一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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見出されたそれぞれの終点(ゴール)

「ほら、早くしな慧莓(フイメイ)。とっとと行かないと他の子に先越されちまうよ」

 

 廊下をつかつかと早歩きする神桃(シェンタオ)さんの後ろを、ボクはおっかなびっくりな歩調でついていく。

 

 ボクたち二人は今、本館の入り組んだ廊下の中を移動していた。途中途中で直角の曲がり角になっており、壁には同じようなデザインの片開き戸がいくつもついている。これらは全て、客と娼婦の逢瀬のための部屋である。

 

 ボクはまだ本館の中の道順に慣れていない。なので神桃(シェンタオ)さんの後姿に金魚のフンよろしくひっついて歩くしかなかった。 

 

 さらに、ここは逢瀬部屋が集中する場所だ。つまり、耳が付いていれば客と娼婦が"行為"に及ぶ音が否応なしに聞こえてくる。現に今も、そこらじゅうのドアの奥から甘ったるい声や息遣い、そしてリズミカルな(ベッド)の軋み音がこちらまで届いていた。

 

「!?」

 

 ボクは真っ赤になって神桃(シェンタオ)さんの服にしがみつく。情けない話だが、こういった状況には未だに免疫が無い。知識はそれなりに身につけたが、実物を前にするとこうなのである。

 

「なぁに生娘臭い反応してんだい。つーか、歩きにくいから離れな」

 

「お願いです、せめて大広間に着くまでの間こうさせてください…………」

 

「……はぁ。こいつぁ先が思いやられるねぇ」

 

 嘆息が聞こえた。

 

 以降、彼女がボクを袖にすることはなくなった。

 

 二人三脚よろしく神桃(シェンタオ)さんと足並みを合わせ、廊下をあみだくじのようになぞり歩いていく。

 

 壁に取り付けられた行灯が規則正しく並んで廊下を照らしている。明度はさほどでもない。ただ「照らしている」だけのほんのりした明るさ。なんだかぼんやりした気分になりそうだった。

 

 だが、やがてその薄暗さに慣れた目を、強い光が舞い込んで刺激した。

 

 二、三度まばたきして目を調節し、改めて前を見た。

 

 廊下から出てきたその部屋は、壁と天井がこれまでより大きく開けた広間だった。光を発している行灯の数も他の部屋の比ではなく、まるで昼間のように明るい。それによって十分すぎるくらい明らかになっている内壁、椅子やテーブルなどの調度品は、どれも煌めかんばかりに豪華な装いであった。さすがは高級娼館といったところか。

 

 そしてその部屋にいる人の約八割は、誘うような際どい服装の見目麗しい女性だった。彼女たちは数少ない男性の周囲へしなだれかかるようにして集まり、色気のある表情で口々に「あたしはどう?」「買ってよ」「退屈させないわよ」「今晩で百回イカせてあげるわ」などと言っていた。

 

 そう。ここは、客がその日の夜を共にしたい娼婦を選ぶ場所だ。客用の出入り口を入ってすぐの所にこの空間は広がっている。

 

 見ると、来ている男性客は皆等しく立派な装いである。なんというか、お金持ってそうな感じ。

 

 少し考えて、むべなるかな、と思えた。ここは高い女揃いの高級娼館だ。やって来る客層も自然と高給取りに限られる。

 

 そして、その客の中で、一際周囲に群がる娼婦の密度の濃い男が一人。密集する女たちの僅かな隙間から、なんとかその外見を視認することができた。

 

 見た感じの年齢は四十代後半ほど。獅子のタテガミのように逆立った髪に、精力と老獪さを感じさせる厳つい面構え。鼻の下には和製男爵を彷彿とさせる濃い口ひげがたくわえられている。簡素な作りながらも清潔さと高級感に溢れる、紺色の長袖長ズボン。特に襟を詰めて綺麗に着こなされた上着はちょうど良いサイズであり、内包する太い腕と鳩胸を顕示している。

 

 まさしく海千山千の男盛りといった印象。

 

 隣に立つ神桃(シェンタオ)さんも、ボクと全く同じ対象へと視線を送っていた。彼女に張り付いた表情は、緊張と敵意。

 

 そんな様子から、ボクは察した。視線だけを隣の美貌へ移し、

 

「……もしかして」

 

「そうさ――野郎が馬湯煙(マー・タンイェン)だ」

 

 ボクはもう一度、その男を見た。

 

 ……あれが馬湯煙(マー・タンイェン)

 

 今回の計画のターゲット。

 

 ボクが買われないといけない相手。

 

 何が何でも落とさないといけない男。

 

 ――こうして出会う事はずっと覚悟していた。

 

 けれど、いざ本番となってみるとどうだろう。足が陶俑(とうよう)のごとく固まって動かない。呼吸も自然と胸呼吸になっていて少し息苦しい。

 

 緊張しているのだ。

 

 ボクはそんな自分の肝の小ささに腹が立った。どうしてこんな時に限ってアガるんだ。本番にはそこそこ強い自信があったはずなのに。

 

「なに突っ立ってんのよ、このお馬鹿っ。早く行きな。でないと他の奴が買われちまうよっ」

 

 神桃(シェンタオ)さんがボクの脇腹を肘で小突きながら、ボリュームを下げた声でそう叱責してくる。

 

「で……でも……まだ三日しか教わってないですし……まだ準備が不十分な気が……」

 

 いつものボクらしからぬ、見苦しい言い訳が勝手に口元から漏れ出した。

 

 彼女はそんな弱腰なボクの頬っぺたを両手で挟み込み、顔を間近に肉薄させてささやくように言ってきた。

 

「大丈夫よ。今のあんたなら出来る。三日だろうが数時間だろうが関係ない。あんたはこの『傾城(けいせい)』から衣鉢(いはつ)を継いだんだ。成功を保証する理由はそいつで十分さね」

 

 甘い吐息が鼻腔をつつく。鼓舞の言葉が耳の奥を揺さぶる。

 

 ――そこまで言われたら、さすがにジッとしてはいられない。

 

 もしここで棒立ちを続けてタンイェンを逃がしたら、この人はボクに憤り、そして蔑むだろう。「何しにここに来たんだ」と。

 

 どうせ遅かれ早かれこうなるって分かってたんだ。なら、今ぶつからないでどうする。

 

 何より、【吉火証(きっかしょう)】がかかってるんだ。

 

 ボクは腹を括り、背筋を針のように伸ばして意気込んだ。

 

「――はい。行ってきます!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 馬湯煙(マー・タンイェン)は周囲に広がる情景を見るともなく見ていた。

 

 自分の全方位を囲んでいるのは、密度の濃い美女の林。

 

 豆腐のように白く柔和な肉体の感触が、男の正気を削る女の香りが、五感を圧する。

 

 美女たちは皆等しく、期待と媚びの感情を(かんばせ)に表し、自身の雌としての魅力を淫靡な言葉と仕草で示してきていた。

 

 普通の男の眼から見れば、まさにご馳走攻めだろう。

 

 しかし、幾度もこの風景を目にしているタンイェンからすれば、何も面白みがない。

 

 美しい者に、見慣れてしまったのだ。

 

 さらにその美女の中でも、垢抜けた者とそうでない者の区別を冷静に付けられるようにさえなった。

 

 容姿の美しい者だけになれば独り身はいなくなる、と言っていた者に覚えがあるが、それはあまりにも頭の悪い考え方だ。仮に醜男と醜女が根絶され、美しい者だけが世界に残ったとしても、その美しい者たちの中で再び美醜の格付けが始まるだろう。「天は人の上に人を造らず」という綺麗事は結構だが、人間が自分の上下を作りたがる愚かな生き物であるという事実から目を背けるべきではない。

 

 所詮、ヒトも獣も本質的には一緒なのだ。上下関係や、支配者の君臨する群れを形成せずにはいられない性質。どうあっても平等足り得ない「呪い」にかけられた存在である。

 

 そして自分は【会英市(かいえいし)】、そしてこの【甜松林(てんしょうりん)】というヒトの群れに事実上君臨する雄獅子だ。"購入"した女の連れ帰りは通常認められていないが、自分だけは慣習法的な形でそれを許されている。自分だからこそそんな事がまかり通るし、周囲も文句を言わない。

 

 ここへは久しく来ていなかったが、久々に「趣味」に打ち込みたいという衝動的欲求を抱き、今宵足を運んだ。

 

 ――さて、今日は「どれ」にしようか。

 

 タンイェンは目を凝らし、美肉の林を視線で物色する。

 

 最も懇意にしている用心棒曰く、自分の好む女の種類には偏りがあるとのこと。

 

 なんでも、柔らかそうな雰囲気を放つ女ばかりを買う傾向が強いらしい。

 

 正直、そう言われるまで自覚はしていなかった。自分を一番近くから見ていただけのことはある。

 

 柔らかく、甘い空気を漂わせている女を(とこ)へ叩きつけるように押し倒し、その瑞々しい肢体という名の果肉へ爪を突き立てる。未踏の花畑に泥まみれの靴で踏み入るがごとき所業。思い浮かべるだけで原始的征服感が満たされる光景だ。

 

 そんな事を考えながら、まるで玩具箱を漁る気持ちでひたすら娼婦を探る。

 

 しかし、中々琴線に引っかかる女が見つからない。

 

 全方位へ視線を巡らせても、同じだった。

 

 ――早くも興が醒めそうになる。

 

 しばらく来ないうちに、この店は「品揃え」が悪くなったのではないか。

 

 だが、せっかく労力を使って屋敷からここまで来たのだ。もう少しだけ物色を続けよう。そのためにまずこの周囲の女たちを追い払ってしまおう、と考えた――その時だった。

 

「ちょっ……アンタ、何よ、押さないでよっ」

 

 そんな鬱陶しげな声とともに、女たちの塊の一部にもぞもぞと隙間が広がった。

 

 その隙間は密集する人垣を分け入るように手前へ移動してくる。近づいてくる。

 

 やがて、タンイェンの目の前の人垣の間に割れ目が生じ、

 

「――ぷはっ。や、やっと抜けられたー!」

 

 そこから、一人の少女が湧き出てきた。

 

 ふんわりと広がりを見せた長い髪。大きな瞳に、桜色の口紅が塗られた唇。体の線を奥ゆかしく隠すように着こなされた、大きめの連衣裙(ワンピース)。そして、こちらの鼻腔を優しく撫でる桃の香り。

 

 若干の幼さこそ残るものの、かなりの美少女だった。

 

 以前ここに来た時、このような娘はいなかった。そう断言できる。一度見たら忘れられないくらいの上玉だからだ。

 

 おそらく、新しくこの店に入った娘だろう。

 

 少女はすがるような眼差しをこちらへ向け、言った。

 

「ボ――わたし、慧莓(フイメイ)っていいます! もしよろしければ、わたしを買ってくださいませんかっ?」

 

 何の修飾もされていない、愚直に要求を伝える台詞だった。

 

 タンイェンが返事に窮していると、

 

「ざけんじゃねーわよ、ちんちくりん! アンタ何様っ!? ずっと神桃(シェンタオ)のでかいケツに隠れてたくせに、こんな時だけしゃしゃり出てきやがってよ! ウチらの稼ぎの邪魔すんじゃねーよ、殺すぞ!」

 

 女の一人が少女の胸ぐらを掴み上げ、汚物を吐きかけるように痛罵した。

 

 それに同調し、その他の女も罵詈雑言を浴びせかける。どういうわけか新入りの少女は、他の娼婦から大層嫌われている様子だった。

 

 タンイェンは露骨に眉をひそめた。実に醜い光景だ。こんな様ではせっかくの美貌と装いも台無しである。黙って男に媚びる事のみへ集中していれば可愛げがあるものを。

 

 そう思いつつ、胸ぐらを掴まれて狼狽える少女へ視線を戻す。

 

 それにしても、かなりの美少女だ。わざわざ化粧でめかしこまずとも、光らんばかりの美しさを発揮するとはっきり分かるほどの。

 

 しかし彼女に施されたその装いは、決して邪魔にはならず、生来の美しさをさらに引き立てて高める見事な仕上がりであった。その装いを仕立てた者は、よほど女の魅力の出し方を知り尽くしている人物のようだ。

 

 控えめな桃の香りとともに、綿毛のように柔らかな雰囲気、そしてその中に内包された色気という名の針が伝わってくる。

 

 タンイェンの心の中の「何か」が刺激された。

 

 途端、下腹部から頭頂部へ、ぞわぞわとした高揚感のようなものがせり上がってきた。

 

 ――今回の「材料」は、この娘にしよう。

 

 生唾の嚥下に付随させる形で、そう決めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 とっぷりと夜闇が地上を塗りつぶしているが、遮るもの一つない満月が淡く燐光を降らせているおかげで、灯りには困らずに済んだ。

 

 【会英市】の街路を数分歩いた末、二人はその場所へたどり着いた。

 

「……ここね」

 

 眼前にそびえるように構えられた木の門を見て、ミーフォンは誰かに確認を取るように呟いた。

 

 背の高い煉瓦造りの塀によって四角く包囲された、広場と、その奥にある小さな建物。ミーフォンともう片方のライライは、その正門に二人横並びで立っていた。

 

「ええ。町の人から聞いた通りに進めたなら、ここで間違いないはずだわ」

 

 ライライが両腕を組み、静かにそう言った。

 

 ここは、この町で唯一【龍行把(りゅうぎょうは)】を教えているという武館だ。四角形に広がった町の北西側の直角を起点に、南東へ約50(まい)進んだ位置という、なんとも分かりにくく目立ちにくい場所にその建物はあった。盗みを働く陰気な連中にふさわしい立地条件である。

 

 疑惑の眼を一度【奇踪把(きそうは)】から【龍行把】へ変更させた二人は、善は急げとばかりに早速【龍行把】の武館を探し、そしてここまで到着した。そこへ到るまでには対して労力はかからなかった。何せ町の人に道を聞き、教わった方向へ向かって歩くだけだったから。ちなみにこの【会英市】の大通りの中心には、方位磁針をかたどった石像が置いてある――馬湯煙(マー・タンイェン)が作らせたものらしい――ため、方角の割り出しにもさほど難儀せずに済んだ。

 

「まさか盗っ人一味を探して、【道王把(どうおうは)】の連中と関わる事になるとはねぇ。これでこの武館がクロだったら、連中をぶちのめす理由が一つ追加されるわ」

 

 それなりに年季の入った木造の門構えを睨みながら、ミーフォンは指をパキパキと小気味よく鳴らした。

 

 ライライはこちらを少し困ったように見つめて言った。

 

「……そういえば【太極炮捶(たいきょくほうすい)】と【道王把】って、仲が悪いんでしたっけ」

 

 その言葉に、ミーフォンは沈黙という是で答えた。

 

 彼女の言うとおりだ。【太極炮捶】と【道王把】は、流派同士の仲が良くない。

 

 特に【太極炮捶】宗家である(ホン)一族の武館と、【道王把】総本山である【道王山(どうおうさん)】は、永きに渡って険悪な関係を保ち続けている。両流派の過去の門人は、相手方の門人を十数人は殺しているのだ。一門同士の争いがいつ起こってもおかしくないくらいである。

 

 相手が【龍行把】かもしれないと分かった時、ミーフォンのやる気はさらに増した。

 

 もしもこの武館が本当に連中の本拠地だったなら、シンスイから【吉火証】を盗んだ怒りに、さらに先祖代々の怨恨も追加してぶちかましてやろう。そう心に決めた。

 

 ミーフォンとライライは、無言で互いの格好を確認しあう。

 外套のようにゆったりとした長袖、足首にまで丈が届く(スカート)。長い後ろ髪は両耳の下から伸びる二本の三つ編みにまとめられている。伊達眼鏡を着用済み。

 念のため、自分の身なりも再確認。服装は群青色の連衣裙(ワンピース)。髪型は後頭部で束ねられた馬尾巴(ポニーテール)。ライライとお揃いの伊達眼鏡。

 

 ――変装の準備は完了。

 

 いざ、突入。

 

 ミーフォンが前に出て、門を拳でトントンと数回叩く。

 

 叩いてから約十数秒後、門がゆっくりと片開きした。

 

「何か用か?」

 

 開かれた一枚の戸から、見知らぬ男が一人姿を現した。

 

 ミーフォンは少し緊張しつつも、それをおくびにも出さず、にこやかに尋ねた。

 

「あのー、すみませーん。私たちぃ、徐尖(シュー・ジエン)って人に御用があるんですけどー、いらっしゃいますかー?」

 

 いかにも頭の中空っぽな女っぽい喋り方。名演技だと思った。これなら警戒などまずされまい。

 

 そして、今の質問をされた後のこの男の反応が、全てを決する。

 

 ――徐尖(シュー・ジエン)を呼びに行けば、ここが正解。

 ――「今はいない」と答えれば、同じくここが正解。

 ――「誰だそれは?」という反応をされたら、ここは違うということになる。

 

 固唾を呑んで、次の答えを待つ。

 

 ほんの数秒の待ち時間が、数時間にも感じられる気がする。

 

 そして、

 

 

 

「――――今呼んでくるよ。ちょっと待っててくれ」

 

 

 

 ミーフォンは大当たりを引いた。

 

 ここだ。

 ようやく見つけた。

 ここが、リエシンの武館だ。

 一日千秋の思いで待ち続けたこの瞬間が、とうとう訪れた。

 自分の仮説通り、連中は【奇踪把】ではなく【龍行把】だったのだ。

 

 自分を強く拘束する何かから、ようやく解き放たれた気分になった。

 無限に続くかと思っていた迷路から、ようやく脱出できた気分になった。

 ずっと抜け出せなかった泥沼から、ようやく抜け出せた気分になった。

 

 しばらくして、さっきの男が長らく探し求めていた人物、徐尖(シュー・ジエン)を連れてきてくれた。こちらの正体に気づいていないためか、警戒心の欠片も感じられない顔だった。

 

 その顔を、すぐに苦痛で歪めてやる。

 

「――俺が徐尖(シュー・ジエン)だが、何用か?」

 

 真顔でそう訊いてくる盗っ人に対し、ミーフォンはことさら明るく告げた。

 

「はいっ! えっとですねー………………――――――――死ね」

 

 刹那、二つの衝撃が同時に爆ぜた。

 ライライの放った鋭い前蹴りが男の腹をえぐり。

 ミーフォンの振り下ろした鉄槌のごとき頭突き【黒虎出林(こっこしゅつりん)】が、ジエンに"柔らかく"直撃した。

 

 不意打ち同然に蹴りを受けた男は門の奥に広がった広場へ飛んでいき、尻から着地。その後も止まらずゴロゴロと後転していき、やがて広場の最奥にある小さな小屋の外壁に背を預けた。

 ジエンも前述の男同様、背中から大きく吹っ飛んだ。しかし、着地はしっかりと両足で行い、根を張るように地を踏みしめて残りの慣性も殺しきった。飛距離は、前述の男の半分以下だった。

 

 ミーフォンとライライは、武館の中へ足を踏み入れる。

 

 広場にちらほら立つ門人たちの視線は、こちらへ釘付けだった。

 

「……なるほど。どうやら歓迎できる類の客ではないようだ」

 

 ジエンが低く、尖った声で言う。胸の前に出された両腕は、まるで小麦粉の生地を捏ねている途中で止めたかのような手つきだった。

 

 ミーフォンは舌打ちする。おそらく腕の円運動による【化勁(かけい)】で威力を"溶かした"のだ。どうりで手応えがなかったわけだ。

 

「盗っ人風情に歓迎されたくはないわよ」

 

 そう言って、ミーフォンは伊達眼鏡を脱ぎ捨てる。ライライもそれに倣う。

 

 はっきりと露わになったこちらの素顔を見て、ジエンは瞠目した。

 

「まさかお前たちは……李星穂(リー・シンスイ)と一緒にいた……」

 

「ご名答。あんたたちのガメた【吉火証】を返してもらいに来たわ」

 

 それを口にすると、周囲の門人たちの放つ雰囲気がガラリと変わった。突然の闖入者に対する困惑から、流派の敵への警戒心へと心境を変化させたようだ。

 

「なぜ、我々が【奇踪把】ではないと見破れた?」

 

「さあね。教えるの面倒くさいし、そもそも教える義理もないし。とりあえず、とっとと【吉火証】返してくれない? 今ならまだ"少し"痛い目を見せるだけで済ませてあげるわよ」

 

 ジエンの問いをすげなく流し、【吉火証】を寄越せと手のひらを差し出した。

 

「……申し訳ないが、李星穂(リー・シンスイ)にはもうしばらく働いてもらう。リエシンのため、今回の計画を成功させるには、あの少女は欠くべからざる重要な存在だ」

 

 ――どこまでも勝手な事を吐かしやがる。

 

 ミーフォンの心中から、情けの一切が消滅した。

 

「……上等よ。なら、死になさい(・・・・・)

 

 比喩ではなく、その言葉本来の意味のつもりで口にした。

 

 こんなに頭にきたのは、いつ以来だろうか。

 

 敵はこちらの殺気を感じ取ったのか、テキパキと立ち位置を整え、構えを取った。まるで種類の違う花々のごとく、色々な構え方が連なりを見せている。

 

 見ると、二人の入ってきた門がいつの間にか閉じられており、さらにそこまでの道のりを遮る形で門人たちが待ち構えていた。

 

「行くわよ、ライライ。ここまで来てもまだ「穏便に解決を」なんて言わないわよね?」

 

「……ええ。元々こちらは被害者なのだから、取り返そうとする権利があるわ」

 

 二者の意見が今、完全に一致した。

 


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