「頰が痛い………」
「謝らないわよ、姉さんが悪いのだから」
「ハチマン、ユキノちゃんが冷たい」
「アホなこと考えた罰だ」
「ハチマンも冷たい………」
「あっははは………」
とか言いながらちゃっかり俺の腕を奪って自分の胸へとまわしている。なんでこんな俺がハルノを包み込むような態勢なんだと思わなくもないが、右腕にすごく柔らかい感触があったりなかったりで………。
「ひゃぅ……!?」
「………シロメグリ先輩、今すぐ警察を呼びましょう」
「もう番号打ち終わってる!?」
「ま、待て、ユキノ! 俺は悪くない!」
「この状況でよく言えたわね。痴漢、変態、色情魔」
「なんで罵倒が棒読みなの?!」
「はは~ん、ユキノちゃんも揉まれたいんだー?」
「そそそ、そんなことあるわけないじゃない…………………姉さん、みたいな…………くっ」
段々と視線が下がっていったかと思えば、ユキノがいきなり地面に土下座した。
イッタイナニヲオモッタンダロウナー。
閑話休題。
「それで、さっきの話の続きをしてくれるのでしょうね?」
「………そうだな。コマチたちに話すにしても三人には先に話しておいた方が要点がまとまるか」
姉妹での格差社会を改めて思い知らされたユキノも復活したことで、ようやく本題に入った。あれはなかったことになってるのね。
「気づいてるかは知らんがカワサキのバトル中、南の空に亀裂が入っていた。さすがに空が破れているなんてのは異常事態だからな。ポケモン協会のトップとして仕方なく確かめに行ったんだ。ただ異変に気付いたのは俺だけじゃなくて、エックスーー五体同時メガシンカを成功させた奴もいてな。二人で空に向かったところにサカキ、それとマチスとナツメの元祖ロケット団に出くわしたってわけだ」
「………空が破れる………? それって………」
「何か心当たりがあるのか?」
ユキノが何か心当たりがあるように呟いた。
「シンオウ地方の伝説に名を残す世界の裏側に住むポケモン………」
「ギラティナね」
さらなる呟きにハルノがそのポケモンを名指ししてくる。
ギラティナか………。
「でも、それならヒキガヤ君も分かるんじゃ………」
確かに考えられるポケモンの一体ではある。あるが………。
「世界の裏側…………裏側より来る支配者…………いや、まさかな」
サキという奴が言っていたことと妙に引っかかってくる。嫌な予感しかしない。
「可能性としては捨てない方がいいわね。あなたのダークライのダークホールは破れた世界に通じているのでしょう?」
「………何で知ってるんだよ」
「私に教えたことを忘れたあなたが悪いのよ」
「俺が言ったのかよ。覚えてねぇわ」
過去の俺、ユキノに色々と話しすぎじゃね?
「それで、どうしてヒキガヤ君がボロボロに?」
「サカキとバトルすることになりましてね。ほぼ強制的に。カントーに帰れって言っても帰ってくれない酷い奴なんですよ」
ほんと、酷い奴だよな。
帰れって言っても聞かないばかりか、攻撃してくるし。おかげで俺もポケモンたちもボロボロだっつーの。
「いや、悪の組織のボスなんだから、それくらいで帰っちゃったら威厳も何もないんじゃないかなー………」
「まあ、メグリったら。ロケット団の肩を持つのね。ポケモン協会の人間として失格だわ」
「えっ?! はるさん?! 今そういう流れだった!?」
「ハルノ、そろそろ真面目にしてないと凍らされるぞ。主に俺とハルノが」
「あら、大丈夫よ。たとえ凍ったとしても私たちの愛の熱ですぐに溶けるわ」
ダメだ。凍るだけではすみそうにない。
「…………エンテイに助けてもらおう」
「姉さん? そろそろ本当に凍らせるわよ。ただでさえユキメノコが恨めしそうなオーラを出しているのだから、トレーナーとしてガス抜きをさせてあげないといけないと思うのよ」
「い、いえすまむ………」
さすがにポケモンからの嫉妬には弱いようだ。
俺の腕からもすーっと離れて、ユキメノコに俺を譲った。いや、それもそれでおかしいとは思うが仕方がないのだ。なんせ空いた胸にすぐに飛びついてくるくらいなのだから。
どうやらユキメノコにまで心配をかけてしまったらしい。俺は大丈夫だとユキメノコの頭を撫でてやった。
「でー、俺がボロボロになったわけなんですけど、リザードンが暴走したんですわ。俺の意識も乗っ取っられそうになるくらい」
「えっ?! 暴走!? 大丈夫だったの?!」
「ご覧の有様ですよ。俺もリザードンもボロボロです」
「………暴走………意識……………まさか!」
あっけらかんと言ってみたものの、メグリ先輩は当然驚くわ、ハルノは考え込むわ、ユキノはユキメノコを羨ましそうに見ているわで、反応がめちゃくちゃである。
「えっと、はるさんどうしちゃったのかな?」
急に黙り込んだハルノを不審に思ってか、メグリ先輩が落ち着きを取り戻した。
この人、切り替え早すぎない?
「あー、メグリ先輩は知ってるんですかね………」
「なにを?」
「ハルノが元ロケット団だってこと」
「……………」
木枯らしでも吹くかのように辺りが静まり返った。
「ぴゅ、ピュー………」
そして、ギュインとメグリ先輩がハルノに顔を向けると、吹けていない口笛を吹いてごまかしていた。もっとごまかし方があるだろうに…………。なんでよりによって、そんな下手な芝居になってんだよ。魔王様はどこへ行ったんだ。
「……………」
あ、こっちにいました。
メグリ先輩が若干魔王化しつつある。なんか漏れ出るオーラが怖い。
「その顔は知らないって顔ですね」
「はるさんと同じチームになって四年経つのに全く知らなかったよ。どういうことですか、はるさん! 説明して下さい!」
やだ、超笑顔なのに超怖い。
「だ、だって………メグリったらロケット団の話になるといつも顔つき変わるし………」
うわー、なんかハルノが小さくなっていくぞ。
見たくなかったなー、こんな風景。
「当たり前ですよ! ロケット団が今まで何をしてきたのか忘れたわけじゃないでしょ! カントーでの窃盗や脅迫、恐喝からポケモン殺し、終いにはカントー支配の構想を企て、水面下ではポケモンの改造、新たなポケモンまで生み出し、記録には人体実験や未だに分かっていない実験まで行っていた組織ですよ! そんなの普通に聞いていられるわけないじゃないですか!」
「「………………」」
メグリ先輩の勢いにハルノも押されているが、なんか俺まで呆気に取られている。
いや、ロケット団に対して当然の反応なんだとは思うが、昔何かあったのかと想像してしまうくらいには口調が強くなった。
「はあ………、シロメグリ先輩、落ち着いてください」
「それに忠犬ハチ公が………、ヒキガヤ君がロケット団残党の討伐を決めなかったら、今頃カントーは気づいた頃にはもうロケット団の掌の上だったってことになりかねなかったんですよ!」
ユキノの静止も聞かずに語り続けるメグリ先輩。
マジで何かあったんじゃないだろうな。
許すまじ、サカキ。ほんわかめぐりんを返しやがれ!
「………そう、なのか?」
「………どうかしらね。そもそもあなたがロケット団残党の案を出したのも元はと言えばサカキの提案ですし」
「だからロケット団………えっ………? ユキノシタさん、今なんて………?」
「なんて、とはどの部分でしょうか?」
「ロケット団残党の討伐を企てたのって、ロケット団ボス、本人………?」
「ええ、そうですよ。サカキがハチマンにその指示を出しました。私もそこにいましたから、この耳でしっかりと聞いていますよ」
「じゃ、じゃあヒキガヤ君も、ユキノシタさんも、元ロケット団………?」
「いえ、そんな単純な話じゃないですよ、私たちの場合。………そうですね、ハチマンのためにも少し昔話でもしましょうか」
な、なるほど。
勢いが止まらない人にはさらに突拍子もない話をすることで意識がそちらに向いて落ち着きを取り戻すのか。
しかも今度はユキノが語りだすとは。話の主導権まで奪いやがったぞ。
「私はスクール卒業後しばらくして、姉さんがカントーリーグで負けたという知らせを受けました。現チャンピオンが負けたのですから、話題性のあるニュースとして連日報道もされていましたよ。ただこの時、私は姉さんが負けたことよりもその対戦相手に目が離せませんでした。卒業してからずっと行方の分からない人がそこにいたんですから。ねえ、ハチマン」
「あ、え、俺? ま、まあそうか。カントーリーグでチャンピオンとして負けたゃと言えば、対戦相手は俺りゃもんな………」
ちょっとー、いきなり話を振らないでくれますー?
思いっきり噛んでるんだけど。
穴に入りたい。
「かみかみ………」
ハルノに笑われた。泣きたい………。
「その後、姉さんに対戦相手が誰なのか知っていることがバレて、連日迫られ、教えるかわりにポケモン協会に連れて行くよう交渉したんです」
「あったねぇ、そういうことも」
「チャンピオンを倒したトレーナーに協会側がアクションを起こさないとは考えられませんでしたからね。ただ、ショックだったのはハチマンがチャンピオンの座を辞退し、消息が途絶えたということでした」
「…………それってアレか……? シャドーに拉致された………」
あの数日の間に俺の知らないところではそんなことがあったんだな。
「ええ、そうよ。私は半年以上カントーやジョウトを飛び回り、できる限り情報を集めたわ。だけど、全くの手がかりなし。ただ一つ見えてきたのはオーレ地方というところで危険なポケモンが出回っているということ」
「………なるほど、だからお前が潜入捜査に来たってわけだ」
「そうよ。でもまさか、あなたがそのオーレ地方にいるだなんて誰も思わなかったわ」
でしょうね。俺自身、信じられなかったし。
「えっと………、話が見えないんだけど………」
「ああ、すみません。シロメグリ先輩、オーレ地方と聞いて何か思い出すことってありますか?」
「えー、んー、なんだったかなー。なんか怖いポケモン………が出回っているとか………あっ! そうだ、シャドーって組織がダークポケモンを…………あ………」
自分で口にした言葉で今の話が理解できたようだ。さすがエリートトレーナー。
「どうやら繋がったようですね」
「ヒキガヤ君は元シャドーの人間………なんだよね?」
「ええ、それは事実のようですよ。まあチャンピオンを辞退した直後に拉致されて強制労働を強いられていた奴隷ですけどね」
あれでシャドーの団員とみなしていいのか甚だ疑問ではあるが。
でもまあ、他の団員たちの、特にナンバー2とかのポケモンも育ててたわけだし、シャドーの団員になるか。なりたくもないけど。
「じゃ、じゃあロケット団とは敵対する組織だったから、ロケット団のボスとも面識があるってこと?」
「いえ、事はもっと複雑です。私は潜入初日にハチマンにより外に出され、その二日後にはハチマンがエンテイとスイクンを連れてシャドーから脱出してきました。そしてタイミングよく現れたのがロケット団のボス、サカキというわけです」
そもそもロケット団と交流すらあったのかね。脱出後にサカキが現れたわけだし………。深いところの話は末端の俺にはよく分からん。
「何か過程に色々聞きたいことがあるけど………………じゃあ、やっぱりそこで二人ともロケット団に………」
「いえ、サカキの狙いは最初からハチマンだけです。私はおまけのようなもの。だから普通に人質に使われ、ハチマンの逃げ道を塞いでしまう材料になってしまいました」
「ほんと、あの時はマジで勘弁してくれって思ったわ。まあ、まさかあれがユキノだとは思っちゃいなかったが」
勝手についてきてたかと思えば、人質にされてるし。ザイモクザ? あいつは伸びてただけだからいいんだよ。動けない奴を人質にするのは逆にリスクが大きいから、サカキが人質に取るようなことはしなかっただろうし。
「………あれ? ヒキガヤ君ってスクールの時からユキノシタさんの事知ってるんだよね? 顔とか覚えるの苦手だったり?」
「いえ、ダークライに記憶を食われてたんですよ。最終兵器のエネルギーを吸収するためにほとんどの記憶を代償にして半年、ようやくその頃の話も思い出せるようになりましたが、未だカントーを旅した時とシャドー脱出後に何をしていたのかは全く思い出せないままです」
「………ごめんね。私たちがもっと強ければ………」
それは最終兵器の件についてなんですかね。
だったらそれは謝罪されるいわれはない。メグリ先輩たちは充分に役割を果たしてくれたし、強力な戦力だったのは確かだ。そもそも俺が別行動をとれたのもコマチやユイ、イロハを守ってくれる存在があったからだ。だから俺に謝るとかまちがっている。
だが、やはり俺ばかりがボロボロになっているのに責任を感じているのだろう。ならばこう言ってやるまでである。
「俺の負担が減らせた、ですか? バカ言わんで下さい。俺たちが強くなったところでダークライの能力が使えるわけでも、最終兵器に対抗できるわけでもないんです。人を凌駕してこそ伝説であり、伝説だからこそ人を凌駕する。それが伝説に名を残すポケモンたちなんですから」
結局のところ、俺がいくら強くなろうが最終兵器を止めるためにはダークライの力が必要不可欠であり、やることも同じであるため負担は何も変わらない。
「………やっぱり、ヒキガヤ君は特別なんだね」
「特別なんじゃなくて普通じゃないんですよ。異常と言っていいまである」
ダークライと過ごして六年くらいになるのだろうか。それだけの期間をなんだかんだ共に過ごしてきてようやく身体にも耐性ができてきたのだろう。記憶の一部が残っているのも前回の記憶喪失よりも回復が早いのも、そのおかげなのかもしれない。
「ええ、そうね。あなたは普通じゃないわ。誰かさんの計画のせいでね」
「ユキノちゃん………、やっぱり怒ってる?」
「はるさん、何かしたんですか?」
一人だけ、ハルノの過去を聞かされていないメグリ先輩は頭の上に疑問符を浮かべているようである。
「その話は後ほど。話を戻すと私を人質にサカキがハチマンに要求したこと、それがロケット団残党の討伐なんです」
「………それって、つまり」
「ええ、仲間打ちをハチマンにさせたんですよ。そしてこれを機にハチマンは忠犬ハチ公と言われるようになりました」
…………それ、体よく使われたってことだろ? なのに周りは俺を忠犬ハチ公呼ばわりする。一体どんなやり方をしたんだよ。同業者から恐れられるって相当のことだぞ?
「ひどい………、いくら悪の組織でも自分の部下たちを切り捨てるなんて………」
「それが、そうも言ってられないんですよ。ロケット団残党の討伐と同時期にある騒動がありました」
「騒動………?」
「アルセウス」
「………えっ?! アルセウス!? あのシント遺跡での!?」
「どうやらサカキは自分がいない間にロケット団再興を掲げて動いていた幹部四人を好ましく思っていなかったみたいですよ。まあ、サカキのやり方とは随分と違いましたからね」
へえ、そんなこともあったのか。
要するにサカキはその四人の幹部が引き連れていたロケット団を解体し、再度自分がトップに立つために俺に内部からロケット団を潰すように仕向けていたってわけだ。
いちいちやることが汚い奴だ。
「以上がロケット団残党の討伐作戦の大まかな経緯です」
「あの、質問いいかな?」
「どうぞ」
「ロケット団のボスはシャドー脱出後にヒキガヤ君を狙って来たんだよね? そもそもヒキガヤ君はどうしてロケット団のボスに目を付けられるようになったの?」
「………それについては姉さんから説明してもらいましょうか。姉さんがハチマンに何をしたのかを」
なんて意地の悪い奴なんだ。
「えっ? 私っ!?」
おかげでハルノが委縮してるじゃん。
姉の威厳が崩壊状態だな。
「他に誰が説明するっていうのよ。ハチマンは当時の記憶がまだ回復してないのだし、元々は姉さんの計画を悪用されたのだから、姉さんが一番知っているでしょうに」
「で、でも………」
「さっきの誓いは何だったのかしら?」
妹にとどめを刺される姉貴。
あいつ絶対心の中でガッツポーズしてるだろ。
「………わ、分かったわよ。……………メグリには、その、初めて話すけれど、私は強さを求めてロケット団に入ったわ。どうして悪の組織なんかにって思うかもしれないけれど、当時の私は対等と呼べる対戦相手がいなかったの。孤高の強さはむなしいだけ。そこを突かれてロケット団に勧誘された。………ロケット団で私がしていたのは最強のポケモンとトレーナーを作り出すこと。全部私の欲望の為だけにね。でも、結果は失敗。そのまま表向きチャンピオンとして活動し、暇を持て余していたわ」
確かハルノも俺と同じように特例でスクールを卒業したんだよな。前例があったから俺も特例で卒業できたわけだし。それに昔のユキノはハルノが絶対的な存在だったらしいからな。姉に言われたことは愚直にこなすのみだったのだろう。その一つがハヤマとの毎日のバトルだった、と。
「………でもある時、信じられないものが私の目の前に現れた」
「………それがヒキガヤ君、ですか………」
ハルノは黙って首を縦に振った。
「………リザードン一体でリーグ戦優勝に王手をかけ、チャンピオンに挑んできた。はっきり言って異常だったわ。中でも最後の方は普通のリザードンの域を超えていたもの………。でもね、同時に気づいちゃったのよ。私が立てた最強のポケモンとトレーナーを作り出す計画、『レッドプラン』の被験者なんだって」
まあ、本人が一番異常だと思ってるからな。強者揃いのリーグ戦にリザードン一体で乗り込んで優勝とか、もはや反則したとしか思えない。
だから正直、俺が計画の被験者でしたって言われても納得できてしまった。
「それで気づかされたわ。私はまた一人、孤高の存在を作ってしまっただけなんだと。でも私の計画は失敗していたはず。だからあれはロケット団のボス、サカキが改良して完成させた作品なんだって」
恐らく、その頃にはすでにカツラさんもロケット団から抜け出してるはずだしな。他にロケット団で有名な科学者なんて俺は聞いたことがないし。となるとサカキ自らが答えを出したってことなのだろう。
実はあいつも何でもありの奴だったり………?
「ここからは二人にもまだ話してないことだけど…………、ユキノちゃんからハチマンのことを知っているだけ聞き出して、計画の改良を図ったの。見返りにポケモン協会へ連れてけなんて言われたりしたけどね。………そして私はサカキがどこを改良したのか、私の計画とは何が違ったのか。…………ユキノちゃんがハチマンを追いかけている間、ずっと計算していたわ。気づいたら二冠達成した強者なんて言われ始めてて、もう驚きよ………」
チャンピオンを辞退してから何をしていたのかと思えば、ずっと『レッドプラン』に縛られ続けてたんだな。
「でも同時にピンときてしまったの。ユキノちゃんなら私の計画を実現してくれるんじゃないかって」
「………姉さん、私に何かしたっていうの………?」
「ねぇ、ユキノちゃん。どうしてさっき暴走という言葉で苦い顔をしていたの?」
「そ、それは………ここに来るまでにハチマンから聞いて」
「一度、いえ二度よね。………ハチマンたちの暴走をその目で二度も見てきたから、それにユキノちゃん自身、オーダイルを暴走させた経験があるからその時のことを思い出したんじゃない?」
「ッ!?」
まあ、俺たちの中で暴走を早くに経験しているのはユキノだしな。トラウマが残っていてもおかしくはない。だから苦い顔を浮かべたこともなんらおかしなことではないのだ。
「………何かある度にハチマンの側にはユキノちゃんがいた。しかもハチマンの暴走を二度も止めているのよ。………ハチマンに対抗し得る存在としては充分だと思わない?」
「ッ!? ま、さか………?!」
だがハルノはそこに着目したってわけだ。
暴走を何度も見てきたユキノだからこそ、暴走を止めるすべを知っているはず。その経験が暴走した俺に対抗する手段になると考えて。
「ごめんね、ユキノちゃん。こんなお姉ちゃんで。でももう他に方法がなかったのよ。何度やっても私じゃ無理だったし、だからと言ってサカキの思惑通りになっちゃったら、今度こそ危険なの………」
「そんな………そんなの……………はるさん………」
メグリ先輩もようやく言っている意味が理解できたようで、わなわなと口元を覆う手を震わせていた。
「………………姉さん、一つだけ訂正させてもらうわ。私はハチマンの暴走を止めたわけじゃない。暴走しかけたハチマンに声をかけたら、落ち着いてくれただけよ」
「そこがポイントよ。私やメグリ、他の誰でもない、ユキノちゃんの声に反応したってこと。ハチマンにとって、あなたはなくてはならない存在なのよ」
いや、それ単にユキノしかいなかったとかっていうパターンなんじゃねぇの。そりゃ確かにユキノは俺にとって大事だけどさ。それを言ったらハルノだって同じだし。
「ね、軽蔑するでしょ。自分の欲を満たすための計画を作り、悪用されて、しかも自分で蒔いた種を他人に押し付ける、私は最低な女なのよ」
「………だって。どうする、ユキノ」
「バカね。ほんと大バカよ。そんな大事なこと今まで黙ってるだなんて。でも、これでようやく納得したわ。どうしてクレセリアが私を選んだのか」
「だな。俺を止めるために俺と同じ境遇に堕ちたお前がクレセリアに選ばれるのはある意味必然だよな」
「ええ、あなたにはダークライがいるんですもの。対抗するならクレセリアがいなくては話にならないわ」
そう言うと思ったよ。
そもそもユキノはなんだかんだ言ってシスコンだし、俺はシャドーで真っ黒な世界を見てきているし、今更ハルノの悪事の一つや二つに驚きはしない。というか魔王要素が残っていたことに安堵したくらいだ。
「え、ふ、二人とも………なんでそんな笑って………」
だが本人にとっては予想だにしていなかった状況らしい。
まあ、罪悪感ありまくりですってオーラ出してるしな。避難されて当然と思ってたんだろう。
いやはや、ほんとバカな人である。
「ハチマンが私を必要としてくれてるみたいだし、私はそうありたいとずっと願っていたもの」
「それに逆に考えてみれば、暴走を超えた先の力をモノに出来れば、さらに強くなれるってことだろ」
「「………………………」」
とうとうメグリ先輩まで呆気に取られてるぞ。
そんなに意外なことかねー………。
ま、このまま続けていても話が進みそうにないし、話題を戻すか。
「さて、ハルノも全部話せたようだし。話を戻して………、結局何の話だっけ?」
「はあ………、まったく。あなたがどうしてサカキに目を付けられたのかって話よ。まあ、姉さんの話で大体掴めたけれど」
「マジか………、お前ってどんだけ俺のこと知ってるわけ?」
「記憶がない時点で私はあなたよりもあなたのことを知ってるわ」
「逆に怖いんだけど」
「具体的に言えば、ほくろの数から変態的趣味趣向まで………」
「やっぱストーカーだろ。いつほくろの数なんか数える時が来るんだよ。それに変態的趣味趣向は俺にはない」
ほくろの数とかいつ調べたんだ。俺だって把握してないってのに。ゆきのん、恐るべし。
「あら、大きい胸には反応するじゃない」
「小さいのも需要はあるんだぞ」
「あなたはどうなのかしら?」
「大きいだけが正義じゃない。感度だって大事だ」
「そう、やっぱり変態的趣味趣向は持ち合わせているのね」
「うぐ………、せっかく人がフォローしようとしてるのに。そんなに小さいのが嫌なら揉めば大きくなるだろ」
「だったらあなたに揉んでもらいましょうか」
いやー、それにしても俺たち成長したなー。
こんな下世話な話を言い合ってるんだから。半年前はこんな会話、お互い顔が真っ赤になってたっていうのに。時間というものは恐ろしい限りである。
「はるさん、この二人でよかったですね………………」
「………うん」
「でも、私は怒ってますからね! こんな大事なこと、今まで一人で抱え込むとか、はるさんは大バカ者です!」
「うん、ごめんなさい」
「………あの一つ聞きたいんですけど、罪滅ぼしのために一生ヒキガヤ君に尽くす、とかって考えてたりします?」
「へっ? それって、私がハチマンを選んだ理由?」
「はい」
「確かに罪滅ぼしって思いもないこともないけど、それ以上にこんな私を時を超えてまで助けてくれたのはハチマンだけだもの。………あれはさすがに反則よ」
「あー………、ヒキガヤ君、君は悪い人だね」
「何を今更」
「ふふっ」
あの時のことを思い出したのか顔を赤く染め上げるハルノを見て、メグリ先輩が俺ににっこり笑ってきた。超いい笑顔だけど、なんか怖い。さっきの笑ってない笑顔がトラウマになってしまったのだろうか………。
ああ、めぐりんパワーで癒されたい。
「さて、本当に話を戻すとして、ハチマンはカントー地方を旅していた時に、サカキと出会ったと聞きました。姉さんの話を照らし合わせれば、この時にハチマンは『レッドプラン』の実験をさせられたのでしょう。以来、ハチマンはロケット団、というよりはサカキから目をつけられるようになったんだと思います」
「やっぱり、記憶が戻らないカントーの旅とシャドー脱出後の話は重要そうだな」
話を戻して、ユキノは俺がいつ『レッドプラン』の被験者になったのか考察してくれた。どうやら肝心なのはカントーの旅の記憶とシャドー脱出後からの記憶らしい。
後者は恐らくディープな内容なのだろう。だから一度も記憶が戻らなければ記録すらあまり残っていない。書き残したくない、あるいは書き残すことができなかったとみていい。
……………あまり思い出したくなくなってきたな。今から思い出すのが怖いんだけど。犯罪に手を染めるようなことをしてないといいが。
「そうね、だから早く記憶を取り戻してもらえると嬉しいのだけれど」
「無理言うな。記憶を戻すのはダークライの仕事だ。俺にはどうしようもない。つか、そもそもダークライが今いない」
「はい? それはどういうことかしら?」
「さっき暴走しかけてた時にサキって奴も現れたんだ。しかもそいつはダークライのトレーナーだった」
「っ!? ダークライって野性じゃなかったの?!」
「俺もずっと野性なんだとばかり思っていたんだが、ダークライはそのサキって奴の言うことを普通に聞いていた」
「サキ…………Saque……………っ!! ねぇ、ハチマン。そのサキって奴、どんな感じだった?!」
「な、なんだよいきなり。なんか、血の気のない青褪めた顔つきだったぞ」
フンフフフ、とかいう奇妙な笑い方もしてたっけか。まあ、見た目からして奇妙な奴だったな。
「ッ?!」
「ハルノ、大丈夫か………? 顔がどんどん青褪めていってるぞ」
「まさかSaqueまでやってくるだなんて………」
「知ってるのか?」
「知ってるも何も、私をロケット団に勧誘してきた張本人よ」
それはまた………。
偶然なのか、それとも仕組まれたことなのか。
どちらにしてもやはり信用できる相手ではないようだ。帰しておいて正解だったな。
「………ナツメが裏切り者とも言っていた。それはどういうことなんだ?」
「サキの正式名称はSaqueでサキ。その正体はギンガ団の幹部。ロケット団にはギンガ団の計画を進めるために潜入していたのよ」
「………ギンガ団………。宇宙の創造を目論む組織だったはず………」
「そうよ、宇宙の創造。その為には宇宙を知らなくてはならない。………だから宇宙から来たとされるポケモンを手に入れようとロケット団を動かしていた」
「………デオキシスね」
「カントーのナナシマで事件もありましたね」
「ええ、カントーの図鑑所有者たちの前に裂空の彼方から突如として現れ、次々と事件を起こしていったポケモン。その当事者の一人がSaqueよ」
「デオキシス………裂空………裂空より来る訪問者……………裂空の訪問者………デオキシス………」
これは確定だな。
サキ改めSaqueはデオキシスを捕獲するために現れたのだろう。裏側より来る支配者というのもギラティナで間違いない。ギラティナはシンオウ地方の伝説であり、ギンガ団もシンオウの組織。
となると残り一つ。狭間より来る異形者とは誰を指しているのだろうか。狭間だから時空の狭間に住んでいるとされるディアルガやパルキアのことなのか?
「ハチマン………?」
「…………待てよ、確かエックスが破れた空に一瞬だけ見たっていう赤い、ポケモン………」
いや、でもそれは考えすぎか。
そもそも空を破る能力を持っているとは…………持っている………とは………………、あるな。空だろうが地面だろうが裂け目を作る事はできる能力があるじゃねぇか。図鑑所有者の両親を攫ったっていうブラックホールが。
ダークライのダークホールみたいなものなのか、はたまた別物なのか。
何はともあれ、これだけは確かだと言える。
「…………また厄介ごとが舞い込んできたな」
「厄介ごと、ね………。愛されてるわね」
「嬉しくねぇよ」
フレア団の事件から半年。
新たな事件が舞い降りてきた。
「なんだか頭が痛くなってきたわ。一度みんなのところに戻りましょうか」
「だな。説明しないとあいつら泣くだろうし」
「今回は姉さんが泣かれるから安心しなさい」
「それはそれで面倒だぞ………」
主に俺が相手をしなければならなくなるんだろうしな。