一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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初めての渇望

 

 ――何? この感覚。

 

 突然全身に舞い込んだ感覚に、姫兎飛(ジー・トゥーフェイ)は混乱を覚えた。

 

 硬い棒状のモノで突き刺されたような感覚が、炎が燃え広がるように腹部から背中へ駆け抜けた。

 さらには浮遊感。

 そのかすかな浮遊感の後に背中へやってきたのは、平べったい衝撃。こちらの体を押しつぶさんばかりの力だった。

 

 いったい、これはなんなのだろう。

 

 この、全身を波のように駆け巡る、想像を絶する痛みは――

 

 

 

 ああ、そうだ。これは「痛み」なんだ。

 

 

 

 そう確信した瞬間、

 

「っぐっ……あああああああああぁぁぁぁぁ!!!」

 

 ようやく「痛み」を「痛み」として明確に知覚したトゥーフェイの全身が、火であぶられるようなすさまじい激痛を訴えた。

 

 自分は武法による戦いで、「痛み」など感じたことが無かった。

 

 だが今日、初めて感じた。それも、とんでもなく大きなものを。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 

 トゥーフェイは叩きつけられた壁から落ちると、地面にうずくまってなおも苦痛を叫び続ける。

 

 痛い。痛すぎる。息が上手くできない。視界も涙でにじむ。

 

 吐きそう。

 

「っ……ぅおぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ」

 

 吐いた。今朝食べた饅頭のかけらが混じっていた。

 

 なんなんだ、これは。

 

 あっていいのか、こんなことが。

 

 どうして、わたしがこんな目にあわなければならないのだ。

 

 わたしの人生は「怠け」で満たされていた。そのはずなのに、なんでこんな「怠け」とは程遠い苦痛を感じている?

 

 そうだ、夢だ。これはいつもしている昼寝の中で見る夢の世界に違いない。こんな自分でも、ときどき悪夢を見る。夢の世界はままならないのだ。

 

 しかし、この全身をさいなむ激痛は、このうえなく現実だった。吐き出したモノの苦酸っぱい余韻も、現実味がある。

 

 現実だった。

 

 限りなく「怠け」で満たされていた自分の現実が、「苦痛」で侵略されている。

 

 その侵略者は誰だ?

 

 苦痛で固まった体に鞭を打ち、ゆっくり顔を上げる。

 

 真半身(まはんみ)の状態で腰を落とし、拳をこちらへ突き出したまま止まっている、華奢な三つ編みの美少女の姿。

 

 ――李星穂(リー・シンスイ)

 

 彼女が必死で自分に覚えさせようとしていたその名前を、今、「思い出す」という形で明確に覚えた。

 

 シンスイは突き出した拳越しに、そのらんらんと輝く太陽みたいな大きな瞳をこちらに向けてきていた。

 

 その瞳を向けられたトゥーフェイの中に、さまざまな感情が渦を巻いた。

 

 今、自分の目の前に立つのは、自分とは何もかもが正反対の存在だ。

 人生を「怠け」で満たそうとしている自分とは違う。

 何かに向かって一直線に突き進み、今の自分より良い自分を作り出そうとしている者。あれは「そういう目」だ。

 

 彼女は、そのひたむきさへの「供物(くもつ)」として、自分を喰らい尽くそうとしている。

 

 冗談じゃない。

 

 トゥーフェイははっきりと確信した。

 自分はこの女が嫌いだ。 

 この女は敵だ。

 自分の「怠け」を犯そうとする、不倶戴天(ふぐたいてん)の侵略者だ。

 侵略者なら、蹴散らさなければならない。

 食われる前に、食らいつくさなければならない。

 

 その敵意は、次第にある一つの感情へと転化した。

 

 

 

 ――「勝ちたい」という感情に。

 

 

 

 それは、ずっと「怠け」に固執してきた少女が初めて胸に抱いた、勝利への渇望だった。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 勝ったと思った。

 

 トゥーフェイは、ずっと苦痛とは程遠い戦いばかりに甘んじてきた。

 

 なので、その初めての苦痛を【打雷把(だらいは)】による強大な勁撃で受ければ、戦意なんてポッキリ折れると思った。

 

 事実、トゥーフェイは地面にうずくまり、叫びを上げ、ショックで胃の中のモノを地面にゲーゲー吐き戻した。

 

 けれど――そこから再び立ち上がるのを見て、ボクは驚きを隠せなかった。

 

「トゥーフェイ……!」

 

 そう、立ち上がったのだ。

 

 さび付いたようにぎこちなくではあるが、確かに二本の足を立たせたのだ。

 

 丈の余った袖で口元の吐しゃ物をぬぐうと、目の前にいる白髪の少女は、ややかすれた声で言った。

 

「あなたは……敵」

 

 白い前髪の奥底にある瞳は、敵意と戦意で光っていた。

 

「あなたは……邪魔者」 

 

 その表情は、今まで見てきた彼女のどんな表情にも似つかなかった。

 

「あなたは――――嫌い!!」

 

 次の瞬間、大地がビリビリと激震した。

 

 かと思えば、トゥーフェイの足元を始まりに、こちらへ向かって放射状に無数の亀裂が伸びていた。

 

 石畳が一瞬で粉みじんと化し、足元がもつれた。

 

「うわっ……」

 

 何だコレは!? 一瞬で石畳が全部砕け散った!

 

 この石畳はかなり頑丈だ。ボクでさえ、これを壊すのに何十発と勁撃を放ったのだ。

 

 地面が激しく揺れたと思った瞬間には、地面が粉々に揺れた。

 

 つまり「振動」。トゥーフェイは地面に振動を流し込み、それによって石畳を粉々に砕いたのだ。

 

 どんなに頑丈な家屋でも、強い地震によって激しく揺さぶられればヒビが走り、崩れる。これは言うなれば、擬似的な地震。

 

 おそらく、振動は呼吸で生み出したものだろう。特殊な呼吸法で丹田を高速振動させて、その振動を【空霊衝(くうれいしょう)】の力学操作で大地に流したのだ。

 

 そうやって考えに浸りながら、下ばかり向いていたのがいけなかったのだろう。

 

 隣から近寄ってくる存在感に気づくのが遅れてしまった。

 

「ふっ!!」

 

 細い吐気とともに、トゥーフェイのかかとが大上段から振り下ろされた。

 

 ボクは遅れこそしたものの、間一髪半歩ほど動いてかかと落としを避けた。

 

 直撃はまぬがれたが、驚くべき現象が起きた。彼女のかかと落としが当たった地面の延長線上へ、きれいな直線状の「切れ目」が生まれたのだ。

 

「これは……!」

 

 身の毛がよだつ思いをした。生み出した力を「極細の線」の形に細めることで、蹴りに斬撃と同じ性質を与えたのだ。そうなったあの蹴りは刀の一振りと同じ。当たれば真っ二つになっていただろう。

 

 けれど、こんな近距離であんな大振りを使うべきではなかった。当たれば儲けものだが、外れたら隙が大きい。

 

 大振りがたたって硬直している一瞬を突く形で、ボクはトゥーフェイに正拳突き【衝捶(しょうすい)】で近づいた。

 

 対してトゥーフェイは、ボクの拳の甲に手を滑らせた。

 

「いてっ!?」

 

 途端、拳の甲にチクリとした痛みを覚えた。全身がびっくりして、体術と呼吸を崩してしまった。技が不発で終わる。

 

 ボクは大きく距離をとりつつ、手の甲を見た。針で刺されたような小さな傷口から、ぷくりと血のしずくが浮かんでいた。おそらく、針先のようにとても小さな一点を思い浮かべ、そこへ力を集中させることで針に刺さったような痛みをボクに与えたのだろう。

 

 トゥーフェイは踏み込みと一緒に掌底を伸ばしてきた。しかし、ボクはすでに退いていて、彼女の間合いのはるか外である。

 

 絶対に当たらない距離。

 

 

 

 だというのに――全身に衝撃が走った。

 

 

 

 まるで透明の壁が高速で迫り、衝突したような感じだった。

 

 さほど威力は無いが、吹っ飛んだ。

 

 受身をとって立つ。痛みは無い。しかし驚愕が強かった。

 

 触れてもいないのに……衝撃を受けたのだ。

 

 ボクは、得体の知れない動物を見る目をトゥーフェイに向けながら、

 

「……何をしたの」

 

「「球状の力」を発しただけ」

 

 あっさり答えが返ってきたが、言っている意味が分からない。

 

「わたしの【空霊衝(くうれいしょう)】の能力は、力や勁の操作。それらの「形」や「向き」を筋肉操作で自在に操り、体のどの箇所からでも発散させることができる。わたしは今、大地を踏みつけて生まれた力を体の中で練り上げ、「立体の球」に作り変えて掌から発した」

 

 ボクは【空霊衝】の能力を少しだけなら知っていた。

 

 さっきの切れ味鋭いかかと落としは、蹴り足に宿る力の形を「極細の線」の形に圧縮して叩き込む、というものだった。

 

 そう。「叩き込む」のだ。

 

 すなわち「当てる」ことをしなければ、どんなに鋭く圧縮させた力であっても意味が無い。所詮は打撃部位の「平面」にしか働いていない「二次元の力」だからだ。

 

 ――そこまでが、ボクが知る【空霊衝】の能力だ。

 

 けれど、実際は「平面」である「二次元」だけでなく、「立体」である「三次元」にまで力の形を変化させられるのだという。

 

 間合いの外にいたにもかかわらず衝撃を受けたのは、掌底から勁力が前に向かって球状に膨らんだからだったのだ。

 

 射程距離のある打撃――そんな言葉が脳裏をよぎる。

 

 実は、打撃力を飛ばす技術は、ごく少数ながら存在する。【井拳功(しょうけんこう)】という修行法だ。井戸の底にある水へ向かって何度も何度も拳を打ち続け、それを数年続けると、拳の力が井戸の水に伝わって波紋を起こし、やがて水しぶきさえ起きるようになる。

 

 しかし【空霊衝】は、ソレとは違うアプローチで「射程距離のある打撃」を実現させていた。

 

 おまけに厄介な点が二つある。

 発射する勁力の流れや形を自分の任意で変えられること。

 さらに、それがどの角度から飛んでくるのかが一切見えないことだ。

 

 その面白おかしい理屈に、武法マニアとしての興奮を覚えるが、今はそれ以上に危機感を覚えた。

 

 それ以上、深く考える時間は無かった。トゥーフェイの片足が、今にも大地を踏みつけようとしていたからだ。

 

 ボクが大きく後ろへ飛び退くのと、トゥーフェイが大地を踏むのは同時だった。先ほどまでのボクの立ち位置がひとりでに破砕し、破片を四方八方へ撒き散らした。――大地を踏んで生み出した力を、自身の体からボクの立ち位置を結ぶ「触手」の形に変えたのだ。

 

 破片から目を守るべく、ボクは反射的に腕で目元をかばう。

 

 だが、そのほんの些細な隙を突くかたちで、横合いから衝撃が殴りつけてきた。

 

「うぐぅっ!?」

 

 見えない拳に打たれたボクは、横へ倒れようとする。だが手を地に付いて、そこから跳ねた勢いで立ち上がる。

 

 慌てるな。心の波風を沈めて感覚を研ぎ澄ませ。

 

 トゥーフェイが飛ばしてくる勁力はまったく目で見えない。なら、視覚以外の感覚でとらえるしかない。

 

 そうだ、触覚だ。彼女の勁力が飛来してくる感触を肌で感じ取れ。

 

 いくら射程距離があろうと、しょせんは「打撃」。「打撃」である以上、ある程度の風圧は隠せない。

 

 ボクは恐れず、目を閉じた。

 視力を真っ暗闇に封印することで、それ以外の感覚が必然的に敏感になる。

 歓声がうるさいので、両手で耳も閉じる。さらに触覚が鋭くなる。

 

 この【尚武冠(しょうぶかん)】はすり鉢状であり、横風が来る方向は限られている。選手が闘技場に入るための穴だ。そこからこちらにかすかな涼風が吹くのだ。

 

 その涼風とは方向を異にする、不自然な風が吹くのを感じた。

 

「っ!」

 

 ボクは右へ跳んだ。瞬間、先ほどまで立っていた左側からボゴンッ、と何かの鈍器で殴る音。

 

 いける! 

 

 自然風の向きをあらかじめ読む。そのうえで、その風とは違う不自然な風を読むのだ。そうすれば、見えない打撃を避けられる。いくら飛ばせる打撃とはいえ、しょせんは「打撃」だ。力が空中を通るにあたって起こる風圧までは消せない。

 

 目を閉じていても、【聴気法】でトゥーフェイの存在を感知できる。

 

 ボクは、トゥーフェイの気めがけて走り出した。

 

 途中途中で勁力が飛んでくるが、風から手がかりを得て回避を続ける。

 

 目標へちゃくちゃくと近づいている。向こうも逃げているらしい足音が聞こえるが、こっちのほうが速い。

 

 トゥーフェイまであと少しという距離まで近づいたときだった。

 

「うっ……!?」

 

 突然、全身を激しく揺さぶられたように体がぐらついた。

 

 まるで船酔いみたいに気持ちが悪い。吐きそうだ。

 

 ふらついたわずかな隙を突く形で、衝撃が腹にぶち当たった。

 

 大きく後ろへ吹っ飛ぶが、足指を地面に噛ませて立ち姿勢をキープ。

 

 いよいよたまらず、ボクは目と耳を開いた。まるで頭をめちゃくちゃにかき回されているみたいなめまいがまだ続いている。

 

 おそらく、振動をボクの骨格に送り込んで、頭ごと揺さぶって、擬似的な船酔い状態を作ったのだろう。ライライの【響脚(きょうきゃく)】みたいなものだ。

 

 ボクは震脚する。下から上へ昇る力を作り、強引にその振動をねじ伏せた。余韻は少し残っているが、酔いはさめた。

 

 風の動きから、再び飛来してくる勁力の接近を読み取る。当たる刹那に体の位置をずらし、やり過ごす。

 

 しばらく視覚と聴覚を封印していたおかげか、一時的にだが皮膚感覚が鋭くなったようだ。これなら目と耳をふさがずとも戦えそうだ。

 

 トゥーフェイを見て、その動きを観察するが、

 

「がっ!」

 

 真横から衝撃。ボクは吹っ飛ぶ。受身を取って立つ。

 

 いけないいけない。いつもの癖で、目だけで相手の動きを読もうとしてしまった。触覚だ。触覚を使うのだ。

 

 ボクは視界には意識を向けず、その周囲の風向きの変化にのみ意識を集中させた。

 

 だが、次の瞬間におとずれた勁力を皮膚で感じ取った瞬間、ぎょっとした。

 

 ――マズイ、これは避けるのが難しい。

 

 触手状の勁力をこっちまで伸ばしているのは今までどおりだが、今度は真上でシャワーみたいに、幾本もの細い触手に分化して降り注いでいる。その分化した無数の触手は、ボクの立ち位置を中心とした半径5(メートル)をすっぽり覆っていた。

 

 飛ぼうとしたが、タイミングが遅かった。降り注ぐ力の雨に全身を殴られ、体がうつぶせに地面に縫い付けられた。

 

 【空霊衝】は勁力の形を好き勝手に変えられるのだ。ならば、相手が避けにくい形に変えることだって造作も無いはずだ。

 

 足腰に鞭打って迅速に立ち、再びトゥーフェイに向かって突っ込む。

 

 トゥーフェイが手をかざす。そこからまたさっきのように、シャワーのごとく幾本も分かれた勁力の直線が迫るのを触覚に感じた。

 

 ボクは止まらなかった。震脚で「跳ねる力」を生み出して、それを推進力として利用。左手で顔を覆い隠しながら、右肩を前にして勢いよく突っ込んだ。【打雷把】の体当り技【硬貼(こうてん)】だ。

 

 たとえシャワーみたいに弾幕を張ろうとも、一撃の強さでは【打雷把】の方が圧倒的に勝っていた。トゥーフェイの放った勁力の弾幕をたやすく押し返し、間合いへと暴風のごとく踏み入った。

 

 【硬貼】の勢いを殺さず、そのまま左拳による【衝捶】へと連結させた。

 

「くっ!」

 

 トゥーフェイは苦虫を噛み潰したような表情となり、真横へダイビングのように上半身から飛び込む。そうしてボクの拳から逃れてから、体を転がして距離をとった。

 

 その対処法に、ボクは肩透かしを食らった気分になった。

 

 ――なんで、あの反射技を使わないんだ? アレを使えば、簡単に防げたはずなのに。

 

 それを考えさせないとばかりに、右上から見えない衝撃が飛来してきた。

 

 ボクは前へ走る。破砕音が後ろで聞こえた。

 

 突き進む。

 

 今度はまた球状の勁力。止まることは出来ないので、再び【衝捶】で破壊する。

 

 破壊してから間髪いれずに、右真横から不可視の力が迫ってきた。

 

「ふんっ!!」

 

 考えるよりも先に体が【移山頂肘】の動きを刻んだ。横へ激しく深く踏み込むと同時に右肘を鋭く突き出し、その肘が見えない何かに当たり、押し勝つ感触。

 

 まるでトンネルを掘り進むように、トゥーフェイの間合いまで着実に近づいていく。

 

 とうとう間合いのすぐ側まで走り寄った。

 

 だが次の瞬間、ボクの触覚が「尖った圧力」を感知。「沈む力」と「上へ伸びる力」を同時に引き出す【両儀勁(りょうぎけい)】で強引に足を急停止させた。

 

 瞬間、ボクの右頰、右脇腹、左足、頭部のすぐ近くを「尖った圧力」が通過した。

 

 背筋に寒いものが走る。――勁力を、自分の周囲に伸びる大量のトゲとして生み出したのだ。

 

 かと思えば、再び勁が球状に膨張。ボクは強風にあおられるようにして吹っ飛ばされた。……ちなみに、あらかじめ【両儀勁】は解いておいた。地面に重心を固定する力と、トゥーフェイの発した力がぶつかり合うのを防ぐためだ。

 

 数米離れたところで受け身をとって立ち上がる。

 

 構え、前手の指先越しにトゥーフェイを照準する。

 

 強い。

 

 今までずっと怠惰に動かないでいた【天下無踪(てんかむそう)】に、ボクはようやく足跡を作らせることができた。

 

 だがそれは逆に、眠れる獅子を叩き起こしただけなのかもしれない。

 

 「力を自在に操る」という【空霊衝】の能力を遺憾なく発揮し、こちらを着々と追い詰めていた。

 

 ここまで変幻自在な勁力を、ボクは見たことがない。まるで実体に触れる幽霊と戦っているみたいだ。

 

 そう思う一方で、分かったこともあった。

 

 

 

 ――あの子には、戦闘経験が足りていない。

 

 

 

 ボクが動きや戦法を変化させでもしないかぎり、攻撃方法がずっと単純なままなのだ。

 

 普通なら、単純な攻撃と思わせて心の隙を作ってから、攻撃方法に変化を与えて不意を突くこともできたはずだ。

 

 けれど、トゥーフェイはそれをしなかった。彼女の攻撃は主に、その場だけを凌ぐためのものだ。後先をほとんど考えていない。

 

 この壊れきった足場がその証拠だ。

 

 おそらく、彼女は衝撃反射技を「使わない」のではなく「使えない」のだ。石畳を壊してしまったことで、足場が不安定になっているからだ。しっかりと立てる地面でないと、あの技はうまく機能しないのだろう。

 

 【天下無踪】であり続けてきた怠惰のツケが、ここに出ていた。

 

 ボクの勝機は、おそらくその「未経験の隙」を突くことにあると思う。

 

 真っ直ぐにトゥーフェイの目を見つめた。その目にはもう眠たげな感じはいっさい見受けられない。あるのは、眼前に立つ敵をことごとく打ち倒そうという気迫のみ。

 

 ――この数分のあいだに、ずいぶんと様変わりしていた。

 

 【黄龍賽(こうりゅうさい)】をただの「小遣い稼ぎ」と断じた怠け者の姿は、とうになりを潜めていた。

 

 あるのは、武法士の姿のみ。

 

 ならば、ボクもその姿勢にこたえて、全力を出すとしよう。

 

 走り出す。その最中も、トゥーフェイの瞳から視線をはずさない。

 

「いい加減、倒れて!」

 

 その赤い瞳が、苛立ちでぎらぎらと輝く。ソレと同時に、自然の風向きに別の風向きが加わる。ボクが右へ避けると、直前までの立ち位置が爆砕した。

 

 赤い瞳がボクを追う。またも不可視の打撃が迫る。またも避ける。

 

 避ける。避ける。避ける。

 

 今までよりも数段避けやすかった。

 

 感覚を研ぎ澄ませたからというのもあるが、もう一つ理由があった。

 

 相手の目を見ているからだ。

 

 何度も言うが、トゥーフェイは今までその場に立っていれば勝利できていた。だから戦闘における駆け引きに慣れておらず、分かりやすい。

 

 その分かりやすさは、おのずと表情や視線に表れる。そこから攻撃を先読みできると今気づいた。

 

 普通、武法士同士の戦いでは、視線でも攻撃を悟られぬように工夫する必要がある。だが何度も言うが、トゥーフェイは戦い慣れていないため、そういった駆け引きが下手なのだ。

 

 あっという間に距離を詰めた。

 

 しかし今トゥーフェイが踏んでいる足場は、幸運にも、割れずに残った石畳。つまり――衝撃反射技が使える。このまま攻撃すれば、ボクの攻撃は跳ね返されるだろう。

 

 だが、それも織り込み済みだ。

 

 トゥーフェイと目を合わせ続けていた理由は、先読みのためだけではない。

 

 ボクは、自分とトゥーフェイの瞳が見えない糸でつながっているという意識で【意念法】を用いながら、くいっと顔を左へ振った。

 

 それにあわせる形で――トゥーフェイの体もボクから見て左へと流される。

 

「っ!?」

 

 息を呑むトゥーフェイ。視線の同調を利用して相手の重心を崩す技【太公釣魚(たいこうちょうぎょ)】の術中にはまった白髪の少女は、大きく体勢を崩して「死に体」をさらす。

 

 ボクはそんな彼女の飛ぶ方向へ先回りする。

 

 呼吸を整え、技を出す心身状態へと体を切り替える。

 

 基準とする力は衝突。正拳で一撃――吹っ飛んだ相手に風のごとく追いついて肘鉄で二撃――またも追いすがって肩口で三撃。

 

 武法において「三星(さんせい)」と呼ばれているそれらの部位による衝撃は、すべて一点へ打ち込まれた。エネルギーが蓄積して強大なダメージへと変化する。

 

 【三星沖撃(さんせいちゅうげき)】。

 

 まともにそれを食らったトゥーフェイは、大きく後ろへ吹っ飛ぶ。

 

 壁に激突。

 

 そのままずるりと滑って仰向けに倒れ、動かなくなった。

 

 官吏がそんな白髪の少女へと駆け寄り、確認を取る。

 

 その表情は青ざめていた。

 

「……心の臓が、動いていません」

 

 ボクも、そして司会役の人もそろって青ざめた。

 

『しょ……勝者、李星穂(リー・シンスイ)選手!! ですが姫兎飛(ジー・トゥーフェイ)選手、危険な状態! 運営の皆様、大至急、トゥーフェイ選手を医務室まで運び入れてください!!』

 

 準決勝は、衝撃的な幕引きとなった。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 夢を見ていた。

 

 それはそれは幸福に満ち溢れた夢だった。

 

 奴隷のように労働することも、人間同士の余計なしがらみにとらわれることもない。

 

 ふわふわと空をたゆたう雲の上に寝そべり、手元の書を読みふけっているだけで時が過ぎていく。お腹がすいたら口を開ければいい。そうすれば食べ物飲み物が勝手に口の中に入ってくる。

 

 額に汗してあくせく動き回る下界の人々を他人事のように俯瞰(ふかん)しながら、自分は「怠け」という別世界に耽溺し続ける。

 

 それはまさに、姫兎飛(ジー・トゥーフェイ)という少女にとって理想の生活だった。

 

 しかし、トゥーフェイは他人より賢い少女であった。ゆえにその夢は、人として生を受けた以上、たとえ皇族であっても叶うことがないということを知っている。

 

 そう考えると、一気に気持ちが萎えた。

 

 夢に対して興味を失い、肉体が覚醒を選んだ。

 

 まず目に付いたのは、白い壁。

 背中は、少しだがやわらかい感触の寝台に体重を預けていた。どうやらこの白い壁は壁ではなく天井のようだ。

 周囲には、薬などの医療用具が置かれた棚。

 

 薬臭い空気を大きく吸った瞬間、

 

「んぐっ……!!」

 

 体の芯が、きしむように痛みを訴えた。

 

 その痛みが、寝ぼけていた思考を一気に現実へと引き戻した。

 

 痛みの波が喉へひびき、思わず咳き込んでいると、

 

「気がついた?」

 

 視界の横から、ひょこっと女の子の顔が出てきて、こちらを気遣わしそうに見下ろした。

 

 大きな瞳に、長く反ったまつ毛。桜色の唇。白くまっさらな肌。太く長い三つ編み。

 

 化粧をしていないのに、化粧をした女性以上の美しさを発するその美少女は、自分の知っている人物だ。

 

 敵だ。

 

「あ、あなた、何をして――ぐっ!?」

 

 上半身を起こして李星穂(リー・シンスイ)から逃れようとするが、動こうとした瞬間に再び体の芯から激痛。背中を丸めて縮こまり、歯を食いしばった。

 

「ああっ、無理しちゃだめだよ。君、さっきまでかなり危ない状態だったんだから」

 

「危ない……状態?」

 

「経絡の流れがふさがっちゃって、心臓が止まってたんだよ。経穴(けいけつ)を刺して経絡をこじ開けてから、にごった気を気功術で殺して自然治癒力の働きを促したおかげでなんとか助かったけど。ちなみに今はもう夕方。君、四時間くらい眠りっぱなしだったよ」

 

 そこまで言われて、トゥーフェイはようやく思い出した。

 

 自分は、シンスイに負けたのだ。ここ――医務室の寝台で横たわっていることこそ、なによりの証拠だ。

 

 けれど、それを信じきれずに、問うた。

 

「わたしは、負けたの?」

 

「うん、ボクの勝ち。どういう形であれ、君は意識を失ったんだから」

 

 ぎゅっと、拳が握られる。

 

 最悪だ。これでは完全にムダ骨ではないか。

 

 なんのために、わざわざ予選大会に出るために帝都を離れた?

 なんのために、この大会に出た?

 

 すべては、怠けるための金をためるためである。

 

 だけど、すべてムダになった。試合に負けたせいで。

 

「なんで、ほうっておいてくれなかったの」

 

 震えた声で、そう口にしていた。

 

 シンスイは戸惑いながらも、気遣わしい声で、

 

「いや、放っておけないよ。あのまま放置してたら死んでたんだよ?」

 

「……だったら、それでもよかったのに」

 

「――何だと?」

 

 シンスイが何か口にしたが、構わずに、感情のまま言い募る。

 

「あなたのせいで、ここまで来た苦労が水の泡。このままだと金が足りないで、また面倒なことをしないといけなくなる。そんなの、冗談じゃない。このまま苦労し続けるくらいなら、あのまま殺してくれた方が――」

 

 パァン。

 

 突然、頬に乾いた痛みが走った。

 

 シンスイに横っ面を叩かれたのだ。

 

「ふざけたことを言うもんじゃない」

 

 さっきまでの心配そうな表情から一転、厳しい怒りを表情にたくわえていた。

 

 トゥーフェイの瞳が思わず見開かれた。

 

「君の気持ちは良く分かる。誰だってめんどくさいのは嫌さ。ボクだって、父様との約束さえなければ、こんな大げさな大会になんか出てない」

 

「…………」

 

「でもね、世の中には、君やボクが嫌がる「めんどくさいこと」ができない人間だっているんだ。したくてもできないんだ。そういう人間にくらべれば、君はかなり恵まれている。それを知らずに「めんどくさいから死にたい」なんて言葉を吐くんじゃない」

 

 その声は、厳しくもあり、悲しげでもあった。

 

 表情も込みで、トゥーフェイは自然と察してしまった。

 

 ――おそらく、彼女は知っているのだ。「そういう者」の気持ちを。

 

 自分が味わったのか、近しい誰かの不幸を見たのか、理由は分からない。

 

 けれど、シンスイは間違いなく、「そういう者」の苦しみを知っている。 

 

 トゥーフェイはしばらく、何もいえなかった。彼女の言葉に、説得力がありすぎたのだ。

 

 自分は、自分の父や母を「つまらない人間」だと断じていた。苦労の先に次なる苦労を重ねるような人生を送る二人のようになるまいと、ずっと思っていた。

 

 けれど、それはすべて、自分のためなのだ。

 

 世の中には、そのように家族を持って、幸せに生きたいと願っている者だっている。――だが、何らかの事情で、そういった願いをかなえられない者もいる。

 

 医者になりたくとも、医学を学ぶ金がないせいで諦めざるを得ない者もいる。

 

 病気を治したくとも、治せない者もいる。

 

 それらに比べれば、病気も無く、自身の力で財も築けて、自身の足で歩ける自分の人生の、なんと恵まれていることか。

 

「……わたしは」

 

 けど、人間の人格は簡単に変わらない。

 

「わたしは……怠けるのが好きで、めんどくさいことが嫌い。それは変わらない」

 

 けど、一つだけ変わったものがある。

 

「でも、あなたのことも嫌いで、気に入らない。だから、今度戦うときは必ずやっつける」

 

 この少女は、今まで一度も抱いたことのない気持ちを抱かせてくれた。

 

 その気持ちは、自分が大好きな「怠け」とは程遠い、泥臭く汗臭いものだったが、不思議と胸に入れて不快なものではなかった。

 

 それどころか、常に倦怠感に満ちた自分の体に、奇妙な活力が生まれてくる。

 

「叩いてごめんね」

 

 シンスイはニコニコしながら、こちらの頭をもふもふなでてくる。

 

 トゥーフェイは振り払わない。しかし、ぶすっとした顔で睨む。

 

「……わたし、嫌いって言った」

 

「ボクは結構好きだよ、君のこと」

 

「…………ばか」

 

 かすれた声で悪態をつくトゥーフェイ。

 

 が、なでてくるシンスイの手は、やはり振り払わなかった。

 


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