一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜 作:葉振藩
正午辺りまで一休みしてから、ボクら三人は【
少数ながら村に停まる馬車を片っ端から調べたが、残念ながら北へ真っ直ぐ進路を取る車両は無かった。
そういうわけで、徒歩による北上が決まった。
【藍寨郷】を出てから北へ少し進んだところに、【
ボクらは現在、広葉樹林の中に真っ直ぐ伸びた道を歩いていた。
無数に伸び連なる広葉樹は、下から上へ放出するように枝葉を広げている。その樹林の一部をごっそり削り取ったかのような土の一本道を、一歩一歩踏み進んでいた。
道の左右の茂みに伸びた広葉樹の葉が重なり合い、木漏れ日の混じった日陰を作っている。そのため、ピークに達した日差しもぬるく感じる。山も谷も無い平坦な道のりも手伝って、快適に進めた。
ボクらの歩く方向は、方位磁針の負極が指し示す方向とほとんど一致していた。
「このまま順調に進めるといいわね……」
ライライがぼそり、と一言こぼした。
ボクは少し苦い顔をして、
「うわ、なんかそれフラグっぽいからやめてよ」
「ふらぐ、って何?」
「へっ? ……い、いや、何でも無いよ。こっちの話」
きょとんとするライライの質問に、ボクはそう適当にごまかした。
いけないいけない。つい地球語を使ってしまった。
でも、しょうがないじゃん。まさにフラグっぽい台詞だったんだから。「俺、この戦いが終わったら結婚するんだ……」っていう台詞と似たような匂いがしたし。
「そ、それよりさ、二人は帝都に行った事あるの?」
ボクは突っ込まれないうちに、強引に話題の方向を捻じ曲げた。
わざとらしい口調だったが、彼女たちは怪訝な顔一つせずに答えてくれた。
「私は無いわね。だから、少しだけ楽しみだったりするわ」
「あたしは何度かありますよ。宮廷の演武会とかで」
ボクはミーフォンの台詞に食いついた。【
「へぇ、もしかしてミーフォンも出たの?」
「いえ、皇帝陛下や皇族の方々の御前で演武をしたのは、ウチの親父とか、師範代とかです。あたしは付き添いで来ただけで」
「そっか」
【太極炮捶】は全ての武法の原型にして、由緒正しき大流派だ。その流派に伝わる技術の数々は、数百年の歴史を経て数多の武法が生まれた現在でも非常に高く評価されている。演武のために宮廷から呼び出されるのもさもありなん、である。
ちなみに演武では、主に【
「そういうお姉様は、行った事ありますか? 帝都」
「うん。小さい頃に何度かね。最後に行ったのは十二歳かな。その時、帝都の武法士たちと結構な回数手合わせをさせてもらったよ」
「それで、結果はどうだったんですか?」
「勝ったり負けたりの繰り返し。その時はまだちょっと未熟だったからね。でも、いろんな武法が見れたから楽しかったよ」
そういえば、その頃に初めて【
それからもボクらは、歩きながら帝都の話題に花を咲かせた。
皇宮はどんな感じだったのか、どんな食べ物があるか、どんなものが売っているかなど。どんな武法が伝わっているかという話題に転じた途端、ボクは思わず凄まじい勢いで言い募ろうとしたが、それをありったけの自制心でストップさせた。オタクの悪い癖である。
まるで遠足や修学旅行前のおしゃべりみたいなノリだった(行った事ないけど)。とても、ボクの武法士生命を賭けた戦いの前の雰囲気とは思えない。
けどまあ、これでいいかもしれない。変に重い空気を作って暗い会話をするよりマシだ。
そんな風に、広葉樹林に囲まれた道を歩いていた時だった。
今歩いている道の右側に茂る草木の奥から、ガサガサと何かが移動する音が聞こえてきた。
その音は徐々に大きくなっている。つまり、音源がこちらへ近づいているということ。
「うん?」
ボクら三人は思わず足を止める。呑気そうな声とは裏腹に、ボクは警戒心を持って身構えていた。
何か動物がいるのかもしれない。それが鹿やタヌキならまだ無視できるが、熊や虎などの猛獣だったとすれば面倒だ。場合によっては対決しないといけなくなる。武法士は猛獣を倒すコツもたくさん知っているが、それでも警戒し過ぎて損をするということはない。
ガサガサと草木をかき分ける音がさらに大きくなる。
やがて、そいつは姿を現した。
「……えっ?」
右斜め前にある木の幹の陰から飛び出してきたのは――人間だった。
服装は上下ともに、肌をぴっちりと覆った黒ずくめ。顔も、目を除くすべての肌を黒布で巻いて隠している。日本の忍者のような格好だ。
明らかに怪しい出で立ちだが――彼の脇腹を濡らしてしたたる真っ赤な血が、ファッションの不審さを無視させた。
「た……助けて…………く……れ」
その男はかすれきった声でそう言うと、まるで支えを失ったように倒れ伏した。
うつ伏せになった彼の脇腹付近に、赤黒い血だまりが広がっていく。
「ど、どうしたんですか!?」
ボクは思わず駆け寄り、彼の隣でしゃがみこんだ。
右手に持っていた鞄を置き、血でぐっしょりと濡れた衣服に触れて体をさする。しかし、全く反応がない。
物言わぬ彼とは裏腹に、その下の血だまりはどんどん拡大していく。
ボクの心中に、とてつもない焦りが生じた。
あまりに突然な緊急事態に頭が混乱するが、その混乱を無理矢理叩き潰して必死に頭を働かせた。
どうすればいい!? この出血の量はマズイ! 今すぐ手当てが必要だ! ――でもどうやって――気功治療――ボクにはできない――【藍寨郷】に戻れば――あそこには病院があった――でももう随分離れてる――町や村にたどり着くまで真っ直ぐ進んだ方が――ダメだ、存在するかも分からないものを頼りになんてできない――事態は一刻を争う――ここは素直に元来た道を引き返して――
ボクは顎に手を当てて思考の嵐を起こしていた。
が、その途中に引っかかりが生じ、思考がストップする。
その引っかかりの原因は、彼を触ったひょうしに手に付いた血の匂い。
鼻を近づけ、改めて嗅いでみる。
血液特有の金臭さが少しもしなかった。
さらに、思い切ってその血を舐めてみる。
――砂糖のように甘かった。
次の瞬間、ボクの右隣を突風が通過した。
「えっ?」
ボクは顔を上げる。見ると、さっきまで倒れていたはずの黒ずくめの男が消えていた。そこにあるのは血だまりだけ。
そして――ボクの鞄もなくなっていた。
ボクは勢いよく後ろを振り向く。
さっきまで倒れていたはずの黒ずくめの男は、ボクの鞄を脇に抱えて逃走していた。さっきまでの瀕死な状態など微塵も感じさせないほど元気いっぱいである。
いち早く飛び出したのはミーフォンだった。
「この盗っ人野郎っ!!」
怒りの声を上げ、黒ずくめを追いかけ始める。
その声で、ボクはようやく我に返る。そして、現状を素早く正確に把握した。
あの血は本物じゃない。何かを混ぜ合わせて作ったニセモノだ。
奴は怪我なんかしていなかった。怪我人だと油断させてひったくりを行う泥棒だ。
それを確信した瞬間、燃えるような熱が頭に宿った。
「待てっ!!」
地を砕かんばかりに後足を瞬発させて、ボクは走り出した。
日頃足の【
だが、ボクの伸ばした手が奴の衣服を掴みそうになった瞬間、その黒い後ろ姿がまた目の前から消えた。
「お姉様! あそこっ!!」
ミーフォンの指差した方向を振り向く。そこには太い枝が四方八方に伸びた、一本の広葉樹。
なんと黒ずくめの男は――その太い枝の一本の上に立っていた。
目ん玉が飛び出そうな気持ちになった。あの一瞬で、あの高い位置にある枝へ跳んだっていうのか。
ボクは戸惑いながらも、次の行動に移した。奴の立つ木めがけて弾丸のような勢いで突っ込む。【
【
が、その揺れる枝葉の中に、黒ずくめの姿は無い。
見ると、奴は一つ前の木の枝に立っていた。
背を向けたまま前の木、前の木、前の木へと、まるでサルのように軽やかな身のこなしで飛び移って遠ざかっていく。
ボクはそれを追いかけながら、あの動きの正体を確信していた。
――あれは【
武法における技術の一つ。全身の関節や【筋】を特殊なコントロール法で動かし、人間にあるまじき驚異的な軽やかさを実現する。その高い跳躍力と軽やかな動きは、奇襲攻撃や尾行、逃走などに使える。もっとも、実戦主義なレイフォン師匠は「あんなもの、ただの大道芸だ」と断じていたが。
【
そしてその飛賊は、今もたまに現れるとのこと。
まさかボクは、その「たまに」を見事に引き当ててしまったのか?
なんて考えている場合ではない。今は奴を――飛賊を追う事だけを考えろ。
多くの木々が不規則な位置に乱立した茂みの中は、まるで迷路のように入り組んでいて、進むために右へ左へといちいち曲がらなければならず、非常に移動がしにくい。それに気を抜くと、地面からせり出した木の根に足を引っ掛けそうだ。
だが地に足をつけていない飛賊は、そんな障害などお構いなしに、ぴょんぴょんと木から木へ跳んでスムーズな速さで逃げていく。
その地の利の差は、両者の間で開かれる距離として徐々に表れていた。
だが、諦めるわけにはいかない。
捕まえないわけにはいかない。
だってあの鞄には、今のボクにとって命と武法の次に大事な――【
ボクと飛賊の追いかけっこは、まだまだ続いた。