夕闇の中に天使のはしごがかかっている、とある海域。
周囲に陸地はなく、動くものは波といくらかの海鳥の群れだけである。
そんな場所に、雲の切れ目を縫うようにのびる数本の線……NFA本社郡があった。
V字状に編隊を組んで飛行しながら、識別信号もかねた緑と白の光を点滅させているそれは、いくらかの雲を切り裂きながら高度を落としてゆく。
FG燃料の精製のため、海水を取り込むためのホバリング姿勢に機体を移行させようとしているのだ。
旧世紀のハリアー戦闘機のごとく、機体各部に装備されていた可変ノズルがだんだんと下を向いてゆく。
それに伴い後方へと流れていた噴流は海面へと流れてゆき、完全に下方を向いたところで向きは固定された。
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ヴィダーレ・ギウス第八ライダー守衛部隊情報管理担当は、自らへと流れてきた多量の情報量に烈火のごとく罵声を飛ばしていた。
一体誰なんだよ改善要請を一度情報管理担当にぶっこめばいいと考えた野郎は!
こちとらオペレートに通信に機体管制に周囲のチェックにともろもろで忙しいんだクソが!
それでも役に立つ奴なら許せる、だが何なんだコレは!『管理担当さんは好きな人ととかいますか?実は私には好きな人がいるのですが……』だの『NFAってなんかかっこよくないですか?』だの『売店のヤキソバパンのマヨが腐ってたようでおなか壊しました』だのは!
ここはお悩み相談室じゃねえんだよ!
てめーらの悩みなんざ全部纏めて海へポイしたいわ畜生!
軽くデータを眺め、一通り言いたい事を全て心の中に吐き出した後、ヴィダーレは一つ一つそれらしき回答をタイプし始めた。
廊下のほうからは話しながら歩いているような人々の声が聞こえてくる。
自分も投げて帰ってしまいたい。さっさと家で寝転んでゲームしたい。
半ば現実逃避しているヴィダーレだが、重要な仕事だからはずせないという重大さがそれを跳ね飛ばす。
お悩み相談と化している改善要請なのだが、その中にはまだマシなものが存在しているのは確だ。
かつて整備担当が『なんか亀裂があるっぽい』と書いてきたのを後日調査したとき、二ナノミリの亀裂が見つかったという事例や、パイロットが『コックピットのねじちがくない?』と言ってきたのが本当に違うものだったという例もある。
そのため、どんなものでも最低限は目を通しておかなければならないのだ。
ヴィダーレとしては、嘘から出たまことの類なのだと考えているのだが。
彼はタイプする手を止めずにため息を吐き、目の前の仕事を淡々と処理する作業を続ける。
カタカタという音だけが響く第三十二電子室に数度ため息の音が響き、体を伸ばす音が思い出したように時間の経過を告げる。
百数十度目のため息をヴィダーレが吐くと、廊下のほうからまた歩く音が聞こえてきた。
その音の間隔は彼の元に近づくにつれて二次関数的に狭まってゆき、自動ドアを無理矢理こじ開ける音とともに終わりを告げた。
「ヴィダーレ!飲みに行こうぜ!」
レオナルド・ブランカは明朗な声を第三十二電子室に響かせた。
ドアにかけられていない左手に大き目のPCCボトルを握り、服からは肉の焼けたにおいを発していることから、彼が飲んできたということは容易にうかがい知れるだろう。
ヴィダーレは笑っているレオナルドに、やれやれだという様子で「いいからお前は水でも飲んでろ」と遠まわしに飲みに行かないと伝えた。
しかしレオナルドはヴィダーレの言葉など聞いていなかったのだろう。
「水?ここにあるだろうが!見えねーのかはっはっは!」と笑い踊る始末である。
「工業用アルコール飲んでそうだからな!たまにはいい酒飲もうぜ!そういえば隣のライダーにいいバーがあるってうわさなんだぜ!『XYZ』って酒がうまいっておしえてもらったんだ………」
一人で話し続けるレオナルドを無視し、ヴィダーレはタイプを続ける。
というかアイツ、コレで最後だって言われてるのに気づいてなかったんだろうか……いや、バカだから気づいてないな。
ヴィダーレは目の前の『戦闘中でも教授の授業がうるさいのでどうにかしてください』という質問に、『教授からの通信をすぐに切ることができるよう、ショートカットを設定しておくといいでしょう。出来れば私の耳にもショートカットを設定したいです』と回答する。
そしてそのまま次の質問の返答へと移り、第三十二電子室は笑い声とタイプ音だけが響く空間へと姿を変えていったのであった……
それから数時間ほど経ったであろうか。
たった一割ほどの有効な情報を纏め終えたヴィダーレは、いつの間にか寝ていたレオナルドを部屋の外へと放り投げ、ロックをかけた後、第三十二電子室を後にした。
レオナルドはきっと誰かに見つけられるだろう。ベッドに送られてれば御の字だがな。
アイツが廊下で寝てるなんていつもの事だし。
彼ははちらと端末を確認する。
時刻は八時三分であった。少し遅い感じはあるが、夕飯にはまだいい時間だろう。
今日はどこの店に行こうか。いつもの店は今日は休みだしなー。
ヴィダーレはゆっくりとした足取りで廊下を進んでゆく。
そして数十歩歩いたところで何かを思い出したように振り向き、それからまた前へと歩き出した。
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久方ぶりの酒に酔っていたヴィダーレの元に、一通のショートメールが届いた。
差出人はE・N・バルドヴィーノ。ヴィダーレの直属の上司であり、ライダー守衛部隊を全て統括する指揮官である。
そんなたいそうな人物から送られたメールに、ヴィダーレは困惑した。
なぜ、こんな場末の部隊の情報管理担当にメールを送ってくるのだ?
そもそも直属の上司ではあるが、接点などないのだぞ?
外縁部のダメコン地帯警備の、二人しかいないような部隊に何を望もうというのだ。
隊長をレオナルドに任せられないから私が名前だけしているようなものなのに。
ヴィダーレは首をかしげ、頭をかきむしる。
ああ、一体何があったのだ!
メールが来て数分後。誰もがその程度でここまで考え込むかと思うような時間が経過した。
結論の出ない思考をずっと続けるのもそろそろ面倒だとヴィダーレは感じ、とりあえずメールの内容を見てみるべきだと考え、その考えはすぐに実行へと移されることとなった。
そしてすぐに彼はこう思った。
一体これは何なのだ?なぜ接続を要求する?
神経接続で読めば何か変わるのだろうか?
「接続して読んだ後、接続をはずしてから内容を送り返せ」とあるが、特に変化なんて……
ヴィダーレはとりあえず接続用のケーブルをポケットから引き出し、コネクタにつなげてからデバイスを両耳にはめ込んだ。
そしてすぐに、彼は二度目の困惑にぶち当たる。
「N・A-fiume Choya-Migliore」と内容の変化した本文を見て。
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その召集命令は唐突なものであった。
メイ・ニールセンは酒飲みのバカとして全ライダー守備部隊に名が知られている人物(レオナルドのことなのだが)とともに、バルドヴィーノ指揮官の前に立っていた。
彼女は敬礼の姿勢を崩さずバルドヴィーノの言葉を逃さんと耳をそばだてる。
ほとんどは世間話なのだが、それでも聞いておくというものが筋だろう。それにしても……
メイは隣のレオナルドを見て、『お前は一体何をしているのだ』と思った。
彼は制服を慣れたように着崩し、聞き流していますよといわんばかりの様子でゆるい姿勢を保っていたのだ。
風紀には厳しいことで有名なバルドヴィーノ指揮官の前だぞ?そんな状態でいれば左遷されるのはバカで有名なお前でもわかるだろう?
今はコーヒーを入れているために視線の外だろうが、『動く顕微鏡』とまで言われるほどの観察力を持つお方なのだぞ?
メイは後ろ手でレオナルドをつつき、それを思い知らせようとする。
しかしレオナルドは、そんなことはどこ吹く風という様子のままであった。
ああ、こいつは終わったな。後で見舞いに行ってやる事にしよう。
メイは少しの笑みを浮かべ、レオナルドから視線をはずし、バルドヴィーノの元へと向けなおす。
コーヒーを淹れ終えたバルドヴィーノは二人に「まあ、立ち話もなんだ。座りたまえ」といい、椅子の向かいのテーブルに二杯のコーヒーを置き、座る。
それを見届けた二人は小さく「では、失礼します」と言ってから座り、テーブルのコーヒーに口をつけた。
メイとレオナルドの口の中に苦味が広がる。
しかしそれだけであった。
使っていたマシンや腕が大きいのだろうが、あまり香りは感じない。
メイはいくらか不思議な感覚を覚えた。
「どうだ?」やさしい口調でバルドヴィーノはたずねる。
さすがに思ったままの答えを返すのは不味いだろうな。
「苦味と酸味のバランスがいいですね。良い焙煎です」
嘘は言わず、メイはそれなりの回答を返す。
満足げに「そうか。では今度、豆を仕入れている店を教えよう」とバルドヴィーノは言い、レオナルドにもどうなのかと感想を求めた。
レオナルドは、「良いものなのでしょうが、私にはそれを表す言葉が足りません」と冗談めかして感想を伝える。
「ところで」そのまま言葉を続けるレオナルド。
「なぜ私たちを呼んだのですか?コーヒーの感想を聞きたいなら、行き着けのバリスタを呼べば良い話でしょう?」
バルドヴィーノはあごに手を当て、いくらか考えるようなそぶりをする。
「おそらく任務のことですよね。一体それはどんなものなんです?」
言いたかったことを言ってくれたレオナルドに心の中で礼を言い、メイは話の続きを待つ。
バルドヴィーノはソファから立ち上がり言った。
「ああ、その通りだよブランカ君。君はきっとこの任務が機密に触れるものとわかっているのだろう?」
彼は二箇所ある扉のうち、奥側の扉に手をかけ、内側へと引いて開ける。
「紹介しよう。第六ライダーから来てもらった、ネフティス・フィウーメ君だ」
ネフティスはバルドヴィーノ言葉が終わると扉を開け、指揮室へ入った。
「ネ…ネフティス・ファウーメ!召集命令のため、こちらへ参上しました!」
慣れない様子で敬礼をする170cmほどの男。
おろしたてで埃などの汚れの無いMサイズの制服に、義肢となっている右足が目立つ。
彼は周囲をちらと観察すると、小さく「失礼します」といい、レオナルドたちの元へと移動した。
バルドヴィーノは彼の分もコーヒーを淹れ、机においてから話を始める。
「君達には、ライダー外での旧世紀遺産の調査を命令する。」
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旧時代の遺跡を調査しつつ機体のテストを行い、遺産を持ち帰る。
文章にしてみればたったコレだけの任務内容を数分かけ、バルドヴィーノは三人に説明した。
しかしそれを聞き終わったときレオナルドは落胆し、メイは不安を感じ、ネフティスはあっけにとられていた。
当然だろう。わざわざ呼び出して話をするのだからなんだと思えば、簡単な任務を命じただけ。
しかもそれは専門の調査部隊に任せるべきものだろう。
レオナルドは目で二人に、『聞いてしまっていいか?』と合図を送る。
二人はそれに無言の了解で答え、沈黙を守っていたレオナルドは口を開いた。
「指令、どういうことなんですか?」
「どういうこととはどういうことだ?」
言いたいことはわかっているであろうはずだが、一応聞き返すバルドヴィーノ。
レオナルドはひるまず続ける。
「この程度の任務なら、調査部隊に任せるべきでしょう。しかしそうしない。しかもそんなものが機密扱いときた。」
ここで、レオナルドは一度言葉を切り、ちらとバルドヴィーノの反応を見てから、再度言葉をつなげる。
「一体何を隠しているんです?」
その言葉を待っていたかのように、バルドヴィーノは小さな笑みを浮かべる。
そして手をあごに当て、数瞬の後口を開いた。
「いいや、何も………だが準備はしておけよ?」
ごまかすような表情のバルドヴィーノは肩をすくめ続ける。
「さて、だ。君達には三週間後の15:00に第六秘匿格納庫へと向かってもらう。アドレスは君達専任となった担当情報管理官……ギウス君の端末へと送ってあるから、彼に『添付ファイルの件』と聞くといい。」
バルドヴィーノは「話は終わりだ」と続け、三人を指揮官室から出るように促した。
三人はコーヒーを飲み干し、小さく礼をしてから部屋を後にした。
バルドヴィーノは大きく息を吐き、備え付けのコーヒーメーカーでコーヒーを淹れる。
三型の接続が出来る人員を失うかもしれないが、これも仕方ないのだろうな。
『サンクコスト効果』だっただろうか。それと同じだ。
アレだけしたのだから、いまさら引き返せない。
彼はいつの間にか飲み干していたコーヒーを淹れなおそうと、コーヒーメーカーのボタンを押す。
しかしコーヒーは出てこず、代わりに赤くランプが点灯するのみ。
パックが逝ったか。
彼は残量の無くなったパックを取り出し、ラベルをちらと見て言った。
「期限が二週間も過ぎていたのか、道理で不味いはずだ」
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いつもの整備のおっさんは、元々ここの人間だったのか。
道理で明かしていない情報をいろいろ知っていたわけだ。
いくらか散らかっている秘匿格納庫に来たネフティスが、最初に思ったことはそれであった。
その次に思ったことは、『ここの情報を知りたい』であり、それを実行すべく彼の身体は活動を始める。
ばらばらに見えて全体では統率の取れた整備士の動きや、ハンガー上方にある廊下との接続部を眺めた後、彼の目は一機の防術機を向いて止まった。
隣二機とは違い、黒く塗られた装甲。
前から後ろへと流れるフォルムに、金色のラジエータらしきものが各部から覗き、その奥には小さな穴が開いている。
四肢はほぼフレームだけといえるほどの細さで、両腕の大型ライフルをより太く大きく見せている。
腰部の可動式スラスターからそれが第四世代機とはわかるのだが、それ以上のことは全くわからない。
ヴァランガのように拡張性を求めた汎用機なのか?それとも、N2のように性能のとがった特化機なのか?
「おっと、すまねぇな」
いつの間にか立ち止まっていたネフティスに、整備士の持っていたコンテナがぶつかる。
「いや、こっちこそ」ネフティスは彼のために道をあけてから言う。
まあ、眺めるのは後で良いだろう。
後でいくらでも性能については理解できるだろうから。
ネフティスは基地の下見をするために、まずは最上階のブリーフィングルームを見てみようと考え、手近なエレベーターへと足を進めた。
送られたメールによれば、ここの4Fにブリーフィングルームがあるはずだ。
廊下にちらほらといる士官をよけて、彼はエレベーターホールへと向かう。
まだ二時間はある。
重要施設の場所を確認したら後はレクリエーションルームにでも行ってみよう。
偶然出来た時間だ、いくら使っても罰はあたるまいよ。
ネフティスはエレベーターのボタンを押す。
すぐに、ボタンに小さな明かりがともり、最下層にあったゴンドラが静かに動き出す。
それはB1Fで一度止まってから、ネフティスのいる1Fに止まり、扉を開けた。
中には二人の士官がいた。
奥の方にいる男は端末に内蔵されたゲームを、コンパネ脇にいるメイは手元の本を、それぞれ楽しんでいるようであった。
中の二人は誰か入ってくるのかと思い、扉の方に視線を向ける。
ネフティスが入ったのを見た男は『閉』ボタンを押し、エレベーターの扉を閉じた。
それからいくらかの間の後、本から目を離さず、今気づいたかのようにメイは言う。
「あら、ネフティス。早い到着ね」
やはりそうだったか。世界は割りと狭いんだな。
心の中で感想を述べ、ネフティスは答える。
「それはお互い様だろう。どうしてこんな時間に?」
「乗る予定のエアワイヤーが運休になって、振り替えの超特急に急いで乗り込んだの」
おかげさまで景色の一つも見れやしない、とメイは不機嫌そうに続けた。
「そうかそうか、それはお疲れ。」
既視感を感じながら、ネフティスは言葉を返す。
振り替えの便で、それもこんな早くに着ける便………いや、まさかな。
感じた既視感を確かめるため、ネフティスは自分の乗ってきた便の名前をメイに告げる。
「ところで、それはHB483便だったか?」
メイは、少しだけ驚いてみせ「まさか貴方もアレに?」といくらか興奮しつつ聞いた。
やはりそうだったのか。
「世界って結構狭いもんなのね」
ネフティスの思っていた言葉をメイは言った。
それから数秒の後、2フロアを昇りきったエレベーターが停止し扉が開く。
先にメイを下ろすためにネフティスはコンパネの『開く』ボタンを押し、彼女が降りたのを確認すると自分も降りた。
「ブリーフィングまで時間はあるし、レク室で時間を潰しましょ」
一通りここを見てきていたのだろうか、メイは迷いなくずんずんと廊下を進んでゆく。
「どこかわかってるのか?」
「知らない!」
なんて適当さだよ、人の事言えないけどさぁ。
「知らないでよくそんな堂々といられるなぁ。感心するよ」
軽く言った筈のネフティスの言葉に、メイは噛み付いて言う。
「なによ。じゃあ知らなきゃ堂々とするなっていうの?そんなのまっぴらね」
少し間を開け、冗談らしさの見え隠れする重苦しい雰囲気を持ってメイは続ける。
「智は力であり、それには責任が伴うのよ」
それから少し間を開けて、メイはおどけるような声で言う。
「どっかの本からもらってきた思想だけどね」
ネフティスも「ずいぶんとすばらしい思想ですこと、一体どこのミニットマンですなかねぇ」と調子を合わせて返す。
「うるさいわね、叩き売りにするわよ」
メイはなぜか持っていた値札をネフティスに貼り付け、通販番組のような口調で笑いながら言う。
なんで値札シールなんてポケットに入れてるんだ。お前はどこかの店子なのかよ。
「誰がお掃除ロボだコラ」
少し不機嫌な様子で、ネフティスは軽くメイの額にチョップをする。
メイは大げさに痛がって見せ、「何するのよ!私の大切な脳みそが傷ついたじゃない!」と笑う。
ネフティスはそれらしい口調で「不要な細胞をお掃除してあげただけさ、お掃除ロボがな」と答えた。
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ブリーフィングまで後一時間ほどとなったときに、ヴィダーレ・ギウスは秘匿格納庫に到着した。
彼の目にはいくらかの目やにが残り、顔にはあまり血が通っていない。
急にエアワイヤーの振り替えが来なきゃもっと寝られたのに。ちくしょう。
あくびをしながらヴィダーレはそう思った。機材トラブルだから仕方ないとはいえ、これはきつい。
彼は今日の午前2時まで改善要請に向き合っていたため、エアワイヤーでの六時間の間に眠る算段だったのだ。
目をこすり、いくらかバランスを崩しながら、よろよろと仮眠室へヴィダーレは向かう。
「兄ちゃん、大丈夫かい?」肩をぶつけてしまった整備士の言葉に答える余裕すら、今の彼には無い。
ただ、「睡眠、睡眠、睡眠………」と念仏のように繰り返しながら、死んでから半年ほどたった魚の目で仮眠室に向かって歩く機械と化していたのだった。
そのゾンビめいた歩行は一歩ごとにゆっくりになり、よたよたとした足取りは一歩ごとに彼の意識を覚醒と睡眠の間で揺さぶる。
なんとかヴィダーレはエレベーターまでたどり着き、ボタンを押す。
ゴンドラが待っていたため、すぐに扉は開いてくれた。
ヴィダーレはすぐに仮眠室のある4Fのボタンを押し……そこで気が緩んだのか、彼の意識は夢の世界に旅立ったのであった。
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「来ないな。」
待ちくたびれたネフティスはそうつぶやいた。
数十度目のあくびをした彼はすわりが悪くなり、ソファから立ち上がった。
「来ないね。」「来ないな。」
同じく待ちくたびれていた、メイとレオナルドもつぶやいた。
二人は持っていたトランプで数十試合目のポーカー・ゲームを終わらせたところであった。
「来ないな。」
モニター越しのバルドヴィーノもつぶやき、数十杯目のコーヒーを淹れ始めた。
四人は各々の方法で暇を潰そうとしているが、さすがに三時間は長すぎたのか、それらは限界に達してしまっていた。
ヴィダーレさえ来てくれれば……アイツ何をしているんだ……
四人はは心の中でそう言った。
バルドヴィーノは予定に余裕を持たせる人物だから、五、六時間は何とかひねり出せるのだが、レオナルドたちはそうではない。
機体の調整にバイタルチェック、余裕があれば休憩を長く取りたいのだ。
あいつ何してるんだろう。「明後日の任務のブリーフィングだ、絶対遅れるなよ」って張り切ってたのに。
レオナルドは昨日のヴィダーレのことを思い出し、「まだかよ」と小さくはき捨てる。
そして椅子から立ち上がり、「ヴィダーレを探してきます。一時間で戻らなければブリーフィングを始めててください」と言って、部屋を後にした。
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ヴィダーレは仮眠室のベッドで目を覚ました。
一体どうして……俺は確か……
彼ははっきりとしない意識の中で記憶を辿っていく。
エアワイヤーで寝る計画がおじゃんになって……すっごい眠くて……ブリーフィングはどうなった?!
急いでヴィダーレは体を起こすが、倒れ込んだときにぶつけたらしい腰の痛みがそれを邪魔する。
「てててて……」彼は腰をさすったり押したりして、どの程度の怪我なのかを確かめてみる。
どうやらそこまで悪いものではなさそうだ。後で医務室と人事局に行く必要はありそうだが。
彼はベッド脇まで体を動かし、立ち上がりやすい状況を作ってから立ち上がり、よろよろとした足取りで仮眠室の出口へと向かう。
「のわっ!」しかしそれはうまく行かず、急に痛み出した腰のために彼はまた床に崩れ落ちた。
その音を聞きつけたのか、コツコツという足音が彼の元に近づいてきた。
小さく短い間隔の音は彼の後ろから響き、倒れている彼の姿を見つけると、そのスピードは加速度的に増していき……
「目が覚めたのね!よかったよかった!」
その声は明らかに幼いものであった。ヴィダーレが振り返ってみると、おそらく七、八歳ほどの幼女が彼の目の前に立っている。
彼は疲れと寝起きのボケから、こう考えた。
え?ここ『秘匿』格納庫だよね?どうしてこんな幼女が?
いやまて、彼女は何かの試験体とかそういう奴に違いない……でもNFAはそういうのに厳しいし罰だって存在しているのだからありえないな。
なら彼女はいったい……
明らかに邪推であり、彼がまともな状態であれば思いつかないであろう思考がとめどなくあふれ出す。
ぽかんとした様子で動かないヴィダーレを見て、彼女は不思議そうに口を開く。
「どしたの?どっかいたいの?」
その無邪気な声はヴィダーレにいくらかの安心をもたらした。
彼女は小さく頼りない手を差し伸べ、「立てる?」と小さく言う。
さすがにこんな幼女に頼るわけにはいかないな。自力で出来ることを示してあげれば、安心して帰ってくれるだろう。
ヴィダーレは腰をかばいながら床に手を着き、ゆっくりと立ち上がった。
途中また痛み出した腰のせいでバランスを崩しかけたのだが、彼はそれをどうにか見せないようにと振舞う。
「どうだい?見ての通り元気だろう」くるりと回ってからヴィダーレは笑う。
「お嬢ちゃんはどこから来たんだい?」
彼女はいくらか考え込み、右手と左手を見て、「こっちがみぎ、こっちひだり」と小さく確認してから右を指し、「あのおっきいロボットのあるとこからはいってきたの」と答え、『すごいでしょ』とでも言いたげに笑った。
「ほう、それはすごいな。」ヴィダーレは奇妙な思考を働かせた後、ゆっくりと彼女の指した方向へと行き、どのくらいのものなのかを見てみようと思い、すぐに立ち止まった。
おおきいロボット……おそらく防術機のことだろうか。とするならきっと……いや、それは無いな、無いと思いたい。
きっとここの誰かの娘なのだろう。出なければこんな小さな娘が秘匿格納庫の厳重なチェックを通るはずが無い。
「すごいな、どうやって入って来たんだい?よければおじさんに教えておくれよ」
ヴィダーレはちぐはぐな言葉を繋げ、どうにか言葉をつむぎだす。
彼の思考はおそらくずっと寝起きの状態のままだろう。
えへへと笑い「ありがとう”ヴィダーレ”さん?」と彼女が言うまでは。
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「ヴィダーレ、すぐにこっちに向かうってさ」メイは手元の端末を見て言った。
すぐに彼女はレオナルドの端末に、ヴィダーレが見つかったとメールを送る。
一体何をしていたのやら。三時間半も待たされたじゃない。
いくらか彼女は不機嫌であった。それは待たされたことで後に控えていた用事に間に合わなくなってしまったからであった。
ネフティスはそれを読み取ったのか、「アイツのことだ、きっと何かあったに違いないさ」となだめるように言う。
そんなことわかっているのよ。メイは心の中で吐き捨てる。
彼女の頭の中では、退院したばかりの姉のことがぐるぐるとめぐっていた。
いきなり任務に駆り出されそうだから、会える内に会おうと姉はベッドで笑っていたっけ。
メイはいくらかの回想の後、ゆっくりとした足音が部屋に近づいてくるのを感じて、数歩後ろへと下がった。
プシューという空気の排出される音とともに戸は開き、壁に手をついてヴィダーレが部屋へと入ってきた。
「失礼しました!」彼は入ってすぐに敬礼の姿勢とともに謝りの言葉を述べ、腰の痛みのためにすぐにバランスを崩し、倒れ込む。
彼の元に三人は駆け寄り、何があったのかを軽く質問する。
ヴィダーレは自らの不注意であると小さく言い、レオナルドの肩を借り、近くにあった椅子に腰を下ろした。
バルドヴィーノはそれを気にも留めない様子で、「さあ、ブリーフィングを開始しようか」と言い、医務室の手配をしておくとヴィダーレに笑いかけた。
「コレが君たちにテストしてもらう新型機だ。名はそれぞれ『ミグリオーレ』『リカリケア』『クロウノッテ』と言うらしい」
バルドヴィーノは端末に表示された運用マニュアルを見て言い、『ミグリオーレ』の説明を始めた。
「第4世代防術機試作4号、『ミグリオーレ』。試作1号『ヴェンティセッテ』から続く、基礎フレーム試験機の最終版だ」
ブリーフィングルームの大型スクリーンに説明用の画像が映る。それは格納庫でネフティスの目に留まった物と同じ機体であった。
いや、きっと同じものなのだろう。ネフティスは次の言葉をいくらかの期待をこめて待ち始めた。
そんなことは知らず、バルドヴィーノは続ける。
「神経接続システムも最新タイプのテスト版を載せてある。それに伴いフレーム強度と関節部モーターの最適化と高性能化が行われた。」
細身のフレームの高耐久炭素繊維や、各部に光る金色のラジエータなどの情報がモニターに映され、背部から覗くBB粒子式コアの画像を最後に、『ミグリオーレ』の説明は終わった。
すぐに獣の様な別の機体のマニュアルが映し出され、それが『リカリケア』であるとバルドヴィーノは言い、解説を続けた。
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