一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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シャオメイとラーシン

 虎爪の形をとったラーシンの右手が、民家の壁面を豪快にえぐり取った。

 

 その一撃を伏せて躱したシャオメイは、真下から双手帯(そうしゅたい)の刃をラーシンの右腕に走らせた。斬り落としてやる。

 

 しかし、相手は腐っても歴戦の将。回転しながら退き、その遠心力で右腕を手前へ引き寄せ、シャオメイの刃から寸前で逃れた。さらにその遠心力そのままに、一周すると同時に右回し蹴りへと転じた。

 

 シャオメイは双手帯の刃で蹴りを受け、脚の損傷を狙った。が、用意周到に【硬気功】がかかっていたのでそれはかなわず、丸太でぶん殴られたがごとき圧力に押されて吹っ飛んだ。

 

「ははははははははははははははははぁ!!」

 

 シャオメイは即座に受け身をとって持ち直すが、すでに戦意で狂ったような笑みを浮かべたラーシンの顔が目前に迫って来ていた。打ち合いは避けられぬ距離。

 

 ラーシンの両手が、虎爪を模した形となる。

 

覇威(ハイ)覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威!!」

 

 けたたましい気合の連鎖に合わせ、その虎爪手を猛然と連発させてきた。

 

 直進、横薙ぎ、上下、斜め上下……あらゆる軌道で襲い来るそれらを、シャオメイは時に避け、時に武器で防ぎながらいなしていく。ひと時たりとも気が抜けなかった。この虎爪手の一つ一つには、シャオメイの柔肌を削ぎ落とすだけの功力が秘められているのだ。

 

「覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威——()!!」

 

 終わりの見えない虎爪の連続に辟易してきたその時、空圧の形が突如変わった。唐突に、破城槌のごとく蹴り伸ばされたラーシンの左足。シャオメイはその流れの激変を敏感に感じ取っていたため、その蹴りから最小限の動きで逃れ、隣を素通りさせた。そのまま後ろへ回り込み、背中を刺してやろうとした。

 

「ぬおぉ!!」

 

 が、ラーシンが突如として回身。反時計回りの遠心力を用いて、蹴り伸ばした右足を猛烈に後ろへ振った。武法では擺脚(はいきゃく)と呼ばれている蹴り方だ。

 

「ぐっ……!!」

 

 体に当たることはなかったものの、手元には当たった。太い石の柱で殴られるようなその蹴りは、シャオメイの双手帯を弾き飛ばした。しっかり握っていたはずだが、この蹴りの威力はその握力さえ上回った。

 

 後ろへ払った左足で、ラーシンはそのまま踏み込んだ。自重の移動に同調させる流れで、猛然と迫る石壁を連想させる掌打を発した。

 

 直撃。しかし、それほど痛くはない。掌の接触と同時に両脚を水飴のごとく柔らかく沈ませ、衝撃の大半を大地へ逃がしたからだ。【黐脚(ちきゃく)】という歩法だ。

 

 余った勢いで、シャオメイは後ろへたたらを踏んだ。

 

「くくくく、やるではないか。良い反応と頑健さだ」

 

 ラーシンは戦意に満ちた微笑を崩さず、そう賞賛してくる。

 

 ——この化け物め。

 

 一方、シャオメイは先ほど蹴られた両手を衝撃の余韻で震わせながら、心中でそう毒づいた。

 

 流石は、国軍指折りの使い手といったところか。

 

 その功力は、自分とはえらい差であった。

 

 今すぐ蹴飛ばされた双手帯を取りに行きたいところだが、この歴戦の将がそれをやすやすと許してくれるとは思えない。

 

 ——極限の鍛錬によって高められた功力は、ときに、流派の歴史さえも凌駕する。

 

 ラーシンが使う武法は【虎勢把(こせいは)】。

 その名の通り、虎の動きを模した技の集まりだ。

 その戦術は至極単純。相手に隙が生まれるまで延々と攻め、隙が生まれたらそこへ全力の一撃を叩き込むというものだ。

 どんな達人であっても、攻め続けられれば必ず大なり小なり隙を見せてしまう。【虎勢把】はまるで山に穴を掘って金を探すように、怒涛の連撃によってその「隙」を発掘する。大雑把なようで、非常に理にかなった武法なのだ。

 おまけにこの武法は、他に比べて習得が非常に速い。従来の武法と違って「易骨(えきこつ)」と「技法」を分けて修練しないからだ。【虎勢把】は、【拳套(けんとう)】を修行することで「易骨」「技の習得」を同時に行える。そういった習得の速さから、国軍を含む武官の必修科目に指定されている。

 

 この革新的な武法を作らせたのは、先代皇帝である『獅子皇』。

 それまでは、あらかじめ武法を身につけた人材を軍に引き入れるという方式をとっていたが、【虎勢把】の登場によってその必要は無くなった。自前で、かつ短期間で武法士を作れるようになったからだ。……この【虎勢把】は、問題ばかり残して逝った『獅子皇』の、数少ない功績として扱われている。

 

「だが、これで終わりではあるまい? 【太極炮捶(たいきょくほうすい)】宗家次期当主どのの力、どうか俺に見せてみよぉ!!」

 

 ぐおっ! とラーシンの巨体が迫った。

 

 これから使ってくるであろう攻め手を予想したシャオメイは、己が両手を【硬気功】で鉄のごとく硬くする。

 

「覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威覇威!!」

 

 思った通り、両の虎爪手で猛烈に連打してきた。

 

 【硬気功】を施した両手でどうにか受けるのだが、

 

 ——重いっ……!!

 

 それらの一手一手が凄まじく重く、受け止めるたびに手から体幹へ衝撃がビリリと伝わってくる。気を抜くと、その勢いで重心を崩されそうだった。

 

 何より、さっきの蹴りのせいで両手がかじかんだように震え、思うように動かせない。

 

 このままでは破られる。そう思ったシャオメイは一度距離を取ることにした。足から力を抜き去った状態で、真っ直ぐにやってきた虎爪を両手で受け止めた。足という土台の影響を受けず、体がそのまま吹っ飛んだ。受け身をとって立ち上がる。

 

 間隔を圧壊せんと近づくラーシン。その巨体とは不釣り合いな速さだった。

 

 シャオメイは己の体重を己の足で蹴っ飛ばし、突発的に宙高く跳ね上がった。さらにそこから斜め下へ向かって体重を蹴り、走っていたラーシンのちょうど真後ろをとった。【飛陽脚(ひようきゃく)】だ。

 

 ラーシンの反応は一流と呼んで良いくらいの迅速さだったが、いかんせん走っていた勢いが邪魔して、行動がどうしても一拍子遅れてしまう。だからだろう、走っていた勢いは逆らうことなく、前に転がってシャオメイの放った掌底の射程から逃れた。

 

 転がってからすぐに立ち上がり、回転しながら距離を詰め、その丸太のような剛脚を振り抜いた。シャオメイはどうにか地面を転がって蹴りの下をくぐれたが、目標を失った蹴りは代わりに民家の壁面をぶち破った。

 

「化け物め……!」

 

「褒め言葉だな!」

 

「ああ、だが私は、お前を超える馬鹿力の女を一人知っているぞ」

 

「俺も知ってる! 李星穂(リー・シンスイ)だろう!? 俺はあの女とも闘いたい! お前を亡きものにした後でじっくり探すとするさ!」

 

 ラーシンはバネのような突発的速度で詰め寄り、天高く振り上げた虎爪を重心ごと振り下ろしてきた。シャオメイはその攻撃から逃れるため、横へ動いた。

 

 しかし、それはシャオメイに望んだ反応をさせるための「囮」だった。ラーシンは踏み込まずに今の軸足ごと身を深く沈め、横へ動いたシャオメイめがけて突進を仕掛けた。右の虎爪が大気の壁をぶち破って爆進。

 

 しかし、シャオメイもまた、そんなラーシンの狙いを読んでいた。右虎爪を身のひねりで紙一重にかわし、そのままラーシンの懐へと入る。

 

 脊椎を通う【筋】を真上に張り上げて「上向きの力」を作りつつ、深く踏み込んで「下向きの力」を生み出す。一つの体に矛盾した二つの力が働くことで、両端から引っ張られた糸のような張力を得て、重心に強固な固定力をもたらす。その固定力を威力に転化した肘打ち【移山頂肘(いざんちょうちゅう)】。シンスイから「盗んだ」技だ。

 

「ぐおぁっ!?」

 

 さすがの猛将も、【雷帝】譲りの一撃は効いたようだ。苦悶めいた声を出し、その巨体を大きく後ろへ滑らせた。

 

 しかし、この体術はいまだに慣れない。おまけに【打雷把(だらいは)】に対応する呼吸も知らないので、普通の技より消耗が激しい。乱発はできなそうだ。

 

 ラーシンは打たれた腹部を押さえながら、くつくつと嬉しげな笑声を漏らしていた。

 

「痛い……痛いぞ……! 久しいなぁ……痛みを与えられたのは! そうだ、これこそが戦! 感謝するぞ【太極炮捶】! 寝ぼけていた俺の寝耳に冷水をぶっかけてくれたことを!! さあ、続けようぞ、我らの戦をなぁ!!」

 

 ラーシンの姿が、視界の大半を覆った。

 

 ぞわり、と背筋を氷で撫でられるような感覚から目を背けつつ、シャオメイは斜め後ろへと跳んで、横薙ぎに走った虎の爪から逃れた。レンガでできた民家の外壁が深く削げた。

 

 ラーシンは暴風のごとく旋回しつつ、圧迫するように間合いへ近寄った。回し蹴りが迫る。

 

 一振りで強風が起こるほどの蹴りを避けながら、シャオメイは下がり続ける。

 

 再び、振り向きざまの回し蹴りがやってくる——かと思いきやその足で地を踏む。さらにその足で瞬発し、シャオメイの間合いへと急迫。虎爪に変えた両手を左右から振ってきた。

 

 シャオメイは前かがみになって頭の位置を下げる。さっきまでシャオメイの頭があった位置で、二つの虎爪手が挟み込むようにぶつかり合った。【双風貫耳(そうふうかんじ)】という、鼓膜を破る技。だがあの男の腕力では、鼓膜ではなく頭蓋骨がリンゴのように潰されかねない。

 

 右手で手刀を作り、その先端をラーシンの鳩尾に添える。そこから右足底の踏み切りに合わせて、ほんの小さな間隔を一気に押し潰す形で右掌を打ち込んだ。【扎掌(さっしょう)】という技だ。極めて近い距離から強い力を出せる上、その衝撃は体内へ浸透し、鳩尾に打ち込めば心臓を止められる。

 

「覇威ィッ!!」

 

 が、耳元でそんな凄まじい覇気が爆発した瞬間、ラーシンの体の奥底から力が跳ね返って来て、【扎掌】の衝撃波を押し返す感覚を感知した。——呼吸だ。呼吸によって筋肉に波動を生み出し、こちらの衝撃波を相殺したのだ。

 

 かと思えば、顔面から頭を鷲掴みにされ、軽々と持ち上げられた。

 

「ぬぉぉぉ!!」

 

 体が一気に横へ振られる感覚。壁に頭から叩きつける気だ。

 

 シャオメイは鋭く片足を持ち上げ、ラーシンの顎を真下から蹴り上げた。頭を掴む手の力がゆるんだところを狙って強引に引き剥がして脱出、着地し、その胸部に深い踏み込みの力を乗せた拳を叩き込んだ。ラーシンの巨体がいくらか押し流されたるが、シャオメイはいち早くその背後へと回り込む。回転しながら跳躍し、ラーシンの後頭部を思い切り蹴りつけた。

 

 大男でも、昏倒はまぬがれない一撃だった。

 

「ぬははははははぁ!!」

 

 しかしラーシンは微塵もひるむ様子を見せず、勢いよく振り向きざま、裏拳を繰り出してきた。

 

「ぐあぁっ!!」

 

 今なお宙を舞った状態だったシャオメイは、それを十分にかわせなかった。両腕で受け止めこそしたものの、巨大な鉄塊が矢の速度でぶち当たったようなその衝撃が押しつぶさんばかりに両腕を襲い、さらにその後ろにある胴体まで響いた。余剰した力で吹っ飛び、壁に叩きつけられて弾み、地に膝をついた。

 

 とどまって咳き込みたかったが、敵はそれを許さなかった。暴風じみた風圧をまとってやってきたラーシンの前蹴りを、シャオメイは横へ飛び退いて回避。それから転がり、流れるように立ち上がった。

 

 ラーシンはなおも攻め寄ってくる。その目は、屠り食すべき獲物を見る獰猛な虎の目だった。

 

 虎爪、蹴り技が次々とやってきて、シャオメイはそれをどうにか避けていく。一発でも当たれば大幅に体力と気力を削がれる攻撃の数々。

 

 ——この男の頭には、「敵を殺す」ことしかない。

 

 人は、どれほど物事に集中しようとしても、完全に雑念を取り払うのは難しい。例えば、戦いの時も、「相手より早く動かなければ」「相手が絶対に倒れる威力を出さなくては」といった雑念が混じる。それらは願いを叶えるどころか、かえってその願いから己を遠ざけることになる。だが、人はそう雑念を抱かずにはいられない。

 

 一方、この男はどうだ。

 

 先ほどの後頭部への蹴りは、意識を刈り取れなくとも、怯ませることはできた。しかしこの男は少しもそんな様子は見せず、猛然と攻撃を仕掛けてきた。

 

 おまけに、個々の技のキレも増している。

 

 それはこの男の精神に「殲滅する」という純粋な意思しか存在しないということだ。

 

 純粋であるからこそ、迷いがない。その迷いの無さが、技にも現れる。軌道に一切の迷いがない技はズレを無くし、余計な力の停滞が無くなり、結果的に速度も威力も上がる。

 

 今のラーシンは、たとえ片手片足が吹っ飛んでも、それを歯牙にもかけず、敵を殲滅せんと動き続けるだろう。

 

 超が付く鷹派という人格面を除けば、この男ほど武人向きな者はいないだろう。

 

「覇威ィィ!!」

 

 (たがね)を打つような深く鋭い踏み込みとともに、蝶の羽のように構えられた両掌が大気を圧潰しながら押し迫った。シャオメイは間一髪身をひねりながらその両掌から逃れた。ラーシンの踏み込みが大地をビリリと揺るがす。

 

 かと思えば、その両掌を地につけて深々と体を沈め、踏み込んだ足を軸として旋回した。もう片方の足がそれに合わせてぐるりと円弧を描き、シャオメイの足元をしたたかに払った。

 

 突発的な変化にうまく対応できず、重心を失って虚空を舞うハメになる。そんな状態の敵を、歴戦の武士であるラーシンが見逃すはずはなかった。

 

 回転しながら腰を上げたラーシンの蹴りがシャオメイの脇腹に当たるのと、シャオメイの脇腹に【硬気功】が施されるのは、全く同時だった。

 

 【旋風掃擺尾(せんぷうそうはいび)】と呼ばれる連続蹴りをどうにか防いだシャオメイだが、蹴りによる勢いだけは消せなかった。シャオメイは壁に肩口から勢いよく叩きつけられた。一瞬、息が止まる。

 

 ラーシンはなおも勢い付いて、攻撃を仕掛けようと虎のごとく伸びやかに、かつ鋭く追いかけてくる。

 

 このままでは防戦一方だ。なんとかしなくては。

 

 この男、悔しいが自分よりも功力が上だ。まして、国軍有数の猛将なのだ。まともにやりあっても、勝ち目は薄いかもしれない。

 

 しかし、自分の体には【太極炮捶】という最古の流派が歩んだ膨大な歴史の蓄積が内在している。その数においては、この男でも及びがつかない。

 

 正攻法にとらわれるな。自分は多くのものを持っているのだ。それらを上手に使えば、きっと勝てるはずだ。

 

 ラーシンの攻撃を決死の思いで避けながら、シャオメイは考える。まるで巨大な書庫の中を探り当てるかのように。

 

 そして見つける——上手くいけば、どんな敵でも確実に無力化できる絶技を。

 

 しかしそれは、【太極炮捶】の中でも、特に秘伝である技の一つ。なぜならば、それは「武法殺し」と呼ばれる技だからだ。これをひとたび他流の者に見られれば、すぐにでも対策を取られてしまい、「武法殺し」ではなくなってしまうだろう。

 

 シャオメイは【聴気法】で周囲の存在を確かめる——幸いなことに、人はいない。

 

 今しかない。そう思った。

 

 この怪物は、「あの技」を使って、ここで今確実に葬る。

 

 それができなければ死あるのみ。

 

 あの技が失敗し、自分が死ぬ結果となっても、【太極炮捶】の伝承に問題はない。

 

 自分には——まだ妹が二人もいる。彼女がどうにかしてくれるはずだ。

 

 腹を決めたシャオメイは、久しく攻めに出た。

 

「覇威ぃ!!」

 

 高速で薙がれたラーシンの虎爪を、シャオメイはその真下に潜ってかわし、さらに間合い深くへの侵入を試みる。今度は前蹴りが飛んできたが、それもどうにか避けた。まるで台風の中に入ろうとしている気分だった。

 

「シィィィィィ!!」

 

 ラーシンの懐へ侵入した瞬間、一息で無数の拳打を放つ【連珠砲動(れんじゅほうどう)】を繰り出した。それらの高速拳は、胴体表面にあるいくつかの経穴を決まった順番で素早く突いた。

 

 真上から、握り合わされた手が鉄槌のごとく振り下ろされる。シャオメイは背中に【硬気功】を施してそれを受け止めると、今度はラーシンの両腕にあるいくつかの経穴を決まった順に押した。

 

 足が動く気配を感じたので、素早く身を翻して背中を向けた。今なお【硬気功】が残留している背中に向かってラーシンの強大な前蹴りが激突。痛くはなかったが、大きく前へ飛ばされた。受け身をとって立ち上がる。

 

 衝撃の余韻が体の中に伝わり、思わずゲホゲホと咳き込む。しかし体は動かし続ける。ラーシンはこちらをひき肉にするまで止まらないはずだ。だからこっちも止まれない。

 

「オオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 ラーシンが迫る。その目には知性の光が無い。もはや理性をかなぐり捨て、内に刻み込んだ武技のみで動いているとしか思えなかった。

 

 あとは大腿部だ。そこにある経穴を突けば、「あの技」は発動する。そうすればこちらの勝ちだ。

 

 しかし、それが一番の難関だった。なにせ、ラーシンほどの武法士が、素直にこちらに後ろを取らせてくれるとは思えないからだ。

 

 タダでは取れまい。肉を切らせて骨を断つ覚悟で行かねば、自分が死にかねない。

 

 ラーシンが疾駆。シャオメイは両腕に【硬気功】をかけ、不可視の鎧をまとわせる。

 

 二者の間合いが接触。途端、ラーシンの右足が弩弓のごとく打ち伸ばされた。

 

 シャオメイは腹をくくり、その前蹴りを両腕で受け止める。下から上へ突き抜ける破壊的な衝撃に歯を食いしばって耐えてから、その脚を抱きかかえ、即座に経穴を決まった順に打った。

 

「おああああああ!!!」

 

 雄叫びとともに、抱きかかえていた右足がシャオメイごと横へ振られた。その猛烈な勢いによって、シャオメイの体が投げ出された。

 

 受身をとる。しかしこちらが立ち上がるよりも速く、ラーシンが間合いの中に自分を納めるほどにまで迫っていた。

 

 左足を持ち上げ、体重ごと一気に踏み降ろしてきた。体をわずかに横へ転がす。踏みつけた石畳が粉砕。シャオメイはその左足へ、即座に【点穴術】を施した。

 

 ——終わった。

 

 シャオメイはようやく立ち上がると、逃げることも身構えることもせず、ラーシンの眼前に身を置いた。

 

 戦いと殺戮に飢えた猛虎は、そんな自分へ向けて渾身の勁力を込めた掌底を放とうとした。

 

 

 

 

 

 全身のいたる部位から、血が吹き上がった。 

 

 

 

 

 

「ぬおぉっ……!!」

 

 こちらの薄皮一枚にまで迫っていた掌を引っ込め、片膝をついてうずくまるラーシン。

 

 ラーシンの体からはなおも血が溢れ出し、国軍の兵装を瞬く間に真っ赤に染め上げていった。

 

「な……何が、起こったというのだ……!?」

 

 ようやく理性を取り戻したらしいラーシンの驚愕した言動に、シャオメイは冷厳に返した。

 

「貴様の全身は今、至るところが裂けて血が溢れている。それをもたらしたのは、他ならぬ貴様自身の勁力だ」

 

「なんだと……!?」

 

「【太極炮捶】の極秘伝【通天五招(つうてんごしょう)】が一つ——【拆江(たくこう)】。四肢と胴体にある特定の経穴を突くことで、骨格に不自然な歪みを発生させる。……全身で生み出した勁力を流通させるのは、【易骨】によって理想的な形に整えられた骨格。つまりそれらが歪むということは、勁力の通り道が狭まり、生み出した勁力の循環不全を引き起こすことを意味する。……想像してみればいい。湖の膨大な量の水すべてを、ちっぽけな小川に一気に流し込んだら、どんなことが起こるかを」

 

 苦痛と驚きが入り混じった表情で、ラーシンがうめくように呟いた。

 

氾濫(はんらん)する、というわけか……!」

 

「そうだ。貴様の体の中で、貴様自身の勁力が氾濫を起こした。通り道から外れた力は外側を向き、結果、全身裂傷だらけというわけだ。【筋】もズタズタになっているから、貴様はもう、当分は動きたくとも動くことはできん」

 

 シャオメイはラーシンを刺すように見下ろす。

 

「——これが「歴史の差」だ、【猛虎将】。確かに貴様は一騎当千の猛将かもしれんが、所詮は生み出されて数十年程度の新興流派。何百年と代を重ね、技を磨き続けてきた我が一門の敵ではない。身の程をわきまえろ、小僧(・・)

 

 シャオメイはゆったり歩き、取り落とした双手帯を見つけるとそれを拾い上げ、またラーシンの前まで戻ってくる。

 

「……さて、これから貴様の首を頂戴するとしようか。この【拆江】は別名「武法殺し」と呼ばれる技でな、使う以上は必ずその相手を亡き者にしなければならん。生きて戻られたら【拆江】は対策を取られてしまい、「武法殺し」ではなくなってしまうからだ。——今見たこと聞いたことは、すべて墓場までお持ち帰り願おう」

 

 双手帯の刃を、手負いの猛将の首筋へ添える。

 

「それに……貴様は腐っても一国の将だった身。のちほど逆賊として処刑されるよりも、武人として戦場で果てた方が救いがあるだろう」

 

 ラーシンは、なにも言わなくなった。

 

「くくくっ……くくくくくっ…………」

 

 かと思えば、噛み殺すような笑声を漏らし始めた。

 

 それはすぐに、哄笑へと変わった。

 

「くくくくっ……くはははははははははっ!! いいぞ、いいぞ!! この戦、お前の勝ちだ【太極炮捶】!! さあ、俺の首を持っていくがいい!!」

 

 一瞬、死を目前にして狂気を抱いたのかと思ったが、ラーシンの顔を見て、それは違うと悟った。

 

 心底、痛快そうな笑顔だったからだ。見ているこちらがサッパリするくらいの。

 

「遠慮など無用!! ひと思いにバッサリいけ!! 戦場で生き、戦場で育ち、そして戦場で果てる、それこそが真の(つわもの)の生き様ぞ!! 俺は天上の神に感謝を禁じ得ぬ!! お前のような気骨ある武人に、我が首級を差し出せる僥倖(ぎょうこう)を与えたもうてくれたのだからな!! ハハッ、ハハハハッ、フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

 

 シャオメイは何も言わず、目の前の猛将の首元へ一閃した。

 

 

 

 ——叩き落とされたラーシンの生首は、その痛快そうな笑顔で固定されていた。

 


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