一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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大立ち回り

 幾本もの視線が交錯し合い。

 幾本もの足が激しく靴跡を刻み。

 幾本もの銀閃が虚空を絶えず駆け抜ける。

 

 時折空間に響き渡る、鉄と鉄を叩き合わせる甲高い音。現在も鉄棍と片刃が激突し、野鳥の鳴き声にも似た金属音が鳴った。水の波紋のように部屋全体へ波及し、やがて空気中に溶ける。

 

「くっ!」

 

 眼前の男の斬撃を弾き返した紅蜜楓(ホン・ミーフォン)は、その反動に押されて数歩たたらを踏んだ。

 

 両足で床をしっかり踏みしめ、重心の均衡を取り戻す。しかしその時すでに、後方に立っていた敵が片手を前へ振り、握られていた革製の鞭を鋭く飛ばしていた。

 

 鞭はミーフォンの鉄棍へあっという間に巻きつく。そのまま鞭使いは素早く退歩。重心を後ろへ移動させ、その勢いをもってミーフォンの小柄な体を引っ張り込んだ。

 

 ミーフォンは面白いほど軽々と引き寄せられた。――当然である。彼女が自らすすんで近づいたのだから。

 

「ごぁっ!?」

 

 呻きがこちらの耳朶を打った。ミーフォンは肘を先行させながら接近し、鞭使いへ激突したのだ。得物である鞭を残し、勢い余って後ろへ転がっていった。

 

 鉄棍に未だ巻きついたままの鞭。彼女はそれを即座に抜き取ると、端を持つ。そして、前から向かって来ている敵の足元めがけて薙ぎ払った。革の鞭がその敵の足首に食らいついたのを確認すると、先ほどの鞭使いに倣う形で後足を退き、勢いよく自重を譲渡――引っ張った。

 

「ちょっ待っ――わっ!」

 

 案の定、その男は一度つんのめってから、大広間(ホール)の天井を仰ぎ見るように傾いていく。後ろを歩いていた仲間も盛大に巻き込んで、まとめて将棋倒しとなった。

 

 積み重なった数人の塊を、ミーフォンは数歩助走をつけてから飛び越える。放物線の軌道で、人の塊の向こう側に立つ男へ接近。やってきた刀のひと薙ぎを鉄棍の真ん中で受け止め、落下と助走の慣性を乗せた跳び蹴りを叩き込んだ。潰れたような呻きをもらし、床を後転していく。

 

 ……相方は今のところ、順調に応戦できているようだ。逐一視線を送ってそれを知った宮莱莱(ゴン・ライライ)は、おくびにも出さず心中で安堵する。

 

 そして、自分が今身を置いている戦闘へ再び意識を戻した。

 

 ライライの両手には、先ほど敵から奪い取った双刀(そうとう)が握られている。細長い柳の葉に似た刀身を持つ、二本一組の刀。我が門【刮脚(かっきゃく)】の得意とする武器だ。

 

 ちょうど左右には、長物を持つ敵が一人ずついた。右の男は大斧を、左の男は双手帯を大上段から垂直に振り下ろしている最中だ。

 

 ライライは両の刀身を肩に背負うようにして構える。そして、凄まじい圧力を持って下降してきた斧刃と片刃へ両の刀身を滑らせた。その摩擦によって二つの太刀筋の軌道をずらし、下へ受け流した。

 

 斧と大刀が床に突き刺さるのを待たずに、ライライは両腕を左右へ伸ばす。左右の男の眉間へ双刀の柄尻を打ち込み、黙らせた。倒れる音が二人分聞こえる。

 

 次なる敵を求め、広大な空間を疾駆。六人集まった塊を視界に認めると、そこへ迷いの無い足取りで突っ込んでいった。

 

 最初に鉢合わせた槍使いの刺突を、全身の捻りで紙一重で回避する。そのまま掬い上げる要領で双刀の片割れを走らせ、槍を中心から二つに分断。今なお持続させている捻りの遠心力に回し蹴りを乗せ、得物を失った槍使いを横殴りした。

 

 ライライはまだ回転をやめない。その回転を利用した円弧軌道の斬閃を放ち、横合いから急降下してきた方天戟の刃を打ち返す。横へ弾かれた方天戟はそのまま隣の仲間の二の腕に刺さった。苦悶の絶叫に驚いている所を狙って、二次被害を起こした方天戟の持ち主を蹴り飛ばす。

 

 打倒した標的は顧みず、どんどん攻め、蹂躙するライライ。

 

 双刀で防ぎ、蹴りで攻めるの順序で、次々と敵をいなし、沈めていく。

 

 足技中心の【刮脚】は、手を使った攻撃が極端に少ない。しかしこの双刀を持つことで、手にも攻撃手段を与えることができる。さらに円を基準とした剣さばきは、斬るだけでなく斬撃からの防御にも優れており、そこへ【刮脚】の多彩な蹴りを上手く加味させれば、堅牢な城壁に立てこもって矢を放つような攻防一体を実現できるのである。

 

 前と左右の三方向からの同時攻撃。ライライは左右から来た剣を双刀で受け、前から一直線に向かってきた槍は蹴上げでへし折る。その後、すぐさま嵐のような蹴りの乱舞に巻き込んで吹き飛ばす。

 

 間もなくして後ろから飛んできた(ひょう)――投擲用の短剣――をすんでの所で躱す。二投目を許す前に投擲者へ肉薄し、その腹へ抉るように爪先を叩き込んだ。

 

 直剣を構えた男が、雨あられのように刺突を繰り出してくる。ライライは何度か下がって回避してから、相手の首めがけて双刀の一本を薙いだ。男は狙い通り直剣でこちらの一太刀を防ぎ、代わりに懐をがら空きにさせる。その間隙めがけて靴裏を激しくぶち当てた。

 

 蹴りを引き戻した後もその足を地に付けず、真後ろを一直線に蹴擊する。こちらの放った踵は、背後から矢の如く突き進んできた棍の先端と衝突。二つの力が拮抗したのも束の間、すぐにライライの蹴りが押し返し、後ろに立っていた棍の持ち主を跳ね飛ばす。

 

 ――戦況には今のところ、滞りは見られない。

 

 しかし、それで「こともなし」とは必ずしも言えなかった。

 

 最初は快調な気分で戦っていたが、刃を交える回数を重ねるにつれて、胸騒ぎが暗雲のように押し寄せてきた。

 

 しばらくして、ライライとミーフォンの距離が縮まり、互いに背中をぶつけ合わせた。

 

「くそっ、このアホ共、一体何人いんのよ!? どんだけあしらってもキリがないったら!」

 

 ミーフォンの苛立ったぼやきが、背中の振動とともにこちらへ届いた。

 

 彼女の意見には完全に同意する。

 

 敵の数が多過ぎるのだ。

 

 確かに今のところ善戦こそしているものの、自分たちと相手側には圧倒的な人数差がある事実からは目を背けられなかった。

 

 しかも、全員雑魚ではない。連中が刻んだ太刀筋の速度と鋭さ、受け止めた刃から感じた勁力の重さから、個々の力量もなかなかのものであることが読み取れた。

 

 最初は短調な攻勢で対処がしやすかった。けれど連中も頭が冷えてきたのか、場当たり的な攻め方をやめ、人数差や自分の持つ武器の特性を活かした戦術に変えつつあった。

 

 一度も切り傷を負っていないのが不思議なくらいだ。

 

 この連中が本格的な連携を行って攻めてきたら…………考えるだけで気が重くなる。

 

 長期戦になったら、確実にこちらが不利だ。消耗した所を物量差で押されて終わるだろう。

 

 そして、こうして悩んでいる間にも、時間は流れているものだ。

 

 周囲に立つ男たちの刃が無数に連なり、冷ややかな光沢を放っている。まるで虎視眈々と獲物を狙う毒蛇のごとく、少しずつにじり寄ってくる。

 

 冷酷な鉄の輝きに圧され、ライライは思わず唾を飲み込んだ。重心が無意識のうちに踵へ寄る。

 

 その時、ミーフォンの肘が呼びかけるように背中を数度叩いてきた。

 

 軽く背後を向く。同じように振り返ったミーフォンと視線がぶつかる。

 

 彼女はその視線を、今度はとある方向へチラチラ当てた。まるで「そこを見ろ」と指し示すように。

 

 無言の催促に応じ、その方向を見る。

 

 半円状の軌道で広がったこの部屋の壁の中心には、幅の広い階段が上階へ向かって続いている。そして、その大階段の右隣には――奥へと続く細い通路。

 

 ミーフォンの視線が指すモノと、その目的を解すことができた。

 

 この大広間にいたら、必然的に多方向からの攻撃を許してしまう。ゆえに、あの狭い一本道へ入ることで、敵の来る方向を大幅に制限し、挟撃の危険を無くしてしまおうというのだ。

 

 それが必勝の手かと訊かれれば、首を傾げざるを得ない。けれど、比較的良い兵法である事は確かだった。

 

 二人は再び視線を合わせる。

 

 そして、同時に頷いた。

 そして、同時に目標を見つめた。

 そして、同時に足腰を溜めた。

 

 そして――同時に床を蹴った。

 

「「おおおおおおぉぉぉぉぉぉ――――!!」」

 

 鋭敏に、そしてしなやかに凶刃の林を駆け抜ける二匹の女豹。

 

 ミーフォンは鉄棍を、ライライは双刀を振り回し、通りがかった敵を威嚇して強引に道を開けさせる。時々その威嚇に屈せずに放たれた刃は、最小限の体さばきで回避。そうして立ちはだかる敵の数々を、ことごとく視界の後ろへ流していく。

 

 そして、ようやくそこへたどり着いた。

 

 大階段の右隣の壁に四角くくり抜かれた、一本の通路。そこへライライ、ミーフォンの順に入った。

 

 だが、ミーフォンは入ってすぐの所で足を止める。元来た方向へ向き直り、鉄棍を水平に構えてまくし立てた。

 

「あたしがこいつらをあしらって時間を稼ぐ! あんたはその間に【無影脚(むえいきゃく)】とかいう技を完成させなさい! 時間かかんでしょ、アレ!?」

 

「えっ…………ええ! 分かったわ!」

 

 一瞬戸惑ったライライだったが、すぐに彼女の意図を察し、威勢良く頷いた。

 

 ここへ移動する事を選んだ理由は、敵が攻めてくる方向を一つに絞るためだけじゃなかった。

 

 自分に【無影脚】の準備時間を与えるため。

 

 今までは敵が多過ぎたせいで、【無影脚】を使うという選択肢は完全に度外視していた。しかし敵の来る方向が一つだけとなり、なおかつミーフォンが守ってくれるというこの状況なら、準備を終える事は可能。

 

 ……ただし、ミーフォンが敵を一人もこちらへ通さないという条件付きだ。もしも敵を一人でも取りこぼせば、準備に集中していて隙だらけな自分は格好の的となってしまうだろう。

 

 ライライは乱暴にかぶりを振り、頭に積もった負の未来予想をふるい落とす。 

 

 【吉火証(きっかしょう)】を探している間、自分は背中を預けられる存在としてミーフォンを信頼していた。なら、今回も信じずしてどうする。

 

 それに、いくつも多重して雪崩のようになった足音が徐々に大きくなっていることから、男たちがこっちへ近づいてきているのが分かる。

 

 躊躇している暇は無い。

 

 ライライは覚悟を決め、静かに目を閉じた。視界が黒一色となり、聴覚が敏感になる。

 

 早速耳朶を打ってきた甲高い金属音をよそに――【意念法(いねんほう)】を開始した。

 

「蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……」

 

 たった一言のみを、読経のごとく呟き続ける。

 

 ――「蹴る」という言葉は、これから作る彫刻の完成図であり、そしてそれを形作るための(のみ)でもある。

 

「蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……」

 

 ――求めるのは、並ぶもののない『神速』。

 

「蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……」

 

 ――しかしそれは、「速さ」を求めれば求めるほど遠ざかる、天邪鬼なもの。

 

「蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……」

 

 ――ゆえに『神速』を求めるならば、逆に「速さ」への執着の一切を捨て去る必要がある。

 

「蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……」

 

 ――なんの変哲もないただの岩を愚直に削り、削り、削り続け、見る者すべてを魅了してやまない神仏の姿を形作っていく。

 

「蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……」

 

 ――「蹴る」という言葉の鑿を使い、「心」という岩から、「速さへの執着」という無駄な部分をじっくり削ぎ落としていき、

 

 

 

 

 

「――蹴る」

 

 

 

 

 

 ――――やがて、『神速』という名の仏像を彫り終えた。

 

 途端、深い安らぎが心身を包み込んだ。

 雑念の一切を取り除いたことで、波紋や揺れ一つ立たない水面のように気持ちが落ち着いた。

 顔が勝手に、涼しげな笑みを作った。

 

 ――【無影脚】、発動完了。

 

 瞳をゆっくりと開く。光と色が目を一斉に殴りつけてくる。暗い地下室に数時間閉じこもってから太陽を拝んだ気分だった。

 

 ミーフォンはこちらへ背中を見せたまま、次々と押し寄せてくる敵に鉄棍一本で必死に応戦していた。目を閉じる前と比べ、疲労の色が明らかに増していた。

 

「……ありがとう、もういいわ……」

 

 そう告げた自分の声色は、怖いくらいに静かで澄んだものだった。

 

 ミーフォンは武器で押し合っていた相手を強引に突き飛ばしてから、こちらを振り返った。その額には、うっすら汗が浮かんでいた。

 

「お……遅いわよ……いつまで……待たせんのよ…………?」

 

 ところどころに息継ぎを差し挟んだ声。

 

 自分は一体、どれだけの時間を費やしたのだろうか。【意念法】の最中は時間の感覚が曖昧だったからよく分からない。

 

 けれど、それは今更詮無き事。

 

 ミーフォンは無事。自分は無傷のまま、【無影脚】の発動を成功出来た。

 

 その結果を出せたのだから御の字だった。

 

 もう――負ける未来が全く浮かばない。

 

 ライライが裕然と歩み、ミーフォンが機敏に後退。両者がすれ違い、前後関係が入れ替わる。

 

 早速、間合いの中に敵が一人侵入してきた。

 

 その手に握られた刀が上から下へ太刀筋を刻む前に――「蹴る」。

 

「はがっ!?」

 

 稲妻のような蹴擊を土手っ腹に受け、男は苦痛と困惑の混ざった表情で吹っ飛んだ。

 

 続けざまにもう一人近づいてきた。両手に構えた槍を、中段から真っ直ぐ一閃。

 

 対して、ライライは二度「蹴る」。

 

「がふっ……!!」

 

 槍の真ん中、相手の胴体の計二箇所に、蹴りという名の閃電が直撃。槍は真っ二つにへし折れ、その持ち主は先ほどの敵同様背中側へ勢いよく逆走。

 

 その場に立ち尽くすのをやめ、ゆっくりと歩を進めるライライ。

 

 唖然として棒立ちしたままの敵を「蹴る」。

 

 刀を持って猛然と接近してきた男を「蹴る」。

 

 両斜め前から同時に急迫してきた二人の敵を「蹴る」。

 

 「蹴る」、「蹴る」、「蹴る」、「蹴る」、「蹴る」。

 

 ライライが前へ進むたびに、雑魚寝する人間の数が天井知らずに増えていく。

 

 両手にある刀を振るう必要さえない。

 

 ただ「蹴る」という単純な動作を繰り返すだけで相手が飛んでいく。

 

 『神速』へと至った今のライライの蹴りに触れる方法は、攻撃を受ける以外にほぼ存在しないと言って良い。残像どころか、影さえ作らないほどの速度で放たれる攻撃に、どうして反応することができるだろうか。

 

 圧倒的な速さは全てを凌駕する。千古不易の理。

 

 一本廊下から抜け、再び大広間へ出る。眼前には、今なお数多くの用心棒が立ち並んでいた。けれど、その表情は軒並み混乱しきっていた。きっと連中は、こちらの蹴りは全く視認できていないのだ。まるで仲間がひとりでに吹っ飛んだように見えたのだろう。

 

 そんな人垣にライライの足が緩慢に、そして無慈悲に近づいていく。

 

 連中はどうすれば良いか決めあぐね、まごついている様子だった。

 

 しかし、

 

『オオオオオオオオォォォォォォォォォォォォ――――ッ!!!』

 

 やがて腹を括ったように、総員武器を構えて猛進してきた。

 

 まともに向かっても勝てる訳が無い。けれども主人(タンイェン)の見ている手前、逃げ出すわけにもいかない。ゆえに、そんな考えに至ったのだろう。あるいは、優勢な数で押せば勝機があるという総意なのかもしれない。

 

 けれど、それは愚かを極めた選択だった。

 

 この【無影脚】を使った時点で、数の優位などとっくに無くなっているのだから。

 

 用心棒たちがすぐそこにまで迫る。

 

 そして、人垣の先端がライライの間合いに侵入した瞬間――空気が爆ぜた。

 

『ぐぷぺぶげぽぁ!!?』

 

 いくつもの呻き声が同時に湧き上がり、重複する。

 

 最前列を走っていた連中が総じて神速の蹴りを叩き込まれ、横合いへと文字通り"蹴散らされた"のだ。

 

 蹴り足を引き戻すのもまた『神速』。壁のように面積を広めて押し寄せようが、間合いに入れば目にも止まらないほどの連打で強引に()き止め、そして押し返せる。言わば「蹴りの結界」だ。

 

 人垣が一気に削り取られ、用心棒たちは動揺を露わにした。

 

 そうしている間にも、ライライは歩みを続けていた。

 

 蹴りの届く範囲に少しでも入ってしまった不幸な者には、容赦無く衝撃が待っていた。地面をみっともなく転がる人間が続出していく。

 

 まごついてうまく動けない者も、動揺に打ち勝って向かってきた度胸ある者も、間合いへ踏み入った者は平等に蹴散らしていく。

 

 ライライは自分で自分の技に舌を巻くと同時に、さもありなんとも思った。

 

 【無影脚】は【雷帝】と恐れられた最強の怪物、強雷峰(チャン・レイフォン)を仮想敵として作られた絶技。数の暴力ごときで御せる道理は無い。

 

 ――否。宮莱莱(ゴン・ライライ)という武法士の矜持がそれを許さない。

 

 歩いて、「蹴る」。

 

 それだけで敵の数がモリモリ減っていく。

 

 やがて、ぽつんと残った一人を残し、全員が倒れ伏した。

 

「んな……馬鹿な……!?」

 

 その男は信じられないとばかりに青ざめた表情で、横になる仲間達をしきりに見回す。

 

 きょろり。ライライの緩んだ眼差しが、男の方を向いた。

 

「ひっ……!! く、来るな……来るな……!!」

 

 ひどく怯えながら、片手に持った直剣をめちゃくちゃに振り回している。しかし足が硬直して動かないのか、立ち位置は全く後ろへ退けていない。

 

 しかしライライは無遠慮に歩み寄り、

 

「はばっ――!!」

 

 直剣の刃もろとも、男を踏み蹴った。

 

 重々しくも鋭さを持った炸裂音が聞こえたと思った時には、敵の姿は遥か向こうへ切り離されていた。宙をしばらく舞ってから床に落ち、数度転がってようやく止まる。刃が(つば)近くで途切れた剣を胸に抱きながら、胎児みたいな格好で静止。

 

 折れた刃の片割れがカツン、と落ちるとともに、静寂が訪れた。

 

 ライライは軽い足取りで大広間を巡りながら、周囲を見回す。さっきまで元気良く動き回っていた用心棒は、残らず床の端々に寝転がっていた。もうこちらへ向かってくる者は一人もいなかった。

 

 ――けれども、殺気が完全に消えてなくなったわけではない。

 

「……やっぱすごいわね、その技。もう全員やっちゃったんじゃない?」

 

 ミーフォンがこちらへ歩み寄りながら、そう賞賛を送ってきた。

 

「まだよ」

 

 が、ライライはそれをぴしゃり、と否定した。

 

 そう。さっきの男で最後ではない。

 

 ――あと一人、残っている。

 

 用心棒が全員倒れてもなお、この空間にはひんやりとした鋭い殺気に満ちていた。

 

 そして、それはたった一人の人物が放っていた。

 

 ライライは大階段の前に立つ、長身痩躯の男に視線を移した。

 

 無数の蛇が頭から伸び出たような沢山の三つ編み。右頬に走った三日月状の傷。(へそ)周りから下を露出させた詰襟に、(うり)のような膨らみを持った長褲(長ズボン)という奇抜な装い。左腰には、細長く反りを持った刀「苗刀(びょうとう)」が帯刀されていた。

 

 その黄金色の瞳と視線がぶつかった。

 

「……――っ!?」

 

 瞬間、ライライの総身に悪寒が走った。

 

 爬虫類を思わせるその金眼からは、生命の輝きがまるで感じられなかった。まるで無機物の金玉を眼球代わりにはめ込んだように暗く、作りモノめいていた。

 

 何より、この広大な部屋全てを覆い尽くすほどの殺気を、この男がたった一人で担っているのだ。

 

 直感で分かってしまった。

 この男はさっきまで相手にしていた雑兵とは格が違うと。

 それだけじゃない。滅多にお目にかかれないほど強大で、そして危険な存在であると。

 

 男の隣に立つタンイェンは、その厳つい顔貌に静かな怒気を表しながら命じた。

 

「……インシェン、屋敷の中を少し壊しても構わん。その小娘二人を確実にバラバラにしろ。【虹刃(こうじん)】という通り名が名前負けではない事を、俺に証明してみせろ」

 

 その命を受けた男――インシェンは左腰の苗刀の鍔に指をかけ、

 

「――御意ぃ」

 

 鷹揚に頷き、前へ出た。

 


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