる。耐えきれなかったんだろう。なんせ、目の前で死んだんだからな。4年前のクリスマスイヴ、あの交差点で。

 ―――膝から崩れ落ちる。踏ん張るとか、手を噛み千切ってでも耐えるとか、そんな手段すら取る暇もなく。雪が舞い降る灰色の空を見て、あの時の光景が鮮明に思い出される。

 

 

 

―――妹は活発で、素直な子だった。兄としても誇らしく、兄妹仲も上々。むしろ仲が良すぎると両親に釘を刺される事もあった。

 

「今日はクリスマスだね」

 

 リビングのソファで、もこもこの部屋着姿の奏楽は嬉しそうに俺の右腕にしがみついてくる。

 

「イヴ、ね。クリスマスは明日だよ」

 

「プレゼントとか、ないんですかね?」

 

「何が欲しいの? できれば諭吉以内でお願いしたいんだけど」

 

 うーんと考え込む奏楽はいつも通り愛らしくて。仮に予算以上のものが欲しいと言われても買ってあげるつもりでいた。

 

「そうだ! お揃いのブレスレットとかどうかな!」

 

「そんなのでいいの?」

 

「いいのいいの、お揃いである事に意味があるんだよ」

 

「そう、じゃあ買いに行くか!」

 

 思い立ったが吉日。俺達はすぐさま出掛ける準備をして街へ繰り出した。寒風は肩を寄せ合って耐え、電車とバスを乗り継いでもう少しで目的地のモールに着く、その交差点。

 片側3車線のそこそこ大きなその交差点で信号待ちをしている間、奏楽は今か今かと信号が青に変わるのを待っている。そして、青になった瞬間―――

 

「いこっ、お兄ちゃん!」

 

「ああ……待てっ! 奏楽!」

 

 一瞬の出来事だった。待ち切れず駆けだしてしまった奏楽と、信号の変わり目でギリギリ交差点に進入してきたトラックの衝突。ブレーキは間に合わず、ほぼそのままの速度でぶつかった。

 握っていた手を引っ張るのも間に合わず、衝撃で吹き飛んで行った奏楽を見て……俺は数秒の間呆然と立ち尽くしていた。

 

「―――奏楽ぁ!」

 

 正気に戻ってすぐさま駆け寄る。酷い有様だった。これが妹なのかと認識できない程にぐちゃぐちゃになった身体、時折軽く痙攣する指。数秒で辺り一面にまで広がった血だまりの中で、俺はただ妹の手を取って確信する。……即死だ。そうでなきゃ、今でも壮絶な痛みに苦しんでいるに違いない。

 

「奏楽……?」

 

 呼びかけに答える事はない。それを良かったと思えてしまう自分を恨んだ。良くなんかない、でも苦しむよりかは……そう思って。

 

 ―――葬儀には沢山の人が来た。奏楽の友人、学校の担任、部活の顧問まで。ありとあらゆる人達が奏楽の死を悲しんだ。それは俺も一緒で、でも悲し過ぎたのか、涙が出てこなかった。

 ……それを見て、誰かが言った。奏楽は殺されたんじゃないかと。両親はそれを真に受けて、お前が殺したんだと俺を恨んだ。そして俺自身も、あの時しっかりと手を握って、引っ張ってやれば死ななかったと後悔した。

 それからだ、俺の記憶が消え始めたのは。俺の人格が、歪み始めたのは。

 

 

「―――雅!? おい! 雅!! ……っ!」

 

 頬を打つ音が辺りに木霊する。その衝撃は俺を正気に戻すのに一役買ってくれて、俺は霞んだ視界で胡桃の尋常じゃない顔を見る。

 

「くる、み……すまない……しばらく1人に――」

 

「できる訳ないだろッ! なんて顔してるんだよ! この世の終わりみたいな……そんな顔、見たくないよ……」

 

「……悪い」

 

「ほら、中に戻ろうぜ?」

 

 肩を支えられながら、俺達も建物の中へと入っていく。公民館独特の広い室内では毛布を羽織って乾パンを齧る結楽と、つまみ食いしようとする由紀を叱る美紀の姿。その後ろを通り抜けて、俺は元の部屋へと戻った。

 

「何があったんだよ、あたしで良ければ……聞かせてくれないか」

 

 布団で横になった俺に、胡桃が優しく問いかけてくる。

 

「いや、これは俺の問題だ……」

 

「ふざけんな、あたしが信用ならないってなら話は別だけど、1人で抱え込もうとするなよ」

 

「信用ならない訳じゃない。ただ……いや、いいか」

 

 今更そこまで気を使う必要はないと、改めて思う。そういえば俺と胡桃は“約束”もした仲だ、これくらいの情報共有はしておいても問題ないだろう。

 

「ただ口外しないで欲しい、悠里に……嫌な思いをさせるかもしれない」

 

「……わかった」

 

 俺は全てを話し始めた。奏楽の死、両親からの迫害、それから俺がおかしくなっていった事。全てを。胡桃は途中から涙を流しつつも聞いてくれた、優しい奴だと改めて感じる。

 

「そっか……」

 

「そういう事だ。ありがとうな、あの時俺を殴ってくれて。そうでなきゃ、俺はまた……前の状態に戻ってたかもしれない」

 

「いや……むしろごめん、もっと他に方法があったかもしれない。でも、そうだな……ちょっと、あたしの我儘だけど……させてくれ」

 

 何をされるのかと一瞬体が強張ったが、布団から起こされると優しく抱き締められる。こんな事、前もあったな。思えば、俺が本当にピンチになった時は胡桃に助けられている。

 そのまま数分が経つと、胡桃は俺を解放した。

 

「ま、まあまた何かあったら言ってくれよ……いつでも相談に乗ってやるから……」

 

「ああ、ありがとう」

 

「う、うん……じ、じゃああたしりーさんの手伝いでもしてこようかな!」

 

 顔を赤くして部屋を出て行ってしまう胡桃を見送り、俺は頬に残った柔らかな感触を確かめる。……やっぱり、着痩せするタイプだな。

 なんとなく最初に抱き締められた時の事を思い出す。確かあの時は、俺が半狂乱状態になっていた。そんな俺を正気に戻す為、ショック療法とでも言うのだろうか。だが確かに、俺は胡桃に抱き締められて平静を取り戻したんだ。

 そう考えれば、俺と胡桃は切っても切れない間柄になっているかもしれない。もしもあいつがこの先迷う事があるとしたら、その時は全力でフォローしてやろう。

 布団で1人物思いに耽っていると、扉がノックされる。俺はそれに答えると、ゆっくりと扉が開いて由紀とその後ろにくっつく様にしている結楽の姿があった。

 

「みゃーくん、今いい?」

 

「ああ、何か用か」

 

「結楽ちゃんがね、この中で一番偉い人に挨拶したいって言ってて……」

 

「それで悠里が見当たらないと……?」

 

「ううん、結楽ちゃんがみゃーくんがそうじゃないかって言ってるの」

 

 なるほど、先程指示を出していたのを見ていたか。とはいえ、この学園生活部の部長は悠里であり、俺はただの途中参加した一般人に過ぎない。時折指示もするが、それは年長者であるが故だ。

 

「悪いが俺じゃない。一番偉いのは悠里だ、茶髪で髪の長いお姉さんがいただろう?」

 

 出来るだけ優しい声で言うと、少女は首を振った。

 

「ううん、多分この中で一番えらいのはお兄さんだと思うの。だって、みんなお兄さんの話ばかりしてるもの」

 

 お兄さん。その一言で思い出したばかりの記憶がまた呼び起こされる。軽い頭痛に眉を寄せながらも、なんとか耐えた。

 

「いや、違う。あくまでリーダーは悠里だ」

 

「みゃーくん、あのね! 多分さっきの事……心配してるんだと思う……」

 

「さっき……」

 

 そりゃまあ、見られてない訳ないか。少なくとも由紀とこの子はさっきの俺の異常を見ていた。それが気掛かりで何かしらの理由を付けて会いに来たって事か? だとしたらよく頭の回る子だ。見た目じゃ小学4年程度にしか見えないのに。

 

「そうなのか?」

 

 試しに聞いてみると、少女は小さく頷いた。

 

「それなら心配はいらない……と思う。少し、昔の事を思い出しただけだ」

 

「でもみゃーくん、辛そうな顔してるよ?」

 

「……だろうな。流石にこれは俺でもキツい。だが、こんな時にへばってられないんだよ」

 

 由紀は不安そうな顔で俺を見ている。そんな由紀に肩を抱かれた少女も、揃って同じ様な顔だ。いつか、君みたいな妹がいたと。それから―――

 

「――っ、悪いがしばらく1人で考えさせてくれ」

 

 言えなかった。何故だかはわからない。前よりも死が近くにあるこの世界で伝えてしまえば、由紀達まで妹と同じ結末になってしまうかもしれない、そういう風に感じてしまったのか。どちらにせよ、これは俺の問題だ、前みたいに忍や尊さんは近くに居ない。これは俺だけで……どうにかしなきゃならない問題だ。

 ぱたりと扉が閉められる。相変わらずじりじりと音を鳴らすストーブの上にはやかんがあり、もくもくと湯気が立ち上っていた。

 俺は再び布団の中に閉じこもると、目頭を押さえる。―――思い出してしまう。あの瞬間を、あの光景を、生温かな血の池に突っ伏していた自分と、既に人としては見れなくなってしまったものを。

 思い出す度、どくどくと体中に衝動が走るのがわかる。憎い、殺したい、救えなかった自分を。忘れていた自分が憎たらしい。

 黒い感情に支配されナイフに手が伸びそうになる度、悠里や皆の事を思い出してなんとか思い留まる。まだ死ねない。じゃあ俺はどうやって……償えばいいんだ。同じ問答を幾度となく繰り返す。何度も、何度も繰り返して……自分の心までじりじりと擦り減っていっている様に感じた。

 

 いつの間にか寝入ってしまっていたらしい。時間を無駄にしたという感覚と寝過ぎたのか軽い頭痛に苛まれる中、コートやバッグなどいつもの装備を身に着けて部屋を出る。

 

「よう、寝坊助」

 

「坂上……」

 

「おはようございます、雅さん」

 

 まず目が合ったのは部屋を出てすぐの所に座っていた坂上と、イツキの妹である美波だった。腕時計を見ると時刻は午後12時を回ってすぐ。最初に起きた時は時間など気にしていなかったが、坂上の反応を見るにそれなりの間寝ていたんだろう。

 

「探索は終わったのか、状況は?」

 

「それなりの物資が残されたままだった。だが使える物は少ない、殆どが腐ってたからな。ここより降りた場所にスーパーが一軒ある、調達が必要だな」

 

「なるほど……」

 

 見れば、悠里と美紀、イツキ以外のメンバーは揃っているようだった。それぞれに一瞥しながら、空いている場所に座る。そういえば武器が見当たらない。

 

「武器なら今イツキがメンテナンス中だ」

 

「ならいい。悠里と美紀は?」

 

「悠里さんと美紀さんは車で昼食の準備をしてます」

 

 美波が残る2人の行方も教えてくれた所で、今は待機が一番だとわかった。

 どこからか拾ってきたのか楽しそうにオセロで遊ぶ由紀と少女を見て、またずきりと頭痛がする。それを察したのか、胡桃の死線がこちらを向いた。

 

「なあ雅、大丈夫か?」

 

「問題ない」

 

 正直な所、問題は大ありだった。頭痛の度に眉を寄せていては怒っていると勘違いされてもおかしくない。かと言って無表情で通そうとしても、突発的にくるこの頭痛は耐え難いものがある。それもこれも……あの子の動作や笑顔1つ1つごとに、だ。

 

「……イツキの様子を見てくる」

 

「あ、あたしも行く!」

 

「なんだ、何か用でもあるなら俺は外すが」

 

「ち、違うって! いいから行くぞ!」

 

 胡桃に軽く怒鳴られて、これ以上何か言うのは避けた。胡桃なりに心配してくれているのだろう。

 玄関でブーツを履いて、違和感に気付く。靴紐が異常に緩んでいた李、生地の感覚が違ったり……そもそも、前はこんなに綺麗じゃなかった。

 

「……誰だ俺の靴洗ったの」

 

「ああ、りーさんだな。流石に汚過ぎるからって昨日の夜から夜なべして洗ってたんだぞ、あとそのコートも」

 

「……そんなに臭かったのか」

 

「臭いというより……ほら、汚い物身に着けてほしくないだろ」

 

 そういえば、昨日も俺だけ風呂に入れていない。もしかして……実は今結構臭かったり……?

 

「なあ、俺臭いか?」

 

「え!? ま、まあほら……このご時世水も貴重だからなぁ」

 

「臭いんだな……」

 

 いっそ川でも見つけたら飛び込んでこようか。石鹸とかは持ち合わせてないが、誰かのを借りれば……誰から借りればいいんだ?

 

「川って、どこにあったっけ」

 

「いや早まるなよ!?」

 

 肩をがっしりと掴まれて揺さぶられる。やめろ今頭痛が酷いんだ。

 

「違う、洗ってこようって思っただけだ。ただ問題は石鹸を誰から借りるかで悩んでる」

 

「せ、石鹸? シャンプーとボディソープならあたしの貸すけど……」

 

「このご時世そんな物を……まあそれ以外に使い道もないしな。借りれるなら貸してくれ、使った分後で返せるものじゃないけどな」

 

「別にいいけどさ……」

 

 とりあえず全身洗うまでは誰にも近付かないでおこう。笑顔で接してくれていても実は臭いと思われていると知った今、まともに話せる気がしない。

 一大事ありながらも、なんとかブーツの紐の調整が終わり外に出る。敷地内には車があり、パンクしたタイヤは取り外されジャッキで角度の修正がされていた。すぐ左から音がしたと思えば、イツキは建物のすぐ傍でスコップや俺の斧を磨いている。

 

「雅さん! 起きたんですね!」

 

「ああ、世話掛けたな……って」

 

 ただ磨いているだけではなかった。見ればすぐ近くには井戸水を汲み上げる為のポンプもある。相変わらず俺の斧は微かに赤黒いままだが、イツキから見ればピカピカに磨き上げられているんだろう。

 

「胡桃、とりあえずシャンプーだけ貸してくれ」

 

「相当気にしてるんだな……待ってろよ、今取って来るから」

 

 車の方に歩いて行った胡桃を見送り、今度は銃の整備に入ったイツキの様子を眺めてみる。

 

「あの……どうかしたんですか?」

 

「いや、特に何もない。やる事が無くて暇なんだ」

 

「あー、そうですよね……雅さんいつも動き回ってましたから」

 

「ところでイツキ」

 

「どうしました?」

 

「俺臭いか?」

 

「…………いえそんな事ないですよ」

 

 なんだその間は。よし決めた、胡桃には悪いがボディソープも貸してもらおう。そう決心し車の入り口で待っている胡桃を呼び、事の旨を伝えると快諾してくれた。

 そしてイツキが武器の整備をする横で服を脱ごうとした所で「お昼の後でいいんじゃないですか……?」と突っ込まれたものの、俺は断固拒否させて貰った所胡桃に止められた。曰く、「片手じゃ届かない所もありそうだから」らしい。

 それに対し俺の腕の柔らかさを熱弁している所で、昼食の時間となり一旦お開きとなった。こうして俺の洗濯の機会は失われたのである。

 




玖城結楽(くじょう・ゆら)

現時点で年齢不詳(雅の見立てでは11歳)

ある意味この作品では珍しいフルネーム持ちの新キャラ。雅の反応や小学生にしか見えないという所に嫌な予感がする方もいるのではないでしょうか。
そして雅のトラウマの原因も判明し、これから中々の展開になっていくといいなぁ、思い通り書けたらいいなぁと思う筆者です。

そして友人に坂上さんを描いて頂きました!感謝します!

【挿絵表示】

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