世界が変容しようとも、多くの人々にとってはその変容というものはあまり関心はなかった。日本という国にとっては『四国』へと入る術が失われた以外では大きな変化はなく、入れなくなったとはいえ、衛星写真から確認するかぎりでは四国そのものが失われたわけではないことが確認されたこともあり、人々は数日と経たずに気にしなくなった。
神代剣もそれに漏れることはなく、しかしつい最近増えた居候に少しばかり関心を持ち始めていた。
「なんていうか、以庵って色々と規格外だよな…」
「まあ、いいんじゃないですか?以庵さんのおかげでこうして休日の朝からのんびりとできるわけですし」
「剣さま、お洗濯、終わりました」
「うん。ありがとう、以庵」
「はい!」
元気な声を返して剣の隣にぺたんと座るのは少し前に剣が預かってきた女性。名は
本人曰く、幕末の人斬りだったとのことで念のために歴史を勉強したのだが、名前は確かに残っていた。
「問題は、史実だと『男』のはずなんだよな…」
「以庵のこと、でございますか?」
「ああ、うん。まあ、ここにいる以庵が『女』だからってこの世界でいちいちこういうことを気にしてるわけにもいかないしなぁ…」
じゃれる猫のように胸元に頭をぐりぐりと擦り付けてくる以庵の頭を撫でながら剣は考える。
どういうわけだかこの世界。史実の人間が性別が逆になっていることはままある。
──というのも、歴史というものは必ずどこかしらに綻びは存在し、また数多に分岐点を持つが故に性別が『反転』している人物が現れることはあるのだ。
そもそもの話として、昔の偉人が何らかの形でこうして現界してくるのにはこの世界に何かあるのだろうが、剣自身もさすがにその辺りのシステムについてはよく知らない。
「ところで、俺はなんでこんなに以庵に懐かれてるの?」
「さあ?」
目を覚ました以庵から情報を聞き出して、しばらくは家に住まわせることにした。預り人でもあるのだし、軽々に放り出すわけにもいかない。
そもそも以庵が浮浪者になっていたのは急にこの世界へと招かれ、国内を半ば無一文で旅をするはめになってしまっていたということもある。
そのため、住まわせるかわりにと家事の手伝いをしてもらっているのだが、一通りの技術は有しており──当然ながら機械に関する知識は無く──端々で細やかな気遣いに溢れた行動を取ることが多かったので、つい姫玲に接するような態度で接していたら──
「剣さま、何かありますか?」
「いや、今は無いからゆっくりしてていいよ」
「…はい」
「…膝くらいなら使ってもいいから」
「っ。はい!」
今もやることは終わっているので『休んでいい』と言ったら寝転ぼうとしたが、膝枕は失礼に当たると感じたのか中途半端な体勢で悩み始める始末。
許可を与えると嬉しそうに寝転がり、楽しそうに頭を揺らしている。なんだかんだでその様子が可愛いので剣も甘やかすように頭を撫でている。
その様子を端から眺めていた姫玲は、小さくため息をつく。
「兄さんがなんだかんだで甘やかすからなついているのだと思いますけど」
「いやだってさ。見た目と違っていちいちやること可愛くない?」
「言いたいことはわからなくはありませんけどね…」
見た目は凛々しい感じの以庵なのだが、育ちが特殊なのか何かと甘えるように傍へと寄ってくる。独りでいることを怖がっているようにも見えるので、剣自身なんとなくあやすように頭を撫でてしまっている。
そんなスキンシップにも以庵自身はご満悦なようで、今も嬉しそうにしている。
「このままいけば際限なく甘えるようになると思いますよ?」
「やっぱりそうか?」
「ええ。少なくとも、兄さんに依存し始めると思います」
「どっかで歯止めをかけないとなぁ」
そう言いつつも以庵の頭をナデナデ。
すっかり蕩けたようで、以庵は膝枕のまま小さく寝息をたて始める。
「…これが、幕末の人斬りだったんだってな」
「そう言いたくなる気持ちはわかりますけど、可愛いからといって好きなようにさせていると後が大変だと思いますよ」
「それでも、なぁ…」
剣は以庵を邪険に扱おうとは思えなかった。
夜な夜な独りで眠っている以庵は辛そうに、涙を流して眠っている。起きてからは本人はそんな素振りを一瞬たりとも見せたりしないので気づかない──実際に姫玲は気づいていない。
何が辛くて泣いているのか。それを聞きたいと思っている剣としては、今は多少自分に依存傾向にあろうとも必要なことだと感じている。
そも、寂しさから来る涙であるのであればなおのことだとも。
☆
そんな以庵も平日の剣達が学院に行っている間は家事や買い物とわりに忙しく働いている。
一時は『アルバイト』を薦められたが、働き先で何が起きたのやらヤクザ者を数名叩きのめしたことで出禁になった。
(あの時はなぜあれほどに驚かれたのか疑問ではありましたが、剣さまから説明を受けてみればなるほど。私は『この世界』についてはまだまだ不慣れだと理解できましたし…?)
そんな時、ふとその石段が気になった。聞いたところによると自分はこの上にある小さな社の近くで死にかけていた、と。
自分自身、なぜそのような場所に倒れていたのかは思い出せない。
だが、今はなぜかここを上がらなければいけない。そんな気持ちに駆られて──以庵は石段を上り出す。
石段を上がりきった先には以前に剣が訪ねた頃と変わらぬ、清廉な空気の中にその社はあった。当然、そこには白い尾を揺らす女性も───
『おや?数週ぶりよな、お主』
「その節はお世話になったそうで。近くに寄りましたのでごあいさつだけでもと」
『クフフッ。主はそこまで神様とやらを信じてはいまいよ。とはいえ、せっかく来てくれたのだし主にも頼み事をしようかえ』
「私に、ですか?」
『そう難しいことでもあらへん。どうもウチの社、別世界線における特異点になっとるようでな。お主みたいなんが次々と来とるのよ。申し訳ないとは思わんでもないけど、引き取ってもらえるやろか?』
なんだか嫌な予感がした。以庵は社に近づくとそこにいたのはどこかの学生服を着た少女が二人。そろって意識を失っている様子。
「剣さまに怒られます…」
『カカッ!あんの
「…?それはどういう…?」
『まあ、それは本人に確認せいよ。そういうわけで、こん二人、預けたよ?』
風景が揺らいで、一瞬後には邸宅の前に二人の少女を抱えた状態で以庵は立っていた。
周囲を見渡すがそこは間違いなく神代家である。
(狐か狸にでも化かされた気持ちになりますね…。剣さま、怒らないでお話聞いてくれるでしょうか?)
少々憂鬱な気分になりながらも以庵は二人の少女を邸宅内へと運び込むと、改めて買い物を済ませるべくスーパーへと向かって歩き出した。