一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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新たなる決意

衝捶(しょうすい)】【碾足衝捶(てんそくしょうすい)】【拗歩旋捶(ようほせんすい)】【硬貼(こうてん)】【移山頂肘(いざんちょうちゅう)】【迅雷不及掩耳(じんらいふきゅうえんじ)】……いくつもの技法をどこまでも連結させていく。

 

 一手放つ間に次の二手、三手、四手、五手くらい先の技も考え、次の二手を打とうとする間にも事前に数手先の手段を思考する。脳細胞に火がつきそうなくらいの速度で頭を働かせ続け、絶え間なく決め手級の技を繰り返す。

 

 そのことごとくを――ツインテール幼女はかすりもせずに躱していた。

 

 しかもその避け方は、「やってきた攻撃から素早く逃げる」というスピード感あるものではなかった。まるで散歩中に差し掛かった障害物を軽く避けて通り過ぎるかのような、自然体で、かつ緊張感に欠けるものであった。

 しかし、だからこそ不気味に感じた。どんな大男もたじろぐであろう勢いと威力を持つ【打雷把(だらいは)】の猛攻を前にし、日常生活然とした動きができるなんてまともな神経とは思えない。

 

 明らかに異質な体捌き。

 

 額に浮かんだ汗が、凍りそうだった。

 

 一体、何が起こっているというのだろう。

 

 とはいえ、攻撃中に雑念を持つのは良くなかったようだ。

 ツインテール幼女はボクの側面へ移動して正拳を回避しつつ、ボクの膝裏に自身の膝を回り込ませる。そのまま片腕でボクの胸部を押し、テコの原理でひっくり返してきた。背中から石畳に寝転がった。

 

 ボクは流れるように受け身を取り、すぐさま立ち上がった。ツインテール幼女との距離が僅かに開いた――かと思いきや滑るように詰めてきた。

 

 初めて見せる攻勢に一瞬戸惑うが、すぐに気を引き締める。ボクの方がリーチは上だ。落ち着いて狙えば彼女の間合いに入ることなく迎え打てる。

 

「はぁっ!」

 

 足底から全身を鋭く捻り込み【拗歩旋捶】。螺旋状の勁力をまとった拳が動作過程を途切れさせるほどの速度で直進。

 

 対し、ツインテール幼女は全く軌道を変える事なく真っ直ぐ突っ込んでくるではないか。

 

 何を考えてる? このままじゃボクの拳の軌道とぶつかるぞ。わざわざやられに来たっていうのか――驚愕と呆れを五分五分に抱いたボクだが、放った正拳が幼女の頰と薄皮一枚の間隔を開いて通過したのを見た瞬間、心が驚愕一色に塗りつぶされた。

 

 ボクの拳の軌道と彼女が向かってくる軌道はぶつかる位置関係だったはずだ。しかし彼女は直撃寸前に自身の的をほんの微かにズラし、紙一重の間隔でもって躱したのだ。なんという精密な体さばき。感服ものである。

 

 小さな体がボクの胸の中へ流れてくる。

 

 ボクは迎え討とうと右膝を突き出——そうとした瞬間、幼女はボクの右膝に自身の靴裏を押し当てた。しまった、これじゃ膝蹴りが出せない。

 

 ワンテンポ先に出鼻を挫かれた事に更なる驚きを覚えるが、それで動きを止めることはしない。今度は至近距離からでも凄まじい威力を叩き込める突き技【纏渦(てんか)】を繰り出すべく、右拳を幼女に添えた。

 

【纏渦】の勁力伝達速度は【打雷把】で最速。足底を捻り始めた時点でその力がトコロテン式に拳へ届くのだ。拳を体表面に添えたこの体勢へと持ち込めば、相手が避けようとする前に打ち込める。ほぼ当たったも同然。

 

 ボクはゼロ距離から拳を爆進させ————

 

 

 

 空気を打った。

 

 

 

「がっ!?」

 

 神速の拳が外れた事を理解したのと、背中へ鉄球を叩き込まれるような衝撃を受けたのは全く同時であった。

 

 大きく弾き飛ばされながら、薄眼でさっきまでいた位置を見る。肘を突き出して深く腰を落としたツインテール幼女の姿。

 

 転がって受け身を取り、立ち上がる。打たれた背中が痛い。

 

 ツインテール幼女は相変わらず何を考えているのか分からないような無表情のまま、ゆっくりと歩いて来ていた。

 

 そんなバカな……【纏渦】を避けたっ!?

 

 そこまで来て、ようやくその事実へ思考を傾けることができた。

 

 拳を密着させたあの位置関係から【纏渦】を避ける奴なんて初めてだった。

 

 あの状態から回避するなんて、それこそ一瞬先の未来でも覗かない限り不可能――

 

「……未来」

 

 ふと、閃いた。

 

 普段なら「あり得ない」と断ずるだろうが、ここまでシャレにならない事実を出されたら「その可能性」も視野に入れなければならない。

 

 

 

 そう――この幼女は「未来が見える」のだ、という可能性を。

 

 

 

 未来を見る能力……ボクはソレと良く似た能力を見た事がある。

 インシェンが使っていた、相手の攻撃の「前兆」を読む超人的な【聴気法(ちょうきほう)】だ。

 が、その能力で分かるのは相手が攻撃を仕掛けてくるタイミングだけだ。相手がこれから行う具体的な攻撃法まで読めるわけではない。むしろ、そうでなかったからこそボクはインシェンを倒せたのだ。

 このツインテール幼女は違う。これから相手が使うであろう攻撃手段を先読みし、それをいち早く封殺していた。【纏渦】を初見で避けられたことで、その仮説は真実へと急接近した。

 

「君は、ボクの動きを先読みできるのか?」

 

()

 

 直球で尋ねたボクに対し、幼女は少しも間を作らず肯定。

 

「わたしはあなたの攻撃を先読みできる。厳密に言うと『攻撃軌道の予測』」

 

 彼女は歩くのをやめ、立ち止まった。

 

 かと思えば、また歩き出した。

 

「質問。李星穂(リー・シンスイ)、あなたは今のわたしの動きから、これからわたしが行う攻撃の具体的な情報を読む事ができたか」

 

 何言ってるんだと思いつつも、ボクは首を横に振った。

 

「それが普通。でも、わたしは分かる。相手が行う身振り、手振り、足振り、表情筋の動き、目の動き、呼吸の刻む拍子、足を踏み出したことによる振動、移動時に起こる風圧の向かう方向、服が風でなびく方向…………そういった「取るに足らないゴミのような情報」をいくつも寄せ集め、そこから相手が放つ攻撃の種類・軌道・やって来る時間・力の程度といった具体的な情報を瞬時に解き明かす事ができる。この能力を使えば、たとえ目を閉じていても容易に相手の攻撃を避け、防ぎ、御せる。これをわたし達(・・・・)は【看穿勁(かんせんけい)】と呼んでいる」

 

 【看穿勁】……そんな技術、武法の世界に浸かりまくったこのボクですら聞いた事がない。

 

 そんなもの、まさしく未来視と同じではないか。

 

 体の芯がこの上ない緊張で硬くなる。

 

「この【看穿勁】は防御や回避だけじゃない、攻撃にも役に立つ。なぜなら、相手の攻撃の軌道が全部先読みできるということは――攻撃を一切受ける事なく堂々と間合いへ踏み入ることができる事に繋がるのだから」

 

 そう言いながら歩いてくる幼女の足取りは、不気味なくらい落ち着き払っていた。

 

 歩容に気圧いが無いことが、逆に恐ろしく見えた。

 

 自然と足が後ろへ下がった。

 

 瞬間、幼女がツインテールの二尾を引きながら、風のように疾走。

 

 ボクはソレを迎え討とうとしたが、すぐにやめた。【看穿勁】などと言う得体の知れない能力の存在を知らされた以上、迂闊に打ち込んだらかえって隙を作ってしまう。まずは避けて防いでからだ。

 

 なめらかな歩法で滑り寄ってきた小さな体。ボクはそれをすんなり間合いへ招き入れる。

 

 自然な感じで、しかし確かな鋭さをもって伸ばされる右掌底。ボクはその外側へと逃れつつ、敵の右側面を陣取る。

 

 次の瞬間、真っ直ぐ伸びた彼女の右腕の肘がクンッ、と曲がった。腕に角度を作りながら肘が進む先には、ボク。

 

()!」

 

 透き通る声による一喝とともに、小さな肘が爆発的な威力を"発力"した。

 

 ボクは【硬気功(こうきこう)】を込めた右手でその肘鉄を受け止めた。痛みはなかったが、爆ぜるような勢いが体の裏側まで突き抜けるような錯覚を感じながら、真後ろへと飛ばされた。

 

 靴裏と石畳との摩擦抵抗で強引に勢いをねじ伏せる。

 

 ツインテール幼女はなおも悠々と佇んでいた。まるで自分の優位は揺るがないとでと言わんばかりに。

 

 ボクは呼吸を整え、これから取るべき手段を高速で考えた。

 確かに攻撃を行えば、そこがそのまま隙となってしまう。

 でもだからといって、このまま逃げ続けていても何も変わらない。

 

 なんでもいい。今すぐ倒せなくてもいい。彼女のペースを多少でも崩すことが出来れば。

 

 良いとはいえない頭を必至に働かせる。

 

 その末に――一つ閃いた。

 

 それを早速実行するべく、ボクは目標であるツインテールを射るように見据えた。

 

「定義。あなたはこれから、真正面からわたしを叩こうとする。迷いの無い、清々しいほど真っ直ぐな直線軌道がわたしの胴体に刺さっている」

 

 ご丁寧に写実的な説明をくれる幼女。

 

 ボクは何も答えず、ご明察通り彼女の瞳をまっすぐ見ながら直進した。鍛えられた脚部の【(きん)】が叩き出す敏捷性にモノを言わせ、彼我の距離を一気に詰めた。

 

 杭を打ち込むように靴底を大地へ叩きつけ【衝捶】。

 

「またその技」

 

 幼女は片手を前に出す。その掌中へ予定調和のようにボクの拳打が吸い込まれ、接触した途端その周囲へするりと絡みつかせてくる。

 

 すると拳に込められたエネルギー全てが溶かされ、スカスカの一撃となった。【化勁】だ。

 

 しかし、ボクは少しもガッカリしなかった。

 

 確かに勁は化かされた。けど――ボクと彼女の視線はいまだにぴったり重なっている。

 

 ボクは両者の視線同士が繋がって糸のようになる『意念』を強く浮かべながら、勢いよく右へ頭を振った。

 

 すると、まるで見えない糸に引っ張られたかのように、幼女が右へ大きく前傾した。――【太公釣魚(たいこうちょうぎょ)】。自分と相手の眼の間に仮想の糸を意念(イメージ)し、相手を一時的に操り人形にする技。神経がすり減りそうなほどの集中力が要求されるためあまり得意な技ではなかったが、成功して何よりだ。

 

「……っ!?」

 

 幼女の息を呑む声。その仮想の糸に見事踊らされた小柄な体は今、バランスを大きく崩した「死に体」だ。

 

 こちらの攻撃軌道が筒抜けだというのなら――予測できても避けられない状況に追い込んでやればいい。

 

 幼くも高い知性を感じさせる顔立ちに、驚愕が現れる。

 

「はっ!!」

 

 虚空を舞う幼女へ一瞬で押し迫り、【碾足衝捶】をお見舞いする。

 

 直撃。風に吹かれた羽根のように吹っ飛んだ。当たる瞬間に【化勁】で威力の何割かを溶かされてしまったけど、体勢が悪い状態では全ての力を溶かしきることはできなかったようだ。

 

 飛ぶ彼女の背中の延長上には壁面。

 幼女はくるり、と宙返り。背中ではなく足裏で壁に激突し、【碾足衝捶】による勢いが消えた途端に着地した。

 

「……驚いた。こんな方法でわたしに一撃加えるなんて」

 

 ほんのかすかにだが、ツインテール幼女の歩みにはよろけが見られた。軽減させたとはいえ、ノーダメージでは済まなかったようだ。

 

 その様子に勝ち誇る気持ちをひそかに抱きつつ、訊いた。

 

「どうする? まだ続けるかい」

 

(いな)。そろそろ引き際。あなたの実力がいかほどのものかも計ることができた。これ以上の続行は後に差し障る」

 

 幼女の言い回しに、ボクは引っかかるものを覚えた。

 

「ボクの実力を計る? 一体、何のために?」

 

「興味があったから、というだけ。かたくなに弟子を取らなかったという【雷帝】の弟子がいかほどのものか、気になった」

 

「……そういえば、君はボクの事を誰から聞いたんだい? もし試合に応じたら、勝敗にかかわらずソレを教えてくれる約束だよね? 君の名と素性も込みで教えてよ」

 

「今から教えるつもりだった。まずは、わたしの名前と所属門派から」

 

 ツインテール幼女は一息置いてから、少しゆっくりめに答えた。

 

 

 

 

 

「わたしの名前は劉随冷(リウ・スイルン)。【道王山】の門弟にして――――【太上(たいじょう)老君(ろうくん)】の称号を継ぎし者」

 

 

 

 

 

 相変わらず、抑揚のない声。

 

 けれど今放たれた台詞には、その声以上の衝撃的ニュアンスが込められていた。

 

 ライライたち三人を含む周囲の人々が大きく色めき立つ。

 

「【太上老君】だって……!? 君が……!?」

 

 驚き以外のリアクションが取れなかった。

 

 【太上老君】――その称号が持つ意味を知らない武法士はほとんどいない。

 

 【道王山】における最秘伝、【太極把】を継ぐ者のことだ。

 

 【太極把】の全容は、全くの謎に包まれている。その技術は非常に強力であるらしく、師一人につき弟子も一人という一子相伝の体制で伝承を繋げてきた。

 その非常に内向きな伝承方法に加え「【道王山】の外で【太極把】は見せてはならない」という徹底した秘密主義ゆえに、【太極把】をわずかでも見たものはいないと言われている。

 

 幻のベールに包まれた【太極把】は、様々な憶測や迷信を人々の間に作り出した。

 曰く、【送気法】で【気】を当てた相手を即死させる技。

 曰く、湖を岸から岸へ歩いて渡る技。

 曰く、視線で『意念』を送るだけで心臓を止められる技。

 信憑性の高いものから荒唐無稽なものまで様々だ。確かに存在する武法なのに都市伝説扱いされている奇妙な流派なのである。

 

 何度も言うが、【太極把】の姿を見た者はいない。つまり証人がいないのだ。そのため、目の前で【太上老君】を名乗るこの少女がニセモノの可能性だってあり得る。長い歴史の中でかたくなに秘密主義を貫き続けてきた【太極把】を名乗って、いったい何人の人がそれを「本物」と信じるだろう?

 

「証拠は?」

 

「今はない。でも嘘だと疑うなら、【黄龍賽(こうりゅうさい)】が終わった後にでも【道王山】まで行って尋ねるといい。「現在の【太上老君】は劉随冷(リウ・スイルン)か」と」

 

 ボクの目を真っ直ぐ見て言い返した。私見だけど、嘘をついているようには見えなかった。

 

 【黄龍賽】という単語を聞いて思い出した。そういえば本戦出場者名簿に「劉随冷(リウ・スイルン)」という名前が書いてあった。つまり、この子も本戦出場者。

 

「もっとも、【黄龍賽】が終わった後でも――あなたが(・・・・)武法士で(・・・・)いられる(・・・・)かどうか(・・・・)定かでは(・・・・)ないけれど(・・・・・)

 

 ――なんだって? 今、何て言った?

 

「ねえ、えっと……スイルン、それってどういう意味?」

 

 ツインテール幼女、もといスイルンは疑問とばかりに小首を傾げる。その仕草は子供っぽく見えた。

 

「いや、「あなたが武法士でいられるかどうか定かではない」って台詞だよ」

 

「それは――」

 

 スイルンがその先をつづけることはなかった。

 

 

 

「お前と私が交わした約束を、忘れているわけではなかろう?」

 

 

 

 太く、張りつめたような声がボクの耳朶を打った。

 

「え……」

 

 聞き覚えのある、いや、あり過ぎる声に、我が耳を疑った。

 

 そんな。まさか。こんな所にいるなんて。

 

 ありえない、と考えそうになって止めた。

 

「あの人」は、この帝都で高級文官として働いているではないか。ならば、再会しても何らおかしくはない。

 

 緊張して動きに乏しい首で、ゆっくりと後ろを振り返る。

 

 案の定、そこには聞いた声と同様に、よく見知った人物が立っていた。

 

 文官がよく好んで着る、裾が少し余る上品な上下衣。ゆったりとした生地からでも分かる広い肩幅、厚い胸板、太い首。硬質感と凄みのある(いわお)のような顔立ちと鋭い眼光は、厳格な人間性を隠しもしていない。

 

 こんなごっつい男からボクのような可憐な容姿の娘が生まれるなんて、とても信じられない。

 

 そうである。

 

 ボクが【黄龍賽】などというものに参加するキッカケを作った人物。全ての元凶。

 

 

 

 

 

 ――ボクの父である李大雲(リー・ダイユン)であった。

 

 

 

 

 

「父……様」

 

 ボクのかすれた呟きに、ライライたち三人は息を呑んだ。

 

 何を語りかけようか返事に窮していると、父様はこっちへ歩きながら先に口を開いた。

 

「どうやら、本戦まで上がってこれたようだな。過酷さで根を上げているとも考えたが、なかなか足掻くではないか」

 

 久しぶりに会ったのに、第一声がそれかよ。

 

 動揺はすぐに反感へと裏返った。

 

 父様は輪のような人だかりをぐるっと見回すと、あからさまに眉根を潜めて吐き捨てた。

 

「ふん。相変わらず卑俗な場所だな、【武館区】というのは。武法士どもが何食わぬ顔で帝都の一部を私物化している。解体でもすれば普通の民が通りやすくなるものを」

 

 それを聞いた周囲の武法士たちは苛立ちでざわめいた。しかし頭に血を上らせて飛び出してくる者は一人もいなかった。父様の歩き方から、素人であると判断したからだろう。武法士が武法士でない人を傷つけると罪に問われるのだ。おまけに見るからに文官なのでなおさら相手が悪い。

 

 ボクは不機嫌さを隠さずに、

 

「そんな卑俗な所にわざわざ立ち寄るなんて、『戸部(こぶ)』の長官というのは随分と暇なんですね。それとも何ですか? 娘に構ってほしいんですか?」

 

「何だと?」

 

 父様の眉間に刻まれた皺の数が数本増える。

 

 が、すぐに元に戻る。

 

「……まあいい。お前の減らず口など慣れっこだ。いちいち頭に来ていては身が持たん」

 

 言いながら、父様はボクの方――ではなく何故かスイルンの方へと歩み寄った。

 

「【太上老君】、腕試しの感想はどうだ?」

 

「なかなか手強い相手。けど、わたしなら勝てる」

 

「そうか。まあ、そうでなければ貴公を頼った意味がないが」

 

 二人は、まるで以前から見知った関係であるかのように言葉を交わしている。

 

 それに「頼った」ってどういうことだ? 父様はこのスイルンに何か頼みごとをしているのか? 何を?

 

 膨らむ疑念。

 

「頼ったって……どういうことですか、父様」

 

「文字通りの意味だ。シンスイ、私はお前をなんとしても武法の世界から引っ張り上げ、(リー)家に恥じない人間にするつもりだ。【太上老君】には、そのためにご協力頂いている」

 

 そこまで聞いて、父様の考えていることが分かった。

 

 つまり――

 

 

 

「父様は……【黄龍賽】にスイルンを参加させて、優勝させることで、ボクを負けさせようとしているんですね」

 

 

 

「そのとおりだ」

 

 父はまったく悪びれる様子なく肯定した。

 

「シンスイ、これはお前のためなのだ。このような世界に浸かりつづけていたら、お前の師のように無意味な死体ばかりこしらえた挙句、何も残せぬまま一生を終えることになるぞ。武法など、お前のような由緒ある生まれの者が関わるべきものではない。お前はお前の居るべき場所に戻るべきなのだ。分不相応な世界でみじめに生き、みじめに果てたいのか」

 

 ――そのセリフは、ボクの神経をこの上なく逆なでした。

 

 師匠が何も残せないまま一生を終えた?

 ボクがいるべき場所?

 みじめに生きてみじめに果てる?

 

 知ったふうな口を利くな。

 

 ボクは皮肉で研ぎ澄ました語気で言い放つ。

 

「……久しぶりに会いましたけど、相変わらずみたいで安心しました。おためごかしを「お前のため」なんて恩着せがましく、そして平然と押し付ける。なおかつ相手の恩師を公然と侮辱する。呆れるくらい変化に乏しいですね、あなたは」

 

 パァン。

 

 乾いた音と同時に、ボクの片頬に痛みが走る。

 

 父様に横っ面を叩かれたのだ。

 

「親に向かってその口のきき方はなんだ!!」

 

「……気に入らない意見には暴力と怒号で当たる所も相変わらずなようで」

 

「シンスイ……この分からず屋めが!!」

 

「あなたにだけは言われたくない。ひとまずそれは置いておいて……一つ分からないことがある」

 

 そこで父様から視線を外し、スイルンへ向いた。

 

「スイルン、君たち【道王山】は、【太極把】の公開を頑なに嫌がっていたはずだ。それなのにどうしてこの機会に見せる気になったのかな」

 

 小さな【太上老君】は少し間を置いてから答えた。

 

「あなたの父上の口車に乗っただけ」

 

「口車?」

 

「わたしは彼の提案を最初は断った。けれど、彼はその次にこう言った。『【太極把】につきまとう迷信や憶測を、この機会に払拭してみないか』と」

 

 どういう意味だ?

 

 スイルンはさらに続ける。

 

「【太極把】は徹底した秘密主義によって、一切漏洩することなく、一本線状の継承を繋げてきた。けれどその分、【太極把】に関する数多くの憶測や迷信が世間を飛び交うことになった。中には「【太極把】は失敗作。だから【道王山】は門派のメンツのために公表したがらない」などという心外な憶測も生まれる始末。それはある意味、伝承が漏れるよりも由々しき問題」

 

 【道王山】みたいな由緒正しき大流派は、メンツを大事にしたがる所がある。先祖が長い時間と努力と流血の果てに作り上げた武法がけなされる事は、彼らが最も嫌う仕打ちの一つだ。

 

「だからこそ、わたしは李大雲(リー・ダイユン)の口車に乗り、【黄龍賽】に参加した。【黄龍賽】という大勢の人の目前で【太極把】の力を示し、【道王山】の偉大さを今一度知らしめるために」

 

 スイルンはそう言うと、ボクを真っ直ぐ指さした。

 

李星穂(リー・シンスイ)、あなたはそのための(いしずえ)に相応しい。【雷帝】の唯一の門弟であるあなたを大勢の前で負かせば、【太極把】の威光は不動のものとなる」

 

 無表情で発せられた抑揚に乏しい言葉だが、どこか凄みがあった。

 

 彼女はボクを「敵」と認識し、衆人環視の中で確実に倒そうと考えている。――「【太極把】こそが最強なり」と証明するために。

 

 父様はそんなスイルンを利用し、ボクを負かそうと考えている。――ボクを文官にし、自分の望む生き方を強いるために。

 

 二人の利害は完全に一致していた。

 

 相手は実質【道王山】最強の武法士。【化勁】の巧みさも厄介だが、特筆すべきはその未来予知に等しい先読みの力【看穿勁】。さっきは機転を利かせて一撃当てられたが、あんな上手い手が二度三度四度と思いつくとは限らない。それができなければボクはなすすべなく負けるだろう。

 

 スイルンはきっと決勝まで駆け上ってくる。そんな気がする。勝ち進むことになれば、必ず彼女とぶつかる。

 

 逃げることができない、絶望的な勝負。

 

 でも、だからどうした。

 

 ボクは嬉しい誤算で授かった第二の人生を、武法という最高の身体文化へ捧げると決めたのだ。

 

 それを邪魔する者は、たとえ生みの親であっても、許さない。

 

 ボクは感情に乏しいスイルンの眼差しを真っ直ぐ睨み、言い返す。

 

「そう簡単にいくと思わないでよ。君はボクを餌としか思っていないみたいだけど、【雷帝】の遺産を侮ったら——大火傷だけじゃ済まない結果になるからね」

 

 続いて、全ての元凶たる父様へ睥睨の視線を移す。

 

「父様、あなたはどうあってもボクを李(リー)家の雛形に収めたいつもりみたいだ。だけど、宣言しておきます。あなたの仕掛ける小細工のことごとくは、あなたが先ほど腐した【雷帝】の拳が跡形も残さず消し去ると」

 

「……よくぞ吠えた。どこまでその威勢が続くのか、見ものだな」

 

 父様はそう言って背を向ける。

 

「シンスイ……お前にはなんとしても武法から足を洗ってもらう。それがお前のためなのだから」

 

 押し殺したような声でそう言い捨てると、そのまま立ち去っていった。

 

 その後ろへスイルンも伴う。

 

 二人の姿が小さくなり、やがて消えた。

 

「……お姉様」

 

 ミーフォンがおずおずと歩み寄ってくる。

 

 その頭に手を乗せつつ、ボクは二人の消えた場所を見て言った。

 

「――ボクは勝つ。絶対に勝つ。だから、何も心配はいらない」

 

 それは、自分に言い聞かせるためでもあり、覚悟を決めるためでもあった。

 

 ――今までのボクは、少したるんでいたのかもしれなかった。

 

 もともとボクが【黄龍賽】に参加しているのは、父様との約束があるからだ。

 それを果たすために、もっと緊張感を持って勝負に臨むべきだった。

 けれどボクは、その気持ちをいつの間にか無くしていた。

 【黄龍賽】を通じていろんな人と出会い、苦しい時や嬉しい時を送った。

 それがとても楽しかったのだ。

 だからこそ、それに耽溺しかけていた。

 

 これからはもっと緊張感を持たなければならない。

 父様の鼻を明かすために。望まない生き方を強いられないために。

 大好きな武法を、奪われないために――

 

 

 


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