一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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虹刃

 

 無数の蛇が頭から生えたような奇っ怪な三つ編みをしきりに揺らしながら、インシェンという男はゆっくりと前へ出てくる。

 

 そして、自分たち二人の約5(まい)先で足を止めると、

 

「つぅわけで、雇い主様からの命令だぁ。おたくらに恨みはぁないが――死んでくれぇ」

 

 左腰にぶら下がった苗刀(びょうとう)の柄を握り、滑らかに抜き放った。

 

 ピュオンッ、と慣れた手つきで抜き身の刀身を肩に担ぐインシェン。

 

 鞘から外界へさらけ出されたのは、白刃ではなく――"黒刃"だった。

 

 苗刀特有の細長く反りのある刃は、どんな色でも塗りつぶせないであろう漆黒に染まっていた。一応金属光沢はある。だが奇妙なことにソレは、磨き抜かれた貝の真珠層のような――「七色」。

 

 この大広間(ホール)の天井や壁にいくつも存在する行灯の光が漆黒の刀身に当たり、輝かせる。ミーフォンの顔に虹色の反射光が当てられた。

 

 彼女はそれに眩しがる仕草を見せなかった。そんな余裕など全く無いといった緊張の面持ちで、黒い刀を凝視していた。

 

「【虹刃(こうじん)】って…………あんた、まさかその刀【磁系鉄(じけいてつ)】……?」

 

 緊張した声で、ミーフォンが問うた。

 

「ご名答ぉ。この苗刀はぁ仰る通り、【磁系鉄】だぁ。しかもぉ、余計な混ぜ物一切ナシの純【磁系鉄】製ぃ。こいつ一本売ればぁしばらく左団扇ができるぜぇ。その事実がこれからの斬り合いにどぉ関わってくるか、おたくらも武法士ならご存知だよなぁ?」

 

 返って来た抑揚の激しい語り口に、ライライは眉をひそめた。隣のミーフォンも同様だった。

 

 ……実物を目にしたのは今が初めてだが、話だけでなら聞いたことがある。

 

 【磁系鉄】は、【気】の流通を遮断する効果がある希少鉱物。それで作り上げられた武器は、刃も通さないはずの【硬気功(こうきこう)】を容易く破ることが可能だ。

 

 つまり、これから始まる戦いでは、【硬気功】が使えない。そして今までより一層斬撃への警戒を強めなければならない。

 

 それにあの男の立ち振る舞いや一挙手一投足には、一つとして無駄な動きが無い。まるで全ての動作から「武」以外の要素を削ぎ落としたかのようだ。このような質の高い動きをする人間を、自分は死別した父以外知らない。

 

 何より、チクチクと肌に確かな知覚のように感じるほどの、濃厚で鋭い殺気。

 

 この男、絶対に只者ではない。二対一だからといって油断していると確実に首を撥ね飛ばされる。

 

 インシェンは黒刃を背に担ぐように持ち、半身になってやや腰を落とす構えをとった。

 

 くつくつと喉を鳴らす笑声をもらしながら、

 

「さぁてぇ、精々抵抗してみせてくれよぉ? どうせ殺るにしても、簡単に終わっちゃぁつまんねぇからなぁ」

 

「往生すんのはあんたの方よ。魂魄が体から抜け落ちた後もそんな戯言吐かしてりゃいいわ」

 

 ビュンッ、と鉄棍の先端を眼前の敵に向け、気丈に言い返すミーフォン。

 

 相手の実力を読めているかいないかは分からないが、ミーフォンのそんな威勢の良い物言いに、気圧され気味だったライライは若干の士気を取り戻すことができた。

 

 ここは彼女を見習うべきだ。純粋な実力の差が伴う戦いにおいて、心の在り方というのは重要だ。たとえ虚勢であったとしても、気をしっかりと持つべきなのだ。それに【無影脚(むえいきゃく)】は強力な分、僅かな精神の乱れが生じただけで解けてしまうという欠点も存在する。わざわざ自分で自分を不利に追い込むこともあるまい。

 

 ミーフォンは鉄棍を中段に置き、水平に構えた。

 

 それに倣い、ライライも臨戦体勢を取った。

 

 自分たち二人とインシェンを取り巻く空気が、緊迫した沈黙に包まれる。

 

 が、それはたった一瞬の事だった。

 

「――(シャ)ッッ!!」

 

 突風が壁となって押し寄せ、インシェンの姿が視界を一気に占めた。

 

 二人は即座に左右へ散開。それからほとんど間を置かずに、直前まで自分たちのいた位置の床が爆砕した。

 

 木屑の舞い散る中に、刀を振り下ろした体勢のインシェンが見えた。黒刃は細長くも深い傷跡を床に刻み、めり込んでいた。

 

 一度足を止め、ミーフォンと目で合図する。左右から挟撃しようという考えが一致したとを判断。

 

「南方の果モンより甘ぇ――!!」

 

 ――が、挟撃が始まる前に、インシェンが機先を制した。刺さった漆黒の刀身を引き抜きつつ疾走し、瞬く間にこちらへ急迫してきた。

 

「!?」

 

 しまった、先を読まれた。

 

 出鼻をくじかれたライライはすぐに対応出来なかった。かろうじて動かすことができたのは、双刀を持った両手のみであった。

 

 インシェンがこちらの蹴りの間合いの直前まで達する。途端、急激に腰を深く落とし、背中を丸めた。柄を胸元に抱えるようにして苗刀が握られている。

 

 そして、腰と背中を急激に伸ばすと同時に――黒刃の尖端を一直線に疾らせた。

 

「ぐっ……!」

 

 全身のバネを用いた一突きを、ライライは胸前で交差させて構えていた双刀で受け止めた――重い。

 

 そのまま二刀の交差点に黒刃を滑らせながら軌道を横へズラしていき、やがて横を通過させた。

 

 串刺しにこそならずに済んだものの、ライライは余剰した勢いで弾かれる。

 

 おぼつかない足取りで後方へ下がりつつも、インシェンの姿をしっかりと見続ける。そして、その背後に鉄棍を大きく振り上げたミーフォンの姿を発見。

 

 振り下ろされた。

 

「おっとぉ、危ないねぇ」

 

 が、インシェンは一瞥もせぬまま黒刃を素早く背中側へ引き寄せ、垂直に放たれた彼女の一撃を受け止めた。ガキィン、と耳が痛くなるほどの金属音。

 

 黒い剣尖が斜め下へ傾く。接していた鉄棍が黒刃の上を滑り、下へするりと落ちる。それによってミーフォンの胴体ががら空きとなった。逆に、インシェンはいつでも斬りつけられる状態。

 

 このままじゃ斬られる――そう考えた時には、ライライはすでに双刀の一本を投擲していた。回転しながら飛んでいく。

 

 無論、そんなお粗末な攻撃が当たるはずもなく、刀はインシェンの黒刃によって容易く弾き返された。しかしそれに対応したことで、狙い通りミーフォンへの注意が逸れ、彼女に退く猶予を与えられた。

 

 打ち返された双刀が幾度も翻りながら風のようにライライの隣を素通り。なおも衰えずに飛翔を続け、遥か後ろの壁に深く突き刺さってようやく止まった。

 

「やるねぇ、お嬢ちゃん達ぃ」

 

 そう綽綽(しゃくしゃく)とした口調で言うインシェンは、戦いを始める前とは一切変わらぬ飄々とした物腰だった。生命感に欠ける不気味な金眼も相変わらずだ。

 

 焦燥感の荒波が立ちそうな心を必死に鎮めつつ、ゴクリと喉を鳴らす。

 

 やはり強い――刃を交えたのはまだ数度だが、その少ない回数だけではっきりとその事を悟れた。

 

  一手先の攻撃を即座に察知する眼力もさることながら、無駄な動きを一切せず、必要最低限の動きのみで対処する技巧と胆力。

 

 この男、自分たちより遥かに戦い慣れしている。

 

『……馬湯煙(マー・タンイェン)の用心棒の雑魚だけなら、まだなんとかできよう。だがあの屋敷には一人、とんでもない怪物がいる。奴には、我々全員でかかったとしても勝ち目はない。だからこそ、李星穂(リー・シンスイ)の力が必要なのだ』

 

 ちょうど良い時機(タイミング)で、徐尖(シュー・ジエン)の言っていた言葉が脳裏をよぎった。

 

 彼の口にしていた「とんでもない化物」とは、まさしくこの男を指す代名詞だったのだ。そのことを今、確信する。

 

「さぁてぇ、背の高い方の嬢ちゃんの力量は確かめたし――今度は小さい方の嬢ちゃんを味見させてもらおうかねぇ!」

 

 言うや、インシェンは(きびす)を返し、ミーフォンめがけて接近した。

 

 黒刃の間合いの先端と、小柄な少女の立ち位置がぶつかる。

 

 刹那、漆黒の刀身が逆袈裟の軌道で走った。

 

「くっ!?」

 

 ミーフォンは鉄棍を構えてそれを防御。鈍さと鋭さを同時に持った金属音とともに、数歩後ろへよろけた。

 

 そして重心を安定させた時には、すでにインシェンの横薙ぎがすぐそこまで迫っていた。首を狙ったものだった。

 

「ちょっ!?」

 

 だが幸運にも鉄棍の位置が、さっきの初撃によって首元まで打ち上げられていた。それが盾となり、首斬りを防いだ。

 

 下がって距離を置いてから、ミーフォンは武器を構え直す。その姿を、インシェンは鼻白んだような表情で見つめ、

 

「ふぅん? なぁんだぁ。おたく弱かぁないが、背の高いお嬢ちゃんに比べると随分と張り合いが無いじゃないのぉ。お兄さん、アクビが出そぉだぜぇ」

 

「なっ……!? なんですって!? この蛇頭(へびあたま)!」

 

 ミーフォンはムキになって食ってかかるが、涼しげな微笑によってさらりと流される。

 

 そしてその微笑は、すぐに闘争心と嗜虐心を濃く帯びたニヤケ顔へと変わる。

 

「まぁ、いいかぁ――どのみち二人とも斬って捨てるんだしよぉ」

 

 そううそぶいた次の瞬間、虎を思わせるしなやかで鋭敏な足運びで駆けた。インシェンの立ち位置が、ミーフォンの懐へと一瞬で転ずる。

 

 ものすごい風圧を伴わせ、後ろへ引き絞っていた剣尖を真っ直ぐ突き放った。

 

「うわっ……!?」

 

 体をひねって避けたおかげでなんとか体は無傷で済んだ。が、黒刃はミーフォンの連衣裙(ワンピース)の腹部を擦過し、綺麗な裂け目を作った。

 

 インシェンの刺突を闘牛士よろしく回避したことで、結果的にその真横を取った。それを好機と思ったであろうミーフォンは、急激に全身を横回転させる。鉄棍を円軌道で振り、敵の後頭部を殴りつけようとした。

 

 けれど直撃の寸前、インシェンの頭部が上半身ごと消えた。鉄棍は惜しくも空を切る。

 

 否。消えたのではない。腰を深く落とし、上半身を真下へ引っ込めていたのだ。

 

 かと思えば、臀部が床に付きそうなくらい深くしゃがみ込んだ体勢から――インシェンの上体が急激に跳ね上がった。

 

「きゃあっ!!」

 

 地面を弾んだ鞠のような立ち上がりとともに斬り上げられた黒刃は、ミーフォンの鉄棍に衝突。彼女の手から武器を強引に引き剥がした。

 

 鉄棍は回転しながら真上に浮かんでいる。そして今、ミーフォンの手には武器が無い。

 

 さらにインシェンの武器は【硬気功】の通じない【磁系鉄】製。

 

 丸裸同然の状態だった。

 

「そらよぉ、一人目討ち取ったりぃ!!」

 

 インシェンは上へ振り抜いた刃を下へ翻し、垂直に一閃させた。

 

 マズイ、殺される。インシェンに近づいている最中だったライライは、ミーフォンの体が頭頂部から尾てい骨まで真っ二つになる最悪の未来予想を思い浮かべていた。

 

「――舐めるなっ!!」

 

 が、ミーフォンは太腿にくくりつけてあった匕首(ひしゅ)を迅速に抜き放ち、逆手に握り、その短い剣身を黒刃の延長上に置いた。

 

 甲高い金属音、そして摩擦音――ミーフォンは上段からの一太刀を匕首で受け止め、さらに刃同士を擦らせて黒刃を下へ流しつつ、インシェンの間合いのさらに奥へと踏み入った。そして横をすれ違いざま、逆手に持った匕首の刃で喉元を斬りつけようとした。

 

 対して、インシェンは柄から片手を離した。その腕を鞭のように上へしならせ、匕首を握るミーフォンの手を真下から打ち上げた。

 

 得物を腕ごと上へ弾かれる。そして、遮るものがなくなった彼女の腹部へすかさず蹴りを叩き込んだ。

 

「きゃっ!?」

 

 ライライは、奴の蹴りによって吹っ飛んできたミーフォンとぶつかる。二人まとめて将棋倒しとなった。

 

 近づいて来られる前に立ち上がる。

 

 遠間(とおま)――間合いから遠く離れた位置――に立つインシェンを睨みつつ、その出方をジッと待つ。額から頬へ汗のひとしずくが伝った。

 

 ――インシェンの動きは、やはりというべきか【通背蛇勢把(つうはいじゃせいは)】のものだった。それも、かなりの功力を誇る使い手と見た。

 

 【通背蛇勢把】の主な特徴は、そのしなやかな体の使い方にある。

 

 極限まで全身を脱力させ、全身の【(きん)】の柔軟性を徹底的に向上させる。それによって得られた肉体を使い、柔らかさと破壊力に富んだ身体操作を実現させる。さらにそこへ長さ(リーチ)のある苗刀を加えれば、まさしく鬼に金棒の強さと化す。

 

 例えば、ミーフォンの鉄棍を打ち払ったあの斬り上げ。あれは【通背蛇勢把】に伝わる【拍球捶(はくきゅうすい)】という技を苗刀で使用したものだ。腰を急降下させ、体重を落とした時に発生した地からの弾性力に身を任せて再び立ち上がり、その勢いを込めた正拳を放つ技。起伏が激しいその動きは、下半身の優れた柔軟性と強靭な脚力を兼備していなければ上手くいかないものだ。

 

 柔をもって剛を得る。それこそが【通背蛇勢把】の基本にして真髄。

 

 インシェンは腰を軽く落とし、苗刀を上段で水平にして構えた。

 

「よぉし、小手調べも終わったことだし――これからは本気(マジ)で行くとするかぁ」

 

 ブワッ――

 

 男の纏う殺気がさらに濃く鋭くなり、突風のごとくこちらの肌を殴った。

 

 さっきので本気じゃなかったの――ライライは眼前の強敵の底知れなさに冷や汗を禁じ得なかった。

 

 しかし、心を乱してはいけない。もし乱れてしまえば、その時点で【無影脚】の効果が切れてしまう。波紋一つ起きない水面を思い浮かべながら、懸命に自心を律する。

 

 少し横へ離れた所にいるミーフォンと目を合わせ、互いに頷きあった。この男を相手に、一人で挑もうとすることは自殺行為に等しい。卑怯であろうと、ここは二人で協力して戦うべきだ。

 

 左右二手に分かれる。ミーフォンは右、ライライは左へ進み、弧の軌道でインシェンの左右側面へゆっくり近づいていく。挟み撃ちを狙うためだ。

 

 その時、不意にインシェンが体を激しく一回転させた。同時にその周囲の床が円周状にえぐれ、無数の木屑が吹雪のように360度全方位へばら撒かれた。

 

 本能的に目元を庇う二人。

 

 しかし、それこそ敵の思う壺だった。

 

 インシェンは床を蹴り、爆進。木屑の雨の中を瞬き一つせぬまま駆け抜け、わずか半秒ほどの時間でライライとの距離を潰した。

 

 漆黒の閃きが疾る。ライライは音速に達していそうな速度で迫る黒い刀身を、残った双刀の片割れで間一髪防御した。

 

「――――っ!!」

 

 次の瞬間、とんでもない衝撃が手根、腕を介し、体の芯まで伝播した。

 

 かと思えば、ライライの五体が勢いよく後ろへ反発。10(まい)半ばほど後まで吹っ飛んだところで、ようやく足を踏ん張らせて慣性を殺せた。

 

 得物を構えようとした。だが先ほどの斬撃を受けたせいで、刀身は見事に砕け散っていた。横合いに投げ捨てる。

 

 ……なんて威力だ。未だに手がビリビリしびれている。

 

 そうして心の中で感嘆している間にも、インシェンは再びこちらへ走行してきていた。

 

 8(まい)、5(まい)、3(まい)――人間離れした瞬発力によって、あっという間に距離が食い尽くされる。

 

 インシェンは苗刀から右手を離し、残った左手で柄尻を握る。そのまま振り上げ、左腕を大きく伸ばしながら刀身を振り下ろしてきた。元々長身な苗刀の長さに腕全体の長さも加わり、いつもより尺のある間合いをもって襲いかかってくる。

 

「く……っ」

 

 土壇場で間合いの広さを変えられたせいで少し困惑したが、ライライはなんとか後ろへ退いて回避できた。目と鼻の先で黒線が上から下へ駆ける。

 

 しかし、ライライの爪先近くに急降下した黒刃は、床へ直撃する寸前でピタリと停止。かと思えば剣尖の向きが斜め上、つまりこちらの顔に向けられた。美しい七色の反射光がギラリと剣呑に輝き、頬を照らす。

 

 しまった、確かこの技は――

 

 大きく後ろへ跳んだ。

 

 刹那、黒い剣尖が勢いよく跳ね上がった。その刃はチリッ、と衣服の表面をかすりながら、直前までライライの鼻があった辺りを貫いた。

 

 【流星趕月(りゅうせいかんげつ)】。大振りな斬り下ろしをワザと回避させて狙った場所へ誘導し、そこへ下から手刀を急上昇させて鼻を削ぎ落とす技。それを苗刀で使ったのだ。

 

 ギリギリの所で跳んだおかげで、黒刃の餌食にならずに済んだ。代わりに、無駄に育った胸元の双丘の中間に刃がかすり、衣服のその部分に縦の切れ目が入った。そこが左右にパックリ開き、中にある白い素肌と深い谷間が露わになる。

 

「んんっ? 今なぁ布が裂ける音かぁ」

 

 黒刃を突き上げた体勢のまま、呑気にそう呟くインシェン。相変わらず虚ろで生命感に欠けるその金眼は、眉間と同じく床を向いていた。

 

 ライライは胸元を隠したい気持ちでいっぱいだったが、今は羞恥に駆られている場合ではない。奥歯を食いしばって、女子の本能を噛み殺した。

 

 インシェンがまたも風のように距離を詰めてきた。

 

 幾度も黒刃を疾らせてくる。

 

 変幻自在で、かつ上下の起伏が激しい動作から次々と繰り出される斬撃。漆黒の文目(あやめ)が、眼前で目まぐるしく描かれていく。

 

 一筋一筋が決め手級の斬れ味を秘めた斬閃の数々を、ライライはかろうじて躱し続けていた。しかし時折避けきれず、衣服にごく浅い切り傷を刻むことを許してしまう。

 

 何より不気味なのは――インシェンの瞳が全く動きを見せないことだった。怒涛の剣戟を連発するインシェンの表情は闘争心で溢れたものだが、金の虹彩を持った眼だけ死んでいるように生気が無く、そして微動だにしないのだ。まるで眼窩に硝子(ガラス)玉がはめ込まれているようである。

 

 回避を継続する事にだんだん難儀してくるライライ。服についた細かい切り傷の数がさらに増える。

 

 そんな時、刀を振り続けるインシェンの背後に人影が現れた。

 

 ミーフォンだった。先ほど弾き飛ばされた鉄棍が再びその両手に握られており、腰をひねって後ろへ引き絞っていた。

 

 かと思ったら、今度はインシェンの動きに変化が生まれた。振る手を止め、苗刀を自分の真横で構えた。剣尖を真下に向けた、床と垂直の状態で。

 

 それから半秒と経たないうちに、ミーフォンの鉄棍が薙ぎ払われた。そして、あらかじめ構えられていた黒刃と激しく衝突。

 

 インシェンはまたしても、彼女の攻撃を先読みして防いでみせたのだ。しかも、ミーフォンの方を一瞥もすることなく。

 

 しかし、今、奴の胴体には苗刀や腕の守りが無く、無防備にさらけ出されていた。

 

 それは一瞬見せた隙。けれど、一瞬でも隙は隙。そして【無影脚】の神速の蹴りならば、その「一瞬」を突くのは簡単だ。

 

 蹴りを叩き込もう。ライライはそう判断し、それを実行しようとした。

 

 

 

 ――が、転瞬、インシェンが地を蹴った。

 

 

 

 ライライの足の届く範囲から逃れる形で後方へ跳んだのだ。自分の立っていた位置に黒刃を振るいながら。

 

 程なくして、神速の一蹴りが突き進む。しかし、標的(インシェン)を間合いの外へ逃がしてしまったため、あえなく空を蹴った。

 

 そして、蹴り足が限界まで伸びきった瞬間――置き去りにされた黒刃が向こう脛に軽くかすった。

 

 くすみ一つ無い白い肌に、小さな裂傷が一筋刻まれた。

 

「……ちぃと浅かったかぃ」

 

 その残念そうな言葉を合図にしたかのように、灸で焼いたような軽い痛みがやってきた。浅い裂け目から微かに鮮血が染み出し、その雫が花びらよろしく宙へ舞い散る。

 

「――っ!!」

 

 蹴り足を慌てて引き戻したライライは、驚愕しきった表情で大きく距離を取った。

 

 インシェンの動きに気を配りながら、蹴り足の脛へ目を向ける。

 

 ――夢じゃない。やはり、切り傷ができていた。

 

 傷の浅さ同様、切られた痛み自体は大したことはない。

 

 しかし、ライライはそれでも頭を思い切り殴られたような衝撃に苛まれていた。

 

 

 

 ありえない――【無影脚】を避けるなんて。

 

 

 

「速さ」への執着を心から全て削ぎ落とし、身につけた「神速」の蹴り。それは音さえ置き去りにするほどの圧倒的速力を誇る。人間の動体視力で捉える事はほぼ不可能。仮に目で追えたとしても、対処しようとする暇さえ与えず蹴り飛ばせる。

 

 ライライ自身も、驕りを抜きにしてこの【無影脚】に強い自信を持っていた。避けるどころか反応することさえ叶わない、無比の脚速を誇るこの技ならば、あの【雷帝(らいてい)】を一方的になぶり殺しに出来るかもしれないと。

 

 しかし、今まで不変だったその自信が今、崩れかけていた。

 

 ――あの男は、その蹴りを避けてみせたのだ。

 

『……ちぃと浅かったかぃ』

 

 このような台詞は、避けられないはずのこちらの蹴りを避け、なおかつ一矢報いるという人外じみた行為を意図的にやってみせた裏付けに他ならない。

 

 血の気が一気に急降下し、体が冷めた。

 

 今まで荒立たないよう心を律してきたが、そんなものはとうに乱れていた。【無影脚】の効果が切れた事を今、実感する。

 

「おぉっとぉ」

 

 インシェンが急にそう声をもらし、体の位置を真横へズラした。古い立ち位置にミーフォンの鉄棍が振り下ろされたのは、それから刹那ほど後だった。

 

 空振ったミーフォンは驚いた顔を見せたが、その場に居着くことなくすぐに後ろへ数度跳ね、間隔を開いた。構えた状態で止まる。

 

 ライライはというと、未だにインシェンの姿に視線が釘付けとなっていた。

 

 ——こちらの仕掛けようとする攻撃のことごとくが、動き始める前に潰される。

 

 最初は、ただ単に相手の動きを読むのが上手い程度だと思っていた。

 

 けれど、今なら分かる。インシェンの防御ないし回避能力は、「先読みが上手い」という尺度で済むモノではない。【無影脚】を躱されたことで、その考えは確信となった。

 

 少しでも攻撃の素振りを見せていたなら、まだ分かる。

 

 だが、こちらがその「素振り」を少しも見せないうちから、あの男は出鼻をくじいてきたのだ。

 

 これはもう、先読みや予測の域を逸脱している。

 

 まるで一手先の未来を覗かれているような気分だ。

 

 3米(まい)ほど離れた位置に立つミーフォンがこちらの衣服に視線を送りつつ、軽口をぶつけてきた。

 

「何胸元開いてんのよ? 色仕掛け作戦?」

 

「ち、違うわよっ! 切られたのっ」

 

 ライライは真っ赤になって過剰反応する。

 

「ふうん? あいつ飄々としてるフリしてスケベなのね。まったく、これだから男ってのは」

 

 ことさらに明るい口調で言うミーフォン。軽い笑みこそ作っているものの、その額には汗が浮かんでいた。

 

 きっと内心の不安や焦りを紛らすための台詞だろう。【龍行把(りゅうぎょうは)】と交戦した時と同じ感じだ。

 

「いや、わざとじゃないんじゃないかしら……? あの男、私の胸元に目もくれてなかったし」

 

「うえっ……もしかして男色か何かなの? あいつ」

 

「私に聞かれても分からな―――」

 

 そこまで言って、ライライはある事に気がついた。

 

 ――見ていなかったのだ。

 

 ライライは今まで、この大きな胸のせいで散々悩んできた。そしてその悩みの一つが、男からの視線だった。

 

 たいていの男はライライと出会うと、まずその胸に視線を移動させるのだ。一瞬か数秒間かの個人差はあれど、大体胸を見てくる。以前、着ていた服の胸囲が小さすぎて胸の留め具が弾け、胸元が露わになるという災難に見舞われたことがあったが、その時は周囲の男ほぼ全員の視線が胸に集中した。……あの時は死にたくなるくらい恥ずかしかった。

 

 そう。時間の長短を問わず、大体の男なら目が行ってしまうのだ。

 

 しかしインシェンはライライの胸部を切り裂いた時、そこへ微塵も目をくれてはいなかった。全く別の方向を見ていた。

 

 その事実を「点」とし、そこから「線」、「面」に広げるように思考を展開させる。

 「面」へと至った思考を、さらに「立体」へと押し延べる。

 その果てに――恐ろしい仮説を一つ組み立てた。

 

「どしたのよ、ライライ? そんな黙りこくって」

 

 急に無言になった自分を気遣うように、ミーフォンが顔を覗き込んできた。

 

「大丈夫」と目と表情で訴えてから、ライライは黒刃を後ろに引いて構えたまま微動だにしないインシェンを見つめ、そして切り出した。

 

「インシェン、だったかしら? あなた、見事な腕前ね。これほどの苗刀さばきを見せる武法士にはお目にかかったことがないわ」

 

「なぁんだぃ? おだてて気分を良くして、手心を加えてもらおうってぇ魂胆かぃ?」

 

「違うわよ。素直に感嘆しているだけ。その剣の腕前もそうだけど、私が真に評価しているのは――その異常なまでの勘の良さよ」

 

 金色の双眸の間にある眉間が、ピクリと動く。

 

「……あなたの先読みの能力は、もはや予測の域を超えて、「読心術」の領域に片足を突っ込んでいると思うわ。次の動きの「予兆」が見えてから動くならまだしも、その「予兆」さえ出ていない段階から、あなたは私たちの次の手に対して反応してみせた。そうでなければ、私の【無影脚】を避けられる訳が無い。あの蹴りは仮に「予兆」が見えたとしても、見えた時にはすでに相手を蹴り飛ばしている。人間では普通に反応しきれないほどの速度があるのよ」

 

「【無影脚】……だとぉ?」

 

 インシェンの眉間に深い皺が刻まれた。

 

 さらに口を動かし続ける。

 

「で、その事を踏まえた上で、あなたに一つ質問を投げかけようと思うのだけど、暇はいただける?」

 

「……俺ぁ構わんぞぉ。聞くだけぇ聞いてみぃ」

 

 了解をもらった。

 

 ライライは額に嫌な汗を浮かべつつ、問いを投げた。

 

 

 

「私たちが今――どんな服を着てるか分かる?」

 

 

 

 インシェンの表情が少しだけ強張りを見せたのが分かった。

 

 そして、こちらの問いに対してすっかりだんまりとなっていた。

 

 ――嫌な予想が当たった事を確信する。

 

「答えられないでしょう? 答えられるわけがないわよね? だって、”分からない”んですもの」

 

 正直、頭を抱えたい気分だったが、ライライは気丈にそう言い放った。

 

 ミーフォンは解せないといった困惑の表情で訊いてきた。

 

「ど、どういう事よ? 一体何の話をしてるワケ?」

 

「今言ったままの意味よ。この男には、私たちの容姿が分からないの」

 

 遠まわしな表現はやめて、ライライは次のようにはっきりと告げた。

 

 

 

 

 

「この男は――――目が見えてないのよ」

 

 

 

 

 

「なっ……!!」

 

 握っている鉄棍を取り落としそうなほどに、ミーフォンは驚愕を露わにした。

 

 ライライはさらに、その事実の裏付けを述べ始めた。

 

「インシェン、あなたはこの戦いの最中、瞬き以外に目を一度も動かしていなかった。その理由は簡単。動かす必要がなかったからだわ」

 

 インシェンは喋らない。まだ今の段階では、その沈黙が是なのか非なのか分からない。

 

 さらに続けた。

 

「さらに、床を円状に削って木屑を舞わせた時にも手がかりがあったわ。その時、あなたは舞い散る木屑の中を突き進んで私に向かって来ていたけど、視界を覆うほどの量の木屑を――あなたは一度も腕で払おうとはしなかった。普通なら細かい木屑が目の前に映った時、人は無意識のうちにそれを腕で払い除けて顔を守ろうとするはず。けどあなたはそれをしなかった。当然だわ、あなたにはその木屑が見えなかったんだから」

 

 そしてもう一つ、とライライは前置きをしてから、インシェンを指差して言った。

 

「極めつけに、あなたは私の服の胸元の部分を刀で切った時、確かにこう言ったわ――「今のは布が裂ける音か」と。こんなこと、普通は口に出して言わないはずよ。言うとするなら、それは音しか判断材料がなかった時。私はこれを思い出した時、あなたが盲目なんじゃないかっていう仮説を立てたわ。そしてそれをはっきりさせるためにさっきの意地悪な質問をぶつけたわけだけど――当たっていたようね」

 

 インシェンはその指摘に対し、挑戦的な微笑みを浮かべる。

 

 突然、ミーフォンが取り乱した様子で突っかかってきた。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよライライ! 目が見えないですって!? そ、それじゃあコイツはどうやって世界を認識してるっていうのよ!? あたしたち二人の相手も、目が見える奴並みに、ううん、目が見える奴以上にこなしてたじゃない! 一体どういうこと!?」

 

「視覚以外の知覚が、それを補う形で異常発達したからだと思う。聴覚や触覚と結論付けたい所だけど、私たち武法士には、生まれ持った五感以外にもう一つ感覚があるはずよ。――【聴気法(ちょうきほう)】っていう感覚がね」

 

 何かに思い至ったように、大きく目を見開くミーフォン。

 

 ライライは再度、男の死んだ金眼を強く見つめた。

 

「【聴気法】は、周囲の人間の【気】の存在を感知できる技術。けど、感知できるのはあくまで「存在」だけ。感じられる【気】の形は、その人物と同じ高さの炎のような不定形で、人型ではない。つまりその時対象が行っている動作までは分からないということ。だから、実戦の中で【聴気法】を過信しすぎるのは危険。あくまでその用途は索敵。これが一般的な武法士の持つ【聴気法】への認識よ」

 

 緊張で喉が乾燥していたため、ライライは唾を飲み込んでから次の言葉を発した。

 

「……けど、希にいるのよ。【聴気法】によって、人間の【気】の存在を具体的な人型として感知できる人間が。それだけじゃない。感知した人型の【気】の揺らぎ具合から、その人間の心情を読む事も可能らしいわ。そしてそういった能力は、視覚や聴覚といった感覚が欠如している人間に現れやすいと言われている。正直、外れている事を願いたい予想だけど……インシェン、あなたは"そう"なんじゃないかしら」

 

 もしも【聴気法】で心の機微を読めるのだとしたら、人間の反射速度では回避できないはずの【無影脚】を避けられた事にも辻褄(つじつま)が合う。

 

 インシェンは、こちらが蹴りの前兆一つ見せていない段階から動き始めていた。あれは「蹴りを放つ」というこちらの思考を読めたからだろう。だからこそ、機先を制することができた。

 

 そうとしか考えられない。

 

 この男は視力こそ無いが、見えている者以上に"()えている"のだ。

 

「くっくっくっ……観察力のあるお嬢ちゃんだねぇ。(めくら)じゃぁなかったら、どんな別嬪さんか拝みてぇもんだぁ」

 

 抑えたような笑声をもらしながらそう言うと、インシェンは構えを解いた。苗刀を左腰の鞘に納め、自由になった両手で拍手をしながら再度口を開いた。

 

「――だぁい正解、その通りだぁ。俺ぁ目が全然見えねぇ。しかしその分【聴気法】でぇ、他人の精神状態を漠然とながら読めるのさぁ。心の変化を感じ取れるんだからぁ、当然相手の攻撃の時機(タイミング)だって丸わかりだぁ。それを読んだ上で動けるから、俺ぁ周囲の人間より一拍子早く動けるって事になるねぇ」

 

 出来れば、耳を塞ぎたかった。

 

 どうしようもなく嫌な情報を、敵の口から聞かされたのだから。

 

 一拍子早く動ける――これが戦いにおいてどれほど恐ろしい事であるか、武法に携わる者には痛いほど良く分かるはずだ。

 

 体術における「拍子」とは、行動の区切りの回数。一歩進んで一拍子、二歩目を進んで二拍子、三歩目で三拍子といった具合に、一つ一つの運動や行動を節目で区切って数にしたものだ。

 

 これは攻防にもあてはまる。

 自分が一回突き、相手がそれを躱して一拍子。相手が蹴りで反撃し、それを自分が両腕で受け止めて二拍子。受け止めた蹴り足を手前に引っ張り込んで三拍子。引っ張られた相手に正拳を叩き込んで四拍子…………こんな感じで、彼我のやり取りの一つ一つは「拍子」として区切られているのだ。

 

 そして防御ないし回避の「拍子」は、相手の攻撃という「拍子」が刻まれてから初めてその意味を成す。簡単に言うと、回避や防御といった受身な対応は、相手の攻撃が先に行われなければ成立しないということだ。当たり前である。そもそもやって来る攻撃がなければ、防ぎようも避けようもないのだから。

 

 ――しかし、インシェンの【聴気法】はその"当たり前"を覆す。

 

 相手の精神の浮沈を読むというその能力をもってすれば、これから敵の攻撃が行われるという事を一瞬早く察知し、攻撃の「拍子」が刻まれる前に行動を起こせる。敵の間合いから逃げ出す事も、攻撃が行われる前に出鼻をくじく事も可能となるのだ。

 

 それゆえに、「一拍子早く動ける」能力。

 

 つまるところインシェンは、周囲の誰よりも速く動くことが可能なのである。

 

 ライライは表面上では澄ました顔を決め込みつつ、内心でかなり落胆していた。相手が非常に悪いと思ったからだ。

 

「なんだぃ、そんなに落ち込んでよぉ? 正解したんだぁ、もっと喜んだらどうだぃ」

 

「!」

 

 ライライは澄まし顔を一驚させる。図星を突かれると同時に、心が読める事の裏付けをはっきりと見せられた。

 

 インシェンは満足そうに口端を歪め、いつも通りの間延びした口調で語り始めた。

 

「——俺ぁ餓鬼ん頃、重い病にかかって死ぬほど苦しんだ事があってねぇ。まぁ一命こそ取り留めたんだが、後遺症で目ぇ見えなくなっちまったぁ。おまけにそれからすぐ両親が押し込み強盗にぶっ殺されちまってよぉ、一人っ子だった俺ぁ天涯孤独の身に成り下がったぁ。だが悲観に暮れてる暇なんざぁなかったぁ。俺ぁテメェでテメェの食い扶持稼がにゃならなくなったが、盲の糞餓鬼を使ってくれる所なんざありゃしねぇ。教養の一環としてやらされてた武法で身ぃ立てようとも考えたが、鏢局(ひょうきょく)はどこも汚ぇ野良犬を蹴飛ばすように俺を追い払ったねぇ。草を手探りで採って食って、腹ぁ壊す日々が何日も続いたぁ。あん時ゃ神様とやらをひどく恨んだねぇ」

 

 悲惨な過去を話す顔は憂いを帯びていたが、それはすぐに破顔に変わった。

 

「……だがな、救いってなぁ案外どこにでも転がってるもんだぁ。俺ぁある日、自分の【聴気法】が強くなってる事に気がついたぁ。全盲になって以来、役立たずになった目の代わりにそれを使って人の存在を確かめてたんだがぁ、それで功力がついちまったんだろうよぉ。塊としてしか感じられなかった【気】は日増しにヒト型として認識できるようになりぃ、果てにはそのヒト型の【気】の揺らぎ方からそいつの考えを漠然と読めるようになったぁ。おまけに、嗅覚や触覚といった既存の感覚も前より敏感になってなぁ、結果、俺ぁ普通の人間よか鋭い感覚を手に入れたって寸法よぉ。その能力を闇賭博で利用して大儲けして、そんな俺に目ぇ付けて闇討ち仕掛けてきた連中も返り討ちにしてやったぁ。そして……ある【黒幇(こくはん)】がそんな俺の力を買いてぇと言ってきて、それに頷いたことが、俺の用心棒稼業の始まりだったといえるねぇ」

 

 苗刀の柄頭を指でカチカチ弾きながら、インシェンはなおも力強くうそぶいた。

 

「俺の伝家の宝刀はぁ、【聴気法】や【磁系鉄】の刀だけじゃぁねぇ。俺の【通背蛇勢把】は多少我流が混じって品の無ぇものになっちゃいるが、その分叩き上げだぁ。武法士同士のケンカだけじゃねぇ、裏の世界で数々の血戦を経て生き抜いた実績も伴っているぅ。おたくらのお嬢様武法でぇ、一体どこまで刃向かえるかなぁ?」

 

「……得意げに吐かす割には、顔に随分デカい傷跡があるじゃないの」

 

 気圧されつつも、精一杯の嫌味を放つミーフォン。

 

 インシェンは右頬に深く刻まれた醜い傷跡を撫でながら、次のようにしみじみと言った。――そしてその言葉を聞いた瞬間、ライライは不意打ちを食らったような気分にさせられた。

 

「あぁ、これぇ? これぁ昔戦った武法士に付けられたもんだぁ。――宮淵輝(ゴン・ユァンフイ)っつってよぉ、とんでもねぇ蹴り技を誇る【刮脚(かっきゃく)】の大名人だぁ。ありゃぁやばかったぜぇ。だって、蹴りで鉄が”折れる”んじゃぁなくて”斬れる”んだぜぇ? 手も足も出なかった、いや、アレとやりあって手足が残ってる方がぁ奇跡ってもんだなぁ。――ん? なんだぁ、大きい方の嬢ちゃん? その驚いたぁ【気】の揺らぎはよぉ?」

 

 驚くなという方が無理な相談だ。

 

「あなた……父を知っているの?」

 

「あぁん? 父ぃ? …………なぁるほどぉ。そぉですかぁ? そぉ来ましたかぁ!?」

 

 インシェンは勢いよく苗刀の柄を掴むと、表情を闘争心の混ざった喜びの笑顔に一変させた。

 

「やべぇよやべぇよやべぇよやべぇよぉぉ!! マジかぁおいぃぃ!? (ゴン)って姓と【無影脚】っつぅ技名に引っかかりを覚えちゃぁいたが、まさかお嬢ちゃんがユァンフイの身内だったたぁなぁ!! すげぇなぁ、運命的なモンを感じるぜぇ!!」

 

 ひとしきりバカ笑いすると、インシェンは体の右半分を前に出した半身の体勢となって、腰を落として立った。そのまま右手を苗刀の柄に、左手を鞘に添えおく。抜刀の構えだ。

 

「斬り捨てる前に一つ聞きてぇんだが、おたくの親父さんは今どこにいるんだぃ? 今度、昔の雪辱を晴らしに行きてぇんだがぁ」

 

「……残念だけど、もうとっくに墓の下よ」

 

 重苦しく口にしたその言葉に、インシェンは微妙ながら驚いた表情を見せた。

 

 が、すぐにそれはなりを潜める。

 

「……ま、武法士なら珍しくもねぇ話かぁ。それじゃ仕方ねぇ、かなり役不足だが――お嬢ちゃんの首で我慢しますかねぇ!!!」

 

 一喝。そして――爆ぜた。

 

 さっきまで立っていた位置の床を爆砕させ、インシェンが瞬く間に距離を詰めてきた。陽炎(かげろう)のごとき運足に伴わせる形で、左腰の苗刀を抜き放った。

 

 漆黒の疾風(はやて)を思わせる抜刀。

 

 黒い太刀筋がライライに襲いかかる――かと思いきや、その軌道が急激に左真横へ曲がった。振り抜かれた途端、ガキィンッ、という力強い金属音。

 

 左を一瞥すると、いつの間にかこちらへ来ていたミーフォンが、鉄棍ごと薙ぎ倒されていた。おそらく、横合いから鉄棍を叩き込もうとして、弾かれたのだろう。

 

「――おたく邪魔だよぉ、悪いが先に逝ってくれぇ」

 

 インシェンは苛立った口調で呟くと、天井を仰ぎ見るように倒れようとしているミーフォンの方へ爪先を向ける。そして、重心の乗った後ろ足に力を込めた。

 

「させないわっ!!」

 

 瞬発される前に、ライライは左右の足で交互に回し蹴りを放った。

 

 右回し蹴りは【硬気功】のかけられた二の腕で、左回し蹴りは苗刀の柄で受け止められた。二擊とも、損傷を加えるには到らなかった。

 

「……っ?」

 

 にもかかわらず、金字塔のごとく磐石だったインシェンの重心が突如よろけた。気分が悪そうに顔をしかめている。

 狙い通りだ。古流の【刮脚】にのみ伝わる技法、【響脚(きょうきゃく)】。左右側面へ素早く交互に衝撃を与えることで、相手の体内に振動波を発生させる。どんな歴戦の武法士でも、体内を激しく揺さぶられれば不快感から逃れられない。そして、そこがそのまま大きな隙となる。攻撃の時機(タイミング)が分かったとしても、凄まじい不快感で苦しむこの状態では上手く動けまい。格好の的。

 

 ライライは隙だらけなインシェンの懐へ接近しつつ、臍下丹田に【気】を込める。【炸丹(さくたん)】によって威力を倍加させた蹴りを至近距離から叩き込んでやろうと考えた。

 

 ――――が。

 

「――()ッッッ!!!」

 

 ライライが蹴り足の膝を上げた瞬間、インシェンの口から吐気が爆発。ほんの一瞬、その胴体が内側から膨張したように見えた。

 

 びっくりしつつも、構わず丹田の【気】を炸裂。()で射ち放たれた()のごとき勢いで爪先が突き進む。

 

 あと薄皮一枚で衝突する距離まで来た瞬間――敵の姿が視界から消えた。

 

「あがっ……!?」

 

 同時に、突き刺さるような重みが腹部を襲った。

 

「惜しかったねぇ、中々いい線行ってたぜぇ」

 

 左の耳元から、インシェンの声。見ると、左隣に来ていた声の主から膝を入れられていた。

 

 ――そんな、動けないはずなのに……!?

 

 ライライは動揺する。蹴られた勢いにより、心もとない足取りで下がらされながら。

 

 インシェンはそんな”死に体”である自分へすぐさま接近。大きく振りかぶった黒刃を振り下ろしてきた。

 

 対して、ライライはわざと重心の安定を捨て、重力に全身を預けた。仰向けになって自由落下しつつ、真上から降りてくる苗刀の柄尻を靴裏で踏むように蹴った。降下途中の黒刃が、再び元の方向へと弾き戻される。

 

「おぉっとぉ……」

 

 インシェンが少しよろけている隙に、ライライは背中を付いてから後転し、立ち上がった。

 

 大きく後ろへ跳んで間合いを開く。

 

「衝撃が浸透する蹴りか……さすがは【刮脚】、面白ぇ蹴り技が多いねぇ。だが相手がちぃと悪かったなぁ。【通背蛇勢把】にゃ、そぉいった体内浸透系の技を無効化する呼吸法がいくつか伝わってんのよぉ。さぁてぇ? 次はどんな手で来るよぉ、ユァンフイの娘ぇ?」

 

 ライライは歯噛みを隠せなかった。また一つ、自分の持ち札が潰された。

 

 苗刀を地面と並行に持ち、後ろに引いて構えるインシェン。

 

「来ねぇんなら、またこっちから行くぜぇ。――簡単に死なねぇでくれよぉ!!」

 

 その言葉とともに、時計回りに回転しながらこちらへ肉薄してきた。

 

 遠心力に乗せて黒刃を振り、こちらから見て右から左へ黒い一閃を刻む。ライライはなんとか後ろへ下がってそれを避けた。

 

 インシェンは回転をやめることなく、再び接近してくる。

 

 ライライはもう一度後方へ飛び退き、斬撃から逃れる。

 

 二度も避けた。

 

 しかし、なおも狂ったように回転を続けるインシェン。漆黒のかまいたちを纏った小さな竜巻と化し、執拗に追いかけて来る。

 

 ライライはそれをただ後ろへ跳んで回避し続けた。踵を返す暇さえ無い。もし方向転換したなら、その一瞬がそのまま隙となり、たたっ斬られるのがオチだった。

 

 ミーフォンが追いかけて応戦しようとしているが、未だ行動に移せないでいた。彼女の持つ鉄棍とインシェンの苗刀の長さはほぼ同じくらい。相手も同等の長さの武器を持つ以上、遠い間合いから突けるという棍の利点は死んだも同然。あの斬撃の竜巻の中へ無闇に鉄棍を突っ込ませたら、弾かれるどころか、下手をすると手を斬られる可能性があるのだろう。

 

 インシェンは未だに鋭い回転をやめない。それに伴い、漆黒の斬閃が床と並行の角度で胴体の周囲を周り、巡り続ける。残像を幾重にも残すほどの速度で周回するその太刀筋は、さながら黒い円環であった。虹色の光沢が相まったためか、美しくも感じられる。

 

 しかし心なしか、その黒い円環の角度が徐々に傾いていた。

 

 並行の状態から、20度……45度……60度……円環は少しずつきつく傾斜していく。

 

 やがて、円環は床と垂直の角度となる。”横円”から”立円”となったのだ。

 

「ハァァァッハハハハハハハハハハハハハハハァ!!」

 

 インシェンのけたたましい哄笑。破壊と死をもたらす暗黒の車輪を体の左側面に付き従えながら、執念深くライライを追う。追う。追う。

 

 しかし、黒刃が縦回転になったことで、インシェンの側面ががら空きになった。その上、刀ごと全身を回転させている今の状態では、攻められても遠心力の勢いが足枷になってすぐに対応する事はできないだろう。

 

 そしてそこを同じく攻め時と認識したであろうミーフォンが走り出した。何にも遮られていないその右側面めがけて、鉄棍の先端を鋭く疾駆させた。

 

 串刺しとなった。

 

 ――インシェンの残像が。

 

「!!」

 

 ライライは大きく目を見張る。

 

 なんと、インシェンは黒刃が後ろへ振り抜かれてから腰を一気に落とし、そして大上段へ振りかぶられた瞬間に前へ大きく跳んだのだ。その唐突な加速によって、ミーフォンの鉄棍は惜しくも外れた。

 

 そして現在――ライライの視界いっぱいにインシェンの姿が迫っていた。

 

 インシェンのその体術の流れには、既視感があった。

 その既視感は即座に具体的な情報へと変化。

 これからインシェンがやろうとしている事を悟ってしまったライライは、一刻も早く逃れようと全力で床を踏み切って横へ跳ぶ。

 

 ライライの後足が黒刃の軌道から抜けきるのとほぼ同時に――爆音が轟いた。

 

「きゃああああああああああ!?」

 

 黒刃が振り下ろされた位置を始点に、空気が急激に膨張。見えない壁となって、大小様々な木片もろともライライの背中を強く押し流した。

 

 広大な床の上をみっともなく転がる。木屑が雨のように降りかかってくるため体が痒い。

 

 ――【烏龍盤打(うりゅうばんだ)】。腕を何度も回転させることで遠心力を溜めてから、踏み込みとともに強力な腕刀を振り下ろす大技。事前に溜めた遠心力に、重心の急降下、【震脚(しんきゃく)】による自重の倍加を上乗せするため、使い手の功力次第では凄まじい威力を発揮する。それを苗刀で使ったのだ。

 

 勢いが弱まってきたので、転がる体を止め、すぐに立ち上がった。

 

 そして――目の前の光景に戦慄する。

 

 インシェンが刀を下ろした位置の延長線上へ、地割れのような大きな亀裂が真っ直ぐ伸びていた。なんと、亀裂は剣尖よりさらに離れた場所まで続いており、外へ出るための両開き扉を木っ端微塵に粉砕したところでようやく途切れていた。――果たしてどれだけの勁力が、あの黒刃に込められていたのだろうか。

 

 アレにもし当たっていたら、一刀両断どころか、元々人間だったかどうかも疑わしいメチャクチャな死体が出来上がっていたに違いない。

 

「惜しかったなぁ」

 

 インシェンは亀裂に埋まった刃を引き戻し、残念そうに苦笑した。まるで遊んでいるかのような、余裕ある語り口だった。

 

 漆黒の刀身が、天井からの光を跳ね返す。七色の反射光に当てられたライライは、己の心胆が冷えるのを感じた。

 

 ――これが、【虹刃】。

 

 類稀なる武技。

 類稀なる刀。

 類稀なる感覚。

 この男は、あらゆる要素が非凡そのものだった。

 

「さぁてぇ、斬り合いはまだまだ始まったばっかりだぁ。俺の勝ち戦になる可能性が高ぇが、死合ってなぁ最後まで結末が分からねぇもんだぁ。せいぜい死力を尽くしてくれよぉ、お嬢ちゃん方ぁ」

 

 ――勝てるのだろうか。こんな怪物に。

 

 どんなに心を強く持とうと努力しても、その感情を最後まで殺しきる事は叶わなかった。

 


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