私の名前は渡我被身子。
個性は他者の血液を摂取することで、その対象の姿に自分を変えられる『変身』。その力の詳細がある程度判明したのは私が生まれてきてから四年……一般的には個性が発現するとされる時期、当時通っていた幼稚園で起きた事件の後である。
個性発動の条件が”他者の血液を摂取”という普通には思いつかないタイプだった為、当時はほとんど無個性扱いしかされていなかった。
しかし、他の子供達と同じように個性診断を受けた際、医者の診断では無個性ではないと宣告されている。
少なくとも無個性の型ではないと診断はされたので、両親の個性のどちらかか、もしくは複合系の個性だろうと医者には言われたのだ。だが発動条件に関しては結局分からずじまいだったので、ほぼ無個性同然の扱いは変わらず周囲から私は必然的に孤立していく。
それだけなら耐えられなくもなかったのだが、生憎と私には一つだけ誰にも言えない問題があった。
周囲の子供達が自分の個性にワイワイと騒いでる中、一人だけ私は内なる衝動に苦しんでいた。内容が内容だけに両親にも相談できない、子供ながらにも分かるほどの恐ろしい衝動に。
(……あァ”人間の血”ガ欲しイなぁ、あの鮮やカナ赤色をず~っト見ていたイ)
思い返すだけでも頭がおかしくなりそうな内容だ。
自分の個性の詳細が分からず、周囲から孤立し精神的にも揺らいでいた事もあり、この状況は私の理性をガリガリと削っていく。
いっそ衝動に身を任せてしまい、適当な鋭利な物で人を傷付けたりでもすれば望むものが得られるのかもしれない……そんなことをすればヴィランという犯罪者認定は避けられないのが分かっていても、この苦しみから解放されるのならばと思ってしまうほどの誘惑に、私の精神はジリジリと追い詰められていた。
それでも私がそれに耐えられたのは、単純に両親が大好きだったからだ。
どれだけの困難でも大好きな両親を悲しませる事だけはしたくない、と純粋な子供心で必死に我慢していた。決してこの内なる衝動に呑み込まれて暴走などしない、そう私は固く信じていた……そう思い込みでもしないと耐えられないとも言えたが。
しかしそれに専念するあまり幼稚園内のコミュニケーションを今まで以上に怠り、その結果子供故の無邪気な行動が私の最後の理性を躊躇なく断ち切った。
「おーい、トガよぅ? そういえば、お前の個性って何なんだっけ? ちょっと使ってみろよ!」
私の葛藤も知らずに、幼稚園の子供達は私に絡んでくる。
周りの子供達が『俺はこんな個性なんだぜ、スゲー!』と騒いでる中で、普段は個性を全く使わない状態の私……まるで無個性は価値などないかのようなヒエラルキーに位置された私への当たりは色々きつかった。それに加えて本来使える筈の個性を使えず、知らずに抑圧している状態なので体調もすこぶる悪い。
なので一度絡まれてしまうと、非力な私は蹲って耐えるしかなかった。
特に今回はガキ大将ポジションの子供が、いつも以上にしつこく絡んできたというのもある。保育士が他の子達に構っており、注意が遅れたという不幸な偶然もあった。
「……ったくさー、こうまでされて使わないってことはよー? お前、やっぱり無個性なんじゃねーの?」
「ち、ちがうもん……」
個性の登録はきちんと両親がすると約束してくれたのだ……小学生になる頃にはきっと判明しているだろう、と。
無個性ではないことは確かで、しかし発現条件が不鮮明の為じっくりと見守っていきたい……幼稚園の園長やご近所にも、そんな感じで話は伝えたと私は両親から聞いていた。聞かされた時の心境はあまりの自分の不甲斐なさで胸が締めつけられそうなり、同時に両親の愛や信頼に応えたいという気持ちを改めて固めた瞬間でもある。
自分の為というよりもまず第一に両親の為、その両親を悲しませない為に周りにも配慮する……そうやって私は耐えてきたつもりだった。
だが──
「お前の両親もついてないよな~、自分の子供が無個性みたいな雑魚なんてよぉ~?」
自分だけでなく、ここまで育ててくれた大好きな両親をここまで馬鹿にされた時──
──ブツン。
自分の中にある何かが切れた気がする。
所謂堪忍袋と呼ばれる物か、本来セーブしている肉体のリミッターの箍が外れた感じだ。当然のように繰り出されたその膂力は四歳児が本来出せる力ではなく、”超常”と呼ばれる力は容赦無く惨状を引き起こしてしまう。
「──は?」
私に絡んでいたガキ大将の男の子の手首が切られていた。
私の視界が鮮やかな血で彩られる。
私の手には元鋏という名の残骸が握られていた。
おそらく他の子供達が折り紙等で遊んでいた時に、使っていた物だろう。片づけられる前に机の上にあったそれを、私は視界内に入ったので反射的に取ったと思われる。園児が使うものなので当然ほとんどプラスチックで覆われたものだが、尋常でない膂力を生み出した私の握力で握り潰し……刃の部分だけを掴み取り出したようだ。
私は刃に付着した赤い液体に舌を這わせた。
その魅惑の味わいが私の喉を通り過ぎた時、私の中で何かの歯車が噛み合った音を聞いた気がする。
少女の姿が蠢き、だんだんとガキ大将の姿へと形作っていく。
そして、そこには双方血塗れのガキ大将が二人現れた。
「──これで、まんぞく、ですか?」
「ああああああああっ!!?」
悲鳴を上げて倒れるガキ大将を見ている私は、恐ろしいほどの爽快感に浸っていた。今までの不安な精神状態が嘘のように清々しく、血塗れの顔は笑顔を形作っているのも自覚できる。
同時に両親の期待と信頼を裏切ってしまったことも理解した。
その絶望に止めどなく涙は溢れるものの、そのことに悲しみを覚えられない自分に愕然とする。持っている鋏で自分を切り裂いてしまいたいと思っても、ようやく摂取できた血液という甘露より優先させることもない。
きっとガキ大将の発言の一部は合っていたのだろう。やはりこんな自分は、あの優しい両親を悲しませるだけの『化け物』に過ぎなかったのだ。
そこまで考えた私は、周囲の阿鼻叫喚を聞きながら意識を失う。
……こうして、私の世界は終わってしまった。
▽
次に目を覚ましたのは真っ白い部屋。
真っ白いベッドから起き上がると、丁度部屋に入ってきた看護師さんと目が合った。その目に『怯え』を感じたのは、きっと気のせいではないのだろう。
私がぼ~っと見ていると、彼女は慌てて先生を呼びに出ていった。
「……ここはどこだろう?」
寝起きでいまいち記憶が定まらない。
たしか幼稚園に居たような気もするが、何故か記憶が朧気にも思い出せない。まるで思い出すなと言わんばかりの状況に、私は嫌な予感をせずにはいられなかった。
しばらくして担当の先生とやらが現れ、起きてしまった事情を丁寧に説明してくれる。
そう、私が人を傷付けたことを。
被害者との前のやり取りを聞いていた子の証言もあり、一方的に悪意を以ての犯行ではないと証明はされたそうだ……が、やはり過剰行為ではあるので体調が戻り次第児童施設に送られることになるらしい。
私は両親がどうなったかを聞いたが、先生とやらは答えなかった。
しかし先生の表情から察するに、碌なことになっていないのは子供の自分にも分かってしまう。あれだけ固く決意したことを、あっという間に破ってしまった自分の愚かさに悲しさよりも怒りが湧いてくる。
(……こんな”個性”が、あるからっ!)
私は全ての原因となった自分の個性を憎んだ。
しかし、そんな私を嘲笑うかのように内なる衝動は消えることはなく……むしろ今まで以上に酷く、一度味わった甘露を執拗に要求してくるほどである。
その衝動に恐怖を覚えた私は、精一杯の抵抗として食事を摂らなくなった。
何かを口に入れようとする時に血塗れの映像がフラッシュバックすることもあり、絶食を続けることは何とか可能だったこともある。あんな衝動に負けるくらいならいっそ、という感情があったのも否定しない。
後は自責の念からの自傷行為が止められなくなったことか。
病院食の食器に付属する箸や先割れスプーンやフォーク等の凶器になり得る物を見ると、それをあの時と同じように駆使して血液を求めようとする衝動が湧いてしまうのだ。こんな私の食事や身体の世話をしてくれる仕事熱心な看護師達に、だ。
故にせめて自分の体に突き刺したりして、それを抑えようとしたのだが……病院側がその行為を知ると、即時に食器は全て丸みを帯びたプラスチック製に取り換えられた。
そういう対策が取られても衝動は消えることはなく、ならば今度は未熟な歯を使ってでも腕や指を噛み千切ろうとする。時間を置いた所で内なる衝動が止まることはなく、もう二度と他者を傷付けたくない私としては、とにかく自分を傷付けてしまえばいい……そう短絡的に考えたのだと思う。
まもなく私は拘束衣を着けられた。
私を矯正させたいのであって殺したいわけではない病院側としては、せめて身体が死なないように点滴を付け延命を続ける。介護付きで食事を摂取したとしても、私は全て吐き出して拒絶してしまうからだ。しかしそれは結局何の解決にもなっておらず、徐々に私の精神は暴れる衝動にガリガリと削られ、栄養不足から肉体はどんどんやせ細っていった。
ベッドで天井を見続ける日々が続く。
そんなある時、私の真っ白い部屋の外が騒がしいことがあった。
虚ろな目で入り口を見ていると、ドアが開く。
そこには自分と同じくらいの歳に見える、白衣を纏った少女が立っていた。
「し、修繕寺さん! 勝手なことは困ります!」
「……田沼刑事、この入り口から一人も入れないように」
「……わかったよ、修繕寺の嬢ちゃん。いいかお前ら、近付くなよ? こちらには政府の許可、というか令状があるからな?」
病院の関係者を近づけないよう付き添いの男に指示すると、その少女はこちらに足早に近付いてくる。
「すまない、遅くなってしまったようだ」
寝ている私の傍まで来ると、彼女はお行儀よく靴を脱ぐ。そうして椅子を踏み台にすると、ベッドにのし上がり動けない私の拘束衣を外していく。
「…………あ、なたは、だぁれ?」
久しぶり人語を話すので、声が掠れてしまった。
「…………」
彼女は黙ったまま、白衣の内ポケットから刃物のようなものを取り出す。
「……しにがみ、さん?」
もしかしたら、こんな醜い私に安らぎをもたらしてくれるのでは?と最近忘れかけていた希望を見出してしまう。
そんな私に彼女は苦笑しながらこう言った。
「……残念だが、私はただの人間でね」
そう言うと、彼女はその刃物を自分の左手の平に置いて引いた。当然のようにその傷口からは血が溢れ、真っ赤に染まっていく。
目の前で起きた行動の意図が読めず、呆然としている私の口に彼女はその血塗れの左手を突っ込んできた。
▽
白衣の少女が病室に入った後、入り口の前で俺は不満そうな顔の医者達に囲まれる。
「刑事さん、あまり勝手なことをされるのは困りますよ!」
「……いや、勝手じゃねぇよ? 令状あるって言っただろ?」
懐から封筒を出し、彼らにも見えるように中身を広げた。
「あの少女はある事件の重要参考人で……」
「その事件の再調査が決まったのさ、あの嬢ちゃんの梃入れでな。既に事件の当事者達から再度の聞き取り調査にも協力してもらったし、ウチの上層部も改めて出てきたその結果にも納得している」
つまり、今ここで問題になっているのは──
「後は元重要参考人の少女自身からの、直接の聞き取り調査が必要なんだが……」
「そ、それは……」
「まあ、そういう状態じゃないと聞いている。またいつ回復するかという質問に対して、期間の確約は出来ないとか何とか」
病院がそう答えたのであれば仕方ないかと思っていたのだが、そこへ件の問題少女が更に踏み込んできたという寸法だ。
事情を説明した警察に対し、彼女は一言こう言った。
「……じゃあ私が何とかしましょう」
医学界ではリカバリーガールの後継者と称される彼女にこう言われては、警察としても否とは返せない。もちろん少女の年齢や見た目から、過大評価なのでは?と言う声もある。しかし、これまで警察関係者の傷病人を可能な限り治療されている事実を顧みて、実際に彼女に直接文句を言う人間などはいない。
かつて刑事の一人が、不意に彼女に聞いてみたことがあったそうだ。
「……何故、君はそこまでするんだ?」
「まあ、手の届く範囲で出来ることはしておきたいので。知らない所まではともかく、知ってしまった以上は助ける……その力があるのなら、ね」
まるでヒーローみたいだな、と呟いた刑事に彼女は心底嫌そうな顔をしたらしい。
「ヒーローじゃなければ、人助けをしないみたいに言わないでほしい。私はただの人間に過ぎないし、普通の人間でも目の前に困ってる人がいたら助けるくらいはするでしょう?」
「あ、はい、すみませんでした……」
見た目幼稚園児くらいの少女に真顔で諭されたその刑事は、それから精力的に働くようになったとか。しかしかえって働き過ぎて過労で倒れたりすると、少女が深い溜息を吐きながら治療しに来るのも目に見えているので、体調管理も完璧にこなしているそうだ。
そういう意味で、警察から彼女への信頼は色々と厚い。
中々納得の顔を見せない医師達に、俺は改めて忠告しておく。
「別にあんたらの不手際を責めるとかじゃないから、悪いけど大人しくしておいてくれや。元重要参考人の彼女はちゃんとリカバリーガールの保護下に入るし、警察もきちんと情報の共有はするからさ」
「……は、はぁ」
「だから、まあ……あんまし彼女達を偏見の目で見てくれるな。良くも悪くも個性っていう超常が絡んでるんだから、もう少し柔軟に受け取ってやってくれ」
これはまあ、自分が良く聞いた彼女の口癖の一つでもある。
個性による事件絡みで協力要請をする時、従来の対応をする警察に対し彼女は幾度となく忠告していた。これまでの実績が無ければ、誰だろうと一笑にしていた程には。
(昔と今では状況も環境も違うのだから、もう少し柔軟性を以て対処すべし……頭の固い上の連中はよくもまあ納得したもんだよなぁ)
まあ、余計な詮索はしておかないでおくのが利口だろう。
ともあれ、彼女の存在のおかげで少しでも何かから助けられる人間が増えるのであれば、警察としても何よりと言えるだろう。当然ながら流れについていけない目の前の大人達のような存在もいるが、そこも追々片付けていけばいいと自分も思っている。
即決即断で何でもかんでも完璧に解決出来るなど、No.1ヒーローことオールマイト氏ですら無理な話だ。それが出来るのであれば、それはもう”神”とでも言うしかないだろう。
だが、自分達はただの人間に過ぎないのだ。
「……やれやれ、難儀なもんだ」
せめて彼女達が人間として幸せな人生を送れますように、と願うしかなかった。
▽
「──っ!!?」
突然の暴挙に混乱し抵抗しようとも、長く絶食していた身体は思うように動いてくれない。せめて噛み千切るくらいは、と歯に力を籠めても何故か彼女の左手はびくともしないのだ。さっきの刃物が特別だったのだろうか?と混乱の極致の私に、恐ろしいほどに冷静な彼女の声が響く。
「先程と違い、今は個性の応用で身体強化を施しているからね。その程度の膂力では傷はつかないよ? 要するに抵抗は無意味だ」
「!?」
そんなことよりも血塗れの手が口に突っ込まれてるということは、あの時と同じで私は血液を摂取しようとしている。また惨状を繰り返すのかという恐怖に、弱まった身体で何とか抵抗をしようと私は暴れた。
しかし目の前の少女の力は信じられないくらいに強く、まるで万力で固定されたのかのように動かない。
「いいから大人しく私の血液を飲み、君の個性を発動させなさい」
「~~~っ!?」
何故私の世界を壊したものを使わなければいけない?
せめてもの抵抗とばかりに、涙で溢れた目で目の前の理不尽を睨む。
「いいかな、渡我被身子? それはただの一つの個性に過ぎないんだ、無意味に抗うんじゃあない」
私の意思とは逆に、内なる衝動は個性を発動させていく。
鏡写しのように目の前の少女を形作っていき、私はあの時の男の子の恐怖にかられた顔を思い出す。そしてその記憶から、絶望と諦観が心を埋め尽くしていく。
どうせ彼女も同じような態度を取るのだろう、と。
しかし、その予想はいとも簡単に覆される。
「……ふむふむ? これはまた見事に写し鏡だね、相変わらずの超常っぷり。しかしまあ、血液だけでこうも変身できるとは面白いものだね」
「…………ふぇ?」
目の前の変人は、実に興味深そうな顔でこちらを覗いているのだ。
個性によって変身した私の姿を確認すると、口に突っ込んでいた左手を抜く。唾液まみれのその手には、不思議なことに切り傷が全く見えない。血液は私が舐め摂ったとはいえ、切り傷はそのままの筈なのだが……
「さっきの傷なら私の個性で治したよ。さて──」
私の心の中が見れるのか、彼女は疑問に答えていく。
白衣の外ポケットからハンカチを取り出し、涎まみれの左手を拭くと……動揺して動けない私をペタペタと触っていく。私の肌の輪郭を確かめるかのような優しい触れ方に、思わずくすぐったくて身を捩ってしまう。
「君は私の姿に”変身”したわけだが、オリジナルであるこちらを消そうとする衝動とかはあるかね? 自分以外の存在そのものを絶対に抹消する!とか」
(……えっ、なにそれこわい)
彼女に問われ、思わず自分の胸を見た。
あれほど血液を求めていた衝動は欠片もなく、爽快感というか満足感のみを感じる。たしかにあの時は色々混乱していたのもあり、変身した後のことは考えたことなどなかったのだが……その事実に正直驚きを隠せない。
困惑する私に、彼女はわかりやすいようにゆっくりと説明してくれた。
「……無さそうだね? つまり君の個性は『他者の血液を摂取する』ことで、『その対象の他者の姿に変身する』という個性なわけだ。血液を採取した人間を抹消し、その他人の全てに成り代わるといった凶悪性は無いようで何よりだよ。後はどれくらいの摂取量でそれが可能なのか、対象とのサイズ差はどこまで有効なのか、など現状ではまだわからないことも多いがね」
「…………」
これまで解明されなかった自分の個性を知って不安を感じる私に、こちらの心情を見透かしたかのように彼女は言葉を継ぎ足していく。
「とにかく発動条件に関してはかなりのレアケースで、今さっき検診した結果からみると基本的には変形型個性に近いようだね。ぱっと思いつくデメリットは個性発動の鍵である他者の血液が、君の人体に必要な栄養素に組み込まれている可能性があることかな?」
なので頑なにそれを拒んでいった私が衰弱したのも当然であり、暴走は身体が生命維持に必要な処置を要求した……ということらしい。
次々と説明される私の個性の分析に、理解が追い付かなくなってきた。
「──ところで、自分の意思で元に戻せるかね? それとも時間制限系かな?」
「……もとに、もどす?」
とりあえず、言われた通りに戻れるか念じてみる。
すると表面が溶けるように崩れていき、数秒もしないうちに私の姿へと戻っていった。
「自分の意思で戻ることが可能、と。ああ……それと血液を求める衝動とか、また継続して発症したりしているかね?」
元の姿に戻った私に、マイペースに質問をしてくる彼女。
ゆっくりと胸に手を当てて考え込んでみるが、不思議なほどに全く感じない。これまであれだけ苦しんだのは何だったのか?と首を傾げたく程だ。
「……とくに、ないかんじです?」
「やはり、基本的に栄養素が足らなかったのが主な理由か。定期的に補充できれば、日常生活も問題なく過ごせるようになるだろう」
他人の血液を定期的に補充する、という言葉に思わず立ち眩みがしそうだった。少なくともこれまで生きてきた中で、それを普通とする人間など聞いたこともない。
「わたしは……にんげん、ですか?」
「ん? それ以外の何に見えるというのかね?」
「だって、ふつうのひとは”他人の血”なんてのまないし……」
そう言って俯く私に、彼女は心底心配そうな顔を近づけてくる。
「大丈夫? 常識なんて死んでる個性ありきの超人社会な世界だよ?」
「!?」
いや、言われてみればすごい世界ではあるけれども。
そう簡単に済まされる問題でもないと思っていると、彼女は私の頬を突きながら極めて冷静に指摘してくる。
「個性なんて超常の力を考えたら、必要栄養素が一つくらい増えるなんて誤差だぞ誤差。それよりも生来異形型の血を受け継いだ人の方が、将来的にも普通の人間より不利だったりするよ」
「えっ」
「基本的に基礎身体能力が高くて細かい制御が効かなかったり、見た目的に露骨な偏見の目で見られやすく、通常の人間とは色々と規格外な形の為に衣食住に苦労したり、ね」
故に異形型個性の持ち主には、敵堕ちする者は結構多いらしい。衣食住にリスクやデメリットがあり周囲からの評価すら厳しいのであれば、態々真面目な生活をして苦しむのは馬鹿らしいと判断するのも納得できる。
そういう意味で考えるなら、自分はまだ特殊な栄養素の摂取を求められるだけとも言えなくもない。
「……そう、ですか」
「ああ……そういえば気にしてたとは思うが、君の両親はRG(リカバリーガール)財団に保護されているので安心するように。中途半端な捜査による事件の噂の所為で、周囲から針の筵になっていたので一先ずウチで囲っておいたよ。とりあえず、現状は財団の事務員に就いてもらってるから」
「!?」
「最初は一方的な厚意には甘えられないと言って断ったけど、君の保護を持ちかけたらすぐに頷いたよ。まあ最近設立した財団でね、事務所の人員も足りてなかったんで丁度良かったわ」
今まで教えられなかった両親の情報が急に出たと思ったら、既に色々あった上に目の前の彼女に保護されている。あまりのスピード展開に頭がおかしくなりそうだった。
「そういうわけで『渡我被身子』、暫く君は私の管理下で医療関係者扱いという立場とする。そうすれば他人の血液に仕事という形で合法的に関われるし、その個性は上手く応用できれば警察関係からも需要がありそうだ」
流石に当分は私の血を提供するがね、と彼女は言う。
自分以外の血液で良いのなら、おそらく両親も手伝ってくれるだろう……摂取回数に制限とかが無い限りではあるが。ただ彼女の推察では、一回限りの制限であれば内なる衝動がそこまで大きい筈はないとのこと。
一人一回制限であれだけの惨状を引き起こすのは、本体に及ぶデメリットが半端ではない。いくら超常の個性とは言え、自壊する為だけの能力が生まれる可能性は低いだろう……というのが彼女の論拠だ。
あとは応用云々の話は……例えば極少量の血液でも変身ができるのであれば、事件現場等の血痕から身元確認が出来たりするかもしれないとか。
──壊すことしかできない力、だと思っていた。
しかし、彼女はそんなものは使い方次第だとあっさり答える。しょうもない固定観念に縛られて、折角の可能性の芽を摘むのは馬鹿げてる、と。限界まで精査して、これでもかコノヤローというくらいにまで調べ上げ、けして諦めずに”それでも”と言い続ける……そのくらいの精神性を持ちなさい、と彼女は無茶を言う。
「まあ、何にせよ色々と調べていってからだがね」
「…………」
言葉が無かった。
彼女がここに来た時には、既に私に関わる問題の全てがほぼ解決していたのだから。
両親を悲しませた事件を起こしたことを嘆くべきか、それとも病院に来てからの経緯に悶えればいいのか、そしてそこから一瞬で救われてしまったことを喜べばいいのか、結果として感動に涙を流して打ち震えればいいのか。
様々な感情でぐちゃぐちゃになって戸惑っている私を、彼女は軽々とその小さな背中に背負った。
「!?」
「──そういうわけで帰るよ、渡我被身子。ウチの家まで一時間はかかるから、寝ちゃってもいいよ?」
私が何かを言う前に、彼女はすでに病室を後にしようとしている。先程言っていた身体強化だろうか、同じくらいの体格なのに簡単に背負われている状況に戸惑いを隠せない。
せめて何か答えようとするのだが、これまで断食が堪えていたのか思った以上に身体が動かなかった。おまけに彼女が何か個性を使っているのか、背負われているだけなのに弱っている身体がポカポカと温まっている。後で聞いた話によると、肉体的に死にかけていた私に生命エネルギーを分け与えていたそうだ。
そんな訳で予想以上の眠気に襲われた私は彼女の家に着くまでの間、まるで電源が切れたロボットのように眠り込んでしまうのだった。
▽
眠ってしまった彼女を背負いながら、私は田沼刑事と一緒に病院の駐車場を歩く。
「病院側の反応はどうでしたか?」
「不承不承って感じだな、権力に逆らう気まではないようだが……」
「私の介入が無ければ彼女の両親は迫害で職を失っていただろうし、医療費が払えない患者をどうするつもりだったのやら……」
もしくは、そこまでの大事にならないと思ったのか。
自分の子供を傷付けられた親が、加害者の親にどう対応するなんてわかりきったことだろう。自分のように養い親が高名なヒーローとかでない限り、排他的な態度で挑まれる確率は高いと思われる。
今回の結果に関しては、ただ運が良かっただけなのだ。
田沼刑事の車まで着くと、ゆっくりと彼女を後部座席に運び込む。そのまま助手席に移動しようとした時、無意識に彼女が私の白衣を掴んで離さない。その光景をニヤニヤと見る刑事に呆れつつ、彼女を膝枕する形で一緒に後部座席に乗り込む。
「……ところで随分と懐かれたようだが、何やったんだ?」
「別に大したことはやってませんよ?」
走り始めた車の中で、田沼刑事に病室で起きたことを説明してあげる。事件の原因となった個性を強引に発現させ、その上できちんと状況を説明し納得させた、と。
赤信号で止まった時に、話を聞いていた彼は深い深い溜息を吐いた。
「……そこまでする必要はあったのか?」
「彼女の口に手を突っ込んで抵抗された時ですが、私は個性の応用で身体強化を施した訳ですが……してなかったら手を噛み千切られた可能性があったので」
「何っ!?」
四、五歳の少女の膂力で人間の手を噛み千切るなどは不可能だ。
だが事件を調べてみると彼女はプラスチックの鋏を握力のみで砕き、刃の部分を取り出し、その刃の部分だけを掴み、瞬時に少年の手を切り裂いている……しかも血管の部分を的確に狙って、だ。常識的に考えればありえない、としか言えない内容だ。
それだけの精度でそんな芸当ができるのなら、いっそ殺してしまえばいい程に。
「おそらく身体能力のリミッターが外れた、などが考えられますね」
己の限界を超える……所謂『火事場の馬鹿力』。
本来の身体能力以上の力を生み出すことが出来るのならば、そういうことも可能だろう。かかる負担を度外視すればいいだけのことでもある。
しかし事件後のカルテや先程の検診でも、彼女の靱帯への損傷などは見受けられなかった。おそらくは長時間の行使ではなく、瞬時であった為に身体への負荷がかかる程ではなかったということだ。個性の暴発という流れではあるが、本体へのダメージが基本的に少ないことから、それに破滅的な本質があったりはしないのが幸いと言える。
それならば、彼女の個性はきっと制御できる範疇にあるだろう……と思いたい。
「……今回の件、放置してたらどうなったと思う?」
「他人への『変身』という個性持ちで足取りが追い難く、もはや人を傷付けることに躊躇わないし、不意打ち上等で致命傷を瞬時に与えてくるという厄介な”敵”が誕生してたでしょうねぇ」
考えられる次の被害者は看護士達で、その後病院から逃げ出し何とか実家に戻るも迎え入れた両親を衝動のままに殺害……おそらくそこで完全に発狂するだろう。あとは暴力のままに人を傷付け個性で変身しつつ、社会の闇に潜んでいくただの快楽殺人者となっていくわけだ。
「……まあ最悪を考えれば、の話ですがね」
「警察の対応が甘かったか? しかし、初動の捜査では個性関係の専門的なことを調べるのは無理があるしな……」
車を運転しながらも、田沼刑事は今回の件を真剣に考え込んでいる。
個人的には運転中は遠慮してほしいのだが、色々と考えさせる材料を提供してしまったのは他ならぬ自分だ。
「フォローになるかわかりませんが、現状の警察という組織ではこれ以上の対応は出来ませんよ。その成り立ちも旧態依然とした状態のままなので、現場にあった裁量で動けることはまずありえません」
超常黎明期……警察は統率と規格を重要視し、”個性”を”武”に用いないことにした。モラルやルールの遵守を考えれば、当時はそれで良かったのだと思う。
しかし時代は進んでいき、個性保有者がおよそ八割にもなった今……犯罪の質も当然のように変わっていく。
つまり、個性を使った犯罪の常態的への変化だ。
それに対処すべきヒーローの台頭というのは、言ってしまえば警察が個性を使ってそれに対応できないからである。昔のルールに縛られている故に警察は個性が絡んだ事件の場合、対処に適応できるヒーローに委譲して解決させるしかない。
そして基本的にヒーローに捜査権などはなく、あくまで警察から依頼されなければ合法的に動けない……要するに個性犯罪に限り、現状で初動を抑えることは不可能とも言っていいくらいだ。
ちなみにヒーローに捜査権を渡すと警察いらなくね?となり、ぶっちゃければ警察の古い考えをさっさと改めた方が早いと思われる。
「こんな状況で個性を使わない犯罪など起こり難く、必然的に個性を用いた犯罪が増える。システム的に警察は絶対初動に対応できず、ヒーローを介してからの行動になる……このような対応の遅さで、今回のようなレアケースに気付けという方が無理な話ですね」
「……それこそオールマイトくらいの純然たるヒーローか、嬢ちゃんというイレギュラーの介入でもない限り、か」
田沼刑事の疲れた声が車内に響く。
こんな話を壮年の男性と五歳前後の少女がしているのだから、その異常性に頭を悩ますのも無理はないだろう。
「まあ、私としてもこのままだと過労死まっしぐらなので、もう少し動きやすくなるよう各所に訴えかけていきますがね」
「……嬢ちゃんには苦労を掛けるってレベルじゃねえな」
「警察が昔のルールに拘らなければ話は早いけど、職業ヒーローが台頭しすぎたという点もありますからね。解決するにしても、両者の妥協点を詰めていかないと……」
昔のような個性持ちと無個性との諍いのようなことが起こりかねない。
「なので田沼刑事達の現場組にはこれまで通り、個性絡みの事件の相談をRG財団に通してもらえばそれで充分です……警察上層部の許可は貰っておりますので」
「市民を守ることのできない警察という組織を許容はしないのか、ならルールを改定してくれりゃあいいんだがなぁ……」
「……一応彼らにも面子などがありますし?」
暗い雰囲気を変えようとおどけて見せるが、逆に田沼刑事の落ち込み様は酷くなる一方である。
「──四、五歳の少女に面子を憚れる大人達か……全く世知辛いもんだぜ」
田沼刑事の重い呟きが車内に響いた。
▽
ちなみにリハビリを私の管轄の元で無事に終えた渡我少女は、後日育成カリキュラムに参加して色々と狼狽する姿を見せた。
何せ真実無個性の少年、緑谷少年がいたからである。
自身の個性の暴走の一因に、無個性認定されたことに対する怒りがあった。それはつまり、渡我少女が無意識に無個性の人間を下に見ていた証拠でもある。
そんな無個性の少年を前に普通に接することが出来ず、顔合わせをしてから数週間は私の後ろに隠れたままという……まるで人見知りの激しすぎる箱入り娘のような渡我少女の姿があった。
緑谷少年も少年で、もしかしなくとも自分が避けられてるとショックを受け、しまいには轟少年にどうしようと慌てながら相談したりする。
轟少年も同年代との付き合いがどこかの誰かさんの所為で皆無だったので、彼の相談に上手に乗ることが出来ずに素直に落ち込んだりしていた。
そんな三者三様を笑いながら、私は相澤氏や赤黒氏の尻を蹴飛ばしながらカリキュラムを進めていく。迷える卵達を育て導くのも先人の役目、と指導しながら……。
大変長らくお待たせして申し訳ございませんでした。
とりあえず、原作インターン編で個性関係の掘り下げがそこまでではなかったので、当初のプロット通り進めていくことにしました。
おそらく原作開始前までに終わる程度の話の内容なので、各キャラクターの個性の解釈は基本的に初期に提示された設定を重視するということで。
トガちゃんカワイイヤッターをやってみたかったので、こんな設定を捏造して味方側へとお持ち帰り……ステインと将来コンビを組むのも面白そうですね(血液関係の個性的に)。
次回も更新できるよう頑張ります。