「エイ、ラ……?」
状況を頭が理解してくれるまでに数秒。突きつけられた拳銃と「お前は誰だ?」という一言から私の頭は想定しうる限りで最悪の理解を叩き返した。
サーニャじゃないことに気づかれた。
ああ、これだけは。これだけはバレちゃいけなかったというのに。
とはいえ、まだ手段がないわけじゃない。なによりエイラが完全に気づいたとは限らない。
「エイラ? 何を言っているのかわからないわ。だから銃を下ろして」
「もう1度、聞くぞ。お前は誰だ?」
「どうして……」
「前から違和感はあったんだ。でも昨日のことで考えて、そして確信した。お前はサーニャじゃない」
低い声でエイラが告げる。銃口はブレることなく私の頭部を照準し続けた。
「そんなことは……」
「作曲フランツ・リスト。愛の夢第2番ホ長調『私は死んだ』」
エイラが淡々と作曲者と曲名を言った。そしてその曲名は私にも聞きなれたものだ。だって私が好きな曲で、そしてこの世界に来た私がガリア基地で弾いた曲なんだから。
「あの曲はサーニャも弾いたことがあるんだ。だけど、あんなに激しい弾き方じゃない。もっと大人しかった」
あっ、と声が出かけた。久しぶりにピアノが弾けて有頂天になってしまっていて、まったく気づかなかった。
弾きグセだ。
すっかり忘れていた。同じ曲でも弾く人によって強弱の付け方から、タメの空け方、そして弾くテンポまで違う。表現の仕方は個々によって大きく変わるもの。
人によって弾き方が違うのは当然。つまりサーニャと私の弾き方が違って当たり前であって。
だから私の最大の誤算はサーニャが愛の夢2番をエイラの前で弾いた事があったことだ。
そしてエイラがサーニャの弾き方を覚えていたことだ。
「で、でも私は弾き方をちょっと変えてみただけで……」
「じゃあ昨日、なんで引き金を引けなかったんだ?」
「あまり体調が……」
「そうじゃない。サーニャのご両親はオラーシャにいるんだ。そしてスオムスはオラーシャに近い。そこに現れたネウロイを逃がすことはご両親の安全を脅かす可能性があるのに、撃つことを躊躇うはずがないんだ」
「っ……」
今度こそ私の言い訳がなくなった。すっかり頭から消えていたサーニャのご両親の存在。そうだ。サーニャはご両親のことをとても大切に思っているのはわかっている。ならばそのサーニャが撃つことを躊躇うはずがない。
けれど私は躊躇ってしまった。それが人の形をしているがために。
間違ったことをしたつもりはない。私は抵抗しない人の形をしたものを撃つことが正しいとはとても思えないから。でもサーニャとしては間違えた。
サーニャは撃つことが正しかった。そして私は撃つことが間違っていた。その決定的な両者の違いが露見してしまった。
わかっていたはずなのに。私は私であってサーニャじゃない。どれだけ私がサーニャを演じたところで、演じられたサーニャが本物になることはない。偽物がどれだけ本物になろうとしたところで紛い物以上のものにはなれない。
いずれは限界が来る。それをずっと先延ばしにしようとしてきた。けれどついにツケを払わなくてはいけない時は来てしまった。
もう逃げ場はない。本当のことを言わなければエイラは納得してくれないだろう。けれど本当のこと、つまり今エイラが見ているサーニャは私が演じる偽物だということを。
ただ、それは私とサーニャの存在が消えてしまうことを意味する。
私は完全に追いつめられていた。逃げ場もない。かといって話すこともできない。取れる選択肢は私になかった。
「エイ、ラ……」
名前を呼ぶと、エイラの持つ銃口が揺れた。ほんの一瞬だけエイラは眼を閉じて何かを振り払うように頭を振るった。
「なあ、なんでなにも言ってくれないんだよ。私が間違ってるって言ってくれよ。サーニャはサーニャなんだって言ってくれよ」
押し留められなくなった銃口の振動が激しくなっていく。
「頼むからさ……なあ、サーニャぁ…………」
搾り出すような声でエイラが言いつつ、俯く。それはまるで縋るようで、そして祈るようだった。自分が間違いなのだと。くだらない杞憂だと一蹴してくれと。
「エイラ……私は、私よ」
ガシャン、と地面に落ちた拳銃が虚しい音を立てる。エイラが取り落としたのだとわかったその時にはエイラが私に抱き付いていた。
「ごめんな、サーニャ。変なこと言ってごめんな。わけわかんないことで疑ってごめんな……」
謝り続けているエイラを前にしても私の気分は落ち込んだままだった。いいよ、気にしてなんかいないから。そんな欺瞞ばかり並び立ててエイラをまるで慰めるような演技。
ああ、私はなんて嘘つきなんだろう。いや、嘘はついていない。私は私。そこに偽りはない。だけど私がやったことは嘘をつくよりも最低の行為だ。
エイラは自分が間違っていると思いたがっている。けれど、膨れ上がった疑念は拭えなかった。だから強引な手段に訴えかけつつも、私がエイラを否定してくれることを待っている。私はそれをわかった上で付け込んだ。
「そうだよな、サーニャはサーニャだもんな。な、サーニャ」
「ええ……」
縋りつくようなエイラを突き放すこともできず、為されるがままに抱きつかれていた。本当のことを話すわけにはいかない。だからこれは仕方のないこと。そう、これが正解だ。
そう、私が割り切れる性格ならばどれだけよかっただろう。
エイラが苦しんだのはすべて私のせいだ。私がいたからこうなった。私がサーニャになったりさえしなければ、エイラは悲しまずに済んだ。
「ほんとにごめんな。あんなことして」
だから謝らないでほしい。エイラは悪くない。悪いのはすべて私。私がいなければすべてうまくいっていたはず。
エイラが拳銃を拾い上げた。いっそのこと撃ってくれた方が気が楽だったとすら思えてしまう。撃ったら当たるのはサーニャの体。だからいけないことはわかっていても、何かに罰して欲しかった。
「ごめんな、こんな寒いところに呼び出して。戻ろうか」
「先に戻っていて。私も後からいくから」
「……そう、だよな。うん。先に戻ってる」
さすがに気まずいからという理由を察してくれたのか、エイラが先に戻っていく。角をエイラが曲がって、姿を消した。
「……どうして、こうなっちゃうんだろうな」
背中を壁に預けてもたれると、そっと顔を手で覆った。エイラは確かに気づいていた。それを嘘で塗りたくり、誤魔化したのは私だ。それが間違っていたことくらいはわかる。
じゃあ、私はどうすればよかったのだろう。正しいことを言えば私もサーニャも消える。かといって欺瞞に満ちたあの行為が正しいことだとは思えない。
だとするならば私は初めから間違えていた。最初から間違えていたから、こんな歪みを生んでしまった。
私はきっと怠惰だったんだ。
サーニャを演じることに注力すべきじゃなかった。私が真っ先にすべきことはどうして私がサーニャになっているかの原因を探すことだった。それなのに私がやったことはサーニャを演じて誤魔化し続けること。
その後も原因を探る努力もすることなく、のうのうとサーニャを演じるなんてことをしていた私を怠惰と言わずしてなんと言えばいいのだろう。
私は探さなくてはいけない。どうして私がサーニャになっているのか。その原因を。
ぽつぽつ、と歩き始めた。どこを歩いているのかしっかりと認識することもなく、ただ呆然と。これがきっと見納めだったから。夜間哨戒の前だからと名目をつけて夜食をいくらかいただくことを忘れない。
いつものようにハンガーへ。のろのろと緩慢な動きでゆっくりとストライカーへと向かう。
ずっと私は甘え続けていた。あまりに周りの人たちがいい人すぎて、そこにいたいと思ってしまった。
「騙し続けてごめんなさい」
サーニャを頑なに演じ続けた。私は偽物なのに。私は私であって、サーニャではないとわかっていたはずなのに。それなのに周囲を騙してサーニャであると偽った。間違っているに決まっているのに。
「楽しい嘘に浸り続けてごめんなさい」
周囲を騙していた。その結果としてサーニャとしていろんな人に接してもらった。常にバレてしまうリスクと隣り合わせであったけれども、この世界で楽しいことは多かった。いろんな話をした。いろんな経験をした。
それが嘘であったことは承知していた。私はサーニャを騙っていた。だからずっと嘘だ。私はずっと嘘に浸っていた。その嘘が楽しかったから。ただそれだけで、私は嘘をつき通そうとした。
「居心地のいい嘘を振り払えなくてごめんなさい」
いつでも私は動き出すことができた。本当のことが言えないまでも、原因を探ろうとする努力はできたはずだ。それなのに努力を怠ったのは嘘が居心地のいいものだったからだ。あまりにも心地が良すぎた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。私のせいで狂わせてしまってごめんなさい」
私がいなければこんなことにはならなかった。私がいたからこうなった。
フリーガーハマーを手に取りかけてやめた。長旅になることは必定。なら弾数の少ないフリーガーハマーより、機関銃を持っていった方がいい。マガジンを携行していればしばらくは持つはず。
「こんなことしてごめんなさい。でも、きっとサーニャを取り戻すから。だから許してください」
がらんとしたハンガーに声が反響した。持ち慣れない機関銃を手にすると、予備のマガジンもしっかりと確保。
ストライカーをそっと撫でてから足に装着した。目前には夜の闇がぽっかりと口を開けて私を待っている。
次にここへ戻る時、私はもういない。私じゃなくてサーニャになっている。それまでは戻らないと決めた。
だから。
「さようなら」
さあ、節分が終わったら次はバレンタインデーだっ! 準備はいいか!
ニパ「ま、待ってよ! 私は最後って言ってたのに……」
アウロラ「ふふ、はははは! あれは嘘だ!」(ヴィーナの酒瓶をニパの口にねじ込む)
ニパ「うわあああ……ガボ、ゴボボボボボ………」
次回!
酔いどれニパの大冒険~私は(飲むことが)止まらないから。二日酔いのその先に私はいる! だから、止まっちゃ、だめだ……~
をお送りいたします!(またしても大嘘)
……真面目に次回予告ってした方がいいかな?