ぼっち師匠シリーズ   作:T・A・P

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師事

「こんな暗闇のどこが怖いんだ?」

「目をつぶってみろ。」

「それが―――――」

――この世で最も深い闇だ――

 

 

1997年、春

僕が海沿いのド田舎から某中規模都市の大学に入学した頃、とりあえず入ったサークルにとんでもない人がいた。

元々、霊感は強い方で子供の頃から心霊体験は結構していたのだったが――――

 その頃、大学受験期ストレスからか、やたら金縛りやら怖い目に遭っていた。

 金縛りはどう言うものか分かると思うけれど怖い目というのは、例えば、深夜に僕しかいない部屋で人の気配を感じて起きてしまうことがよくあった。なんだ、実害がないだろ、とか、よくあるストレス症状だとか言うかもしれないが、満足に寝れないってのはかなり深刻な問題だと僕は言いたい。現に僕は寝不足になった。

 でも、ストレスってやつだったのかな、アレは。

「おい新入生」

「あ、はい」

「お前も混ざれよ。何か面白い話しの一つでもあるだろ」

 サークルの最初の集まりで、一人ポツンと座っていた僕を見つけた先輩から呼ばれ少し考えた後、オカルトへの興味が急激に高まっていた時期で僕はサークルの人々が引いているにも関わらず嬉々としてそう言う話をしてしまった。

 僕が話し終えると、話を聞いていた人たちは絶妙な表情を浮かべるとすぐさま別の話題に移って、僕は再び一人で窓際の位置に落ち着いた。

 若干、いやかなり引かれていたような気がする。

 少々反省して持っていたコップに口をつけると、無言の先輩がしれっと僕の横に座ってきた。その先輩は院生で仏教美術を専攻している人だった。

 普段はあまりサークルにも顔を出さないらしいのだが、新歓時期ということもあって呼び出されていたようだ。

「面白かったぜ、お前の話し。他に何かねぇか?」

 先輩は持ってきたお茶を僕のコップに注ぎこみながら、聞いてきた。僕は正直、この先輩が最初から気になっていた。

先輩風を吹かす上回生やら、人付き合いが苦手そうなおろおろしている入部希望者。見るからに冷やかし目的のチャラチャラした見学者などで部室内はごった返していたのだが、その先輩は一人だけ冷ややかに一歩引いた位置から周囲を眺めていた。いや、観察していたのかもしれない。

しかし、思いのほか行動的で驚いてしまった。それから先輩に問われるままに自分が体験してきた様々な怪奇譚を語っていると、その一つ一つに苦笑を浮かべ、「そいつは災難だな」などと寸評をくれるのだった。それは一種の愚痴だったのかもしれないけれど、やはり話していて反応があるのとないのでは口の滑り方は違った。

 すっかり意気投合して話しているとすでに日が落ちて、集まりは解散まじかだった。そこから二次会へ行く集団ができていたが、僕は先輩にドライブに誘われ別行動となった。

 正直、ドライブに誘われた時は迷った。他の部員達と離れ、サークルの中でも浮いている、いや、ぼっちであるということがひしひしと伝わって来る先輩と二人で行動すると言うのは、今後このサークルにおける自分の立ち位置が決定つけられるような気がしたからだ。

 そして、その予感は外れていなかった。

「ほら、先に乗れよ」

 僕はてっきり先輩が運転するのかと思っていたが、そこにあったのは高級そうな黒塗りの車だった。運転手は映画に出てくるような老執事のようで、少し乗るのに戸惑ってしまった。

「何か食いに行くか」

 そんな先輩の言葉に少し答えに窮した。これは完全にお金持ちが乗る車であり、つまり先輩はそう言うところの人間だと言うことだ。だったら、ここで軽々しく答えて高級料理店に連れていかれたら僕の財政状況じゃとても払いきれるものじゃない。でも、もしかすると奢ってくれるかもしれない。そんな葛藤が僕の中を渦巻いて、その結果出た答えが、

「なんでも食います」

 そう答えると、「じゃあファミレスだな」と庶民的な答えが返ってきた。先輩は運転手に声をかけると車はゆっくりと動き出した。

 それから、ほかにどんな怖い体験をしたか根掘り葉掘り聞かれながら随分と遠いファミレスにやってきた。そこはこの都市では有名なファミレスで、車から降りるとすぐに先輩が、

「ここ、俺の行きつけで、出るんだよ」

 ファミレス自体人生で初めてという田舎者の僕は、それでさえ緊張していると言うのに、出るって、出……出るんですか。

 常連という雰囲気を醸し出して店内を歩く先輩は、本当に行きつけらしく店員は先輩の顔に目を向けるだけで案内も何もなかった。僕は慌てて先輩の後を追って店の端にある一つのテーブルに向かい正面に座った。

 先輩は注文がすでに決まっているのかメニューを見ず、僕は急いでメニューを見るのもそこそこに適当な注文をした。すぐに料理が運ばれてくると、端を握った瞬間、先輩がこう言った。

「俺が合図したら俯けよ。足だけならお前でも見えるはずだ」

 こちらを向きもせず、ドリアを口に運ぶ合間に言ってきた。そんな事を言われて飯が美味いはずがない、これは何の冗談だ。もやもやした気分のまま、皿の上のライスをもさもさ食っていると、急に耳鳴りがした。どこか目に見えない場所で歯車だらけの大きな機械が急に駆動を始めたようなそんな感覚。

 出る。

 自分の経験則に照らし合わせて、それが分かった。その空間の気圧が変わるように、あるいは磁場が変わるように、何か普通ではないものが現れる瞬間だった。冷汗が出始めて、端を握る手が止まると先輩が言った。

「俯け」

 慌ててテーブルに目を落とした。

 その姿勢のまま動けず、しばらくじっとしていると、視線の右端、手―ぶりのすぐ脇を白い足がすーっと通り過ぎた。まるで現実感が無かった。その足は床を踏んでいなかった。

 いきなり肩を叩かれて我に返った。

「見たか?」

 先輩がそう尋ねてくる。

 僕が頷くと、

「今のが店員の足が一人分多いう、この店の怪談。俺は足以外も見えるんだが、まぁ、見ない方が幸せだな」

 そう言って平然と水の入ったコップに口をつける。

 何なんだ、この人は。

「早く食った方がいいぜ。俺、嫌われているからな」

 僕もかなり幽霊は見る方だと自認していたが、こいつはとんでもない人だと、この時はっきり分かった。 

 その後、僕が食べ終わるまでの間、白い足は僕らのテーブルの周りを三回往復した。

 

 

 

 ファミレスを出たのち、再び車に乗り込むと住宅地へ戻っていった。行きと違い先輩の口数は少なくなった。と言うより、一切口を開かなくなった。いや、口数が少なくなったと言うよりは、さっきまでの先輩の口数が多かったと言う方が正しいような気がする。

 先輩と同じように外に目を向けると、窓から明かりが洩れている家が次々と後方へ流れていく。時々一切明りのついていない家が現れ、なぜかそれがとてつもなく怖いように思えた。

 どれくらい車が走っていただろう、同じような家が続き夜の暗さもあってか今車が住宅地のどこを走っているのか分からなくなった。直接目的地に向かわず、住宅地の端から端まで走りまわったようなそんな感じがする。例えるなら、誘拐犯が場所を特定されないように遠回りするみたいな感覚だ。

 そこまで考えて、僕はふと不安になった。まさか、このまま知らない所に連れていかれて……と顔を青くしていると、発車した時と同じようにゆっくりと停車した。

「ついたぜ」

 先輩に促がされて車を出ると、ごく普通の二階建ての一軒家が建っていた。ふと、ここが先輩の家かと一瞬思ったが、先輩は運転手から鍵を受け取ったところを見るとそうじゃないと気がついた。

 運転手はそのまま車に乗り込み、音も無く車を発車させるともう見えなくなった。

「んじゃ、入るか」

「は、はい……」

 窓には明りはなく、この家の中には誰もいないと分かる。そして、来る時に見えた家を僕は思い出した。

両脇の家は明々と窓から明りが洩れているのに、一軒だけ明かりがついていないと言うのはどこか物悲しさと恐怖を運んでくる。それは、実際に目の前にするとどうしても無理やり口の中に詰め込まれるような感覚に陥ってしまいそうなほどに。

 家には生活感の欠片が残っていない癖になぜか毎日誰かが掃除しているように埃の一つも落ちておらず、先輩がどこかから取り出したスリッパを僕に投げてよこした。僕は慌てながらスリッパに履き替えると、先輩の後について一階のリビングに入る。

 広めのリビングには五、六人が座れそうなテーブルが一つと四脚の椅子が置かれているだけで、他には何も置いていなかった。先輩はその中の一つに座ると僕もファミレスの時のように向かいの椅子に座った。暗いリビングの中を見渡すと、食器やこのテーブル以外の家具は見当たらずこの家は空き屋なんだと直感的に理解できた。

 それから数分間無言が続き、僕は詳しい話を聞くべきか迷って結局訊こうと口を開いた。

「あの――」

「しっ……」

 小さく指を口に当て、先輩はカーペットも何も引かれていないフローリングに目を凝らす。おそらく元々はソファやテレビがあったような場所だったのだろうけれど、今は何一つ残っていない。

 そんな場所になにか見えるのかと僕も目を凝らすが、ぼんやりと暗闇に浮かぶ床しか見えなかった。それからじっと息を潜めていると、徐々に自分の身体と暗闇の境界線が分からなくなってきた。どこまでが自分の体なのか、どこまでが暗闇なのか、どうしようもなく不安な気持ちになった。

 どれほどの時間が経っただろう。

ふと、どこかから玄関が開く音が聞こえてきた。この家の持ち主が返ってきたのだろうと思い先輩に声をかけようとして、僕の口は止まった。

僕が自分でこの家は空き屋だと言ったんじゃなかったか。じゃあ、誰が帰って来ると言うのだろう。

 急に背筋が凍った。

 すぐに廊下を歩く足音が聞こえてくると、僕たちが入ってきたリビングの扉の前で止まった。そして、ガチャリ、と扉が開くと何かがリビングの中に入ってきた。

 人。

 いや、それははたして人なのだろうか。

 暗闇の中を黒い影が動く。人相風体も定かではない。僕は震えて椅子から動けずにじっとその影を見ている。

 影はゆっくりと先輩が見ている床の方へ移動し、落ちていった。

 一瞬なにが起きたのか理解できずに固まっていたが、身を乗り出すように再び床を凝視すると、そこには『穴』があった。底が見えないほどに黒く塗りつぶされた穴。それは、さっきの影以上にゾッとする光景だった。

 そこに落ちてしまえば僕が存在したことさえ無かったことになるような、穴。

「あれは、なんですか」

 先輩は眠そうに欠伸を漏らすと、

「さぁ、な」

 その口ぶりに違和感を覚え、僕は重ねて訊いた。

 こんな所に連れてきたって事は、あれがなんなのか知らないはずはない。そんなようなことを。

 しかし、先輩は予想だにしなかったことを言うのだった。

「終着点なんだよ、ここ」

 終着点、その言葉に僕は少しだけ寒気が走った。ずっと感じていた異様な感覚を言葉にされてしまったような。

「霊道の終着点。まぁ、俺は霊道って言葉があまり好きじゃねぇんだよな」

 そんなことを話す先輩の呟きに、しばらくたって反応をする。

「どうしてですか」

「道って言うと、往来って言葉があるように行き来するイメージがあるんだよ」

「それがどうしたんですか」

「この穴から這い上がって戻っていくモノを見たことがねぇんだ。ここ以外でもな。一方通行なんだよ」

 だったら、なんだと言うんですか。

 そう訊こうと思ったが、理解した。

「穴だな」

 先輩は僕が訊こうとしたことが分かったように、再び呟いた。

 穴。

 落ちていく、戻れない穴。

 その言葉を聞いた瞬間、僕は僕の足元に目を向けた。自分が今いる場所から少し自分が浮いているような錯覚に陥り、不安定な空間に放りこまれたような感覚を骨髄に流し込まれたような。

 そこでは僕らが日常を生きる世界と、寸分たがわず、でもどこかがほんの少し違う、そんな異世界と重なり合っている。

 そんな想像に体を震わせ、椅子に深く座り直す。

「最後の奴だけか」

 ふいに先輩がそう訊いてきた。

 最後の?

 それを聞いた瞬間、僕は自分が思い違いをしていたことを知った。全身の鳥肌がさらに増した。

 先輩はこう訊いたのだ。

 見えたのは、最後に来た奴だけか?

 嘘だろ。

 そう思って先輩を見据える。

 しかし、先輩はニヤリと口を歪ませる。

「まぁ、いい」

 先輩には見えていたのだろう。リビングに入ってからずっと、静まり返った暗闇の中、家に入ってきては穴に飲み込まれる無数の影たちが。

 

 

 僕たちが家から出てくるのと同時に、同じ車が家の前に停車した。

 先輩は鍵を運転手に返すと、すぐに車の中に乗り込んだ。僕も車に乗り込むと、車は動き出す。

 外はすでに朝日が地平線から顔を出はじめ、全てが顔を出したころ、僕はこの奇妙なドライブからようやく解放された。

「じゃあな」

 眠そうに僕を送りだした先輩の乗った車は、朝焼けの中に走り去っていった。

 それ以来、僕はその先輩を師匠と仰ぐ事になったのだった。

 奇妙なもの、恐ろしいもの、気持ち悪いもの、悲しいもの。

 そのどれも、僕らの日常のほんの少し隣にあった。

「んじゃ、行くか」

 彼が僕を振り返り、そう言う時、日常のほんの少し隣へと通じる扉が開く。人生で一度しかない僕の大学生活のすべてが、そんなもので彩られていった。

 

 


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