女性に連れられて歩くこと一時間余り。途中で疲れてしまった孝を背中に乗せた総紫は、見えてきた場所に驚いていた。
「これは、村…ですか?」
「ああ。つっても、住んでんのは百にも満たねーぜ。──っと、まだ名乗ってなかったな。俺は
「沖田総紫と言います。俺の背中に乗せているのは孝ちゃんです」
「よ、よろしくお願いいたします」
「ははっ!まあ、そんなに固くなんなよ。龍の知り合いってんならお前達は客なんだ。ゆっくりしていってくれよ」
集落と呼んでもいい規模の村の中を数右衛門の先導で歩いていく。総紫は村の住人を見ていて、ふと──
「女性が、多い…?」
「やっぱり、総さんは総さんのようで安心しました」
総紫の呟きに前を歩いていた龍真が笑う。
「総さん。いろいろと不安になるとは思うけど、落ち着くように。ここの人達はすごく優しい方々ですから」
「えっと、はぁ…」
気がつくと一際大きな屋敷の庭先にたどり着いていた。
「御城代!龍の知り合いが島に来ました!」
『ほう?坂本の知り合いとは…。以庵のようなものでなければよいのだが…』
「今回は、もっとヤバいかもしれません。なにせ『沖田』を名乗りましたから」
『沖田?なるほど。坂本の時代の知り合いの沖田ともなれば有名人が一人居るな』
屋敷の中から現れたのは総紫ですら一瞬身構え、しかしすぐに警戒を解いた。向かい合っただけでわかってしまった。
(普通にやり合えば、俺なんかひとたまりもない相手ですね…)
「よう来たの。ここは播州赤穂の播磨灘の沖合い、赤穂浪士の島へようこそ。大したもてなしも出来ぬかもしれませんが、まずは屋敷に上がられよ。数右衛門、茶の用意を頼む」
「わかりました!」
屋敷に上がると孝を背中から降ろす。屋敷の中には今現れた女性以外に三人が大きめのちゃぶ台を囲んで座っていた。
「さて、茶がまだ来てはおらんが…自己紹介でもしておこうかの。私は一応、ここの顔役をやっておる
自己紹介を賜った他三人がそれぞれ会釈するのを総紫と孝はただ呆然と見ているしかなかった。
「次は、私も自己紹介しておきましょうか。私は土佐逐電、
「は、はい。私は孝といいます。よろしくお願いいたします」
まだ緊張こそ解けてはいないが、孝はかろうじて返事を返した。しかし、そこまでで力尽きたのか、隣に座る総紫に寄りかかる。
「さて、沖田…といったか。島にはどうやって来たか聞かせてはもらえるか?まさか、そこの坂本のように海岸に打ち上げられていたわけでもなさそうだ」
「龍さん、流されてきたんですか?」
「正直なところ、自分ではよくわからないんです。私は以庵と一緒に気がつけばこのお屋敷で保護されていましたから。あとで聞くと二人そろって海岸に流れついていたらしく…」
恥ずかしそうに指を突き合わせる龍真に総紫は苦笑する。
「俺と孝ちゃんは気がつけば島の草原に寝ていたようです。歩いた先で川や海を見つけるまでは自分達がどこにいたのかすらわからない状態だったので…」
「なるほど。変な言い方だが坂本や岡田とは大した違いはないようだ」
『御城代。お茶を持ってきましたよ』
「ふむ。ならば一息入れようかの。数右衛門、配ってくれ」
『了解でーす』
襖を開けてお盆を片手に数右衛門が入ってくる。全員にお茶を配ると自分の分を持って内蔵助の隣に腰を下ろす。
「──となれば、状況は坂本と一緒といったところか。沖田、お前はどうする?」
「どうする、とは…?」
「坂本のようにこの島に留まるか。岡田のように島を出るか、だ」
「そういえば先ほどから出る岡田って、もしかして
「そうじゃ。あいつは島が暇だからと沖田の来る少し前に島から出ていったのだ」
「龍真さんは、止めなかったんですか?」
「い、いや。何度も引き留めはしたんだよ?でも、以庵もその、…なんていうか──」
言いにくそうにする龍真に総紫もなんとなくわかる。数度しか顔を合わせてはいないが、彼女──岡田以庵という人物はどこか危うい雰囲気を持っている。
無理に引き留めようとすれば、どんな凶行に出るかわからないほどに…。
「この島の人達は外に行こうとは思っていないんですか?」
「昔はそうでもなかったのだがな。外の様子が一変してからはできるだけ島からは出ないようにしておる」
「一変…?」
「我等は『江戸の世』を生きていた者だ。だが、今の島の外は少なくとも『江戸の世』ではない。外のことをよく知りもしない今の我等が大勢で行っても何もできん」
「それはつまり、数名の斥候のような方々は行っているということですね?」
「詳しくはいえんよ。島の今後に関わるのでな」
「龍真さんは行かなかったんですか?」
「…外が戦乱だというなら、私だって行っていたとは思うのだけど、ね」
少なくとも島の外は『戦乱の世』でも『江戸の世』でもない。表面上は平和な世界とやらが広がってはいるのだろう、と総紫は考える。
だが、同時にその世界は自分や目の前の人物達には住みづらい世界である可能性もある。だから、今は様子見をしているのだと。
───ならば、自分の取る行動はすでに決まっている。
「なら、俺は島から出ます」
「えっ?!」
「ふむ。理由を聞いても?」
『島を出る』という決断に驚きの声を上げるのは龍真、理由を尋ねるは内蔵助。
「ただ生きるだけならきっと、この島の生活は俺にとっても過ごしやすい頼もしい場所だと思います。それは、このほんの少しのやり取りからもわかることです」
「総さん。だったらどうして──!」
「でも、それはきっと、俺がここにいる理由じゃない。俺に、今一度生きるための時間が与えられたのなら、俺は──この世界を知るために生きてみたい!」
「総さん…」
総紫の考えに、内蔵助はただ静かに耳を傾けるだけ。
「こんなちっぽけな俺が一人、世界に出たところで世界は何も変わらないでしょう。ですが、俺は──俺達が変えたかもしれない歴史の先の未来にいるのだとするのなら、俺は、ここにいる理由を知りたい!」
「その結果が、絶望しかない。そうだとしても、か?」
内蔵助の言葉に総紫は口を閉じる。だが、それも一瞬のこと──
「たとえそうだとしても、俺は行きます。だって俺は──『新撰組』だから」
「──そうか。そこまでの覚悟があるのなら、行ってみるとよい。絶望するだけか、はたまた希望を手に入れるのか。それはきっとお前次第だろうが、それに我等は何も言わんよ。主税、舟を一艘、沖田にくれてやってくれ」
「わかりました、母上。沖田、私が案内する。ついてこい!」
「はい。…うん?」
総紫が立ち上がろうとして、袖を引かれたことに気がつく。そこには、袖を掴む孝の姿があった。
「孝ちゃん。孝ちゃんは、島に残ってもいいんだよ?」
「・・・」
「島を出るのは俺のわがままだし、さっき言った通り生活するだけならこの島の方がずっと楽です」
「…総紫様にとって、私は、邪魔ですか…?」
「…えっ?」
総紫を見上げる孝の瞳には涙が溢れていた。零れ落ちる涙が頬を伝うのも構わず、孝はただ、総紫を見上げる。
「孝、ちゃん…?」
「総紫様が島を出るのに私が邪魔だというのなら、私は総紫様の言に従って島に残ります」
「…えっと…。邪魔だなんて思ってはいないよ。でも、生きるだけならきっと島の方が──」
「それなら孝は総紫様についてゆきます」
「孝ちゃん…?」
「孝は総紫様のお世話をお任せいただき、その任を解かれたとも思ってはいません。総紫様の行くところ、孝は必ずついてゆきます」
溢れる涙はとめどなく。しかし、その瞳には強い覚悟が宿っているように見えた。だから、総紫も覚悟を決める。
「大変な生活になると思う。それでもいいなら──」
「孝はそのようなこと、厭いません」
「じゃあ、お供、お願いします。孝ちゃん」
「はい。承りました。総紫様」
そこには他人にはわからない、二人の信頼がある。それはきっと、ここに来る前に二人が育んだ小さな──『強い絆』の形。
「沖田総紫。孝。少しの間ではありましたが、お世話になりました」
総紫が内蔵助に頭を下げて、玄関に通じる廊下で待っていた主税の方へと孝を伴って歩いていく。
孝が振り返り、お辞儀をしてから静かに襖を閉める。三人の姿が見えなくなる。
「よかったのか、坂本。止めれば止まったと私は思うが…?」
「あれほどの覚悟を決めた総さんを止めることなんてできませんよ。私自身、何かの覚悟とか気持ちがあって島に残っているわけでもありません。こんな私には、総さんを止める資格はありませんよ…」
「そうか。彼は、強いな」
「はい。総さんは、とても強いです…」
内蔵助は冷めてしまったお茶を飲む。目を閉じて、辛そうに唇を噛む龍真の様子を見ながら──