コードギアス 二度も死ぬのはお断り   作:磯辺餅太郎

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ゼロはいないがゼロはいる。

 使われたのは、かの混沌の王のために自分が用意した仕掛けだ。

 ラインオメガ。

 突如始まったショウは待ちに待ったはずのものだったのだが、男は目の前のやりとりに少し心がくじけそうになっていた。

「どうして神楽耶はゼロでも良いと思うの? 神楽耶はゼロを好いてるのでしょう?」

 ことりと首をかしげた幼い少女は、本来ならば彼が今この状況下で直接会うことなど叶わないはずの立場の存在だ。

「私はゼロ様とは心で繋がっていれば十分ですもの」

 一見綺麗事を口にするもう一人、これがとんでもない曲者だった。

 立場を使うことだけではない、他者が見たときに自分がどの程度に見られるか、そういった点にも恐ろしく知恵が回る彼女は日本から亡命してあっという間に中華連邦の象徴たる存在、天子と民衆に慕われるこの少女の友人として宮廷内に自分の位置を築き上げてしまっていた。 

 最初の頃にはべったり天子に張り付いていた宦官はなぜかここ最近は遠巻きにこちらの様子を伺うばかりで近く様子もない。うっすらと怯えの色があるのはどういうことなのだろうか。

 流石に女官はいるものの、彼女たちはどうも神楽耶と通じている節がある。

 神楽耶の暗躍以外思いつくもののないディートハルトとしては、正直あまりこの場にいたいものではないのだが、ではどこに居場所があるかと言えばそこにも答えはない。

 かくして部下の篠崎咲世子共々付き人という立場に置かれてこうして少女二人のおしゃべりを聞き流す羽目になっている。

 再び画面に集中すれば、繰り返し見る映像の中で、黒い仮面の男が大仰なポーズで神聖ブリタニア帝国を挑発する。中華連邦の領事館の小さな一室で。

 本来ならば、踊り出したいほどに歓喜の念でいっぱいなのだが、いかんせん彼にもそれなりの一般常識というものがある。

 ぐっとこらえながらもうっとり画面を眺める、そんな器用な真似をする男をよそに少女たちはふわふわと花が咲き溢れるように笑い合う。

「でも、年の離れた殿方はそんなに便利なのですか」

「ええ、取り繕いたい体面や立場のある殿方ほど、ですわ」

 何一つ聞き逃すまいとするように、天子はこくこくと頷きながら神楽耶の言葉に耳を傾ける。

「良き大人ぶりたいからでしょうね、たいていはこちらの『やんちゃ』に逆らえませんもの」

 にっこり笑う神楽耶はさらりと天子に教えを説いた。

「中には本当に、単に子どもに甘い殿方もいらっしゃいますけど」

 邪悪だ。

 日頃の自分を棚の最上段にあげ、ディートハルト・リートは頭を抱えた。

 ちらりと横目で咲世子の様子を伺えば、こちらはわかっているんだかわかっていないんだか、よくわからない笑顔で少女らを見守っている。これだから天然は。

 早々に研究に引っ込んだラクシャータがいっそ憎々しく思えてくる。

 ディートハルトの苦行はお茶の時間が終わるまで延々と続いた。

 

 

 

 

 

 

 ゼロの衣装を脱いだC.C.は憮然としていた。

「連中を挑発してやったは良いが、これからどうする気だ?」

 当たり前の疑問である。ルルーシュ・ランペルージとの接触は失敗したのだ。

 今の今まで仰々しくゼロを演じたのはC.C.で、その台本はナナリーによるものだった。ハッタリ具合は本物と遜色ないものであったから、ゼロの復活を信じるものは多いだろう。

 とはいえ、さてどうしたものかと卜部は室内を──中華連邦領事館の中のたった一室の日本を見回す。

 カレンは風呂である。笑顔で卜部やC.C.を押しのけて今頃さっぱりしているはずだ。正直羨ましい。

 ナナリーはといえば、かいつまみながらではあるが兄を監視していた機密情報局の手帳を団員に音読してもらって、時折頷いている。

「俺か、俺に言ってるのか」

 壁に寄りかかったまま自分を指差せば、C.C.の大きなため息が返ってきた。

 卜部は頭をばりばりとかいた。カレンはまだ風呂を占拠している。いい加減代わってほしい。

「そうは言ってもなあ、今あちらさんの指揮とってるのはギルフォードだろう。あの堅物の動き次第だろ」

 先のことをベラベラといい加減に喋る『声』は、タワーでの戦闘の後、妙に疲れたからちょっと寝るなどと言い出して以来静まり返っている。卜部には圧倒的に情報が足りなかった。

 門前に押しかけたブリタニアの部隊はあっさりと中華連邦の武官、黎星刻があしらって追い払っている。あれはあれで食えない上に読めない男であるから、あまり借りを作りすぎたくはない。

「一度、お話しするのはどうでしょう」

 不意に会話に割って入ったのはナナリーだった。

 手帳は概ね頭に入ったらしい。団員から受け取ると大事そうにしまい込んだ。

「ギルフォードと?」

「いえ、そちらは放っておいても動きます」

 少女は未だゼロの衣装のままのC.C.に顔を向けた。

「そろそろピザ、恋しくなってきましたよね」

 

 

 

 黒の騎士団の亡命は好機だった。

 それ自体は元々一年前からの密約でもある。交渉自体はゼロから皇神楽耶に代わっていたが。

 黎星刻、武官として領事館に遣わされた男は刃を収め、今しがた切り捨てた躯を見下ろしていた。

 骸は国を蝕む宦官の一人だ。少しは溜飲が下がるかと思ったが、案外何もないものなのだな、と自分に拍子抜けする。

 とはいえ進めるべきことは進めなければならない。星刻は部下に指示を与えていく。特に後任との入れ替わりはタイミングが重要だった。

 そこに、女が現れた。

「掃除の最中だったか」

 転がっている死体にも眉ひとつ動かさない女に、わずかに警戒心を引き上げる。

「怖い顔をするな。こちらは吹けば飛ぶよな居候の身なんだ」

 肩をすくめてみせるその女は、日本人たちからはC.C.と呼ばれていた。

 死体をまたいで数歩、星刻の間合いの手前で止まり女は笑う。

()()は黒の騎士団と揉めた結果、そういうことにしてもらってもかまわない。元からこちらは無法者だそうだからな」

 女は先ほどまでのゼロの装束ではなく、ごくありふれた装いに変わっている。

「出るつもりか」

「久しぶりにピザにありつける、そのぶん働かないと後が怖い」

 この女流の冗談なのだろうか、よくわからない。

 星刻はため息まじりで隠し通路の一つを教えた。

「ナイトメアを持ち出すわけでは無いのなら、この通路が一番楽だろう」

「ご厚意痛み入る、だな」

 猫みたいな女だ。するりと去る背中に、星刻はふとそんなことを思った。

 

 

 

 ルルーシュ・ランペルージとその弟は、あのゼロが現れ倒壊したバベルタワーに居合わせながらも幸いにして怪我もなく、日常に戻っていた。

「でも帰還祝いだって言って、その買い出しを本人にやらせますかあの人は」

 ルルーシュの弟、ロロはあの祭り好きの生徒会長の満面の笑顔を思い出して頬を膨らませる。ルルーシュにしてみれば、買い出し自体は別にどうということもない。彼女には慣れている。それよりも最近とみに表情豊かになってきた弟に喜びしかない。

 ゼロが引き起こした武装蜂起も無事収束した後、学園に戻ってからしばらく弟は明らかに殻に閉じこもったような有様だった。それが今ではころころと表情を変え喜怒哀楽をはっきり表に出すようになっている。

 いい傾向だと思う。

「そうだロロ、せっかくモールまで来たんだし映画でも見ていかないか」

 見せられた携帯の画面に、ロロが眉間にちょっとシワを寄せる。

「またそういう長そうな戦史もの……」

 映画館の上映カレンダーは明らかに三時間超であることを示している。

 監視の仕事としては手を抜けるが、普通に兄と街をぶらぶらする方が正直楽しい。

 とはいえロロとしても、せっかくの兄の誘いを無下に断るのも気が引けた。

「買い物はすぐ済むし、いいじゃないか」

 そんな弟の事情や気持ちをまったく知らないルルーシュにしてみれば、こういうジャンルに付き合ってくれそうなのがロロしかいないというのもあるが、あの映画館の暗闇で画面にだけ集中する、そんな時間が欲しかった。

 バベルタワーで目撃したものが、ショックではなかったといえば嘘になる。あの賑やかで優しい日常に戻るにも、少し間が必要だった。

 言い訳を付け加えるなら、多分ロロだってそうだろうという思いだ。

 ルルーシュと違いロロはあまり悲惨なものは目にしなかったようだが、瓦礫の中から救出されるまで数時間は闇の中に取り残されていたのだ。

 お互い外傷がなかったのは幸運以外の何者でもないが、心の方に何かあってもおかしくはない。

 そんなことがあっても両親は電話ひとつよこさない、あの人たちはいないも同然だ。だから弟を守れるのは自分なのだ。自分しか、いないのだ。

 ルルーシュは弟の手を取った。

「兄さん、ちょっと!!」

 言うほどロロは困っていない、むしろ笑顔だ。この笑顔のためなら、なんだってできる。ルルーシュはいたずらっぽい笑顔のまま弟と手を繋ぎながら映画館へ向かう。今度は、離れないようにと。

 

 

 

 かつてゼロであった少年の監視の任に就いた女は大きなため息をついた。対象は、よりにもよって監視の目のあまり行き届かない施設へ向かっている。

 ここで観客に紛れてC.C.が現れたら。手間と根回しを考えただけで頭が痛くなる。

「監視は張り付いてますから、大丈夫ですよ」

「ああ、そうだな……」

 言いながらもう一方の憂鬱な仕事も再開する。ちらりと横からのぞいた局員はあまり行儀がよくない。とはいえ見られて困るものでもない。

「また体育だけ追試ですか……」

「やればできるんだ。せめて授業くらいおとなしく受けてほしいんだがな」

 機密情報局と教師の二足のわらじに苦労しつつも、彼女はどちらにも手を抜けない。野心はあれども根が生真面目なのだ。

「うちもできるわりにサボる奴がいるから、なんとかしないとなあ」

 アンダーカバーながらもどこか楽しげに苦労する者は多い。異様に扱いにくいロロがこの場にいないせいもあってか、場の空気は和やかだ。

 ヴィレッタ・ヌウは苦笑いを浮かべると、追試の問題を作りながらショッピングモールのモニタをチェックする手伝いに加わった。

 

 

 

 ショッピングモールの吹き抜けで頬杖をつくC.C.の横顔は、わずかに不満げである。いつぞやのロリータファッションに比べれば、その服装は大人しく、モールでも浮くものではない。だが、それは彼女のお好みではないようだった。

「いいじゃないか、マオは似合うと言ってたんだぞああいうの……」

 ぷっと口を尖らせる横顔は見た目通りの少女のそれである。

〈餌らしく、ほどほどに目につけば充分なんです〉

 通信機越しに聞こえてくる声は、やや呆れ気味だ。

「わかってる、それよりいいんだな最低二枚は完食させてもらうぞ」

 今日の彼女の主目的である。デリバリーではなく、釜の焼きたてのピザだ。二枚と譲歩したのはデリバリーで埋め合わせさせる算段ではあるが、本音を言えば心ゆくまで堪能したい。

 とはいえおまけの任務の都合でそうも言っていられないのがつらいところだ。

 モール内をさらりと観察し、素早く目当ての店を見つける。

〈カメラの偽装時間はだいたい四枚ぶんくらいですから、その間はゆっくり味わってくださいね〉

 持つべきものはハッキングの才のある魔王の妹である。

 軽い足取りでC.C.は彼女の桃源郷へ向かう。チーズの香りの充満するこの世の楽園に。

 

 

 

 楽しげな人々が行き交うショッピングモールの中を、同じようにひやかしているように見せながら機密情報局の局員らは職務に励んでいた。監視対象は映画館でまさにチケットを購入しているところだ。館内と出入り口に監視を置けば、充分と言えた。なにしろ本人の隣にあの『弟』がいるのだから。局員らにとって、扱いづらい少年ではあるが、ことルルーシュ・ランペルージの監視としてはほぼ満点といえる。先日のバベルタワーの件を除けば、だが。

 あれについては、結局あれだけの騒ぎにもかかわらず空振りの上、仮にうまくいったとして本国からしゃしゃり出てきた貴族どもの手柄だったのだと思えば、彼らにしてみるとあまり失点という気分ではない。むしろこちらで押さえるチャンスが増えた、そう思う者がほとんどだ。バベルタワー倒壊後のルルーシュへの軍の聞き取り調査には明らかにC.C.から接触を図ったフシがある。再びチャンスが巡ってくる可能性は高かった。

 

〈対象らしき人物を確認、レストランフロアだ〉

 

 チャンスが、やってきた。

 昼の休憩に入ろうとしていた者はにわかに殺気立ち、休憩から戻ったばかりのものは量を調節すればよかったと嘆きつつも、彼らは行動を開始した。

 

 ゆったり味わうなら三枚まで。あの妹の口ぶりからそう判断し、もう一枚いきたいところをぐっとこらえる。

 デリバリーではない窯焼きの芳ばしいピザは最高だった。デザートのすすめを断るのも断腸の思いだったが、これでも囮の自覚はある。黒の騎士団がトウキョウ租界を占拠したその暁にはぜひこの店を贔屓にしたい。残っていればの話だが。

 上機嫌で会計を済ませ、その足でふらりとC.C.はモールをひやかし歩く。

 やはり気になるのはピザだが、こうやって歩いてみると、パエリアも魅力的だしドーサとカレーの組み合わせもそそる。チミチャンガはジャンクフードかもしれないが、これも惹かれるものがある。日頃生き飽きた顔をしていても、こういう時ばかりは生きてみようかなという気分に傾くのも無理はない、はずである。

〈食いついてきましたよ〉

 C.C.を現実に引き戻したのはナナリーからの通信だ。

「三分振り回して、例の経路で逃げればいいんだったな」

 楽しい時間の終わりに食い道楽の魔女は重い重いため息を一つついた。

 働かざる者食うべからず、世間は兎角世知辛い。

 

 映画館の闇の中でロロはヴィレッタからの通信を受け取っていた。

 横に兄がいる以上返信はできないが、幸いにして指示は簡潔だった。姿を見せた魔女がこちらに現れるまでは、ルルーシュ・ランペルージに張りついていろというものだ。

 つまり、時折ポップコーンをつまみながら兄の横顔をちらちら見ていればいいわけである。実に気楽だ。

「お前、もう少し画面見ろよ」

 ささやく兄は呆れ顔をしているが、今まさに彼を魔女がさらいに来ているのだ。実に呑気なものである。その口にポップコーンを押し込めばいささか納得いかない顔ながらももぐもぐとおとなしく食べる。

 家ではもっぱら自分が餌付けされているような気になるが、今は逆だと思うとそれも楽しい。C.C.が接触してしまえば終わりとわかっていても、楽しいものは楽しい。

 すべてが自分たちの上を何事もなく通り過ぎてくれればいい。虫のいい話だが、そんなことさえ思う。

 ロロ・ランペルージは己が暗殺者としては、もう使えなくなっている自覚がうっすらあった。

 当たり前だ。こんな家族をあてがわれたらあの嚮団の子供の誰だってこうなる。

 我ながらよくわからない開き直りに浸っていると、興を削ぐ振動音が響いた。

「携帯、切り忘れたろ」

 兄の指摘に肩をすくめる。実のところ切り忘れたのではなく、切れなかっただけだが仕方がない。そっと着信者を確かめて、ロロは小さくため息をついた。

「会長だよ兄さん、僕ちょっと出てるから」

 館内の客は少ない。さりげなく目を配ればすでにうっすらと見覚えのある顔の局員も客席にいる。

 目で合図を送り通路へ出る。出入り口も固めているだろうから、多少離れても心残りなだけで問題はない。

 さて、あのお騒がせ生徒会長である。あきらめを知らぬ様子で振動し続ける携帯に呆れながら彼は応じた。

『はじめまして、ロロ・ランペルージさん』

 声は未知の少女のものだった。

「だ……」

 誰、という声は喉の奥に引っかかってうまく出てこない。

『今日はご挨拶とお願いに失礼しました』

 携帯の向こうの声の響きはやけに楽しそうで、その実ぞっとするほど冷え冷えとさせられる。

『あの魔女はお兄様には近づけさせません、ですからどうぞ()()()()お兄様を、これからも守ってくださいね』

「君は、誰だ」

 やっと絞り出せた声は、自分の声ではないように低い。

 どこにいるかもわからない少女の声がくすくすと笑う。

『ナナリーと申します。ロロ・ランペルージさん、いつかお会いできると素敵ですね』

 通話は一方的に断ち切られた。

 何が素敵なものか。

 間抜けなほど明るい通路の壁に背を預け、そのままずるずるとうずくまる。

 ロロは、ルルーシュ・ランペルージのかりそめの弟は、携帯を握りしめることしかできなかった。

 モール中に警報が鳴り響いても、彼はただ、うずくまっていた。

 

 

 

 C.C.が外に出てから大して時間がたたないうちに、その放送が流れた。

 人質を使ってゼロに出てくるように迫るそれは、予想していなかったかと言えば嘘になる。とはいえさてどうしたものか、ゼロの代役の彼女は今租界のどこぞにいるはずで、ここにはいない。カレンでも代役自体は務まるだろうが、彼女は紅蓮弍式に乗せた方が実力が発揮できる。そして、残念ながら自分では体型が違いすぎる。

『大丈夫だよーゼロがこう、ドーンずざざーってやってくれるもん』

 あくび混じりの『声』が頭の中で響いた。

 やっと起きたと思ったら、こいつ完全に寝ぼけてやがる。

 卜部は目につかないようにそっと部屋の隅へいくと、聞きとがめられない程度の声で毒づいた。

「アホか、いねえよゼロ。それ以前に全く意味がわからん、勘弁しろ」

『……ドウシマショウ巧雪クン』

 やっと起きたと思ったら、心底頼りにならない。ぐったりしながら卜部は画面に目をやった。

 中継の画面では領事館の前に護送車が次々と姿を現わしている。特別目につくように拘束されている者らには明らかに暴行の名残があった。その中に藤堂の姿を見つけ、卜部の口がへの字になる。

「あのコーネリアの犬が、やってくれたもんだな」

『せめて千葉ちゃんの心配もしてあげようよ、この中佐バカ』

 即座に入った指摘を卜部はさらりとスルーした。視界を共有しているとこういう厄介が生じる。

 楽器を奏でるように端末を操りながら、ナナリーが振り向きもせずに口を開く。

「これだけの騒ぎなら主人の目に入るかもしれない、そういう部分もあるのでしょう。あるじを失った騎士は、無茶をしますから」

 少女の言葉にカレンが少し怯えた色を浮かべながら画面に視線を戻した。

 思い起こしたのは最後に見た生身の枢木スザクだ。あれは、まさしくあるじを失った騎士だった。だがギアスで操られ罪を犯し血にまみれて死んだユーフェミアとは違い、コーネリアは生きている。行方をくらませただけだ。その点に関してはギルフォードは枢木スザクよりはるかにマシだろう。

「それでもおおむね予想通りでしょうか、まさかご丁寧に全員連れて来てくださるとは思いませんでしたけど」

 ナナリーに侮蔑の色は無い。淡々と映像からわかる範囲のことをまわりの者に聞き、端末にすばやくデータを入力していく。

 何事かを耳打ちされた団員は慌てて部屋を出て行く。彼女は的確だが、意外に猶予のない指示を出すことが多い。

 何をお願いされたのやら、少しばかり恐ろしげに思いながらちらりと卜部がのぞいた画面は凄まじ勢いで移り変わっていた。その中には租界の基盤構造図まで紛れていたようにも見えた。

「C.C.さんにはもっとピザを用意してあげないと、私大目玉食らってしまいますね」

 くすくす笑うナナリーはひたすら楽しそうだ。

『……ゼロはいないけど、もっとえげつないのがいる』

 卜部の気持ちを代弁するように、引き気味の『声』が響いて消えた。

 

 

 

 

 

 

 ショッピングモール内に警報は誤作動だったと放送が流れた。

「映画の方は配信を待つか」

 おどける兄に、ロロは困ったような笑顔で応える。表面上はここでは警報でちょっとした騒ぎになっただけで、何も起きていないのだ。兄の態度は当然のものといえる。

 握りしめた携帯にはどういうわけか、先ほどの通話履歴は残っていなかった。そう、表面上は何もないのだ。

 避難誘導された人々から緊張感が徐々に抜けていく中、ロロはその空気から一人取り残されていた。

 ナナリーと名乗った少女は『()()()()()を守れ』と言った。それは彼の利害と一致するものでは、ある。命じられたことと、彼女の言葉と、ある程度までは齟齬もない。C.C.が兄に接触しない限りは。

 その意味ではあの提案は魅力だった。兄の『本物の妹』からの、魔女からの接触はない、という言葉は。

 問題は、彼女の真意だった。

 ロロは確信していた。ゼロを演出するものたちの中心にいるのは、間違いなくあの妹だ。

 その彼女にとって、兄をゼロに戻すことよりも、兄の無事が重要なのだろうか。だが、いくらロロ一人が彼女に協力しても、これは人質に取られているも同然の立場だ。皇帝や、あの嚮団の主の気まぐれでいくらでも()()()()()しまう駒であることに変わりはないのだ。

 それでも、兄が無事であれば、それでいいのか。

 あの『妹』は、ロロにとって得体の知れない生き物だった。

 不意に固く握りしめていた携帯が震えた。

「ロロ、電話じゃないのか」

「あ、うん」

 ロロ・ランペルージとして取り繕いながら、彼は発信者も見ずに電話に出た。

 

「やあ、また君に頼みたいことができちゃったんだ」

 

 声は、どろりと飲み込む闇だった。

 

 

 

 

 

 

 ルルーシュ、お前の妹は悪魔だ。

 C.C.はいやに手際よく用意されていた無頼の中で大きなため息をついた。

 彼女に言われるままにポーズを取れば、オープンチャンネルと外部スピーカーからは実にかつてのルルーシュっぽい口上が垂れ流され、茶番は開幕となった。

 護送車の人質が向ける視線が重い。

 お前らその困惑と憧憬目線やめろ、特に玉城。涙ぐむな、鼻水たらすな。

 こっちはお前が散々胡散臭そうに見ていた『妖怪ピザ食い女』だぞ、気づけ。

 C.C.は彼が叩いていた陰口はしっかり記憶している。報復しなかったのは、当時ルルーシュに『なんだ事実じゃないか』などと鼻で笑われて即座に蹴倒したから、ちょっと溜飲が下がってしまっただけのことである。

 今思い出すと普通に腹がたつ。放っておきたくなってきた。

〈いいですか、合図でちゃんと動いてくださいね〉

 彼女を現実に引き戻したのは盲目の悪魔だ。

 小さく息を吐いて、気を引き締める。ピザだ、すべてはピザのためだった。

 

〈にゃーん〉

 

 ナナリーの合図で、一気に囚人護送車周辺の大地が揺らぐ。

 正確には地上部分のパネルが次々とパージされ傾いていったのだが、それによって護送車は一気に領事館の領内へと滑り落ちていく。

 その中で、C.C.は──死ねないとはわかっているが──死ぬ気で無頼を動かしハーケンを、ランドスピナーを駆使して走り回っていた。

 ギルフォードが卑怯だなんだと詰っていたが、こちらはそれどころではない。

 揺らぎ傾いた地表を走り抜けるだけで必死だ。話を受けた時の『ゼロっぽく』などというオーダーなぞ知ったことではない。だいたいルルーシュの腕前だって中の中の上くらいだから自分とどっこいのはずである。あの妹は兄を美化し過ぎだ。

 ゼロの仮面などすでに放り捨てている。あんな視界でこの状況に対応できるわけがない。

「わ……割に合うかこんな取引!!」

 それでもなんとか着地を決めた瞬間である。さも彼女の無頼からのように、『勇ましいゼロの言葉』が流れ出した。

 ──日本の領内の日本人を救出せよ。

 中華連邦の領事館の黙認を盾にやりたい放題か。

 策といい弄する言葉といい、いかにもゼロがやりそうなことである。

 あの妹、兄のエミュレーションが完璧すぎやしないか。

 コクピットハッチの中でぐったりとコンソールに前のめりになってるC.C.の無頼と入れ違いに、カレンの紅蓮弐式と卜部の月下が現れた。

「さて、これでも手を出してくるなら仕方ないよな」

 卜部の笑いは獰猛さが滲み出ている。藤堂らが一年間やられた分をやり返す気でいるのだから無理もない。不用意に攻めてきたブリタニア機のランスを避け続けざまにスラッシュハーケンでその腕を奪う。続けて現れた二機目は廻転刃刀でそのコクピットブロックを切り捨てランドスピナーで駆け抜け次の障害物へ向かった。

 

 半ば呆れ気味に『声』は状況を眺める。

 さっきまでアクロバティックに無頼で駆け巡っていたC.C.扮するゼロがひっそりとよろけながら屋内へ入っていくのが見えたのだ。

 十中八九、酔ったのだろう。

 彼女は卜部やカレンほど、この鉄の騎馬に関しては腕が立つわけではない。おそらくあの動きも死に物狂いでやったはずである。

 少しは労ってやれと思うが、卜部もカレンもノリノリで、彼女のそんな様子などまったく意識にないのだろう。次々と楽しげにブリタニアのナイトメアを撃破していく。

 さすがにちょっと、かわいそう。

 今ごろトイレに駆け込んでいるだろうC.C.に、『声』は意識の中だけでそっと十字を切った。

 一方で、待機していた団員達の手により次々とかつての仲間が解放されていく。

 護送車に手出ししようとした不幸なナイトメアは、紅蓮の輻射波動の餌食になり爆散した。

 ここでようやく指示が出たのか、ブリタニアの動きが明らかに鈍った。

『チャンスじゃん、もう一機いっとく?』

 『声』が卜部を茶化す。

「バカ、撤退命令が出たんだよ、放っておくさ」

 卜部の言葉通り、そそくさとブリタニアのナイトフレームたちが退いていく。

 警戒は必要だろうが、とりあえずの危機は去ったのだ。

 視界の隅で軍時代からの上官である藤堂が救出される姿を認め、卜部はふうっと大きく息をついた。

 

 

 

 領事館の中庭にざわざわと人の声が行き交う。その声はみな明るい。

 ほんの少し前の、解放された仲間に飛びついて喜んでいたカレンの姿を思い出して卜部は声を立てずに笑った。

「卜部さん、嬉しそうですね」

 車椅子に乗り、卜部に押されていた少女も妙に機嫌が良いように見える。

「そういう君は良かったのか? 兄貴は」

「兄は大丈夫です、心強い味方がいますから」

 話をすると言っていた『弟』との交渉がうまく運んだということだろうか。

 どうもただの任務や損得ではないらしいあの『弟』の機微は、卜部には見当もつかない。ナナリーが言うのならそうなのだろうと思うしかない。

 向かう先ではこちらが声をかける前に気づいたようだった。

 藤堂がはじめに、続いて朝比奈、仙波、千葉と、ブラックリベリオン以来の再会になる顔ぶれが軽い喜びと、そして車椅子の少女に気づいて怪訝なものを顔に浮かべる。

『おまわりさんこいつですって顔だ』

 うるせえよ馬鹿。口には出さずに胸中で『声』を罵ると、卜部は軽い調子で声をかけた。

「藤堂中佐、遅くなってすみません」

 あとみんなも、とおまけのように言えば朝比奈が口を尖らせてぶうぶう言う。ずいぶんと久しぶりのそれには笑いしか出てこない。

「卜部、まずは礼を言うべきなのだろうが……」

 朝比奈をたしなめながら、藤堂が喜びと戸惑いをあらわにしたまま口ごもった。何かを言いかけてやめたのだと、卜部が気づいた瞬間だった。

()()()()ご無沙汰しておりました、ナナリー・()()()()()()です」

 ナナリーが、先んじて藤堂に名乗った。

「そうか、やはりあの時の」

 藤堂の中では彼女について納得がいってしまったらしい。四聖剣は卜部も含め置いてけぼりだ。

 続いた言葉には、卜部ですら目を剥いた。

「……つまりゼロは彼か、なるほどな」

 何かが腑に落ちた顔で藤堂がわずかに俯く。

 誰も口を挟めないまま、ナナリーが応じた。

「はい、一年前は」

 わずかに藤堂が眉をあげた、瞬間である。

 

「ゼロだ!!」

 

 誰ともなしに歓声が上がる。

 中庭に現れたのは、確かにゼロの姿をした者だった。

 慌てた様子でカレンがゼロのそばへ駆け寄る。

「卜部さん、私もあちらへ」

「えっああ、すみませんちょっとまた後で」

 ナナリーに促され、卜部も二人の元へ向かう。ちらりとまわりを伺えば、彼と同じ逃亡組の人間は戸惑いをその顔に浮かべている。

 それはそうだ。

 間違いなくあのゼロは、さっきまで無頼で駆け巡っていたC.C.なのだから。

『どうすんだこれ』

「ほんとどうするんだこれ」

 つられてもれたつぶやきに、ナナリーがふわっと笑った。

 それは柔らかいものだったが、刹那、卜部はなぜかそこに得体の知れない生き物を見た気がした。

 

 ナナリーがゼロに扮したC.C.の前に姿を現わせば、場の空気がわずかに静まり困惑の声がさざめく。

 無理もない、一年間囚われていた者たちは彼女の存在を知らない。

 盲目の車椅子の少女、そして当たり前のように受け入れている再会した仲間。

 それは、未知のものだった。

 その未知の少女がなんでもないことのようにゼロに言う。

「仮面を、渡していただけますか?」

 静まり返った人々の中心で、ゼロは──あっさりと仮面を脱いだ。

 ふわりと広がる若草色の髪、射抜くような琥珀の瞳、それはゼロの傍らにあったもので、ゼロでは、ない。

 

「……ゼロじゃ、ない」

 

 誰かのつぶやきに、ゼロの仮面を受け取ったナナリーが応じた。

「はい、ゼロは…一年前のあの日までゼロと呼ばれていた人はもういません」

 それは群衆から少女への疑問などわきへ押しやる言葉だった。

 

 カレンと卜部がわずかにぎょっとした顔で少女に目を向けたが、それに気づけたのは群衆の中で黙って成り行きを見守っていた藤堂だけだった。

 C.C.は表情を動かさない。元々彼女は読みにくい人間だ。

 藤堂はさりげなく周囲を観察する。

 皆がこの車椅子の少女の言葉に、その膝の上の仮面に目を奪われていた。

 さっきまで、確かに彼らはそこにゼロを見ていたのだ。

 だが、それが突然幻想だと告げられた。

 空っぽの仮面は彼らから言葉を奪っていた。

 少女の声が響き渡る。

「ですが、ゼロは()()()()()()

 少女が大事に抱えるのは、仮面だ。

 主人のいない仮面、空の仮面だ。

「ゼロは、願う人、憎む人、焦がれる人、求める人それぞれの中に」

 そっと壊れ物を扱うように、少女は仮面を戸惑う群衆に向ける。

 仮面は艶やかな鏡のように、それを見ようとする人々を映す。

 それぞれのゼロが、そこにある。

 彼らの中に少女の言葉が染み込んでいく。

()()()()()、みなさんひとりひとりに、そして私にも」

 たおやかな少女の声に、静かではあるが力がこもった。

「だから、できたんです。()()()で小さくても日本を、あなたたちを取り戻すことが」

 カレンがそっと彼女の傍らに歩み寄った。彼女の穏やかでどこか誇らしげな顔はその言葉を肯定するものだ。

 その気配に少女は少し笑いかけ、再び群衆に向き直る。

「力無き者の力を、この理不尽な世界に少しでも届かせる、それができたのは──()()()()()()()()からです」

 それは耳当たりのいい、優しい甘い誘惑だった。

 目も足も効かない少女はまさに無力を、力無きものを象徴する存在だ。

 だがその彼女が言う通り、()()()()がいなくても彼らを救ってみせたのだ。

 力無き者が、ブリタニアの理不尽を覆した。

 あのゼロはいない、だが彼らは『ゼロ』をやってのけた。

 皆がゼロで()()こと。それを信じこませるものが、その姿にはあった。

 

「……ゼロ!!」

 

 熱に浮かされたように、誰ともなしにゼロを呼ぶ声が上がり、それはいつしかまわりにも伝播していく。

 ナナリーが供物のようにゼロの仮面を再び捧げ持てば、熱狂はさらに高まっていった。

 藤堂は、彼らのようにはなれなかった。

 周囲が熱に飲み込まれていく中でただ一人、漠然とした不安だけが胸に広がっていくのを感じていた。

 

 一団から少し離れた場所で卜部は座り込んでいた。そっと抜けても気がつかれないほどに、ゼロを呼ぶ声は熱を帯びている。

 正直なところ、あの空気は少し恐ろしい。

『ワーオ、なんかカルトみたい』

「そのものズバリな感想ありがとよ」

 あの場にとどまって、それでも飲まれる様子もない藤堂は大したものだ。

 自分では朝比奈や千葉同様、雰囲気に乗せられていただろう。

 仙波がこちらにちらりと目を向けたのは、彼もどちらかといえば乗りきれない方ということか。あの男は元々そういう気質がある。

 それにしても、ナナリーという少女が実際のところどう思っているのか卜部にはわからなくなった。

 兄を取り戻したいのだと思っていた。

 だが、一度目は奪還に失敗し、今度は強引に行けば少なくとも兄との再会は果たせたかもしれない機会だったというのに、こちらを優先した。

 その上での、ゼロが、兄がここにいなくても良いと言ったも同然の今の宣言だ。

 彼女の目的はなにか──そこを見誤ると足元をすくわれる、そんな気がしていた。

 

 

 

 

 

 

 やはりゼロは本物だった。

 鮮やかに詭弁と奇策を用いて虜囚を解放したそれは、まさしくゼロの手だ。

 ディートハルトはぐっとステップを踏んでしまいそうになるほどの高揚感を抑えた。大人には守らなければならない体面というものがある。

「藤堂鏡志朗、このおじさまですか」

 少女の小さな指は画面をズームしたり引いたりを繰り返す。あまりぴんとこないようだ。

「ゼロ様もよろしいかと思いますけど、一番有望でしょうね」

 神楽耶の言葉にディートハルトは上がったテンションが急降下していく自分を意識した。少し前からどうも、きな臭い会話の流れだとは思っていたのだ。

「素性ははっきりしてますし、ネームバリューに扱いやすさ、他にない優秀さですのよ」

 取らぬ狸の皮算用という気がしないでもないが、日本と中華が手を結ぶ未来が訪れるならば対外的にわかりやすい手段がある。

 婚姻である。

 かつて神楽耶がゼロに迫ったように、天子もまたこれ以上ないブランド力があるのだから、その立場と存在を利用しない手はない。つまり彼女たちは婿候補を品定めしているのだ。しかも確実に神楽耶の意向に逆らえなさそうな人材で。

「稽古ごとでもなければ基本的に子供に甘い男ですから、いくらでも天子様の大事な星刻様と一緒にいられますわ」

「もう神楽耶ったら」

 顔を赤らめて恥じらう少女の姿ははたから見れば、可憐だろう。

 はなから愛人を作りますよ、という言動でなければ。

 救いとツッコミを求めても、今日も今日とて宦官どもははるか彼方で愛想笑いを浮かべているだけ、ラクシャータは逃げ出したし、咲世子は相変わらずの笑顔でお茶のおかわりを注いだりしている。

 ああ、これだから天然は。

「あらディートハルト、お行儀の悪いこと」

 まさか、自分が他人のモラルを疑う日がくるとは思いもよらなかったディートハルト・リートは机に突っ伏していた。思いもよらないところで縁談が進みつつある藤堂鏡志朗に、ほんの少しだけ同情しながら。

 




誤字があったのでちょい修正。

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