例年と比べて比較的暖冬になると予報されていた東京の街に、今年初めての雪が降った。どんよりとした灰色の分厚い雲が空を覆い隠し、閉められた窓を雪と一緒に強い北風が叩く。まるで冬の季節を切り取ったみたいな風景が窓の外、寒空の中に広がっている。
それは、卒業まであとひと月を切った二月始めのことで。高校生活三年間も、あとひと月。それともやっとひと月なのか、人それぞれに思うところもあるだろう。私にとっては、前者。あとひと月足らずで終わってしまうという思いが強い。そのせいなのか、この雪がどこか、今の自分の気持ちを表しているみたいに思えて、ほんの少しだけ物悲しい気持ちになった。
「とりあえず、おめでとさん」
私の気持ちなんてお構いなしに、こたつに入っている
「サンキュー」
彼の正面に座る
「でも、本番これからだろ? 特に、お前はさ」
そう、二人にとっての本番はこれから。
センター試験の足切りをクリアした二人は月末に、国内最難関の殿様大学への本試験に臨む。あと、
「まーな。でも、今日ぐらいいいだろ。めでたいんだしさ」
「ずいぶんと余裕なのね。本試験が残ってるのに」
「オレ、A判定取ったし」
「最後の方だけでしょ」
「いいんだよ、本番に強ぇーから」
余裕綽々の
「つーかさ。どうして、
「あら、私のこと知らないのね。
「ちょっと待ってね。よっと......はい」
身体をやや捻って、棚に置かれていた朱雀学園のパンフレットの入った封筒を手渡してくれた。
「ありがと」
受け取った封筒の中から学校案内パンフレットを取り出して、こたつテーブルの上に目当てのページを開いて置く。
「これを見なさい」
「あん? これって......
驚きを隠せない
「幼稚園頃から朱雀学園に通っているの。だから、大学も朱雀大学に進学するって最初から決めていたわけ」
「へぇ、純粋培養ってヤツか。けど、なおさら複雑なんじゃねぇーの? 別々の学校になるかもだろ」
「それはそうだけど......。別に、同じ学校じゃなくたって会えるわ」
それに同じ大学に進学しても学部が違うから、同じ講義を受けるわけじゃないし。どっちにしても、一緒にいられる時間はきっと今よりもずっと少なくなってしまう。
――もう、そういうこと考えないようにしてたのにっ。ホント、デリカシーの欠片もないわね。
批難の視線を向けると、片ひじをついてニヤニヤと笑っていた。
「なによっ? その笑い方はっ!」
「別に~。ま、色々やりようはあるわなーってな。さてと」
どこか意味深にニヤケ顔で言った
「じゃあオレ、帰るわ」
「まだ、5時前よ?」
「雪も降ってるぞ?」
「このくらいなら問題ねーよ。つーか、今以上に酷くなるとマジで帰れなくなりそうだからな。オレも受験生だし。一応」
「傘は?」
「折り畳みがある」
スクールバッグから、折り畳み傘を取り出した。
「そんな小さな傘じゃ風に持っていかれるわよ。外、結構吹雪いてるし」
「だね。俺の持っていっていいよ」
「お、いいのか?」
「ああ。どうせ、しばらく使わないから」
「んじゃあ借りる。サンキュー!」
玄関の外まで
「時間、大丈夫?」
「平気よ。今日は、晩ごはんも食べてくるって言ってあるわ」
「そっか」
「また吹雪いてきたね」
「天気予報じゃ積もるほどじゃないって言っていたけど。帰れなくなったら泊めてもらうわ」
と言うのは、冗談。付き合い始めてから、私は一度も朝帰りをしたことがない。特別門限があるわけじゃないけれど、いつも22時までには家に帰ってる。だから、冗談だってわかっている
「ところで明日は、何時に出るの?」
「朝八時に駅前に集合だから、七時には出たいかな」
「準備は?」
「あとは、参考書を入れるだけだよ」
視線の先、部屋の隅には大きめスポーツバッグが既に用意されている。参考書は、筆記用具と一緒にコタツの上。
「じゃあ、ちょっと早いけど晩ごはんにしましょ。キッチン借りるわね」
「ありがと」
こたつを出て、台所に立つ。いつかから常備するようになったエプロンを着けながら、参考書に目を落としている彼の横顔を見つめる。
「ん? どうしたの?」
「なんでもないわ。あっ、明日の朝のぶんの食材は残しておいた方がいいかしら?」
「大丈夫。コンビニ寄っていくから」
「そう。じゃあ使わせてもらうわね」
二人分の晩ごはんを作って、こたつへ持っていく。あり合わせの食材で作ったから凝った料理はできなかったけど「おいしい」と笑顔で言ってくれる。つられて、私も笑顔になる。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさま」
「ねぇ、
「なーに?」
食べ終えた食器を片付けようとしたところで、呼ばれた。
「全部終わって落ち着いたら、どこか遊びに行こう」
「......うん!」
思いがけないデートの誘いに思わず返事に力が入る。すぐに洗い物を片付けて、隣に座った。
「どこか行きたところある?」
「そうねぇ~」
受験勉強の合間の気分転換で、カフェとかへ行くことはあっても、デートは久しぶり。デートの定番は遊園地、水族館。テーマパーク。それから、ショッピング。でも逆にいえば、行こうと思えばいつでも行けるありきたりなデートスポットでもある。せっかくなんだから、どこか特別な場所がいい。
――特別な場所。
考えていると、ふと、行ってみたいところが頭に浮かんだ。
「ちょっと遠くだけど、いいかしら?」
「うん、いいよ」
「えっと、じゃあ
「ウチ? ここ?」
「そうじゃなくて、静岡の実家よ。ダメ、かしら......?」
「構わないけど、特別観光地じゃないよ? 普通の田舎だし、茶畑は多いけど」
「いいの。見てみたいのよ。どんな街で過ごしていたのか。それに――」
「それに?」と、彼は首をかしげた。
「ほら、あれよ。大会のあと閉会式とか、インタビューとか、祝勝会とか、いろいろばたばたしててちゃんと挨拶できなかったでしょ。だから」
「あぁ~」
ちょっと微妙な反応。
――いきなり挨拶なんて言ったから引かれたかしら......? でも私の両親には三年に上がってすぐ、サッカー部に入ること伝えた際、どんな彼氏なのか知りたいから今度連れて来なさいって言われて、ちゃんと紹介してる。将来は、スポーツ専門のお医者さんになるために医学部への進学を目指していること。選手生命に関わる大ケガを乗り越え、親友との約束を果たすために努力して復帰したこと。なにより、
「何してるのよ?」
考えごとをしている間に、彼はスマホを操作していた。
「今度、
「そ、そう、じゃあ早めに決めないといけないわね」
――そうよね、ご両親の都合を確認しないでいきなり訪ねたら迷惑になるわ。それに身だしなみもちゃんとしていかないと。
「やっぱり、卒業してからの方がいいよね」
「ええ、私もそう思うわ」
とにもかくにも殿大受験が最優先。この話は、落ち着いてからゆっくり決めようと言うことになった。
* * *
「はぁ~......」
大きなタメ息と同時に、ベッドにうつ伏せで倒れ込む。スマホを見てみるも、着信もメッセージも届いていない。
「二週間って、こんなに長かったのかしら......?」
カレンダーの日付を見て、思わず本音が溢れる。
U-18日本代表合宿に参加する彼を駅で見送った日から、四日の夜。まだ四日しか経っていないのに、会えない時間の切なさが胸に込み上げてくる。付き合いはじめてから一緒に居ない日なんてなかったんだから、無理もないと自己肯定.。
「ハァ......」
またひとつ、タメ息。この二回目のタメ息で気づいた。
――そうなのね。
それなのに私は、たった四日会えていないだけなのに、こんなに......。
情けない気持ちと同時に、二人には申し訳ない気持ちになった。起き上がって、ベッドに座り直して、ゆっくりと深呼吸。
気を取り直し、気分転換も兼ねてお風呂に入ろうとした矢先、スマホが鳴り響いた。ディスプレイに表示された名前は、心待ちにしていた人。
「も、もしもし」
突然の電話に思わず、なんだか変に緊張してしまった。
『あっ、
「平気よ」
邪魔にならないようにメッセージで連絡のやりとりはしていたけど、電話は初めて。声を聞けたのも、四日ぶり。
『そう? よかった』
「それで、どうしたのかしら?」
『時間が取れたから。
「そ、そう......」
そう言ってもらえると嬉しいけど、ここまでストレートに言われるのも反応に困る。嬉しいけど。思わず二回も思ってしまうほど。鏡は見れない、間違いなく頬が緩んでる。
「合宿は、どうなの? やっぱり、大変なのかしら?」
『そうだね、練習時間は部活よりも短いけど、その分内容が濃い。あとミーティングが長い』
『仕方ないんだけどねぇ』と、電話越しで苦笑いしている。サッカーはチームプレー。部活でもフォーメーションの確認はことあるごとにプレーを止めて、何度も何度も繰り返し話し合っていた。日本代表はもっと短い時間で、それも初めて組むメンバーで形にしないといけないのだから大変に決まっている。
「受験勉強する時間は取れるの?」
『ちゃんとしてるから大丈夫。ルームメイトから「もうちょい電気絞れ」って苦情が来るけどね』
「ちゃんと寝なきゃダメよ。無理して体調崩したら、元とも子もなんだから」
『はい、気をつけます』
「おーい、風呂の順番だぞー」と、ルームメイトと思われる男子の声。
『了解。ゴメン、呼ばれた。また連絡するね。おやすみ』
「ええ、おやすみ」
通話が切れたのを確認して、そのまま身体をベッドに預けるように仰向けで寝転がる。久しぶりに聞けた声。
――今夜は、きっとぐっすり眠れるような気がするわ......って、お風呂入らなきゃ。浮かれて、忘れていた。
「ん? メッセージ?」
着替えを用意していると、電話とは違う着信音が鳴った。メッセージの送り主は、
* * *
「お、来たか。上がってくれ、こっちだ」
「ええ、おじゃまします」
メッセージを受け取ってから数日後のお昼過ぎ。私は、
「あら。もう、みんな来ていたのね」
「やっほー、
リビングには私に手を振る
「遅いよ、
「約束の時間はまだでしょ?」
そうナンシーに答えて、空いている彼女の隣の椅子に座り、足元にバッグを置く。
「髪、下ろしたのね」
ドクロをあしらった髪飾りで結っていたツインテールの髪を、初めて出会った時と同じように下ろしたナンシーは、少し不安そうに訊いてくる。
「ヘンか?」
「似合ってるわよ。シドも、そう思うでしょ?」
「お、おう、イカしてるぜ......!」
「そ、そうかい?」
「おーい、飲み物行き渡ったかー?」
「そんなのあとでいいから早くチャンネル合わせないと始まっちゃうわよっ」
「そう慌てんなって、まだ始まんねーよ」
と言いつつも、ソファーに深く腰かけている
「ん? 専門チャンネルなのかい?」
「地上波も、衛星放送も、ライブ中継はなかったんだよ。夜中に録画放送はあったけどな」
「まさか、
「当然。なんてたって、
今日は、U-18日本代表の国際親善試合の日。先日の
「あれ? まだ、やってないわねぇ」
「練習中ですねー」
「言っただろ。試合開始まで時間あるって」
「じゃあおれ、今のうちに何かつまめるもん作るぜ。みやむー、キッチン借りるぞー」
「おう、好きに使ってくれ」
「あれー?
「うむ、
「へぇ、アメリカから戻って来てたのか。つーか、代表でもキャプテンマーク巻いてんのか」
「ねぇ、
「二試合で全員を試すって聞いたわ。ベンチ内にはいるハズよ。あっ、ほら居たわ」
フィールドに並ぶ選手たちを写していたカメラが、ベンチの映像に切り替わった。
「なーんだ、じゃあ出たら教えてー」
「
「だって
「そうそう。あの人、試験前になると鬼ですからっ」
「まったく、キミたちは......」
共感し合う
そうこうしている間に試合が始まった。
試合展開は行ったり来たり、ほぼ互角のぶつかり合い。先に均衡を破ったのは相手チーム。不用意に与えてしまったセットプレーから体格差を活かされ、先制点を奪われてしまった。
その後もサイド攻撃を起点に何度もゴールを脅かされながらも辛うじて凌いでいたのだけれど、アディショナルタイムに二点目を奪われて、前半戦を終えた。
「予想以上に劣勢の展開ですね。特に中盤の力の差が大きいです。てゆーか、相手のフィジカルやばすぎ」
「お、
「これでも、フットサル部の部長ですから」
「ははっ、そうだったな。そういえばお前たちも、入部したんだって?」
「い、いや、おれは頼まれて人数合わせなだけ――」
「そうなんですよー。生徒会引退したらぼっち逆戻りになっちゃう
「お、オイッ!
――まったく、騒がしいわね。
本当は最低三人いないと休部になってしまうため、
「おい、そろそろ後半戦が始まるぞ、ん......? おい!」
「あっ、
「――えっ?」
選手交代のアナウンスが場内に流れる。
「マジだ。背番号は、部活同じ14番か......!」
「てゆーか、本当に日本代表なのよね? 友だちが日本代表で世界相手に戦ってるなんて、なんだか変な感じ......」
「まあオレは、外交官になる予定だから、いずれ世界を相手に戦うことになるけどな......!」
「ええ~、あんたが外交官~? 日本沈没するわね」
「おれもおれも、将来は世界に自分の店を出店するのが夢なんだ。大学で経営学びながら親父の店で修行するつもりだぜ!」
「へぇ、
「つまんなーい」
「無難過ぎて捻りがねぇところが
「キミたちは、いつになったら先輩の僕を敬うんだい!?」
「あははっ、
「アタシ? アタシは、学校の先生! 学校は勉強するだけじゃない、楽しいところなんだよって教えてあげるの!」
「
「むっ、なによ~っ」
みんなちゃんと将来のこと考えている。そんな話している間に、後半戦が始まっていた。私は、会話に参加せずに食い入るようにテレビに見入る。
「
「私? そうねぇ......」
テレビ画面越しにプレーしている、彼の姿を見て思う。
出来ることなら、ずっと側に居て支えになりたい。だけど、私にしてあげられることはあるのかしら......。
「お嫁さんだったりしてなっ」
唐突な発言に、一瞬言葉を失ってしまった。
「......マジ? アタリ?」
どこか気まずい空気がリビングを包み、実況と解説の声だけが虚しく響く。
――どうして
「でもまあ、女子なら誰でも思いますよ。いつかはって」
「ウェディングドレスは女子永遠の憧れですもんねー」
「確かに、それはアタシも思うわね。うんうん」
「ノアもー、いつか先輩とぉ。えへへ~」
「それ、結婚したいんじゃなくて。結婚式を挙げたいだけなんじゃねーのか?」
「ハァ......
「ああん?」
観客席から歓声が沸いた。画面には、
「あの二人のパス交換で完璧に崩したな。相手が綺麗に両サイドに分断されて、最後は裏に飛び出してフリーの
「いつものパターンね。もう失点しないわ」
「追う展開はなっから想定済み、か。選手権も同じだったな。あの時の強敵が味方か、そりゃ心強いわな」
相手チームのキックオフで試合再開。後半戦は劣勢だった前半戦とは打って変わって終始日本のペースで試合が進む、残り10分で同点に追いつき、続けて何度も決定機を作るも相手の必死のディフェンスに耐えきられ、結果は引き分けに終わった。
そして、全得点の起点になった活躍を見せた
その、すべてをやり終えたのような横顔は、とてもスッキリしたような表情だった。
だけど私には、どこか儚げで、少し寂しそうに感じて――。
――本当に、これでいいのかしら......?
私の心の奥に、ずっとそんな想いが残っていた。