一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜 作:葉振藩
起伏の激しい道を通り、荷台で揺られること約三十分。
「もうすぐそこだ」という
その集まりは徐々に大きくなっていき、やがて視界すべてを埋め尽くした。
御者さん曰く、そこが【
寝ぼけ眼だったボクらはすぐに覚醒し、各々の鞄の取っ手を握ってスタンバイ。
馬車は村に入って少しした所で停まった。ボクらは馬車に乗っていた人たちにまとめてお礼を言うと、荷台の後ろから降りた。
御者さんは馬を休ませるため、もう少しこの村にとどまるらしい。
改めて感謝を告げてから、ボクらは彼らと別れたのだった。
この【
その川はいくつもの支流に枝分かれして【煌国】全土に血管のごとく張り巡らされており、各地の村や都市へ水の恩恵を与えている。
【奐絡江】の水の力は人々の暮らしを著しく助けているため、『煌国の血脈』という別名を持つ。
さらに【奐絡江】のもたらした恩恵はそれだけにとどまらない。
船による水上移動によって、余所の都市との連絡や交易が可能となったのだ。
さらにその交易によって行き来したのはヒト・モノ・カネだけではない。数多くの武法も流出した。それによって伝承範囲が拡大したり、違う土地の武法同士が混じり合って新しい流派が興ったりした。つまり【奐絡江】は、武法の発展にも一役買っているのだ。
……さて。説明した【奐絡江】が今のボクらとどう関係しているかというと、この村――【藍寨郷】の位置だ。
【藍寨郷】の斜め上辺りでは、【奐絡江】の支流が二本に分かれている。その二本の支流の又に挟まれた土地の中に、この村は存在するのだ。――より正確には、北側の支流付近にある。
ボクらは馬車と別れた後、その【藍寨郷】を少し歩いた。
中央辺りにある大樹を囲うように、建物がいくつも並んでいる。正直、それほど大きくはない村だ。しかし村中央の広場にある大樹は、大人四、五人が両手を広げてようやく囲えるほどの太さを持ち、どの建物よりも長大だ。確実に樹齢千年は超えているだろう。
見ると、その巨大な幹に頭頂部をくっつけている少年が一人いた。年齢は、おそらく九歳か十歳くらい。
その子は頭頂部――正確には頭頂部の中心にある経穴「
何をしているのか、ボクには一瞬で分かった。
――あれは【
【
しかし【経絡】の広がりは、あくまで【気功術】を使用する準備が整っただけに過ぎない。次に、体内の【気】の流れを感じとる能力を養う必要がある。その能力がなければ、そもそも【気】を操ることなどできないからだ。
そのために【気功術】初心者は、あの修業――【連環功】をやるのだ。
成長した樹は、その内部に良質な【気】をたくさん含んでいる。【連環功】の修行者はその樹の幹に頭頂部をくっつけ、百会穴から吸い取るイメージで樹の【気】を体内へ取り込む。そしてその取り込んだ【気】をイメージの力で足裏にある経穴「
その修業をしているということは、あの子はほぼ確実に武法士であるといえる。
ボクはあの子に、この村にはどんな武法が伝わっているのか訊こうと思った。
だがその矢先、きゅーっ、とお腹の虫が鳴く声が聞こえた。
ボクのお腹ではない。見ると、ライライが赤い顔でうつむいていた。
……そういえばボクら、朝ご飯もまだ食べてなかったよね。
ボクは「そういえば、お腹すいたね」と同調の言葉を送ってフォローする。もっとも、ライライはさらに頬を紅潮させてしまい、全くフォローにならなかったが。
けど、お腹が空いているのは事実だった。
――そういうわけで、ボクらはまず腹ごしらえをすることにした。
それほど大きくはない村だ。なので、店の数も多いとはいえない。その中からジャンルを飲食店に絞ると、さらに数は少なくなった。
その少数から一つの店をアバウトに選び、そこへ入る。
窓際に席を見つけてそこへ座り、全員一番安い素うどんを注文。
約十分少々ほどで、その品が三人分運ばれてきた。熱い赤褐色の汁に太麺が入っており、その上へ少量の刻みネギを乗せただけの簡素な品。わびしく見えるが、これも節約のためだ。それに炭水化物なので、案外これで動くエネルギーになる。
三人同時にいただきますをしてから、食べ始めた。
ボクは空きっ腹にかられるまま、飲み干す勢いで太麺を吸いこみ、口の中で味わう。汁に含まれたダシは麺の中まで染み込んでおり、噛んだ瞬間それが湧き出して口内を醤油に似た味で満たした。空腹という強力な調味料も相まって、中々おいしかった。
ライライもミーフォンも黙々と食べている。太麺をすする音は下品にならない程度の大きさだったが、ボクら以外のお客さんが一組もいなかったので、その音はよく耳に届いた。
料理を運んでくれたおばちゃん――ここの店主の奥さんらしい――は、にこにこと人好きする笑顔を浮かべてボクらの席へ歩み寄ってきた。
「可愛らしい子たちだねぇ。どこから来たの?」
穏やかな声で投げかけられたその質問に、ボクが答えた。
「えっと、【
「まぁ、そんな遠くから?」
「はい。今年の【
おばちゃんは見事に驚きを見せた。
「あらあら、そんな可愛いのに凄いわねぇ。頑張ってちょうだい」
「あ、ありがとうございます」
ボクは少し嬉しい気分になり、軽く会釈した。
「それにしても【黄龍賽】ねぇ……【
「【会英市】?」
初めて聞く固有名詞に、ボクは疑問を表した。
おばちゃんは説明してくれた。
「【会英市】は、この村のすぐ北に流れる川を越えた先にある町のことよ。以前までは寂れかけてたんだけど、十年ほど前にタンイェンさんが来て以来、経済的に活発になったのよ」
「タンイェンさん、って?」
「
おばちゃんはさらに説明を続ける。
「北の川を越えた向こうには【会英市】と【
「なぁにそれ? まるで小国の皇帝ね。聞けば聞くほどヤな奴に思えてくるわ」
ミーフォンのひねくれた意見が飛ぶ。
おばちゃんは苦笑いを浮かべながら、
「タンイェンさんは元々、小さい店の主人に過ぎなかったの。でもある日、お祖父さんから受け継いだ小さな山の中から、結構な量の【
「へぇ。凄いですね、それ」
ボクは割と本気でびっくりした。そんなの、棚ぼたどころの話ではない。
【磁系鉄】とは、この世界にある希少鉱石の一つだ。それも特に貴重な。
色はヘマタイトによく似た光沢の強い鉄黒色。しかしその光沢は、色鮮やかな虹色である。
そして、その最大の特徴は――【気功術】による影響を受けないことだ。
【磁系鉄】は、その周囲に特殊な磁場を形成している。その磁場は【気】の流通を絶縁体のように遮断する性質を持つ。
例えば、【磁系鉄】で出来た刃物があるとする。その刃物は【
それで出来た武器を持てば、武法士との戦いでは相当な強みになるだろう。
しかし、その産出量はめちゃくちゃ少なく、人の手による作成も今のところ不可能だ。なので、相場はなんと金の数倍以上。1
ライライは顎に手を当てて、
「【磁系鉄】か……私は見たことがないわね。シンスイは?」
「小さい頃に一回だけ【磁系鉄】で出来た刀を見たことがあるよ」
「あたしも見たことあるわ。ていうか、ウチに一本だけ純【磁系鉄】製の剣があるし」
ボクは「嘘っ?」と驚く。
「はい。でも宝物扱いされてて、外に出す事は禁止されてますから。正直、宝の持ち腐れです」
「それでもすごいよ。もしそれ持ったミーフォンと戦ったら、勝てるか分からないかも」
「何をおっしゃいます! お姉様の【打雷把】の方が反則的じゃありませんか! それにお姉様相手じゃ【磁系鉄】も所詮付け焼刃です!」
まくし立ててくるミーフォンに苦笑を返していると、おばちゃんは表情に少し影を差し、いくらかトーンダウンした声で言った。
「……でも、タンイェンさんにも結構いろんな黒い噂があるのよ」
「黒い噂、ですか?」
ボクが聞くと、こくん、と頷くおばちゃん。
「裏の世界で有名な殺し屋を私兵として雇ったとか、彼のお眼鏡にかなった娼婦が屋敷に連れて行かれたまま帰ってこないとか、嫌がらせで住人を立ち退かせて強引に土地を手に入れたとか……」
次々と列挙されていく、噂とやらの数々。
だがおばちゃんは途中でハッと我に返った。
「……あら、あたしったら。ごめんなさいね。こんな話、食事処でするもんじゃないのに。それにあくまでも噂だから。本気にしないでね。それじゃあ、ごゆっくり」
おばちゃんは取り繕うように言うと、カウンターの向こう側に立ち去った。
ボクらは少しの間手と口を止めていたが、すぐに食事を再開した。
――
ま、いいか。別に考えなくても。これから帝都へ向かうボクらには関係ないことだ。
唇に挟んでいた太麺を、ちゅるちゅるとすする。
だが、店の出入り口の戸が突然勢いよく開かれたことに驚いたボクは、すすっていた太麺をぷつん、と途切れさせてしまう。
店内に入ってきたのは、一人の若い男。
年齢は二十代前半、もしくは半ばほど。額が少し出る程度の短い髪。その下にはスラッとした鋭い輪郭を持つ、好青年然とした顔立ち。濃紺一色の長袖に包まれた肉体は細見の長身。だがひ弱そうではなく、ほどよく鍛えられて均整の取れた体型。
その男は迷いの無い足取りで店内を移動。
そして、ボクらの席の前へ来た。
彼はそこで立ち止まると、三人のうちの一人――ボクをまっすぐ見つめていた。
その眼差しからは、目を疑うような、それでいてじっくり品定めをするような、なんとも言い表しにくい気持ちが読み取れた。
ボクは噛んでいた麺を飲み込み、
「……あのー、何か用ですか……?」
おそるおそる要件を訊いた。
男はしばらく間を置いてから、ようやく口を開いた。
「……もし間違っていたら申し訳ないが、君は今年の【黄龍賽】本戦の参加者ではないか?」
ボクは思わず息を呑む。
――どうして、彼はボクが【黄龍賽】参加者だと知っている?
しかし、いったん気持ちを落ち着けてから考えると、思い当たるフシはあった。
――もしかして、さっきの会話聞いてたのかな?
ここは窓際だし、硝子越しに微かに聞こえてしまったのかも知れない。
いずれにせよ、バレてるなら無意味に隠しても仕方ないか。まあ、そもそも隠すようなことでもないしね。
「はい。ボクは
「……俺は【
その名乗りを聞いた時、失礼ながらボクは彼の名よりも、その流派の名前に気を取られた。やはり武法マニアの血ゆえか。
【奇踪把】とは、変則的かつ巧みな歩法――足さばき――を得意とする流派だ。
巧妙かつ規則性の無い移動で相手を幻惑し、思わぬ方向からの攻撃で倒す。それが主な戦い方だ。
……まあ。今はそれは置いておいて。
「それで、ボクに何かご用ですか?」
ボクは再び、同じ質問を投げた。
すると彼――ジエンさんはこちらの目を直視し、よく通る声で言い放った。
「――俺と、手合せをしてほしい」
そんな唐突な要求に、一瞬目を丸くする。
だが、すぐに我に返り、
「え、ええっ? い、いきなりそんな事いわれても……」
「伏して頼む。俺は別に果し合いを望んでいるわけではない。ただ、【黄龍賽】に参加する選手がどれほどの実力であるかを、日々鍛錬に精を出す身として少し確かめたいだけなんだ。頼む、少しでいいんだ。俺と手合せをしてくれ」
深く、頭を下げられた。その腰は九十度近く曲げられている。えらくへりくだった態度だ。
そんなジエンさんからは、何か妙な必死さが感じられた。
……なんだか、受けてあげないと悪い気がしてくる。
それに、別段無理を言っているわけではなかった。
彼は果し合いを望んでいないと言った。つまり殺し合いにはならない程度の、技術的交流がしたいのだろう。
――そういうことなら、むしろこっちから願い出たいくらいだった。この村の武法を拝むチャンスではないか。
「あのね、見て分かんないの? 今あたし達は飯食ってるのよ。そんな時に手合せなんて請われても――」
迷惑そうな口調で追い返そうとするミーフォンを片手で制する。
ボクはジエンさんににっこり笑いかけ、告げた。
「――分かりました。ただし、食べ終わるまで待ってくださいね」