一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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琳泉執行

 その後、何をしたのかはあまり覚えていない。

 

 どこか店に寄ったのかもしれないし、名所を見に行ったのかもしれない。

 

 それらを五感で感じ取りはしたものの、考えが常にぼーっとした状態だったので、記憶がかなりあいまいだった。

 

 ボクはただ、ボクを引っ張ってくれている三人の後ろについて歩いていただけだ。歩きたい気分ではなかったので、歩かされたという方が正しいかもしれないが。

 

 けれども一方で、三人には感謝も抱いていた。もし彼女たちが心ここにあらずなボクをリードしてくれていなかったら、夕方になった今でも【武館区(ぶかんく)】の街路のど真ん中で立ち尽くしていたかもしれないから。

 

 どれだけ歩いただろうか。鍛えられているはずの下半身に疲労のだるさが若干でてくるくらい足を動かした果てに到着したのは、『吞星堂(どんせいどう)』にあるボクの部屋だった。

 

「ただいまー!」

 

 扉へ一番乗りしたミーフォンが元気よく無人の部屋へ足を踏み入る。

「いや、ここミーフォンの部屋違うし。何自然な感じで同室になろうとしてるのさ」というつっこみさえ入れる余裕が無い。

 

 残る三人も入っていく。まだ嗅ぎ慣れていない部屋の匂いをぼんやりと感じ取る。

 

「きゃっほぅ!」

 

 ミーフォンが嬉々としてベッドに飛び込む。うつ伏せになりながら、ボクが昨晩使っていた枕に頬ずりしたり顔を埋めて鼻息を吸ったりなどする。その変態ちっくな珍行動すらスルーしつつ、ベッドの端っこにちょこんと座った。

 

「……はぁ」

 

 我知らず、そんな溜息が出た。

 

 部屋全体が静まり返っている。

 

 部屋中央の円卓の二席に座るライライとセンランは、心配そうにボクを見ていた。ミーフォンもすぐに枕の匂いを堪能するのをやめ、黙ってこちらへ視線を向けていた。

 

 この沈黙は間違いなくボクが作り出したものだった。

 

「その……シンスイ、大丈夫?」

 

 口火を切ったのはライライだった。

 

 対してボクは、

 

「うん」

 

 としか返せなかった。

 

 次にミーフォンがぎしり、と四つん這いでボクに近づき、

 

「本当に大丈夫ですか? なんだか目が死んでますよ?」

 

「うん」

 

「お腹は空いてないですか?」

 

「うん」

 

「どこか痛くないですか?」

 

「うん」

 

「お姉様の腋の下舐めさせてください」

 

「うん」

 

 ミーフォンは弱り切った表情を円卓側へ向ける。

 

「ダメだわ。これはちょっと重傷かも……」

 

「うん。あなたもね、ミーフォン」

 

 引き気味の苦笑で答えるライライ。

 

 彼女たちがボクの身を純粋に案じてくれているのはよく分かる。

 だが申し訳ないけど、今のボクはまともな応対など億劫で仕方がなかった。

 

 スイルンとの一戦からずっと脳裏に去来しているのは、父様の厳つい顔。

 父様を久しく見た瞬間、再認識してしまった。「本戦で一度でも負けたら終わり」という現実を。

 重々しく突き付けられたオールオアナッシングに、ボクの心は重圧で潰されそうだった。

 

「それにしても、相変わらずの頑固者であったな。キミの父は」

 

 しみじみ口にされたセンランの発言に、ライライが意外そうな顔で、

 

「センラン、あなたシンスイの父親の事を知っていたの?」

 

「ああ。【滄奥市(そうおうし)】から戻った後、シンスイの事を調べてもらったのだ。父親が税務や財政を司る『戸部(こぶ)』の長官であることはすぐに調べがついた」

 

 するとミーフォンが良い事思いついたとばかりに頭を上げ、

 

「そうだわセンラン、あんたの力で言う事聞かせることってできないわけ?」

 

「無茶を申すな。公人が臣下のお家騒動に介入でもしてみろ、もっと面倒な事態に発展することは火を見るより明らかだ」

 

「――そもそも、そんなことで父様が一度出した意見を覆すとは思えないよ。あの人の頑固さは筋金入りだから」

 

 ボクは思わずそう口を挟んだ。

 

 だからだろう。またしても息苦しい静けさを呼び込んでしまった。

 自分のために話し合いをしてくれている彼女たちに、八つ当たりをしてしまったみたいな気分となる。

 何か、何か話さないと。

 

 でも、何を? 分からない。

 

「……あ」

 

 せめて声くらいは出してみようと、強引に発しかけた時だった。

 

「お姉様っ!」

 

 ミーフォンが勢いよく前のめりになってボクに近づいた。その顔はまたしても名案が浮かんだように明るかった。

 

「な、何かな」

 

「あたし、良い事思いつきました!」

 

「良い事?」

 

「はい! 良い事です!」

 

 そこで一度言葉を止めると、ミーフォンはその頬をほんのりと桜色に染め、はにかんだ笑顔で再度口を開いた。

 

「万が一、お姉様が敗退したら、その時は――――あたしと結婚すればいいんです!」

 

 …………………………。

 

 その発言にボクを含む一同が唖然とする。

 

 え? なんだって?

 

「えっと……ごめんねミーフォン。よく聞こえなかったから、もう一回言ってくれないかな」

 

「だから、もし負けたらあたしと結婚しましょうって言ってるんです!」

 

「……その心は?」

 

「だって、「もし負けたら文官登用試験を受けろ!」っていうのは、全員文官合格経験ありっていうお姉様の家柄ありきの条件なんですよね? だったら、その家の人間じゃなくなっちゃえばいいんです! お姉様があたしの家に嫁いでそれから絶縁しちゃえば、もうあのガンコ親父の顔色うかがう必要ないじゃないですか! それでもってお姉様が路頭に迷う心配もなくなります! この国は一応同性婚アリみたいですし。そうよね、センラン!?」

 

「む……まあ、確かにそうだが」

 

「ほら! だからお姉様、もし本戦で敗退したらあたしに貰われてください! あ、もちろん負けなくても貰ってあげますけど」

 

 恥じらうような微笑みを真っ直ぐ向けてくるミーフォン。

 

 驚きのその発想に、ボクは今なお口をあんぐりさせっぱなしだった

 

 けれど、やがて可笑しさがお腹から湧き上がってきた。

 

「くくっ……ふふふふっ…………」

 

 こらえきれずに唇から少しずつ漏れ出していき、やがて大笑となった。

 

「あはっ、あは、あっははははははははははっ!! もー、ミーフォンってば何言ってるのー!? 変なのー!! あーっはっはっはっはっ!!」

 

 お腹を抱えて爆笑しているのはボクだけではなかった。センランとライライも同じように笑声を上げていた。

 

 きょとんとしているミーフォンを見て、ボクはひーひー言いながらも呼吸を整える。

 

「ふう…………凄いね、そういう手は考え付かなかったよ。それじゃあ万が一ボクが負けたら、ミーフォンのお家に貰われちゃおうかな」

 

 冗談めかした口調で言った。

 

 ミーフォンは一瞬、ものすごい顔をした。だがすぐに焼け付く夏の日差しのような笑顔を浮かべて勢いよく飛びついてきた。うなじに両腕を回され、結構な豊かさを誇る二つのふくらみが押し当てられる。

 

「ああん、お姉様ぁぁぁ!! やっとあたしの想いに応えてくれる気になったんですねぇ!! あたし、今までの人生の中で一番幸せですよぉ!!」 

 

「いで! いでででで! く、苦しいから! まだそうすると明確に決めたわけじゃないからね!? それに【黄龍賽】本戦はまだ始まってもないんだから!」

 

「もう勝ち負けとかどうでもいいから今すぐにでもお嫁に来てくださいぃ!! あたし頑張ってお姉様好みの雌になりますぅ!! 毎晩一睡もさせなくていいですからぁ!! ううん、むしろ今すぐここで滅茶苦茶にしてください!! 上も下も全部ひん剥いて裸にして、全身のいろんな箇所にお姉様の唇や手の跡付けてナワバリ主張してください!! ああん!! 抱いて! 抱いてお姉様ぁぁぁぁぁ!!!」

 

「ちょぉぉぉぉぉぉぉ!?」

 

 怒涛のスキンシップに声を上げるボク。彼女は自身の発する甘い匂いがボクに染みつきそうなほど体を擦りつけてきていた。

 

 引きはがそうとするが、全然離れない。ふにんふにんと形を変えて押し付けられるおっぱいが気持ちいい一方で、首と胴体がとんでもない力で締め付けられて苦しい。

 

 

 

 ~~~しばらくお待ちください~~~

 

 

 

「んもぉ。お姉様ったら我慢強いんだからぁ。あたしは全然かまわないのに。据え膳は貪り食うのが礼儀ですよ?」

 

 ベッドの上でしな(・・)を作り、扇情的な流し目を向けてくるミーフォン。ボクより年下のくせに妙に色気が濃くてエロい。

 

「ボクが構うのっ。だいいち、二人が見てる前で始めるつもりなわけ?」

 

「じゃあ――」

 

「人気のない所でもしないからねっ」

 

「ち」

 

 惜しい、とでも言いたげに舌打ちするミーフォン。

 

 どうにか引っぺがしたが、彼女の匂いは服にしっかりしみついていた。いや、いい匂いだけどさ。

 

「でも、ありがとうねミーフォン。君のおかげでいつものボクに少し戻れた気がするよ」

 

 ボクは素直に感謝を述べた。

 

 さっきまでは問いかけにきちんと反応する気力さえなかったが、気が付くとすっかり元通りに突っ込みを返せるようになっていた。ミーフォンの奇行が、固くなっていたボクの心をほぐしてくれたのだ。

 

 思えば、この可愛い妹分にはいろいろと助けられてばっかりな気がする。

 

 腋の下舐める程度なら許してあげてもいいかな……なんておかしな考えがひそかに生まれたり生まれなかったり。

 

「……いいえ。元気になってくれてよかったです」

 

 にこやかに頷くミーフォン。

 

 彼女が擦り付けた残り香を感じ取りつつ、ボクは全員の顔を見回して強く言った。

 

「ごめん、みんな。でももう大丈夫だ。ボクはいつものボクに戻ったから。確かに負けたら終わりかもしれないけど、だったら負けなきゃいいだけの話なんだよね。なら今は「負けたらどうしよう」ってくよくよ悩むより、どうしたら勝ちぬけるかどうかを考えるほうが建設的だ。そうだよね?」

 

 うん、と頷きを返す全員。

 

 重々しい空気はすでに無い。場は明るく前向きな雰囲気に包まれていた。

 

 ボクは気を取り直し、センランへ向けてことさら明るく尋ねた。

 

「そういえばセンラン、今年の【黄龍賽】に参加するメンツについて何か知ってる?」

 

「そうだな……参加者名簿には逐一目を通しているが、現在記入されている人のうち三人は知っている名だ。その中には当然ながら劉随冷(リウ・スイルン)も入るが、あやつの事は昼間によく知った。残り二人について話しておこうか?」

 

「聞かせてくれるかい」

 

 うむ、と首肯すると、三つ編み眼鏡の少女は落ち着いた口調で語り始めた。

 

「一人目は勾藍軋(ゴウ・ランガー)。【軽身術(けいしんじゅつ)】を用いた高速戦闘を得意とするなかなかの曲者だ。事実、前回の【黄龍賽】でその実力を準優勝という形で示している」

 

「高速型か……」

 

 ボクは少しばかり顔をしかめた。前回準優勝者であることもそうだが、スピードタイプの相手はちょっぴり苦手だったからだ。優れた【軽身術】の使い手は、パッと近づいて一発当ててからパッと遠くへ離れるという超高速ヒットアンドアウェイをよく使ってくるのである。あれは2D格闘ゲームのハメ技に通じるモノがある。つまり対処がしにくく面倒くさい。

 

「二人目は姫兎飛(ジー・トゥーフェイ)。前回【黄龍賽】の優勝者だ」

 

 優勝者という単語に全員の眉根がぴくりと反応を示した。

 

 センランはやや緊張を顔に帯びながら続ける。

 

「こいつは勾藍軋(ゴウ・ランガー)よりもさらに厄介者だ。【空霊衝(くうれいしょう)】の使い手で、試合を開始した時の立ち位置から全く動かぬまま全ての対戦相手に圧勝し、とんとん拍子で優勝をもぎ取った。前回の【黄龍賽】以来、ついた通名は【天下無踪(てんかむそう)】」

 

 ごくり、と生唾を飲み込むボク。

 

 【空霊衝】とは、武法の流派の名前である。力や衝撃の形や向きを自在に操る【空霊勁(くうれいけい)】を用いて、常識破りな戦い方をする流派だ。この【空霊勁】を上手い事利用すれば、その場から動かずに相手を負かすことも可能。

【太極把】と並ぶ「隠れた名拳」の一つ。

 

 いずれにせよ、

 

「一筋縄じゃいかない、ってわけだね」

 

「そういうことだ。抜かってはならんぞ、シンスイ」

 

 センランが眼鏡を光らせてそう頷いた。

 ボクもまた頷きを返す。

 

 前途多難だった。しかし父様と会った後のように気持ちは沈んではいない。むしろ高まってすらいた。これからそのビッグネームの相手をひたすらに倒していかなくてはならないのだ。半端な気持ちはむしろ持たない方が良い。

 

「そういえば【黄龍賽】って、煌国内の武法士育成のために開催されたのよね? 結局のところ、効果はあったのかしら?」

 

 不意に、ミーフォンがそう尋ねてきた。

 

 三つ編み眼鏡の皇女は眼鏡の真ん中を指先で押さえ、気まずそうに答えた。

 

「……言ってしまうと、そちらの効果は薄かったかもしれん。だが代わりに興行的な方面ではかなり上手くいっている」

 

 当初思い浮かべた目的とは違うがな、と最後に付け加えて。

 

 欲したモノと違うモノが手に入る。そういうことは世の中では割とよくあることだと思う。地球でも、資本主義を掲げた日本が社会主義っぽくなったり、逆に社会主義国家を標榜した中国の方がよほど資本主義らしくなったりしたのだから。

 

「知っているかもしれんが、我が国は現在財政的に余裕があるとは言えない状態だ。停滞したカネ周りを少しでも潤滑にするための金策。それこそが我々皇族が【黄龍賽】に求める恩恵なのだよ」

 

「金策、ね……やっぱりそんな風になっているのって、先代の皇帝のせいなの?」

 

 財政がらみの話題を乗せたセンランの言葉に、ライライがそのように反応を示した。

 

 センランはさらにその場に縮こまり、重々しく口を開いた。

 

「……左様。できれば先祖を腐すようなセリフは避けたい所だが、こればかりは先代の擁護が難しい問題だ。彼の行った政策によって、今の財政難は生まれたのだから」

 

「「内憂の排除」、だね」

 

「そうだ」

 

 ボクの答えに、小さく頷く三つ編み眼鏡っこ。

 

 ――その問題はボクもよく知っていた。

 

 一〇〇年前、煌国は長きにわたる戦乱期を耐え抜き、太平を勝ち取った。

 しかしながら戦乱期の名残りとして、朝廷に良い感情を抱いていない部族や民族をいくつか国内に飼っていた。いずれも、いつ反乱を起こしてもおかしくない連中ばかりだったそうだ。

 感情、思想面だけの問題ではない。実害もきちんと出していた。反朝廷的感情を持った部族は、帝都へ運ばれる物資を乗せた荷車を襲撃する山賊となっていたのだ。その連中のせいで多くの事業者が辛酸を舐めさせられた。

 

 それらを重く見た当時の皇帝『獅子皇(ししおう)』は、本格的な大乱が起こる前にそういった「獅子身中の虫」をねじふせようと考え、具体的な行動を起こした。

 

 かといって、一方的に進軍して皆殺しにしたのでは民衆の反感を買いかねない。なので反朝廷的部族が本気で怒るほどの「嫌がらせ」で挙兵させ、それを「賊軍」と認定することで堂々と攻め込むための大義名分を作る。怒り狂って攻め入ってきた賊軍を、万全の態勢を整えた国軍が迎え撃つというわけだ。

 

 武を重んじる『獅子皇』ならではのこの発想によって、多くの反乱の芽が摘みとられた。帝都と他の町を行き来する行商人も安心して活動できるようになった。

 

 しかしながら、その代償は安くはなかった。むしろ、リターンよりリスクの方が大きかった。

 戦争というのはとにかくお金がかかるものなのだ。度重なる進軍によってどんどんお金が使われていったことで、国庫の中身の半分以上が消えたのだ。あと数百年は楽に国を運営できるといわれていたほどの貯えが、だ。――現在の財政難はこれに起因している。

 さらに戦争孤児や落人(おちうど)も増加した。そういった人々の何割かは食うに困って盗賊や【黒幇(こくはん)】に身をやつした。

 『獅子皇』の政策は、戦争被害者を増やして国家財政に大打撃を与えるという大失敗で終わったのだ。

 

 センランはそんな皇族の恥部を赤裸々に語ってから、再び言葉を連ねた。

 

「おまけに、この度重なる挙兵による被害は国庫の中身の激減、戦争被害者の増加にとどまらない。とある武法の伝承が消滅したのだ。シンスイ、キミなら分かるだろう?」

 

「……【琳泉把(りんせんは)】」

 

 少し間を作って発せられたとある武法流派の名に、部屋の空気が張りつめた。

 

 その空気の変動が、【琳泉把】と呼ばれる流派の消滅に関わる「事件」の理不尽さを示唆していた。

 

 

 

 

 

 

 『獅子皇』が行った「蛮族討伐」の作戦のうちの一つに【琳泉執行(りんせんしっこう)】というものがある。

 

 それは、三十年くらい前まで存在した、『琳泉郷(りんせんごう)』という小さな村を襲撃するための作戦であった。

 

 『琳泉郷』は、別に大きく発展した都市でもなければ、何かの名産地であるというわけでもない。特徴がほとんどない、どこにでもある本当に小規模な村である。

 けれども、一つだけ大きな特徴があった。

 それは、村の住人の中でのみ伝承されている「ある武法」の存在だった。

 

 そう、それこそが【琳泉把】だ。

 

 【琳泉把】は非常に強力な武法だった。他の武法には存在しない「革新的な技術」が含まれており、使い方次第では冗談抜きで「最強」となり得る。

 

 【琳泉把】の全容はほとんど世間に知られていない。なぜなら『琳泉郷』の村人の中でのみ秘密裏に伝承されてきたからだ。彼らは『琳泉郷』の住人ではない余所者には、決して教えなかったのである。その秘密主義たるや、あの【太極把】と同程度だったという。

 

 けれども、「ほとんど」知られていないだけで、ごく一部の人間は【琳泉把】の姿を知っていた。武法を大層好んでいた『獅子皇』もその一人だった。

 

 『獅子皇』はその武法が持つずば抜けた戦闘技術に感動すると同時に、危険視もした。

 もしも【琳泉把】を身につけた一〇〇〇の兵が、そうでない一万の兵と全面戦争を行った場合――ほぼ確実に前者が勝つ。こんな連中にもし反乱でも起こされたら煌国が陥落しかねない。そう思ったことだろう。

 

 その不安を具現化させるように、『獅子皇』が大々的に(みことのり)を出した。内容は「【琳泉把】の使用・訓練・伝承の一切を禁ず」というものだった。

 

 当然ながら、『琳泉郷』の人々は猛反発した。【琳泉把】は彼らの誇りであり魂だったのだ。それを一方的に「捨てろ」と言われたら反感を抱くのはいわずもがなだろう。当時の村長は『獅子皇』との謁見でそんな村民の気持ちを代弁した。しかし聞き入れられず、宮廷から叩き出された。

 

 『琳泉郷』の人々の中に宿る朝廷への不満感は一気に膨れ上がり、やがて明確な叛意となった。――そんな彼らが村ぐるみで朝敵(ちょうてき)に変貌するまでに大した時間はかからなかった。

 

 『琳泉郷』は一斉蜂起し、朝廷に対して反乱を起こした。

 

 その情報を耳にした『獅子皇』は、きっとしたり顔で笑っていたに違いない。

 

 彼らの一斉蜂起は、実は想定内の行動だったからだ。彼らが【琳泉把】に並々ならぬ想いと誇りを持っていることは知っていた。その感情を逆撫でし、叛意を促し、行動へ移させた。向こう側から蜂起してくれたなら、国軍は「蛮族の討伐」という(にしき)の御旗を掲げて堂々と挙兵できる。

 

 国軍は挙兵。『琳泉郷』と交戦となった。

【琳泉把】対策を万全にとっていた国軍は敵を順調に蹴散らしていった。だがそれでも『琳泉郷』の使う技によって国軍の兵士にも少なからぬ犠牲が出た。「【琳泉把】は危険だ」という『獅子皇』の見立てはウソではなかったのだ。

 

 数日間にも及ぶ戦闘の末、最終的に勝利したのは国軍だった。

 

 

 

 

 

「――その後『琳泉郷』の人間は老若男女問わず殲滅された。それによって【琳泉把】の伝承の芽は完膚なきまでに摘み取られてしまったのだ。まったくもって嘆かわしい事件だ。同じ血を宿す者として慙愧(ざんき)に耐えぬ」

 

 センランは苦痛に耐えるように唇を引き結んだ。

 

 この『琳泉執行』には、他の蛮族討伐とは違う「大きな問題点」が一つある。

 

 それは――『琳泉郷』がもともと(・・・・)反朝廷的部族(・・・・・・)でもなんでも(・・・・・・)なかった(・・・・)ことに他ならない。

 

 彼らは帝都行きの荷車を襲ったりなんか一切していない。ただ静かに暮らしていたかっただけだ。なのに無理やり朝敵に仕立て上げ、挙句の果てに滅ぼした。

 

 『琳泉郷』は紛れもなく被害者だ。何も悪くない。

 

 そういう理由から、【琳泉執行】は三十年以上経った今でも物議をかもしている。

 

 『獅子皇』は、『琳泉執行』から数年後に病没。その後、息子である煌榮(ファン・ロン)陛下が摂政付きで即位し、その政権が現在まで続いている。

 

「父上は先代のやり方には否定的意見を持っている。先代のやってきた無謀行為の清算のため、この三十年間お力を尽くしてこられた」

 

 それは分かっている。近年少しずつ軍縮している所を見ればそれは明らかである。軍拡ばかりしていた『獅子皇』政権とは真逆の方向性を示していた。軍費を削って他の分野にお金をあてているのだろう。

 

 でも――

 

「……でも、朝廷は前代皇帝の下した詔をいまだに破棄してない。違う?」

 

 センランが目に見えて気まずそうな顔を見せた。

 

 そうだ。皇帝がすげ変わり、『獅子皇』の政策によるダメージの回復に積極的だったとしても、「【琳泉把】の使用・訓練・伝承の一切を禁ず」という詔は効力を失っていない。三十年以上前のまま今も残っている。

 

 これは、現政権も【琳泉把】を怖がっている裏づけに他ならない。『琳泉郷』にした仕打ちは最悪だったが、きっと「【琳泉把】が危険である」という意見には同意しているのだ。

 

「【琳泉把】って、ボクでも見たこと無いや。どんな武法だろうね?」

 

 ボクはそう口にした。これ以上傷口に塩を擦り込むような言葉は避けたかったのだ。

 

 センランはふるふるとかぶりを振った。

 

「残念だが、一介の市井の民でしかないキミに話す事はできぬ。それに先代は『琳泉執行』の後、【琳泉把】に関わる情報に箝口令を敷いたからな。今この煌国に【琳泉把】の正確な姿を知る人間はもういないかもしれん。いや、たとえ知っていても、それを口に出す者はいないだろう」

 

「謎の武法ってわけね。まあ、【太極炮捶(たいきょくほうすい)】の敵ではないでしょうけど」

 

 ミーフォンがそううそぶいた途端、きゅるるる……と腹の虫の鳴き声が聞こえた。

 

 真っ赤になってお腹を押さえているのはライライである。

 

「あんた乳や尻だけじゃなくて、腹の音もでかいのねぇ」

 

 からかうようなミーフォンの言葉に、腹の虫の飼い主は赤い顔をうつむかせた。

 

 さらに意識は室内へと移る。窓から見える景色は日没となっていた。オレンジ色の夕空が西の壁面の奥へ引っ込み、夜の暗幕が空へ押し寄せていた。

 

 それを見た途端、センランはガバッと勢いよく椅子から立った。

 

「いかん。そろそろ私は帰らねばならん! あまり帰りが遅いと父上にお叱りを受けかねん! 申し訳ないが、私はここでお(いとま)させていただく」

 

「え? ああ、うん。気を付けて帰ってね」

 

「うむ。またいつか必ずこの姿でキミたちに会いに来る。それまでさようならだ」

 

 ぎゅっ。センランがボクの背中に腕を回して抱きしめる。まるでボクの存在を我が身に感じ取るように。

 

 他の二人にも同じように抱きつくと、彼女はドアの前でボクらの方へ振り返る。

 

「では、さらばだ! また一緒に遊ぼうぞ!」

 

 そう声高に告げて、ボクの部屋から出て行った。

 

 遠ざかっていく足音。それが消えたのに合わせて、ボクら三人の口が開いた。

 

「台風みたいな女だったわね。まあ、今日一日結構楽しかったけど」

 

「ふふ……また、会えるといいわね、シンスイ」

 

「うん……」

 

 ボクは控えめな声で頷く。我ながら少し元気に欠ける声であった。

 

「シンスイ? なんか元気ないわね。センランとのお別れがそんなに寂しい?」

 

「へっ? あ、ああうん。そんなところかな」

 

 ボクが慌てて相槌を打つと、ミーフォンが片腕に抱きついてきた。結構豊かな二つの膨らみをあからさまに擦りつけ、甘ったるい声色で、

 

「だったらお姉様ぁ、あたしがその寂しさを癒してさしあげますよぉ。心身ともにっ」

 

「い、いや。大丈夫だって」

 

「遠慮しないでくださぁい。あたし達、これから結婚するんですからぁ。「昼は貞淑夜は娼婦」っていう嫁の理想像がありますけど、あたしは朝昼夜全部娼婦になれますぅ。あたしが全身全霊をかけてお姉様を癒してあ・げ・ま・す・よ」

 

 甘い吐息とともに耳元でささやかれ、肩がビクンと震えた。熱に浮かされたような微笑みを浮かべるミーフォンがものすごく煽情的に見える。

 

「こらこら、まだ結婚するって決めたわけじゃないでしょうが。それに遠回しに「負けろ」って言ってない? ボク負けないからね。絶対優勝するんだからね」

 

 ぶー、と不満げに頬を膨らませて下がるミーフォン。表面上は平静を装っていたボクだが、内心では心臓がバクついていた。やばい、我が妹分がどんどん色っぽくなってる気がする。

 

「ねえ二人とも。センランも帰ったんだし、そろそろお風呂入らない? それから早くご飯にしましょうよ」

 

 ライライのその提案に、ボクとミーフォンも同意の頷きを返した。

 

「満場一致。それじゃあ、行きましょうか」

 

「よし。ささ、お姉様、早くお風呂にしましょ」

 

「そうだね」

 

 意気揚々と部屋を出ていく二人に、ボクも着替えを準備してからついていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はー、なんか疲れた。もう今度からミーフォンに背中流させるのやめよう……」

 

 大浴場から自室に戻った寝間着姿のボクは、大きなため息を吐いた。

 

 お風呂はやはり最高だったのだが、身体を洗う時のミーフォンが最悪だった。「たまには背中を流してもらうのもいいかもな」なんて思って彼女に任せたのが愚かな判断である。背中だけでなく後ろから平べったい胸に手を回して揉んできて(揉むほど無いけど)、挙句の果てには「前」まで洗おうとしてきた。さすがに看過できなかったボクはゲンコツで静止させた。「もし優勝できなかったら結婚しましょう」話から、ミーフォンのスキンシップが過激になってきている気がする。今度ちゃんと厳しく言っておくべきだろうか。でもなんだかんだで最終的に甘やかしちゃうんだよなぁ、ボクってば。

 

 基本女性の裸体を直視できないボクだが、ミーフォンのだけは普通に見れるようになっている気がする。いや、あの子ってば自分から恥じらいも無く大っぴらに見せてくるから、多分慣れてしまったんだろう。

 

 ……って待つんだボク。なんか気づけばミーフォンの事ばっかし考えてないか?

 

 いかん、このままでは本格的にミーフォン(ルート)に入ってしまう。ウェディングドレス着た女同士で挙式して、二人仲良くブーケを投げる展開になりかねない。いや、この世界にウェディングドレスもブーケトスも無いんだけどね。

 

 けど、あの子に感謝を抱いているのは本当だった。もしミーフォンの明るさが無かったら、ボクは今でも気分が沈んだままだったに違いない。

 

 ありがとう。そう心の中で感謝する。

 

「……よしっ」

 

 ボクは一発気合いを入れ直した。食堂で夕食が出る時間まで修業でもしよう。少しでも優勝できるだけの力をつけるために。それが今のボクにできる唯一の道である。

 

 ――今日も「アレ」をやろうかな。

 

 そうと決めたら、まず行うべきは「密室を作る」ことだ。

 

 部屋の外の通路から誰も覗いている人がいないことを確認後、出入り口のドアを閉じて施錠。

 夜の姿となっている帝都の景色を晒す窓。その雨戸を閉じきり、窓の外から部屋の中が見えないようにする。天井の中心からぶら下がっている『鴛鴦石(えんおうせき)』の照明をつけ、真っ暗な部屋を明るくする。

 壁に覗き穴が無いかを確認する。物陰や衣装棚に誰か隠れていないか確認する。――いずれも異常なしと判断。

 【聴気法(ちょうきほう)】を発動。外の通路、および隣室に人の【気】の反応は無し。

 

 今、ボクの部屋は「密室」と化した。

 

 ボクは財布から硬貨を一枚取り出すと、部屋の中の開けた空間まで移動する。

 精神の波を静め、心という名の土壌を柔らかくする。

 それから、特殊な呼吸法を交えて【意念法(いねんほう)】を行った。――「「五拍子」を刻んだら、それを「一拍子」として扱う」というイメージをひたすら頭の中で練り上げる。

 十分に意念が練れた事を確認後、ボクは片手に用意しておいた硬貨を親指でピン、と弾いた。薄い円形の鉄塊が幾度も翻りながら真上へ飛ぶ。

 

 硬貨が放物線の下降の軌道を描き始める。

 

 ボクはその硬貨が「一歩踏み出す時間で落ちる高さ」にまでやってくるのをジッと待つ。

 

 待って、待って、待って――到達した。

 

 

 

 次の瞬間、ボクは歩き出した(・・・・・)

 

 

 

 そう。ただ歩いただけだ。特殊な体術を用いたわけでも何でもない。

 

 ただ、「五歩」足を進めただけだ。

 

 一歩、二歩、三歩、四歩、五歩――チャリーン、と硬貨が落ちる音が聞こえたところで足を止めた。

 

 ボクが歩き始めたのは、硬貨が「一歩踏み出す時間で落ちる高さ」にまでやってきた時。普通ならば、前足をぽんと前へ一回踏み出すのと同時に「チャリーン」という落下音が鳴る。

 しかし今ボクが刻んだ歩数は「五歩」。

 

 

 

 すなわちボクは今――「普通の人が(・・・・・)一歩踏み出す時間(・・・・・・・・)()五歩(・・)歩いた(・・・)ということだ。

 

 

 

 落ちた硬貨を拾い、その表面の刻印を眺めながら物思いにふける。

 

 ――ボクは一つ、ミーフォンたちに嘘をついている。

 

「【琳泉把】がどんな武法か知らない」とボクは言った。

 

 それこそが嘘だった。

 

 本当はどのような武法であるのか良く知っている。

 

 その恐ろしさを、ボクは良く理解している。

 

 

 

 

 

 なぜならボクが(・・・)琳泉把(・・・)の修行者だから(・・・・・・・)だ。

 

 

 

 

 

 ――――自身の刻む「拍子」を『圧縮』し、相対的に【最速】になる。

 

 それこそが【琳泉把】の根幹をなす能力に他ならない。

 

 人間の刻む全ての動作には、必ず「拍子(リズム)」が存在する。歩行に例えると、一歩踏み出したら「一拍子」、二歩目を踏み出したら「二拍子」、三歩目で「三拍子」、四歩目で「四拍子」、五歩目で「五拍子」……といった感じで「拍子」が重なっていくものだ。

 しかし【琳泉把】では流派特有の特殊な呼吸法と【意念法】を組み合わせて用い、そういった複数の拍子を「一拍子」の中に『圧縮』させる。すると、常人が一拍子を刻む時間に、自分は何拍子も生み出すことができる。

 

 つまりこの能力を使えば、普通の人が一歩踏み出す時間に自分は五歩踏み出すことも可能となるのだ。――そう、「さっき」のように。

 

 これこそが、『獅子皇』が恐れて仕方がなかった【琳泉把】の真の力だ。

 武法のすべての技は、一部の例外を除いて、一つの技につき一拍子しか生まれないような工夫がなされている。【勁撃(けいげき)】なんかがその代表例だ。【勁撃】は上半身、腰、下半身を同時に動かす『三節合一(さんせつごういつ)』によって強い力を生み出す。【勁撃】とはすなわち、「一拍子で強大な力を生み出す打撃法」なのだ。

 つまり相手が一回の動作を行う間に、自分は三回、四回、五回の動作が行えるのだ。それがどれほど恐ろしいことであるのか、武法士であるならばよく理解できるはずだ。

 

「さっき」ボクが行ったのは【縮地(しゅくち)】という、【琳泉把】の基本功だ。前述した「拍子を圧縮する能力」を養うための修業で、長い年月をかけて圧縮できる拍子の数を少しずつ増やしていくのだ。ちなみにボクは今、五拍子まで圧縮できる。

 

 この技術を、ボクは一体誰に教わったのか?

 

 決まっている。ボクが武法において「師」と仰いだ人物はたった一人しかいない。

 

 そう――強雷峰(チャン・レイフォン)だ。

 

 確かに【琳泉把】は、『琳泉郷』の中でしか伝承されなかった非常に内向きな流派だ。

 けれども、何事にも「例外」というものは存在する。

 その最初で最後の「例外」こそがレイフォン師匠だったのだ。

 

 

 

 

 

 この話は、レイフォン師匠がまだ若者だった頃にさかのぼる。

 

 噂に名高い武法士に勝負を申し込むべく、その武法士が住む街へ向かう途中の事だった。通っていた山道で、一人の女性が野党に取り囲まれていたのだ。

 

 その女性は妊娠していて、お腹がもうかなり大きくなっていた。そのため何かしらの武法の構えを取ってこそいたが、満足に戦える状態ではなかった。

 

 レイフォン師匠は迷いなく介入し、その野党を【勁撃】で殴り殺してしまう。そのあとにやってきた援軍も等しく一撃で殺傷し、山道の一角に死屍累々を築き上げた。師匠は女性に傷一つつけることなく守り通したのだ。

 

 だが弱り目に祟り目とばかりに、新たな問題が発生した。なんとその女性が産気づいてしまったのだ。師匠もさすがに妊婦の扱いなど分からず、困惑しながらも女性を近くの街にある助産院へ連れて行った。その後、無事に玉のような男の子が生まれたそうな。

 

 その後、女性は生まれたばかりの我が子を抱きながらレイフォン師匠に深く感謝をした。さらには「お礼がしたい」と言って、彼女が住んでいる村――『琳泉郷』まで案内した。

 

 村の中でも、レイフォン師匠のしたことは大変喜ばれた。実はその女性は村長の娘だったのだから当然といえよう。

 

 村長は娘と同じように「何か礼がしたい」と口にする。

 対して師匠は「この村で一番強い武法士と手合せをさせてほしい」と返す。

 そうして出てきた村一番の武法士と手合せをし――簡単に敗れてしまった。それは後に【雷帝】と呼ばれる男が味わった、最初で最後の「敗北」だった。

 

 その武法士が使った流派は【琳泉把】。初敗北のショックよりも、その圧倒的な武法への感動の方が大きかったレイフォン師匠は「この拳を教えてほしい」と頼んだ。

 

 いくら娘の命の恩人でも、流石にその願いに対して村長は慎重にならざるを得なかった。何せずっと秘密主義を貫いてきた【琳泉把】を余所者に教えようというのだから。

 

 村長は一晩考えた末に答えを出した――「むやみやたらに伝承しないと誓うのなら、教えても構わない」と。

 

 師匠は『琳泉郷』に二年間住み込み、【琳泉把】の指導を受けた。生まれ持った才能と精進をいとわない勤勉さを併せ持つ師匠はどんどん秘伝の技を身につけ、さらなる実力をつけた。

 たったの二年で終わったのは、母の訃報を耳にしたからだ。師匠は母の葬儀に出席するべく、自分の育った街へ帰らなければならなくなったのだ。

 

 ――『獅子皇』が【琳泉把】を禁ずる勅命を出し、『琳泉執行』を起こしたのは、それからすぐのことであった。

 

 

 

 

 

 師匠はせっかく学んだ【琳泉把】を隠さなければならなかった。

 

 しかし、彼はあきらめなかった。自分を信じて秘伝の技を授けてくれた『琳泉把』の人達の生きた証を残したいと考えた。

 

 だからこそ考えた――【琳泉把】の技術を組み込んだ、新しい流派を生み出そうと。

 

 勅命で禁じられたのは、あくまで【琳泉把】だ。しかし「【琳泉把】とよく似た性質を持った別の武法」ならば勅命の枠外である。

 

 師匠は目指した。

【琳泉把】のスピードに強大な【勁撃】を加えた新たな武法を。

「究極の速さ」と「究極の威力」を併せ持った最強の武法を。

「雷のような」ではなく「雷そのものとなる」武法――――【雷公把(らいこうは)】を。

 

 師匠が欲していたのは【打雷把】ではない。【打雷把】は、「究極の威力」を得るための通過点に過ぎない。

 

 【雷公把】こそが、師匠が真に作ろうとしている武法だったのだ。

 

 この【打雷把】は、言ってみれば【雷公把】の未完成品(プロトタイプ)。「雷鳴のごとき一撃を放つ」ことはできても「雷そのものになる」ことはできない不完全な武法。

 

 師匠は着実に夢に近づいていた。「究極の威力」は手に入れた。後はそこに「究極の速度」を加える方法を見つけるだけだった。

 

 しかし――志半ばにして師匠は病に倒れた。「【雷公把】の完成」という夢を、唯一の弟子であるボクに託して。

 

 思えば、ずっと弟子を取らなかった師匠がボクを受け入れてくれたのは、自分の命がもう長くないことを悟っていたからかもしれない。自分の夢の「担い手」を探していたのかもしれない。

 

 いや、きっとそうだ。

 

 だからこそボクは、こうしてこっそりと【琳泉把】を修業している。

 

 さらに、【打雷把】と【琳泉把】をくっつけるために、いろいろと試行錯誤を繰り返している。

 

 ボクは再び【琳泉把】独自の呼吸法と、「五拍子=一拍子」というイメージを用いた【意念法】を同時に行う。【縮地】の前準備だ。

 

 歩き出す。

 

 一歩――二歩――三歩目で床が壊れない程度に踏み込み【衝捶(しょうすい)】へと繋げようとした。

 

「うっ――!?」

 

 だが【衝捶】の体術を始めた瞬間、全身が硬直した。まるで体が【打雷把】の使用を拒むかのように。

 

 たったの三歩だが、【縮地】によって速度が上がっているためその勢いは全力疾走並みだった。余剰した慣性によってゴロゴロと床を転がり、窓下の壁に背中を打った。

 

「いたた……今日もダメだったかぁ」

 

 失敗には慣れていた。何せ、ずっと繰り返してきた事だから。

 

 すべての武法は【太極炮捶】を母としている。そのためどんなに戦術理論が違っても、すべての武法の基礎は皆同じ。

 

 その理屈から考えれば、【打雷把】と【琳泉把】をくっつけられるはずなのだ。

 

 しかし、未だにこの二つは【雷公把】にならずにいる。それはなぜか?

 

 

 

 ――「呼吸」だ。

 

 

 

 武法には、その流派の技術を使用する上で必要な「呼吸」が存在する。それは流派によって千差万別で、その流派における呼吸を用いずに技を使おうとするとすぐにバテてヘトヘトになるか、もしくは技が不発に終わる。ラジオに例えるならば、「流派(放送局)」に「呼吸(周波数)」を合わせて「その局の放送を聞く(その流派の技を使う)」といったところか。

 

 つまり、新しい流派を作るには、新たな「呼吸」を見つけなければならないのだ。それは、広大な砂漠の中から一粒の砂金を見つけるのと同じくらい難しい。

 

【打雷把】と【琳泉把】を融合できないのは、それを行うための「呼吸」がまだ見つかっていないからだ。

 

 手がかりも何もない暗中模索の世界。

 ボクはその暗中から、二つの武法を繋ぎ合わせるための「架け橋」を探り当てなけばならない。

 それが、レイフォン師匠の夢であり、ボクの悲願でもあるのだから。

 

 ――仮に。

 

 仮に、この本戦期間中に【雷公把】が完成したならば、ボクはきっとどんな対戦相手にも負けることはなくなる。あの劉随冷(リウ・スイルン)にも勝てるに違いない。

 

 けれど、それはあまりにも希望的観測が過ぎるというもの。

 

 ボクは、【打雷把】で数多くの猛者と戦っていかなければならない事を肝に銘じておくべきだろう。

 

 ――いや、違うな。

 

 帝都に入る前にも決めただろう。

 

「戦い」に行くのではない。「勝ち」に行くのだと。

 

 そう。ボクは「勝つ」。

 

 勝つのだ。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ――【黄土省】南部の関所を越えて一日が過ぎた。

 

 趙緋琳(ジャオ・フェイリン)は夜闇に包まれた道を無言で歩いていた。

 

 竹藪の中に伸びた道。今日は月光が明るいはずなのだが、折り重なった笹葉の影に隠れてしまっているため、沈殿物のような濃い闇が下りている。時折吹き付ける風によって笹がざざぁっと鳴り、不気味さを誘う。

 

 普通の者なら多少なりとも緊張を抱く情景だが、フェイリンは一切動じない。笹のざわめきを「笹のざわめき」であると正確に認識していればいいだけの事だからだ。そんな益体も無い現象を妖魔の類と結びつけるほど、フェイリンは少女をしていなかった。

 

 それは、一緒に歩いている「もう一人」も同じだったようだ。

 

「今ん(とこ)ぉ、周囲にヒトの【気】はねぇみてぇだなぁ」

 

 その「もう一人」――周音沈(ジョウ・インシェン)はそう報告してくる。

 

 後頭部へ持ち上げた長髪を無数の細い三つ編みにした奇抜な髪型。両目は蛇のような金眼で、右頰には三日月状の深い傷跡が走っている。(へそ)から下を露出させた詰襟に、ふくらみのある(ズボン)。その左腰には、ゆるい反りを持つ細見の長刀『苗刀(びょうとう)』を差していた。

 

 彼はすでに失明しており、優れた【聴気法】を使って世界を見ている。けれどインシェンはその死んだ視線をぐるりと周囲へ巡らせながら、

 

「普通の人間ってなぁ、ここでどんな風景を見てんだろうなぁ」

 

「やはり、貴方にも視力への未練がありますのね」

 

「別に未練ってほどのモンでもねぇさぁ。もし目ン玉見えてたらぁ、きっとこのステキな【聴気法】は手に入んなかったからなぁ。だがやっぱたまぁに思うんだわぁ、「今この場所はどんな光景なんだろぉなぁ」ってよぉ。人間ってなぁ存外無いものねだりだねぇ。それになぁ趙緋琳(ジャオ・フェイリン)、おたくがどんな姿してんのかも気になるしよぉ」

 

「……(わたくし)の姿なんか見ても、面白くありませんわ」

 

 むしろ、眉をひそめられる可能性が高い。

 

 肌を手首足首まで覆っている薄紫の上下衣は体の線がよく出る作りとなっており、細さと膨らみの配分が理想的に近い女性的曲線美を誇示している。栗色の短髪の下には麗人然とした上品な顔立ちがあり、両目の虹彩は血のような赤色だった。

 

 問題なのは、この「赤い眼」だ。

 

 この眼をインシェンに見られないというのは、フェイリンにとっては幸運だった。

 

 自分は昔から、この赤い眼が嫌いだった。

 

 赤い眼の者は、この国では数千万に一人の確率で生まれると言われている。片親または両親が赤眼であっても、もしくは両親どちらとも赤眼でなくとも、その確率は変わらない。

 

 その持ち主が男だったら「かっこいい」で済むのかもしれないが、女の場合は最悪だ。

 女の赤眼は「毒婦の象徴」と呼ばれ、忌避されている。

 古き時代、国を混乱や滅亡に追いやった「傾城(けいせい)の美女」は、みんな自分のような赤い眼をしていたという。歴史の経過とともにその伝説が自然と歪められていき、やがて「赤眼の女は住む家に凋落をもたらす」という言い伝え(ジンクス)に落ち着いた。

 

 小さな頃から、この赤い眼のせいで散々嫌な思いをしてきた。子供たちからの苛めや仲間外れは当たり前。大人たちまで密やかに自分を揶揄した。しかしそらすらもまだ優しかった。……もっと悲惨な目にあった事がある。

 この両目を抉り出してやりたいと何度思ったことだろうか。

 

 ――しかし、「あの人」はこの眼を気味悪がらなかった。それどころか「綺麗」とさえ言ってくれた。

 周囲から散々冷や飯を食わされてきた自分に優しくしてくれた。

 身を護り、生きていくための術を教えてくれた。

 ずっと笑えなかった自分に、笑顔をくれた。

 

「ん? どうしたよお嬢さん。おたくの【気】、なんか恋する乙女みてぇな揺らぎ方してっぜぇ?」

 

「……気のせいですわ」

 

 インシェンの指摘に、フェイリンは少しだけ頬を染めながらそうシラを切った。

 流石は読心術にも等しい優れた【聴気法】。余計なモノも見えてしまうものだ。

 

 自分は、自分にたくさんのものをくれた「あの人」を慕い、その「夢」のために尽くしたいと思った。否、思っている。

 フェイリンが今回の「計画」における切り込み隊長となることを、「あの人」は猛反対した。お前に血と争いは似合わない、お前は女としての幸せを掴め。そう言ってきた。

 しかし女なればこそ、許されぬ想いとはいえ愛してしまった男の夢を叶えたいものだ。ゆえにしつこく何度も食い下がり、「危なくなったら雲隠れする」という条件でようやく「計画」への参加が許された。

 

 フェイリンの手が自然と拳を作る。

 もうすぐだ。

 もうすぐ帝都に、この煌国を崩壊へと導く「戦火」が生まれる。

 朝廷という根が燃え尽き、国という大樹が枯れ果てた時、「あの人」の悲願は達成される。

 否。してみせる。この手で。

 

 

 

 貴方様の願い、この私がなんとしても叶えて差し上げますわ。

 ――――お父様。

 


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