一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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それぞれの戦い①

 

 明日に怯えていようと、楽しみにしていようと、時というのは平等に過ぎ去っていくものだ。

 

 違うように感じるのは、その人の心の有り様が、精神的な速さをコントロールしているからだ。

 

 かくいうボクは、遅く感じていた。

 

 当然だろう。相手は【太極炮捶(たいきょくほうすい)】という大流派の次期当主なのだ。血統書付きな上、才覚や実力は群を抜いているとのこと。

 

 けれど、戦わなければ先には進めない。

 

 そんな思いでボクは一夜を超え、今日、第二回戦を迎えた。

 

 上空から見ると巨大なすり鉢状である【尚武冠(しょうぶかん)】が、戦いの舞台だ。

 

 すり鉢の斜面に当たる観客席と、底辺にあたる円形の闘技場。

 

 観客席は、途中で分厚く高い壁によって分断されていて、アルファベッドの「C」みたいな形となっている。

 その巨壁は【黄龍賽(こうりゅうさい)】の運営役や皇族が出入りする特別な建造物となっており、庶民はおろか、官吏でさえも許可無く入れない。

 巨壁からは、すり鉢の内側へ向けて二つの露台(バルコニー)が出っ張っている。

 狭い露台には司会役がおり、その上段にある広い露台には皇帝陛下を含む皇族のお歴々が高みの見物を決めていた。センラ……もとい煌雀(ファン・チュエ)皇女殿下に手でも振りたいところだが、こんなパブリックスペースでそれは軽率だし失礼だろう。

 

 大勢の観客が熱い視線を向ける底辺の闘技場。そこで向かい合って立つ、ボクと紅梢美(ホン・シャオメイ)

 

 正午になる約一時間半前から始まった第二回戦において、一番最初にやり合う組み合わせだった。

 

「とうとうこの時が来たな【雷帝】の弟子。私は実をいうと、お前と一戦交えるのを楽しみにしていた」

 

 シャオメイは表情を真顔のまま、そう言った。相変わらずの鉄仮面なので、とても楽しそうには見えないのだが。

 

「【雷帝】の弟子、じゃなくて李星穂(リー・シンスイ)ね。苗字でも名前でも好きに呼んでよ……それで、どうして楽しみにしてたのかな?」

 

「ああ。お前の師父【雷帝】こと強雷峰(チャン・レイフォン)は、もともとは我々【太極炮捶】の門人だ。他流派といさかいを何度も起こして破門になりはしたが、最初に習った【太極炮捶】を高めて独自の優れた拳法を作り上げたという。さらに奴は名のある多くの武法士に勝利し、当代随一ともいえる拳力を天下に知らしめた。――お前はそんな怪物の弟子なのだ、李星穂(リー・シンスイ)。そんなお前を、【太極炮捶】の長となる者の拳で打倒すれば、【太極炮捶】が最強ということになる」

 

「なるほどね……でも、ボクは君の肥やしになる気は毛頭ないよ。ボクらを「田舎拳法」とあざ笑うその根性をへし折って、武林がいかに広大無辺であるか教えてあげるよ」

 

 言いつつ、ボクは左拳を右手で包んだ。

 

「それは、是非とも見せていただきたいものだな」

 

 鼻で笑いつつ、シャオメイもまた同じように挨拶した。ヒョウのように鋭く美麗な眼差しに、ボクの姿がくっきり映っている。

 

 ボクら二人のその行動に、周囲を囲う観客たちが歓声を膨らませた。

 

『さてさてさて、ようやくやってまいりました第二回戦! たった一日の間隔を開けるだけだというのに、数年待ったような気分なのは気のせいでしょうか? 皆様個人個人によって待った長さは違うでしょうが、今、この時、ようやくその待ち時間から解放されることとなりました! ――本日の第二回戦! 謎の攻撃型武法を使う麗しの美少女、李星穂(リー・シンスイ)と、【太極炮捶】という大流派をその双肩に背負う女傑、紅梢美(ホン・シャオメイ)の一騎打ちだぁぁぁ――――!!』

 

 歓声がさらに増した。途切れて聞こえるくらいに大きい。

 

『両者ともに、すでに『抱拳礼』は済ませている様子。ならば、あとは思う存分互いの技と功力(こうりき)を発散させるのみ。さあ――存分に暴れてくださいなっ!!』

 

 司会役が大きく挙手。

 

『では――――始めぃっ!!』

 

 その手が刀のごとく振り下ろされるの同時に。

 

 試合の開始を告げる銅鑼(どら)の音が高らかに鳴り響いた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 勾藍軋(ゴウ・ランガー)は意気消沈していた。

 

 自分はいったい何のために四年間の苦練を積んだのだろう。

 

 知れた事。今度こそ【黄龍賽】で優勝するためだ。

 対戦相手としてぶつかった武法士を全員倒し、今年こそあの【天下無踪(てんかむそう)】に敗北の味を教えるためだ。

 【黄龍賽】を、小遣い稼ぎとしか思っていないあのウサギ女を、今度こそ叩きのめしてやりたかった。

 

 ……そのはずだったのに。

 

 結果は、四年前の前回【黄龍賽】よりもさらに悪かった。

 本戦には出場できたものの、初戦敗退という無様をさらしてしまった。【太極炮捶】の次期当主である女の手によって。

 

 ギリィッ。ランガーの歯が、削れんばかりに噛み締められた。

 

 だが、憤っても仕方がない。自分はもう負けたのだ。敗北者なのだ。

 

 負けた者は消えるのみ。

 

 今頃、【尚武冠】では第二回戦が行われているはずだ。けれどそれを見る気にはなれなかった。

 

 ランガーは荷袋を片手に、小さな宿屋の一階へ続く狭い階段を下りていた。

 

 この宿は『吞星堂(どんせいどう)』ではない。『吞星堂』は昨日すでに荷物をまとめて出ている。

 昨日帰ってもよかったのだが、そのときは敗北感が大きく、長い帰路を歩く気力が皆無だった。

 【黄龍賽】参加者の宿泊施設は、その参加者が敗北した翌日に退出しなければならない。そういうわけで、この安い宿屋に一泊した。

 

 石造りの階段である『吞星堂』とは違い、木製である階段は少しやわらかく感じる。震脚などしようものなら一発でへし折れそうだ。

 

 階段を降り切り、帳場を過ぎて、表戸を出る。

 

 これから、この帝都を出て行く。

 

 だが、自分はあきらめない。四年後も【黄龍賽】に出場する。そのために、さらなる修業に己が身を投じるのだ。

 

 この宿は、帝都の南西に張り巡らされた裏通りの一角に存在する。南門寄りなので、一番近い南門から帝都を出よう。

 

 そう思い、この宿の庭園と街路を隔てる木の正門を出ようとした。

 

 しかし、開かれている正門の片側に寄り掛かっている一人の少女が、こちらの行く手を足で阻んでいた。

 

 小柄な少女だった。髪は肩幅の辺りで先端が途切れており、両側頭部には団子のような白い布がくっついている。勝気に整ったその顔立ちは、猫を思わせる。

 

 その顔は、一昨日に自分を下した相手――紅梢美(ホン・シャオメイ)に似ていた。

 

 ランガーの目が無意識に険しさを帯びる。

 

「……なんだ、テメェ」

 

 明らかにランガーを通せんぼしているその少女に、目つきと同様に鋭い口調で問う。

 

 少女は毅然とした態度で、自らの名を名乗った。

 

「あたしは【太極炮捶】宗家、三女の紅蜜楓(ホン・ミーフォン)。【黄龍賽】本戦参加者、勾藍軋(ゴウ・ランガー)とお見受けするわ」

 

 ――(ホン)、だと?

 

 ランガーの眉間のシワの本数が増えた。

 

「テメェ……まさかあの女の」

 

「そうよ。あなたが一昨日負けた紅梢美(ホン・シャオメイ)はあたしの姉」

 

 "あなたが一昨日負けた"を強調したミーフォン。

 

 それを聞いて確信した。シャオメイの身内であるこの女もまた、奴と同じく不倶戴天の存在なのだと。

 

「おい、メスガキ。冷やかしに来たんならとっとと失せろ。俺はテメェみてぇなお嬢と違って暇じゃあねぇんだよボケ。家帰ってチャンバラでもしてろ。でねぇと――――潰すぞ」

 

 潰すぞ、ではなく今すぐ潰したい。けれどそれをやるとこちらの立場が弱くなりかねない。なので刃物のような殺気を必死で内側へ押し込める。

 

 そのミーフォンは、こちらの眼光に怯えるように顔を緊張させる。その足が、一歩後ろへ退こうと動く。

 

 ふん、ビビって消えやがれ。

 

 だが紅家の三女は下がろうとした足をピタリと止めると、その足でそのまま一歩前へ強く踏み出した。

 

 ――コイツ!

 

 表情からも怯えの色が消え、こちらの眼光をみずからの眼光で受け止めて、言い放つ。

 

「あなた、これから帝都を出ていくんでしょ? 遠路はるばるこんな大都市に来たわけなんだし、もう少し思い出でも作りましょうよ」

 

「……何が言いたい?」

 

「帰る前に――――あたしと立ち合ってもらえない?」

 

 ミーフォンの提案に、ランガーは我が聴覚を本気で疑う。

 

 何言ってんだこの馬鹿。コイツ、どう見ても俺よりずっと功力が低い。コイツだって、俺の実力は立ち姿を見れば分かるはずだ。

 

 なのに、それを踏まえた上で、俺に挑戦しようとしている。

 

 なんという勇敢な――

 

「図に乗ってんじゃねぇぞっ!」

 

 憤激に突き動かされるまま、ミーフォンの懐へと一瞬で詰め寄る。その顔が驚きを呈する暇さえ与えぬうちに掌底を叩き込んで、遠くまで紙屑同然に吹っ飛ばした。

 

 街路の真ん中でうつ伏せになって止まる。

 

 無茶苦茶な転がり方をした。まるで死んでいるみたいに動きが無い。

 

 けれど、ミーフォンはぴくりと身じろぎしたかと思うと、ゆっくりと体を起こしていく。

 

 立ち上がる。

 

 その顔は、真っ直ぐに自分を見つめていた。

 

 戦う覚悟を決めたような眼差しに射抜かれたランガーは、自分の足を自然と後ろへ一歩下げてしまった。

 

 それを見て、ランガーは更なる恥辱と憤怒を覚えた。

 

 恐れてしまった。怯えてしまった。あんな小娘に。

 

 ――気に入らねぇ!

 ――【太極炮捶】だか何だかしらねぇが、お高くとまりやがって。

 ――その態度は、お前みてぇなボンボンがして良いものじゃねぇんだよ!!

 

 「大流派」と呼ばれる武法は大嫌いだ。

 

 ランガーが所属している流派は、武林において名前がほとんど知られていない無名流派。大流派に属している連中の口から言わせれば「田舎拳法」だった。

 

 確かに、【太極炮捶】【道王把(どうおうは)】などといった由緒ある流派に比べれば、無骨で粗野な武法かもしれない。

 

 だがそれでも、ランガーは自分の流派を、武法士人生において自らが骨を埋めるべき流派であると心から思っており、誇りにしていた。

 

 だからこそ、金持ち連中がこちらの流派名を聞いた時に見せる、「田舎拳法か」という嘲りの感情が含まれた笑みが気に入らなかった。

 

 金持ち連中は、きちんと見返りが期待できるものに投資したがる。武法を学ぶ場合、連中が学びたがるのは由緒ある「大流派」だ。【太極炮捶】や【道王把】がその代表的な例である。

 

 「大流派」サマに名を連ねる連中には、金持ち連中が多い。

 そいつらは「強くなりたい」というよりも「技を蒐集(しゅうしゅう)したい」というような連中だ。

 知っている技が増えるほど達人に近づくと本気で思っているような愚か者どもだ。

 だから技を多く知っていても、精神は未熟。新しい技を覚えていくのは好きだが、試合は嫌だ。そんな連中ばかりである。

 

 最初は「大流派」である事をいばり散らしていても、こっちがちょいと小突けばたちまち戦意を失ってだんまりとなる。

 

 「大流派」なんて連中は所詮、技の歴史の長さを鼻にかけた貧弱野郎の吹き溜まりだ。ランガーはそんな偏見に近い見方を持っていた。

 

 しかし、目の前のこの女はどうだろう?

 

 この女は「由緒ある技」だけでなく、自分よりも強い相手に立ち向かう「勇気」も持っている。

 

 それがものすごく気に入らない。

 

 二物を持っている者が、ランガーは憎たらしくすら思えていた。

 

 その憎たらしい少女は、なおも毅然とした態度で言い放った。

 

「あんたに与えられた選択肢は二つだけ。左拳を包むか、包まないかの二つ。――どうする?」

 

 頭の中で、大事な何かが切れる音がした気がした。

 

 右掌に左拳を乱暴に叩きつけ、ランガーは膨張する怒気を押し殺したような声で言った。

 

「――上等だ、【太極炮捶】。捻り潰してやるよ」

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 試合開始の銅鑼が鳴って、半秒と経たぬうちにボクは勢いよく飛び出した。

 

 迷いなき直進。

 

 間合いと間合いが接触。

 

 その瞬間ボクは攻撃に――移らず、シャオメイの左斜め前へ右足を進めた。敵が放った刺突のごとき拳打を躱しつつ、左足でまっすぐ蹴った。

 

 シャオメイが軽く前へ進んで蹴りを避ける。

 

 ボクは蹴り足でそのまま彼女の隣へ深く踏み込み、重々しい肘打ち【移山頂肘(いざんちょうちゅう)】へと連結させた。

 

 対し、シャオメイは再び最初の立ち位置へ下がって肘を空振りさせる。さらに回避後、左足ごと左拳を進ませて正拳突き。

 

 飛んできた左拳を小さく右へずれて避けつつ、シャオメイの間合いの奥へ侵入。【衝捶(しょうすい)】へと繋げた。

 

 突き進んで放つ必殺の正拳突きが、薄皮一枚まで肉薄。

 

 だが不意に、シャオメイの手がボクの拳にそっと添えられた。かと思うと、拳に込められた勁力が水を殴ったように失せ、同時にシャオメイの姿が視界から消えた。

 

 背後に怖気が走る。その本能的な感覚に従い、ボクは重心を横へスライドさせた。約半秒後に、ボクのいた位置を槍のような爪先が穿ちぬいた。

 

 見ると、シャオメイは空中にいた。

 おそらく、ボクの拳が秘めた莫大な直進勁を、水車のように自身の縦回転へと利用したのだ。そのままボクの頭を飛び越えて真後ろを取り、その奪った回転力を利用した蹴りを放った。

 

 同じような技が、【道王把】に含まれる武法の一つ【龍行把(りゅうぎょうは)】にもある。

 

 シャオメイは、何も感じていないような無表情をこちらへ向ける。

 

「この程度で勝てるとは思っていなかったが、それを踏まえても素晴らしい反応だ。流石はあの憎き【雷帝】の弟子といったところか。……それにお前から奪い取った勁力、とてつもなく重々しかった。回転力として利用したまでは良かったが、強すぎてあやうく制御に失敗するところだった」

 

「【太極炮捶】次期当主様に褒められて光栄だよ」

 

「そうか。……お前の拳に含まれる「理」を、これから戦いの中でたっぷり観察させてもらおう」

 

「言っておくけど、ボクの【打雷把】はそんなに甘くないから――ねッ!」

 

 軽口をそこで途切れさせ、間を詰めた。鞭のような前蹴りを放つ。

 

 それを手で受け止められるのを確認してから蹴り足を高速で引っ込めた。回転して振り向きざまに放つ円弧の裏拳を深々しゃがんでくぐり抜ける。

 

 彼女の間合いの奥、それも低い位置を取ったボクは踏み込んで【移山頂肘】を叩き込んでやりたい衝動に駆られるが、それをさせぬとばかりに靴裏が目の前で大きく拡大された。

 

 ボクはしゃがんだまま歩を横へ進めて身を捻り、間一髪その蹴りから逃れた。そのまま伏せた右足を軸にして回転し、左足でシャオメイの軸足を蹴り払った。

 

 重心を奪われたシャオメイは、空を仰ぎ見ながら虚空を浮かんだ「死に体」と化す。足場がないゆえに動くことができない、格好の的。

 

 そこを狙ってやろうと考えた瞬間、ある過去の映像が脳裏をよぎった。――第一回戦で、何もない空中で跳躍して空を飛びまわっていたシャオメイの姿が。

 

 転瞬、虚空に浮かんでいたシャオメイが、蹴られて跳ね上がっていた自分の片足を、もう片方の足で蹴りつけた。

 

 ――シャオメイの五体が、足場も何もない空中でばちぃん、と真上に"跳ねた"。

 

 【飛陽脚(ひようきゃく)】。自分自身の体重を自分の足で蹴っ飛ばすことで、足場のない空中でもジャンプできる。翼の無い人間でも空を飛べる、ある種の憧れを禁じ得ない技。

 

 さらにシャオメイはもう二回空中で跳ね、ほぼ一瞬でボクの真後ろを取った。背後から来た回し蹴りをかがんで躱す。

 

 着地する音が微かに聞こえた。ボクはその音めがけて風のように歩を進めた。シャオメイへと急接近。

 

 ボクは牽制で右裏拳を放つ。それが受け止められるのを見た瞬間に深く間合いへもぐり込み、左拳で【衝捶】。

 

 体の捻りによって回避されてしまったが、反撃を許さずもう一度【衝捶】で突き進んだ。シャオメイはそれも軽く避け、即座に跳ねるような回し蹴りへとつなげるが、ボクも身体を手前へ引いて逃れる。

 

 生まれた互いの距離を、シャオメイが掌打で埋めてくる。

 ボクは体を鋭くよじって掌打の延長線上から胴体を逃しつつ、体ごと入ってきたシャオメイの胴体めがけて蹴りを直進させた。

 

 しかし、シャオメイはまだ前足を踏み込んでいなかった。

 

 掌打に込められた勁力を急きょ打ち消し、ボクがまっすぐ放った蹴りをもう片方の手で受け止めつつ、その力を我が身の回転に利用した。

 

 前傾した状態で竜巻のようにシャオメイは回転。地面と体が向かい合った瞬間、回転の勢いで震脚し、さらにその足に鋭い捻りを込めた。

 

 体重で石畳を叩いた力に比例した反力がとぐろを巻く形でシャオメイの身体を駆け上り、横回転させ、振り向きざまに放つ回し蹴りに新たな勁力を与えた。

 

 音速で迫る鎌のような蹴りを、後ろへ下がって間一髪回避しつつ、その曲芸のような奇怪さを含む動きに脱帽していた。

 不安定な状態で反撃してみせるあの技は、酔っ払いの動きを模した【太極炮捶】の【拳套(けんとう)】――【酔漢拳(すいかんけん)】の中に含まれているものだ。

 

 直立に戻ったとたん、シャオメイは地を蹴って距離を詰めた。

 

 シャオメイの拳が重心ごと走り、ボクもまた前に飛び出しつつ拳を真っ直ぐ放つ。

 

 シャオメイは踏み込んで正拳中段突き。ボクもまた正拳中段突き。両者の技は同じだった。

 だが、動きは少し違いがあった。

 シャオメイは、体を前面に向けたまま放つ、ポピュラーな正拳突き。

 だがボクは震脚で激しく踏み込んだ足に急激な捻りを加え、その力で全身を展開させて威力に加算する正拳突きであった。――名を【碾足衝捶(てんそくしょうすい)】。突き終えた時の形は、腰を落として弓を引いたような格好だ。

 

 体を横へ開いたことによって、ボクの胸部にシャオメイの拳が擦過。

 巨乳だったら危なかったなぁ、と思うのとほぼ同時に、ボクの拳がシャオメイに突き刺さった。

 

 敵の体が、引っ張られるように後方へ吹っ飛んだ。

 

 そんなはっきりとしたやられ様を見たにもかかわらず、ボクは眉をひそめずにはいられなかった。

 

 ――なんだろうか、この手ごたえの無さは。まるでゼリーを殴ったみたいな、衝撃が埋まっていく感触だった。

 

 それを裏付けるかのように、吹っ飛んだシャオメイが地面でくるりと後転して受身を取り、流れるように立ち上がった。

 

 彼女の顔からは一応苦痛の色は感じるものの、それもほんの少しだった。ボクの一撃を浴びた後とは思えないほどぴんぴんしている。

 

「……何をしたの?」

 

 緊迫しつつボクが問うと、シャオメイは独り言のように言った。

 

「直撃と同時に下半身全体を柔らかく沈ませ、お前の拳に込められた勁力を緩和し、地面へ逃がした。【黐腿(ちたい)】という歩法だ」

 

 そう言えば、そんな歩法もあったっけ。

 

「だが、それでも十分に痛かったぞ、お前の一撃は。全く恐ろしい。この馬鹿げた勁力も【雷帝】譲りというわけだな。相手の攻めをかいくぐって間合いの奥へと踏み入るための精密な歩法、その後に絶対的威力の一撃。まるでそれ以外はゴミだといわんばかりの究極の合理性、恐れ入った。【雷帝】は好かんが、その武法へのあくなき探究心は驚嘆と称賛に価する」

 

 シャオメイの口元が、微かに笑みを作ったのが見えた。

 

 

 

「だからこそ――――盗ませて(・・・・)もらった(・・・・)

 

 

 

 その言葉に対し、問う時間どころか考える時間さえ与えられなかった。シャオメイが前触れなく稲光のような速度で迫ったからだ。

 

 どうにか反応が間に合い、シャオメイの放った神速の正拳突き【霹靂(へきれき)】を両腕で防ぐに至った。だが、その勢いで後方へたたらを踏む。

 

 突きを終えたシャオメイが、さらに鋭くボクの間合いへ踏み入ってきた。重心がおぼついていない今のボクは隙だらけ。満足に対応することもできず敵のクリーンヒットを許してしまう可能性が高い。

 

 そんなボクに、シャオメイは深く横歩きで踏み込んで――肘を打ち込んだ。

 

「か――――」

 

 一瞬、意識が飛びかけた。それくらいの威力が、肘に込められていた。

 

 けほけほと数度咳き込みつつ、吹っ飛ぶボクは受け身を取って立った。しかしそこで一度膝がよろけ、倒れそうになる。

 

 先ほどの一撃の余韻に、膝がわななくように震えている。

 

 ボクの頭も、彼女の肘打ちに込められた理合いに驚いていた。

 

 まさか、今の技は――――

 

「【移山頂肘】…………!!」

 

 そう。【打雷把】の一手。それをシャオメイは使って見せたのだ。見た目もそっくりだが、力を生み出す体術、肘に込められた勁力の形さえも瓜二つ。

 

 シャオメイは肘打ちの体勢をやめると、つらつらと説明しだした。

 

「なるほど…………激しく重心を落として一瞬だけ体重を倍加させる沈墜勁(ちんついけい)(へそ)周りの旋回の勢いを使う轆轤勁(ろくろけい)……ここまではありふれた生勁動作だが、この技……否、【打雷把】とかいう武法の技の威力を支えているのは――「脊柱の張力」と「深い踏み込み」による作用反作用か。腰を沈下させつつ、背筋へ上向きの強い力を【意念法】で与える。そうすると、全身は両端から引っ張られた糸のように強い張力を手に入れ、横からの力に強くなり、その場に立つ力が金字塔のごとく盤石となる」

 

 見透かしきった彼女の台詞に、ボクは内心で青ざめた。まるで心の中を覗かれた気分で気持ちが悪い。

 

「面白い体術だ。やはり【雷帝】はとことん常識から逸脱するのが好きなようだ。――だが、それでも私には及ぶまい。この体には、悠久の歴史の蓄積がつまっているのだから」

 

 そこまで言うと、シャオメイが再び地を蹴った。

 

 ボクもまた走り出す。

 

 互いの間合いがぶつかった瞬間、シャオメイの姿が消えた。

 ――と思った瞬間に真上から影が差したので素早く横へ動き、垂直に急降下してきたシャオメイの踏みつけを避けた。跳び上がりから降下までの時間がとんでもなく短かい。【飛陽脚】で跳躍、落下を瞬時に行ったのだ。

 

 ボクは着地間もないシャオメイへ横歩きで詰め寄り【移山頂肘】。

 しかしシャオメイは小さく自分の位置をずらしてこちらの肘を回避し、すかさず前蹴り。ボクはどうにか回避が間に合い、その蹴りを空振りさせた。

 目標を失った靴裏はすぐに踏み込みへ変わり、ボクから盗み取った【移山頂肘】が迫る。

 自分の技が当然のごとく使われることに気味悪さを感じつつも、ボクは冷静に斜め前へと一歩を進めた。直前までの立ち位置をシャオメイの肘が穿ち抜く。

 

 ボクはそのまま彼女の真後ろを取り、【衝捶】で突きかかる。

 

 紅家の長女は鋭く振り返りざまにボクの正拳を手で払いのけると、すかさず瓜二つな【衝捶】。

 

 ボクもそれを避けて、二発目の【衝捶】。

 

 【衝捶】。【衝捶】。【衝捶】。【衝捶】。

 

 終わりの見えなそうな【衝捶】合戦が繰り広げられていた。

 

 同じ技で攻防を行う様は、まるで同門同士で行う約束組手のようだ。

 

 けれど、ボクとシャオメイは違う流派だ。

 

 だからこそ、同じ土俵で戦うとなればボクに分があるのは当然。

 

 ボクは突然【衝捶】をやめ、自然な動きでシャオメイの左胸に拳を添えた。

 足底から指先までを同じ回転方向へ同時に捻り込み、添えた拳をゼロ距離からドリルのように直進させた。

 

 直撃。だがそれと同時にシャオメイの身体がぐにゃり、と少し沈み、ゼリーを殴ったような手ごたえの無さをもう一度ボクの拳に味わわせた。――また【黐腿】で勁力を緩和された。

 

 紅家長女は3(まい)ほど押し流される程度で済み、すぐにまた近づいてきた。ボクの間合いに入った途端急旋回し、右の裏拳を放ってきた。

 

 ボクは軽く身をかがめ、裏拳の真下をくぐってやりすごす。けれどシャオメイはなおも回転を維持し、今度は左拳を円弧状に振った。それを右腕によってガード。

 

 衝撃を右腕の手根に感じつつも、間合いの奥へと身をねじ込もうとする。

 

 が、シャオメイはボクの右腕を掴み取ると、そのまま左へ大きく歩を進めた。重心の流れにボクを巻き込む。

 放とうとした【衝捶】が中断され、身体が右に投げ出された。

 シャオメイはというと、ボクが流れようとしている方向の先で腰を落として力を溜めていた。

 彼女は鋭く右足を進めた。未だ左手で掴んだままのボクの腕を引っ張りながら、右正拳を叩き込もうとした。真っ直ぐ進む勁力に、相手を引っ張った勢いも上乗せする気だ。

 

 そうはさせない。矢のような速度で迫るシャオメイの右拳を冷静に見極めてから、空いている左手でその右拳を上から押さえ込むように無力化させた。

 

 だが引っ張られた勢いだけは続き、ボクはシャオメイに抱きつくようにして胸へと飛び込んで、二人仲良くドミノ倒しのごとく倒れた。

 

 ――通常、武法は特殊な流派を除き、立ち技が主体だ。寝転がって戦える技はきわめて少ない。

 なので、シャオメイは倒れた後、ボクの手を放して立ち上がるのだと考えていた。

 

 だからこそ、シャオメイが未だにボクの右腕を離さぬままでいることに動揺した。

 

 ボクの上を取った紅家長女は、ボクの右腕をがっちり掴んだまま、真上から下へ弧を描く形で膝を振り下ろした。

 

 ボクはその膝蹴りを靴裏で受け止めた。

 

 両者の力が押し合う。シャオメイが重力と脚力を活かしてグイグイ加圧してくるのに対し、ボクは脚力のみで押し返す。――その光景は、【滄奥市(そうおうし)】の予選大会決勝戦でライライと戦った時の一部とほぼデジャヴしていた。

 

 重力という自然の力を味方に付けているシャオメイの方が有利だろう。それでもがんばって押し返す。足の【(きん)】はこれでもかってくらいに鍛えてきた。その力を活かして、またライライの時みたいに押し返してやる。

 

 だが、シャオメイの呼吸が不意に変化するのを聞いた瞬間、気力に陰りが生まれた。

 

 まるで、重たい石を天高く持ち上げる様を彷彿とさせるその呼吸音に、聞き覚えがあったからだ。マズイ、たしかこの呼吸法って――

 

「フゥッ!!」

 

 その重鈍な発声と同時に、ボクの靴裏にかかる重みが数倍に増す。まるで岩のように重たい!

 

 どうしようもない重圧に耐えつつも、ボクは記憶の辞書を引いていた。

 

 【重身術(じゅうしんじゅつ)】――特殊な呼吸法によって体幹部の【筋】を下へ伸ばし、身体を強引に重くする(・・・・・・・)技術。猿のような身軽さを手に入れる【軽身術(けいしんじゅつ)】とは対を成す存在だ。

 

 呼吸法を繰り返すたびに、重さを増やせる。これを使うと体重が一時的に倍加するので、重心移動と同時に行えば技の威力が上がる。

 

 ただし、この呼吸法をやった直前は体が硬直するので、そこが隙になるという欠点がある。だからこそレイフォン師匠も【打雷把】には組み込まなかったのだ。

 

 そんな風に一瞬、現実逃避気味に記憶を思い起こしていたが、技の正体を知っているだけではこの状況は切り抜けられない。

 

 こちらを圧潰(あっかい)せんとばかりに、自重を少しずつ増やしてくるシャオメイ。

 

 鍛え抜かれたボクの足も頑張ってるけど、それでも少しずつ押し戻されていた。……やばいな、これ以上続くともたないよ。

 

 ――仕方ない。正直この手は使いたくなかったけど、背に腹は代えられない。

 

 ボクは足に力を込めるのを忘れず、そのまま【気】を操作。

 丹田に電気的エネルギーの塊が生み出されたのを実感した瞬間、それを起爆。

 銃弾の雷管よろしく弾けた【炸丹(さくたん)】のエネルギーは、くじけそうだったボクの足に強い真っ直ぐな力を与えた。

 

 のしかかるシャオメイをいくらか上に押し返せた。しかし、まだ完全には押し出せていない。

 

 もう一度、丹田を激発させた。――かなり押し返した。

 

 三度目の【炸丹】で、ようやくシャオメイという名の巨岩を少しだが切り離せた。繋がれた手を素早く振りほどき、這うようにそこから脱出した。

 

 ドズンッ!! という重々しい落下音。殴るような風圧。

 

 シャオメイの落下地点は、頑丈そうな石敷きが粉砕され、その下にある土さえも軽く陥没させていた。果たして最終的にどれだけの重さだったのだろうか。

 

 【重身術】による副作用で、シャオメイは少しの間だけ動けない。

 

 ボクも体力と【気】を多く消費する【炸丹】を三連発したおかげで虚脱感があったため、隙を突くことは叶わなかった。

 

 客席の熱気が、いつのまにか天を衝く勢いで高まっていた。司会役も熱を込めて何やら語っているが、それさえも今のボクにとってはささいな事だった。

 

 鉛を巻きつけたみたいな気だるさを実感しつつも、ボクは改めてシャオメイの動きを振り返る。

 

 バラバラではっきりとしないが、的確に移り変わる戦法。数多くの技を知りつつも、それを持て余さず、有効な場面で有効な使い方をする機転。

 

 これが、【太極炮捶】。すべての武法を生み出した、悠久の時を生きる武法。

 

 シャオメイの【太極炮捶】は、まさしく【太極炮捶】らし過ぎた。

 

 いくら「特徴が無いのが特徴」だといっても、個人の性格などが技に反映して、どこか突出した「偏り」が現れるはずなのだ。

 その「偏り」が生まれるからこそ、【太極炮捶】は数多ある武法流派の祖となれたのだ。

 

 しかし、目の前の紅家長女の拳たるやどうであろう。

 「特徴がないのが特徴」という個性を遵守し過ぎていた。

 おそらく、「【太極炮捶】を次代に伝える」という使命感の賜物だろう。伝承者である以上、伝承されたことの範囲を超えるものを身に付けたり、教えたりしてはいけないのだから。

 

 おまけに、【鏡身功(きょうしんこう)】によって、相手の体術を取り巻く「理」を読み取り、自分のモノにできる。

 

 反則にもほどがある。

 

 普通なら心折れる。

 

 でも、ボクの口元には微笑があった。

 

 だるさを気合いで強引にねじ伏せ、ボクはシャオメイめがけて突っ込んだ。彼女もまた硬直が治ったようで、そんなボクにゆったりと身構える。

 

 シャオメイは重心の乗った右足を素早く前へ滑らせ、その動きに合わせて右掌を放つ。

 

 ボクはそれを身の捻りであさっての方向へ流しつつ、胸中に入った。

 

 すると、今度は左腕が外側から弧を描いてやってきた。ボクはその腕を真下から右足で蹴り上げる。

 

 胸部がガラ空きとなったシャオメイは、身を翻しつつ後ろへ跳躍。回し蹴りを出しながら退避することで、間合いへの接近を防ぐ。

 

 しかしボクは、そんなシャオメイへ突っ込み、跳躍した。

 

 緩い放物線を描いて、虚空を舞うシャオメイの間合いへ飛び込む。真横から回し蹴りが素早く近づく。

 

 ボクは靴裏を斜めにし、その面に回し蹴りをこすらせて軌道を斜め下へそらした。

 

 これには、流石の紅家次期当主といえど驚きを呈したようだ。

 

 そんな彼女を余所に、ボクは余剰した勢いの赴くまま間合いの奥へと吸い込まれていく。

 

 屈曲させていた足の伸びを開放。彼女の腹部へ靴裏を叩き込んだ。

 

「く……っ」

 

 眉間に濃いシワを刻みながら、シャオメイは後方へたたらを踏んだ。

 

 足を止め、こちらを真っ直ぐ睨んだ。

 

「……面白い脚法だな」

 

 ボクは片足を持ち上げつつ、声を強く張らせて言った。

 

 

 

「見せてあげるよ。【打雷把】の脚法――【縫天脚(ほうてんきゃく)】を」

 

 

 

 さあ、本当の勝負はこれからだ。

 


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