覇王の冒険   作:モモンガ玉

16 / 18
覇王と王城

(モモンガさん、どうしましょう・・・。)

(エンリ、どうしよう・・・。)

 

もう何度繰り返したか分からないやり取り。2人はかれこれ数時間、この場から動けずにいた。

彼らがへたり込んでいるのは、正方形の部屋。3つの壁には本来あるべき窓が無く、廊下に面している部分には壁すらない。廊下から此方の様子が丸見えで、廊下を挟んだところにある無人の部屋もよく見える。

それもそのはず、ここは牢屋なのだから。

 

(と、とりあえず落ち着いてあの人に話しかけてみよう。)

 

唯一エンリたちの視界の中にいる人物は、牢の番をしている兵士のみ。

とりあえずは当たり障りのないところから会話を試みる。

 

「あ、あのー、ちょっと喉が渇いちゃったなー・・・なんて・・・。」

(だ、大丈夫なんですかモモンガさん!)

(部屋に水道がないし大丈夫・・・だと思うんだけど・・・。)

 

さしものモモンガも投獄された経験など無い。

何をどうすればいいのか分からないというのが本音だった。

番をしていた兵士は、穏やかでない心境の2人を取り残してどこかへ歩いていってしまった。

 

(行っちゃいましたね・・・。)

(うーん、どうしたものか。)

(どうしましょうかねぇ。)

 

振り出しの会話に戻る。

2人してうんうんと唸って打開策を考えていると、此方へ近付いてくる足音が聞こえた。牢全体に音が反響するせいか、ただの足音がやけに大きく聞こえる。

その音にホラー物の映画を連想して無駄にドキドキしていると、鉄格子の端から先ほどの兵士が顔を覗かせた。

 

「はい。」

 

兵士が床にグラスを置く。

グラスには溢れんばかりの水が入っていた。

 

(2文字・・・だと・・・。)

 

勇気を出したモモンガの会話作戦は、2文字の返答で終了した。必要以上に会話をしないようにしているのか。

しかし、飲み物を頼んでおいて飲まないのも不自然なので一応グラスに口をつける。

 

「あ、おいしい。」

 

水だと思っていた液体から予想外に味がして、思わずエンリが言葉を口に出す。

グラスに注がれていたのは水ではなく果実水だった。

この状況も相まって久しぶりに美味しい物を口にできた気がして、一息に飲み干した。実際には数時間前まで楽しく飲み食いしていたのだが。

 

「あの、お代わりとか頂けますか・・・?」

 

意図せずとはいえ、エンリが味の感想を口にしたのはファインプレーだ。自然な形で次の会話につなげることができる。

捕まっている身の上でお代わりを頼むのはどうかと思ったが、状況が状況だ。ちょっとした情報だけでも手に入れたかった。

 

「はい。」

 

再び兵士が床にグラスを置く。

空になったグラスに注ぎなおすのではなく、2つ目のグラスが登場した。

 

(なんという用意周到さ! こいつ、できる・・・!)

 

不自然にならないよう礼を言いつつグラスを受け取り、空のグラスを差し出す。

兵士もまた、自然な流れで空のグラスを受け取った。

 

(うーん、おいしい。)

(おいしいですねぇ。)

 

この場においては、兵士の方がモモンガよりも上手だった。会話の糸口を失ってしまったモモンガは最早手も足も出ない。美味しい果実水を飲んで和むことしか出来ない。

かのように思われたが、都合良く鐘の音が鳴る。王都内では1日に1回鳴る、昼時を知らせる鐘だ。

この機を逃す手はないと、会話作戦を続行した。

 

「すみません、お腹が空いたんですけど・・・。」

 

「はい。」

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

時は数時間前、エンリとモモンガが牢に入れられる前のとある食事処。

まだ早朝だというのに、店内は笑いと喧騒に包まれていた。

 

「果実水をください。」

「あいよ。」

 

店主へ注文すると、のそのそと棚から瓶を取り出し、ひとつ大きなあくびをしてからグラスへと注いだ。

 

「お待ちどう。」

 

カウンターに置かれたグラスを受け取る。店主は寝ぼけ眼をこすっていた。

こんなに眠そうにされると流石に申し訳なくなる。

 

「あの、ごめんなさい、こんな朝早くから大勢で。」

 

それを聞いた店主がハッと気付いたように目を見開く。

 

「あぁ、いかんいかん。蒼の薔薇の皆さんには世話になってますからね、気にせんでください。詳しくは聞いてませんが、今日はめでたい日なんでしょう?」

「えぇ、まぁ。」

 

店主は此方に背を向け、自らの頬を数回叩いた。気合いを入れ直しているようだ。

店主が言ったように、今日は王国にとってめでたい日。正確にはめでたい日になるであろう日。

八本指との戦いを終え、休む間もなく祝勝会というわけだ。

この場には戦いに参加した者たちが集まっているが、ハムスケだけは例外だ。森の賢王と謳われた伝説の魔獣を連れ込んではお店の人が腰を抜かしてしまうため、今は宿でお留守番。帰ったらたくさん撫でてあげよう。

 

「そこで私の超技“暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレードメガインパクト)”があのエルダーリッチを――――」

「どっちが先にミンチになるか勝負だーとか言ってきたからよぉ、俺は敢えて動けなくなるまでボコってやったわけよ。あの時のあいつの顔ったら―――」

 

店内の様子を見渡すと、それぞれ思い思いに楽しんでいる様だった。どの拠点でも激しい闘いが行われたはずだが、皆元気そうでホッと胸を撫で下ろす。

その喧騒を背に、私は1人バルコニーへ向かった。

 

 

バルコニーの手すりに両肘を乗せ、手の平に顎を乗せる。

空はまだ白み始めたところで、その静謐さは故郷を思い起こさせた。頬を撫でる風が冷たくて心地良い。

 

「・・・これで良かったんですよね。」

(どうだろうね。)

 

私は今日、人の命を奪った。

私の体はこれまでに幾人もの命を奪ってきたが、それは“自分がやった”とは言い難いもので、自らが持つ力の強大さを自覚できていなかった。だけど今日のは違う。紛れもなく自分の意思で、自分の手で殺した。

 

(八本指は力のある貴族を使って文字通り好き勝手にしてた。壊滅させたのは王国にとって喜ばしいことだけど・・・そういうことを聞きたいんじゃないんだよね。)

 

静かに頷く。

 

(それが正しいことかどうか、明確な答えは無いと思う。それはエンリが決めることじゃないかな。)

「そう、でしょうか。」

 

自分では、今回の行動は正しかったと思っている。

たくさん考えて、迷って、やっと導き出した答えを選んだのだ。その結果を容認できるかどうかと聞かれれば、自分で出した結論なんだから、できるに決まっている。だけどそれは(エンリ)の考えで、(モモンガ)の考え。客観的に見て、私は正しいことができたのだろうか。

恐らくこの国には、私たちを止められる人間はいない。もしかしたらこの世界にだって存在しないかもしれない。何かを間違えても、私を咎め、罰を与えることが出来る者はどこにもいない。それが力を持つことの意味。誰にも抑えられない以上、私は無意識の内に、いとも容易く、魔王となり得るのだ。自分で考え、判断することがこんなにも苦しいものだとは思わなかった。

この世界で私だけが、正しいと信じて間違いを犯しても、それが問題とならないのだから。

 

「それはなんだかずるいような・・・。」

「そんなことないわ。」

 

背後からかけられた突然の声に驚いて、びくっとした。いくら強い力を身につけても心の方は変わらないみたいで、それが残念なような安心したような、複雑な気持ちだった。

振り返ると、ラキュースが立っていた。

彼女は軽く微笑んで、私の横まで来て手すりへ体重を預け、街並みを眺めた。

 

「ごめんね、“対話”を邪魔しちゃって。エンリさんとゆっくり話をするのはこれが初めてかしら。」

「あ・・・はい、そうなります。」

 

彼女は、私の中にもう1人の人格が宿っていることを知っている。

普通ならこんな話信じて貰えないだろうし、会うたびに人柄が違うかもしれないなんて不気味だろう。だけどこの人はすんなりと話を受け入れ、仲間にも秘密にしてくれている。私以外でモモンガをモモンガと認識し、接してくれる唯一の知り合いができたのだ。これは私にとっても嬉しいことだった。

 

「あなたは今まで、()()()()()()はモモンにやってもらっていたのよね。」

「どうしてそれを・・・?」

「話が聞こえちゃって。」

 

そう言っていたずらっ子のように舌を出す。しかしすぐに街並みへ向き直って、優しい笑みへと変わった。

よく変わる表情を見ていると飽きなくて、私はそのまま彼女を見つめていた。

 

「私はエンリさんの考え方、好きよ。」

「え?」

 

彼女は空と城壁の境界を見つめたまま続けた。

 

「誰しもが、心の奥には善がある、理由無き悪はいない。優しい考え。エンリさんらしいわ。」

「でも、それは間違いでした。」

「そうね。少なくともゼロはあなたの理想から外れていた。エンリさんの情愛を以てしても救えない、そう考えた。だからあなたが―――エンリ・エモットが、ゼロを殺した。」

 

今まさに考えていた事柄を突き付けられる。

震えだしそうになる手を押さえつけるように両の拳を握りしめ、深く頷いた。

私は決して間違ったことをしていないと確信している、そう伝えるために。けれども同時に、ラキュースの口から否定の言葉が飛び出すことを恐れた。彼女が良い人だと知っているからこそ、彼女からの否定がとても怖かった。

そんな私にラキュースの瞳が向けたのは、優しい眼差しだった。

 

「あなたが必死に考えていたことは、モモンの様子で分かったわ。モモンが不安になるほど一生懸命考えて、色んな道を探った結果、殺すしかないと判断したのよね。

 だけど優しいエンリさんは考えてしまう。」

 

ラキュースの両手が私の肩に添えられた。

 

「本当にこれで良かったのか、他の人なら違う形で解決できたんじゃないかって。」

「・・・はい。」

 

どうしてか、私の声は震えていた。

何故この人はこんなにも私のことが分かるんだろう。私の考えを、悩みを、すらすらと当ててしまうのだろう。打ち明けてもいない相談に真摯に乗ってくれるのだろう。

腕が、胸が、唇が震える。もう怖くはない。なんだか暖かくて。

心の奥から込み上げてくる気持ちを必死に堪えた。

ラキュースが手を私の頭の後ろに回し、自らの胸元へ押し付けるように引き寄せた。

 

「大丈夫、あなたは正しいことをしたわ。誰もあなたを責めたりなんかしない。

 だけどもし、あなたがそれを罪と感じて、あなたを苦しめるなら―――」

 

私はもう、我慢なんかできていなかった。

 

「私も一緒に背負ってあげる。」

 

頬に当たっているラキュースの服がしっとりと濡れているのを感じて、私が涙を流していることに気付いた。

それからはもう歯止めなんか効かなくて、恥ずかしげもなく泣き声を上げた。ラキュースの背中をしっかりと掴んで、室内で騒いでるみんなに気付かれるかもしれないなんて考えもしなくて、わんわん泣いた。

 

どうして泣いているのかはよく分からなかった。

悩みを打ち明けられたからか。私のことを分かってくれるからか。自分の行動を肯定してもらえたからか。優しい言葉をかけられたからか。たぶん、全部。

この人と出会えて良かった。そう心から思ったのは確かだ。

 

 

 

泣きじゃくるエンリの頭を撫でながら、気付かれないように後ろを向く。

予想通り、バルコニーの様子が見える窓にこの場の全員が張り付いていた。誰一人として例外なく、穏やかな笑みを浮かべて。帝国への勧誘を画策しているレイナースですら。

私が人差し指を立てて唇に当てると、皆静かに席へ戻り、店内の喧騒が戻ってきた。

 

エンリを抱き寄せたのは、彼女の泣き顔を誰にも見せないためではない。エンリの視界に誰も入れないようにするためだ。

エンリは私の同志。即ち、自分の中に闇の人格が存在している、という設定を持つ者。けれど彼女は本当に“モモン”というもう1人の自分を確立しつつある。モモンと悩みを相談していたのがその証拠だ。エ・ランテルのアンデッド事件の首謀者を殺すことができたのも、モモンという心の防壁があってこそなのだろう。別の人格と対立構造を作っている私とは違い、彼女はモモンのことを友人、或いは心の拠り所のように認識している節がある。

しかしモモンという存在も結局は自分自身。そんな相手への相談は、単なる自問自答でしかない。エンリは悩みを相談しているつもりでも、結果的に自分の内側に悩みを押し込んでしまっているのだ。

だからここで、想いを全て吐き出して欲しかった。心に積もった感情に押しつぶされてしまう前に。

 

「だけどその気持ちは忘れないで。」

 

エンリが落ち着いてきた頃を見計らって声をかける。

鼻水をすすったり、ひっくひっくとしゃくり上げたりしているが聞こえているだろう。

 

「今の優しい気持ちは捨てないで。私は今の、ありのままのエンリさんが好きよ。

 もしもまた辛くなったら、私が話を聞いてあげるわ。」

 

ぎゅっと、エンリが服を握る手が強くなる。

しばらくの間そうしていた2人だが、不意にエンリが離れる。1歩、そしてもう1歩と後ろへ下がった。それから鼻をすすり、目を擦る。

 

私の想いは伝わっただろうか。上手く伝えられただろうか。

エンリの行いが正しいもので、気に病むことは一切無いこと。モモンに頼りすぎて、モモンこそが真の自分だと誤認しないでほしいこと。

そんな心配は、顔を上げたエンリの表情を見て消し飛んだ。

もう大丈夫だと言わんばかりの、耳まで真っ赤な満面の笑顔。

 

「よし!」

 

私は腰に手を当てて力強く頷いた。

もうこの話はおしまい、の合図だ。人前で泣いたのが今になって恥ずかしくなってきたのか、エンリはえへへと照れ笑いを浮かべた。

 

「さ、食べましょ。みんな待ってるわ!」

「はい!」

 

 

ほんのり赤い目尻と濡れた胸元を気にすることなく、2人は店内へ戻って行く。それを指摘する者は当然いない。皆口々に自らの活躍を語った。

衛兵がエンリを捕えに押しかけてきたのは、これから数刻後だった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(あのとき、モモンガさんも泣いてましたよね。)

 

ブッと、口に含んでいた料理をモモンガが吐き出してしまった。

番をしている人が運んできた料理だ。もしかしたら怒られるんじゃないかと、兵士の方を伺った。

 

「はい。」

「あ、どうも。」

 

これまた手際よく兵士から渡された雑巾で、散らばった料理を掃除する。

 

こんな状況が、私はとても楽しかった。投獄されて喜ぶなど異常でしかないが、牢にすんなりと入れられてしまった自分を見て、酷く安心してしまったのだ。

何故なら、“私に罰を与えられる者はいない”という考えがただの思い上がりだったから。

そういえば、何故かモモンガには一般人のような気の小さいところがたまにあるのだ。彼が衛兵を蹴散らして王都を練り歩くはずがない。

 

(泣いてたって、一体何のこと―――)

(私に隠せるわけないじゃないですか。)

(ううむ・・・。)

 

困ったような唸りを上げる。

私とモモンガは同じ体に同居していて、心も深いところで繋がっている。流す涙は同じでも、彼の感情はひしひしと伝わってきていたのだ。

だが、その涙の意味までは分からない。

 

(笑わないでね。)

(笑いませんよ。)

 

モモンガは恥ずかしそうに頭を掻きながら言った。

 

(・・・お母さんみたいだなって。ちょっと思い出してた。)

「プフッ―――。」

 

思わず声が漏れてしまった。

慌てて口を覆うが、その行為には何の意味も無い。私の感情もまた、彼に伝わるのだから。

 

(笑わないって言ったじゃないか!)

(す、すいません、そういうのじゃないんです―――フフッ。)

(うわあああ!)

 

何も彼を笑ったのではないのだ。

実年齢は知らないが、まだまだ若いラキュースに向かって「お母さんみたい」なんて言うものだから、本人に言ったらどんな反応をするだろうと考えてしまった。その結果の失笑であり、モモンガを馬鹿にするつもりは全くない。

 

(だってさ、聞いてくれよエンリ! あの全てを受け止めてくれる感じとか、無条件な優しさとか、あの安心感を与えてくれる微笑みとか、あとあと―――)

 

モモンガが顔を真っ赤にしながら弁明する。顔が火照って熱くなってきた。

盛大に取り乱しているモモンガを見ていると、もう少しからかってみたいという気がしないでもなかったが、流石にそれは悪いと思い直す。私が約束を破って笑ってしまったせいなのだし。

私も必死になって彼を落ち着かせ、笑ってしまった理由を話し、誠心誠意謝罪した。

少しずつ顔の火照りは引いて行ったが、完全に顔の赤みが引くまでは少々時間がかかった。

 

モモンガはようやく落ち着きを取り戻したのだが、再び顔が火照り始める。

当然これも彼の感情によるものなのだが、理由は聞かずとも察することができた。あれだけラキュースの持つ母性について熱く語っていたのだから、羞恥を感じるのも無理はない。そのことについては何も触れなかった。

恐らくは、モモンガはラキュースよりも年上だ。それでもラキュースに母性を感じたのは、家族の温もりを欲していたからという可能性もある。早くに母親を失くして、母の姿をラキュースに重ねたのかもしれない。家族を失う喪失感は―――知っている。

 

「来たか。」

 

突然兵士が声を上げる。誰かに話しかけたというよりは、呟きのような声量。

これにはモモンガも驚いたようで、もじもじと弄んでいた指先を止める。

兵士の言葉通り、反響する2つの足音が耳に届いた。金属同士がぶつかる音も聞こえる。少なくとも1人は武装をしているのだろう。そしてどういう訳か、鼻歌まで聞こえてきた。

その奇妙な2人組は、特に此方を焦らすことなく姿を現す。

 

「あら意外。手錠もしてないのね。」

「丁重に迎えろとのことでしたので。」

「キズモノにされたら困っちゃうし、ありがたいわぁ。」

 

来訪者の1人は軽い武装をした兵士。そしてもう1人は―――オカマだった。

女性らしい化粧はしているものの、身長・骨格・筋肉、どれをとっても女装に向いていない。趣味は人それぞれだが、異様な容姿に開いた口が塞がらなくなってしまったことは仕方ないと思う。兵士の護衛付きということは偉い人なのだろうか。

モモンガと2人で目を丸くしていると、その謎の男と目が合った。

 

「初めましてエンリちゃん。あたし、コッコドールっていうの。」

「ど、どうも・・・初めまして。」

 

やけに馴れ馴れしく名前を読んできた男に返事をしていると、視界の端に牢の番をしていた兵士が映った。果実水や昼食を用意してくれた人だ。何やらポケットに手を突っ込みながら此方へ近付いてくる。

 

「昨夜はずいぶんご活躍だったみたいじゃな~い?」

 

ガチャガチャ

 

「六腕がみーんなやられちゃって主戦力の警備部門は全滅。」

 

ガチャガチャ

 

「私のお店もめちゃくちゃになっちゃったし、」

 

ガチャガチャ

 

「エンリちゃんに稼いで貰わないと―――って何かうるさいわね。」

 

男の視線が横へずれる。私もそれに続いた。

視線の先で、牢屋の扉が軋みを上げながら開いていく。番をしていた兵士が鍵を外していたのだ。

男が慌てて兵士へ詰め寄った。

 

「ちょ、ちょっとちょっとぉ! 何してくれてるのよぉ!?」

 

兵士は腕を掴もうとしてきた男をひらりと躱し、軽く背中を押した。どこにそんな力が入っていたのか、男は大きく態勢を崩し、たたらを踏む。そこに兵士の足が差し出され、躓いた男は見事に牢の中へ転がり込んできた。

兵士もそれに続いて牢へ入ってきたが、男の方には目もくれず、私の手を取り強引に立たせる。手を引かれるままに廊下へ出ると、兵士が扉の鍵をしっかりと閉めた。

 

「よし、と。それじゃ行きますか。」

 

くるりと番をしていた兵士が向きを変え、すたすた歩きだす。軽装の兵士も続いた。

もう何もかもが理解できなかった。突然牢屋へ入れられて、かと思えば飲み物や料理はおいしくて、今度は唐突に出してもらえた。投獄体験イベントだろうか。そんなものに申し込んだ覚えは無い。

 

「あの―――」

「ん? ああ、俺はロックマイアー。レエブン候の使いだ。」

「あ、エンリ・エモットです。」

 

つい自己紹介を返してしまった。

 

「それで、これはどういうことなんでしょうか?」

 

私は牢の前から動いていなかった。

これではまるで脱獄だ。レエブン候というのが誰かは知らないが、理由も分からないまま彼らについて行く気はあまり起きなかった。

 

「おいおい、真面目か。そんな顔するなよ。」

 

固く結んだ口元を見て察したようだ。

呆れたような、感心したような、判別しづらい口調だった。

 

「この事は国王も知ってるらしい。安心しな。」

「王様が!?」

 

王様公認で私を牢から出すような用事があるらしい。ますます分からなくなってしまった。

 

「兵士さん。私、どうなっちゃうんでしょうか・・・。」

「んー。普通に考えれば、何か美味いモンでもくれるんじゃないか?

 あと俺はここの兵士じゃなくてだな、あいつを捕まえるために変装して―――」

 

囚人に美味しい物を与えるために態々牢から出すのが普通なのだろうか。

私と貴族とでは住んでいる世界が違うんだなぁとしみじみ思った。

 

「あ! ちょっと、待ちなさいよぅ!」

 

では鼻歌混じりに悠々とここへ来ながら、自分と入れ替わるように牢に入れられたあの人は何だったのだろう。モモンガはどうしてか教えてくれなかった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

国王及び六大貴族、その他特に力を持つ貴族が一堂に会する宮廷会議。

平常時は定期的に行われるものだが、何か大きな問題が発生した場合には臨時で招集がかかることもある。今現在も、一夜にして終結した八本指との抗争とそれに付随する動乱について話し合うため、臨時開催されていた。

突然の招集だというのに脅威の出席率である。平常時に一切顔を見せない貴族も参加していた。それもそのはず、八本指が壊滅したなどという手紙を受け取れば、寝間着のままでも家を飛び出すだろう。王都に住む全ての者に影響があるのだから。その影響が利益なのか不利益なのかは、人によって異なる。

 

「エンリ・エモットを今すぐ極刑に処すべきだ! あの女の部下が我が家を燃やしたのだぞ!」

「あれは君の別宅だろう。」

「財産が燃やされたことに変わりはない!」

「私の家も奴らに燃やされた!」

「誰か見た者でもいるのかね。」

 

会議は迷走していた。

八本指について深く掘り下げられると困る者は多い。それらの者が論点をすり替えた。

八本指襲撃と同時刻に高級住宅街で発生した謎の火災。その犯人がエンリ・エモットだと主張し始めたのだ。当然それに異を唱える貴族も大勢現れる。国の病巣を取り除いた功績を評価し、感謝する者達だ。

会議はエンリを責める側と擁護する側で二分され、荒れに荒れた。

 

「騒ぎに乗じて邸宅を襲撃する計画を立てていたのではないか? そうすれば八本指に罪を擦り付けられる。火事場泥棒が自ら火事を起こすとは、参ったな。」

「逆に八本指がエンリ・エモットを排除するために仕組んだ可能性もあるだろう。」

「しかしその女の素性が知れぬ以上、悪事を働かないと断言はできないぞ。」

「王国の冒険者よりも八本指を信じるというのか? この売国奴め。」

「な・・・! 貴様、表へ出ろ!」

 

 

「失礼します!」

 

そんな怒号飛び交う部屋に、紙の束を持った男が入る。

本来は好ましくない行為だが、白熱した話し合いは口論となり、更には乱闘にまで発展しそうな勢いで、ほとんどの貴族が気付かなかった。気が付いたのは、その報せを待ち兼ねていた国王、ランポッサⅢ世とレエブン候のみ。

国王は恭しく渡された紙束に軽く目を通すと、深いため息をついた。

 

「ザナックの言った通りになったか・・・。」

 

弱弱しい呟きは貴族の罵声に掻き消され、誰の耳にも届かない。

その代わりという訳でもないが、背後に控えていた護衛に指示を出した。護衛はひとつ頷くと、レエブン候の下へと駆け寄る。これでレエブン候の私兵が動く手筈になっていた。そして息子の言う通りならば、八本指の幹部も同時に捕えられる。

ランポッサはおもむろに杖をついて立ち上がり、肺一杯に空気を吸った。

 

「騒々しい!!」

 

室内が一斉に静まり返る。

声の大きさに驚いたのではない。その言葉を発したのが王であったためだ。これまでランポッサは貴族間の対立をできるだけ抑えようとしてきた。つまり、できるだけ穏便に済むよう、収拾がつかなくなった頃に皆を諫めるスタンスだったのだ。ここまで語気の荒い物言いは初めてだった。

 

「レエブン候、これを。」

「拝見します。」

 

レエブン候は王が差し出した紙束を仰々しく受け取り、貴族達へ向き直る。

そして紙を読める位置まで持ち上げると、わざとらしく咳払いした。まるで、皆の前で読み上げることが予め決まっていたかのように。

 

「なになに、ブルムラシュー候の屋敷より多数の契約書を発見・・・ほう、奴隷売買ですか、これは興味深い。他にも帝国との繋がりを示す証拠もあったと。」

 

全員の視線がブルムラシュー候に注がれる。

大半が侮蔑の眼差しだが、中には同族を憐れむ視線もあった。

 

「な、なんだそれは! 私は知らんぞ!」

「お次はリットン伯ですか。」

 

室内のほとんどの者が―――より具体的には、貴族派閥に属する半数以上の者が、ぎょっとして振り返る。レエブン候は今、紙をめくってからリットン伯の名を口にした。もしあの紙束全てが貴族の悪事を纏めた物だとしたら・・・。

扉の近くにいた貴族が数歩後退る。だが、時は既に遅かった。

唯一の逃げ道である扉から数十名の兵士がなだれ込む。この場の貴族に逃げ場は無かった。そもそもこのタイミングで逃げ出しては、罪を認めているようなものなのだが。

 

「頃合いを見て別宅を燃やすよう指示が記載された書類を発見・・・これはエモット殿の潔白が証明されましたな。カルヴァドス辺境伯の屋敷からは―――」

 

次々と貴族の名が呼ばれ、その都度兵士によって拘束されていく。最初は窮屈だった室内も、少しずつ広々と感じられるようになっていった。

そんな中、とても貴族とは思えない屈強な男が歩み出た。王国で最大の兵力を保有するボウロロープ侯だ。

 

「レエブン候、それに王よ。まさかとは思うが、諸兄の不在を狙って屋敷へ侵入したのではあるまいな?」

「ええ、その通りです。」

 

あからさまに怒気を孕んだ声色に、レエブン候は飄々と返した。

ボウロロープ侯の歯軋りが響き渡る。

 

「しかしとにかく時間が無い。まだ全体の調査は済んでいないのですが、一部を先に持ち帰らせたのです。」

「いけしゃあしゃあと・・・自分達が何をしたのか分かっているのか! 国が割れるぞ!」

 

王を超える軍事力を持っているボウロロープ侯がそれを口にするのは脅迫に近い。

レエブン候は困ったように首をすくめ、1枚の紙を差し出した。

 

「しかしですな、嫌疑がかけられているのは貴殿も同じなのです。」

「ふん、馬鹿馬鹿しい。私の屋敷の警備を抜けて侵入などできるものか。捏造だな。」

「そちらには戦士長に向かって頂きました。王より賜った令状と共に。」

「何・・・?」

 

貴族達が拘束されて牢へ連れていかれている中も態度を崩さなかったボウロロープ侯に、初めて動揺が見えた。

確かな実力を持つ戦士長が押しかけてきたというだけでも、屋敷の衛兵が立ち向かって行くかは怪しいものだ。それに加えて令状まで手にしていたのなら、間違いなく屋敷内へ案内するだろう。

 

「いや、あり得ん。あり得んのだ。私があのような下衆な連中と関わる訳が―――」

「ではそれを証明すれば良いのです。ただし、ここではない場所で。」

「・・・関わりが無いことの証明など、どうすれば・・・。」

 

呆然とするボウロロープ侯に、2人の兵士が近付く。

ボウロロープ侯は特に抵抗することなく、すんなりと拘束を受け入れた。

 

 

 

(ああ、今日はなんと素晴らしい日なのだ。)

 

レエブン候は1人、王城内の廊下を歩いていた。

宮廷会議は、貴族派閥の過半数と王派閥の一部を投獄するという王国史上最大の珍事を以て終了した。奴らは貴族とはいえ、王の弱体化、つまりは国力の低下を喜ぶクズだ。今回の件で王国は確実に明るい未来へと進めるだろう。

それもこれも八本指という後ろ盾が消滅したからこそ。下手に問題を突っついて不審死する心配が無くなったため、このような強硬手段に出たのだ。

 

「これは、ザナック王子。」

 

廊下で見知った相手―――共謀者を見かけ、礼を取る。

ザナックは壁に寄り掛かったまま半笑いを浮かべてこれに答えた。

 

「はは、連行される貴族共の蒼褪めた顔は、中々見ものだったぞ。」

「それは何よりです。私も部屋から出ていく連中を見ている間、小躍りを我慢するのが大変でした。」

 

この騒動は計画通り。いや、全て仕組んだ訳ではないのだから、計算通りという方が正しい。

その計算はほとんどがもう1人の共謀者、ラナー王女によるもので、自分はコネクションの面でしか役に立てていないのが少々歯がゆい。

 

「それにしても驚きました。ボウロロープ侯の屋敷から八本指との繋がりを示す痕跡が見つかるとは。」

「なに、簡単なことだ。兄の部屋から出たヤバイ資料を、金と一緒に屋敷の小間使いに握らせただけだからな。」

「・・・力だけでは人望は集まらないということですか。」

 

王女から、バルブロが八本指から賄賂を受け取っているという話を聞いたときは耳を疑った。仮にも第一王子の身でありながら、国を蝕む組織から金を受け取っていたというのだから。ザナックの嬉しそうな様子を見ると、どうやらそれは真実であったようだ。「兄を蹴落とす材料が出来た」と顔に書いてある。

 

「こうなってみると八本指様様だな。繋がっていた馬鹿共はもちろん、邪魔者を排除する材料になってくれるのだから。」

 

繰り返される過激な発言に、思わず周囲を見渡す。廊下に人影が無いことを確認し、胸を撫でた。

ザナックが言っているのはボウロロープ侯のことだ。

彼は王国最大の軍事力を以て、六大貴族の1人として数えられている。その武力への拘りの強さは、ガゼフ・ストロノーフ率いる戦士団の発足を聞きつけて、自らも精鋭部隊を作るほどだ。毎年の恒例行事となっている帝国との小競り合いでも、頼りになる存在ではあるのだ。

だが彼は、貴族派閥の一員として権力闘争に明け暮れてしまった。私に言わせればそれこそが彼の罪。王国に混乱を齎す者は敵だ。

我が領地を完璧な状態で息子に譲る計画が揺るがされるのだから。

 

「王子、ここではそういった発言は・・・。」

「ん? ああ、そう構えなくても良い。仕事熱心なメイド達は捕まった貴族共にご執心だ。

 ここを通る者と言えば―――そら来た。」

 

ザナックの視線を辿ると、ロックマイアーと軽装の兵士、それから此度の主役であるエンリ・エモットが歩いてくるのが見えた。

カルネ村という田舎出身だと聞いていたが、街娘のような風貌だ。王都に来てすっかりシティーガールに染まったらしい。衣服に乱れは無く、手首に痣も見受けられず、頬に米粒が付いている。ロックマイアーは言いつけ通りしっかりともてなしていたようだ。

軽装の兵士は、ロックマイアーと同じく我が親衛隊の1人。魔法で八本指の手先となっていた兵士に姿を変え、コッコドールを誘導させた。

 

ロックマイアー達は既に此方に気付いていたようで、私に目配せをしてからエンリの背中を軽く叩くと、足早に去って行った。王城へ勝手に私兵を連れ込んでいたことがバレると少々まずいため、任務達成後は速やかに城を出るよう指示しておいたのだ。

1人取り残されたエンリは、所在無さげにキョロキョロしている。ロックマイアーは何も伝えていないのだろうか。

此方へ近付いてくる気配が無いため、自分からエンリの方へ歩み寄った。

 

「初めまして、エンリ・エモット殿。私はエリアス・ブラント・デイル・レエブンと申します。」

「あなたがレエブン候ですか? 良かった・・・。」

 

エンリは胸に手を当て、ほっと一息ついた。どうやら私の名は伝わっているようだ。

ザナックが横合いから歩み出て、普段見せている顔からは想像もできない爽やかな笑みを浮かべる。

 

「私の自己紹介も必要かな?」

「あ、はい。お願いします。私はエンリ・エモットです。」

「あぁ、そう・・・。」

 

ザナックは私や王女の前でこそかなり砕けた態度だが、そこまで親しくない相手の前では普通に王子をやっているのだ。上位者の体裁を保つのは上手い。

自分の顔がエンリに知られていなかったことに少々、いやかなり落ち込んでいる様子だが。

 

「私はザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフ。リ・エスティーゼ王国第二王子だ。」

 

ザナックの自己紹介を聞いたエンリの顔から、さっと血の気が引いていった。

慌ててその場に傅く。その速さたるや、風圧で前髪が揺れた程だ。

 

「は、初めまし―――お初にお目にかかります、王子! 何分田舎者ゆえ、どうかご無礼をお許しください!」

「お、おう・・・。」

 

挨拶を交わした感じではやはり田舎者らしいのんびりとした印象を受けたが、それとは打って変わって、はきはきとした丁寧な言葉遣いだった。まるで人が変わったようだ。

 

「まぁそう畏まる場でもない、緊張するな。」

「はい。」

 

エンリが返事をして立ち上がるが、その顔には依然緊張があった。貴族や王族といった存在には全く接点を持たずに生きてきたのだろうから、無理もない。

ザナックが小さくため息をつく。力を抜いたのだろう。エンリ・エモットに対しては王族としての威厳を見せるより、砕けた態度で接したほうが親しみを持たれると考えたのか。これからの国の激動を考えると、エンリ・エモットとは出来るだけ早く友好関係を築いておきたいため、それには賛成だ。

 

「それにしてもお前、そんな格好で父に会うつもりか?」

 

言いながら、ザナックは自らの頬をつつく。

その意図に気付いたエンリが顔に手を当て、頬に付着した米粒に気付いた。少し顔を赤らめてから軽く会釈をして感謝を伝え、再び顔が蒼白になる。

 

「父って・・・私が王様に会うんですか!?」

「なんだ、レエブン候の私兵はそれも言っていなかったのか?」

「どうやらそのようです。」

 

慌てふためくエンリを余所に、ザナックが身を翻す。

 

「先に妹のところに行くぞ。何か服を借りるといい。」

「妹・・・ラナー王女殿下ですか!?」

「妹のことは知っているのか・・・。」

 

 

 

部屋に扉のノックが響く。

一体誰だろう。クライムには引き続き情報収集をさせているし、レエブン候が戻ってくるには早すぎる。エンリ・エモットをお父様―――国王に会わせて、そのまま私の下へ連れてくる手筈だ。御付きのメイドも呼んでいない。可能性として最も高いのはやはりレエブン候達か。

 

「どうぞ。」

 

そこまで逡巡してから入室の許可を出す。

扉から顔を覗かせたのは、予想通りの3人だった。

 

「よう、妹よ。」

「まぁ、お兄様。どうなさったのですか?」

「こいつがみすぼらしい格好をしているものでな。何か着せてやってくれ。」

 

兄が2人の後ろに隠れていた女の背を推した。

出てきたのは当然エンリ・エモット。バランスを崩してふらついたが、すぐに直立して顔を上げ、私と目が合った。

さて、その顔に浮かぶのはどんな感情だろう。私を目にした女が抱く感情は2つに絞られる。羨望か、もしくは嫉妬。前者であれば完璧な少女を、後者であれば間抜けな少女を演じればいい。容姿では敵わなくとも、勝てる部分があると思わせるために。

エンリ・エモットが浮かべたのは、羨望の眼差しだった。

 

(・・・?)

 

しかし、それは一瞬で消えた。

エンリから全身を隈なく見つめられている。観察されている。感心したような顔に変わり、何かを思い出すように視線が泳ぐ。

比較している? 一体誰と?

自分で言うのもなんだが、この国で私と同レベルの美貌を持つ女性はラキュースくらいだ。自然に考えれば彼女と比較されていることになるが、この反応はどうにもおかしい。

ラキュースと数日行動を共にした程度で、見慣れたような反応をするはずがない。

そう、見慣れている。間違いなくエンリ・エモットはこれまでに多くの美女を目にしている。でなければ説明がつかない訳だが、どのような環境にいればそんなことに―――。

 

「どうされました、ラナー殿下。」

「どうされましたは私のセリフですよ、レエブン候。男性は外で待っていてください。」

 

予想外の反応で呆けてしまった。少し怒ったように頬を膨らませて、兄とレエブン候を扉の方へと押しやる。苦しいが、エンリ・エモットは誤魔化せるはずだ。2人を誤魔化せなかったとしても、私の本性を知っているのだから、さして不自然にも思わないだろう。

 

しかし、これは想定以上に難敵だ。

敵に対する対応のチグハグさから、別の人格が存在する可能性が高いと読んでいた。カルネ村が襲撃された際に何らかの原因で力を得て、それと同時に新たな人格が芽生えたと考えれば辻褄が合う。その仮説は今のエンリの様子を見て確信へと変わった。

だが、肝心の第二人格は基本的に表に出てこないらしい。クライムが蒼の薔薇から聞き出した情報によれば、エンリ・エモットはとても優しい性格をしている。ならば、敵が殺されていない事件はエンリ本人が、それ以外を第二人格が担当したのだろう。

具体的には、カルネ村襲撃・アンデッド大量発生事件・そして今回の八本指騒動。

直接みて掴んだ情報は、私と同程度の美貌を持つ女性を見慣れているという異質さのみか。判断材料が少なすぎて、迂闊な言動ができない。人格が2つだけだと断定することすら危ういかもしれない。

 

「えっと、あの・・・私は―――」

「まあまあ、お話は後でゆっくりしましょう? あまりお父様を待たせるのも悪いわ。」

「そ、そうですね。」

 

尤もらしい理由をつけてエンリの自己紹介を遮る。ガチガチに緊張して震えた声。これはエンリ本人の物だろう。

現状で無暗にエンリと会話するのはまずい。間違いなく村娘である本人はまだしも、もう1人の気に入る行動が読めない。エンリ本人から分離した人格ならば趣味嗜好も全く同じだと考えるのが自然だが、そうでなかった場合が最悪だ。

とにかく今は、エンリ・エモットに似合う服を全力で見繕おう。

 

 

 

という訳で、俺は王の前に跪いていた。

何が“という訳”だ、と自分で突っ込みたくなるほどに色々な事が起きた。まさかの逮捕、からの釈放、貴族・王子・王女と会い、現在は国のトップである国王に謁見している。レエブン候たちも付いて来ているとはいえ、プレッシャーが半端じゃない。

 

(ラナー様、本当に綺麗・・・。ラキュースさん以外にもこんなに綺麗な人がいるなんて、やっぱり王都はすごいですね。)

(俺もびっくりしたよ。あれほどの美人が2人もいるなんて。)

 

思わずナザリックのNPCを思い出してしまったレベルだ。

ギルドメンバーが新しいNPCを作る際、モデリングはほとんど仲間の1人に依頼されていた。その道のプロがギルドに所属していたのだ。結果、人間とあまり変わらない外見をしている女性キャラは1人残らず絶世の美女となった。

そんなNPC達と比較しても遜色ない美貌を持つ女性が、この世界には2人もいた。しかも片方は王女で、片方は凄腕の冒険者。天は二物を与えたというのか。

 

「立ってはくれぬか、エモット殿。余は―――私は、ただ感謝を伝えたいのだ。」

 

そんなことを考えて2人で現実から逃避していたのだが、どうやらこの逃げ出したい状況と向き合う時間が来たようだ。王の言葉通り立ち上がる。

王の前に引っ張りだされてどうこうされる訳ではないことは既に分かっていた。それ以外で国王が直々に会って話したい用事と言えば、八本指を壊滅させたことの礼と褒美くらいだろう。

 

「いえ、私は蒼の薔薇の皆さんをお手伝いしただけです。大した事は・・・。」

「此度の件でも感謝しているが、もっと前のことだ。戦士長を助けてくれただろう?」

「え・・・ああ、あの時のことでしたか。」

 

王が話しているのは俺がこの世界に訪れた直後のこと。ガゼフ・ストロノーフを法国の特殊部隊から助けたことだった。

あの件に関しては戦士長に口外しないようお願いしていたため、考慮から外していた。いや、厳密にはエンリが力を得た経緯を秘密にしていたのだったか。それについても王にだけは話している可能性があるが、これだけ厚い信頼を寄せているのなら、王も無暗に口外したりはしないだろう。

 

「私の腹心の部下にして友人であるガゼフを救ってくれたこと、深く感謝する。

 ついては、何か礼がしたいのだ。何でも言ってくれ、私にできる範囲で応えよう。」

「そんな・・・私は当たり前のことをしただけです。それに平民の私が―――」

 

俺が平民という言葉を口にすると、王は心底愉快そうに笑った。

それはもう、高笑いと表現するのが適切なほどの大笑いだ。

 

「既に多くの貴族が投獄されるという珍事が起きておるのだ。今は身分など気にせずとも良い。文句を言えるほど余裕のある者などおらぬ、遠慮する必要はない。」

 

衝撃の事実すぎる。俺が囚われている間に一体何があったというのか。

この世界の社会構造などろくに知らないが、貴族というのは割と好き勝手が許される特権階級ではないのか。そんな人たちが一斉に捕まるとは、どんな悪事を働いたのだ。八本指に協力している貴族がいるのは知っているが、まさかそんな連中が大量にいたのだろうか。正直もう少し解説が欲しいところだったが、王に口出しするなどという恐ろしいことはできない。

いやいや、そんなことよりもまずは望みの物を考えなくては。

 

(自由をくれ・・・なんて言ったら怒られるかな?)

(絶対怒られますよ。私でも分かります。)

 

ですよね。

王国としては、アダマンタイト級冒険者である蒼の薔薇と並び立って八本指を退けたエンリを手放したくない。行動の制限はしないまでも、行先くらいは知りたがるだろう。

だけど今欲しい物と言えばそれくらいだ。

何かないのか、王の負担にならない手頃な褒美は―――。

 

『何か美味いモンでもくれるんじゃないか』

 

ふと、ロックマイアーの言葉が頭を過る。

あるじゃないか、とても手頃な褒美が。王宮の料理にはとても興味がある。王の財布のダメージも最小限で済む。これ以上ないくらいの名案。

心の中のロックマイアーがサムズアップした。ありがとう、ロックマイアーさん。

 

「そう急かしてはエンリさんが困ってしまいますよ、お父様。このお話は後日改めて、というのはどうでしょう?」

 

美味しい物と言いかけて口が“お”の形になったところで、王女から助け舟が入る。

ラナーが此方を向き、ウィンクした。なんと頼りになるお姫様だ。実のところ所望する褒美は美味しい物と決めたところなのだが、そこは言わぬが花だろう。

 

「おお、それもそうか。エモット殿もそれで良いかな?」

「はい。そうして頂けると助かります。」

「では何か考えておいてくれ。そういえばラナー、エモット殿と話がしたいのだったな。」

「はい、お父様。」

 

まだ続くのか。それが俺の正直な感想だった。

貴族や王族との交流など滅多に経験できないことで、とても名誉なことではある。だがこのまま行くと一生分の鼓動を使い切ってしまいそうだ。昨日から徹夜なのも相まって、俺が睡眠不要の特性を持っていなかったら今頃ぶっ倒れているだろう。

 

「私の用も済んだ。部屋でゆっくり話してくると良い。」

「はい。では行きましょう、エンリさん。」

「は、はい・・・。では、失礼します。」

 

扉の方へ歩いて行くラナーの後に続こうとしたが、視界の端に映るザナックの口元が動いているのが気になった。視線は俺とばっちり合っているのに、声は出していない。読唇術スキルは持っていないが、気合いで唇の動きを読んだ。

 

(き・・・を・・・つ・・・け・・・ろ・・・。え、なにされるの俺。)

(冗談だと思いますよ?)

(だよね。)

 

相変わらずザナックはにやにやと半笑いを浮かべていることだし、からかっているだけなのだろう。

謎の忠告は気にしないことにして、国王にもう1度頭を下げてから部屋を後にした。王様の前での作法なんて全く分からないが、失礼な部分は無かった・・・と思いたい。

 

 

 

兄も随分余計な真似をしてくれる。紅茶を2人分のカップに注ぎながら、内心で呟いた。

エンリが大して気にも留めていないから良かったものの、余計な警戒心を与えられては困る。私の戦いはこれからなのだから。私とクライムが誰にも邪魔されずに生活できる場所を手にするために、どうにか目の前の女を引き込まなければならない。

先ほどの王との会話を見た感じでは、第二のエンリ―――仮に偽エンリとしよう―――はあまり恐るべき相手とは言えない。中身はエンリとさほど変わらない一般人で、警戒すべき点は人命を奪うことに躊躇が無いところくらいか。

偽エンリが美女を見慣れている可能性については考慮から外しても問題ないだろう。どこぞの王の魂でも入り込んでいるのかと考えたが、帝国の皇帝のようなカリスマ性は皆無だ。飛びぬけて頭がきれる訳でもない。

何しろ、褒美に下らない物を所望しようとした程なのだから。固辞し続けるのも、無理難題を吹っ掛けるのも無礼と考え、手頃な褒美を探していたようだが、口が“お”の形になった時には肝を冷やした。美味しい物などと言われてはせっかくの功績が台無しだ。父へ売った恩はもっと有効な場面で役立たせてもらう。

 

「どうぞ。」

「ありがとうございます。」

 

エンリにティーカップを差し出し、私も対面に座った。

偽エンリにとって人の命は恐ろしく軽い。最低でもアイツを怒らせることだけは避けなければならない。その上でエンリ、偽エンリ両者からの好感度を稼ぐ。ついでに情報を得られれば完璧だ。

 

「そういえばエンリさん。」

「はい?」

 

エンリが小首を傾げる。今表にいるのはエンリの方か。

気付かれないよう目線は自然に保ち、意識の全てをエンリの表情に注いだ。

 

「そのドレス、良かったら貰ってくれないかしら。」

「本当ですか!?」

「ええ、よく似あっているわ。」

 

エンリが立ち上がり、着ているドレスを眺め回す。

口元は満面の笑み。ごく自然な反応だ。目の方も変わらない―――いや、変わった。

値踏みするような視線。使い道は無いが手に入るのならば嬉しい、といったところか。

癖を矯正するのは非常に難しい。それが意図せず染みついたものならば猶更。特に目の制御は意識しても上手くいかないことが多い。そこから考えを読み取るのは造作もないのだ。

偽エンリにとってドレスは使い道の無い物、つまりは男。それでも欲しがるということは、コレクターなのだろうか。エンリから分離した自我ではなく、完全なる別人だ。

 

「ありがとうございます、すごく嬉しいです・・・!」

「うふふ、なんだか私まで嬉しくなっちゃうわ。細かなサイズの調整は―――」

「大丈夫です、得意ですから!」

 

エンリが自信満々に握り拳を作る。

裁縫が得意ならば家事全般がこなせると見ていいだろう。腕の筋肉の付き具合から、力仕事もやっている。カルネ村ならば畑仕事か。明るく真面目な性格のようだ。

エンリの人となりはかなり掴めてきた。後は偽エンリの方だが、此方はあまり気にしなくてもよさそうだ。エンリに優しくしていれば自動的に好感度が上がっていく。逆に言えば、エンリに不快な思いをさせれば一気に不興を買うということだ。虎の尾を踏んだ八本指には本当にご愁傷様と言うほかない。

 

「良かったらこれまでの旅のお話を聞かせてくれないかしら。」

 

それからの私は話を聞くことに専念した。

相手が欲しいところで質問を挟み、相手が望む反応をし、適度に私の意見を述べる。

エンリが何か目的を持って冒険者になったのではなく、旅そのものを楽しんでいるようだったのが少し厄介だが、概ね満足な結果が得られた。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

ラナーとの雑談が終わり、今は宿への帰り道。見送りのメイドとは城を出たところで別れ、ようやく緊張感から解放された。まだロ・レンテ城の敷地内だが、晴れ晴れとした気分だ。外の空気が美味い。

ラナーから譲ってもらったドレスは既にアイテムパックにしまい、エンリの私服に着替えていた。ドレス姿で街を徘徊するのは目立ちすぎる。エンリには言わないが、あれを着る機会が今後訪れるのか、未だに疑問だ。

 

(あぁ~、疲れました・・・。)

(ほんと、大変な1日だったね。)

 

エンリがまるで仕事終わりの俺のようだ。年頃の少女にはとても似合わないものだが、口にはしていないからギリギリセーフか。

 

(先に寝てるといいよ。俺も宿に帰って眠るから。)

(そうですか? ではお先に・・・。)

 

そう答えたエンリの意識はすぐに途切れた。

慣れてしまえばこの状況は実に快適だ。いつでも周囲に気付かれずに相談し合えて、体の一切を委ねて休むこともできて、何より孤独がない。

こうなった原因が分かるまでは君は俺だ。俺が言ったその言葉をエンリは覚えているだろうか。

―――まだしばらくはこのままでいたいと言ったら、エンリは怒るだろうか。

 

「エンリさーん!」

 

遠くから聞こえた呼び声に、俯いていた顔を上げる。城門の向こうでラキュースが手を振っていた。周囲の視線を気にすることなく、手をブンブン振り回している。何だか申し訳なくなって、小走りでラキュースの下へ向かった。

すっかり“エンリ”と呼ばれて反応するようになってしまったなと、苦笑が漏れた。

 

「迎えに来てくれたんですか?」

「本当は城内まで行きたかったんだけどね。」

 

近くの門衛が気まずそうに身を竦ませた。

ラキュースの様子を見る限り、何も嫌味で言った訳では無さそうだ。しかし、アダマンタイト級冒険者という肩書が彼を委縮させてしまうのだろう。有名すぎるのも一長一短なようだ。

 

「さ、早く帰りましょう。みんなエンリさんのことを待ってるわ。」

 

ラキュースが踵を返す。俺も横に並んだ。

 

「それが、エンリはもう寝ちゃいまして。」

「え? あれ、敬語キャラに変えたの?」

「ラキュースさんは先輩ですし。」

 

ポケットからオリハルコンのプレートを取り出し、ラキュースに見せる。

アダマンタイトを目指すかどうかは後でエンリと相談しよう。

 

「もう、モモンの時はそんなこと気にしなくていいの! 普通にしなさい普通に。」

「は、はあ・・・。」

 

ラキュースの中では、俺は粗暴な人物と位置付けられているのだろうか。実はロールプレイをしているとき以外は敬語がデフォルトだったりするのだが。エンリに対して敬語を使っていないのは、早く遠慮の無い関係になりたかったからだし。

これからの付き合いで粗暴なイメージを払拭すればいいかと、ポジティブに考えた。

 

「歩きながら眠れるなんて、便利ね。」

「本当にそう思うよ。かなり疲れてるみたいだったから、先に寝かせたんだ。」

「ふーん、じゃあ代わりに体を動かしてるの? 優しいのね。」

 

優しい。その言葉を聞いて、会話が途切れる。

俺は果たして優しい人間だろうか。いや、そんなことは絶対にない。

 

「俺は優しくなんかありませんよ。」

「優しいわよ。エンリさんのためにあんなに怒ってたじゃない。」

 

ラキュースは俺とゼロが対面した時のことを言っているのだろう。そういえばあの時の俺は範囲を考えずに絶望のオーラを発動していた。もしラキュースを巻き込んでいたのなら、悪いことをしてしまった。

―――そう、俺が優しくない所以はそこにある。

 

「・・・今の俺はエンリにしか優しくない。そんな人間を優しいとは言わないよ。」

「あら、私には優しくしてくれないのかしら?」

 

ラキュースが俺の顔を覗き込む。そのあまりの近さに、思わず数歩後退ってしまった。

彼女は俺の反応を見て楽しんでいるようで、クスクスと笑っている。

 

「男の子みたい。」

「男ですから。」

「ふふ、そうだったわね。」

 

そんな他愛のない話をしながら歩く帰り道は、なんだかとても新鮮だった。

 

俺とエンリが王都でやるべきことはまだ残っている。けれどまずは宿へ帰ろう。今は毛布と枕が恋しい。

 




作者「今回で王都編を終わらせよう」
文字数「普段の倍ィ!」
作者「ああああああ!!」

そして終わらない王都編


火災に関しては、ほんのちょっぴりしか描写してない&1年以上間が空いているため、覚えている人は1人もいないと思います。
そんなことがあったんだなぁ程度で大丈夫です。

nekotoka 様
誤字報告ありがとうございます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。