男性が女性の家で一夜を過ごす。しかも、未成年の二人が、である。
とても破廉恥に聞こえるイベントではあるが、思えば平安時代では男性が女性の家にわざわざ出向き愛を育んでいたという歴史的な背景がある。しかも今回に関しては女性の方からの誘いである。さらに言えば、特に恋人関係ではないのだから男性と女性が二人で居てもさほど問題にはならないのではないか。つまりのところ、俺は悪くない。
‥‥‥‥という某平塚教諭への言い訳を作り上げたのは雪乃の発言によるフリーズからの再起動後すぐだった。
八幡が一番危惧したのは、万が一雪ノ下雪乃宅に泊まることがバレた際の平塚教諭への対応である。
無論、八幡には雪乃と二人になったところで何かいやらしいことをするほどの度胸はないことは自他共に認められている。が、ただでさえ婚期が遠ざかっている平塚教諭が
『貴様!私より先に卒業するなんぞ、100年早いわ!衝撃のファーストブリット!!』
となるのではないか、であるならば今のうちに言い訳を固めておこう。そういう魂胆である。さすがはリスクマネージメントの猛者である。
「よし、一応の保険はかけた。話を戻そう。で、ウチに来る話はどうする?」
「ちょっと話を戻しすぎな気がするのだけど。私、話したはずよ。『貴方がウチに泊まっていくのはどうかしら。』と。」
「悪いがその理由がわからん。とっとと服でも取ってきて、早くウチに来ればいいだろ。」
「それは‥‥もう暗いから‥‥一人は‥‥」
雪乃は俯く姿を見て、八幡は気づく。雪乃は強い女性なんかではなく、正しい女性なのである。もっと言えば、自分の正しいと思ったことを話せるだけの強い度胸と自身を持っているだけであって、世間にいる普通の女の子と本質的にはなんら変わりのない人物であるのだ。いや、彼自身そうであることは理解していたつもりであったが、頭から排除していた。理想から離れていってしまう気がしたからだ。
八幡は思わずギリっと奥歯から音が鳴るほど噛みしめた。
普通の女の子であるならば、夜にストーカーから直接追いかけ回されたらトラウマにもなりかねないほどであるだろう。しかも、雪乃は一人暮らし。自分から出ていった手前、又その性格上家族へ助けてもらおうと考えることはなかなかのハードルだったのかもしれない。だからこそ、奉仕部を頼ったのだ。
だが、引っかかる部分も確かにある。
(あの時の雪ノ下の依頼、『私がストーカーを捕まえるのを助けてほしい』だったか‥‥あれは本当のところ、『私が正しさを行使してみせるから、貴方達は私の助けになって欲しい、守ってほしい。』と言いたかったのだろうか。だが、その正しさは間違いだ。いや、確かに悪に立ち向かうことは正しいことだがそれは俺たち一般人の役目じゃないことくらいあいつだって分かってるはずだ。どうしてこうもまあ話がこじれるんだか‥‥‥いずれにしてもこのままでいるのは得策ではないな‥‥)
「分‥‥よ。」
「‥‥え?今なんて。」
「‥‥分かったって言ったんだよ。まあ、確かにもう辺りは暗いし、ここからウチまで少しかかるしな。だが、いいのか。俺、替えの服なんて持ってないぞ。お前ん家に男性用の服なんてありそうにないし。」
「‥‥そう。とりあえずウチに上がりましょう。案内するわ。」
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「おい、雪ノ下。確かに男性用の服ではあるが、これはちょっとないだろ。」
「お望み通りの男性用のパジャマよ。なにか問題でもあるのかしら。」
「パンさんのパジャマじゃねえか。しかもお前とペアルックとか拷問
か。」
雪乃から渡されたのは、パンさんのプリントがかわいい水色のパジャマであった。そのパジャマはディスティニーランド内でカップル向けにペア販売されており、雪乃はどうしてもコレクションの中に入れたくって購入したものである。なお、それを手に入れるために雪乃がリア充のふりをするのに多大なる労力を費やした話は彼女の黒歴史の一つであることを明記しておく。
「二人っきりなんだから別に恥ずかしがる必要はないと思うのだけれど。下着は用意してないからそれはそっちでどうにかして。さあ、はやくシャワーを浴びてきて。晩ご飯は私が作っておくから。」
パジャマを持った八幡をリビングから追い出す雪乃。八幡はそんな姿を見て、
(なんかすげえ、オカンっぽいな……ちょっとドキドキしちまったじゃねえか……)
と思ったとか思わなかったとか。
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無事、シャワーを浴びることに成功した八幡がリビングへ向かうとすでに料理ができあがっていた。肉じゃが、ほうれん草にのおひたし、味噌汁に茶碗に盛られたご飯。どれも宝石のように輝きを放っている。
「これ、お前が作ったのか。すげえな。短時間でよくこれだけ。」
「全部一から作っているわけではないわ。肉じゃがもおひたしは昨日の残り物だし、ご飯は冷凍ものだもの。一から作ったのは味噌汁くらいね。席に着いてちょうだい。食べましょう。」
二人は席に着く。端から見れば完全に新婚の食事風景であるが、二人の間にそんな認識は全くない。八幡は女性の家で二人っきりでいることに未だに抵抗を感じているし、雪乃は雪乃で男性を家に向かえ、どう立ち回ればいいかわからないでいる。要するに、緊張しているのである。
いただきます、と二人の声がそろい食事が開始される。
八幡は肉じゃがを箸で掴み、口に運ぶ。甘く味付けされたたれが肉とジャガイモによくしみこんでいるし、ジャガイモが型崩れしていない。口の中がホクホクパラダイスである。だから
「美味いな、これ。うちなんかより全然美味いわ。」
と八幡が無意識の内に話してしまうのも無理はない。
雪乃はそう呟きながら食事にがっつく八幡を見て、胸の奥がカッと熱くなる今までにない感覚に襲われていた。それは世間では『母性』と呼んでいるものであったが今の雪乃にはよく分からないようだった。
「……お代わりはいるかしら。取ってくるわ。」
「じゃあ、お願いするわ。」
皿を受け取り、雪乃はキッチンに向かう。その表情は晴れやかに、そして柔らかい笑顔だった。八幡には見えていなかったようだが。
ピンポーン
そんな時、インターフォンからの電子音が鳴り響く。
「私が出るわ。貴方は食べてていいから。」
慣れたように出ようとする雪乃であったが、インターフォンの姿を見て真っ青になっていく。
その異変は八幡もスグに察し、インターフォン前で固まり、手の震えを抑えようとしている雪乃に近づきインターフォンの画面を確認する。
そこには黒いフードを着た人の姿がハッキリと映し出されていた。顔の特徴はつけているマスクによって隠されており、識別不能。時折見せる、カメラを覗き込むような仕草が気持ち悪さをさらに倍増させているようだった。
意外なことに何度もベルを鳴らしてくるといったことはなくワンコールで終わっていたが、その後の雰囲気は最悪であった。
八幡はソファに座り目を伏せている雪乃の隣に座り、いつもよりもお兄ちゃん成分を多めに語りかける。
「雪ノ下、とりあえずお前からの依頼の返事をしておく。依頼は受けられない。」
「‥‥それは私を助けないと、そういうことかしら。」
「そうじゃない。こればっかりは俺たち学生じゃ手に負えないという意味だ。前にも言ったが、現にこうして実害が出てきている以上早急に対策しなきゃならんだろうが。」
「それでは、私がこの生活を維持できなくなるじゃない……」
「お前な‥‥いい加減にしろよ。この状況分かってんのか。」
思わず放ったその言葉は八幡が思っているよりもずっと大きく、その空間の空気を振動させる。
(は?何大声出してんだよ…わけわかんねえ…)
刺々しさを着飾った言葉をなげつけてしまう。彼にとってそんなことをしたのは人生初めてであったからであろうか、一瞬動揺してしまったがどうにか立て直し言葉を続ける。
「……大声出してすまん。ただな…その……なんだ……今のお前は正常な判断が出来てないんじゃないか、って話なんだよ。ストーカーに怯え、誰かに助けて欲しいと願っている。だがもう一方では今の生活を手放したくないとも願ってる。そんなジレンマに陥ったお前はどちらも解決できる方法としてあんな依頼を作りだしてしまったわけだ。だが、その解決法はお前が思っているよりもリスクが高いと思う。俺を巻き込むのはまだしも、由比ヶ浜まで巻き込むつもりか。お前はそこまで考えて提案したのか。」
「それは……違うわ。そうね……私は何にも考えてなかったのね…最低ね。由比ヶ浜さんも巻き込もうとしてたなんて。」
「あんまり自分を追い詰めなくていい。単純に心に余裕がなかっただけだろ。それに関して誰も文句なんて言いやしない…はずだ。」
「断言はしてくれないのね。」
「人の心なんて完全にはわかんねえよ。だが、俺は間違いなく文句は言わん。」
うつむいていた雪乃は顔を上げ、八幡を見る。あいかわらず目が腐っているが、その瞳の奥にある優しさは雪乃の心を揺さぶる。
ドクン、ドクン
(動悸が激しい………どうして……)
それがかの有名な「恋」と呼ばれる現象の初期症状であることを彼女は知らない。
「おい、大丈夫か、雪ノ下。」
「ひゃ!」
心臓の鼓動を落ち着かせる間もなく、八幡が雪乃の顔をのぞき込もうとするものだから思わず変な声が出てしまう。
雪乃は即座に腰を上げ、寝室へ向かおうとする。まるで逃げるように。
「どうしたんだよ、まだ話は終わってないぞ。」
「……ちょっと体調が悪くなったから先に失礼するわ。明日また話しましょう。」
「ちょっ、おい!」
バタン、とドアからの豪快の音が鳴り響くリビングに取り残される八幡。
「てか、この食事の片付けは俺がやるんですよね……あ、俺はどこで寝ればいいんだか……寝る前に聞いとくべきだったな……」
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次の日の朝、八幡は無意識に車道側に立ち、雪乃は顔をうつむきがちに学校への道を進んでいた。
ちなみ雪乃は朝起きたときから八幡とは一度もしっかりと顔を合わせていない。正確にはあまりの気恥ずかしさで合わせられないのだ。
車道にビュンビュンと車両が通り過ぎる。そんな中、雪乃はカラカラの喉をどうにかうまく動かし、話しかける。
「ねえ、比企谷君。」
「あ、言い忘れてたけど朝飯と制服の洗濯とか諸々ありがとうな。てか、お前どんだけ朝早く起きてんだよ。俺もそこそこ早く起きたのに食事も洗濯も済ましてるし。」
「今日は偶々目が覚めてしまっただけよ。大したことじゃないわ。」
実際は胸のドキドキで眠りが浅くなってしまっただけである。
「それでね、比企谷君。私……あの依頼、取り下げるわ。ストーカーのこと、まず平塚先生に話してみるから……その、一緒に職員室まで来てくれるかしら。」
「‥‥まあ、乗りかかった船だしな。とことん着いていくつもりだ。」
「‥‥そう。あの、比企谷君。色々ありが‥‥‥っ!」
「雪ノ下!」
雪乃が声を詰まらせたのは浮き上がったからだ。
補足しよう。浮き上がったのは「心」ではない。「体」である。物理的に浮き上がっているのだ。
全てがスローモーションに見える。ごみ収集車から見えるオレンジ色の炎、焼け付くような熱さ、頭にズンと響く耳鳴り、雪乃をかばうように抱きしめようとしている八幡の姿。
(これは‥‥死ぬかもしれないわ‥‥)
(まだ死にたくねえ。マッカン飲み足りねえ‥‥)
そう思った瞬間、ブロック塀に叩きつけられる二人。その衝撃で二人はお互いの頭をぶつけ、意識が遠くなっていく。
〝雪ノ下さん、大丈夫ですか!誰が救急車を!早く!〟