一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜 作:葉振藩
その後、ボクは
広葉樹林を抜けてから最初の道を進み、Y字状の分かれ道に差し掛かったところで、ライライたちとは別行動となった。二又に分かれた道のうち右が【
ライライたちはまず寝泊りする場所を探すとの事だったが、ボクは泊まる場所はともかく、二人が自力で食料を調達できるか少し心配だった。帝都へ向かう道中、川魚を取って食料を調達していたのは主にボクだったからだ。
けど、すぐに心配するのをやめる。案外あの二人ならなんとかしてしまうかもしれないし。
それよりも、問題はボクの現状だ。
ボクは【
広葉樹林に挟まれているのは最初の道と同じだが、軌道はくねくねと蛇行していた。方位磁針の負極も、北と東の間を振り子よろしく何度も往復している。
空はすでに夕日のあかね色一色だった。片側の木々の上からぎゃーぎゃーとカラスの絶叫が不気味にとどろき、夕方の肌寒さを一層引き立てた。
そして、心臓も高鳴っていた。
カラスのせいだけではない。さっきからつきまとう一抹の不安も原因だった。
これからボクは、言うなれば売春をしに行くのだ。
セッ…………げふんげふん、男女間の深い行為にはリスクが伴う。
つまりは、変な病気にかかったり、赤ちゃんができちゃったりするかもしれないというリスクである。
地球ならコンドームで解決だが、この世界にそんな素敵グッズはない。
ライライたちにはああ大見得こそ切ったものの、不安が全く無いと言えば嘘だった。
いつもなら、あの二人のうちのどちらかに甘えれば大抵の不安は軽くなったが、今はそれはできないし、許されない。
なんだか、人が恋しかった。誰かと話したい気分。
しかし、今一緒にいるのは、あの憎き
……正直、あんまり気が進まない。
けれど、沈黙を保ったボクらの間にある空気は重苦しく、居心地が悪かった。
このままだと、不安が助長されそうだ。
なので、正直癪だが、軽く声掛けくらいはしてみようと思った。
「あ、あの……」
「何?」
あからさまに嫌そうな返事を返される。
うわ、なんか早速ムカつく。
けど我慢し、即興で話題を組み立て、次の話へと連結させた。
「……
「だったら何なわけ?」
まとわりつく虫を払うようなぞんざい口調。
やっぱりムカつく。ただただムカつく。
もうヤダ。ここでリタイアする。こいつはきっと人をムカつかせるために生きてるんだ。話したって気が紛れるどころか胃がムカムカするだけだ。
彼女だって、別にボクなんかと話したくはないんだろう――
「……というか、その
――と思っていた時、彼女の方から話を繋げてきた。
「じゃあ何て呼べばいいのさ」
「好きにすればいいじゃない」
やはり素っ気ない言い方。
しかし、少しだが会話らしくなってきた。
「で? さっきの質問にはどういう意図があったのかしら」
ボクはまた即興で台詞を考え、それを口に出した。
「いや……【会英市】にはどんな武法が伝わってるのか興味があって」
リエシンはふんっと鼻を鳴らした。
「もしかして、私の武館を襲撃しようって考えかしら。でも残念。私たち【
なんていうか、相当ヒネてるよねこの娘。まあ、彼女の武館を攻めようと一瞬考えたことがあるのは事実だけど。
「……正直、あまり知らないわ。まだ私は武法を学び始めて間もないし、そもそも武林の事情なんてどうでもいいし」
おおっ。意外と真面目に答えてくれたぞ。
しかし、少し気になる台詞が含まれていた。
「武林の事情に興味がないの?」
その問いに対し、リエシンは呆れ気味に溜め息をつき、
「あるわけないじゃない。私の家は貧乏なのよ。武法を学ぶのは、将来、武で身を立てるために過ぎないんだから。今の武館に入るまでは大変だったわ。現ナマで稽古代が払えないから、どこの武館でも門前払い食らったし。その果てに、モノでの支払いを許している今の武館に流れ着いたってわけ」
「……君、武法が好きじゃないの?」
強い憧れと興味から武法を始めたボクからすれば、リエシンの武法に対するスタンスは随分とドライなものだった。
それを素直にぶつけると、リエシンは深くうつむいた。
かと思えば全身をブルブルと震わせ、そして――爆笑した。
「……ふふふっ、あっははははは!! やだ! 私分かっちゃったわ! 貴女、相当なお嬢様でしょう?」
突然はじけた笑い声にびっくりしながらも、ボクはゆっくり答えた。
「まあ、多分、世間一般的に言えばお嬢かも……」
「やっぱり! すぐに分かったわ。だって――「好きかどうか」なんて綺麗事を真顔で吐かしているんだもの」
そう口にしたリエシンの声は、皮肉と揶揄に尖っていた。
ボクを見る目も、さっきまでの無感情なものではなくなっていた。軽蔑と、怒りがくすぶったような眼差し。
その変化に、ボクは戸惑いを隠せなかった。
「好きか嫌いかで進む道を選べるのはね、貴女みたいな温室育ちだけなのよ。好き? 夢? 生き甲斐? はっ、笑止だわ。そんなもの、恵まれた人間にしか持つことを許されない贅沢な嗜好品なのよ。酒や薬物並みにタチが悪い類のね」
口に入った砂利を吐き出すような口調で、リエシンは言い募る。
その台詞に反感を持ったボクは、負けじと言い返そうとした。
「そんなこと――」
「あるのよっ!!」
が、ヒステリックに叫ばれたリエシンの一言に一刀両断される。
胸ぐらを勢いよく掴まれた。
「私の母はとっくの昔に借金を返し終えてる! なのにその後もずっと【甜松林】で男の相手をして金を稼ぎ続けてた! それってつまりそういうことでしょう!? 借金を返した後も、生きていくためには金が必要! 何の特技も持たなかった母は、結局体を売り続けて生きるしかなかったってことじゃない!! 違う!?」
「それは……」
「結局、恵まれていない人間は、自分の体や矜持を傷つけながら生きるしかないのよ! そこに好き嫌いを差し挟む事は甘えの最たるものだわ! 貴女みたいに好き嫌いで生き方を選ぶような甘ったれた人間が、私は一番腹立たしいのよ!!」
鬱憤をぶちまけるように言葉を放つと、リエシンは息を切らせて両肩をしきりに上下させた。
彼女はそこでハッと我に返る。そして、何かを後悔したような顔をすると、ボクの胸ぐらから手を離し、顔を見せまいと素早く身を翻した。
「…………とにかく、貴女に今更選択の余地なんて無いのよ。【吉火証】を取り戻したかったら、死ぬ気で役目を果たすことね」
リエシンはまるで捨て台詞のように早口で言うと、すたすたと早歩きで先に行ってしまった。
ボクは拒絶的な、それでいて寂しげな雰囲気をかもしだす彼女の後ろ姿を、しばらく呆然と見つめていたのだった。
天蓋のように真上を覆っていた枝葉はすでに無く、夕空が露わとなっている。道の両脇に生えた木々の枝葉が、道を進むにつれて短くなったからだ。
大きな荷馬車三台が、蹄と車輪の音を荒々しく立てて横切った。大量の荷物を積んだ荷台は全て同じ外観だった上、三台とも一列上の軌道を保ったまま走っていた。おそらく、あれらは全て同じ業者の雇った馬車だろう。
あれだけの数の物品を取り扱うに足る町が、この先にある事の証拠。
つまり、ここから遠くない場所に【会英市】があるということ。
「……ミーフォン」
後ろを付いて歩いていた
――言いたいことは分かっている。
先ほどシンスイと触れ合った唇を、指先で軽く触れて撫でる。
力づくで唇を奪うという雄々しい行為に、自分は羽が生えて飛んでいきそうなほどの幸福感を覚えた。もう死んでもいいとさえ思った。
しかし、それと同時にもう一つ、感じたことがあった。
それは――シンスイの「覚悟」だ。
あの接吻は自分への愛情ゆえのものではなく――非常に残念ながら――、男に体を蹂躙されるという最悪の結果になる事に対しての覚悟かもしれない。
初めて見て会った男に純潔を捧げるくらいならば、知っている誰かにあらかじめ捧げてしまおう。そんな前向きでもあり後ろ向きでもある覚悟の現れなのかもしれない。
正確な真意は分からない。だが、いずれにせよ【
愛情のこもっていない、空っぽな接吻。
けれど、あの時の事を思い出す。
そこらの男よりもたくましい腕力で強引に胸の中へ引き寄せられたかと思った瞬間には、まるで顔ごとぶつかるような勢いで唇を奪われていた。――その映像は今なお鮮明に脳裏に残っている。追憶するたびに女としての本能的幸福感が天井知らずに湧き上がり、下腹部の辺りが炉のように甘い熱を持つ。
――正直、自覚はある。自分が彼女に抱く愛情が普通ではない事を。
でも、それでも確かに自分は彼女を慕っているのだ。
なら、その慕う相手のために、自分が今できることは何だろうか?
その答えはいたって簡単だ。
ライライもまた、自分と同じ答えを持っているはず。そう確信して疑わなかった。
ミーフォンは剣を鞘から抜くような鋭さで身を翻し、力強く言った。
「――見つけるわよ。あたし達の手で【吉火証】を」
ライライは少しも驚きはせず、ただ鋭く頷きを返したのだった。
しばらく進むと、長く緩やかな上り坂に差し掛かった。すでにその頃、夕日は西の彼方へなりを潜めつつあった。夜の始まりだ。
ボクとリエシンはそこを登りきり、頂天にたどり着く。
そこから長く続く下り坂の先に、小さな建物群が見えた。
小奇麗な建物が九割を占めるその建物群は、無数の灯りが寄り集まって出来たきらびやかな輝きを発し、自己の存在を夜闇の中でアピールしていた。その周囲は築地塀にも似たデザインの高い塀によって四角形に囲われており、唯一の出入り口はその四角形のうちの一辺に建てられた、無駄に豪壮な正門のみ。その重そうな門は、左右に開け放たれていた。
リエシン曰く、あれが【甜松林】であるとのこと。
正門の前に着くなり、リエシンは「私は【甜松林】の近くで常に待機してるから、何か用があったら呼びなさい」と言い、ボクの背中を押して正門をくぐらせた。彼女とはそこで別行動となった。
門をくぐった先に広がっていたのは、まさしく別世界だった。
赤を基調としたデザインの派手な建物が、大通りの両側にズラリと並んでいる。さらに、おびただしい数の灯篭や行灯が町のあちこちに設置されており、夜なのにまるで昼間のように明るかった。おそらく、夜の【
道のあちこちには、かなり際どい格好をした綺麗なお姉さんが多数。懐いた猫のような艶っぽい仕草で道行く男にしなだれかかり、自分の店に寄らないかと甘く誘っていた。
そして、時折近くの建物の中から響く、悩ましい嬌声。
さっきまでの静かで暗い山道とは一八〇度変わった空間。もう一度異世界に来たような錯覚に陥りそうになった。
いや、そもそもこの町を囲う塀は「【甜松林】は外界とは違う世界だ」と思わせるための配慮らしい。外の世界のしがらみや苦労をここでは忘れ、全力で女遊びに精を出せるように、というサービス精神からの。
……とうとう来た。来てしまった。
これからボクはこの町で娼婦になり、タンイェンのハートを射止めるために働くのだ。
リエシンのお母さんの身体的特徴は事前に聞いていた。娘(リエシン)と同じく、右目の下に二つ隣り合わせた泣きぼくろがあるとの事。なんとシンプルで判別しやすい特徴だろうか。
あとは、タンイェンに上手く取り入ればいい。
よし、これから頑張って――
頑張――
「――れるわけねー……」
ボクはガクン、とうなだれて落胆した。
そりゃそうだ。確かにボクは元男。普通の女と比べて、男に肌を晒す事への精神的苦痛は少ない。それは嘘じゃない。
でも――全く抵抗が無いわけではないのだ。
ていうか、かつて男だった事を強く意識した上で考えると、生理的嫌悪感が否めなかった。元々男だったのに、男とキスしたり、アレな事したりとか、どんな罰ゲームだ。ボクはノーマルなんだよちくしょう。
だが、くじけそうになった心を、強引に奮い立たせる。
弱気になっちゃダメだ。全ては【吉火証】のため。それを取り戻さないと、ボクは父様管理の下、地獄の勉強漬けの毎日となるだろう。
大丈夫。なんとかなる。ボクはこう見えて、いざという時は頭が回るのだ。何が何でも自分を守りながら、タンイェンをメロメロにしてやる。
「――よし」
ようやく立ち直ったボクは、地をしっかり踏みしめて歩き出した。