一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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御前

 目の前にそびえ立つその建物に、ボクは開いた口が塞がらなかった。

 

 ミーフォンもライライも、似たような感じである。

 

 今、大通りを真っ直ぐ北上しているボクらの視線の先には――まさに「宮殿」と表現できる建造物が見えつつあった。

 

 真っ平らな紅色の壁が遥か右から遥か左まで伸び、重厚に内側を隠し護っている。その壁の中央には、黄色の瓦屋根をかぶった門構え。

 その頑丈そうな壁はなかなかに背が高いが、広大な敷地内の建物全てを隠しきれてはおらず、壁の輪郭の下から大きな黄色の屋根がいくつかはみ出ていた。

 赤色と黄色を基調とした建築物の集まり。

 

「これが【熙禁城(ききんじょう)】……凄いわね」

 

 それを見たライライの呟きに、ボクも内心で同意した。

 

 これが煌国の宮廷建築物【熙禁城】である。

 

 前にもちらっと説明したが、【熙禁城】は大通りを真っ直ぐ北へ進んだ果てにある。ある程度【熙禁城】に近くなると、両端にずらりと並んでいた建物たちは綺麗さっぱり無くなり、代わりに大きな赤い牌楼(はいろう)が等間隔で何対も並んでいた。それが、やんごとなき方々の膝元へ近づいている事を強調していた。

 

「あの……本当にここに入るんでしょうか……」

 

「ああ」

 

 ボクの恐る恐るな確認の問いに、先頭を歩いていた官吏の男はあっさり頷いた。さっき【吉火証】を見せた人だ。

 

 信じがたいことに、ボクらはこの中におわす皇帝陛下に呼び出されているのだ。

 

 一体どうしてだろう? そんな疑問ばかりが脳裏を支配する。その疑問がそのままの形で口から吐き出された。

 

「一体どうしてだろう?」

 

「こちらが訪ねたいくらいだよ。官と言っても自分は末端の身だ。それゆえ、そういった事情は一切聞かされていないんだ」

 

 官吏はまたしても淡々と返した。

 

 隣を歩いているミーフォンがやや震えた声で、

 

「……まさか、お姉様を何かの罪で牢へ入れようと……?」

 

「それはないよ。裁くのが目的なら、わざわざ宮廷まで呼びつけたりはしない。それは治安局の領分だ」

 

 官吏の答えはどこまでも冷静だった。しかし、その声に少しばかり緊張の色を感じた。きっと、彼も宮廷には近寄りがたいのだろう。

 

 ほどなくして、目的地の前まで到着した。

 

【熙禁城】の城門は、近づいて見てみるとさらに大きかった。城門の両端には槍を片手に持った衛士が一人ずつ立っている。

 

 大きいのは門だけじゃない。城壁も思いのほか高い。全てがビッグサイズ。まるでアメリカのハンバーガーみたいに。

 

 首を限界まで曲げないと最上部が見えないほどのジャンボっぷりは、驚き云々よりも無言の威圧感のようなものを感じさせた。これ以上踏み込むことが畏れ多いことのように感じられる。まさに宮廷らしい荘厳な雰囲気だ。

 

「少し、ここで待っていてほしい」

 

 官吏はそう言ってボクらを静止させると、衛士の元へ近寄り、何事か話す。

 

 すると衛士二人は納得したようにこくこくと頷き、二枚戸である城門の片方を開け放った。官吏はそこへ遠慮がちな足取りで踏み入り、奥へ消える。

 

 それから五分くらい経つと、官吏は門から出てきた。さっきまでいなかった”もう一人”と一緒に。

 

 その”もう一人”は、騎士制服を中華圏風にアレンジしたような赤い衣服――宮廷護衛隊の制服をピシッと着こなす男だった。端正ながらひ弱さを感じさせない顔立ちに、細見に見えてよく鍛えられた体躯。凛々しさと力強さを同時に連想させるその美丈夫は、

 

「……あ!」

 

 ボクが会ったことのある人だった。

 

 間違いない。

 

 この人と初めて会ったのは【滄奥市(そうおうし)】の予選大会の最中。

 

羅森嵐(ルオ・センラン)」という少女のフリをしていた皇女殿下の護衛を務めていた――

 

「リーエン、さん?」

 

 その美丈夫――裴立恩(ペイ・リーエン)さんはボクの姿を確認すると、無表情のまま、平淡な口調で一言。

 

「お久しぶりです、李星穂(リー・シンスイ)女士」

 

 

 

 

 

 

 久しぶり(といってもたったの数日ぶりだが)に会ったリーエンさんとともに宮廷の中へ入ったボクら三人。彼がこれからの案内役を務めてくれるらしい。

 

 ちなみにさっきの官吏は再び庁舎の方角へ戻った。その顔が安心してる感じだったのは、宮廷などという近寄りがたい場からようやく解放されたからに違いない。

 

 観賞魚がうっすら見える(ほり)の上に放物線状に架けられた長い石橋。それを超えた先にある二枚目の門を目指し、リーエンさんを先頭にボクらは橋の上を渡っていた。

 

 門をくぐってからというもの、ずっと無言のままだった。

 

 いい加減、沈黙が息苦しかったので、前のリーエンさんへ話しかけてみた。

 

「その、お久しぶりですね」

 

「そうですね」

 

「……その、宮廷って初めて入ったけど、凄いですよね」

 

「そうですね」

 

「…………その、今日も帝都が平和で何よりですね」

 

「そうですね」

 

 ……………………。

 

 会話のキャッチボールってなんだっけ?

 

「あの……もしかしてボクの事嫌いです?」

 

「?」

 

 何を言ってるんだこの娘は、とでも言いたげに首を傾げるリーエンさん。そして再び前へ向き直す。

 

 ……あ、そっか。これが素なのね。

 

 きっと誰にでもこんな感じなんだろう。ボクにだけこんな淡々としているわけではなさそうだ。そう思うと少しだけ救われた気分。

 

 ふと、隣のミーフォンがちまちまと服の裾を引っ張ってきた。

 

「お姉様、この美男子(イケメン)は一体何者なんです? お姉様とこの男の話を聞く限りでは、お二人は知り合いのようですけど……それにあの服、宮廷護衛隊の制服ですよね?」

 

 あ、そういえば二人には説明まだだったっけ。

 

 なのでボクは、リーエンさんがその宮廷護衛隊の副隊長であること、そのリーエンさんがセンラ……もとい煌雀(ファン・チュエ)皇女殿下の守護者であり武法の師であること、そしてボクと彼が顔見知りとなった経緯などをかいつまんで説明した。

 

 二人はあーなるほど、とでも言いそうな納得の顔をした。

 

「宮廷護衛隊……そこに所属しているだけでも凄いのに、しかも副隊長とはね」

 

 ボクの少し後ろを歩くライライが顎に手を当てながら、独り言のように呟く。濠を泳ぐ魚がちゃぷん、と水面を跳ねた。

 

 その呟きに、リーエンさんが静かに返した。

 

「そう大げさな事でもございません。虚飾無く地道に武を練り、なおかつ職務に忠実たれば、誰であろうと私のようになれます」

 

 おお、やっと会話らしい事しゃべり始めてくれたよ。

 

 そういえばこの人、センラ……もとい皇女殿下を強引に連れ帰ろうとして、それを止めようとしたボクに躊躇なく剣を抜いたっけ。あの時ボクは柄にもなく頭に血が上ったけど、今思えばあの行動は護衛官という職務に対して忠実だったからこそのものだったんだよね。

 

 その時に見た風のような剣速を思い出したボクは、小さく笑みを浮かべて、

 

「けど、生半可な腕前では務まらない。それは確かですよね?」

 

「ええ。ですが求められるのは武法の腕前だけではありません。的確な判断力、最低限の宮中作法、応急処置程度の医学知識、達者な馬術、そして何より……皇族を守るための「肉の盾」となる覚悟。俸禄(ほうろく)は高いですが、その分命の危険が伴います。ゆえに我々は任務にあたる前に、各々の遺書を生きているうちに書き残しておくのです」

 

 彼の一言一句からは、護衛官という職務の重たさがひしひしと感じられる。実際にその世界を見ている人間にしか出せない雰囲気的リアリティがそこにはあった。

 

 リーエンさんは顔が鉄で出来てるんじゃないかってくらい表情の変化に乏しい。けどそれは、死と隣り合わせな任務をこなすうちにそうなってしまったのかもしれない。死線に慣れ過ぎたせいで、いろんなことに対して冷静でいられるようになったのかもしれない。

 

 そんな風に話している間に石橋を超え、その先にある門もくぐった。

 

 途端――視界いっぱいに絶景が広がった。

 

 年季の入った石畳がどこまでも前へ横へと伸び広がった、馬鹿でかい広場だ。サッカーの試合が一度に2ゲーム行えそうなほどの広さを持ったその広場の奥には基壇があり、最上部には巨大かつ華美な建物がどっしりと居座っている。

 

 その煌びやかさに思わず見入ってしまうボクら三人。職業柄しょっちゅう見るのであろうリーエンさんは変わらぬ様子で歩き続けていた。

 

「も、もしかしてあそこに陛下がいらっしゃるんですか?」

 

「いいえ。あそこは「火殿(かでん)」という、皇族の即位、結婚、誕生祝いなどといった国家的儀式を執り行うための建造物です。「火殿」の裏側には、似たような外観をした「水殿(すいでん)」があります。官吏登用試験を含む国家試験の会場、宴会場などとして用いられる建物です」

 

 ボクのおのぼりさん丸出しな質問にも、リーエンさんは普通に答えてくれた。

 

 広場の奥まで歩み寄り、「火殿」「水殿」を乗せた基壇の階段を上る。その基壇は真っ白な漢白玉(かんぱくぎょく)でできており、階段の手すりから欄干に至る細部まで、細やかな装飾が施されていた。一段登るだけでも申し訳なく思える。

 

 一番上の段まで来てから、聞いた通り似たような見た目をした「火殿」「水殿」を横切り、北へ伸びた階段を下る。

 

 先ほどほどではないが、それなりに大きい広場に降り立った。奥にはまたしても門。しかしこの【熙禁城】でこれまで見てきた門に比べ、明らかに外観に気合いが入っている。

 

「あれは『混元門(こんげんもん)』という、「外廷(がいてい)」と「内廷(ないてい)」を繋ぐ門です。あの門から南側が、市井の民にも比較的開かれた区画である「外廷」。そしてこの門を超えた先が皇族の私的な区画である「内廷」。陛下は内廷にある『天麗宮(てんれいぐう)』の玉座にて貴女方をお待ちです」

 

 ごくり、と三人同時に喉が鳴った。

 

 そこから最初に言葉を発したのはライライだった。恐る恐る挙手しながら、

 

「あ、あの……私たち、陛下にお会いする時の作法とか、全然知らないのですが……」

 

「そう過剰に気構えずとも結構です。陛下も市井の人間である貴女方に、そこまでの事は期待してはおりません。御前では跪いたり、何かを賜ったらこうべを垂れて礼を述べたり、最低限のことを守っていただければ大丈夫なはずです」

 

 またも平淡な口調でリーエンさんが答えた。

 

 とうとう『混元門』の前へ到着。

 

 リーエンさんが二人の門番に頷く。彼らもまた頷きを返し、その重厚な門を二人で開いていく。

 

 固く閉ざされていた両の扉が徐々に開いていき、その奥にある――

 

 

 

「シ――――ン――――ス――――イ――――ッ!!!」

 

 

 

 チョコレート色の長髪をした少女をさらけ出した。

 

 がばーっ、と胸の中に柔らかい重みが飛び込んでくる。ボクはとっさに足腰に力を入れ、それを倒れず受け止めた。ほのかな甘い香り。

 

「ああっ、この匂い、間違いない! 会いたかったぞシンスイ! ようやく来てくれたか!この日を(わらわ)がどれだけ待っていたことか!」

 

 背中に回された腕に力がこもる。チョコレート色の髪を被った小さな頭が、壁面みたいなボクの胸にゴリゴリ押し付けられる。

 

 センラ……もとい皇女殿下は、ボクの腕の中で幸福そうに笑っていた。

 

 見ると、彼女は「羅森嵐(ルオ・センラン)」だった頃のような庶民丸出しな格好ではなかった。上下ともに裾が長めな群青色の衣装。胸の谷間が見えない程度に鎖骨の辺りが露出しており、両腕と(はかま)の裾の先からはフリルに似た白い生地が短くはみ出ている。服の至るところには宝飾や金銀細工が散りばめられており、まるで蒼暗い夜空に輝く星々を彷彿とさせた。

 

 しかしそんなことはどうでもいい。

 

 確かに彼女に再び会えた事はとても嬉しい。けど、だからこそ、ボクは何を言えばいいのか判断に困っていた。羅森嵐(ルオ・センラン)という「一介の武法士」はもういない。目の前にいるのは皇女という「公人」だ。そのような相手に、センランにしてきたような馴れ馴れしい話し方はいけないと思った。

 

 けれども、このまま放っておいても話が進まない。こんな言い方は冷たいかもしれないが、ボクらはあくまで皇帝陛下に会いに来ただけなのだから。

 

 けれど、んんっ、というリーエンさんの咳払いを聞いて、皇女殿下は我に返った。グッジョブ。

 

「あ……すまぬ。こんな事をしている場合ではなかったな」

 

 ボクから二歩ほど距離を置くと、彼女は少女らしい表情を引き締め、「皇女」の顔となった。

 

「帝都へようこそ、李星穂(リー・シンスイ)とその一行。父上――現皇帝が奥でお待ちだ」

 

 それを見て、ボクはようやく宮廷に来たのだと真の意味で実感したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「父上、チュエでございます。ただいま李星穂(リー・シンスイ)とその一行をここへお連れいたしました」

 

 美しい金細工がふんだんに施された赤い両開き扉に向かって、皇女殿下は凛々しい声音で告げた。

 

 目前には、三階建てほどの高さと広い横幅を持った立派な建物がある。赤い壁面に、朱色の屋根と庇。その庇を支える円柱から屋根を構成する瓦の一枚一枚まで少しも手を抜かれておらず、個々の材料の寸法や形がまるでコピーしたかのようにみんな一緒だった。

 

 この【熙禁城】に入ってから、建物が持つ迫力や豪華さには圧倒され続けていたが、今目の前にあるソレは今まで見たものよりどこか異質だった。

 

 それもそのはず。ここは『天麗宮』といって、玉座の間がある宮殿だからだ。つまりこの扉の向こう側に、陛下がどっしりと座っているということ。

 

「――入るが良い」

 

 扉の向こうから聞こえてきた男の声が耳に入った瞬間、脊椎に電流が走った。否応なしにピシッと背筋が伸ばされる。

 

 きっとこの声は……皇帝陛下のものだろう。

 

 唾を呑む。

 

 大丈夫だ。緊張するな。リーエンさんも、陛下がボクらを庶民だと知っていると言っていた。多少の不作法は寛大なお心で許してくださるに違いない。

 

 ライライもあがっている様子だった。いつもは柔らかなその表情がカチカチに固まっている。

 

 意外なことに、ミーフォンは比較的落ち着いていた。けれど少し考えると「当然かも」と思った。この娘は【太極炮捶(たいきょくほうすい)】宗家の者として、武法の表演のために何度か陛下の御前に訪れているらしいから。経験がボクらより上だ。

 

 それぞれのリアクションを見せていた時、ギイィ……と赤い扉がひとりでに開いた。内側から誰かが開いているのだ。

 

 明らかになった『天麗宮』の内部。それを見て、ボクは思わず息を呑んだ。

 

 豪華絢爛。そんな四字熟語でしか表現できないような大広間だった。壁面、天井問わずにオリエンタルな装飾が煌めきを示しており、巨大な球状の行燈五つが五芒星の位置関係でぶら下がっている。壁際には護衛隊の制服を着た男たちが一本道を作るように並んでおり、それに導かれるまま視線を一番奥へ向けると、数段の段差の上にある玉座と、『公正無私』という煌国語が書かれた額が目に付いた。

 

 玉座にどっしりと座るその人に、視線が吸い寄せられた。

 

 年齢は壮年と初老の中間くらいの男性だ。体格は長身でやや痩せ形。柔和そうな顔立ちだが瞳の放つ光は鋭さがあり、斜め上へ鋭角的に尖った口髭がさらに顔に威厳を与えていた。シルクハットを押し延べたようなデザインの冕冠(べんかん)と、胴体に精緻な龍の刺繍が入った立派な長衣は、両方とも黄土色で統一されている。

 

 冕冠から覗く頭髪と髭の色は黒。しかし目元がどことなく皇女殿下に似ている。

 

 確信した。

 

 彼がこの煌国という一国家を統べる絶対君主、皇帝陛下であるということを。

 

 そして陛下の隣には、長身痩躯の美青年が控えていた。思わず見惚れてしまいそうになるほどの、貴公子然とした顔立ち。腰まで伸びた美しい髪は皇女殿下と同じチョコレート色だ。その髪色と、陛下に負けず劣らず立派な身なりから察するに、彼も皇女殿下と同じく皇族の方であろう。

 

 皇女殿下とリーエンさんを先頭にし、玉座へ近づくボクら三人。

 

 陛下のご尊顔がはっきりと見えるほど近くまで来たところで、進行が止まった。

 

 リーエンさんが横へ移動し、護衛官たちの列に加わる。皇女殿下は玉座のある段差まで上っていった。

 

 それを跪くタイミングだと直感したボクは、スッと落ちるように片膝を床に付いた。後の二人もボクに倣う。

 

「面を上げよ」

 

 その声に従い、顔を上げる。

 

「そなたが李星穂(リー・シンスイ)、で間違いないかな?」

 

 陛下のお言葉に耳を傾ける。その顔と同じく、柔和な中にも重々しさが宿る声色であった。

 

 流石に緊張したが、それでもボクは努めて落ち着き払った口調で答えた。

 

「はい。ボク……ではなく、私が李星穂(リー・シンスイ)でございます」

 

「そうか。余は不肖の身ながら皇帝をやらせてもらっている煌榮(ファン・ロン)という。隣にいるのは我が息子の煌天橋(ファン・ティエンチャオ)。皇位継承権第一位、次期皇帝候補筆頭だ」

 

 名を呼ばれた美青年、ティエンチャオ殿下は「どうも。よろしく」と微笑みかけてきた。その優美かつ気品漂う笑みに思わず見惚れてしまいそうになるが、心の中で力いっぱい首を振った。あれは男。あれは男。あれは男。

 

 陛下が再び口を開いた。

 

「そなたの活躍ぶりは、我が娘のチュエからよく聞かされている。まずは【黄龍賽】の本戦出場を祝わせていただこう。そして、これからのより一層の活躍を期待する」

 

「はっ。もったいないお言葉でございます」

 

 陛下はそこまで述べると、今度はボクの左隣に膝を付いたミーフォンに呼びかける。

 

「そちらにいるのは、(ホン)一族の末妹だったか。以前何度か見たことがある」

 

「はい。いかにも紅一族の三女、紅蜜楓(ホン・ミーフォン)でございます。数年ぶりに御身を拝謁できた僥倖、恐悦至極に存じます」

 

 ミーフォンはうやうやしくそう言った。おお、なんかボクよりずっと堂々としてて様になっている。「お姉様ぁー!」とか叫びながら甘えてくるいつものあの娘とは思えない。

 

「うむ、久しいな」と頷く陛下。さらに、

 

「して……あと一人のそなた、名を申してみよ」

 

 そう訊いてきた。

 

 ボクもミーフォンも話しかけられた。よって、陛下のおっしゃる「あと一人」というのがライライを指していることは明白だった。

 

 彼女もそれを悟ったようで、やや緊張した声でゆっくり言葉をつむいだ。

 

「お、お初にお目にかかります陛下。わた、私は宮莱莱(ゴン・ライライ)と申します。よ、よろしくお願いいたします」

 

(ゴン)か……これもチュエから聞いたのだが、そなたは【刮脚(かっきゃく)】の使い手であるそうだな?」

 

「は、はい」

 

「ふむ……」

 

 陛下は少しの間彼女の顔を眺めてから、再び口を開いた。

 

「……もしも間違っていたなら申し訳ないが、そなたは『無影脚』とうたわれた【刮脚】の名手、宮淵輝(ゴン・ユァンフイ)の血筋の者ではないか?」

 

「ち、父をご存じなのですかっ?」

 

「なるほど、娘か。道理で面影があるわけだ。そなたの父は一度余の前で【拳套(けんとう)】を表演してみせたことがある。噂に違わぬ見事な腕前であったことは今でも忘れぬ。良い男を父と師に持ったな」

 

 それを聞いた瞬間、緊張気味だったライライの表情がぱあっと明るくなる。「こ、光栄でございます!」と嬉しそうに言う。父親を褒められた事が誇らしかったのだろう。

 

 これで、ボクら三人に対する陛下のご挨拶は終わった。

 

「さて、そろそろ本題に入ろうではないか。李星穂(リー・シンスイ)、そなたは今、どうして自分たちがここへ呼ばれたのか疑問に思っておるな?」

 

「はい」

 

「そうか、もっともな意見だ。それをこれから話す。そなたら三人をここへ呼び寄せた理由は二つある。一つ目は、そなたらが【滄奥市】でチュエと関わった件が関係している。我が不肖の娘がそなたらに迷惑をかけた事をこの場で謝罪したい。同時に、短い間ながら友として娘に接してくれたことへの感謝を告げたい」

 

 ボクらは三人同時に「恐縮です」とかしこまった。

 

「さて、もう一つは」と、陛下は話の内容をそこで区切った。むしろ、そこから先が本番だと言わんばかりの口調だった。

 

 陛下の視線は三人の中のたった一人――ボクへ真っ直ぐ注がれていた。

 

 視線で体に穴が空く錯覚を覚えながらも、何事も無いようにジッとしているボク。

 

李星穂(リー・シンスイ)よ、そなたは【雷帝】強雷峰(チャン・レイフォン)の弟子であるらしいな?」

 

 びくっ、と肩が震えた。

 

 ボクの師匠が強雷峰(チャン・レイフォン)だとどこで聞いたんだ、と一瞬考えたが、これも皇女殿下からお聞きしたのだろうとすぐに納得。

 

 数瞬遅れで肯定する。

 

「はい。その通りです。私は【雷帝】の最初で最後の門弟。彼から【打雷把】を与えられ、現在でも修練を続けております」

 

「【打雷把】か。十数年前にここへ来た頃、あやつは己の拳に名もつけていなかったが……流石に伝承する上で名前はあった方が便利と踏んだのだろうな」

 

「そ、そんな感じです」

 

「そうか。して、【雷帝】は今どうしている? 最近、あやつの新しい武勇伝を全く耳にせぬのだが」

 

「……師は、二年前に病で逝去なされました」

 

 瞬間、部屋中がざわついた。

 

「なんと。あの殺しても死ななそうな男が……」

 

 陛下は本気で驚いた顔で、独り言のように言った。隣のティエンチャオ殿下も目を丸くしている。

 

 かと思えば、陛下は深く頭を下げた。

 

「すまなかったな。知らなんだとはいえ、訊いてはならぬことを訊いてしまった」

 

「い、いいえいいえ! いいんです! もうずいぶん前の事ですから! だからおやめ下さい!」

 

 ボクは必死に頭を上げるよう促した。陛下にこうべを垂れさせている自分が、まるでひどい犯罪者のように思える。

 

 陛下は頭を起こすと、気を取り直した声で告げてきた。

 

「では李星穂(リー・シンスイ)よ。その【打雷把】とやらを余に見せてはくれまいか?」

 

 予想外の命令に、ボクは目を何度もぱちぱちさせる。

 

「表演せよ、ということでしょうか?」

 

「うむ。それが二つ目の理由だ。【雷帝】の衣鉢を継いだそなたの拳、是非ともこの目に刻み込んでおきたい。無論、差支えがなければで構わぬが」

 

 陛下は黙想するように目を閉じ、こちらの答えを待った。

 

 ちょっとびっくりこそしたが、特に断る理由は無い。なのでボクは「分かりました」と了承。

 

「その前にお聞きしたいのですが、この『天麗宮』の床で震脚を行っても大丈夫でしょうか?」

 

「構わぬよ。仮に床材が砕けても、そなたを咎めたりはせぬ。思い切りやるがいい」

 

「では、お言葉に甘えて。ライライ、ミーフォン、ちょっと後ろに下がってくれないかな」

 

 二人は黙って頷くと、そそくさと下がってスペースを広げた。

 

 そのスペースの真ん中にボクは直立する。

 

 周囲に、右拳を包んだ『抱拳礼』で挨拶をする。 

 

 呼吸を整える。陛下の前だと思うと少し緊張するので、周囲に誰もいないとイメージする。

 

 誰もいない静かな世界に、ボク一人が佇む。

 

「『母拳(ぼけん)』」

 

 周囲を包む静寂に、一言、そう投じた。

 

 途端、ボクはまるで導火線の火を受け取った爆竹のごとく爆ぜた。

 踏み込んで双正拳。さらに踏み込んで頂肘。全身を旋回させつつ正拳。急激に腰を沈墜させて掌打。踏み込みの反作用力を利用した上掌打。腰の沈下をともなった正拳。踏み込みと同時に足底から全身を鋭く開いて撑掌(とうしょう)――

 それら全てに、床を踏み砕かんばかりの震脚が伴っていた。

 まるで火山の爆発が幾度も連続するような、強大な勁撃の連なり。

 

『母拳』という、【打雷把】の基礎的な勁撃法を学ぶ【拳套】だ。

 

 脊椎を垂直に張りつめ、足指で大地を掴む——それらの要訣によって盤石な重心を築く【両儀勁(りょうぎけい)】。

 その【打雷把】の基本勁を保ちながら、重心を高速でぶつけて威力を出す衝突勁、腰を急激に沈めて威力を出す沈墜勁、体を左右へ展開して威力を出す十字勁、全身を螺旋状にねじり込んで威力を出す纏絲(てんし)勁……様々な勁を複合させる。

 勁とは全身で作る力。上半身と下半身の動きを終始同調させて生みだす、強く鋭い力。

 その勁を打ち出す勁撃とはすなわち、「一拍子でたくさんの力を生み出し、それを集約させて叩き込む」打法。

【打雷把】は、その「一拍子」に非常に多くの勁を注ぎ込む。それこそが「人を殺して釣りが出る」ほどの威力の秘訣である。

 

 話を『母拳』に戻す。

 

『母拳』とは、一拍子に莫大な勁を作りだす体術に体を慣らし、さらにその威力をどこまでも高めるための【拳套】なのである。

 しかし、普段修行している【拳套】をそのまま演じているわけではない。

【拳套】は、修行として行う『裡式(りしき)』と、他人に見せるための『外式(がいしき)』の二種類に分かれている。今ボクが陛下の御前で演じている拳は後者だ。

『外式』は、技としての機能を壊さないまま、細かい技術の要訣が隠れるように工夫してある。目が肥えた人が見ても、その要訣を読み取ることは非常に難しい。

 ボクは色んな流派の知識こそあるが、その中核をなす要訣までは分からない。それはこの『外式』しか見ていないからである。

 このようにして、武法士は自分たちの伝承を巧妙に隠しているのだ。

 

「はっ……」

 

 運動神経に深く刻み込まれた技の数々を無心でこなしていき、やがて終わりに差し掛かる。

 

 腰を落とした姿勢から両膝を揃え、吸気を交えてゆっくりと直立していく収式。

 

 息を深く吐く。

 

 右拳左手の抱拳礼を陛下に捧げ、締める。

 

 次の瞬間、静かであった玉座の間に、割れんばかりの拍手が沸き立った。

 

 陛下、皇女皇太子両殿下だけでなく、両側の壁に立ち並ぶ護衛官たちも手を勢いよく叩いていた。

 

 なんだかこそばゆ気分になったボクは、うなだれて顔を前髪で隠す。

 

 しばらく経って拍手が止む。陛下を除いて。

 

「素晴らしい、素晴らしい。実に見事な功力であったぞ。間違いない、その拳、十年前に【雷帝】が見せたものと全く同じである」

 

 大変喜ばれている様子。

 

「お、お気に召したのなら幸いです」

 

「うむ。大いに気に入った。だが、余としては、もう少しその武法の何たるかを目に焼き付けたいと思っている」

 

「何たるか、ですか?」

 

 意味深な表現に首を傾げるボク。

 

 すると陛下は「ジンクンはいるか?」と少し声高に呼びかけた。

 

「はっ。ここに」

 

 呼びかけからほとんど間を作らず、一人の護衛官が列から出た。

 

 武人の屈強さと紳士の気品が同居したような、初老ほどの偉丈夫であった。顔は鋭く引き締まった輪郭を持ち、髪はすべてオールバックのように後ろへ流している。目つきは鋭いけど殺気でぎらぎらしている感じではなく、理知的な光が瞳に宿っている。宮廷護衛隊の制服を整然と着こなすその肉体はリーエンさんと違って大柄かつ骨太だが、無駄な筋肉が一切付いていない。無駄という無駄を削ぎ落とした彫刻のような肉体美。

 

 何より、身にまとう雰囲気が普通ではなかった。

 

 いや、別に威圧感みたいなものをまとっているわけではないのだ。むしろ逆。それらしい感じが一切しない。しかしだからこそ、これからどのように動くのかが全く読めないのだ。まるでヒトではない何かがヒト型を取って歩いているかのようであった。

 

 自然と、その偉丈夫に視線が向かっていた。

 

 彼はボクと陛下の間に踏み入る。そして、ボクと向かい合った。

 

「かの【雷帝】の弟子に会えて光栄である。我が輩は宮廷護衛隊の隊長を務める郭金昆(グォ・ジンクン)と申す。よろしく頼む」

 

「へ? あ、はい、どうも。よろしくお願いします」

 

 友好的な笑みとともに差し出された無骨な手を、ボクは戸惑いとともに一礼しながら握る。

 

 手が離れた後、陛下は値踏みするような笑みを浮かべて言った。

 

李星穂(リー・シンスイ)よ、もし差支えなければ、そのジンクンと手合せをしてくれぬか。その【打雷把】とやらがどのように戦うものなのか、余は見てみたい」

 

 …………はい?

 

 

 


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