その男は、どこまでもちっぽけな存在だった。
魔導師としての素質は皆無。戦闘者としての力もない。
―――非力な奴だった。
しかし彼は持ち前の高い知力で多くの実績を残した。
そう、世界の法と謳われる時空管理局でだ。
『ゼスト。儂は、
歳を喰った中年の男は、胸を張って昔からの友人に毎日その言葉を口にしていた。
『いつか儂は時空管理局のトップへと昇りつめる。そして他の次元世界ばかりに目がいっておる時空管理局を正し、疎かにされている陸を、故郷を、ミッドチルダの市民をこの手で護るのだ。―――絶対にな』
まるで子供のような純粋な願い。
穢れ無き誉れある理想。
男の願いを多くの者が嗤った。
志は立派だが無理に決まっている、と
できるはずがない、と。
いい年して夢の見過ぎだ、と。
そんな周りからの声も彼は耳を貸さなかった。
彼はずっと前を見ていた。見据えていた。
『なぁ友よ。知っての通り、儂は何処までも非力な奴だ。ちっぽけな男だ。しかし、この志だけは、大きなモノだと信じている』
友と呼ばれた男は、決して彼を小さい存在だとは思わなかった。
己の命を託しても構わない。そう、強く思える立派な漢だった。
『儂にはお前が必要だ。儂一人だけでは、成せないことが山ほどある』
誇らしかった。
この男に仕えれることが。
この男に頼られることが。
『まだまだ夢の実現まで程遠い。恐らくこの先、幾度も過酷な困難にぶつかるだろう。それでも、そのような茨の道だと分かっていても、お前は儂について来てくれるのか、ゼスト・グランガイツ』
嗚呼、問われるまでもない。
この身、この人生はとうの昔にお前に預けている。
お前の理想は俺の理想だ。
お前の苦難は俺の苦難だ。
お前の誉れは俺の誉れだ。
地上の人々の安寧の為に、この身を賭して死力を尽くそう。
―――その結果、死することがあったとしても。
◆
満天に浮かぶ無数の星々を眺めながら、ゼストは昔の誓いを脳裏に往復させていた。
今でも決して色褪せない男と男の果て無き理想。
そして志半ばで朽ちた半死人の夢。
“………レジアス”
八年前、自分の部隊はある秘匿任務を本局から任せられていた。
任務内容は戦闘機人なる者達の捕縛。
その戦闘機人を追っていたゼスト達は、管理局内にて並ぶもの無しとまで謳われた卓越した手腕で少しずつ彼らの素性を暴いていった。
だが、そんななか、レジアスはゼストを秘匿任務から外したがっていた。
彼がゼストの力量を疑っていたわけではない。戦闘機人を相手にしても勝てるだけの実力があるのをレジアスは誰よりも承知していた。
それなのに、何故か彼は必死にゼストを秘匿任務から引き離そうとしていたのだ。
まるで、知られたくない秘密から遠ざけようとするように。
ゼストは違和感を覚えた。
この任務、少なからずレジアスに関係性があるとゼストは考えたのだ。
ならば尚更、この秘匿任務を降りるわけにはいかぬ。
ゼストは捜査を急いだ。
友が違法の塊である戦闘機人となんらかの関係性があるのなら、それは問い質さねば為らないことだ。
そしてついに、ゼスト達は戦闘機人の製造工場へと辿り着いた。
全てが万事上手く行っていたのだが、そこには大きな落とし穴が用意されていた。
―――ガジェットドローンによる奇襲。
戦闘機人の製造工場で激しい戦闘が行われた。
そしてゼストはすぐに大きな戸惑いを持った。
なにせ、ガジェットが知る由も無いゼストの隊員達の弱点を的確に突いてきたのだから。
それだけではない。長所も理解していたようで、隊員の攻撃手段は悉く対処された。集団戦法までもだ。
隊員の長所短所など、時空管理局の者達でしか知りえぬ情報。ましてやゼスト隊の集団戦法とまでくれば極秘の扱い。そこいらの機械兵が知ってていいものではない。
戦況は次第にゼスト隊が不利になっていき、一人一人死んでいった。
最後まで、生き残った者は――――皆無。
ゼスト隊は全滅した。
後に高い戦闘力を有し、利用価値のあるゼストのみがジェイルの手によって蘇生された。
―――そう、皮肉にも自分が血眼にして追っていた戦闘機人としてだ。更には機械化との相性が悪すぎたことにより、生前と比べて能力が大幅に劣化した失敗作の半死人としてのレッテルを貼られることになった。
殺意を覚えるほどの屈辱だった。
任務を果たせず、仲間も護りきれず、己の命さえも落とした愚者というのに、生き恥を晒してのうのうと息をする。これほど情けないと思ったことは無い。
だが、生き返ったおかげで為すべきことを全うできるチャンスができた。
蘇生された後で、ゼストはレジアスが裏でジェイル・スカリエッティ、時空管理局最高評議会と手を組んでいた事実を知った。これを見逃し腐っていられるほど、ゼストも落ちぶれてなどいない。
―――八年前の事件の真相を知り、道を踏み外しているであろう友を正す。
それが半死人にまで堕ちた今のゼストが持つ最大の目的。
「―――!っごほ……ごほッ……っ、ぐ」
不完全な肉体故に、心臓を締め付ける圧迫感は何の前触れもなく突然襲ってくる。
体のあちらこちらに異物が混入され、元の戦闘力を大きく欠如された劣化品。
高町クロノによって多少まともになったというのに、未だに吐血は止まらない。
「ゼスト……はやくクロノの家にいって、お薬もらわなきゃ」
ルーテシアは心配そうにゼストを見上げ、古ぼけたコートをくいくいと引っ張る。
この体さえまともであってくれたなら、この子やアギトに無用な心配などかけさせずに済んだものを。
そう思いながら、ゼストは大きな手で心配するルーテシアの頭を撫でた。
◆
高町夫婦と交流を始めてから、自分は彼らに大変申し訳ないと思うほどの支援を受けている。
まず高町クロノの卓越した技術によって、半壊しかけていた己の肉体のメンテナンスを無償で請け負ってくれているのだ。
おかげで今の自分の能力は八割方回復しており、全盛期ほどとは言わないが、
吐血はまだ直っていないが、日々身体を軋ませていた痛みは癒え、固形物も喉を通るまで改善された。おかげでルーテシアやアギトと共に美味い飯を食えている。
クロノは本格的な治療を行えるまで、自分の身体を薬で持たせると言って、法術の知識を元にして作られた薬を渡してくれている。薬が無くなればいつでも家に来てくれとまで言われているのだから頭が上がらない。
遊び相手が使役している魔物しかいなかったルーテシアやアギトも、彼らに相手をしてもらっているのでとても有難い。
ルーテシア達には犯罪者という立場上、友と呼べる者がどうしても作れず、遊び相手もおらず、寂しい思いをさせていた。彼らは彼女らの心の氷を溶かす力に為ってくれているだろう。
これほど良くしてもらっている反面、ゼストが彼らにしてやれることはあまりにも少なかった。
少しでも知っているジェイル・スカリエッティについての情報、レリックの所在と思わしき世界の情報程度の提示くらいしかしてやれないのが現状である。
「………情けないものだ」
かつては時空管理局の最強の騎士と謳われた己が、半死人になるばかりか恩人に報いることさえままならない。
いつか必ず、彼らの恩情に報いる相応の行いをしなければならない。
そうゼストは己の心に誓っていた。
「この土産を彼らが気に入ってくれればいいのだが………」
ゼストの手にはとある次元世界で手に入れた菓子箱が握られていた。
高町夫婦は菓子作りを得意とするプロであり、他の次元世界の菓子に関心を持っていた。
それならばと思い、ゼストは菓子作りが盛んなことで有名な次元世界へと赴き、その世界で最も有名な店に朝早くから並んで高級菓子を一番乗りで購入したのだ。
出費はそれなりにしたものの、彼らの支援に比べれば安いものだ。
高町夫婦の住まうアパートまで辿り着いたゼストは、さっそく彼らの一室の前まで足を運ばせ、そして軽くトントン、と古びた扉を叩いた。
「ゼストだ。薬を貰いに来たぞ」
『あ、はーい』
ゼストの訪問に若い女の声が返ってきたのだが………はて、高町なのははこれほどまで幼い声をしていただろうか。
それにトタトタと玄関に向かってくる足音が異常に軽い。とても成人女性の重さとは思えないほど体重が乗っていない。
足音の歩幅も大人ではなく子供、恐らく八歳児程度のものだ。
―――ガチャリ―――
扉が開き、気になっていたクロノの嫁の姿がゼストの目に映された。
そして、
「………な!?」
「………え!?」
「………は!?」
ゼスト、ルーテシア、アギトの皆がなのはの姿を見て短く声を上げた。
「高町なのは………その、姿はどうしたというのだ?」
大人の女性であった高町なのはが、なんと小学生くらいの少女になっていた。
一瞬だけ、幻覚による悪戯かと思ったが、半死人となってもゼストは元一等空尉の最上位魔導師。幻覚の有無くらいは正確に見極めることができる。
そして、目の前の少女は幻覚による偽りではなく、本物であると判断した。
「あー………ゼストさん。なのはの姿のことは僕が説明します」
困惑するゼストに声を掛けたのは、部屋の隅で寝込み、包帯を体中に巻かれている高町クロノだった。
なのはの姿といい、クロノの負傷といい、どうやら自分の知らぬ間に厄介事が彼らに降りかかったのだと理解した。
…………
………
……
…
「―――今回もまた、大変な目に遭わされたものだな」
一部始終、高町夫婦に降りかかった災難を聞いたゼストは同情を禁じえなかった。
ジェイル・スカリエッティに意味の分からない年齢後退の薬を妻に掛けられ、それどころか互いに忙しいなかで得た夫婦水入らずのデートを妨害されたときた。
常人ならば、怒り狂ってもおかしくない暴挙。だというのに、この夫婦はいつもと変わらず、怒りなど一つも見せず、平常心を保っている。これは大物と思っていいのか、それとも単に甘いだけなのか。ゼストにはいまいち判断できなかった。
「それにしても、だ。そのような大事があったというのに、何故俺を呼ばなかった。微弱ながらも力になれたというのに………」
ゼストは己の拳を強く握り締める。
友の危機に、何もしてやれず、何も頼られずにいた自分が酷く情けなく感じた。
それにクロノは申し訳なさそうに首を横に振った。
「貴方は、戦えば戦うほど寿命を縮めていってしまう体を持っているんですよ? それなのに、図々しく助けろなんて……言えるはずないじゃないですか」
「………お前は優しすぎるのだ。そのようなことなどいちいち考えずに『助けに来い』と言ってくれれば!」
「ゼストさん。お願いですから、どうか自分の身体は大切にしてください」
「ふん。そのようなこと、クロノにだけは言われたくないな」
「………似たもの同士、ですかね」
「そのようだ………」
二人は小さく苦笑し合う。
クロノには妻がおり、帰りを待ってくれている多くの大切な人達がいる。
ゼストにも半死人ながらも目的があり、娘同然に接してきた可愛い娘達がいる。
己の立場と命の重さを自覚しておきながら、死に急ごうとする自分達は間違いなく大馬鹿者のレッテルを貼られるだろう。
この性分だけは、本当にどうにかしなければならない。
もう自分の命は自分だけのモノではないのだから。
「うぎゃーまた負けたぁ!?」
「………二人、がかりで負けた」
「ふふ。ルーちゃんとアギトちゃんにはまだまだ負けられないね。わたしは、TVゲームでクロノくんと忍さん以外に負けたことなんて一度もないんだから」
「ちくしょう! 諦めねぇ、諦めねぇぞ! もう一回勝負だ!」
「………次は、勝つ!」
「望むところなの。さぁ、どこからでも掛かってきなさい!」
部屋の端で元気にTVゲームをしてはしゃぐ子供達(内一人は大人だが)。
二人はそんな彼女らを眺め、自分達が何を背負っているのか再度自覚する。
「………お互いに、まだ死ねませんね」
「………ああ。死ねないな」
そう、死ねない。
大切な者を残して、死んでいいわけがない。
「―――あ、ゼストさんのお薬をまだ渡していませんでしたね。少し待っててください」
クロノはごそごそと
「前のモノよりそれなりに改良を加えておきました。薬なので味は保証できませんが、効果は飛躍的に向上していますよ」
「有難い。しかし、医者でもないのによくこのような薬物を創れるな」
「僕は元開発技師ですからね。法術から機械、薬物までなんでもござれです」
「………やはりお前は腕は立つがモノを創っている方が似合っている」
自覚しています、とクロノは笑った。
ゼストはその笑みが酷く疲れているように見えてならなかった。
「………つまらないモノだが、これを受け取ってくれ」
「な―――これは名菓子吹雪じゃないですか!?」
「その反応を見るに、お前を落胆させるようなものではなかったということか。安心したぞ」
「こんな高価なもの………!」
「四の五の言わずに受け取ってくれ。押し付けがましいとは思うが、お前達に食べてもらうために買ってきたのだ。受け取られなければコレの価値が失なってしまう」
そういわれたら受け取らないわけにもいかない。
人の善意を無碍に断ることは愚かなこと。
クロノは頭を深く下げてそれを受け取った。
「ところで、高町の身体はいつまであのままなのだ? 流石に幼子の頃まで若返ったまま過ごし続けるのは辛かろう」
「心配いりませんよ。検査したところ、若返りの効力は永久的ではありません。明日には元の姿に戻っているでしょう」
「ふむ。それを聞いて安心した。一生、妻があのままの姿だといつか夫であるお前は問答無用で犯罪者と罵られるだろうからな」
「………笑えない冗談ですね」
「すまないな。冗談などそう言わぬから、加減をしらなんだ」
珍しく笑うゼストだが、クロノはとても笑えなかった。
何せこの世界のなのはとユーノ・スクライアに一度『ロリコン』と言われたのだから。誤解が解けたからまだ良かったものの、もし一歩間違えればその誤解はさらに加速していただろう。
「まったく、ジェイルさんにはいつもいつも迷惑を掛けられてばかりだ」
「あの狂人に魅入られた時点で、もはや災厄に目を付けられたと言っても差し支えないだろうしな」
気になる存在というだけで、平行世界を渡る技術を独自で開発し、誘拐するなど狂気の沙汰だ。とても常人が発想し、実行できることではない。
「奴が移転したアジトの居場所は此方も探っているのだが、やはり警戒されているおかげで全く足取りが掴めない。奴らが今どこで何をしているか、手がかりすら掴めていないのが現状だ」
「………彼らの目的が依然として分からない、というのも不気味なものですね」
「ふん。なんにせよ、禄でもないことは分かりきっている。人類にとって害悪でしかない目的だろうさ」
「そしてその目的に一時的に加担し、助力してしまった僕達には罪がある」
「―――ああ、その通りだ」
罰せられるべき悪徳をクロノは自らの手で行った。ゼストに至っては未だに罪を重ねていっている。これらの罪は、いずれ必ず贖わなければならない。
「………時間を取り過ぎたようだ。そろそろ帰るとしよう」
「そんな、まだゆっくりしていってくれても………」
「毎度毎度、お前の善意に甘えるわけにはいかん。それにそちらもまだ疲れが取れ切ってないだろう。俺としてもそんな中で長居するのは気が引けるのだ」
「………そうですか」
「すまないな、クロノ。ゆっくり語り合うのは、また今度だ」
ゼストは懐に薬を入れ、立ち上がった。
「ルーテシア、アギト。帰るぞ」
「「えー。まだ遊んでいたい………」」
「今日は此処に遊びに来たわけじゃないだろう」
「「………うぅ」」
しゅんと項垂れるルーテシアとアギト。その姿を見て罪悪感を感じないわけではないが、甘えさせるわけにもいかない。これ以上高町夫婦に負担を掛けさせるようなことは、してはならないのだ。
「もうちょっと遊んでくれていても良かったのに………」
「なのはまでそう言うな。駄目と言ったら駄目なんだ」
「「「……………」」」
「………三人揃って涙ぐんだ目で俺を見ないでくれ」
高町夫婦の体調が良好であったのなら、幾ら遊ばせても適わなかった。しかし、お世辞にも体調が優れているとはいえない彼らに、これ以上負担を掛けさせることはしたくない。
ルーテシアとアギトも、ゼストが言わんとすることを遅れながらも理解し、我侭を通すことは愚かであると判断した。
◆
高町夫婦の住むアパートから退出し、元来た道を辿るゼスト一行。
辺りは静まり返り、人の気配もない。ただただ無音。自分達の足音のみが音を出す。
ゼストはふと足を止め、急に溜息を吐いて、近くに建っていた電柱を見た。
「いつまで隠れているつもりだ、チンク」
「………流石、堕ちても時空管理局最強の騎士。気配を完全に殺していたつもりだが、欺き切れなかったか」
電柱の影からゆらりと現れたチンクは、やや苦笑しながら頭を掻いた。
「………チンク」
「てめー………」
ルーテシアは困惑し、アギトは警戒を露にした。
高町夫婦に手荒い真似をしたのは他ならぬチンクだ。その事実を、ルーテシアとアギトも知っている。ならばこれまで以上の警戒と敵意を向けられるのは必定。なにせ、ルーテシア達にとって高町夫婦はゼストと同じく『家族』の括りのなかにいる人間。親しい者を傷つけた人物を目の前にして、なんの反応も起こさないというのも無理がある。第一に、この女はゼストを殺した張本人。元から敵対心など他のナンバーズとは比べ物にならないほど抱いていた。
「なんの目的があって、あいつらの寝床の周りにわざわざ足を運びやがった。そんなぼろぼろの身体でよぉ」
「…………」
「答えず、か。そりゃそうか。あまりにも理由が恥ずかしすぎて口にすることができねぇもんなぁ。―――さしずめ、重症を負い、回復しきれていないクロノに奇襲でもかけるつもりなんだろう? け、生みの親に似て姑息な野郎だ」
大切な人間を害されたアギトはいつも以上に口が悪い。いや、彼女らしからぬネチネチした陰湿さが何よりも際立っている。
敵意から殺意に変わらんとばかりにチンクを見据えるその瞳は紅蓮の如し。
小さき体躯から発せられる熱は触っただけで重度の熱傷を与えんとする。
「…………違う。私はただ……たまたま近くを通りかかっただけだ」
「―――ハ、そいつは三流以下の言い逃れだな。てめぇら戦闘なんたらの脳みそはハイテクなんだろう? ならもちっとマシな嘘をつきやがれってんだ!!」
「アギト……落ち着け。どうやら彼女は高町夫婦をどうこうする気ではないようだ。そんな気概、これ一つとして感じぬし、何より覇気がない」
「なにいってんだよゼストの旦那! こいつは、」
「落ち着けと言っている。声の音量を低くし、その熱くなりすぎた頭を冷やせ」
いつ炎弾を放つか分からない爆弾と化したアギトに冷静になれと諭すゼスト。
あまり騒ぎ過ぎると、ここの周辺に住まう住民に迷惑を掛けてしまうほか、こんなところでバトルでもすれば周囲に被害が及ぶのは火を見るより明らか。
チンクも一戦交える気ではないようだし、何より彼女はクロノと同じく重症を負っている身。とても戦える身体ではない。
「ナンバーズのなかでも高町夫婦を一際強く慕っていたのは、確かお前だったな」
「………面白い冗談だな。騎士ゼスト」
「冗談ではない。俺の目には、確かにお前が一番彼らを慕っていたし、影響も受けているように見えていた」
「…………」
「害する為に来たわけでもなく、偵察に来たわけでもなく、ただただ心配だったから来た。違うか?」
ゼストの問いにチンクは言い返そうとするが、何も言えず顔を伏してしまった。
「…………滑稽だろう。私自身が彼らを傷つけたと言うのに、気にかけるなど」
まだ癒えきっていない拳を強く握り締め、チンクは苦笑する。
「やはりお前は、戦う者として相応しくないな。そう、クロノと同じように」
ゼストはそんなチンクを見て、前々から思っていたことを口にした。
彼女も、クロノも、戦闘者と認められないほど―――優しすぎたのだ。
争いの道具としてこの世に産み落とされた戦闘機人であるチンクからしてみれば、これ以上にないほどの侮辱。
―――戦闘者に相応しくない―――
それは戦闘機人たるチンクの存在価値を真っ向から否定する言葉に他ならない。
「………ああ。確かに、その通りだ」
ゼストの言葉に怒るでもなく、落ち込むのでもなく、粛々とチンクは受け入れた。
彼女も自覚していたのだ。自分は、甘すぎると。
クロノ達と出会う前ならば、まだ冷徹さを残していたのかもしれない。戦う際に割り切る精神を持っていたのかもしれない。だが、高町夫婦と触れ合っていくうちに、戦闘機人に相応しくないと言えるほど、甘くなった。甘くなってしまった。
「奴らとは深く関わりすぎた。人の温もりに当てられすぎていた。恐らく今の私は―――人を殺せないほどの
「………お前は、確かに兵器としては欠陥品だ。しかし、人としては嘘偽りなく正常な部類に入る。俺は今のお前の方が、好ましいと思うがな」
「ゼスト・グランガイツを殺した女に、よくそのようなことが言えるな」
「不覚を取り、一時的に命を落としたのは自分の落ち度。ただ己が未熟だっただけにすぎない。お前を恨む理由など、端からない」
「………貴方も、人のことを言えないくらいお人好しではないか」
「否。ただただ事実を述べたまでだ」
立ち話も此処までだ、と言葉尻に言ってゼストはゆっくりと再度歩き出した。ルーテシアとアギトも慌ててゼストについていく。
「―――ああ、彼らは至って元気だったぞ」
「………そうか」
「心配の種が潰えたのなら、さっさと自身の家に帰ることだ。婦女子がずっと電柱の影で佇み続けるのは、あまり褒められた行為ではない。それとも男に襲われたいという特殊な性癖でも持ち合わせているのか?」
「そんな腐りきった性癖などない!!」
「冗談だ。本気にするな」
「………恐ろしいほど笑えない冗談だな」
「クロノにも言われた。………ふむ。やはり私は冗談を言うセンスが無いのだろうな。今後は気をつけるとしよう」
「そうしておいた方がいい。貴方には冗談の才能がない」
「うむ」
ゼストは納得し頷いて、娘二人をつれ夜のなかへと消えていった。
「……………」
チンクも高町夫婦が住むアパートを一瞥し、姿を消した。