一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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三者三様の備え

 

 紅梢美(ホン・シャオメイ)は、帝都西側の外壁を背にして一人たたずんでいた。

 

 いかなる侵略をも威風堂々と防がんとする分厚い壁面の中心には、関所付きの門が設けられている。

 東西南の三か所に開かれた出入り口の一つであるそこから、真西へ向かって一直線に石畳の舗装路が伸びている。その路に添って、結構な頻度で馬車が帝都へ出入りしていた。

 

 また一台入ろうとしている馬車を一瞥する。白い(ほろ)のかかった荷台の後部から、大量に積み上げられている布袋がちらりと視認できた。袋表面には荒っぽい標準語で「砂糖」と書かれていた。おおかた、砂糖の生産が盛んな南方から送られたものだろう。

 

 シャオメイはそれを些事と断じて、己の修練に意識を戻した。

 

 青々とした、雲ひとつない空を見上げる。正午となって垂直の位置にある太陽がしたたかに照り付けていた。

 

 シャオメイはそんな太陽に刃向うがごとく、跳躍。

 

 さらに空中でもう一度「跳躍」した。

 まるで、宙にいる自分の体を見えない誰かが蹴っ飛ばしたかのように、シャオメイの体が跳ね上がったのだ。

 

 さらにもう二度、三度、四度、五度、六度……と虚空で跳ね上がるのを繰り返し、垂直に上昇していく。

 

 やがて、舗装路が麺のように細く、そこを通る馬車が米のように見える高度まで達した。

 

 今度は横へ鞠のように身を弾ませる。無論、空中で。

 

 次は右へ。次は左へ。次は下へ。次は緩やかな傾斜状に斜め上へ。次はきつい傾斜状に斜め下へ。

 

 翼を持たず、地に縛り付けられているはずの人が、縦横無尽に天空を駆け回っている。

 

 外壁の最上部は通路となっていて、壁の直角位置には詰所がある。通路に立っている警備兵が口をあんぐり開けてこちらを見ているのが、一瞬だけ視界に入った。

 

 しばらく飛行を続けた後、シャオメイは外壁最上部の道へ軽やかに着地した。

 近くに立つ警備兵が何か言いたげに口をぱくぱくさせているが、【黄龍賽(こうりゅうさい)】本戦選手は大会開催中限定で通行税を免除されている。文句を言われることはないだろう。

 

 シャオメイはこの場に一人しかいないような気持ちで、ふう、と一息ついた。その額には、玉のような汗。

 

「……思ったよりも疲れるな、この【飛陽脚(ひようきゃく)】とかいうのは」

 

 これまた一人だけでいるような気分で独り言。警備兵の存在は完全に意識の外だった。

 

 腕の素肌で汗をぬぐい、空を仰ぎ見る。

 

 シャオメイが着る修練用の軽装は、やや目に毒であった。

 腰から足首まで包む履物は露出が皆無だが、上半身に着ているのは下着のような布一枚のみ。両肩の鎖骨辺りに掛けられた細い帯状の布に、胸部から(へそ)の少し上くらいまでを包む筒状の薄布を繋げただけの代物だ。肩幅と両腕、腰まわりは激しく露出しており、釣鐘状に胸部の布を尖らせる双丘も谷間が覗いている。

 

 女として魅力的だとよく言われる凹凸の激しい肢体を主張したような服装。

 

 しかしシャオメイは気にしなかった。昔から、武法以外の事には無頓着なのだ。なので警備兵の目も気にならない。

 

 それよりも今のシャオメイには、昨日新たに「盗んだ」技の制御の方に頭がいっぱいだった。

 

 【飛陽脚】。自分の体重を自分で蹴飛ばすことで、足場のない空中でも跳ね上がることができる技。

 

 この技を【太極炮捶(たいきょくほうすい)】に加えるつもりはない。

 (ホン)家の次期当主であるシャオメイは【太極炮捶】の技術継承の使命を背負ってこそいるが、その継承するべき技術の中に門外の技を入れる気はさらさらなかった。

 【太極炮捶】の技は【太極炮捶】の者だけが作るべきなのだから。

 

 けれど、自分のために有効活用する程度なら、父上とて文句は言うまい。

 

 そういうわけで、明日の二回戦に備えて【飛陽脚】を扱う訓練をしていたが、これがなかなか疲れる。

 

 ――【鏡身功(きょうしんこう)】。

 

 次期当主に選ばれた次の年の始まりから半年間、シャオメイは生活のほぼ全てを体質の改良に費やされた。

 

 毎日決められた時間帯に、決められた箇所の経穴を(はり)で刺す。

 毎日決められた時間帯に、決められた種類の薬膳を食べる。

 毎日決められた時間帯に、決められた調合法の薬湯に入る。

 毎日決められた時間帯に、決められた素材の寝具で決められた時間に寝て、決められた時間に起き、決められた【拳套(けんとう)】を決められた回数練る。

 

 全てにおいて管理された厳格な生活に身を置くことで、徐々に肉体を作り変えていった。

 

 その極秘の工程を終えた半年後に得た能力は――「体術習得速度の飛躍的向上」。知らない体術を、数回見ただけで自分のモノとして吸収できるという破格の能力だ。

 

 【鏡身功】は素晴らしいものだが、慣れない体術は使い慣れていない【(きん)】も使うので、必然的に疲労が伴う。

 

 この【飛陽脚】が体に馴染むには、どうやら一日じゃ足りなそうだ。これは明日の試合では乱用しないことにしよう。

 

 外壁最上部の通路の両端を囲う胸の高さほどの塀を登り、外壁から飛び降りる。

 浮遊感と空圧とともに地が急迫。

 着地寸前に【飛陽脚】で上へ跳ねて落下の勢いを打ち消してから地に軽やかに足を付ける。

 

 この技の訓練はここまでにしよう。慣れない武器の練習に躍起になるよりも、長年慣れ親しんだ武器を手入れする方が建設的だろう。

 

 慣れ親しんだ武器の最たるもの――自分が武法を始めてから最初に学び、今までずっと練り上げてきた【拳套】を、今日もまた練ろう。

 

 両脚をくっつけて直立し、呼吸を上から下へ降ろす意識で気息を整える。心身が沈んで「静」の状態になったことを実感する。

 

 足元には牛が一匹寝そべっていて、その牛の背中の端に立っているという意念を思い浮かべてから――シャオメイは「静」から「動」へと転じた。

 

 拳と掌による勁撃が中心の【拳套】。思い浮かべた仮想の牛の背の範囲から出ることなく、時に柔らかく、時に鋭く、技の流れをこなしていく。

 

 仮想の牛を縦に割る形で引かれた「直線」を意識し、それを勁をこめた拳や掌の軌道でなぞる。

 

 起式(はじまり)から収式(おわり)までの時間はわずか三十秒という短さ。しかし一度それを練り終えると、シャオメイの全身には滝のような汗が吹き出していた。

 

 【卧牛一条拳(がぎゅういちじょうけん)】。

 牛が寝そべる程度の広さのみを使い、勁の流れを仮想の一本線になぞって勁撃を行う【拳套】。

 

 武法とは本来、牛が一匹寝そべることのできる空間さえあれば十分に戦える。その戦闘思想を現したのがこの【臥牛一条拳】といえる。

 

 さらに、仮想の「直線」に打撃部位を通すことで、ブレない、鋭い勁撃を作り上げる。

 

 【太極炮捶】では一番最初にこれを学ぶ。【太極炮捶】に存在する全ての【拳套】に共通する要訣が含まれているからだ。

 

 つまりこの【臥牛一条拳】を鍛えて功力が高まれば高まるほど、他の【拳套】の技の威力も上がるということだ。

 

 

 

 ――そういえば、ミーフォンはこの【臥牛一条拳】ばかりやっていたな。

 

 

 

 遠い昔の記憶を追想し、自然と口元が微笑みを作る。

 

 しかし、それを自覚したときには、いつもの硬い表情へ戻っていた。

 

 あれはもう昔の話だ。少なくとも、今のミーフォンはもうあの頃のような性格じゃない。

 

 時は人を変える。良くも悪くも。

 

 自分もまた、昔のように甘い姉ではいられないのだ。

 

 【太極炮捶】という大流派を背負って立つ身として、甘さはすべて捨てなければならない。

 

 流派を貶めるようなら、たとえ身内であっても破門にする。

 

 もう、自分はそういう女なのだ。

 

 けれど――

 

 もし、あの妹がこの体に少しでも触れてくれたとしたら。

 

 心を鬼にせずとも、一緒にいられるのに。

 

 だが、それはおそらく叶わないだろう。

 

 はっきり言って、今の自分とミーフォンでは勝負にならない。よほどの奇跡でも起きない限り、自分の勝ちで終わるだろう。

 

 そう、よほどの奇跡でも起きない限り――

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ——今のままではダメだ。

 

 ミーフォンは下半身から駆け昇ってくるような危機感とともに、そう強く確信していた。

 

 日が真上から西へ傾き始めた時間帯、ミーフォンは巨大な湯船の中で膝を抱いて座っていた。

 

 湯気が霧のようにもうもうと漂うその場所は『呑星堂(どんせいどう)』の大浴場である。横長の長方形である空間の六割を、端から端へ続いている巨大な湯船が占めていた。残った四割には、脱衣室へ繋がる戸、石鹸や桶、露天風呂へと続く引き戸がある。

 

 白い素肌を撫で、疲れを癒す意味を込めて我が身をいたわる。自身を粗末に扱っていては育つ功力も育たない。

 

 時間を忘れるほど長く浸かった浴槽から上がり、脱衣室へ出る。

 

 ここで洗い落とした汗は、昨日と同じく、帝都東側に広がる大森林『緑洞(りょくどう)』の前の草原で流したものだった。

 

 昨日と同じく、シンスイに稽古をつけてもらったのだ。

 

 彼女の歩法の精密さ、それを生かした体捌きは神がかっており、一撃どころか、自分からは一度も触れなかった。軽く自信をなくしかけたが、シンスイが懸命に励ましたおかげでどうにか気持ちの安定を取り戻した。

 

 だが一方で、新たな問題意識を認識することとなる。

 

 濡れた素肌を拭きながら、ミーフォンは先程の思考へ再び立ち戻った。

 

 ——今のままではダメだ。

 

 シンスイは確かに、ミーフォンのために体を張って稽古してくれている。明日に自分の試合を控えているにもかかわらず、だ。そのことには感謝の言葉もない。

 

 しかし一方で申し訳ないが、物足りなさも感じていた。

 

 物足りなさとは——こちらを本気で叩きのめそうという気概がシンスイにはないことである。

 

 シンスイは確かに厳しく立ち合ってくれている。しかし、稽古はどこまでいっても所詮稽古。「実戦」ではない。ゆえに、どこか現実味の無さや妥協感が否めなかった。

 

 自分が手っ取り早く強くなるには、やはり実戦を通して学ぶ必要があるとミーフォンは確信していた。

 

 人間は追い詰められると普段以上の力を発揮するものだ。その中を通じて己を追い詰め、潜在能力を呼び覚ます。そうすれば、シャオメイに勝てずとも一矢報いることができるのではないのか……そんな希望的観測を抱いていた。

 

 そう、希望的観測。コレをやればこういう結果が約束されている、という保証がどこにもない、暗中模索の中で見つけた方法。

 

 けれど、やる価値はある。

 

 ミーフォンは歩きながら、その方法を考え始めた。

 

 実戦というと、互いに手心を加えることの無い真剣勝負。

 

 しかし、そんな勝負ができる相手が、そうホイホイ見つかるだろうか?

 

 ここ最近、左拳を右掌で包む【抱拳礼】——命のかかった決闘を意味する合図の上で行われる戦いをよく見ている気がするが、普通なら簡単に真剣勝負を挑み、応じたりはしないものだ。我が身を張るべき戦いと、そうでない戦いがある。

 

 自分を憎んでいる人間を探す?そんな奴は見たことが無い。自分がかつて盗みを告発したことで縁の切れた昔の親友なら自分を恨んでいそうだが、彼女は武法士じゃないし、そもそも今はどこにいるかも分からない。

 

 なら、どうすればいい。

 

 そうだ、自分を憎んでいなくてもいい。少しでも「気に入らない」という感情を抱く者、あるいはその人物が恨みに思っている相手の知り合いという繋がりで——

 

「……あ!そうか!その手があったわ!」

 

 思いついた、一人だけ。

 

 いる。たしかに。自分に「気に入らない」という意識を抱きそうな人物が、一人。この帝都に。

 

 暗闇の中に、一筋の光を見つけた気分だった。

 

 こうしてはいられなない。早速、「あの人物」がどこにいるのか、これからどう動くのかを探ってみなければ。

 

「よしっ!」

 

 ミーフォンが気合を入れて拳を握りしめたその時。

 

 女の悲鳴が聞こえた。

 

「あ、貴女っ!?な、なんて格好してるのっ!?」

 

 中居の服を着た中年女性が、ミーフォンを指差しながら震えた叫びで訊いてきた。

 

 何を怯えているのだろう。そう怪訝に思いつつ我が身を見下ろす。

 

 裸。

 

「っ!?」

 

 ミーフォンは顔を真っ赤にし、しゃがみ込んで我が身を掻き抱く。しまった、考え事に没頭し過ぎて着衣に気が回らなかった。

 

 目を見張らせている男客を見ぬまま、悲鳴混じりの声で叫んだ。

 

「見んな馬鹿ーっ!!あたしを視姦していいのはお姉様だけなんだからぁーーっ!!」

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 突然ですが、このボク李星穂(リー・シンスイ)は日記をつけています。

 

 地球にいた頃は毎日毎日病院生活で、日記を書いたとしてもおんなじような内容ばっかりだ。いや、毎日違う点はある。どんな医療ケアを受けたか、どんな薬を使ったか、どんな痛みが走ったか、などだ。……そんなの日記に書きたくない。苦しくなるだけだし。

 

 だけど今は異世界で、しかも健常者だ。いろんな所に出歩けるから、カラフルな思い出が作れる。だから書く事も毎日違う。なんと素晴らしいことか。

 

 極め付けに、レイフォン師匠に弟子入りして間も無く「毎日、日記をつけろ」と命じられたことがキッカケとなり——ボクに日記をつける習慣が生まれましたとさ。

 

 煌国の製紙技術は優れている。あらゆる方法と材料があり、おまけにその材料も安価で大量生産が可能なシロモノときている。だからこそ、文明レベルは中世と同程度でも紙が安価である。……それでも本が高いのは、ただ単に印刷に手間がかかるからだろう。

 

 まあ、とにかくボクは夜闇を『鴛鴦石(えんおうせき)』の灯りで照らす『呑星堂』の自室にて、今日も日記をつけている。

 

 

 

 

 

 足で。

 

 

 

 

 

 寝台(ベッド)の端に座りながら、床に置かれた白紙の帳面見開きページの中心を左足で押さえ、右足の親指人指し指で筆を持って、右ページにスラスラと今日の出来事を書いている。

 

 ボクが書き連ねていく文字は、自画自賛だが、足で書いたとは思えないほど美麗であった。……正直、手で書くよりも上手だと思う。

 

 ――足で美しい字を書く。

 

 そう。まさしくそれがこの『足日記』の狙いだ。

 

 【打雷把(だらいは)】は、絶対的攻撃力と、それを確実に当てるための精密な歩法を持ち味としている。

 その持ち味のうち後者を成り立たせるには、「足の器用さ」が必要不可欠である。

 

 ボクはレイフォン師匠から、「足の器用さ」を養うための修行法をいくつか教わった。――この『足日記』もその一つである。

 

 文字は見方を変えれば、ありとあらゆる「軌道」を持った線の集合体である。特に煌国標準文字は、漢字並みに複雑な文字だ。

 そんな文字を足で書くことによって、【打雷把】に必要な「足の器用さ」を育てるのである。

 

 無論、弟子入りして間もない頃の『足日記』は酷いものであった。文字の(てい)さえ一切感じられないほどぐちゃぐちゃな上に、たった数文字書くために一頁費やすというヘタクソっぷりだ。

 

 だが今ではこうして美しい文字を書くことができる。それに並行して、歩法の精度も並外れたものとなった。

 

 攻撃力だけが目立つ【打雷把】だが、足を主体として使った技もいくつか存在する。

 

 ……ボクは、昨日のシャオメイの試合を思い出す。

 

 正直、決勝戦まで大技は隠しておきたいところだが、アレは出し惜しみをして勝てる相手ではない。

 

 状況が状況なら、全てをさらけ出す覚悟を決めよう。

 

 師匠が長年の経験をもって作り上げた【打雷把】の力は、まだまだこんなもんじゃない。

 

 それを、あの独善的な【太極炮捶】次期当主サマに見せつけてやるのだ。

 

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