その姿は正しく悪鬼であった。
否、本来の男は悪ではなく、そもそも鬼ですらなかったが、殺したことで悪と成るのならば悪となったのだろう。たとえソレが人外であっても。
「ねぇ、アナタはなぁに?」
その男に話しかける何かがいた。
油断したか、と辺りを見回してみるが、そこは普段と変わらない暗闇に包まれた森の中。月明かり以外に視界を確保することは出来ず、声の主を捉えることは出来ない。
何故気づけなかった、と問われればそれはこの声の主からは悪意を、嫌悪を、負の感情を感じることが出来なかった為と言わざるを得ない。
落ち着けていた腰を上げ、徐ろに自らの刀――鬼を殺し、鬼に染まった滅鬼刀を手に取る。
「私を斬るの?その刀で?今までと同じように」
ピクリと、どこからと聞こえる言葉に違和感を覚えた。
見られていた気配はなかった。その場にいたのは常に己と斬られる者のみ。それを見たものはすぐに逃げ出し、ましてや己に話しかけてくるなど、有り得なかった。
更に、今まで、ということは己の闘いを何度も見ていた存在だと言うことに気づくことの出来なかったことに、不快感を露わにした。
「当てずっぽうに振っても、私には当たらないよ?」
男の周りの木々が、その言葉によって漸く斬られたことに気づいたように、一斉に大音量上げて倒れ、粉塵を巻き上げた。
「ねぇ、アナタはどうして闘うの?」
知れたこと。己は闘うことしか出来ない存在であるからだ。それを望まれ、そう成った存在であるからだ。
「ねぇ、アナタはどうして斬るの?」
解り切ったこと。斬らねば存在出来ないからだ。何より、血を求めてしまう業と呼べる者が己の中に燻っている為だ。
「寂しい人ね」
寂しい、などという感情は存在しない。そんなものはとうの昔に"あの者達"と共に捨てたのだから。
「貴様は、何者だ」
「私は影。アナタの影ではなく、彼女の影だけれど」
くすくすと、どこかこちらを馬鹿にするような笑い声が不愉快だった。
だが、害意がない者を見つけることは出来ず、多少空けた周囲を見渡してもそこには形も存在しない。
敵であるのならば、ただ斬るのみ。だが、敵でもなく、ただ話しかけてくるだけの者に、どう対処すれば良いのか、わからない。
「そんなに困った顔をしないでよ。もっと困らせたくなっちゃう」
「失せよ」
ギシギシと、倒れた木々が男の言葉に悲鳴を上げた。
無理やり起こされた生物はただその一喝に、動きを止めるか、兎に角男から離れるように、必死にその足を動かし、暗闇へと姿を消していく。
「怖い恐い鬼のおにーさん?そんなんじゃダメだよ。だぁれもいなくなっちゃう」
いつの間にか、すぐ後ろから声が聞こえた。振り向きざま刀を振るい、視線を移すと、その刀身の数歩先に、女が立っていた。
第一印象としては、幼い女子。次の印象が不可解であった。
そこに確かに居るはずなのに、気配がない。まるでそこにいないような、曖昧な存在であると感じた。
「何者だ」
「あの子の影だよ。アナタじゃない"アナタ"が一緒にいる彼女の影」
くすくすと少女は笑う。愉快そうに、不愉快そうに、憐れむように、憧れるように、少女は嗤った。
「何用だ」
己の剣は斬ればわかると語りかけてくる。だが、どうにもそのような"気分"にならない。害意も、怯えも何も表さない小さな少女に対して剣を振るった所で、満たされるとは思えなかった。
「失せよ。今ならば、見逃さそう」
向かってくるのならば、斬ればいい。
去っていくのならば、どうでもいい。
闘いとならないのならば、興味はない。
「優しいね。でも嫌だよ」
「ならば逝ね」
半ば、予想はしていた。だからこそ刀を振るうことを躊躇わなかった。一歩で距離を詰め、その幼い首と身体を切り離せば、それで終わり――のはずだった。
「残念」
振るった刀は確かに斬った。だが、鮮血は舞わず、少女の横にどこからか現れた謎の箱に食い込み、首まで届かず、その動きを止めた。だが、八割以上食い込んでいる以上、それを力を僅かに込めれば、それで事は済む。
そうして力を込めた所で――箱が突然の閃光と共に爆発を巻き起こした。
「ぐっ……!」
飛びそうになる意識を、刀が無理やり繋ぎ止める。
身体中が痺れ、自由が効かない。閃光によって、目が潰された。
思わず片膝をつきそうになるが、それを拒むように、刀を地面に刺し、力の入らない身体をなんとか支える。
「危ないにゃー。私じゃなかったら、だけどね」
すぐ耳元で聞こえるが、身体が動かない。鬼を纏った左腕も動かず瞼すら開かない。
「ゴメンね?でも"お願い"されちゃったから」
何を――問いかける口も開かず、後頭部に感じた衝撃で、今度こそ男は意識を失った。
※
「ふぅー……」
思い切り叩きつけた杖を置き、少女――シャドウ・アリスは大きな溜息をついた。
両手には脂汗が滲み、一筋だけ流れた額の汗を拭い、深呼吸をすることで、漸く落ち着くことが出来た。
「危なかったにゃー」
言動とは違い、本当に間一髪だった。もしも、あの一撃が振り抜きではなく、突いてくるような軌道であれば、死なないまでも、深い傷を負い、一目散に逃げていただろう。
それほどまでに苛烈だった。容赦など一欠片も感じることの出来ない、真っ直ぐな一撃だった。
「損な役割。でも少しだけ刺激的」
倒れた男――闇吉備津と呼ばれた存在に目を向ける。
どう見ても、彼と同じとは思えない。自分もあの子とは相当に違うが、この男は彼とは似ても似つかない。
しかし、間違いなくこの人も、彼と同じ桃太郎であり、自分と同じ存在なのだろう。それだけは何となく分かる。
「これから先は、どうなるかわからないんだからね」
闇吉備津の背に手を置きながら呟いた。
もっと面白くなればいい。でも少し刺激的になりすぎるかも。
先の読めない未来に少しだけ胸を弾ませながら――少女と男はその場から姿を消した。
ほそぼそとやっていきます。