一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

48 / 96
雷霆万鈞

 ボクは静かな緊張感を抱きながら、遠く向かい側に立ったインシェンを見つめる。

 

 ドレッドヘアーのような無数の三つ編みを頭部から生やしたその男は、ボクのそんな視線を受けた途端に構えを変えた。半身の体勢となり、黒い刀身を後ろへ引っ込める形で構える。

 

 そんな構えの変更を見て、ボクも槍先の両隣に三日月状の刃が寄り添った武器「方天戟(ほうてんげき)」を動かした。肩に担ぐような持ち方をやめ、ヘソ辺りの高さで水平に置く。長大なリーチにものを言わせて突き刺すことに特価したオーソドックスな姿勢。

 

 すると、インシェンはまた体勢を変更させた。半身より胸をさらに真横へ向けた真半身(まはんみ)の状態となる。そうなったことによって、ボクから見た奴の体の面積が細くなった。つまり、的が小さくなり「点」の攻撃である槍が当たりにくくなったということ。

 

 それからも、ボクらはしきりに位置を移動させながら、何度も何度も構え方を変化させ続けた。相手が構えを変えれば自分もそれに上手く対処できる構え方に変え、すると相手もその構えを迎え撃つ事に適したしたスタイルに変える。そんな延々と続きそうないたちごっこを繰り広げる。まるでダンスでも踊っているようだ。

 

 しかし、ボクら二人はいたって真剣であった。舞踊のように見えるやり取りの中では、素人では決して視認できない駆け引きの嵐が巻き起こっていた。

 

「インシェン、何をやっている? さっさと攻めんか!」

 

 だからこそ、素人であるタンイェンはイラついたような野次を投げ、ミーフォンとライライは固唾を飲んで静観しているという顕著な温度差があった。

 

 方天戟と苗刀の先端の間で、一触即発の空気が火花のように弾けている。いつ爆発してもおかしくはない。

 

 やがて、爆発した――ボクの足元が。

 

 後足の蹴り出しは一瞬で突風にも比肩する速力を全身に与えた。

 

 【震脚(しんきゃく)】で踏み込み、真正面へ銀の筋を疾らせた。重心を高速でぶつける衝突勁を用いた突き刺しだ。

 

「あぁらよっとぉ」

 

 インシェンは立ち位置を小さく横へズラし、槍の延長線上から自身の体を外した。凄まじい速さで走った槍先は空気の壁を貫く。

 自分としては会心の速度だと思ったが、避けられた。おそらく【聴気法(ちょうきほう)】を使って攻撃の来るタイミングを先読みしてから避けたのだろう。

 

 さらに、奴は避けてから間もなくして黒刃を下から振り上げた。方天戟の柄部分を真下から斬ろうという魂胆だろう。

 

 そうはさせない。ボクは全身を捻り、その動きに伴わせる形で方天戟を円弧起動で引っ込めた。そのままボクという軸を中心に槍先を回転させ、一周して戻って来させる形で三日月状の刃を叩き込んだ。

 

 握った柄に伝わる硬い感触。脇腹に当たる寸前で、苗刀の柄尻でガードされた。

 

 インシェンが滑るようにボクの間合いの内へ侵入。方天戟の柄めがけ、再び下から斬撃を放とうとしていた。

 

 ボクは苗刀が動き出す前に後方へ跳び、武器を体ごと黒刃の範囲内から逃がす。それから半秒足らずのうちに黒い一閃が上から下へ駆けた。

 

 着地し、後足を瞬発。回転しながら敵に再度接近し、三日月状の刃で薙いだ。

 インシェンは白刃を黒刃で受け止め、そこから素早く袈裟斬りへ繋げる。しかしその太刀筋が駆け抜けた頃には、すでに狙っていたであろう方天戟の柄は無かった。

 槍先を敵に向けたまま横へ逃げていたボクはその空振りを確認するや、すぐさま踏み込んで刺突を放った。けれども、インシェンはすぐにその攻撃を察して黒い刀身を動かし、飛んできた槍先を横へ弾く。そこからさらに刃の軌道を器用に変化させ、またしても柄を狙って太刀筋を走らせてきた。

 ボクは武器を体ごと強引に真後ろへ引っ込めることで、黒刃の向かう先にあるモノを「柄」から「三日月状の刃」に入れ替える。「柄の切断」は「刃同士の衝突」に変わり、激しい金属のぶつかる音を響かせた。

 

 攻撃しては退がって、攻撃しては退がって、攻撃しては退がって。絵に描いたようなヒットアンドアウェイがそこにはあった。

 

 方天戟は【打雷把(だらいは)】の得意武器の一つ。長い間合いを取ったまま強大な一撃を叩き込む事に特価している。そして、素手の体術がそのまま槍術にも活きる。武法の例に漏れず、体術と武器術がクロスオーバーしているのだ。

 

 だが、ボクがこの武器を選んだのはそれだけが理由ではない。

 

 最たる理由は、その間合いの長さだ。

 

 インシェンは類い稀な先読みの能力を持っている。それこそライライの言うとおり、読心術の領域に片足を踏み入れているほどに。

 

 そんな能力を持った相手に最も有効と思われる策。それは――絶え間なく、積極的に攻め続けることだ。

 

 たしかに奴には、攻撃の前兆が分かるかもしれない。けれども、必ずその攻撃をいなせることが保証されているというわけではない。仮に前兆が分かったとしても――その時点で動ける状態でなければ全く意味が無いのだ。

 

 人間は重心を崩した時、それを本能的に安定させようとする。しかしその生理的反応は、そのまま全身の硬直を招く。

 

 つまり――

 

「うおぉっ?」

 

 ボクの刺突を黒い刀身で受け止めたインシェンは、その勢いに押されて後方へたたらを踏んだ。

 

 チャンスと睨み、後足を蹴る。【震脚】による踏み込みに伴わせる形で、槍先を風の速度で相手の腹部へ向かわせた。

 

 インシェンは二度目の刺突が当たる直前に刀を内側へ振り、槍先の進む起動を少し横へずらした。露出した左脇腹の表面に、方天戟の側面についた刃が擦過。微かな切り傷を作る。

 

 すぐに体勢を整えたインシェンは、爬虫類のような金眼をギラつかせ、察したように呟いた。

 

「……なぁるほどぉ。そぉいうことかぃ」

 

 ――早速こっちの策を見破られたっぽい。

 

 そう。矢継ぎ早に連打を仕掛けることで、重心のぐらつきを誘発するのだ。

 

 数を打てば、たとえその全てが防がれようとも、防いでいる内に必ずぐらつきが生じる。ぐらつけば、体が無意識のうちにバランスを保つため硬直する。そしてその硬直中はうまく動くことができないはず。そこを積極的に狙うのだ。いくら見切る能力に優れていたとしても、動くことができなければ意味は無い。方天戟や槍といったリーチの長い武器は、その連続攻撃を安全圏から仕掛ける事ができるのである。

 

 さらに、方天戟は刺突だけにとどまらない。槍先の両隣についた三日月状の刃があるため、刺すだけでなく斬ることもできる。つまり真っ直ぐ突くだけの槍と違って攻撃方法がワンパターンになりにくく、工夫次第で多彩な攻撃を仕掛けることができる。

 

 そして何より、自分よりも長い間合いを持った武器を、大抵の人なら鬱陶しく思うはず。そしてその「鬱陶しい」という感情は――長い武器の破壊に自ずと集中するようになる。インシェンが方天戟の柄ばかりを斬ろうとしていたように。相手の攻撃を自分の任意の位置へ誘導する【打雷把】の体さばき【仙人指路(せんにんしろ)】の応用だ。

 

 ボクは武器を後ろへ引き絞って構えると、もう何度目かになる接近を開始した。

 

 鍛えられた足の【(きん)】の功力にものを言わせ、敵との距離を一気に潰す。途中でヘソ周りを捻り、遠心力を乗せた刃を振り放った。

 

「そぉ何度も同じ手は食わんよぉ!」

 

 そう叫ぶや、インシェンは武器のリーチ内に鋭く踏み入ってきた。三日月状の刃を後ろへ置き去りにし、柄の真横に移動する。

 

 良い判断だ。遠くへ逃げようとせず、あえて間合いの中へ入ってしまうことで、目標物である柄に近づける。おまけに長い武器にかかる遠心力は内側に向かうほど弱くなる。リーチの奥に入ってしまえば当たっても痛くはないはずだ。

 

 ――が、良い判断だからこそ、それも想定内。

 

 ボクは大きく退歩しつつ、方天戟の刃を迅速に引き寄せた。柄尻を真後ろに引いて武器の長さを短く調整し、インシェンを間合いの外にする。

 

 手前へ引っ込めた槍先は、真っ直ぐ敵に向いていた。

 

 胴体と下半身を、足底から一気にねじり込む。同時に、真後ろへ引いていた柄尻を前へ押し出した。鋭い旋回力は槍先へ伝達し、鋭い推進力へと変化。

 

「疾っ!!」

 

 渾身の纏絲勁(てんしけい)を込めた刺突が、稲妻と見紛う速度で直進。

 

 インシェンは走行の勢いを止められず、銀閃としてやって来る槍先を甘んじて受ける事となった。鳩尾に突き刺さると同時に、接地面から青白い火花が弾けた。

 

 強風にあおられたダンボールよろしく後方へ弾き飛ばされた。しかし、すぐに着地し両足を踏ん張らせ、ボクから10(まい)弱離れた位置で勢いを消しきった。

 

「……こりゃぁやべぇな、とんでもねぇ勁力だぁ。こんなイカれた【勁擊(けいげき)】ぶっぱなす小娘がこの世にいたたぁなぁ。これだからぁ武法の世界は面白ぇ」

 

 そう感嘆の台詞を吐くインシェンの表情は、嬉々とした笑みだった。タンイェンの護衛など抜きにして、戦う事そのものに楽しみを見出しているような顔。

 

 槍の刺さった胸部の布には穴こそ空いていたが、それ以外に外傷らしい外傷は見当たらなかった。当たる直前【硬気功(こうきこう)】で防いだのだ。

 

 ボクは密かに眉をひそめた。【打雷把】の『硬気功無効化能力』は、素手の【勁擊】を使う時のみ効果を発揮する。つまり、武器では発動できないのだ。もし叩き込んでいたのが槍ではなく拳だったら、その時点で終わらせることができていたかもしれない。

 

 インシェンは体操のように肩を数回回すと、腰を落とし、刀を下段に構えた。

 

「んじゃぁ、今度は俺の番だなぁ。お嬢ちゃんの本気度合いが分かったんだぁ――小手調べなんて無粋な真似はもぉせんよぉ!!」

 

 しなやかに地を蹴飛ばし、矢の速度と猛獣の迫力を兼備した突進を見せた。

 

 その速力にボクは舌を巻くが、気を持ち直し、構える体に力をみなぎらせる。こちらの猛攻を防ぐべく、自分から攻めていこうという算段なのだろう。

 

 そうはいくもんか。武器のリーチはこっちが上なんだ。逆に押し返してやる。

 

 ボクは槍先を下段に置いたまま、インシェンとの間隔を固定するように真後ろへ大きく何度も後退。しかし、バックステップで真っ直ぐの走りと対等の速度が出せるはずもなく、すぐに両者の差が詰まった。敵がボクの間合いのすぐ前へ到達。

 

 下段に置いておいた刃を跳ね上げ、牽制してやろう――そう考えた瞬間、ただでさえ速いインシェンの速度がより一層増した。またしてもすっぽりと間合いを侵犯される。そしてボクの跳ね上げた刃がインシェンの後ろで虚空を斬った。

 

 インシェンが下段にしていた黒刃を逆袈裟に斬り上げ、方天戟の柄を真っ二つにする――前に、ボクは片足の靴底を床に叩きつけた。

 

 足裏に硬い感触を覚えるとともに、柳葉刀が回転しながら真下から飛び出した。先ほどミーフォンを助けるために投げつけたものだ。ちょうど良い所に落ちていたので使わせてもらおう。

 

 両者の間を遮る形で宙を舞った柳葉刀を、インシェンは即座に苗刀で真横へ弾き飛ばした。目が見える人間でもびっくりするはずなのに、顔色一つ変えずに対応してみせた。全盲であると考えると恐ろしい。【聴気法】以外にも、よほど鋭い感覚を持っているのだろう。

 

 ――しかし、その感覚の鋭さが命取りだ。

 

 黒刃を外側へ振ったことで、インシェンの胴体は今、がら空きだった。

 

 そしてすでにボクは小柄な体躯を生かし、そのあけすけな懐へ潜り込んでいた。

 

(ふん)ッ!!」

 

 【震脚】で踏み込むと同時に腰を深く落とす。肘打ち【移山頂肘(いざんちょうちゅう)】が突き刺さった。

 

()ッッッ!!!」

 

 渾身の肘打を浴びたインシェンの身体が、ロケットのような速度でカッ飛んだ。

 

 ほぼ一瞬で向こう側の壁に激突し、粉塵と轟音を同時に発生させる。

 

「やった! やっぱりお姉様の【勁撃】は最強よ!」

 

 大広間の端に立つミーフォンが、嬉しそうに声を上げる。

 

 だがそれとは正反対に、ボクは顔をしかめていた。

 

 さっきの肘打ち、当たりこそした。だが――手応えがあまり無かった。絶対にクリーンヒットではない。

 

「……酷いねぇ、こんな勢いよく壁に叩きつけるなんてよぉ。威力を殺せても、激突で死んじまうよぉ、マジでぇ」

 

 それを裏付けるように、モクモクと立ち込める粉塵の中から声が聞こえてきた。

 

 粉塵はすぐに晴れ、インシェンの姿が露わになる。背中側から青白い光が数度明滅して見えた。【硬気功】で激突のダメージを防いだのだ。

 

 ――さっきの肘打ちが当たる直前、インシェンはボクの肘の前腕部に自分の腕を押し付けた。

 

 勁力が最も集中するのは、突き出された肘の先端。なので、肘と違って勁が集中していない前腕部に前もって触れておいたことで、威力を減退させたのだ。さらに【通背蛇勢把(つうはいじゃせいは)】特有の呼吸法を用い、全身にかかる衝撃を軽減させた。

 

 とっさの判断で、ここまで緻密な対応ができるなんて。

 

 やっぱりこの男、只者じゃない。ボクは柄を持つ両手の握力を我知らず強めた。

 

 インシェンは身体をほぐすように首を一回転させると、また素早い速度を活かして向かってきた。

 

 ボクはさっきと同様、退がって距離を稼ごうとした。

 

 だがインシェンは真っ直ぐは進まず、右側へ弧の軌道を描きながら近づいてきた。側面から攻める気だ。

 

 ボクは槍先をインシェンに向けなおす。

 

 するとインシェンは、今度は左へ弧を描いて進んできた。ボクもそれに合わせるように左へ槍先を向かわせる。距離が縮まってきたので、バックステップも合わせて。

 

 そんな感じで追いかけっこをしばらくしていると、背中がひらべったいモノにぶつかった。どうやら壁に追い詰められてしまったようだ。

 

「はぁっ!!」

 

 それを確認すると、インシェンは一層速度を上げて真っ直ぐ近づいてきた。

 

 マズイ。後ろが行き止まりである以上、後退もできないし、円状に武器を振り回すこともできない。攻撃手段が一気に限られてしまった。

 

 そんな風に苦悩している間にも、インシェンは無慈悲に着々と間合いへ近づいてきている。

 

 ボクは後ろへ下がるのをやめ、左へ走った。広いところへ避難して仕切り直しだ。

 

 当然ながら、奴はそんなボクをしつこく追っかけてくる。けれども、すでに方天戟を振り回すのに支障がない広い場所に来ていたため、問題はなかった。

 

 ボクは武器を大上段に振りかぶる。近づいてくるインシェンめがけて、腰の沈下と合わせて三日月状の刃を斧のように振り下ろした。

 

 インシェンは少し横へズレて、それを躱す。間合いの中へ入る。

 

 ボクの攻撃はまだ続く。回転しながら後ろへ跳ね、着地と同時に遠心力を込めて薙ぎ払い。インシェンは黒い刃で三日月状の刃を防御。ガキィンッ、とやかましく金属音が響く。

 

 一歩退きながら、黒刃と接触した槍先を手前へ引っ込める。そして再び元来た方向へ戻す形で、インシェンめがけて突き掛かった。

 

 ――この時ボクは、インシェンは体を捻るという最小限の動作で避けると踏んでいた。さらにそこを狙い、確実に当たるであろう攻撃を放とうと頭の中で考えていた。

 

 けれども、インシェンはやってきた槍先を、垂直に構えた黒刃で受け止めた。槍先と三日月状の刃の間に黒い刃が割り込み、甲高い衝突音が鳴る。

 

 避けられない攻撃じゃないはずなのに、どうしてわざわざ防ぐ事を選んだのか――思考を巡らせようとした瞬間、インシェンの腰部が急激に手前へ"蠕動(ぜんどう)"した。

 

「――――ッ!?」

 

 かと思えば、黒刃と接触していた方天戟の先端、柄を介し、腕から体へと凄まじい衝撃が走った。

 

 その衝撃の勢いに押されるまま、真後ろへ吹っ飛ぶボク。

 

 虚空を流れながら、ボクは今の攻撃の正体を察した。【吐炮(とほう)】。腰椎を激しくうねらせ、背骨を介してその力を腕に伝達させる技だ。極めて小さなモーションで大きな力を出せるため、懐へ潜り込んだ時のトドメの一撃として用いる事が多い。

 

 壁が迫る。だが、激突する前にボクは両足を付き、足指を踏ん張らせて勢いを殺した。

 

 再び武器を構えようとした時には、すでにインシェンが間合いの中へと侵入していた。

 

 武器を振って応戦しようと試みる。だが、さっきの【吐炮】による勢いがまだ消えきっておらず、体が思うように動かない。

 

 そして、

 

「ほらよぉ!!」

 

 下から掬い上げるように放ったインシェンの太刀筋が方天戟の柄とぶつかり、そして通過(・・)する。

 

 柄が途中で途切れ、槍先と泣き別れた。

 

 180厘米(りんまい)ほどの長さを約130厘米(りんまい)に縮められると同時に、方天戟の武器としての意味を無にされた。

 

 しかし、ボクはその程度では揺るがない。そもそも、武器を破壊されるなんて想定の範囲内。

 

 後足で床を踏み切り、その反力でインシェンの黒刃の範囲内へ入り込んだ。

 

 インシェンは懐まで距離を詰められまいと、大きく後退。そして、それを追うボク。互いの間隔は広がりも狭まりもしない。ボクが間合いに入った状態がキープされている。

 

 ボクはまだ、"方天戟だった長い木の棒"を両手に握っていた。苗刀の柄を握るインシェンの手に狙いを定めると、木の棒の断面で思いっきり突き放った。

 

「痛っ……?」

 

 肉と骨に食い込む感触を得るとともに、インシェンが顔をしかめて刀を握る手を緩めた。その緩めた一瞬を見逃さず、今度はその手を下から蹴り上げ、苗刀を手放させた。ずっとインシェンの手から離れなかった刀が床に落ち、スライドする。

 

 取りに行く暇さえ与えない。ボクは木の棒を元きた方向へ逆走させる形で振り出した。インシェンの顔面を狙った攻撃だ。

 

「刀が無きゃぁダメな野郎だと思うなよぉ!?」

 

 言った途端、インシェンの片手が一瞬"消える"。かと思えば、振った木の棒がひとりでに折れた。見ると、消えた片手がいつの間にか手刀を振り抜いた状態となっていた。

 

 ボクはさらに短くなってしまった木の棒を投げ捨てる。

 

 そこから素手での戦いが始まった。

 

 インシェンは刀を失っても少しも動揺を見せなかった。それどころか、生き生きと攻めてきた。

 

 拳の中指の第二関節を(やじり)のように突き出した透骨拳(とうこつけん)を作り、それを矢の如く放って来る。ボクは最小限の足さばきで横へずれ、胸部を狙った正拳を回避。

 

 避けたが、そこで攻撃は終わらなかった。インシェンの拳が開かれたと思った瞬間には、片腕を掴まれた。奴はそこからもう片方の腕による手刀でボクの首を狙ってきた。突風に匹敵する速度で迫るその手刀は、当たれば首くらいは簡単に切り落とせるほどの鋭さを秘めていた。

 

 腕を掴まれているため、動いて避けられない。なのでボクはもう片方の手で拳を作り、やってきた手刀を下から打ち上げた。

 

 攻撃をなんとかいなした後、ボクは片腕を掴んでいるインシェンの手を即座に振りほどいてから、すぐさま敵の懐へ潜り込んだ。

 

 【震脚】で踏み込み、同時にその足をねじり込む。衝突勁と纏絲勁を込めた正拳【碾足衝捶(てんそくしょうすい)】を真っ直ぐ突き放った。

 

 インシェンは体をひねって軸をズラし、紙一重で躱す。ボクの正拳が腹の前を通過してから、すかさずその腕に真上から手刀を斬りおろしにかかった。

 

 素早くその突き手を引っ込めてその手刀から逃れつつ、次の拳打に以降していく。足底から全身をねじり込み、突き手を引き手に変え、引き手を突き手に変えた。【拗歩旋捶(ようほせんすい)】。いわゆる正拳逆突きだ。

 

「うっ……!?」

 

 その拳が伸びきる寸前に、お腹に衝撃がぶつかった。技は直撃寸前の所で不発に終わり、ボクの体はその衝撃の勢いに流されていく。

 前を見ると、靴裏を突き出したインシェンの姿。蹴られたのだろう。奴の足はボクの腕よりリーチがあるので、それを利用して【碾足衝捶】をストッピングされたのだ。小柄な我が身が少し恨めしかった。

 

 踏みとどまった後も、休まる暇はない。インシェンは裏拳の要領で鶴頭を飛ばしてきていた。

 ボクシングのスウェーよろしく頭を引いて避けたものの、今度はその伸びてきた手の肘が曲がりながら近づいてきた。

 次の攻撃を察したボクは真横へ跳ぶ。それから刹那の間隔を経て、ボクのいた位置をインシェンの肘打ちが貫いた。腰を深く落とし、山のようにどっしりと鎮座して放たれた強力な頂肘(ちょうちゅう)

 

 しかし、だからこそ居着きやすい。ボクは回転しながら元来た方向へ戻り、その回転に右回し蹴りを乗せた。

 

 インシェンは片手で蹴り足を掴み取ると、思いっきり自分の手前へと引き寄せた。しかし、それも織り込み済みの対応。ボクはわざとその引かれる力に乗り、右足を折りたたみながらインシェンへと飛びかかった。

 

「おぉっ……?」

 

 微かな声を上げるインシェン。ボクら二人は仲良く将棋倒しとなった。

 

 右足を掴むインシェンの手を振りほどいてから、転がりながら離れ、立ち上がった。インシェンも同じように、そして同じタイミングで立つ。

 

 そして、互いに床を蹴って疾駆。接近。あらゆる手を使って何度も打ち合った。

 

 しなやかで、かつ起伏の激しい体術から放たれる、鋭い連打の数々。軽さと重さの兼備という矛盾した性質を秘めた打撃が、拳、蹴り、手刀腕刀など、ありとあらゆる形をとって幾度もボクに襲いかかる。

 

 ボクも決死の思いでそれを防ぎ、躱しつつ、時折反撃する。けれども、どの攻撃も等しく空振るか、あるいは軽く擦過する程度。クリーンヒットへとなかなか繋げられない。

 

「はっっ!!」

 

()ッッッ!!!」

 

 もう何度目かになる【移山頂肘】が衝突。しかし最初の時と同様、肘ではなく前腕部を触れられたまま衝撃を受け止められ、おまけに呼吸法によって力を大幅に減退された。結果的にインシェンを遠くまで吹っ飛ばせたが、全然手応えがない。まるで水を殴った気分だ。

 

 ボクらの距離が至近距離から、一気に伸び広げられる。

 

 インシェンが止まった。その場所の足元には――先ほど取り落とした苗刀が落ちていた。

 

 当然ながら、奴はそれを拾った。

 

「……ククク、偽娼婦のお嬢ちゃん、おたく筋はかなり良いんだがぁ、ちょっと後先考えなさすぎだぜぇ? 敵を武器の落ちた場所に誘導すればこうなることくらい、予想はつくだろぉよぉ? 普通は拾わせねぇように遠くにやるのが定石ってもんだろぉ? 強ぇ【勁擊】バカスカ放つからこぉなんだよぉ」

 

 言うや、インシェンは再び我が手に舞い戻った漆黒の愛刀を床と並行にし、後ろへ引いて構えた。

 

 ――知ってる。そんなこと、わざわざアンタに言われなくても百も承知だ。

 

 ボクは、そんなただ【磁系鉄(じけいてつ)】で出来てるだけの刀なんか、少しも警戒の範疇に入れていなかっただけだ。

 

 確かにその刀には【硬気功】が効かないが、ただそれだけだ。【硬気功】が使えなくなったというだけで、自分の持つ技すべてが意味をなさなくなったわけではない。

 

 ボクには、一途に鍛え上げた【打雷把】がある。それの前では【磁系鉄】の武器など小細工に同じだ。

 

 そしてインシェン、アンタはその技の恐ろしさの一端を思い知ることになるだろう。

 

 何より――アンタは常人以上の優れた間隔こそ持ち合わせているが、その感覚には小さいようで大きな「穴」が存在する。

 

 それら二つを、今からその身に叩き込んでやる。代わりに、敗北という名の授業料を払ってもらう。

 

 ボクは構えた。そして、インシェンの出方を待つ。

 

 やがて、

 

「んじゃぁ――そろそろお開きといこぉかぁぁぁぁぁ!!!」

 

 反時計回りに高速回転しながら向かってきた。

 

 「刀が回転している」のではなく、「黒い()がある」ように見えるほどの速力でスピンし、つむじ風のように追いかけてくる。

 リーチが長いため、こちらからはうかつに手が出せない上、その回転で溜めた遠心力を次の技にも利用できる。大雑把だがとても理にかなった攻防一体。自分の武法を「品性は無いが叩き上げ」と評価したインシェンの言ったとおりである。

 

 ミーフォンもライライも、必死になって逃げ出した攻撃法。

 

 しかし、ボクは二人とは全く真逆な行動を取った。

 

 その黒い円環に向かって――突っ込んでいったのだ。

 

「自殺したくなったかぁ、偽娼婦ぅ!?」

 

 迫り来る漆黒のつむじ風から、昂ぶった声色でそう言ってくる。

 

 なんと言われようと、その足に迷いはない。

 

 ただ我が身をひたすら正面へと鋭く、速く導き続ける。

 

 やがて、黒い円環が目と鼻の先まで迫った。

 

 このまま何もしなければ、高速で廻り巡る漆黒の刃によって首が落ち、全身を挽肉にされるだろう。

 

 だが、無論、何もしない訳が無い。

 

 ボクは両手首を密着させ、左側面に構える。

 

 そして、黒い円環の中へと踏み入った。

 

 

 

 次の瞬間――音が鳴った。

 

 

 

 肉が裂ける音?

 骨が砕かれる音?

 それとも、その両方?

 

 どれも否。

 

 

 

 ――金属同士が(・・・・・)ぶつかる音(・・・・・)だ。

 

 

 

「……っ!?」

 

 インシェンの表情に動揺が浮かんだ。

 

 左から右へ横薙ぎに放たれた黒刃は――ボクの両手首にはまった分厚い腕輪によって防がれていた。

 

 そう。先ほどまでボクを拘束していた手枷の残骸である。

 

 ――コレの存在に、インシェンはもっと気を配るべきだったのだ。

 

 インシェンの感覚は確かに鋭い。しかし、その鋭い感覚をもってしても、把握しきれない部分が存在する。

 

 それは――相手の服装。

 

 インシェンは、相手が動き出す前からその攻撃の前兆を読めるという超能力じみた感覚を有している。

 けれど反面、相手が身につけている衣服、装飾に関してはほとんど認知しきれていなかった。

 

『私たちが今――どんな服を着てるか分かる?』

 

『答えられないでしょう? 答えられるわけがないわよね? だって、"分からない"んですもの』

 

 ライライがインシェンを盲目だと見破った時に投げかけた質問を聞いたおかげで、ボクはその事を察することができていた。

 

 インシェンは、こっちが武器なしだと油断していた。だからこそ何一つ警戒せず、回転だけを続けた。それを止められるとも知らずに。

 

 そして、止められて間もない今この瞬間こそが――最大の隙となり得る!

 

 接している黒刃を沿うようにして、一瞬でインシェンの懐へ潜り込む。

 

 そして、その胴体の表面に掌を添えた。

 

 インシェンの顔にあからさまな狼狽が見える。

 

 けれど、今更焦ってももう遅い。

 

 ボクは体術を開始した。

 表面上、五体はほとんど動かさない。

 しかし【意念法(いねんほう)】と呼吸によって筋骨を緻密に操作し、小さいながらも細く鋭い勁を体内で練り上げ、ゼロ距離から一気に解き放つ――――!!

 

 

 

 

 

 ズバンッ!!! という、落雷にも似た炸裂音が轟いた。

 

 

 

 

 

 それをきっかけに、慌ただしかった大広間(ホール)が水を打ったように静まり返った。

 

 誰一人として、言葉どころか、呼吸一つ発さない。

 

 打ち合わせでもしたかのような沈黙がそこにあった。

 

 けれども、それはボクの頭頂部に赤い雫(・・・)が滴り落ちる音によって破られた。

 

 最初の一滴を皮切りにして、どんどん赤い雫がボクの頭を真紅に染めていく。

 

 落ちてくる赤いソレは、すぐに雫から流体へと変わった。

 

 赤い液体の流れてくる方向をたどるようにして、視線を上げる。

 

 そして――白目を剥いたまま口元から血を流し続けるインシェンの顔が目に入った。

 

 インシェンはひとしきり血の滝を流すと、まるで支えを失ったカカシのように背中から倒れた。それによって――掌の延長線上の壁に穿たれた握りこぶし大の(あな)が明らかになる。遥か向こう側の壁である。

 

 ボクは突き出した掌をゆっくりと下ろし、呼吸を整えた。

 

 そして、仰向けに倒れたインシェンを見下ろす。顔を力なく横へ傾け、口から流れ出る血で赤い水たまりを作っていた。

 

 

 

 【雷霆万鈞(らいていばんきん)】が一招――――【冷雷(れいらい)】。

 

 

 

 【打雷把】には、【移山頂肘】や【衝捶】といった基本の技の他に、『奥義』に分類される技がいくつか存在する。

 それらの技は全て【雷霆万鈞】という名の【拳套(けんとう)】の中に保存されている。

 【雷霆万鈞】に含まれる技法は、いずれも極めて高い確率で相手を殺傷せしめるほどの強大な威力を誇る。

 

 今のはその中の一つ【冷雷】。

 外見上は不動(ノーモーション)を装いながらも、体内では特殊な【意念法】と呼吸法によって骨格や【筋】を細かく操作し、勁を生み、掌を介して相手に送り込む。まるで内部に膨大な稲妻を蓄えて放出する積乱雲のように。

 極限まで研ぎ澄まされたその勁力は針のような鋭さと貫通力を誇り、相手の体内を浸透、貫通し、その後ろ側の物体まで飛んでいく。また、鋭すぎて【通背蛇勢把】の呼吸法でもほとんど威力を緩和できない。

 

 意識を失って仰臥(ぎょうが)するインシェンを見て安堵する一方、申し訳なさにも似た気持ちも抱く。

 

 ボクはよほどの事がない限り、【雷霆万鈞】は使わないようにしている。それを使ってしまった。彼を殺してしまったかもしれない。

 

 武法士である以上、いつか相手を殺してでも勝たないといけない時が来ることは覚悟していないといけない。ボクもその覚悟はしていたが、それでも人の命を奪ってしまう事に慣れられるほど、冷酷にはなれなかった。

 

 ――そして、そんな殺人に慣れるどころか、楽しむようにさえなった残忍な人物が一人いる事を思い出す。

 

 ボクはインシェンに詫びるように軽く頭を下げると、踵を返し、その人物――馬湯煙(マー・タンイェン)の立つ方向へ歩き出した。

 

「あ……あ、あ……」

 

 視線という矛先を向けられたタンイェンは顔面蒼白となる。キョロキョロと周囲を見回し、自分の足元に横たわるリエシンを見つけると、髪を引っ張って強引に起こし、その首筋に匕首(ひしゅ)を突きつけた。

 

「く、く、来るな小娘ぇ!! こ、この女を殺――」

 

 言い切る前に、ボクは右足に履いていた靴を蹴って飛ばす。靴は弾丸のような速度で滑空し、タンイェンの手に直撃。握っていた匕首を取り落とさせた。

 

 タンイェンは再びそれを拾い上げる――前に一気に距離を詰め、匕首を遥か遠くに蹴っ飛ばした。

 

「あ……!」

 

 タンイェンは絶望的な表情となる。

 

 リエシンをその片腕から奪い返して寝かせてから、ボクは改めてタンイェンに視線をぶつけた。

 

 一歩進む。

 

「な……何をするつもりだ? お、おお俺をどうする気だ? 殺すのか? 殺す気なのか?」

 

 一歩進む。

 

「ば、莫迦が! そんな事をすれば貴様が臭い飯を食うハメになるんだぞ!? 貴様も知らんわけではあるまい!? ぶ、武法士が素人を殺したら、素人同士の間で起きた殺人以上の厳罰で裁かれる事になる! 自分で自分の首を絞めるつもりか!?」

 

 一歩進む。

 

「そ、それに俺はとある大きな【黒幇(こくはん)】とも懇意にしている! 俺を殺せば最後、その【黒幇】共が意趣返しのために貴様を狙うぞ!? そうなれば貴様は終わりだ! 【奐絡江(かんらくこう)】を漂う屍となる未来は避けようがない! 実に愚かな選択――」

 

「バカじゃないの」

 

 虫を叩き落すようなニュアンスで、ボクはそう返した。

 

「殺すわけないでしょ? 武法士による素人殺しの重罪は重々承知だし、おっかない人達に目つけられるのもめんどくさいし。何より、アンタと同じ尺度に落っこちるのボク嫌だもん」

 

 それを聞いて、タンイェンの表情が安堵の明るさを得た。

 

「な、なら――」

 

「――でも、その代わり」

 

 ギリィッ。拳を硬く握り締め、

 

 

 

「一発だけでいい――――本気(マジ)で殴らせろっっ!!!」

 

 

 

 タンイェンの顔面に、思いっきりぶち当てた。

 

 技にならない、お粗末で洗練さの欠片も無い殴打。

 

 しかし、それでもタンイェンは面白いほどに飛んでいき、宙を舞い、やがてうつ伏せに落下した。

 

 奴は鼻血を垂らしたまま動かない。しかし時々ピクピクと表情筋が動いている様子から、生きてはいることがわかる。

 

 それを確認すると、ボクは一息ついてから、

 

「終わったよ」

 

 振り向いて、微笑みを交えてみんなにそう伝える。

 

 それに対し、

 ミーフォンは嬉しそうに微笑みを返し。

 ライライは疲れたような、それでいて安堵したような力ない笑みを返し。

 そしてリエシンは、申し訳なさそうな表情で目を背けたのだった。

 

 

 

 

 ――――こうして、ボクらの長い夜は終わった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。