一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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開会式

 『試験』に無事合格し、予選大会参加者一六名の中に名を連ねることになったボクらは、大会運営が用意した宿に泊まることとなった。

 

 『商業区』にある『巡天大酒店(じゅんてんだいしゅてん)』という場所で、なかなか大きく立派な宿泊施設だった。

 

 予選大会に敗退、もしくは優勝するまで、そこがボクら一六名の家となる。

 

 予選大会は明々後日(しあさって)から始まる。ボクらにはそれまで、二日間の休息が与えられた。

 

 しかし、ボクはその二日間の中でも、修行を欠かすことはなかった。

 

 一日目の夜。

 

 そこは、小さな個室だった。

 

 存在するものは大きなベッド、横長の机、足の長い椅子、そして正方形の行灯(あんどん)のみ。モノの種類の数だけ見れば殺風景ととれるかもしれないが、それらに施された華美な装飾の醸し出す高級感は、モノが少ない寂しさを打ち消して余りあるものだった。

 

 実家にあるボクの私室より、幾分か豪華な部屋。

 

 そこはさっき述べた『巡天大酒店』の一室だった。予選大会の期間中、ボクが寝床にする場所である。

 

 ボクはそこで一人、修行していた。

 

 修行といっても、【拳套(けんとう)】のような激しい動きに富んだものではない。そこまでの広さではないし、何より【打雷把(だらいは)】の【拳套】をこんな室内で行えば、【震脚(しんきゃく)】で床が砕けてしまう。弁償はまっぴらだ。

 

 なのでボクは室内で、なおかつ狭い場所でも出来る修行をしていた。

 

 ボクはやや腰を落とし、真正面に右拳を突き出した姿勢で静止している。

 

 だが、突き技の練習ではない。

 

 突き出された右腕の手首には――つるべが引っ掛けてあるのだ。

 

 つるべの中にたっぷり入った水の重さによって、一定の負荷が右腕全体にかかっている。

 

 ボクはこの状態で、すでに五分は静止している。

 

 右腕と右肩にはだるい痛みがじわじわと続いており、額にはうっすら汗が浮かんでいた。

 

 これは【易筋功(えききんこう)】という、武法における修行法の一種だ。

 

 この【易筋功】について語るには、まず【(きん)】というものの存在について説明しなければならない。

 

 ――【筋】とは、武法士の肉体に存在する特殊な運動器官のことである。

 

 【易骨(えきこつ)】によって余分な筋力が抜け、理想的な状態に整えられた肉体にのみ現れる。

 

 【筋】は体の中に通っている、太い一本のヒモのような器官だ。五体全ての内側を芯のように通っており、なおかつそれらは全て列車のレールよろしく繋がっている。

 

 具体的にそのような器官が存在するわけではない。だが、"感覚的には"確かに存在する。

 

 また【筋】と筋肉は名前こそ似ているが、両者の性質はかなり異なる。

 

 筋肉は収縮することで力を出すが、【筋】は伸びて突っ張ることで力を出す。

 

 筋肉は衰えやすいが、【筋】は非常に衰えにくい。

 

 【筋】の成長速度は筋肉より遅いものの、その成長限界は理論上無いに等しい。

 

 そして、筋肉の性能には男女差があるが、【筋】には無い。武法の世界が男女平等である理由は、この【筋】の存在によるところが大きい。

 

 簡単に言ってしまえば、【筋】とは「高性能の筋肉」のことである。

 

 武法士は【勁撃(けいげき)】を使う時、この【筋】の力によって骨格を動作させ、体術を行っている。

 

 つまり【筋】の強さは、そのまま【勁撃】の威力へと直結するのだ。

 

 そして話を戻すが、【易筋功】とはその【筋】を鍛えるための修行法だ。

 

 あらゆる方法で【筋】に負荷をかけ、その可動域や柔軟性、突っ張る力の強さを養うのだ。武法士専用の筋トレと言っていいかもしれない。

 

 ボクが今行なっている【易筋功】は、つるべの重さによって腕の中に通う【筋】に負荷をかけ、突っ張る力を鍛えるためのものだ。

 

 【易筋功】は筋トレや柔軟体操のように、急激な負荷をいち、にー、さん、し、と断続的にかけるのではない。絶え間無く、継続的に、一定の負荷をかけ続けるのだ。そうしなければ【筋】はうまく育たない上、急激な負荷によって傷めかねない。

 

 余談だが、【架式(かしき)】も広く考えれば【易筋功】に分類される修行法だ。その流派で大切な姿勢のままずっと静止し続けることで、その姿勢に必要な【筋】の力加減を体に覚えこませ、なおかつ、それらを総合的に鍛えるのだ。

 

 ボクはこのつるべを使った訓練をすでに何年もやっている。そのためボクの腕は、その細さや柔らかさとは不釣り合いなほどの怪力を持っている。この腕で一般人を殴ったら、間違いなく大怪我をさせてしまうだろう。

 

 ちなみにこのつるべは、この宿の従業員のおばちゃんに借りたものだ。中には、近くの井戸で汲み上げた水が入っている。

 

 今でも十分重たいが、レイフォン師匠がご存命の頃は、途中でちょくちょく水を足してさらに重くされたものだ。そのことを含めて、あの人の修行は本当に容赦がなかった。

 

 しかし、そんな容赦の無さがあったからこそ、今のボクがある。だから師匠には感謝してもしきれない。

 

 さらに数分間【易筋功】を続けた後、ボクはつるべをゆっくりと床に置いた。

 

 右腕全体には、だるさと疲労が残っている。しかし、ほんのわずかだが、そこを通う【筋】の強さに磨きがかかっているような気がした。

 

 ボクはしばらく右腕をぐるぐる回し、深呼吸してから、修行を再開した。先ほどのつるべを、今度は左腕にぶら下げた。

 

 そのまま、再び静止する。

 

 左腕に下向きの力が絶えずかかり続け、だるさがジワジワと生まれ始める。

 

 ――大会運営側は、今回の二日間の休みを「休息期間」だと言った。

 

 しかし、ボクは確信していた。

 

 たとえ休息の期間だったとしても、他の一五人は怠けてなんかいないということを。

 

 ならば、ボクも怠けるわけにはいかない。

 

 それに、ボクにとって修行は楽しいものであって、苦行ではない。

 

 ボクは自分自身に武法の才能があるなんて思ったことはない。でも、修行を楽しくできるというのは、ある意味かなりの強みだと思うのだ。

 

 だから、ボクはボクのスタンスを変えない。ボクらしく強くなってみせる。

 

 ――そうして、ボクの一日目の夜はふけていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、あっという間に二日目の夜も過ぎ――とうとうその日が訪れた。

 

 午前の太陽が、頭上でさんさんと光っている。

 

 ボクの足元には、硬い石畳の敷かれた広大な円形の空間が広がっていた。その周囲を囲う壁面のさらに上部には観客席がリング状に伸びていて、そこに座る大勢の人々がこちらを見下ろしている。まるで巨大な筒の中に入っているような錯覚を覚えそうだ。

 

 円形の空間の中央には、ボクとライライを含めた合計一六人が横並びになっていた。緊張してかちこちになっているボクと違い、みんな平然とした顔だった。なんだか自分がおのぼりさんみたいに思い、少し恥ずかしかった。

 

 前方には、数人の男性がボクらと向かい合うようにして立っている。みな厳かな面構えで、中華伝統衣装の長袍(ちょうほう)にも似た長衣を綺麗に着こなしていた。

 

 彼らは、大会運営の人間だ。

 

 これからこの『競技場』で、予選大会の開会式が行われる。

 

 ここで挨拶を含めて、今大会のルールや対戦表が公開される。

 

 そういうわけなので、周囲の観客の視線も含めて、ボクはドキドキして気が気でなかった。

 

 ここに来て唯一話せる相手であるライライは遠く離れた位置にいるため、ますます緊張は募る一方。

 

 まだここに立って五分も経っていないはずだけど、ボクはもう三十分は立たされているような気分だった。

 

 速く進めて欲しい。そう思いながら棒立ちを続けるボク。

 

 やがて、観客席よりさらに高所にあるテラスのような場所から、大きな銅鑼(ドラ)が打ち鳴らされた。

 

 荘厳かつ派手な大音量が響き渡り、観客席がピタリと静まり返る。

 

 そして、ボクらの前に立つ大会運営の一人が一歩前へ出て、重い口を開けた。

 

「――大変長らくお待たせいたしました! これより第五回【黄龍賽(こうりゅうさい)】、【滄奥市(そうおうし)】予選大会を開始します!!」

 

 周囲の観客席から歓声が湧き上がる。

 

 それから飾り付けのような挨拶の言葉をしばらく述べ、ようやくルールの説明に入った。

 

「今大会の方式は勝ち抜き戦。今回厳しい『試験』をくぐり抜けたこの一六名に戦っていただき、最後まで勝ち抜いた方を優勝者とし、帝都にて行われる【黄龍賽】本戦に出場する権利を与えます! これと同じ大会は【煌国(こうこく)】のその他一五都市でも行われており、今大会優勝者は、本戦でその優勝者たちと戦うことになります!」

 

 その言葉を合図にしたようなタイミングで、先ほどのテラスのような場所から一枚の布が垂らされた。

 

 人間が十人以上余裕で雑魚寝できそうなほどの、大きな横長の白い布。風でめくれ上がらないための配慮か、その布の一番下の辺には(おもり)のようなものがいくつも横並びで付けられていた。

 

 そしてその白い布の面には、ねずみ算に酷似した図が墨汁ででかでかと描かれていた。

 

 最初に一本線から始まり、そこから徐々に何本もの線へと広がりを見せている。そして一番下にある末端の線は一六本。その下には、ボクを含む参加選手の名前が美しい黒文字で書かれていた。

 

 そう。その図は――トーナメント表としか呼べないシロモノだった。

 

 しかも、ボクの名前は一番左側にあった。

 

 予選大会の一回戦は今日の午後一時から始まる。つまり、ボクは今日早速一試合目に出ることになるということだ。

 

 うわー、なんか一番最初ってヤダなぁ……どうすればいいのか迷うし、緊張するし。

 

 ちなみに、ボクの右隣に書かれた名前――つまり最初の対戦相手の名前は「紅蜜楓(ホン・ミーフォン)」。

 

「試合におけるルールは主に三つ!

 一つ――先に降参、もしくは気絶した側の敗北とする!

 二つ――武器の持参・使用は自由! ただし試合中、外部からの武器の受け取りは禁止!

 三つ――【毒手功(どくしゅこう)】の使用は厳禁! 【毒手功】は今大会の公平性を著しく害する技術であるため、使用もしくは使用未遂を確認次第、その選手を即刻失格とする!」

 

 「以上!」という一言とともに、ルール説明は終わった。

 

 なるほど、シンプルなルールだ。

 

 ちなみに【毒手功】というのは、自身の手に毒を帯びさせる技術のことだ。

 

 決められた種類の毒虫や毒草をすり潰して毒薬を作り、その中に何度も手を突っ込むという修行を行う。それによって長い年月をかけて手に猛毒を染み込ませ、やがて【毒手】に変える。

 

 【毒手】となった手の皮膚は赤紫っぽく変色しているため、パッと見ですぐに分かる。

 

 そして、その【毒手】を使って【勁擊】を打たれた者は、たとえ服越しであっても【硬気功(こうきこう)】を施していても、問答無用で酷い毒に冒されてしまう。良くて廃人、たいていの場合は遅かれ早かれすぐ死亡する。

 

 使用者の腕前にかかわらず、当たった相手を高確率で死亡させるというアンフェアさから、武法士の間では「邪道」と呼ばれ、嫌悪と軽蔑の対象となっている。武法バカなボクでさえ、この【毒手功】はあんまり好きじゃない。

 

 強力だがその反面、修行の過程で自分が毒に冒されてしまう危険性がある。そのせいか、現在ではほぼ失伝している。

 

 ――閑話休題。

 

 それから細かい補足説明のようなものがちょくちょくなされた。

 

 そして開会式が終わりにさしかかると、ずっと説明をしていた運営の人がボクらを見据え、口元をほころばせて言った。

 

「では、最後に一言申し上げます。名誉ある一六名の皆様、色々と煩わしく申しましたが、あなた方に期待することはただ一つです。――どうか、我々や観客の皆様が手に汗を握るような、熱い戦いを期待しています!!」

 

 ドッ、と膨れ上がる大歓声。

 

 莫大な声量を全身でビリビリと受けながら、ボクは大会の始まりを改めて実感したのだった。

 

 ――頑張ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから開会式が終わり、ボクら一六名は解散となった。

 

 そのすぐ後、ボクはライライと並んで『競技場』内一階の廊下を歩いていた。

 

 内壁、床ともに頑丈な石造りの一本道。今のボクらから見て左側の石壁には等間隔で四角い穴が穿たれており、外の光を中へ招き入れている。その穴ほど多くはないが、壁には行灯もいくつかぶら下がっていた。夜はあれで灯りを付けるのだろう。

 

「一回戦頑張ってね、シンスイ」

 

 ライライはスズランを思わせる奥ゆかしい微笑を浮かべ、応援の言葉を送ってくれる。少し低めで、それでいて澄み切った声。

 

「ありがとー、ライライ。頑張るよ」

 

 ボクは少しやせ我慢の混ざった笑みを浮かべてそう返す。

 

 一回戦は今日の午後一時から開始だ。そしてボクはその一回戦を一番最初に戦うこととなっている。

 

 トップバッターを命じられたボクは少し緊張していた。みんなにもそういう経験はないだろうか? 発表会などで一番最初に発表することが土壇場で決まって、モデルケースがない分プレッシャーを感じたことが。

 

 開会式終了後に懐中時計を見ると、正午までまだ三十分以上余裕があった。なので、せめて試合までリフレッシュしていることにした。

 

 ちなみにライライはボクとは逆で、一番最後に一回戦を行うことになっている。

 

「そういえば、あなたの対戦相手って何て名前かしら?」

 

 ふと、ライライが訊いてくる。彼女が首を傾げた途端、胸元に実った巨大な二つの果実がふるん、と小さく揺れた。

 

 ボクはソレから素早く目を背け、少し上ずった口調で答えた。

 

「ホ、紅蜜楓(ホン・ミーフォン)って人っ」

 

 そう。確かそんな名前だったはず。

 

「……紅蜜楓(ホン・ミーフォン)、ですって?」

 

 だが、不意にライライの声が硬くなった。

 

 それを不審に思ったボクは、

 

「どうしたのライライ?」

 

「いえ。ちょっと聞き覚えのある名前だと思って……」

 

「へぇ、もしかして知り合い?」

 

「いえ、そういうわけではないけど……」

 

 なんだかライライの歯切れが悪い。

 

 彼女はしばらく唸るように黙り、やがて、少し言いにくそうに口に出した。

 

「昔、父から聞いた話で、断片的にしか覚えてないのだけど……確か――【太極炮捶(たいきょくほうすい)】宗家の「(ホン)家」に、そんな名前の娘がいたような気がするのよ」

 

 ボクは思わず目を見張った。

 

 ――【太極炮捶】。

 

 はっきり言って、この流派を知らない武法士はモグリと呼んでいい。それだけ名高い流派なのだ。

 

 【太極炮捶】とは、最古の武法にして――全ての武法の源流。

 

 【煌国】には星の数にも等しい量の武法が存在するが、それらは全て【太極炮捶】の身体操作、修行体系、戦闘理論などに改良を加えて生み出された亜流なのだ。

 

 【雷帝(らいてい)】と呼ばれた最強の武法士であるレイフォン師匠も、最初はこの【太極炮捶】を学んだのだ。そして【太極炮捶】で得た豊富な技術を取捨選択し、そこへ独自のアレンジを加えて【打雷把】を完成させたのである。まさしく温故知新だ。

 

 【太極炮捶】の基礎理論は『太極』。

 

 『太極』とは、『陰』と『陽』が一体になっている状態のこと。

 

 【太極炮捶】はその理論通りに肉体を操作し、人の身で人以上の力を発揮するのだ。これは【太極炮捶】に限らず、ソレから生まれたその他全ての武法にも当てはまる話だ。

 

 【易骨】を例に挙げよう。【易骨】は骨格を理想的な配置に整えることによって、全身に分散していた体重を足元に集中させる。この時、全身は余計な力みが一切無い『陰』となり、足裏は自重の集中した『陽』となる。こうして肉体は『太極』と化すのだ。

 

 【気功術(きこうじゅつ)】にも『太極』の理論は反映されている。全身に流れる【()】を集めて丹田に凝縮させることで、【気】が濃く集まった丹田を『陽』となし、その他の体の部位を『陰』となす。

 

 その他にも例がたくさんあるが、挙げるとキリがないので、ここは割愛しておく。

 

 このような革新的な体術を一から開発したのは、「(ホン)家」の人間である。

 

 つまり(ホン)家は【太極炮捶】の宗家。

 

 彼らは【黄土省(こうどしょう)】南東部を拠点とし、【太極炮捶】の分館をこの【煌国】各地にいくつも立ち上げている。武法士社会の中ではまさに一大勢力だ。

 

 もしも紅蜜楓(ホン・ミーフォン)がその(ホン)家の一人だとするなら、かなりの実力者である可能性が高い。

 

 ボクはリラックスしかけていた心を一転、再び緊張させた。

 

 そんなボクを気遣ったのか、ライライは弁解するような口調で言い募った。

 

「あ、あのねシンスイ、多分よ? 私自身は紅家の人間に会ったことがないし、もしかすると、気のせいかもしれないわ。あんまりアテにしないでね」

 

 

 

 

 

「――気のせいなんかじゃないわ。ご名答よ」

 

 

 

 

 

 その時、可愛らしいながらも鋭い響きを持った声が、割って入るように後ろから飛んできた。

 

 ボクら二人は同時に振り向く。

 

 視線の先には、不敵に微笑を浮かべた一人の美少女が佇んでいた。

 

 歳はパッと見、中学に上がりたての小学生くらいに見える。身長もボクと同じくらいか少し低い程度。しかし旗袍(チーパオ)の腰から上を切り離して作ったような半袖の胸部からは、小さな背丈とは釣り合わない、なかなか大きな二つの膨らみがある。

 

 髪は毛先が肩に届く程度のセミロングで、両側頭部には真っ赤な菊花の模様が描かれた丸いシニヨンカバー。猫のようにつり上がった瞳が特徴的な顔立ちは、少女特有の愛らしさの他に、触る者をチクッと刺激するバラのような刺々しさも微かに感じさせる。

 

 その女の子はかぼちゃパンツにも似た長ズボンの裾を揺らしながら、こちらへ悠然と歩み寄って来る。

 

 ボクらの前でピタリと足を止めると、

 

「まさしく噂をすれば影、ね。ごきげんよう李星穂(リー・シンスイ)。あたしは紅蜜楓(ホン・ミーフォン)。今日の午後一時にあんたと戦う予定の相手にして、【太極炮捶】宗家である(ホン)一族の三女よ」

 

 ボクの方を真っ直ぐ射抜くように見て、そう自己紹介してきた。

 

 ボクはびっくりしすぎて飛び上がりそうになった。

 

 今ちょうど噂をしていた人物が、グッドタイミングで目の前に現れたのだ。

 

 しかもその人物は、武法士社会で名高い「(ホン)家」の身内と来たもんだ!

 

 武法マニアの血がたぎるのを感じる。聞きたい。色々根掘り葉掘り聞きまくりたい。吸い尽くすようにインタビューしまくりたい。

 

 しかし、まだ自己紹介を返してもないうちからそれは失礼だろう。ライライの時の失敗は忘れないぞ。

 

「えっと、ボクは李星穂(リー・シンスイ)っていうんだ。【太極炮捶】宗門の一族に会えるなんて夢みたいだよ。よろしく」

 

 ボクは気持ちを落ち着け、余裕のある態度で自己紹介をした。うん、我ながら凛々しい対応だ。

 

 女の子――ミーフォンは「よろしく」と一言返すと、

 

「あんた、流派はどこなの?」

 

「【打雷把】っていうんだ。知らないかもしれないけど……」

 

 そう流派名を教えた時だった。

 

「……あ、そう」

 

 ミーフォンの態度が一転した。

 

 ため息を盛大にもらし、諦めにも似た表情が端正な顔に浮かぶ。まるで興味をなくしたかのような消沈ぶりを露わにしていた。

 

 え? な、なんだろう、この態度……?

 

 少し引っかかるものを感じたが、ひとまず目をつぶる事にした。

 

「え、えっと、これから始まる試合、お互い頑張ろうね」

 

 そう言って、ボクは手を差し出した。

 

 だが次の瞬間――その手を思い切り払われた。

 

「え……?」

 

 ボクは唖然とした。

 

 思考速度がワンテンポ遅れる。

 

 今、手を払われた。誰に? ミーフォンに。

 

 どうして――と考えるよりも先に、ミーフォンが蔑むような眼差しをこちらへ向けながら、投げ捨てるような口調で言った。

 

「――勘違いしないでくれない? あたしと対等の立場に立ってるつもりなの? だとしたらはっきり言うわ――それはとんだ思い上がりね」

 

 あまりに予想外な展開に、ボクは言葉を発せなくなってしまう。

 

 しかし、そんなボクの代わりとばかりに、ライライが非難のニュアンスの混じった低い声で言った。

 

「……いきなり何の真似かしら。随分とあからさまな豹変ぶりね」

 

「ハッ、あんた宮莱莱(ゴン・ライライ)でしょ? 『試験』の最中、あんたが【刮脚(かっきゃく)】を使うところをちらっと見たわ。やれやれ、おママゴトに夢中な田舎者同士が馴れ合って。見るに堪えないったらないわ」

 

「……ママゴト?」

 

 ボクはようやく、声を出すことができた。

 

 ミーフォンは隠すことなく冷笑し、氷を肌に擦り付けてくるような口調で言った。

 

「そうよ? だって【太極炮捶】じゃないんだもの。その他の武法なんて後から作られた粗製濫造のオンパレードじゃない。歴史も戦闘理論の幅も技術の量も奥深さも、【太極炮捶】には遠く及ばない出来損ない。そんなものをママゴトって呼んで何が悪いっていうの?」

 

 ……ボクは(ホン)家の人間と直接会ったことはない。

 

 だが、噂には聞いたことがある。

 

 自分たちの祖先が作った【太極炮捶】だけが武法であり、その他多くの流派は取るに足らない「武法モドキ」である――(ホン)家の人間は、そんな中華思想に等しい考え方を持っているという噂。

 

 どうやらソレは、あながちデマでもなかったようだった。

 

「あんたさぁ、とっとと棄権したら? まだ間に合うわよ。大怪我の挙句に観客の前で大恥さらしたくないんならとっとと田舎に帰りなさい。その方があたしも楽でいいし。【打雷把】だっけ? そんなもん、ウチの【太極炮捶】とは歴史も技術も比べるまでもないわよ。【太極炮捶】は源流。全ての流派の親。子が親に勝る道理があると思ってんの?」

 

 傲岸不遜に言い募るミーフォン。

 

 【太極炮捶】こそが真の武法。他の流派は全て武法を騙るまがい物。まさしくそれが彼女の考え方なのだ。

 

 しかし、色々な武法を知っていて、それらに何度も感動した経験のあるボクは、そんな視野狭窄にも等しい考え方に対して「否」と突きつけたかった。

 

 ボクは言った。ケンカ腰な口調ではなく、諭すような声で。

 

「本当にそんな狭い考えを持ってるというのなら、はっきり言おう――君は世間知らずだ」

 

「……なんですって?」

 

 ミーフォンがピクリ、と柳眉を動かした。明らかに機嫌を損ねている様子。

 

 しかしボクは構わず続ける。

 

「世の中には、素晴らしい武法がたくさんある。それを知ってるボクに言わせれば、君の発言こそ【太極炮捶】という村の中に閉じこもってるせいで外の世界を全く知らない、田舎者のセリフそのままだよ」

 

「……言ってくれるじゃない」

 

 ミーフォンはさらにこちらへ詰め寄ると、ボクの爪先の前でドカンッ! と片足を踏みおろした。

 

 これは【震脚】だ。全ての武法の源流である以上、【太極炮捶】にもきちんと含まれているのだ。

 

 ミーフォンはボクのみぞおちを人差し指でつつき、至近距離から射殺すような目で睨みながら告げてきた。

 

「――上等よ、クソ流派。あんたの無様なやられっぷりを観客と大会運営の前で晒して、公式に出来損ないの烙印を押させてやるわ」

 

 そして、ボクの横を通り過ぎ、去っていった。

 

 遠ざかるミーフォンの背中を見送りながら、ボクは思った。

 

 これから始まる一回戦、負けられない理由がもう一つ増えた――と。

 

 胸に渦巻いていた緊張も、すでにどこかに吹っ飛んでいた。

 


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