一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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あまりにも残酷な偶然

「ふっ!」

 

 目の前の男が、鋭く息を吐いて疾る。

 

 研ぎ澄まされた鋭い速度で、大きく開いたボクとの間合いを一気に潰す。

 

 あと三、四歩で到達という距離まで達すると、男は突如風車のように横回転。

 

 屈強な踏み込みとともに、その遠心力の乗った裏拳を振ってきた。

 

 ボクはそれを受けようと、両腕を側頭部に構えて備える。

 

 裏拳が予定通りにボクの両腕に当たる――かと思えば、男は当たる寸前に突如その拳を引っ込め、遠心力を保ちながら急激にしゃがみ込んだ。

 

 裏拳はフェイク。本命は腰を落としつつの足払い。

 

「おっと!」

 

 ボクは円弧軌道でコンパスよろしくやってきた払い蹴りを、後ろへ跳んで躱す。

 

 だがそれは一時の安心。男は深くしゃがんだ状態から全身のバネを活かし、ボクに向かって飛び込んできた。

 

 虎が獲物に爪を立てるような激しい気迫とともに、男の掌打が空気を裂いて迫る。

 

 ボクは、やってきた掌の側面に自身の前腕部を滑らせ、あさっての方向へと受け流す。そしてそのまま、男の腕の中へと足を踏み入れた。体の小さいボクが、最も有効打を狙いやすい最高の立ち位置。

 

 このまま一撃入れてやろう――そう思ったが、敵もなかなか甘くなかった。

 

「ヒュォッ!!」

 

 風が耳元を通り過ぎる音にも似た尖った吐気とともに、男の体勢が急激に上昇。地面から弾き出されたような勢いで跳躍しながら、鋭利な爪先蹴りを左右二連続で放ってきた。

 

 ボクはバックステップが間に合ったおかげで直撃はまぬがれた。けど、爪先蹴りの一発が胸の辺りをかすめ、上着のボタンが一つ開けられた。

 

 鋭く、起伏に富んだ質の高い動きにボクは内心で舌を巻く。流石は準決勝進出者。一筋縄ではいかないようだ。

 

 しかし、それでもボクは勝つ。勝たないといけない。

 

 呼吸を整え、そして構えを取り直す。

 

 男は丹田に【気】を集め、それを両手に集中させた。【硬気功(こうきこう)】をかけたのだ。

 

 それから時間差をほとんど作ることなく、虎爪を象ったような手形による掌打を激しく連発させてきた。

 

「ハイハイハイハイハイハイッッ!!」

 

 一撃一撃に気合の一喝を伴って、怒涛の爪撃が滝のようにボクへ舞い込む。

 

 正面、上下、左右側面、斜め上下、あらゆる方向から飛んでくる。

 

 【硬気功】によって鋼の硬度を得た今の彼の手は、まさしく本物の虎の爪に同じ。なのでボクは手を直接ぶつけ合うのを避け、相手の手の側面と擦るように受け流していく。そこに最小限の動きによる回避動作も加え、クリーンヒットを堅実に防ぐ。

 

 何度も防ぎ、躱しつつも、その攻防に慣れないように心がける。人間は、変化の無い物事や動作をずっと見続けてしまうと、脳が慣れてしまう。それからそのパターン化した動作と違う動作を唐突に出されると、反応が否応なしに遅れてしまうのだ。そういう戦法を取る武法も存在する。

 

 そうならないよう集中力を、手足といった末端ではなく、それに攻撃力を与えている体幹部、そして相手の表情へと向けた。

 

 男は眉間に獰猛なシワを作りながら、ひたすら連打を連ね続ける。

 

 そして次の瞬間、その眉間のシワがさらに数を増した。

 

 ――来る!

 

「カッッ!!」

 

 男は地を踏み鳴らす。そしてその【震脚(しんきゃく)】によって倍加した瞬発力を遺憾なく発揮し、ボクへと接近。

 

 【硬気功】さえ間に合わないほどのスピードだった。

 

 突風の速度と巨岩の重さを兼備した肘鉄が迫る。

 

「っ!」

 

 打撃部位が薄皮一枚まで来た瞬間、ボクは一気に全身を旋回運動させた。

 

 直撃する予定の箇所をズラし、そのまま社交ダンスのように回転しながら男の側面を取る。

 

 そして――腰を落としつつ【震脚】で踏み込み、肩から貼りつくようにぶち当たった。

 

「いっ――!!」

 

 【打雷把(だらいは)】の一技法【硬貼(こうてん)】。渾身の体当たりをまともに食らった男は、眼をひん剥いて魚のようにビクッと仰け反った。

 

 しかしそんな姿を見れたのもほんの一瞬だけ。すぐに男は後ろから引っ張られるような速度で遠ざかり、地を転がり、やがてうつ伏せで止まった。

 

 離れた距離、およそ25(まい)

 

 しばらく経っても動かない男の様子を、審判が近づいて見る。

 

 そして、

 

「意識消失を確認!勝者――李星穂(リー・シンスイ)!!」

 

 ボクの決勝戦進出が決まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 粱捭展(リャン・バイジャン)は、自分の目が節穴であった事をひどく痛感していた。

 

 準決勝の第一試合が李星穂(リー・シンスイ)の勝利で幕を下ろした後、しばらくして自分が戦う第二試合がやって来た。

 

 決勝戦への切符を奪い合う相手として対したのは、自分より十歳ほど年の離れた少女だった。

 

 毛の末端がゆるく波打った髪は後頭部でひと結びに束ねられており、女にしては背の高い肢体は、理想的な砂時計の曲線美を形作っている。全体的に色気が濃いが、その顔立ちは女の美貌と少女の可愛らしさが同居しているようだった。一言で彼女を形容するなら、美女になりかけた美少女、といったところか。

 

 名を、宮莱莱(ゴン・ライライ)

 

 ここが美しさを競う場であったなら、彼女はここにいる誰よりも輝いていたことだろう。かくいう自分も悲しき男の性ゆえ、幾ばくかの間彼女の持つ美に見とれていた。

 

 だがここは、純粋な武を競い合う舞台。

 

 前年度に【黄龍賽】本戦まで行った経験のあるバイジャンは内心で鼻白んだ。

 

 李星穂(リー・シンスイ)といいこの女といい、小娘が準決勝まで上り詰めるとは、この大会の質も随分下がったようだ。

 

 李星穂(リー・シンスイ)が持つ「硬気功無効化能力」は確かに驚異だ。だが、ここまで勝ち残ったのは、疑うまでもなくその能力のおかげだろう。それを抜きにすれば、所詮は生まれて十年とちょっとの若輩者に過ぎない。目の前の女も同様に、何かすがりつけるものがあったのだろう。

 

 武法の世界に男女の区別は無い。しかしその分、純粋な実力主義だ。

 

 勝負を決めるのは積んできた「功」の高さ。それが劣る者は倒れるしかない。それが武法の世界の常識であり、バイジャンの持論でもあった。

 

 自分はこの小娘共よりずっと長い間、真摯に武法と向き合い、功を積んできたのだ。そんな自分が敗北するなどという事はありえない。いや、あってはならない。

 

 バイジャンは目の前の女を下し、決勝戦で李星穂(リー・シンスイ)と戦うという未来予想図の実現を疑わなかった。

 

 ――そう。試合が始まる前までは。

 

 試合開始を告げる銅鑼が鳴った瞬間、女は残像を残すほどの速度で迫り、そして回し蹴りを鋭く振り切ってきた。

 

 自分はやって来るひと振りに備え、【硬気功】を施した上で腰を落とし、重心の安定を強めた。

 

 しかしその蹴りが直撃した瞬間、まるで大樹で殴りつけられたかのごときとてつもないインパクトが全身に響いた。

 

 さらに重心の安定を嘲笑うように、バイジャンの総身が大きく跳んだ。

 

 着地し、次の攻撃に備えようとした時には、すでに女はこちらに迫っていた。

 

 無数の蹴りが、自分を破砕しようと激しく駆け巡る。

 

 目を奪われるほど美しい生足によって繰り出される、鉄槌のごとき蹴擊。

 

 人間大の石材を余裕で粉砕せしめるであろうほどの速度、圧力が、縦横無尽に暴れまわる。当てそこねた蹴りが時々落下し、石敷を深くえぐった。

 

 威力と速度だけではない。

 

 一蹴りと一蹴りの間に間隙が見られない。反撃に移せる穴が無い。

 

 ゆえにバイジャンは防戦一方だった。――いや、防御したらその防御ごと叩き壊されかねないので、回避一辺倒といった方が正確か。

 

 その回避一辺倒を続けている間に、バイジャンは女の使う武法の本質を見た。

 

 これは【刮脚(かっきゃく)】だ。

 

 変幻自在の蹴りを特徴とする、「蹴りの武法」と呼ばれた名流派。

 

 自分もその使い手と戦い、そして勝利した事がある。

 

 しかし彼女の見せる技巧は、明らかにそのへんの【刮脚】使いとは一線を画していた。

 

 見た目は、大人びた色気があるだけの、ただの少女。

 

 だが、その一蹴り一蹴りからは――その歳からは想像もつかない、暗い執念のようなものを薄々感じた。

 

 バイジャンは目の前にいる女の器を見誤っていた事を悟った。

 

 この女は、運の良さだけで成り上がってきた果報者ではない。

 

 濃い執念のままに牙と爪を磨き続けてきた女豹だ。

 

 回し蹴りを外した女はそのまま背中を向けると、すぐに足を踏み替え、馬が後ろ足を跳ね上げるような後ろ蹴りを放ってきた。知っている。【鴛鴦脚(えんおうきゃく)】という技だ。

 

 鎌のごとく真下から迫った靴裏を、バイジャンは顎を引いて避ける。

 

 が、跳ね上げられた女の蹴り足が、突如急降下。

 

「あがっ――――!?」

 

 右足の甲に、杭を打ち込まれたような激痛。

 

 見ると、急降下してきた女の爪先が突き刺さっていた。

 

 そして、その痛みで硬直したところが隙となったのだろう。

 

 女の蹴りが四方八方から殺到した。

 

 凄まじい速度で踏み替えられる彼女の脚。それと同じ速度で全身のあちこちへ衝撃が襲った。

 

 肉を削ぎ落とし、骨をむき出しにできそうなほどの蹴りが、あらゆる動きと形をもって叩き込まれる。

 

 勢いと衝撃が熾烈過ぎるためか、痛みすら感じる暇がない。

 

 意識だけがガリガリとものすごい速度で削り取られていく。

 

 やがて――バイジャンの意識は闇の底へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 準決勝の試合が終わった後の正午。

 

 二人揃って見事勝利を収めたボクとライライは、生き生きとした足取りで『商業区』の目抜き通りを歩いていた。

 

 これから祝勝会でもやろうということで、そのための店を探している最中だ。

 

 まあ、まだ決勝戦が終わってないので真の祝勝会とは言えないけど、とりあえず二人揃って決勝には進めたので、軽い気晴らしというかリフレッシュというか、そんな感じである。

 

 なので、大きな料理を頼んだりはしない。

 

 ボクらが探しているのは茶館、つまりお茶屋さんだ。

 

 お酒が飲めないからというのもあるが、それだけではない。茶館はただお茶を飲む店というだけでなく、老若男女いろんな人の交流の場となっているのだ。まあ、地球でいうところのカフェみたいなもんである。軽いお祝い話に花を咲かせるにはうってつけの場所だろう。

 

 ミーフォンは一緒ではない。あの娘は現在、この『商業区』のとある店で日雇いの仕事をしている。なんでも、滞在期間が延びたせいで所持金が結構減っちゃったかららしい。まあ、女の子が野宿するわけにはいかないしね。

 

 というわけで、今はボクとライライの二人だけだった。

 

 なんだか、この【滄奥市(そうおうし)】に来たばっかりの頃の再現みたいだ。

 

 でもあの日と違い、今のボクらはもう立派な予選大会の選手だ。しかも二人揃って、明後日の決勝戦で戦うメンツである。

 

 そのためだろうか。周囲の人たちから受ける眼差しの量が異様に多かった。

 

 羨望の眼差しだったり、驚いた眼差しだったり、中には「みんなやたらと注目してるけど、あいつら誰?」的な目も見られる。

 

 いずれにせよ、なんだか少し照れくさくてむずがゆい。

 

「――ん?」

 

 ふと、そのたくさんの眼差しの中に、少し質の異なる目を見つけた。

 

 眼差しというより、眼光といった方が適切かもしれない。なんか、暗い洞窟の奥から、息を潜めて獲物の隙を伺っている獣のような――

 

「どうしたの、シンスイ?」

 

 ライライの声掛けとともに、我に返った。

 

「あ、ううん、何でも無い」

 

 ボクは取り繕うように否定した。気のせいかもしれないし、そもそも実害があるわけでもない。気にするだけ無駄ってもんだ。

 

 しばらくして、小さな茶館を見つけたボクたちは、そこへ向かった。

 

 開け放たれた引き戸をくぐって中に入る。正方形の卓と、それを囲む椅子。あちこちに設置してあるそれらの席の中から適当に選び、そこへ二人で向かい合う形で座った。

 

 一分と経たない間に、店員さんが注文を訪ねにやって来る。ボクらは慌ててお品書き見た。お茶だけでなく甘味やお茶菓子も売っているようだったが、ボクらはお茶だけを頼んだ。

 

 お代は250綺鉄(きてつ)――【煌国】の通貨の単位である――だそうだ。ボクらは125綺鉄ずつで割り勘した。

 

 注文の品はすぐに来た。木箱のような長方形のお盆に乗ったミニサイズの茶器一式と、まだ開いていない乾燥茶葉、そしてお湯のたっぷり入った銅製のヤカン一つ。

 

 喫茶店のように、最初から出来上がったコーヒーや紅茶が届き、それを飲むというスタイルではない。

 

 お客さんが急須に入った茶葉に湯を注いで茶をしみださせ、それを複数人で分けて飲み合うというスタイルである。

 

 【煌国】の茶文化は、中華圏のソレと非常に似ていた。

 

 ボクは率先して準備を始めた。

 

 茶葉を赤土製の小ぶりな急須に入れ、さらにヤカンのお湯を注いで蓋を閉じる。

 

 一分ほどで、乾燥していた茶葉が大きくなり、お茶がしみだしていた。

 

 だが一番最初に出たお茶は渋みが強いので、おちょこに似た茶杯二つに入れてから、すぐに木箱のようなお盆――このお盆を「茶盤」という――の溝から中へ流し捨てる。これは、茶杯を温めるためでもある。

 

 それから二回目の湯注ぎに入る。ボクはヤカンを高く掲げ、その位置から急須の茶葉へ向けてお湯を叩きつけるように注いだ。こうすることで茶葉が空気を含み、開きが早くなる。茶葉が開けば、お茶がしみだす速度も上がるのだ。

 

 三〇秒ほどで、注いだお湯はお茶となった。それを二つある茶杯へ均等に淹れる。そのうちの一杯を、ライライに差し出した。

 

「随分手馴れてるのね、シンスイ」

 

「うちの姉様に教わったからね」

 

 実際は「叩き込まれた」というのが正しいかもしれない。昔、お茶の作法を完全無視したボクの飲み方を姉様が「はしたない!」とたしなめ、押し付けるように教えてくれたのである。

 

 二人茶杯を手に取り、その芳醇な香りを軽く楽しんでから飲んだ。

 

 苦味の中にも微かな甘味もあり、良い香りも相まってとても美味しい。どんどん喉に流し込みたくなる。しかしジャバジャバと腹いっぱいには飲まず、控えめにゆっくりと飲んでいくのがマナーだ。

 

 茶杯を口から離し、一息つくボクら二人。

 

 リラックスした空気がそこにはあった。

 

 最初に切り出したのはライライだった。

 

「――決勝進出おめでとう、シンスイ」

 

 奥ゆかしい笑みを口元にたずさえ、そう祝辞を述べてくれる。

 

 ボクも「ライライも、おめでとう」と笑顔で返した。

 

「それにしても奇妙な縁ね、私たち。会って早々意気投合した仲だったのが、今じゃ決勝戦で雌雄を決する間柄だなんて」

 

「ホントだね」

 

 二人顔を見合わせて笑い合う。しかしその笑みの中には見えざる闘志が秘められていた。

 

 当然だ。ライライとは友達だが、明後日(あさって)には敵として戦うのだ。

 

 そしてボクは、たとえライライが相手だとしても、手心を加えるわけにはいかない。何せこの大会には、ボクの武法士生命がかかっていると言っても過言ではないのだから。

 

 ライライにもまた、負けられない事情があるのかもしれない。なので手加減してくれるなどと侮っちゃダメだ。

 

 そうだ。明後日の試合は、単純に優勝者を決めるためのものではない。ボクとライライの願いのぶつけ合いでもあるのだ。

 

 ――しかし、今はひとまず試合の事は忘れて、のんびりと過ごすとしよう。そのための茶館だ。

 

 ボクは不敵な笑みを、柔和な笑みに変えた。

 

「そういえばシンスイ、あなたお姉さんの事を「姉様」って呼んでいたわよね。そのことから察すると、シンスイってやっぱりどこかのお嬢様なのかしら?」

 

 ライライも同じ事を思ったのか、談義の方向を取り留めのない話にシフトさせてきた。

 

「うーん、お嬢様なのかなぁ。一族三代揃って、文官登用試験に全員合格してるって話だけど、それ以外に何か特殊な所ってあったかなぁ」

 

「まぁ。それでも十分すごいわよ。親御さんは役人なんでしょう? 暮らしも裕福なんじゃないかしら」

 

「確かに普通の家よりかは裕福かもしれないけど……だから全て良しってわけでもないんだよ? 父様も姉様も二言目には「勉強」だもん。苦しくて息が詰まっちゃうよ」

 

「ふふふ、そうなんだ。まあ確かに、シンスイが机にかじりついて勉強する場面は想像できないわね。あなた、二言目には「武法」だもの」

 

 互いに和やかな笑いを上げる。

 

 そこから、まるで風船が膨らむように話が盛り上がっていった。

 

 子供の頃の話、住んでいる町の話、武法を学び始めて間もない頃の話、とにかく色々な話題を持ち出して会話の材料にした。

 

 まあ、さすがに「ボクは元地球人なんだ!」とまでは言わなかった。信じてくれないだろうし、ヘタをすると狼少年ならぬ狼少女扱いされそうだから。

 

「そういえばさ、ライライのお父さんってどんな人なの? 【刮脚】を教えてくれたのも、確かお父さんなんだよね?」

 

 その膨らんだ談義の最中、ボクはそう尋ねた。

 

「そうよ。父は普段はすごく優しいんだけど、私に武法を教える時は凄く厳格だったの。でも、それは私が武法士社会の中に入った時、命を落とさないよう、徹底的に強くするため。結局のところ、どこまでも優しい人だったのよ」

 

「そうなんだ。何て名前なの?」

 

宮淵輝(ゴン・ユァンフイ)

 

 その名前を聞いた瞬間、ボクは電撃的な速度で身を乗り出し、ライライを凝視した。

 

「マジで!? 宮淵輝(ゴン・ユァンフイ)っていったら、『無影脚(むえいきゃく)』っていう通り名で有名な【刮脚】の達人じゃないか! その蹴りは目で追えないどころか、影さえ生まれない! その脚の【(きん)】の功力は入神の域に達していて、地面と並行に伸ばした脚には百人ぶら下がっても大丈夫っていう、あの!」

 

「ええ。確かに父はそんなあだ名で呼ばれてたわね。……まあ、多少噂に尾ヒレが付いてる感じが否めないけど。でも身贔屓を抜きにしても、非常に高い実力を持った武法士と断言できるわ。それはそうとシンスイ、少し落ち着かないと茶器が傾くわよ」

 

「あ、ああ。ごめん」

 

 冷静になり、ゆっくりと席につき直すボク。そんなボクを微笑ましげに見つめるライライ。

 

「でも、ホントにびっくりだよ。前から「(ゴン)」って苗字と【刮脚】っていう組み合わせに少し引っかかってたけど、まさかライライがユァンフイさんの娘さんだったなんて」

 

 ホント、世界って案外狭いよねぇ。

 

 そこでボクは、ふとある事を考えつく。

 

「ね、ねえライライ……その、お願いがあるんだけど……」

 

「何かしら?」

 

 ボクは卓の下で指同士を絡ませながら、ためらいがちな声で言った。

 

「その……もし【黄龍賽】が終わったらさ、ユァンフイさんに会わせてもらえないかな……?」

 

 ――ボクはただ「ユァンフイさんに会ってみたい」という気持ちで言ったつもりだった。

 

 が、目の前の彼女はボクの言葉を聞いた途端、ひどく寂しそうな顔をした。

 

「…………ごめんなさい。それは、出来ないの」

 

 まるでお通夜のように沈みきった声。

 

 その消沈ぶりを見て、ボクは地雷を踏んだような気がした。

 

「ご、ごめんライライ。もしかして、図々しい頼みだったかな?」

 

「ううん、違うの。別に迷惑じゃないの。でもダメなの。お願いされても、”もう”出来ないの」

 

 ライライは寂しげな顔でかぶりを振りながら言うと、一度区切りを作り、そして次のように発言。

 

「父はもう……亡くなってるから」

 

 ――どうやらボクは、クレイモア級の地雷を踏んでいたらしい。

 

「そ、そうなの!? ご、ごめんねライライ! いくら達人に詳しくても、さすがに今の生き死にまでは分からなかったんだ! ていうか、えっ!? ユァンフイさん、亡くなってたの!?」

 

 ライライに対する申し訳なさ、そしてユァンフイさんがすでに亡くなっていた事への驚愕がないまぜとなり、謝罪だか驚きだか分からない言葉になってしまった。

 

「いいのよシンスイ。もう九年も前の事だもの」

 

 彼女は言うと、口元を小さく微笑ませる。しかし、やはり寂しそうな感じは抜けていない。

 

「父は――父さんは、ある武法士との試合に負けて死んだのよ」

 

「負けた……? あの『無影脚』が?」

 

 耳を疑うボクに、こくん、と頷くライライ。

 

「九年前、その武法士は父さんの名声を聞きつけて、家まで尋ねてきて、真剣勝負を申し込んできたの。当時まだ八歳だった私は、当然反対したわ。だけど父さんは誇り高い武法士だった。「【刮脚】で名を上げた自分がここで引き下がれば、【刮脚】という流派そのものに「臆病者」の烙印が押されてしまう」。そう言って、父さんは試合に応じたわ。その後、父さんは私を家に残して試合をしに行ったけど、いつまで経っても帰ってこなかった。「ついて来るな」って釘を刺されてたけど、私は心配になって父を探した。そして、長い時間走り回って、やっと見つける事ができたわ。――死体になった父さんの姿を」

 

 背筋が凍った。

 

「父さんの死体の傍らには、勝負を挑んできた武法士が棒立ちしていたわ。その男は私を見ると「小娘、お前の父親を殺したのは俺だ。仇を取りたくば、いつでも来るがいい」とだけ言って、去って行ったの。視線だけで魂を引きずり出されそうなそのプレッシャーに、私はしばらく全身が固まって動けなくなった。そしてその硬直が溶けた瞬間、涙が枯れるまで泣き叫んだわ。あの時の事は、今でも頭にこびりついて離れない」

 

 ライライは目を伏せ、密かに奥歯を噛む。

 

 おそらくその試合は、【抱拳礼(ほうけんれい)】で左拳を包んだ上で行われた決闘だったのだ。そうすれば両者の合意が成立した決闘ということになる。ゆえに、その男を殺人という罪で裁くことはできないだろう。

 

 しかし、法で裁かれないからといって、その死んだ者の身内は納得できるだろうか?

 

 いや、きっと出来ない。できるはずがない。

 

「父さんの埋葬が終わった後、私の中の悲しみは、父さんを殺した相手への復讐心に変わったわ。以来、私は仇討ちのために、父さんから譲り受けた【刮脚】をたった一人で磨き続けた。父さんは私に【刮脚】のすべてを教える前に亡くなってしまった上に、今では使い手がほとんどいない古いタイプの【刮脚】だから、他の師も見つからない。だから私は、すでに持っているものを強化するしかなかったわ。それでも必死の修行の末に、【刮脚】を高い水準までに強化する事ができた。まあ、多少我流が混じってはいるけどね」

 

 ライライはボクが今まで見てきた【刮脚】使いの中でも、破格の実力を持っていた。

 

 ……あれは、仇を討つための努力の賜物だったのだ。

 

 ボクはその努力に敬意を感じるとともに、少し寂しい気持ちになった。

 

 仇討ち目的で武法を学ぶ人なんて、別に珍しくもなんともない。武法の長い歴史を振り返れば、そんな人物は掃いて捨てるほど見つけられる。

 

 悪名高い【毒手功(どくしゅこう)】も、仇討ちのための道具として重宝されたのだ。

 

 それくらい、武法と仇討ちの関係は根深い。

 

 ライライも、その中の一人だったというだけの話だ。

 

 しかし、武法を何かのための「手段」としてではなく、武法「そのもの」を愛するボクとしては、そのような目的で修行する人を見るのは少し切ない。

 

 恵まれた人間特有の綺麗事かもしれないし、ボクにとっては他人事だからかもしれない。それでも、そう思わずにはいられなかった。

 

「私が【黄龍賽】に出ようと思ったのは、その仇に自分の存在をアピールするため。あいつはより強い武法士との戦いを求めて、【煌国】中を常に亡者のように徘徊しているの。固定された場所にはいないから、探し回っても見つかる確率は低いわ。でも私が【黄龍賽】で優秀な成績を上げて武名を轟かせれば、その仇は私への関心を抱き、自ずから姿を現してくれる。武名という誘蛾灯で仇を引きつけて、正々堂々と倒す。これが私の目的よ」

 

 ……なるほど。

 

 確かに【黄龍賽】で優勝したとなれば、それは結構なネームバリューになるだろう。その「仇」とやらが名の知れた武法士と戦いたがっているのなら、それは良いエサとなる。誘蛾灯とはよく言ったもんだ。

 

 とにかく、ライライの事情は、今の話でだいぶ理解できた。

 

 でも、本音を言うと、ボクは仇討ちなんてして欲しくない。

 

 「復讐は何も生まないから」なんて月並みな理由じゃない。

 

 単純に、彼女の身が心配なだけだ。

 

 ユァンフイさんほどの武法士を、正々堂々の決闘で殺した人物だ。きっと、実力も相当なもののはず。そんな奴に向かっていけば、命の保証はない。

 

 だから、できることなら、ボクは仇討ちをさせたくない。

 

 しかし、彼女はそんなボクの言葉を、きっと聞き入れてはくれないだろう。

 

「……す、少し微妙な空気になっちゃったわね。ごめんなさい」

 

 申し訳なさそうにそう言うライライ。

 

 ボクはやんわりとした態度で彼女の言葉を否定しつつ、

 

「ううん。実はボクの師匠も、二年くらい前に死んじゃってるんだ。ボクも師匠が死んじゃってすごく悲しかったし、ライライの気持ち、分かるよ」

 

 それは嘘じゃなかった。ライライはお父さんが死んで、実際悲しかったはずだ。その気持ちはきっと、ボクも彼女も同じだと思う。

 

「……ありがとう。優しいね、シンスイは」

 

 そう言って、ライライはにっこり笑ってくれた。普段の大人びた笑みとは違う、少女らしい笑顔だった。

 

 ――う。なんか可愛い。

 

 それを見てギャップ萌え的なものを感じてしまったボクは、少しドキリとする。

 

 少しだが、和やかなムードが戻ってきた。

 

 気分が良くなったボクは、再び小さな急須にお湯を注ぐ。

 

 しばらくして、お湯はお茶となった。

 

 ボクはそれを、自分とライライの茶杯についだ。

 

 互いに茶杯を手に取り、香りを楽しみながら、すするように飲み始めた。

 

「ところで、シンスイの師匠ってどんな人なの? あんなすごい技が使えるんだもの、有名な方なんじゃないの?」

 

 ライライがことさら明るい態度で訊いてくる。

 

「え? ああ、うん。そうだね、有名っちゃ有名かな。多分ライライも聞いたことあると思うよ」

 

「何ていう名前なの?」

 

 彼女の問いに、ボクは何気ない口調で答えた。

 

 

 

 

 

「――強雷峰(チャン・レイフォン)って人」

 

 

 

 

 

 ――ガチャンッ!!!

 

 ライライの手元から茶杯が滑り、卓上に落下。

 

 未だ熱を持ったお茶が彼女の手元にかかり、熱く濡らす。

 

 しかし、ライライの手は、熱に対する反射をピクリとも起こさなかった。

 

「ちょっ、大丈夫!? 火傷してない?」

 

 ボクはびっくりしながらも、彼女のそばに寄るべく席を立とうとした。

 

 ――が、ライライの顔を見た瞬間、ボクの動きが凍てついたように止まる。

 

 ライライはその顔を真っ青にし、信じられないものを見るような目でボクを直視していた。

 

 その両手は感じた熱湯の熱を無視し、真冬の風を受けた時のように震えていた。

 

「…………嘘、でしょ? ……あなたが……そんな…………!!」

 

 その口が、要領を得ない断片的な言葉をつむぐ。

 

「ど、どうしたの、ライライ!?」

 

 ボクはただならぬ事情を感じ、身を乗り出してライライの肩口に触れようとするが、

 

 

 

「――触らないでっっ!!!」

 

 

 

 ――その手を、力強く弾かれた。

 

「……………………え」

 

 ボクはまたしても固まってしまった。

 

 ――明確に拒絶する手つき。

 ――明確に拒絶する言葉。

 ――そして、敵意に満ちた表情と眼差し。

 

 それらを、さっきまで仲良く談笑していた少女が行ったという事実。

 

 ボクはその事実が、未だに現実であると認識しきれずにいた。

 

「…………な、何を……?」

 

 ようやく捻り出せた言葉は、たったそれだけだった。

 

 そして、そんなちっぽけな発言にさえ、ライライは敵意むき出しで喚くように言い返してきた。

 

「うるさい!! 喋るな!! 話しかけるなっ!!」

 

 さっきまでの彼女とは一八〇度違う態度に、未だに混乱が収まらない。

 

 一体どうなってるんだ。

 

 ライライに、何があったんだ。

 

 何か悪いものがとり憑いているのか――そんなバカバカしいことまで考えてしまう。

 

 店内の視線は、すっかりボクら一点に集中していた。

 

「さ、さっきからどうしたのさっ? そんなに急に怒って」

 

「何でもないわよ!! 何かあったとしても、あなたなんかに関係ない!!」

 

「いや、何でも無いわけが――」

 

「おせっかいね!! 関係ないって言ってるでしょ!?」

 

 その物言いに、ボクは大人気ないと分かっていてもカチンときてしまった。

 

「どう見ても怒ってるじゃないか! 怒るのは別に良いけど、その理由を言ってよ! でないとどうしようも無いよ!」

 

 ボクは思わずそうまくし立てる。

 

 次の瞬間だった。

 

 

 

 

 

「うるさいって言ってるのよ!! この――大量殺人者の弟子っ!!!」

 

 

 

 

 

 ――その一言は、決定的だった。

 

 彼女の態度が急変した理由を、ボクは察した。

 

 察してしまった。

 

「……まさか、君のお父さんを殺したのは……」

 

 嘘だ。

 

 そんなのありえない。

 

 偶然にしても出来すぎだ。

 

 信じない。信じたくない。

 

 しかし、ライライは必死に深呼吸しながら、あまりにも残酷な偶然の到来を決定づけた。

 

 

 

「……そうよ。私の父を決闘で殺したのは、強雷峰(チャン・レイフォン)――あなたの師よ」

 

 

 

 ボクはこの時のショックを、多分一生忘れないだろう。

 

 まさしく、運命の悪戯だった。

 

 ――でも、少し深く考えれば、分かる事じゃないか。

 

 ユァンフイさんはこの【煌国】という国全体で考えても、指折りの実力者だ。そんな人を負かすほどの武法士となると、随分と候補が絞られてくる。

 

 そして、その絞られたごく少数の候補の中に名を連ねるのは――達人という言葉さえ可愛く思えるほどの、掛け値なしの怪物たち。

 

 その怪物の中には【雷帝(らいてい)】という通り名とともに全国を震え上がらせた魔人、強雷峰(チャン・レイフォン)の名前も含まれなければおかしいのだ。

 

 何より、あの人は現役時代、名の知れた武法士を決闘でたくさん打ち殺しているではないか。

 

「……その……」

 

 ボクはすっかりおとなしくなり、そして口ごもってしまう。

 

 ボクは、彼女のお父さんを殺してしまった男の弟子だ。どうして非難がましく言い返せようか。

 

 ――謝罪する事だけが、ボクに許された唯一の行為だった。

 

 ボクは席を立つ。そして、ライライの前まで来ると、下げられる限界まで頭を下げた。

 

「……ごめんなさい、ライライ。ボクの師匠が君のお父さんにしてしまった事は、弟子であるボクが謝る。謝って済む話じゃないのは分かってる。許してくださいなんて言わない。でも、謝ることだけはさせて欲しい。――本当に、ごめんなさい…………」

 

 精一杯の謝意を込め、押し殺したような声でそう言った。

 

 頭をめいっぱい下げているため、ライライの顔は見えない。

 

 まだ怒っているだろうか。

 

 侮蔑の眼差しで見下ろしているだろうか。

 

 どちらでも構わない。

 

 どんな悪罵でも八つ当たりでも受けるつもりだ。

 

 しかし、

 

「~~~~~~~~っ!!」

 

 強い憤りを無理矢理飲み込むような唸りが聞こえるとともに、ライライの存在がボクを横切り、遠ざかっていった。

 

「ラ、ライライ、待っ――」

 

「ついて来ないでっ!!」

 

 静止を促すボクの声をバッサリと両断し、ライライは店の出口から外へ行ってしまった。

 

 ボクは店内に取り残される。

 

 他の客も何人かいるはずなのに、まるで陸の孤島にたった一人置き去りにされたような孤独感が襲って来る。

 

 

 

 

 ――ボクは今日、師匠の事をとてつもなく恨んだ。

 


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