架空の現代にポケモンが出現したら   作:kuro

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完結するまで次作は書かないという誓いを立てていたのですが、進まない筆への焦りと怒り、脳内をちらつく設定からつい書いてしまいました。
続くか続かないかは分かりません。

そして大事なこと。
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


序章

 転生。意味として一つは生まれ変わることという意味である。某百科事典サイトの概要では『生あるものが死後に生まれ変わること、再び肉体を得ること。』などと書かれていたりもする。

 ヒンドゥー教や仏教から端を発するこの言葉は現代日本、特にインターネット界隈では、やれトラックに轢かれて死んだり、通り魔に刺されて死んだり、中には架空の神様の不手際によって死んだりした後に異世界でまた新たな生を受けるというテーマが非常に流行りだ。無論、僕もそういったものが好物で、某サイト等で読み耽っていたこともある。ちなみにその際は強力な異能であるとか、天性の才能なんかのチートが付与されていたりして「俺TUEEEE」的なことをやっていくのがトレンドであるように思える。

 さて、そんなことをツラツラと述べてきたけれど、今僕を取り巻く状況というのはこの『転生』というものに該当するだろう。尤も、別に現世で死んだわけでもないし、神様に出会ったわけでもない。付け加えれば、異世界ということでもない。チートなんてものはもちろん存在しない(いや、あるにはあるのかもしれないが、その世界では何の役にも立たないだろうことは後から分かった)。

 

 そう。僕が陥っている状況、それを端的に言い表すならば、現世に限りなく近いが現世とは異なる現代に転生した、というものである。

 

 それに気がついたのは、21世紀になってすぐの現代日本。当時は中学生だった。そのときはえらい往生したし、錯乱したしで、家族や友人、学校等にもえらく迷惑をかけていたと記憶している。周りからの励ましや援助で落ち着きを取り戻していけたことは今でも感謝に堪えない。

 そうして落ち着いたことで周囲に目をやって気を配っていくと、僕が生きて記憶していた現世とよく似ているということがわかったのだ。仮にも現世では社会人として生きてきたので、自分の状況を認知して、そしてそれが過去に体験した事象と似ていることが分かれば、そこからの順応は早かった。高校や大学で出来た友人なんかは僕の中学時代の話を聞いても、最初は皆が皆一様に信じてくれず、「今日はエイプリルフールじゃないだろうが」なんて言われてしまうことすらもあった。

 さて、そんなこんなで一度は経験した人生。中学、高校、大学と可もなく不可もなく、そこそこ順調にクリアしていって今では2回目の社会人。前の人生と同じかほんの少し充実した生活を送れていると感じている。ちなみにいくら2回目だからといっても頭脳チートや身体チートなんかないし、世間には才能の塊みたいな連中がゴロゴロいるんだから、そうそう人生バラ色ハッピーとはいかないものだ。

 

 さて、この世界は現世と似ているけど現世とは違うということを述べてきたけど、それは大小様々。政治、経済、自然環境、人の名前といった大きなものから、小さなものではお菓子や漫画、アニメなど。

 中でも個人的にショックだったのは、ポケットモンスターというゲームが存在しなかったことだ。ポケットモンスター、略してポケモンとは、ポケモンという不思議な生き物が生息する世界において、彼らを自分のパートナーとして、「ポケモン同士のバトル」を行う「ポケモントレーナー」たちの冒険を描くロールプレイングゲームだ。このゲームはポケモンの収集、育成、対戦、交換を柱として爆発的なヒットを遂げて、さらにはアニメ、カードゲーム、キャラクター商品などのポケモン関連商品を含めると世界中で6兆円以上売れている世界的なタイトルである。

 このポケモンが存在しないと言うことに僕は本当にショックを受けた。全シリーズをプレイしてきた身としてはポケモンはもはや人生の潤いの1つでもあったからだ。ショックの大きさとしては中学生だった当時、回復傾向にあった精神状態が一時期だいぶ悪化してしまったといえば僕の受けた衝撃の大きさというものがわかってくれるかと思う。

 そんなポケモンという概念が存在しない世界。僕は前の現世――いや前世としておくか――でのポケモンのことについて決して忘れまいと、ポケモン一匹一匹の絵を描くことを始めた。

 最初は『画伯(笑)』なんて称されるだろうミミズののたくったような汚い絵だったが、1年間毎日欠かさずに絵を描き続けた人のビフォーアフターという前世でのネットニュースを思い出して、自分の下手さに半泣きになって打ちのめされながらも、「リハビリにも良いだろう」という主治医の指導もあって、僕は毎日ポケモンの絵を描き続けた。

 高校生の終わり頃には早くもスマートフォンの登場も相まってインターネットが広く浸透しており、前世でも有名だったイラスト投稿サイトに似たものにその絵を投稿したりといったこともしていた。架空であり、今の世界にとっては全くのオリジナルの生き物だったので、かなり細々とした反応だったと思う。

 ただ、僕にとってはポケモンというものを頭の中ではなく、目に映る形で残しておきたかったものであり、もうすっかり完治したとはいえ、ルーチンワークの一つと化していたことだったので、他からの反応なんていうものは大して気にはならなかった。

 そうそう。先で「チートがあるのかも」的なことを述べたが、それはこのポケモンに関しての全ての知識だ。容姿、能力、技などなど、ポケモンに関してのそれらは多岐にも(わた)る。ただ、これは現実で生きるには必要のないものであるし、()してやポケモンというものが僕以外は感知していないこの世界では、あっても意味のないものだろうといったところは明々白々であることは想像に難くない。

 日常生活を滞りなく送りつつ、絵を描いて、あるいは設定などを表にまとめて、それをイラスト投稿サイトにアップロードし、ポケモンの空想に浸る。それが今の僕のルーチンワークであった。

 

 

 そんな最中、事件は起こる。

 

 

 

 

 そして僕は後々思った。

 

 

 この生きる上ではムダとも思えたコレも、実は全くそんなことはなく、寧ろ大いに僕自身を支えてくれた。

 

「『芸は身を助く』とはよく言ったものだなぁ。活かせないから人生の無駄というのではなくて、活かせるよう立ち回れてないだけで人生で無駄とも言えるものはないってことなんじゃないかね」

 

 ある日を境に変わってしまったこの世界で、こんな独り言みたいなことが今でも僕の口から不意に出てくる。人生何があるかはわからないものだ。

 




見やすさ親しみやすさ重視で算数字と漢数字を混ぜて使ってみましたが、いかがでしたかね?
不評であれば漢数字に統一します。

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