一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜 作:葉振藩
シャオメイ戦での疲れを一晩で癒し、その翌日。
陽光に照らされた帝都の東の大通り。早朝ゆえに人通りもまだ三々五々な街中を、ボクとライライは並んで歩いていた。
ボクらは他愛のない話に花を咲かせていた。
内容は、主に……宮中での仕事のことだ。
今日と明日の二日間お暇をいただいたライライは、気晴らしに帝都を散策したいと言った。ずっと宮廷にこもりっぱなしだったので、たまには市井の中に浸かりたいらしい。
けれど、なにぶん一人では味気ないため、ボクがこうして一緒している。
ちなみにミーフォンは、昨日の疲れで今も泥のように眠っている。試合をしていたボクよりも疲れている様子だった。
「今日はありがとう、シンスイ。あなたがいなかったら、つまらない休日を過ごすところだったわ」
「いいや、気にしないで」
「でも、いいの? 明日は試合なんでしょう?」
「いいのいいの。どうせ一日頑張ったところで泥縄だから。それよりさ、もっといろんな話をしてよ。宮廷に出入りできる、しかも皇族とちょくちょく関われる庶民なんて滅多にいないんだから」
「え、ええ、分かったわ。あのね、ルーチン様の事なんだけどね……」
ライライは突然ハッと何かに気づいたような反応を見せる。
どうしたの、と問おうとしたら、ライライはやや遠慮がちにヒソヒソ小さく言ってきた。
「その……皇族の事だから、あんまり公の場では話せないのだけど……この話は、ここだけの話にしてもらえるかしら」
頷く。
「ルーチン様がどうしたの?」
「あのね、ルーチン様はね…………」
某クイズ番組の司会者並みにもったいぶるライライ。その表情もまた、緊張めいたものだった。
どうしたんだろうか。何か、とんでもない秘密でも目にしてしまったのだろうか?
かと思えば、顔を喜色満面にして言った。
「すごくお可愛いのよ!」
「え? そ、そうなの?」
「うん! 寝てるときなんかは体を丸めて猫みたいだし、起きてる時はいつも私のそばにくっついて離れないし、何より、私にだけそんな態度っていうのがなんというか、その………ふふふふふ」
両頬に手を当て、悶絶するみたいに体をくねらせるライライ。
その様子に、ボクは若干気後れしながら、
「そ、そうなんだ。てっきり、毎日その巨大な胸を揉みしだかれたり吸われたりしているのかと」
「私も最初はそれを警戒してたんだけど、私に嫌われたくないから我慢するっておっしゃったの。だからせいぜい胸に顔うずめるくらいしかしてこないのよ。でもやっぱり我慢している感じがして……好きにさせてあげたいって何回も思ったわ。存分に甘えさせてあげたいっていう変な欲求が沸いてくるのよ。何なのかしら、この気持ちは」
やや憂いを帯びた笑みでため息をつくライライ。
それは母性というものでは。
「ライライって、将来は良いお母さんになるかもしれないね」
「も、もぉ、何言ってるの。まだそんな年じゃないし……こんな汗臭い女、貰ってくれるアテもないし」
「そうかな? ライライってかなり美人じゃん。ボクが男だったら放っておかないよ?」
「もー、何言ってるの、やめて。……はい! この話題はここでオシマイね」
ライライは頬をほんのり赤く染めながら、ぷいっと前を向く。
「ところで、宮廷内の生活ってどんな感じなの?」
恥ずかしがっているようなので、とりあえず話題の方向を変えた。
ライライは人差し指を唇にそっと当てる。
「うーん、宮廷ってものすごく広くって、把握しきれないわ。私がいるのは常にあの方の隣だし、あの方もそもそも勉強とかその他のお稽古事で動く範囲が限定されているし」
ルーチン様という意味を「あの方」という代名詞でぼかしつつ、そう説明してくれた。
まあ、それはそうか。いくら傍仕えといったって、宮廷の全部を見れるわけではないのだ。
「そういえば、内廷(ないてい)には始皇帝の『
尸偶――【
「いいえ、見ていないわ。そもそも始皇帝の尸偶は、地上ではなく地下にあるらしいのよ。その地下室は有事の際に皇族たちが逃げ込む避難場所の役目もあるらしくて、私のような
残念。いったい始皇帝がどんな人だったのか、ご尊顔を間接的に拝んでみたかったのに。
「そういえば、内廷ではよく宮廷護衛隊の制服を着た人とすれ違ったわね」
「そりゃあ、宮廷を守る人なんだから、いっぱいいるさ」
「そうね。その中でえっと、
「何か話しするの?」
「いいえ。一言挨拶するくらい。でも、間近で立たれると存在感がすごいのよ。剣呑ってわけではないけど、なんというか、気を緩めたら途端にその存在感に呑まれて消えちゃいそうな感じがして……ああ、これが護衛隊の二強なのね、って思った。皇族の命を奪いに来る輩は今はかなり少ないけど、奪いに来る連中は正直言って自殺志願者としか思えないわね」
遠まわしに「敵に回したくない」と表現するライライ。
しかしまあ、それはボクもおおむね同感だ。
ボクは帝都へ来て間もない頃、ジンクンさんと一戦交えた。その末に引き分けにこそなりはしたが、彼の持つ功力には圧倒されていた。きっと、それでも彼はまだ手加減している。本気でかかられたら、危ないかもしれない。
さすがは護衛隊の長だと褒めちぎりたいところだ。
「まあ、私が話せることといったらこれくらいね…………ああ、そういえばもう一つ、妙な話を耳にしたわ。宮廷内を往来する文官の方々が、時々話題にしていた話」
「何?」
「近頃、砂糖を大量に帝都へ運んでいる人たちがいるって話よ」
彼女の言葉に、ボクは小首をかしげた。
「それのどこが妙な話なの?」
「おかしいのよ。今年は南方では砂糖の原料となる作物は不作で、砂糖は今相場が上がっているのよ。なのにとんでもない量の砂糖が、帝都に運ばれてきた。文官の人たちは口を揃えて「資金洗浄では?」って言ってる」
資金洗浄――いわゆるマネーロンダリングというやつだ。あくどい事して得たお金を別の何かに変換して、それをさらにお金に戻すことで、その「あくどい出所」を隠す。
「というか、文官はもう独自に調査をすすめているみたい。でも話を聞く限りじゃ、尻尾をつかめていないみたいよ」
「ふーん……」
まあいいか。お金の問題で、ボクら武法士に出来ることなど何もないだろう。彼らにまかせよう。
「ところでシンスイ、私も聞きたいことがいくつかあるのだけど」
「いいよ、何でも聞いて」
「まず一つ目なんだけど、昨日シンスイが対戦した相手って、ミーフォンのお姉さんだって聞いたんだけど」
「うん、そうだよ。シャオメイっていうんだ。まだこの帝都にいるみたいだから、暇があったら会いに行ってみたら?」
「そうね。いいかもね。あともう一つ聞きたいことがあるのだけど……いいかしら?」
「何?」
「明日戦う相手――
その質問を聞いた瞬間、緩んでいたボクの心がキュッと引き締まるのを感じた。
「……正直のところ、分からない。なにせ、相手は前【
「それに?」
同じように相槌を打つライライ。
ボクは昨日に見た試合のことを思い出しながら、畏怖の気持ちを抱きつつ言った。
「彼女は試合が始まってから、一歩も動かずに勝ってみせたんだ」
思い出すのは、昨日の第二回戦。
からくもシャオメイに勝利したミーフォンを部屋へ寝かしつけた後、ボクは再び【
戻ると、ちょうど次の試合の真っ最中だった。
一方は、いかにも質実剛健といった巨躯を誇る、坊主頭の武法士。
もう一方は、ウサギみたいにモフモフした白髪頭の少女、
坊主頭の武法士は、その巨躯に不釣り合いなほどの敏捷性でトゥーフェイに近寄り、重さがよく乗った掌打で打ちかかった。
当たれば、栄養不足っぽいトゥーフェイの痩身は、綿毛のように軽々と吹っ飛ぶはずだった。
しかし、綿毛のように飛んだのは坊主頭の方だった。
掌打が白髪の少女の胴体に触れた瞬間、跳ね返されたのだ。
ゴロゴロと転がる坊主頭。対し、トゥーフェイは痛がる素振りを一切見せていなかった。それどころか、あくびしながら今にも寝てしまいそうにうつらうつらしていた。
その態度に腹を立てたのであろう坊主頭は、頭全体を真っ赤にして再び勁撃を加えた。
しかし、またも跳ね返った。
さらにまた打つが、結果は同じだった。
拳、掌、肘、各種蹴り技。エトセトラ。
坊主頭はとにかくあらゆる方法で勁を叩き込んだ。けれど、いずれも跳ね返されるという結果のみに終始した。
トゥーフェイはもはや眠ってすらいた。
その異常な光景にボクは唖然としていた。
近くにいた観客に聞くと、つまらなそうに言った。
……トゥーフェイは試合開始から、一歩もあの位置から動いていないということを。
やがて、度重なる勁撃の連発によって坊主頭は体力を徹底的に使い果たし、降参した。
トゥーフェイの勝利。
こうして、ボクが準決勝で戦う相手が、あの白髪の少女と決まった。
――【
一歩も足跡を作ることなく天下を取った白髪の少女。
その伝説の片鱗を目の当たりにした。
ボクの話を静かに聞いていたライライは、話が進むにつれて顔に驚きを広げていった。
「噂には聞いていたけれど……凄いのね」
うん、と頷いてから、ボクはトゥーフェイの使っている武法の名を思い起こす。
「【
「私は名前くらいしか聞いたことがないけれど、シンスイ、何か知ってるの?」
「ボクもそんなに知らないんだ。【空霊把】のことを記載してる文献が少なくて、しかも書いてあったとしてもほんのちょっとの情報だけ。でも、その「ほんのちょっと」なら知ってるよ」
ボクはわずかな知識のカケラをつなぎ合わせ、それを頭の中でまとめてから口にした。
「知ってるのは主に二つだけ。――まず一つ目は「力を自在に操る」武法であるということ」
「力を操る? その「力」っていうのは、勁のことかしら」
「勁でもあるし、ただの力のことでもある。【空霊把】は特殊な意識操作と呼吸法を用いて、力や勁の形や向きを自在に操ることができるんだ。例えばさライライ、どうして剣って人を斬れるか知ってる?」
「刃があるから、でしょう?」
「そうだね。でもその刃っていうのは、図形的な見方に変えると何だと思う?」
「そうねぇ、うーん……ものすごく細い線、かしら?」
正解だ、とボクは彼女を指差した。
「刃っていうのは、その極細の線に力を乗せて対象にぶつけることで、初めてその対象を真っ二つにできるんだよ。つまり「斬る」っていう行為は、見方を変えれば「極細の面積で殴る」っていう行為ともいえるんだよ」
ようやく合点がいったであろうライライが、目をしばたたかせた。
「【空霊把】は、力の持つ「形」を自在に変えられる。それを利用すれば、生み出した勁を極細の線として拳から発することで「斬撃」に変えたり、勁を指先よりもはるかに小さな一点に凝縮させて「刺突」もできる。さらに、変化させられるのは自分で生み出した力だけじゃない。――相手から受けた力も操れる」
「じゃあ、トゥーフェイが相手の攻撃をはね返せたのって……!」
「相手から受けた衝撃を地面に逃がし、それによって地面から跳ね返ってきた反力をそのまま相手に返したんだよ」
信じられない、とか細く呟くライライ。
だが、これは実際にボクの目の前で起きた現実だ。
これこそが、【天下無踪】といわしめたトゥーフェイの技の正体。
「まだもう一つ、知ってることがあるんじゃないかしら」
ライライが気を取り直して、そう話を促してきた。
「そうだったね。【空霊把】についてボクが知るもう一つの情報は――習得できる人間がとても限られていること」
「限られてる?誰でも覚えられるものではないの?」
「うん。なんでも、【
【空霊把】は確かに強力な武法だが、俗世で出回っている情報量は少ない。
その最たる理由は、使える者、習得可能な者がほとんどいないからだ。
しかし【剣骨】を持つ者には、同じく【剣骨】を持つ人間が本能のようなもので分かるらしい。だからこそ【空霊把】は細々とながら伝承を守ってこれたのだ。
「だとすれば、まさしく天恵を持っているのね。その
「だね。……あ、それとね、トゥーフェイの試合を見ているうちに気づいたことがもう一つあるんだ」
「何? まだ何か使えるの? 彼女は」
ライライが顔をしかめる。ただでさえ【空霊把】という強力な武法を身につけているというのに、これ以上何か特異な能力があったらボクの勝ち目がさらに薄くなる……そう考えているんだろう。心配してくれているのだ。嬉しい。
けれど、そうではない。これから口にする「もう一つ」は、もっとエモーショナルな事だ。
ボクはふるふるとかぶりを振り、その先を告げる。
「――トゥーフェイの試合の時、観客がひどくつまらなそうだったんだ。ううん、試合だけじゃない、本戦の開会式でやった選手紹介でトゥーフェイの番になった途端、歓声が低くなったんだ」
ライライは下を向いて黙考し、やがてハッと顔を上げて言った。
「もしかして、トゥーフェイがただ立ったまま勝つから?」
「そうだよ。相手は必死で動くけど、トゥーフェイは動かない。相手は勝手に負けてくれる。こんな試合を面白いと思える観客がいると思うかい?」
ふるふると首を横へ振るライライ。
「けど、やっぱりトゥーフェイはそのことに対してもどこ吹く風って感じだった。ということは、彼女にとって大事なのは、大会で優勝することじゃなくて、それによって得られる付加価値ってことになる」
「それって、流派の名を上げることかしら?」
「いや、あのやる気の無さを見る限りでは、そうは思えない。もしかすると、優勝賞金が目当てなのかもしれない」
【黄龍賽】に優勝すると、莫大な額の賞金が出る。実際に、それを目当てに集まる武法士も数多い。
この国は財政難なはずなのに、なんでそんな莫大なお金を用意するのか――それは、【黄龍賽】という催しによる経済効果から得られるお金の方が倍くらい多いからだ。
ボクはしょっちゅう命のかかった戦いに巻き込まれているが、本来、この泰平の世で、武法を使った戦いなんてそう見れるものではない。だからみんなはそれが見たい。だから【黄龍賽】に客が集まる。お金も集まる。
話を戻そう。
つまりだ。【黄龍賽】の選手は、自流の名を上げるために出場するわけではない。お金目当てで参加する者もいるということだ。
そんな風に話をしながら歩いていた時だった。
「ん?」
ボクは一歩踏み出そうとしたが、踏み出す先に何かが落ちていることを感じ取ったため、虚空で足を止めた。
見ると、そこには一冊の白い本が落ちていた。
「遊雲天鼓伝 第十七集」と黒く走り書きされているだけの、シンプルな表紙だ。
あれ、この題名、どこかで見覚えが……。
拾い上げ、ぱらぱらとページをめくって確認する。ざっと見たところ、小説のようだった。
書かれている文字はどれも手書きだ。活版印刷で刷られた文字ではない。
「シ……シンスイ…………そ、そ、そ、そ、それそれ、それれ、そそそそれれれ――」
ふと、ライライの震えた声が耳に入った。
振り向くと、女の子がしてはいけないような衝撃的表情を浮かべてこちらを――より正確には、ボクが持っている本を――血眼で凝視していた。
「ら、らいらい?」
「か、かか、かかかかかしかし貸してシシシンシンスイ。そ、そそそっそれ」
「え、ああ、うん」
DJスクラッチみたいにブレた声を出すライライに当惑しながらも、本を差し出す。
ひったくるように受け取ると、顔を間近に近づけながらぱらぱらと高速で読んでいく。
十秒くらいしてから本を顔から離す。その顔は、恐ろしいくらいに興奮気味だった。
「間違いないわ、コレ…………『
「『遊雲天鼓伝』って確か、ライライが好きな読みものだったっけ。でも……発売されていないものがこんなところに転がってるかなぁ」
きっと誰かが勝手に書いた二次創作だ、というニュアンスを受け取ったであろうライライが、ふるふるとかぶりを振った。
「いいえ、この文体、間違いなく『
「だとすると、ますます落ちてる意味が分からないよ。その原本って、作品を印刷して出版する権利を持った出版商会が持ってるべきものなはずだろう?」
「もしかすると……落としたのかも」
ライライがそう推論を出すのと同時に、ボクは本の裏表紙に赤く丸い紋章が捺(お)されているのを見つけた。
足に本を掴んで飛ぶ鳥の意匠。
ボクはそれと同じ看板を見たことがある。
「それ、『
「え? ……あら、本当ね」
『遊雲天鼓伝』を出版しているのは『落智書院』という出版商会――出版社のようなものだと考えてよい――である。
その紋章があるということは、二次創作である可能性は限りなくゼロである。
「ということは、落としたもの、なのカナ」
そうボクが結論付けると、ライライは笑みを輝かせて間近まで顔を近づけてきた。甘い吐息がかかる。
「シンスイシンスイシンスイ! 行きましょう! この原本を届けて差し上げましょうよ! 愛読者として、この事態を見過ごすわけにはいかないわ!」
「いや、でも……どこに届ければいいのかな」
「『落智書院』の本店まで行けばいいのよ! あそこは最大規模の店であると同時に、出版について細かい取り決めをしたりする頭脳的な役割も持っているの! 作家さんはそこに原本を届けて、商会の人と作品について話し合うのよ! だからそこへ届ければいいの! 大丈夫、本店はこの帝都の中にあるから、人に聞きながら行けば分かるわ!」
「あ、はい、ソウデスカ」
息もつかせぬマシンガントークにたじたじになりながらも、ボクは相槌を打つ。
「なら行きましょう! すぐ行きましょう! すぐ! これは千載一遇の好機だわ! ずっと謎に包まれていた覆面作家『
それが目的か。ちなみに花押とはサインのことである。
そんな風に張り切るライライに引っ張られるようにして『落智書院』本店を探し始めたボクたち二人。
この帝都の、いや、この煌国における最大規模の書房であったため、探しだすのにさほど苦労はせずにすんだ。
昼前には、目的の建物の前へと到着していた。
「へぇー、結構大きいねぇー」
ボクは感嘆の声をもらしながら、眼前にそびえるその建物を見上げた。
横に広いその四階建ての建物の最上部にかぶさっているのは、赤褐色の瓦でうろこみたいに覆われた三角屋根。その屋根の四隅の先端には、小さな鳥の彫刻が飾りつけられている。
現在は開放状態である入り口の両開き扉は、光沢が強い朱塗り。瓦の張られた軒の上には、本を足に掴んだ鳥の紋章を描いた『落智書院』の丸い扁額がついている。その紋章の上部分の空白に「落智書院 本店」と書かれている。
その堂々たる威容から察するに、以前見た『落智書院』の書房は支店の一つに過ぎないとすぐに判断がつく。
「私も見るのは初めてだわ……すごいわね」
ライライもぼんやりした口調でそう同意する。
こうして二人仲良く棒立ちして眺めている間にも、開放された両開き扉から数多くの客が呑まれ、吐き出されていく。
さて、ここへ来たのはいい。
問題はここから先だ。
「この原本のこと、だれに相談すればいいんだろう?」
ボクのその発言にライライはおとがいに手を当てて思案顔で、
「そうね……店の人なら、誰でもいいんじゃないかしら。そこから書房の上の立場の人へ通じていけば」
「まあ、やっぱりそれが一番のやり方か」
ボクはそう賛成を示し、ライライとともに店先へ歩き出した。
そのときだった。
「あう」
横からぶつかってきた誰かが、気の抜けた呻きをもらす。ハスキーっぽい、女の子の声だった。
「ああ、ごめんなさ…………」
軽く一瞥しながら謝ろうとしたが、そのぶつかってきた人の顔を見た瞬間、言葉を失った。
やや丈が余る服装に通された、枝のように細く不健康そうな肢体。ウサギの毛みたいに白くふんわりした髪。とろんと眠そうに細められた眼差し。
見間違えようはずがない。
「君は――
前【黄龍賽】優勝者にして、明日の準決勝でボクが戦う相手に他ならなかった。
自分の名を呼ばれたことで、彼女の眠そうなまぶたもピクリと動いた。見上げ、こちらと目を合わせた。
「……あなたは」
「えっと、こんにちは、トゥーフェイ。こうして直接話すのは初めてだったよね」
「誰だっけ」
ずごーっ、と漫画みたいに転げそうになった。
「つ、次の対戦相手の名前くらい覚えておこうね!? ボクは
「要らない」
「は?」
「だって、また立って寝てる間に勝つ。だから相手の名前、覚える必要、ない」
ハスキー声で口にしてきたその台詞に、ボクはとてつもない挑発の匂いを感じた。
「や、やってみないとわからないだろそんなの!?」
そうムキになってまくしたてたが、トゥーフェイはうつむいたまま無反応。
「ちょっと、聞いてるの!?」
なんでこんなにムキになっているのか自分でも不思議に思いながらも、ボクはしゃがみこんで白髪の少女の顔を覗き込むが、
「……すーぅ、すーぅ、すーぅ」
――寝ている。
「って、こんなところで寝るなぁ――!!」
「ふぁ」
ボクの叫びにぴくんと反応し、顔を上げるトゥーフェイ。口端からだらだら垂れるよだれを拭こうともしないまま、
「……そうだ、今は一大事。このまま寝たら、わたしの、引きこもり生活の基盤が、崩れかねない」
「よくわかんないけど、まずはよだれを拭きたまえ」
トゥーフェイはボクの指摘通りに袖で唾液を拭くと、「よっこらせっ、と」と心底かったるそうに立ち上がった。なんかおばさんくさい。
「探さないと……アレがないと……面倒くさい……ことになる……でも、今も、十分、めんど、くさい……」
かと思えば、ぶつぶつと独り言を口にしながら、ゾンビのようにのろのろ歩き始めた。どう見ても、必死に何かを探しているとは思えない歩き方だ。
「「アレ」って、何のことだい?」
ボクがそうたずねると、トゥーフェイは不思議そうにこちらを見ながら、
「……あれ、あなた、まだいたの」
「いたよ!!」
もうヤダ! なんなのこの子!?
常軌を逸したマイペースぶりに辟易していたときだった。
ずっと眠たげに細められていたトゥーフェイの瞳が、かすかに見開かれた。
その視線の向かう先は、ライライだった。
いや、より正確には、ライライが持っている『遊雲天鼓伝』の原本だ。
トゥーフェイは老人のように緩慢な動きでそれを指差す。
「それ……わたしの。返して」
「え?」
ライライは手の内にある原本と、トゥーフェイの顔を交互に見る。
しばらくそうしてから、悟ったような表情になる。
そこからさらに、歓喜いっぱいに笑みを膨らませていき、
「ま、まさか! まさかまさか!! まさかあなたがあの『
「……禁句」
いつもの気だるげな、けれど少し非難のニュアンスがこもった声で、トゥーフェイがたしなめた。
どうやら、ライライの夢は叶ったらしい。
偉大なる『