それに今日からペテルブルグ大戦略の公開ですからその記念も兼ねて、ですね。
まあ、端的に言えばエイラーニャです。エイラーニャの憑依ものです。楽しんでいただければ幸いです!
私の父親は酒乱だった。
1日中家にいて、私と母親に向かって暴言を吐き、服で隠れる場所を選んで暴力をふるった。
私の母親は不安定だった。
常に父親に怯え続けている人だった。そして父親がふるった暴力の憂さ晴らしのために私を殴り、罵詈雑言を浴びせかけた。
それなのに私の中には幸せな思い出がある。
父親にピアノを教えて貰った。雨の日に退屈で雨粒が落ちる音を数えていた私のために歌を作ってくれた。一緒に連弾もした。少し厳しいところもあるけど、常に私のことを思ってくれていた。
母親に何度も甘えさせて貰った。幼い頃に母親の膝で私は眠り、母親は優しい手つきで私の髪を撫でてくれた。演奏会で帰りが遅い父親を待つために、暖炉の側でホットミルクを飲みながらずっと母親と語り合った。
少なくともこの思い出は私のものではないはず。ならこの記憶は、この思い出は誰のものなんだろう。
そしてここはどこで、これは誰の身体なのだろう?
私は知らない。だがこの身体の主は知っているようだった。
ここはガリア前線基地。この身体の主の名前はサーニャ・V・リトヴャク。ウィッチと呼ばれる軍人らしい。
すとらいかーゆにっと? というものを足に装着し、魔法によって空を飛び、ねうろい? という人類の敵と戦う少女たちのことをウィッチと呼ぶらしい。
これは確実に私の知識ではない。なぜなら私には何のことかちんぷんかんぷんだからだ。
でも理解できる。
魔法なんてありえないものの存在も、それの使い方もわかる。空の飛び方も自分の武器の使い方も。武器なんて握ったこともないのに、どうすれば当てられるかがわかる。
これは何? どうして私はサーニャという少女の体に入っている?
わからない。わからない。わからない。
ゆっくりと手を握る。開く。そしてまた握る。うん、感覚はある。
そこまで来て、私は寝転がっていることに気づいた。毛布を退けて体を起こす。格好は……ブラとショーツだ。慌てて脇によけて置いた毛布で体を包む。いつもはパジャマのはずなのにどうして?
というかなぜなんだろう。自分の穿いているものはショーツのはずなのに、なぜかズボンだと認識している。
浮かんだ疑問は置いておくことにした。目線を落としていくと透き通るような白い肌へ。私の肌よりも白くて雪のようだ。とてもきれい。なによりアザがない。
手を胸に当ててみる。ここはあまり変わらない。大きくなれない運命なのだろうか。これが夢ならもう少し大きくしてくれてもいいのに。
ここで始めて隣にもうひとつ毛布のかたまりがあることに気づいた。ふくらんだ毛布からグレーの髪の毛がはみ出している。
私はこの人を知らない。けれどサーニャは知っているようだ。エイラ・イルマルタル・ユーティライネン……さん。サーニャとかなり親しい間柄のようだ。証拠に私は隣に人がいるのに警戒することなく、むしろ落ち着いてすらいる。
「どうしよう……」
起こすべきだろうか。でも気持ちよさそうに寝ているのに起こしたら気を悪くするんじゃ……。
「むにゃ……うぅん…………」
私が決めかねているうちにエイラが寝返りをうつ。そしてそのままベットから落ちてしまった。
「ムギュッ! ……ったたぁ」
「だい、じょうぶ……?」
頭をさするエイラに声をかける。話すことは慣れてないけれど、そうしなければいけない気がした。
「ン……あれ、めずらしいな。サーニャがもう起きてるなんて」
「あ……えっと…………」
どうしよう。サーニャは朝が弱いらしい。私も決して強い方ではないけれどめずらしいとまで言われるあたり、よっぽどのようだ。
「め、目が覚めちゃって……」
「ああ! そういうことってあるよなー」
けらけらと楽しそうにエイラが笑う。うまくごまかせたようだ。
……待って。なんでごまかす必要があるの? 正直の話した方がいいはず。エイラにとってもサーニャにとっても。
「エイラ……」
「ンー、どうしたー?」
「じ、実は私は…………ッ!」
私はサーニャじゃないんだよ。そう口にしようとした瞬間、頭に金釘でも打ち込まれたような鋭い痛みが走った。荒い吐息が漏れる。体がぶるぶると震えて、脂汗が背中を伝った。
「サーニャ? だ、大丈夫か……?」
「う、うん……」
これはたぶん拒否反応みたいなものだ。私は誰かに自分がサーニャではないと言ってはいけないのだろう。でも言わなきゃ。たかが頭が痛いだけ。痛いのには慣れっこだ。
「あのね、私はサーニ……うっ!」
「サーニャ? おい、サーニャ!?」
全身に冷水を流されたようだ。そしていきなり頭痛はすっと引いた。
でもその代わりにやってきたモノ。それはまるでこの世から私が消えていくような感覚。だんだんと存在自体が希薄になっていって、この世界からサーニャも私もいなくなってしまう。 どうしてかはうまく説明できないけれど、そんな空恐ろしい感覚だった。
「サーニャ? なあサーニャ? 大丈夫なのか? 医務室とか行ったほうがいいんじゃないか?」
「う、うん……大丈夫よ」
おろおろと心配そうにエイラが私を見つめる。とにかく普通を取り繕おう。説明できないのに、気づかれたらいけない。
「でもすごく苦しそうだったぞ。やっぱり医務室に行こう」
「そう……?」
「そうだぞ。もしなにかあったらいけないし、ちゃんと診てもらおう」
エイラが寝間着、というよりほとんど下着姿のままでいきなり立ち上がった。びくっと反射的に身を縮ませてしまう。
「ほら、行くぞ」
「あ……」
抵抗する間もなく、いや抵抗するような気が起きなかったと言った方が正しい。ともかく立ち上がったエイラが私の右手を取って引っ張っていく。
この通路も見たことがないはずなのに、わかる。医務室への道のりも知らないはずなのに知っている。
わからないことだらけだ。この世界のことも私がどうしてサーニャの体に入っているのかも。どうして私はここが異世界で、自分がサーニャの体に入っていると認識できているのか。
ただこの手に感じるエイラの手の温もりがこれは夢ではないと教えてくれていた。
「ついたぞ。ほら、ここでサーニャは大人しくしとくんだぞ。ミーナ中佐には私が言っとくから」
私に布団をかけるとエイラがドタバタと医務室を出て行った。最後まで私をずっと心配そうに見つめ続けて。
布団から右手を出すと目の前に持ってきてから、握ったり閉じたりを繰り返す。他人に手を握られた。いつもなら抵抗したはずなのにそんな気も起きなかった。
「……ふしぎ」
今まで感じたことのない感覚。それが右手にまだ残り続けていた。けれど決して嫌な感覚ではない。それだけは確かなものだ。
「サーニャさん」
エイラと比べて静かに戸を開けて入ってきた赤い髪色の女性。どこか人を落ち着かせるような声色でその人は私の、正確にはサーニャの名前を呼んだ。
やはりこの人も私は知らないはずなのに知っている。
「ミーナ隊長……」
この人が隊長なのかも私はもちろん知らない。けれどすっと隊長という言葉が口をついた。
この人がサーニャの所属する部隊長さん。ふわりとした雰囲気でありながらも、ていねいなドアの開け方から窺えるきっちりとしたところも相まって、どこか大人びて見える女性だ。
「エイラさんに聞いたわ。体の調子は大丈夫?」
「え、えっと……はい。だいじょうぶ、です」
体を壊して倒れた訳じゃないから、正直に言うと寝ている必要もない。けれど原因を言うことはできない。それを言ってしまうと私が消えるだけではなくて、サーニャまで消えてしまう。
「そう……でも今日は大事を取ってゆっくり寝ていて。ナイトウィッチのシフトも今夜は外しておくから」
「あ、ありがとうございます……」
「事務報告だけになってしまってごめんなさいね。本当ならお見舞いの品でも持ってきたいところなんだけど……」
「いえ……気にしないでください」
目を伏せがちにしてミーナが謝る。そこまでしてくれなくともいいのに、とむしろ私が申し訳なく感じてしまう。
「じゃあ私は仕事に戻るわ。仕事が多くって……」
「あ、えっと……がんばってください」
「ありがとう。そうそう、これからみんなに伝えるんだけど、近いうちに坂本少佐が新しい子を連れてくるみたいよ?」
「新しい子、ですか……?」
「ええ。ミヤフジさん、だったかしら。どんな子かしらね」
ぐぐっとミーナが背筋を伸ばす。もう時間らしい。部隊長ともなれば忙しい身なんだろう。それは私にはわからないことだ。私にそういった経験はないのだから。
「じゃあもう行くわね。サーニャさんはゆっくり体を休めていてちょうだい」
「はい」
ゆっくり休めと言われてもどうしようか。私の体自身にはなんら異常がない。このまま転がっているだけでいいのだろうか。
「本当にどうしよう……」
このまま私がサーニャのふりをしていいわけがない。どこまでいっても私は私であってサーニャではないのだから。そうは言ってもどうやったらサーニャが戻ってきてくれるのかがわからない。おそらくサーニャが戻ってきてさえくれれば私は元の体に戻れるのだろう。
だが続けようとした思考を医務室のドアを開け放つ音が遮った。
「やっほー!」
ずいぶんと今日は来客が多い。そう思いながら私は医務室の入り口へと顔を向けた。短めの金髪が踊る陽気な少女がぴょこぴょこと跳ねるようにして医務室の中に入り、小さなスツールに足を広げて行儀悪く座った。
「ハルトマンさん」
「やっほ、サーにゃん。やー、ヒマだったから来たよー」
「こ、こんにちは」
「寝すぎて寝れなくなっちゃってさー。ところで夕飯はなんだと思う?」
「え、えっとなんでしょう?」
「なんだろうねー。ま、いいや。ところでサーにゃんもおひるね?」
「私は、ちょっと休むように言われて……」
「へぇー、そっかぁ。じゃあ私も休もうっと」
ハルトマンが私の布団の中に潜り込んでくる。なんというか自由奔放な人だ。会話のペースが掴めないというか、ひとりでまくし立ててくるような感じだ。
よくわからないけれど、この人はかなりフレンドリーなのかもしれない。私にはないもので私にできないことだ。
「あ、あの……」
でもそんなこと、今はどうでもいい。隣によく知らない人が寝ている。それだけで小さく体が震え始める。
人と接することが怖い。もしかしたら何かされるんじゃないか。そんな予感に身が竦む。
どうしようか。今すぐ逃げ出したいけれど、寝ているように言われたのにいなくなることはできない。
「またお前は! いい加減にしろハルトマン!」
再びドアが荒々しく開かれると今度は髪を左右で結っている少女が医務室にドカドカと踏み込む。
「んあ……トゥルーデ?」
「んあ、じゃない! まったくお前はいつもいつも! それでもカールスラント軍人か!」
「うるさいなあ……」
「うるさいとはなんだ! ああもう! ほら訓練だ! 行くぞ!」
あうー、だのむぎゅー、だのとよくわからないうめき声をあげるハルトマンをバルクホルンが引きずって行く。
「すまない。邪魔したな、サーニャ」
「あ、いえ……」
「普段から夜間哨戒をしてくれていることには助かっている。だから今日は私に任せて欲しい」
「すみません……」
「い、いや! 別に責めているつもりはないんだ」
わたわたとバルクホルンが両手を振るとさっきまで掴まれていたハルトマンがべちゃっと地面に落ちてぐぇっと潰れた声をあげる。
「ああっ! ぐ、ええっと、とにかくゆっくり休んでくれ。じゃあな!」
来た時と同じように、まるで嵐のごとくバルクホルンとハルトマンのふたりが医務室を去って行く。私は医務室にぽつん、と取り残された。
なんと言うべきか、騒がしい。こんなに楽しそうな騒がしさは初めての経験だ。私はこの世界についてわからないことだらけで、不安で仕方ない。でもひとつ、確実にわかったことがある。
……本当に今日は来客が多い日。