覇王の冒険   作:モモンガ玉

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村娘の戦い

「エンリさん、その鎧は・・・。」

 

エンリが身に纏った漆黒の鎧を見て、ラキュースが問いかける。

王都にまで響いていたエンリの噂によれば、彼女が纏うのは深紅の鎧であるはずだ。身体能力や性格については様々な憶測が飛び交っていたが、鎧に関してだけは疑いようもないほどに1つの情報に収束していた。

返り血で染め上げられたかのような紅の鎧だと。

 

初めてエンリと対面した墓地では、2本のグレートソードを目にしただけだ。噂に聞く深紅の鎧はまだ1度も見たことが無いため、おおよその性能も噂を頼りに推測するしかなかった。

だが、少なくともこの漆黒の鎧が並々ならぬ性能を秘めていることは容易に理解できた。そこいらの刃では傷も付けられないだろう。自らの所持する魔剣・キリネイラムならあるいは、といったところか。

 

「ラキュースさん。」

 

エンリがこれまでで一番低い声を発する。

 

「今の私はエンリではありません。私は―――」

「やっぱり・・・そういうことなのね。」

 

その先を聞くまでも無く、ラキュースは全てを察した。

酒場での打ち合わせの際にひしひしと感じていたものが、間違っていなかったと。

 

「今のあなたは、エンリさんの中にいるもう1人のエンリさん、でしょう?」

「っ・・・! なんで・・・?」

 

エンリが―――いや、もう1人のエンリが驚きの余り後ずさる。

 

「最初に宿で話し合いをしたときから薄々と感じてはいたの。確信を得たのは今だけど。」

「そう、ですか。これからは気を付けなければいけませんね。」

「それで、あなたは何と呼べばいいのかしら?」

「・・・では、モモンと。」

 

モモン。

ダーク・エンリだとか、アウトサイド・エモットだとかいう名前を想像していたのだが、案外可愛らしい名前が出てきた。

いや、優しく心を解きほぐして洗脳していく悪魔という設定ならアリか・・・?

そういう設定なら―――

 

「では行きましょう、モモン。」

 

呼び捨てにしても問題ないはず。相手は悪魔という設定なのだから。

 

「ん・・・あぁ、ラキュース。」

(よし、間違ってないわね。)

 

思いがけないところで同志に出会い、ラキュースはご機嫌だ。

早速目の前の塀を飛び越えようと、跳躍の姿勢をとる。

 

「その前に頼みがある。」

 

だがモモンは態勢を変えず、話を続けた。

 

「さっきも言った通り、今の私はエンリではない。これから私が行うことを見ても、これまで通り接してくれると嬉しい。」

 

その声は尻すぼみに小さくなり、自信の無さを伺わせる。

威圧感のある鎧で控えめにお願い事をされると、ギャップが凄まじい。

 

モモンは、気取った言い回しや過剰な演技をしてもドン引きしないで欲しいと言っているのだろう。その心配は杞憂だというのに。

当然エンリの持つ趣味については秘密にするし、自分も同志であることは今回の戦いの後で告げるつもりだ。仲良くなりたくない訳がない。

 

「これまで通りとはいかないわ。」

「そうか・・・。」

 

モモンが力無く項垂れる。裏の人格の割に随分と頼りない。

ラキュースは1歩距離を詰めて中腰になり、俯いたモモンの目を真っ直ぐに見据えた。影になって見えないが、そこに目があるであろう兜の隙間を。そして力強く親指を立てる。

 

「これまで以上、よ!」

 

自信なさげなモモンを安心させるように、満面の笑みを浮かべる。

彼女(モモン)の目が一瞬輝いたような気がした。

 

「本当にありがとう。では、行こうか。」

 

言いながら、モモンは握り拳を振りかぶっている。

やる気十分といったところだ。これから潜入という地味なことを行うのに、やる気に満ち満ちていても大丈夫なのだろうか。少し心配になってきてしまった。

 

「え、ええ。」

 

ラキュースの返事は、辺り一帯を揺るがすような轟音に掻き消された。

モモンが掲げた拳を振り抜いたのだ。

拳が直撃した塀は粉砕され、瓦礫へと早変わりする。とてつもない殴打を受けた塀には人が3人ほど並んで通れるほどの穴が空いていた。

 

余りの光景に、開いた口が塞がらない。

普通はギリギリのタイミングまで気付かれないように、密かに行動するべきだ。堂々と壁を突き破るなどあり得ない。

いやそもそも、この分厚い壁を拳ひとつで破壊できるものだろうか。モモンが武技を発動したようには見えなかった。

 

放心するラキュースを余所に、モモンはずかずかと土煙の中を進んでいく。

慌ててその背中を追いかける。これだけ大きな音を立てておいて侵入するのは危険だが、1人で行かせるのはもっと危険だ。

 

「ちょ、ちょっとモモン、なんてことを―――」

 

土煙を抜けた先では、腕組みをした大男が待ち受けていた。

 

「どう侵入したところで、いきなりボス戦のようだからね。」

 

その男には覚えがあった。丸太のように太い手足と、全身に刻まれた紋様。

八本指最強の戦闘部隊“六腕”のリーダー、ゼロだ。

その横に控えているのは“不死王”デイバーノック。

 

(で、あいつらは・・・。)

 

ラキュースの目に留まったのは、館の2階。

バルコニーにいる集団は、警備部門の戦闘員ではない。豪奢な衣服に身を包んだ若い男女の集団が顔に嘲笑を浮かべて傍観している。中には紅茶を啜っている者までいる始末だ。その容姿からすると、八本指と結託している貴族の跡取りだろう。

八本指のメンツを保つための公開処刑か。

 

(私に顔を覚えられるかもとか考えないの? 本当に間抜けね。)

 

この様子を見るに、蒼の薔薇が八本指に襲撃をしかけることは事前に察知していたはずだ。それを知ってなおこの場にノコノコ現れるとは、親が少しだけ不憫に感じる。

 

「随分と派手な登場だな。静かに入ってこれんのか?」

 

能天気な若者達に呆れていると、ゼロが口を開いた。

本当は自分も静かに行動したかったのだが、こうも堂々と待たれていると結果は変わらなかっただろう。

 

「いやすまない、ノックのつもりだったのだがね。」

「なかなかに面白い冗談だ。」

 

これ以上の問答は不要とばかりにゼロが拳を構える。

モモンも自然な形でそれに応じるものだと思われた。しかし、モモンは武器を構えるどころか、着用している鎧を消し去った。

この場にいる全員が目を丸くするが、モモンはそれを気に留めた素振りも見せない。

 

「殺す前に聞いておきたいんだが、貴様の組織の所有物に娼館があるはずだな?」

「ああ。それがどうした?」

 

モモンの眉間に皺が寄り、目尻が吊り上がる。それは普段のエンリからは想像もできないような形相だ。

付き合いの浅いラキュースでも分かる。

怒っている。彼女は今、とてつもなく怒っている。

 

「トップは誰だ。どこにいる。」

「ふん、なるほどな。」

 

ゼロはその問いかけに答えず、口角を上げる。

 

「処分予定の女が消えたとか言ってたが、やはりお前だったか。ならば、ここは言わないほうが楽しめるということか?」

 

その此方を馬鹿にしたような態度に、モモンは心底嫌そうに舌打ちした。

 

「どうした、早くご自慢の剣を出せ。始められんだろう?」

「・・・まあいい。聞く方法はいくらでもある。」

 

そう言ったモモンが一瞬、横目で此方を見た。

 

(私の目を気にしてる・・・? いやいやまさか、ね。)

 

拷問でもして強引に聞き出すつもりなのか。

いくら演技が入っているからといって、いたぶられた女性を見て涙を流すような少女にそんなことができるとは思えない。

ならば、魔法か何かで口を割らせる手段があると考えるのが妥当だ。

物理的な戦闘をこなせる魔法詠唱者(マジック・キャスター)というのもあり得ない話ではない。実際に自分がそうなのだから。

あの目に追えない速度の打撃も、魔法で後押ししたものである可能性は高い。

もしそうだとすれば、彼女は同志であり、自分と同等の戦力を持ち、似た戦闘スタイルであるということになる。

 

(私とエンリさん、すごく似てるわね・・・。)

 

ゼロがモモンガを挑発し、モモンガの腸が煮えくり返っている中、ラキュースは1人そんなことを考えていた。

 

「いつまでも待たせておくのもなんだが・・・。」

「なんだ、まだ何かあるのか?」

 

会話の最中にも構えを解かなかったゼロだが、ここに来て漸く姿勢を戻す。

いい加減にしてくれとでも言いたげな表情だ。

 

「俺だって早く済ませたいさ。だが―――」

 

ゼロが緊張の糸を緩めたのも束の間、すぐに臨戦態勢を強いられることになった。

モモンの姿が跡形も無く消えたのだ。

それには足音も風切り音も風圧も伴わず、姿だけが忽然と消え去った。

 

「目障りだぞ?」

 

ゼロだけでなく、デイバーノックとラキュースも声のした方向へ咄嗟に振り向く。

バルコニーの手すりの上にしゃがみ込んでいる人影。此方からは逆光になっていてシルエットしか見えないが、貴族が意味も無くそんな行動をとることはない。間違いなくモモンだろう。

 

(《次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)》・・・想像以上ね。)

 

次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)》は短距離を一瞬で移動する、第3位階に属する魔法だ。

膂力の底上げ等の補助的な魔法が得意なのだろうと踏んでいたが、ここまで実戦的な魔法が飛び出してくるとは思っていなかった。

淑女にあるまじき格好でしゃがんでいるその小さな影を感心しながら見つめていると。

その背から、絶望が噴出した。

 

「ひぅっ!」

 

黒いオーラを幻視してしまう程の強烈な殺気。腐敗した風が体を突き抜けたかのような凄まじい嫌悪感。この世全ての悪感情を濃縮したような気配が空間を侵食した。

あらゆる隙間から恐怖が心にねじ込まれ、刻まれていく。

 

全身から冷たい汗が噴き出した。

鼓動が早まり、体温が上昇する。

不快だ。とてつもなく気分が悪い。今すぐ邪魔な鎧を脱ぎ去ってしまいたい。油断すると体が勝手に地面でのたうち回りそうだ。

頭が意味の無い衝動で支配されていく。自分が自分でなくなったように。

正常な思考が緩やかに停止していく―――。

 

「――――ぐぅっ、《獅子ごとき心(ライオンズ・ハート)》!!」

 

意識が途切れるすんでのところで魔法を唱えられたのは、長い冒険者生活の賜物か。

なんとか平静を取り戻し、荒い呼吸を繰り返す。

 

(なに、何なの今の!? 殺気というよりも・・・。ていうか味方の威圧に怯えてどうするのよ私!)

 

モモンの放ったそれは殺気などという生易しい物では無い。

身体に纏わりつく濃厚な死の気配。生命を投げ出したくなるほどの絶望だった。

現に、目の前に広がる光景はまさに地獄絵図だ。

貴族達は皆一様に意味の無い単語を叫び、泣き喚いている。

手から落としたグラスの破片の上を転げ回る者、柱や手すりにひたすら額を打ち付けている者、失禁して放心している者と状態は様々だが、まともな者は1人としていない。

 

その異様な光景を背に悠々と歩いてくる1つの影があった。

変わらず黒い絶望のオーラを身に纏い、ゆっくりと近付いてくる。今度は《次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)》を使わず、此方を威圧するように。

1歩、また1歩と彼女が地を踏みしめる度に、強大な存在感に飲み込まれそうになる。影になって表情は上手く見えないはずなのに、その瞳だけは不気味に輝いて見えた。

怖い。彼女が味方でなかったら迷わず撤退するほどに恐ろしい。

普段の温厚な態度からはかけ離れた、容赦の無い威嚇。それはまさしく、闇の人格だった。

 

「酷い汗だな。具合でも悪いのか?」

 

全身が汗でぐっしょりと濡れているが、ゼロも平静を取り戻していた。

デイバーノックが魔法をかけたのだろう。アンデッドには精神への作用が効かないため、デイバーノックだけはモモンの放つオーラをものともしていない。

 

ラキュースはこっそり生活魔法を使い、ばれないように自分の汗を綺麗にした。

 

「お前程度なら近付くだけで殺すこともできるが、せっかくだ。本気で行くぞ。」

 

モモンが手を振り払うと、彼女を包み込んでいた黒いオーラが掻き消えた。同時に、モモンから感じていた圧迫感が消滅する。

 

「今この時、本当の意味で俺がこの世界に出現することになるのかな。

 こんにちは。さようなら。」

 

ゼロへ向けて手を伸ばす。

魔法を発動する態勢だ。もう誰が何を言おうと問答無用で攻撃するだろう。

それを察したゼロが地を蹴る。

 

「オオオオオ!!」

 

拳を握りしめ、ただ真っ直ぐにモモンへ突進する。

やけくそな行動にしか見えないが、ゼロがこの場を切り抜けるにはこれしか方法が無かった。

先ほどのモモンの行動で、彼女(モモン)が紛れもない強者であるのは誰の目にも明らかだ。一撃でも魔法を受ければ、致命的なダメージになる。そしてモモンとゼロの間には、魔法を避けられるほどの距離はない。ならば、魔法の発動を阻害するしか道は無い。

対するモモンは、そんなゼロを見てただ嘲笑を浮かべているだけだ。魔法の発動が確実に間に合うのだろう。その指先から魔法陣が現れる。

 

(さて、私は・・・。)

 

背中の浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)の切っ先を標的へ向ける。狙いはデイバーノック。魔法でモモンを妨害しようとしているようだが、そうはさせない。

 

(今回は脇役だけど、仕事はしなくちゃね。)

 

時間差をつけ、5本の剣を順番に射出した。

攻撃に気付いたデイバーノックも剣を打ち落とそうと杖を此方に向ける。これでモモンの魔法が中断されることはないだろう。

そうしてデイバーノックの動向に注意しつつも、モモンを視界に収める。彼女がどのような魔法を行使するのか、興味津々なのだ。発動の兆候を見た感じでは死霊系のようだったが、その中でも何の魔法が使えるのか。

 

(―――え!?)

 

しかし、モモンは魔法を発動などしていなかった。

だらりと下げられた両腕には少しの力も込められておらず、目は見開かれ、口が半開きになっている。要するに、こんな状況の中で、彼女は呆けていた。

このままではゼロの拳をまともに受けてしまう。

 

「エンリさん!!」

 

エンリのことをモモンと呼ぶことも忘れ、彼女の方へ駆け出していた。

その一瞬の時間で間に合うはずもなく、ラキュースが数歩駆けたところでゼロの拳は彼女の頬に直撃し、吹き飛ばされる。

 

(一体、何なの・・・?)

 

今、この目に確かに見た。エンリの表情がはっきりと変わったのを。

場にそぐわない呆けたものから、涙目の笑顔に。

 

 

 

「本当に、もう救えないんでしょうか。殺すしかないんでしょうか。」

 

痛い。けど痛くない。不思議な感じ。

自分の内側に意識を向ければ分かる。私は少しも傷付いていない。

このままモモンガさんに嫌な事を全部任せても何も問題ない。事態の収拾という意味では。だけどそろそろ自分の答えを出さないと。自分で解決しなきゃ、先に進めないと思うから。

 

そうして、()()()は立ち上がる。

 

「あなただって、何か理由があるんじゃないんですか? 悪いことをしているのも、そうしなきゃいけない理由があったんじゃないですか?」

「あ?」

 

ゼロが間の抜けた声を出すが、エンリは続けた。

 

「きちんと説明すれば、償いの機会はきっと与えられ―――」

 

言い終えるより先に、これが返事だとばかりにゼロの拳が飛んでくる。

見えてはいたが、エンリは避けなかった。再び体が宙を舞い、地面を転がる。着ていた服は全身泥塗れだ。

 

「さっきは死を覚悟したが、とんだ肩透かしだ。

 お前はあれか? この世界の悪人は皆、仕方なくそうなったと思ってるのか? 下らんな。」

 

その表情は、戦闘が始まる前の嫌そうなものに戻っていた。

ゼロの足に刻まれた紋様が光を放つ。スキルによって強化された蹴りが、倒れたままのエンリの腹に叩き込まれた。

エンリは受け身をとることもなく、高速で流れる景色を眺める。

 

 

人は誰だって変われる。悪い人も良い人になれる。死を撒く剣団の改心を見たときから、そう信じていた。今は悪い人でも、そうせざるを得ない理由があったのだと思った。きっと誰しもが、生まれ持った性質や育った環境に関係なく、心を入れ替えることができると。

死を撒く剣団のことだけじゃない。私は知ったのだ。心の中に引きこもっていた長い時間、気持ちの整理をつけようと意識の奥へ奥へと沈みこんでいた。そこで見た。気付いたと言った方が正確かもしれない。モモンガの心の奥底に眠る彼の本質。悪。極悪。絶対悪。手も付けられないような闇の極致。カルマ値、-500。

そんな彼ですら今や見るもの全てに好奇心を示し大はしゃぎする子供のようで、今まで行動してきた中では特に悪行も働かず、私の生活をできる限り尊重してくれる良い人だ。

だけどそれらは劇的な変化あってこそだ。例えば、誰かに生活の基盤を整えて貰うこと。例えば、自分でない他の誰かと一体化すること。

そんなことは普通に生活していたのでは起こり得ない、奇跡のようなものだ。ましてや本人に改心の意思がないのであればどうしようもないことだ。

 

「もう死んだのか?」

 

壁に空いた穴からゼロが顔を覗かせる。館の方に飛ばされ、壁を突き破っていたようだ。

身体に覆いかぶさっていた瓦礫をどかし、起き上がった。

 

「で、平和ボケは治ったか?」

「・・・はい。」

 

これは、私の意思。私がすべきこと。私が望んでやること。

彼に頼り切っていた私を捨てる。力を持つことの意味、その責任をしっかりと受け止める。

 

「やっとモモンガさんの言っていたことが分かりました。」

 

死を撒く剣団の改心は、モモンガの起こした奇跡だ。彼の力と知恵があってこそのものだ。

そんなことを事もなげに成したモモンガを見て、それが簡単なことなのだと錯覚していた。何を寝ぼけていたのだろう。私が彼ら(八本指)の真似を簡単にはできないように、彼ら(八本指)もまた、簡単に良い人にはなれない。

人の心は簡単には変わらない。いくら私が願っても、一方通行の想いでは()()()()

 

エンリの体を光が包み込む。光は徐々に輝きを落とし、完全に消えた頃には深紅の鎧が月明りを反射していた。

ゼロの表情が楽し気に歪む。

だが、戦いを楽しませるつもりなど無い。いつかモモンガが言っていた。モモンガの力は、私がその存在を知らなければ引き出せない、逆もまた然り。だけど私は、モモンガの持つ膨大な数の魔法を知っている。何も直接魔法を見る必要はないのだ。彼と私は一心同体。昔の思い出を振り返るように深く集中すれば、ぼんやりと見えてくる。まだ全体から見れば、ほんの少しの魔法しか知らないのかもしれないが、それで十分だ。

右手をゼロへと伸ばす。これで戦いは終わる。

 

「《心臓(グラスプ)―――」

 

しかし、ゼロとエンリでは経験の差が大きすぎた。2人の間には、魔法の詠唱が間に合うほどの距離は開いていない。ついこの間まで村娘だったエンリには、戦いのいろはなど分からない。

一足飛びに距離を詰めたゼロの拳は下からエンリの顎に直撃し、派手に上方へ吹き飛ばした。天井をぶち抜き、2階の床へ打ち付けられる。

 

「<足の豹(パンサー)>、<腕の犀(ライノセラス)>!」

 

1階からゼロの声が聞こえ、間を置かずして足元からゼロが飛び出してきた。落下音で大体の位置を把握していたのだろう。攻撃が当たりはしなかったものの、足場が不安定になり、数歩よろめく。

そうしている間にも、ゼロの拳が次々と飛んでくる。絶え間なく正確に、此方が避ける方向を見越しているように打撃が繰り出される。

エンリは間合いを取るどころか攻撃の半分も避けきれていなかった。

 

(だったら!)

 

魔法以外にも攻撃の手段はある。

エンリは自らが会得した武技を発動させた。“戦闘”を全く経験したことのない自分にピッタリの、戦い方を教えてくれる武技。脳裏に電気のような信号が走り、イメージが浮かぶ。ただそれをなぞればいいのだ。ゼロが少しでも警戒して距離を取った瞬間を狙う。

 

これまで防戦一方で壁の方へ追いやられ続けていたエンリが不意に一歩踏み込み、頬へ向けて全力の一撃を放つ。

ゼロは腰を落としてエンリの打撃を容易く躱し、カウンターのパンチでエンリを壁際まで突き飛ばした。

 

「・・・気味が悪いな。」

 

ふと、ゼロが言葉を挟む。

休戦というわけではなく、エンリが魔法を発動しようとすれば即座に妨害できる位置。

再びスキルを使い、腕と足の紋章が輝いた。

 

「お前、戦闘経験が無いだろう。素人にも程がある。打撃は単調、魔法の発動は隙だらけ。かと思えば威圧と耐久力は一線級。いや、今まで見た中で最高峰だ。」

 

エンリは何も答えない。

この場で何か発言したところで、自分には何のメリットも無い。

ゼロも口を閉ざす。答えを期待しての発言ではなかったようだ。

しばしの沈黙の後、ゼロが決心したように細く息を吐いた。

 

「何かに利用できないかと思ったが、ここで殺しておくか。」

 

ゼロが高速で接近する。エンリには、まるでゼロが目の前に瞬間移動してきたかのように映った。思わず反射的に顔を逸らし、両腕で顔を庇う。

ゼロは防御に構うことなく、腕の上から拳を叩きつけてきた。

これまでの攻撃とは比にならない衝撃がエンリを襲い、館の壁を突き破って外へと投げ出される。この調子では路地まで弾き飛ばされるだろう。

重力に引っ張られながら、エンリはふと思った。

 

(なんで私、吹き飛ぶんだろう?)

 

モモンガが戦っていたときに何度か敵の攻撃を受けたことはあるが、そのときは自分の体は微動だにしていなかったし、衝撃に耐えて踏ん張ってもいなかった。

すぐに答えに行きつくであろうそんな疑問は、2階からの落下という短い時間では解決できなかった。

 

「―――っと。」

 

手足を投げ出して慣性のままに落ちていた体は、空中で止まった。

 

「おいあんた、大丈夫か―――うぇっ!?」

 

そう感じたのは錯覚のようで、実際には誰かが地上で受け止めてくれたようだ。

ラキュースかと思ったが、その腕は太くてゴツゴツしている。

その男の顔には覚えがあった。

 

「ブレイン・アングラウスさん・・・?」

「エンリ・エモット―――!?」

 

 

 

予期せぬ遭遇に、ブレインの額から脂汗が噴き出る。

今にも手足が震えだしそうだった。

 

(何ビビってる。俺は決めたじゃないか。)

 

剣技だけに捧げてきた己の人生、その全てを余すことなくぶつけてやる。

そう自身を一喝し、決意を胸に込める。

ブレインとしては今すぐに戦いを始めたかったのだが、状況を見るに、そうは行かないらしい。上空から気配を感じ、大きく跳び退った。エンリを両手に抱えたままで。

先ほどまでブレインが立っていた位置から、轟音と共に大きな砂塵が舞う。

 

「どうやら取り込み中みたいだな。」

 

砂ぼこりが晴れるのを待たず、中からゼロが歩み出た。

すぐに襲ってこないところを見て、エンリをゆっくりと立たせる。

 

「ほう、見た顔だ。ブレイン・アングラウスだな? これはまた随分な大物が来たものだ。」

「“闘鬼”ゼロ、か。」

「ガゼフ・ストロノーフを追い詰めた男が、そんな雑魚とつるんでいたとは。堕ちたものだな。」

「はあ? 一体何を―――。」

 

ブレインにはゼロの言葉を理解するのは難しかった。

ブレインの見立てでは、ゼロとブレインの間に大きな力量差は無い。そんな相手がエンリを雑魚呼ばわりしているのだ。一体何がどうなっているというのか。

エンリとゼロを交互に見比べる。確かにゼロが全くの無傷であるのに対して、エンリは土や埃で汚れている。客観的に見てエンリがゼロに苦戦していることは明白だ。

 

(手加減している・・・?)

 

自分が洞窟でエンリと遭遇したときと同じ状況か。

思いあがって彼女に戦いを挑み、自分が彼女と同等の強さだと勝手に思い込み、勝利を確信する。そうしてエンリを追い詰めたところで知るのだ。それまでの戦いがエンリにとっては単なるお遊びに過ぎないことを。グレートソードを放り投げる膂力と刃を眼球で受け止める防御力があれば、向かうところ敵無し。片腕でも掴まれればそれでアウトなのだ。

 

「傍から見れば憐れなもんだな。」

「憐れだと?」

 

腰に下げた刀に手を掛ける。

 

「あぁ、憐れだとも。これからお前が辿る運命は既に決まっているのに、未だそれに気付いていない。覚悟も無いまま最期を迎えるんだろう。あまりに憐れで涙が出そうだ。」

 

ゼロは微妙な表情を浮かべている。

恐らくまだエンリ・エモットの真の強さを目にしていないのだから、当然だろう。仮にその力を目にしてなおこの態度を維持しているのであれば、相当な実力者か、或いはバカだ。

 

「だけどな―――」

 

姿勢を低く取り、右手を柄に添える。

 

「例えお遊戯だとしても、俺が負けた相手に他の誰かが優位をとっていやがる。

 そいつはどうにも、我慢ならねえ。」

「あの、アウングラウスさん。」

 

 

 

唐突に現れたブレインはどうやら味方に付いてくれるようだ。

だが、今回に関しては誰の手助けも欲しくない。エンリにとってこの戦いはターニングポイント。自分自身で決着を付けるべきだと考えていた。

 

「アングラウスさん、すみませんが・・・。」

「・・・オーケー、分かった。」

 

表情を見て察したのだろう、言葉の先を聞いてくることは無かった。

ブレインは困ったような微笑を浮かべ、右手を頭の後ろに添えた。

 

「余計な真似をして悪かったな。無粋なプライドは引っ込めるさ。」

「・・・ありがとうございます。」

 

気を遣ってくれたブレインへ軽く頭を下げ、改めてゼロへと向き直る。

 

「気を落とすな、アングラウス。すぐに相手をしてやる。」

「そうかい。俺はあんたとは戦えないと思うがな。」

「フン。」

 

言葉に込められた皮肉も、この場にいる人間の中では発言者本人にしか理解できない。

敢えて言うなら、理解できたのはエンリの中にいる4人目くらいだ。

 

「次の一撃で終わりだ。」

「私も、本気で行きます。」

 

ブレインが生唾を飲む音が聞こえた。

 

ゼロは早くブレイン・アングラウスと戦いたがっている。自分との戦いを終わらせるために、本気の攻撃を繰り出してくるだろう。

ゼロは体の紋様を光らせるあのスキルを使用してくるはずだ。その隙を突けば魔法の発動は十分に可能。ただし、攻撃魔法を使おうとすれば、直ちに距離を詰めてくる。ゼロの体に刻まれた紋様が全て光る前に、補助魔法をかけなければならない。

ならば、私たちにでき得る全てを、私にできる限りの範囲で。

 

先ほど纏ったばかりの鎧が掻き消えた。

エンリは特に何もしていない。ということは、モモンガか。それが何故なのか理解できなかったが、きっと何か意味があるのだろう。

集中するために長く息を吐きだし、しっかりとゼロを見据えた。

 

「<足の豹(パンサー)>!」

 

「《上位幸運(グレーター・ラック)》」

 

「<背中の隼(ファルコン)>!」

 

「《上位硬化(グレーター・ハードニング)》」

 

「<腕の犀(ライノセラス)>!」

 

「《上位攻撃強化(グレーター・ストレングス)》」

 

「<胸の野牛(バッファロー)>!」

 

「《上位全能力強化(グレーター・フルポテンシャル)》」

 

「―――<頭の獅子(ライオン)>!」

 

「―――《完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)》!」

 

両者とも、同時に大地を蹴る。砕けた石畳が四方へ散った。

常人に知覚できない速度で距離を詰め合う。体感速度は異常な程だった。

 

(教えて・・・!)

 

脳に電撃が走る。

さっきは簡単に避けられてしまったが、今の私は全力全霊。外したりはしない。

 

「これが私の―――心臓掌握(グラスプ・ハート)!!」

 

エンリの手は狙い違わずゼロの胸を貫いた。

突進の勢いで腕が深々と沈み込み、二の腕まで刺さっている。ゼロの背中から生えた真っ赤な腕の先には、脈動する心臓。

 

「負けた相手、か・・・。」

 

ブレインを横目に、ぽつりと呟いた。

大量の血を吐き出し、掲げていた拳が力無く下がる。再び開いたその目は、既に焦点が合っていなかった。

 

「ばけ、もの・・・が・・・。」

 

エンリはその感触をどこか懐かしく感じながら、一息に握りつぶす。

ゼロはそれきり動かなくなった。

 

 

 

「は―――はっ、はぁっ―――。」

 

あれが、“本気”。

余りにあっけなく終わってしまった戦いを前に、上手く呼吸ができない。詰まる息を強引に吐き出し、空になった肺に必死に空気を取り込む。苦しい胸に手を当てると、限界まで早まった鼓動を感じた。

全身に鳥肌が走り、身震いする。刀を握りしめる力がいつの間にか強まって、左手が痺れていた。

 

(勝てるのか、あれに・・・一体誰が・・・。)

 

果たしてあの速さを<領域>で知覚できるのだろうか。かろうじて見えたとして、思考と対応は間に合うのか。あの防御力を突破して攻撃を弾くことなど―――。

今の自分にはその自信が全く無かった。

エンリが此方を振り向き、ゆっくりと近付いてくる。

思わず小さな悲鳴を上げ、数歩後退った。

 

「えっと、アングラウスさん・・・?」

 

エンリが困惑した表情を浮かべる。

 

「は、ははは。情けないよな。」

「・・・? 何がですか?」

「俺は今度こそ逃げないって、例え勝てなくとも死ぬまで戦う覚悟でここへ来たんだ。

 それがこれだよ。」

「え、えっとぉ・・・。」

 

震える両手を投げ出し、空を見上げた。

エンリは首を傾げるだけで、何も言わない。ブレインの言葉の真意を測りかねているようだ。

 

「だけどダメだ。俺は剣に人生の全てを捧げてきた。だけどさっきのお前の戦いを見ると―――」

 

強く歯軋りを鳴らし、服の胸元を握った。

 

「怖いんだ。死ぬことがじゃない。俺の人生を、そのひと欠片すら見せられずに終わってしまうかもしれない。そう思うと怖くてたまらない・・・。」

 

膝を突き、力なく項垂れる。

俺は戦士として終わりだ。勇敢に散る度胸もなく、敵の目の前で戦意を喪失し、首を差し出すとは。

 

「つまり、強くなりたいと。」

 

背筋が凍った。

恐る恐る顔を上げると、先ほどまでおろおろしていたエンリはどこにもいなかった。今は真っ直ぐに立ち、真剣な眼差しで此方を見下ろしている。

1度相対したからこそ分かる。今話しているのは()()()()()エンリ。ブレインから見れば、今までのエンリの方が異常な状態だった。

 

「恐怖は大切ですよ、アングラウスさん。無暗に突っ込んで命を落としては何の意味もない。貴方は立派です。そう自分を卑下しないでください。」

「え・・・?」

 

予想外の言葉に頭が追い付かない。

エンリはしゃがみ込み、膝を突いたまま呆然としているブレインと目線の高さを合わせた。

 

「では、アドバイスをしましょう。

 洞窟で戦った感じだと、対人戦闘スキルは十分伸びているようなので、あとは別の職業(クラス)の―――ゴホン。例えば、そうですね・・・モンスターと戦ってみるのはどうですか? 効率は悪いかもしれませんが、貴方はまだまだ強くなれます。」

 

そう言ってエンリは立ち上がり、反転して遠ざかっていく。

ブレインが我に返ったのは、それから10秒以上経った頃だった。

 

(俺との戦いを、覚えて―――。)

 

石畳の上で大の字に寝転がり、夜空へ手を伸ばす。

自然と口角が上がり、笑いが込み上げた。

 

「は、ハハハ、ハハハハ! そうか、俺はまだ、強くなれるんだ・・・!!」

 

去って行ったエンリの後ろ姿を思い出す。

あの小さくて、大きな背中を。

 

「いつか追い付いて見せるさ。追いかけるのは慣れっこだ。」

 

あと魔王とか言って悪かった。

そう心の中で付け加えた。

 




robot三等兵 様
誤字報告ありがとうございます。

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