コードギアス 二度も死ぬのはお断り 作:磯辺餅太郎
紅蓮の機体と紅月カレンを回収したという報告に、卜部はようやく息をついた。
状況は楽観視できるものではない。
ブリタニア軍に見つかれば、洋上で出来ることなどたかが知れている。
日が沈み、海面は暗い。先行きも暗いが、それでも船上の彼らはまだマシな方だった。
黒の騎士団の蜂起は失敗した。突然現れた機動兵器と、一度は捕らえたランスロットからの鬼神さながらの猛攻でゼロが前線から離脱し通信も途絶えたことによりほころびが生じ、戦局は一気にブリタニアの優勢に傾き──そして、敗走が始まった。
殿に徹した藤堂が捕らえられたことは、ブリタニアの誇らしげな報道ですぐに知れた。
それを目にしても卜部はずっと撤退の指揮に当たっていた。取って返したい気持ちを殺しながら。
神楽耶にラクシャータ、それにこちらは正直どうでもいいがディートハルトは真っ先に手配して逃している。
話はついているとはいえ、彼らを中華連邦が受け入れるかどうかは正直予測はつかない。
『……ナナリーの誘拐が、きっかけだと思ってたのになあ』
疲れた『声』が頭に響く。卜部の頭に住み着いた、この奇妙な同居人の言うところ「流れ」はこうだった。
妹の誘拐に我を忘れたゼロはすべて放り捨て神根島へ向かい、藤堂では指揮系統を支えきれず黒の騎士団は敗走。幹部のほとんどは捕らえられ、神根島では件の機動兵器──ナイトギガフォートレスの追撃を受けてガウェインとC.C.を失い、肝心のゼロはあっさり枢木スザクの手によってブリタニア本国へ連行されたという。
「枢木スザクにジェレミア・ゴッドバルト、そっちの方が問題だったか」
KMFの乗り手として、ゼロはレベルが低いわけでは無い。ガウェインという複座式の機体に移ってからはC.C.が機体の制御を担っていたようだが、彼女とてそう悪いもので無い。
相手が、悪すぎたのだ。
ランスロットだけですら罠を仕掛けてようやくの相手だ。元々正攻法で敵うものでは無い。さらに新型の機動兵器だ。どう考えてもゼロには荷が重い。
おそらく目先の戦闘で手一杯で指揮どころではなかっただろう。
紅月カレンをゼロの救援へと送り出した扇の判断も、あながち間違っていなかったのかもしれない。機体が万全で、間に合っていれば、の話だが。
そもそも、黒の騎士団の戦力は危ういバランスで成り立っていた。
その一角、なかでもゼロという肝心の旗印が機能せず、虎の子の紅蓮弍式も輻射波動の右腕を失い、藤堂はあのギルフォードらと戦闘を続けながら突然指揮を投げられた状態で、その均衡は失われていたのだ。
負けるべくして負けたと、言い捨てるのは簡単だ。
「ゼロの妹のことはともかく、それ以外はだいたい言った通りの流れだったな」
ゼロは、『メディアでは』枢木スザクの手によってブリタニア本国へ連行され、すぐに処刑されと報じられている。
『声』曰く、ブリタニアのどこかに『ジュリアス・キングスレイ』としているのだろうということだが、その通りなのかはわからない。ただ、卜部にもゼロの仮面の中身について何も公表されないのは不自然といえば不自然に思えた。
「肝心のゼロ、いや今はジュリアス・キングスレイだったか?……の安否はユーロの情報次第か」
『その通りに事が運ぶのか、俺もよくわかんないけどねえ』
今はまだ材料が足りない上に、目の前の問題の方が多い。
『カレンは追いつけたのかなあ…』
「追いついていたら、紅月も確実に顔を見てるだろうな」
カレンのことは合流してから様子を見れば判断がつくだろう。
彼女はあまり隠し事がうまくない。
少しの付き合いでも卜部にもそれはよくわかった。あれで学校でうまくやれていたのが不思議だ。
卜部は疲れていた。疲れ切っていたからだろう、すっかり頭から抜け落ちていたことがあった。
「どなたとお話されているんですか?」
軋む音が聞こえそうなほど、ぎこちなく卜部は振り返った。
その先にはゼロの妹、ナナリーが積まれた荷のひとつに腰かけている。
外の空気が吸いたいと言い出したのは、彼女だった。
そのタイミングはまさに卜部が少し疲れを意識した時だったから断る理由もなく、彼女を抱えて甲板に出て気がゆるんだのだろう。
卜部も、『声』も。
『恥ずかしい!! これは恥ずかしい!!』
「……つ、通信、通信してただけだ」
苦しい。我ながらそう思いながら少女の様子を卜部はおそるおそるうかがう。
わずかに顰められた眉は、納得がいってないことをはっきり伝える。
彼女の閉ざされているはずの目にじっと見つめられている気すらして居心地が悪い。
「お兄さまのことも、その方から聞いたのですか」
「ん、あ、まあ」
いきなり核心を突かれ、つい認めてしまった卜部に即座に『声』が非難の声をあげた。
『押しに弱過ぎるぞ四聖剣!!」
うるせえ。内心毒づきながら今度は黙殺する。
「そ、そろそろ中戻るか。少し冷えただろう?」
「……そうですね」
この子、なんか怖い。
少女を抱き上げながら思ったそれは、後々何度も味わうことになるのだが今の卜部には知る由もないことであった。
紅月カレンは思った。
世の中には落ちこんでいる暇すらないのかと。
カレンの視線の先で、用途が皆目見当もつかない機器の前を陣取って何事かやりとりしているのは、よっぽどの他人の空似でなければ、ここにいるはずのないよく知っている少女だった。いや、閉ざされた目に長く伸ばしたふわふわとした亜麻色の髪を備えたあの姿は、空似など、あるはずがない。
その少女と何事かやりとりしながら、ラクシャータが笑っている。あれは自分の得意分野で何か興味をそそられた時の笑いだ。あの少女が、ラクシャータの気にいるような話をできるのか。
呆然としていたその背中を軽く叩かれた。
「紅月、そこ突っ立ってると邪魔だぞ」
振り返ったカレンは見上げ直す。やたらと背の高いその男はこの場で一番事情を把握しているはずの人間である。
「なんでナナリーが、ここにいるんですか!?」
いまや数少ない黒の騎士団残党をどうにか取りまとめている男、卜部巧雪はカレンの勢いに目を瞬いている。
口を開きかけ、少しつぐみ、もう一度。
妙な間を空けてから卜部は答えた。
「ゼロの、妹だって聞いてる」
「誰から!!」
食ってかかるカレンに、卜部は少し目を泳がせてから苦笑いを浮かべた。
「すまん、紅月、荷物運び終わってからでいいか」
あらためて見れば、卜部は片腕にそれなりの大きさの箱を二つ積んで抱えている。
「じゃあ一個運びます」
有無を言わせず卜部から箱を一つ奪い取ると、話の続けたさも手伝ってカレンはスタスタと歩いてから立ち止まった。
気持ちが急き過ぎて、運び先をまだ聞いていない。
「これどこ持ってけばいいんですか?」
卜部は変なものでも飲み込んだような顔をしていたが、やがて同じような箱が積まれた一角を指差した。
カレンが箱を一つ奪い取った途端、卜部の腕の負担は急に軽くなった。
まとめて二個抱えたうちの上の箱の方が重かったらしい。悪い積み方の典型だ。
それはいいのだが、なぜその重さをあの娘は軽々扱えるのだ。
『……ゴリラパワー』
不意に呟かれた一言に必死でこらえながら、卜部は倉庫兼隠れ家の一角を指差すのが精一杯だった。
もっともこの後の方が問題だった。
ここに来るまでの心ここに在らずといった様子に加えて先ほどの問い。
おそらく彼女はゼロに追いつき、その顔を見ている。
当然卜部がどこまで知っているか、いや、どの範囲の人間がどこまで知っているのかはっきりさせたいところだろう。
とはいえ自分の最大の根拠は頭の中の妙に軽い調子の『声』なのだ。
気は咎めるが適当にごまかすしかない。卜部は頭が痛くなるばかりだった。
ゼロが学生であること、ナナリーがゼロの妹であること。
この二点は脱出組の共通認識だと、カレンは知らされた。
出どころと、そもそもナナリーをわざわざ連れ出したのは卜部なのだが、その卜部自身の情報元についてははっきりしない言葉で完全にごまかしに入っていた。
かなりきつめに問い詰めても、その度に何か堪えるような顔になりながら今は言っても信じてもらえないの一点張りで卜部は逃げた。
それにしてもだ。
カレンは思い返す。
卜部の言葉は明らかに妙だった。
それは先ほどのやりとりではない、合流してすぐのことだ。
気持ちの整理がつかないままの彼女に、卜部は言った。
『ゼロにあんなこと言われちゃ、誰だって逃げ出したくなるさ』
その場では、確かに欲していた言葉だった。
仮面の奥を知った。そして、ルルーシュの言葉、殺意に溢れたスザク。
一度に受け止めきれずに逃げ出した後ろめたさに、少しでも慰めが欲しかったのは事実だ。
だが、ゼロが言ったことは彼が知っているはずのないことだ。
あの場には自分とスザクと、そしてルルーシュしかいなかった。
逃げ出したことを知ることができ、かつ卜部にそれを伝えることができた何者かは、一体『何』なのか、正直得体が知れない。
だからといって先ほどの様子では、何度問い詰めても同じように逃げるのだろうことは想像がついた。
さしあたっては目の前のことからコツコツとだ。
カレンは物思いにふけるのをやめ、ちらりと横目でナナリーの様子をうかがう。
車椅子のない彼女は、誰かに運んでもらわないことには身動きが取れない。積まれた荷の柔らかいものを椅子がわりに腰かけている彼女をここまで抱えてきたのは卜部だ。半ばカレンの追求を逃れるための方便でもあったのだろう。
少し休ませたいが知り合いのそばの方がいいと思う、などという言葉により強制的にカレンもしばしの休憩ということになった。
ナナリーはといえば、お話ししたいことがあるんですが、これ聞き終わってからでいいですか、と画面付きの小型端末を指した後、しばらく何かを熱心に聞いている。
イヤフォンをしているため音は外に漏れないが、画面を見れば読み上げソフトでラクシャータが渡したらしき資料に耳を傾けているのがわかった。
意外だった。この少女はもっと大人しいイメージがあったのだが、今はなんというか──貪欲に、見える。
そのナナリーが、こちらを向いた。すでにイヤフォンは外している。
「カレンさん」
閉ざした目は、本当に見えていないのだろうか。まっすぐに視線が刺さっているような居心地の悪さにカレンは曖昧な返事をした。
「なに、かしら」
少女の膝に置かれた小さな手に視線をさまよわせるカレンは、ついにくるぞと思った。予感は、あった。
「ゼロは、お兄さまでしたか」
視線をあげれば目の閉ざされた少女がまっすぐこちらを『見て』いる。
逃げ場はなかった。
紅月カレンは、事実を告げた。
「ええ、あの仮面の下はルルーシュだった。私は……怖くなって逃げた」
ゼロ、ルルーシュ、真意がどうであろうと、彼女の兄を見捨てて逃げ出したのは事実だ。
告げられたナナリーは、少しうつむく。
強い視線から解放された気になって、カレンは小さく息をはいた。
しばらく、両者の間には沈黙が横たわっていた。
それを、ナナリーが破る。
何かを振り切ったような、力のある声で。
「カレンさん、ひとつお願いしてもいいでしょうか」
卜部はカレンに抱えられて現れた少女の姿に、一瞬言葉を失った。
「長いと、邪魔ですから」
いたずらっぽく笑う少女の髪は肩より少し上まで短く切り整えられていた。
「紅月、お前が?」
問われたカレンは少し決まりの悪い顔をする。
「揃えてたら、思ってたより短くなっちゃって……」
言われてみれば揃ってはいるが、確かにどこか素人っぽさが漂っている。
「私はちょうどいいと思いますけど」
笑う姿には屈託がない。
本人が満足と思うのならいいのだろう。
なお先ほどから『なっくっらっ!!なっくっらっ!!』と謎のコールを繰り返す『声』は完全にスルーしている。
そういう部分では卜部もだいぶ慣れた。
「へえスッキリしていいじゃない」
独特のイントネーションで会話に加わったのはラクシャータだった。
彼女はナナリーに会ってから妙に機嫌がいい。
髪を切った少女の姿を見る目は、どちらかというと彼女なりの面白いものを見つけた時のそれだ。彼女との会話でよほど興味を惹かれるものでもあったのだろうか。
「そろそろ時間じゃないのか?」
何があったのか気になりつつも、卜部はこれからのことに思考を戻した。
ラクシャータをはじめとする技術者が、先行していたにも関わらずわざわざここに残っていたのは紅蓮弍式の調整のためだ。
ある程度目処がついた今となっては神楽耶らと合流してもらった方が安全だった。そこからインド軍区まで行くかどうかは本人次第だ。
輻射波動の紅蓮の右腕はこの状況ではどうしようもなかった。手に入るパーツで代用するしかないが、その程度のことならラクシャータの手を煩わせるまでもない。
くわえていた煙管を離し、ふわふわと横に振る。ラクシャータのそういった仕草は様になっている、とは思うがそれは雑念である。
目だけで問う卜部に、ラクシャータは笑みを浮かべる。
「ナナリーちゃんにお土産用意し終わったら、ちゃぁんと動いてあげる」
彼女はとらえどころのない空気のようだった。
『なるほどー巧雪ちゃんはラクシャータ推しですか、やっぱなー』
背中を見送っていた気分が台無しである。おまけに下衆の勘ぐりもいいところだ。
言い返したいが、カレンとナナリーの目がある。つらい。
気分を切り替えるためにも、卜部はカレンからナナリーを預かりながらたずねた。
「ラクシャータのお土産って、なんかあったのか?」
「私でも扱いの楽な端末を下さるって」
機械いじりが好きなタイプには見えなかったが、人は見かけによらないものらしい。
そうか、と返した卜部はふと、カレンの視線に気がついた。
「卜部さん、どっかで車椅子手に入れましょうなるべく早く」
「いや、嬢ちゃ……ナナリーは軽いから急がなくても」
ふーっとため息をついてカレンは首を横に振った。
「言っちゃなんですけど卜部さん、割と絵面がまずいです」
『ワーオ辛辣ゥ』
「あーそう」と不機嫌に答える卜部をよそに、ナナリーはにこにこと見えない目で両者を見守っていた。
先行きは明るくない。だが、それまでははじまりにすら立てていなかった。
今は違う。
兄を知る、これはそのはじまりなのだ。
卜部の態度はゼロの──兄の処刑の報道をあまり真に受けているようには感じられなかった。そういう人間がいるからだろうか、彼女も兄が死んだとは思えなかった。
すべては、知ることからだ。まず、その手段を手に入れなければならない。
そして。
「お兄さま、わたし、お兄さまを必ず……」
誰にも聞かれることなくひっそりと、少女の決意を含んだつぶやきが空気に溶けた。
「俺たちの戦いはこれからだ」エンドじゃないですよ。
もうちょっとだけ続くんじゃ。
てにをはの誤字発見したので修正。